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インタビュアー:岸田 / ゲスト:畠

富山在住・47歳、耳下腺がん——「ゼロから作るのが好き」な畠香織さんの自己紹介

岸田 それでは、がんノートをスタートしていきたいと思います!今日のゲストは畠(はた)ちゃんです!よろしくお願いします!いつも畠ちゃんと言っているので、ちょっとね、畠ちゃんと呼ばせていただければと思うんですけれども。

 はい!

岸田 畠ちゃん、ちょっと書かれているところをですね、簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか?

 私、畠香織(はた かおり)と申します。富山県出身で富山県在住の47歳です。家族構成は両親と今、妹と弟と暮らしています。仕事は公務員をしてたんですけど、今は退職しております。趣味は、旅行に行くことが好きで、あと何でも物を作ることが好きです!

岸田 『物を作る』って何を作る?

 特にこだわってはなくて…手芸でもいいですし木工でもいいですし。

岸田 ふーん!そうなんですね。じゃあ…ご自身の手で作るってことですね?

 料理でもいいですよ!(笑)なんかゼロから作るのが好き!みたいな。

岸田 がんの種類をお願いします!

 がんの種類が耳下腺がんということで、おたふく風邪の時に腫れるところのがんです。ステージは、診断時はそもそも良性治療で取っているんですけど、良性治療で取ったら…がんだったということで、腫瘍の大きさが2.8(センチ)以下、とりあえずステージ2ギリギリに行かなかったということでステージ1だったということです。

告知は33歳の時で、治療は手術・放射線・薬物療法フルセットでやってます。今は緩和ケアに移行して対症療法をやってます。よろしくお願いします!

岸田 はい!ありがとうございます。そういうふうな畠ちゃんのね、がんの経験談、いろいろお話を聞いていこうと思うんですけれども、この後ですね、感情の浮き沈みなどグラフで表させていただければと思います。

また今回ですね、個人の経験談でございまして特定の治療などを推奨しているわけではございません。ご自身の病気は主治医にご相談いただければということを思っております。

14年をひとつのグラフに——「上と下に振り切ってる」畠さんのペイシェントジャーニー

岸田 はい!ではですね、ちょっと畠ちゃんのですね、ペイシェントジャーニーこちらになります。すごい…!すごい上と下に振り切ってますよね!?

 そうなんですよ!結局…闘病生活が14年あるんで、それをギューってやっててハイライト取ってるんでどうしても…こうなってしまう!&(アンド)もしかして感情の起伏が激しい人なのかも…(笑)

岸田 いやすごいね〜。ハイライトを切り取ってるのでっていったところでね。

 (それか)ほんまに激しい人か!?(笑)

岸田 それはね、皆さんこの経験談を聞いてご判断いただければと思います!(笑)

まず初め、最初…おっ!一番低いところからスタートするんですね?それがこちら、連日の残業ということで、これは…もうお仕事が大変だったってことですね?

 大変でしたね!今思えばこの14年がんで精神が病みそうって思ったことはないですけど、この時ばかりは仕事で病みそうと思ってました(笑)

「絶対針刺される!!と思ってた」——唾が出るたびの痛みと、良性腫瘍としての手術

岸田 あぁ〜!そんな…精神が病みそうなそんな仕事、お仕事の話はまた詳しく後でも聞いていきますが、その中でね、ちょっとだけ上がっていきます。それがこちら、口が痛くて病院へといただいてますが、最初はなんかあれですか?口が…なんか腫れてきたとか?そういうあれなんですか?

 最終的に唾液腺の病気だって分かるんですけどそれまで分からなかったもので、なので物を食べる瞬間とか何かを食べようと想像した瞬間、唾が出た時にも痛くて…結構痛いんですよ!!で、職場の人に痛いんですけどって言ったら、病院行ったらどう?って言われて、行きましょうか〜という感じで。

これ…職場の人に言われなかったら多分行かなかったと思います、病院怖かったんで(笑)

岸田 そうなんですね!

 絶対針刺される!!とかって思ってましたもん、ここに(笑)怖い怖いって。

岸田 唾が出る時に痛みを感じるんですか?

 そうなんです!

岸田 んー…結果的にそれは、がんがそういったところにあったから?

 …だと思います。腫瘍を圧迫してたと思うんで。腫瘍を取った瞬間、食事したら全く痛くなくなったんで、多分…圧迫してたんだと思います。

岸田 そんな中で(耳の下辺りが)痛くて、職場の人に言っていただいて病院に行きます。で、行ってこちら、えっ、もうすぐ手術するんですね!?

 あっ、だいぶかかりました…。10月に病院に行って、手術は12月の頭ぐらいにしました。

岸田 お〜!もう、病院に行ったらどう言われたんですか?

 最初はここに書いてあるように、良性腫瘍だという。私のがん…ちょっと良性腫瘍っぽい顔つきなんですよ。なんで、MRI撮ってもCT撮っても、どうも良性腫瘍じゃないか?ということで、さっきの話じゃないですけど連日仕事してて合法的に休みたかったもので手術します!って。

先生は…ここに大きな傷できるから結婚とか出産のタイミングで(手術を)される方もいますよっていう話だったんですけど、私は(手術)します!って、即(手術)します!ってすぐ(手術)したんですよ。

岸田 それぐらい…痛かったっていうこともあるんですよね?

 痛かった&合法的に入院したかった(笑)

岸田 手術で。それはもう簡単な手術なんですか?それとも結構大がかりなんですか?

 耳下腺で…浅葉とか深葉とか、私、深葉って深いとこだったと思うんですけど、でも2時間弱って言ってましたかね。全身麻酔の手術で、わりと経過見る人も多い…良性腫瘍の場合経過見る人も多いらしいんですけど、とりあえず取ってもらったいうことですね。

「9割が良性」の1割だった——退院直前に告げられた診断

岸田 取りたかったっていったところで(手術で)取って…そしてその後ガクンと下がっていくのがこちらですね、がん告知…。悪かったってことですよね?これは。

 良性腫瘍と聞いてて、順調です!順調です!もうそろそろ退院です!って言われた時にこれなんですよ(笑)

岸田 やっぱ取ったものは悪かったですっていうことを言われたんですか?

 そうですね、良性とは言い切れないものが出ましたと、どうも…詳しい確定診断はまだなんでいったん退院してくださいっていうのがこのがん告知です。正確ながん告知ではないんですけど、良性腫瘍ではないものが出たという告知ですね。

岸田 畠ちゃんはその時の気持ちとしてはどうなんですか?

 ああ…この耳下腺腫瘍も9割が良性で悪性腫瘍が1割というのは、当時のガラケーでちょっと入院中調べてたんですよ。で、まさか1割にはならんだろうなと思いたかったんですけど、1割か〜!みたいな感じですね。

あと…この時まだ15年くらい前なんで、『がんイコール死』みたいなイメージがちょっとあったんで、私死ぬのかな?ってちょっと思いました。

「どんな治療をしても全力で治療します」——TS-1と放射線66グレイが始まる

岸田 そのような中でね、ちょっとまた上がっていきます、それが薬物療法TS-1そして放射線66グレイ。結構多いようなイメージがあるんですが、この治療されていく、これは上がっている理由としては何なんでしょう?

 そうですね、がん告知されてすごいショックだったんですけど、主治医の先生が、どんな治療をしても全力で治療します!って言ってくれて、そんなことおっしゃっていただけるなら私も頑張ります!みたいな感じですね。やっぱり…全力で治療します!って言われたら…嬉しいですよ。

岸田 そっか!じゃあこの…(気持ちが)上がっているっていうのは、どちらかというとこの治療が…すごくよかったっていうよりも、主治医との関係性がよくて、それで頑張っていこう!っていう意味での上がっている?

 そうですそうです!頑張ろう!ですね。

岸田 放射線治療をした時に畠ちゃんに写真を頂いてます、それがこちら!このお写真は?

 (放射線治療を)66グレイ終わった直後に記念写真ですね!で、66グレイ当ててるんで、うっすらと…赤いところと赤くないところの境目がちょっと見えるかな〜と思います。あと耳下腺の手術した痕もちょっと見えました。あっ、そこです!そこです。

岸田 境目が。

 ちゃんと境目できるんだな〜と思いました。

岸田 耳下腺の手術、これ?

 あっ、それです!それです!

岸田 そうなんですね!ここを切ったんですね!

 フランケンシュタインみたいな傷ができたって当時言ってました(笑)

岸田 えっ、66グレイの放射線って何日ぐらい通うんですか?

 1ヶ月くらい通いました。2月…いっぱいは通ってましたね。

4年後の肺転移、そして溶けていた胸椎T10——「終わった!って思いましたね」

岸田 そしてちょっとね、ここからまた下がっていくの怖いんですけど、それがこちら、肺に転移をしていくということで、そっか…肺転移!

 4年経ってそう言われたんですよ…。

岸田 あー!そっか、12年から16年になってますね!4年経って肺転移したって言われたんですね?

 ちょっとずつちょっとずつCTに小さい影があって、肺結核かもしれないとかカビかもしれないとかって言われてずっと経過観察してたんですけど、ちょっとずつ大きくなってるんで、これは肺転移だろうということで言われました。3月ですね。

岸田 転移分かっても…この白色、ネガティブでもポジティブでもないというふうな吹き出しにはなるんですけど、そこまで動じなかったということなんですか?

 カビかな?ってちょっと思ってました(笑)いい方に(笑)いや…結局生検してないもんで、他のCT見たら分かると思うんですけど、白いつぶつぶと…何が違うんやろう?とか思ってたのと、あと…いちるの望みで生検してないからカビかもしれない!とかってちょっと思ってましたね。

岸田 あー、そっかそっか。そういうことを思ってっていうことなんですね。ただその中で…より下がっていく、それがこちら、骨転移。お〜骨まで!

 骨転移はCT見たんですけど、素人目が見ても溶けてました(笑)

岸田 うわ〜!どこの骨に?

 胸椎10番目ですね、T10です。骨転移って痛いってよく聞くもんで、終わった!って思いましたね。

岸田 あー、だからもう痛くもなるしっていう?

 そうそうそう、ここからずっと痛い人生だな〜って思ってました。

岸田 そっかそっか。実際痛かったですか?

 いや…そこまででも(笑)

岸田 すごいね、そんな中でもね、本当なんかいろんな活動的でね、いろいろ。

 幸い…そんなに痛くない骨転移だっていうのが不幸中の幸いなんだと思う。

岸田 そんな中でちょっと上がりますが、これは薬物療法ドセタキセル、また抗がん剤をしていくということなんですね?

 ですね、骨転移までしているのと、そこの短い間にも一度再発してて、それで生検した結果またがん細胞出てるいうことで、ちょっと薬物療法再開しようということでドセタキセルをちょっと試してみることになりました。

岸田 この薬物療法はさっきよりも低いんですけど、その理由は何かあるんでしょうか?

 ドセタキセルは…思い出しました、髪の毛が抜けるのがすごく嫌で、髪の毛抜ける抗がん剤だったもので嫌だったのと、同時に私血管…採血とかルート取れる血管が、ろくな血管がないもので、この時点でCVポートにしたらいいと言われてたんです、この時点で。

CVポートの増設もしなきゃいけないことで、体に…異物を入れるのもちょっと怖いタイプの人間だったもので、嫌だ!嫌だ!って思いながら入院してました。でも、仕方ないな〜みたいな。

白血球が足りない年末——「ディズニーランド行きたいです」と主治医に伝えて

岸田 そして薬物療法されていった中で上がっていくのがディズニーランドでカウントダウンということで、これもね、ちょっとお写真をいただいております。それがこちら!

 行ってきました!ドセタキセル打った後に。

岸田 打った後に!?東京に行って?

 そうなんですよ!実は…31日、カウントダウンなんで(12月)31日なんですけど、(12月)28日の時点で白血球・好中球がめちゃくちゃ少なくて、年末年始入院するとも言われてたんですよ、このまま。でも…ディズニーランド行きたいです!って主治医の先生に言って、白血球上げる注射を打ってもらって無理やり行った感じです。

岸田 そうなんですね!ただやっぱり…すごく上がってるってことは、行ってよかったってことですよね?

 よかったですよ!よりによって…なかなか当たらないのにこの年に当たったんですよ(笑)

岸田 あっ、抽選制なんですね?

 そうなんです!抽選で…ようやく当たったと思ったら年末年始入院しないといけないかもしれませんって言われてて、ちょっと31日に…ディズニーランドに行きたいんですけどって言って、それなら退院しましょうって。

岸田 そこは調整してもらったんですね!

 調整してもらいました。

岸田 そんな中で次こちら、薬物療法オプジーボをされていく。またお薬が変わるんですね?

 ここのディズニーランドのカウントダウンからオプジーボまで、シスプラチンとかアービタックスとかもやってて、それでこの時にオプジーボですね、だいぶ後ですけど。

岸田 この間に実はお写真もいただいておりまして、それはこちら。

 シスプラチン打った…入院している時の写真ですね、ウィッグですね!

岸田 やっぱ髪の毛も抜けてしまってっていうことですよね?

 そうですね。

岸田 ウィッグはご自身で用意したんですか?ウィッグは買ったんですか?

 あっ、買いました!

岸田 どこで買ったとかっていうのは、気になったところでっていう感じ?

 ネット検索をして、『ウィッグ』で地元の名前を入れたのかな?で、ちょうどあったもので、そこで予約して見てきてどれにしようか?って選んできたって感じですね。これ自分に合わせてカットしてもらってるんでね。

岸田 あー!そうなんですね。

 はい。

岸田 そういうことしてくださいますもんね〜、買ったところでね。

そんな中で、さまざまなオプジーボやる前にいろいろ、さまざまな治療を経てっていう形になりますけれども。結構後にオプジーボされていて、これはどうだったんでしょう?

 この時オプジーボがニュースになったぐらいの頃で、よく効くとかっていう話も聞いて、自分も効いたらいいな〜っていう思いで投薬してもらいましたね。ただ…4回目で間質性肺炎が出て、あっさり終わりましたけど(笑)

岸田 え〜!そうなんですか?

 2回目ぐらいだったかな?CT撮ったら白い影が出てきて、間質性肺炎が出てるんでやめましょうって言って即やめましたね。

岸田 そっか!だから下がってんのかな?こちら、はい、無治療へということで。

 そうなんですよね。この間…無治療に行くまでに胸椎…腰椎の放射線治療とかもやったり、リンパ節、また…手術もしてたりしてるんですけど、それ一通り終わって、もともと今の私の耳下腺がんのタイプの場合は成長が緩徐(かんじょ)なものだから様子見てもいいんじゃないか?って主治医の先生から言われて、ここからしばらく抗がん剤何もなしな状態だったんです。

やっぱり言われたら、抗がん剤何もしないっていう状態だったらどんどん悪化していく一方なんで、すごいショックでしたね…。

岸田 うーん、そっか…。

 さすがにこの頃は…何もせず…そうしたらすぐ死んじゃうんじゃないかって思ってましたね。今、死んでないですけども(笑)

岸田 そうですよね〜。何もやっぱ…してないと不安になりますよね?

 なります!なります!

岸田 そっか〜。そんな中でね、上がるものがあります、これが肺転移縮小ということで、これは…えっ、無治療になってるけど縮小?

 そうなんですよ!私も無治療になって、3ヶ月くらいした後のCTで絶対悪化してる!と思って結果聞きに行ったんですけど、縮小してますね〜って言われて、えっ、本当ですか?とかっていう話してて。

どうも…免疫チェックポイント阻害薬って免疫自体を強化するもので、打たなくてもちょっと…効果が持続するらしくて、そのおかげで肺転移が縮小したんじゃないか?ということで。おそらくオプジーボのおかげで、何もしなくても肺転移が縮小したんじゃないか?というのが主治医の先生の話です。

「あるのに使えない」——遺伝子パネル検査で見つかった薬と、4年間の空白

岸田 お〜!それはよかった!!そんな中でね、ここでまだあの…(グラフの)半分ぐらいですかね?ここからまた下がっていきます。それが…遺伝子パネル検査!でございます。遺伝子パネル検査、これは…あれ?遺伝子パネル検査を、これは畠ちゃんが受けたいって言ってなったのか?それともどういう流れになったんでしょう?

 えっと、無治療の前にリンパ節の転移の手術をして、で、大学側に標本はあるとは思ってたんですけど、この頃もやっぱり遺伝子パネル検査がちょっと保険適用になったぐらいの頃で、ネットで調べてて…調べてたら検体が3年くらいでちょっと不正確になる話を見かけて。

で、リンパ節で取ったやつを使わないともったいないなーって思って、自分遺伝子パネル検査の適用になりますか?って主治医の先生に聞いたら適用になりますよっていうことだったんで、どんどん手続き進めてもらったって感じですね。

岸田 で、手続き進めていって検査を受けた。ただ、下がっているのは、これは何か…結果があまりよくなかったということ?

 あ、えっと、この…今でもだと思うんですけど、遺伝子パネル検査って1割だけが有効な薬剤につながるって言われて、実は私…つながったんですよ!

岸田 え、すごい!

 びっくりですよね!つながって…やった!と思ってたんですけど、ありましたけど、使えませんっていう結果だったんです。

岸田 どういうこと?

 保険適用になっていない。で、そもそも保険適用でなっていなくて、患者申出医療(患者申出療養制度)で使うという話もあったんですけど、どうも私のがんのタイプだと使えなかったみたいで、治験もない!国がん(国立がん研究センター)に聞いたけど、治験もないと言われました。

岸田 えっ、お薬は見つかってるのに、それが…保険適用じゃないから使えないと?

 はい。で、治験もない。保険適用になるまで待ちましょうって言われました(笑)

岸田 そういうこと!

 はい。あるのに使えないって最悪じゃないですか!?

岸田 いや〜。

 私はまだ…緩徐(かんじょ)だって言われてるんで、こうやって…えっ!?って言う余裕があるんですけど、これが他のがん患者さんだったら絶望ですよ!書いてあるのに使えない!そう思ったらもう…なんという…怖い検査なんだって思って、いろんなこと考えてすごいショックを受けてました。

岸田 そっか!だから下がってるんですよね、このね、状態がね。

 なんでこんな目に遭うんだっていう、ですね。

岸田 そっか…じゃあ畠ちゃんも、もうそれで…待つしかなかったってことですね?

 一応保険適用では使えないことなら自費で使えるのかな?と思ってちょっと調べたんですけど、とても自費で払えるもんじゃありませんでした。1000万とかしてたと思いますね…。

岸田 どれくらい?

 1000万!

岸田 あっ、そっか。

 無理無理!と思いました(笑)

コロナ禍に生まれた富山AYA世代患者会Colors——樋口麻衣子さんとの出会い

岸田 そんな中ね、ちょっとまた上がっていきますが、それが患者会の設立に加わるということで、これはどういうことでしょう?

 ちょうど遺伝子パネル検査を受けて終わった頃に樋口(麻衣子)さんと出会いまして、いろいろ話してコロナの頃もあって患者会作りたいね〜っていう話してて、トントン拍子に話が進んでって、9月に設立に向けてすごく…オー!!ってみんなで頑張って動いてて。楽しかったですよ!(富山AYA世代患者会)Colorsを作りました!

岸田 Colorsという患者会をね、樋口麻衣子さんを筆頭に作られていってというふうな形でね。樋口麻衣子さんに関してはね、いろいろがんノートにも出てくださったりとかしている、そういったがんの経験者さんでもありますけど、そういったところに畠ちゃんも加わっていってというふうな形で。

そんな中で下がっていきますが、あっ、下がっていかない、そんなに下がらへんか、こちら、薬物療法キイトルーダ。

 この頃、またちょっと…2年ぐらいあるんですけど、坐骨神経痛が出てきてめちゃくちゃ痛くて。あっ、ここまで無治療で頑張ってたんですよ!でも無治療だとこの坐骨神経痛がどうしようもないもので、何か抗がん剤を再開させてくださいって主治医の先生にお願いしてキイトルーダをここから始めて、効いたらいいなーっていうことで。

岸田 キイトルーダを実施していく。そんな中で下がっていきますが、リンパ節や胃に転移をしてしまってという。

 キイトルーダは一定…は効いてたみたいで肺転移とか縮小してたりしてたんですけど、たまたまPETを撮ったら後腹膜リンパ節に腫瘍があると。もしかして…リンパ節腫瘍かもしれないとかっていう話もあったんですけど。それで精査していったら胃に腫瘍があって、それを生検で取ったら耳下腺由来のがん細胞だったということで、あっ、これはリンパ節の方も耳下腺の転移だろうということで…。

岸田 お〜。えっ、これは転移をしてた時。ただ…僕が想像してるよりも転移してね、骨転移の時はこんなに下がってたりとかしましたけど、そこまでめちゃくちゃ下がってはないんですよね?

 リンパ節に腫瘍があるって言われた時は、結局ここと後腹膜って、後腹膜なんでだいぶ遠いんで、あまり無関係じゃないか?っていう話も出てて。ダブルキャンサーだったら…耳下腺だったらゆっくり成長してるっていうのが分かってるんでなんとかなるかなっていう思いはあったんですけど、ダブルキャンサーだったらいきなりもう…また死んじゃうかも!とか思っちゃって。

で、転移って…耳下腺の転移ならまだちょっと飼い慣らせるかな〜みたいな、そんな思いですね。

元日、熱が下がった翌日に避難所へ——能登半島地震と班長の電話

岸田 おそういうふうな思いでっていうことですね。そんな中で能登半島の地震が発生すると、この時期だったんですね?

 ちょうど12月26日ぐらいに胃に転移してますって言われて、多分なんですけどこの頃からちょっと腫瘍熱が出てたと思うんですけど、12月31日までちょっと熱出してちょっと寝てたんですよ。

で、12月31日にちょっと熱が下がったのかな?1月1日は…熱あったらコロナかもしれないっていうことで、熱下がったならコロナじゃないって言って1月1日家族で一緒に居間にいた頃に地震があって。公務員なもので避難所を開設に行かなければならなくなり…行きました!(笑)

岸田 ごめん畠ちゃん、避難所を開設に行く…えっ?ちょっと待って、避難所…ごめん聞き間違いかな?避難所に…避難しに行くじゃないの?

 (当時)公務員で、私避難所開設要員になってたんですよ!それだったら震度5弱以上の地震があったら避難所開設に行けっていう指示があって、そのマニュアルに従って開設に行きました!

岸田 え〜!?

 すごいですよね!1月1日にその指示に従ってみんな開設に行くんですよ!公務員。

岸田 え〜!!

 もちろん(他の職員に)電話かけたら県外にいますって言われて、少ない人数で頑張りました(笑)

岸田 そうなのか!

 班長なもので、班員に電話かけたら、今県外です、県外ですって言う人が2人ほどいて、お酒飲んでしまいましたよ〜って言われましたね。

岸田 えー!そっか。じゃあこの中でもう…能登半島地震の時は、畠ちゃんはお仕事っていうかすぐ避難所を開設する!というお仕事をしてたってことですね?

 プラス班長で電話かけて。なんで行かなきゃいけないのか?って思いました。

岸田 うわー!!

 でも、お仕事なんで。

岸田 体調は?その時はもう?

 不幸中の幸いか熱下がった時なのと、多分…アドレナリン全開だったので、この時前日とかも坐骨神経痛とか痛かったんですけど、避難所では特に痛くもなく過ごしてましたね。多分アドレナリン全開だったのと。めちゃくちゃ寒かったですけどね。

岸田 いやー、そう思います。

 体育館で。

岸田 そんな中また治療、薬物療法、またお薬を変えていかれているんですね?

 そうですね。この時にようやく。

岸田 タフィンラー?初めて聞いた。

 遺伝子パネル検査で有効と言われた薬がこれなんです。

岸田 ああっ、そういうこと!?

 正確にはメキニストの方らしいんですけど。ようやく本当に保険適用になったんで。

岸田 お〜!

 使えるようになった!4年越しです。

岸田 4年越しに使えるようになって、だから上がってるんですね?

 そうですそうです!

岸田 そっかぁ、よかった〜。そんなね、(薬が)使えるようになってその治療を進めていくと。そんな中で休職になっていってしまうという。なっていってしまうじゃないのか?赤色やからポジティブ?

 このタフィンラー/メキニストってお医者さんも薬剤師さんも扱いが難しいって言ってるほどの薬で、結構副作用が強烈なんですよ。しょっちゅう熱出すもので、治療に専念するならちょっと休職しないと無理だなということで、治療に専念するために休職しますということでちょっと(休職を)させてもらった感じです。

岸田 うーん、そういうこともあってということですね。ただそんな中でまた下がっていくのが、irAE腸炎で入院・肝転移。

 そうなんですよ。長い間…キイトルーダ打ってたりオプジーボも打ってるんで、免疫チェックポイント阻害薬打ってたら有害事象が出る人は出るっていうことで、それの中でirAE腸炎というのもあるんですけど。

おそらくなんですけど、ちょっと3月に私コロナにかかった時からちょっとお腹の調子が悪くて、ずっと家で…お腹痛いというか下痢が激しかったもので、病院に行こうにも病院に行くまでにちょっと持たないわ〜ということでずっと耐えてたんですよ。最終的になんとかタイミング見計らって病院行ったらirAE腸炎ですねみたいな形で、それで1ヶ月半ほど入院してましたね。

岸田 そうなんですね!

 サッサと病院行けばよかったと思いました。ずっと耐えてたんですけど。

岸田 お写真もいただいてます、こちら。これはどういう写真でしょう?

 この頃から…もう行ったら緊急入院ですってよく言われて、このまま入院するっていう形ですね。

岸田 そっかー、なんかもうね、もうなんか書かれてるのはね…なんか電話で連絡済みとかね、緊急入院!これか。

 はい、そうです。5回irAE腸炎で入院してますね(笑)

岸田 あ〜、そうなんですか!

 頻繁にちょっと繰り返して。そんなに繰り返す人も少ないらしいですけど。

岸田 それも全部緊急入院?

 そうです、事前に分かるものじゃなくて、症状言ったら入院なんで。入院の準備してきてくださいという感じの時もありましたし、その症状なら入院ですねって言ったらもう入院セット持ってきてますみたいな時もあり。

岸田 そして、そのirAE腸炎っていうのはどんな腸炎なんですか?

 あの…安倍(元)首相がかかってた潰瘍性大腸炎とほぼ同じ症状だそうです。

岸田 そうなんですね。

 免疫が暴走して腸炎になる。結局、免疫チェックポイント阻害薬って免疫のブレーキをつけないようにするんで、暴走してる状態なんで、私の免疫が腸で暴走しとるいう感じですね。

岸田 そういうことですね。皆さん、医療情報に関しては主治医の方にチェックしてもらえたらということを思いますけれども、そんな中で肝転移も書いてるんですけど、この時転移も分かっていく?

 そうですね、入院してCTを撮ったらどうも肝臓に転移があるようだということで。やっぱり肝転移って言われたら、あっ、もうダメかもってちょっと思いましたね。

岸田 そっか〜だから、そういう意味もあって下がってるんですね〜。

 そうです。肝転移は…骨転移並みにショックでしたね。

脳転移でも「手術の手段があるならやってください」——そして退職、緩和ケアへ

岸田 そこから上がっていきますが、これは?手術をしていく。え?ちょっと待って手術していく前に脳転移って書いてあるってどういうこと?

 そうなんですよ!この休職してた後に12月からちょっと復職して働いてて、2月3月ぐらいからちょっとめまいの症状が出てきて、3月末日に、ちょっと末日だから仕事しないといけないわ、仕事しててもちょっとフラフラするもんで職場でもちょっと2回ほど、うーって倒れとったりしてたんですけど。

よくよく…とても気持ち悪くて病院にまた緊急入院して頭のCTを撮ったら脳転移だよということで。脳転移も…終わった!と思いました。もうこれで終わった!と終わったんですけど、手術ができるって言われて、やったー!!っていう、逆に。

岸田 あー!終わったと思ったけど、手術ができるぞっていう意味でちょっと(気持ちが上がってる)?

 そうですそうです。手術の手段があるならやってください!でした(笑)

岸田 えっ、脳の手術怖くなかったですか?

 もう緊急手術だったんで、即手術だ。怖かったですよ!なんかもう…どうしようもなかったんですけど、こことかに止めて固定するらしいです、脳の3箇所。釘か何かみたいなのを刺して固定しますって言われて、怖っ!と思ったんですけど、動かないように固定するらしいです。

岸田 手術は無事終わったんですね?

 そうなんです。その時は歩けばめまいしてたんですけど、手術したらめまいは消えたんで手術してよかったな〜っていう。

岸田 よかった〜。そこから退職!あ〜とうとう…。あんなに…避難所も開設したりとかいろいろやってたけど、とうとう退職…。

 やっぱりちょっと…頻繁にちょっと病院に行くようになってちょっと職場にも迷惑かけてるんで、やっぱり辞めて…気楽になろうと思って辞めました。

岸田 そんな中で積極的治療中止、これはどういうことですか?

 また緊急…irAE腸炎で緊急入院したのかな?で、主治医の方からだいぶ体力の方も弱っているので、これ以上タフィンラー/メキニストを続けるのはお勧めしないということで、積極的治療を中止しましょうということで、この時は親を呼ばれてちょっと説明されました。

岸田 お〜。

 ここで薬物療法終わりです。

岸田 そういうことですね〜。積極的治療中止って言われた時、いやなんか…僕だったら結構ガクンと下がっちゃうような気がするんですけど、畠ちゃんそこまで下がってないようにお見受けするのは何でなんでしょう?

 分かりましたっていう感じですね。やっぱり…ここまで脳転移とかもしてるんで、ここまで頑張ったから、もう…そうなのかなー?っていう覚悟ですかね。

岸田 そっか!覚悟か…。そんな中で転院されていくということで、これはもう…積極的治療じゃなくなるから転院するってことなんですか?

 そうですね、もう大学病院に通ってたもんで、急性期医療ではなく緩和ケア病棟となる病院で地元の方の病院に転院した方がいいんじゃないかということで、急遽転院手続きが進められて転院する形になりましたね。

岸田 これ結構地元の病院で診てくれるところを見つけるのが難しいとかいう話を聞いたりするんですけど、畠ちゃん大丈夫でした?

 入院してる間にパッパッパって決まってったんで、私もちょっとよく分かってないところがあります。ちょうど年末だったもので、病院同士で…かなりバタバタしてたと思います。

岸田 入院する間にもう…決まってたんですね。

 そうですね…もちろんIC(インフォームド・コンセント)とかは出てたんですけど、手続きとかはちょっと親とかで何かしてたようで。

岸田 そっか。だから、ここで今緩和ケアを受けられているってことなんですね?

 そうです。

岸田 どうです?緩和ケアを受けられていて、痛みとかっていったところは大丈夫ですか?

 あ〜そうですね…そもそも転院する時に、もう一回入院したら死ぬって言われるぐらいヤバかったっぽくて。だから、今こうして特に痛みも抑えて過ごせるのが不思議だな〜という状態なんで。

岸田 そういう状況なんですね!

 びっくりしました。

岸田 そんな中でなんですけれども、最後上がっていくところ、それがこちら、ミュージカルを観に行く。おっ!ここであれなんですね?また外出されたりだとか?

 はい、あの…そうなんですよ。もう一回入院したら死ぬって言われてたんですけど、やれることはやってみようっていうことで、ちょっと樋口さんにミュージカル行きたいんやけど駅の近くか富山である?って言われたら大阪の駅に近くにあるよって言われて、1月1日ならチケット取れたって言われてチャレンジしてみたら行けたんで、あっ、私まだ旅行行ける!って思いましたね。

岸田 そうですね!よかった〜本当に。

 私もよかったです!できることがあるっていうのはいいです。

岸田 ですね!できることをね。それをね、実行されてる畠ちゃんもね、すごいなと思うんですけどね。樋口さんの助けを経てそういったところにですね。

こんな畠ちゃんのね、ペイシェントジャーニー!本当に多分ここに書ききれてないこともたくさんあるんですよね?

 すいません。

岸田 本当に!もうこの倍ぐらいあるんですけれども、ちょっとその中でね、畠ちゃんにちょっとポイント・ポイントを抜き出してもらってというふうな形でこのような形となりました。

家から一番近い病院から大学病院へ——主治医の異動についていった14年

岸田 そんな中なんですけれども、次はですね、それぞれの項目ごとにお話をお伺いをしていきたいなということを思っております。一つ目の項目、病院や治療の選択といたしまして、どのように病院を決めていったのか?ということだったりとか、めちゃくちゃいろんな治療をされている畠ちゃんが何を重視していたか?だったりとか、そういったところをちょっとお伺いできたらと思うんですけれども。

(治療を)始めた時の病院は、これは…もう地元の病院?

 あっ、そうなんです!家に一番近い病院にしました(笑)

岸田 一番近い病院にしてといったところで、そこから…どっかのタイミングでなんか大きな病院に移るんですか?どうなんでしょう。

 主治医の先生が大学病院に異動になるっていうので、一緒に大学病院に行った形になります。

岸田 それで大学病院!じゃあ…このタイミングぐらい?

 うーん…ここぐらいですかね、その…もうちょっと後ぐらいですね。

岸田 あとぐらい。

 肺転移の前ぐらいですね。

岸田 じゃあ大学病院で、だからこれ以降は大学病院でっていう感じですか?

 そうです!そうです!

岸田 治療をね、もうこんなさまざまな治療をされたりとか、遺伝子パネル検査のこともね、していったりだとかってありましたけど、この治療の中でなんか…印象に残っている治療でその選択ってどうでした?

 今となっては…私もともと喉元すぎれば痛みも忘れる性格で、何が一番つらかったか?って言われたら何やろう?っていう状態なんですけど。そうなんですよね〜、ほんまに何やろう?っていう状態で、詳しく思い出したら…個別で言ったらあれも嫌やった!あれも嫌やった!つらかったようなのが出てくるんですけど。

岸田 そっかそっか!いやー、けど治療ね、本当にさまざま全部これ自分で決められていきました?それとも…何か医師の方がお勧めしてくれたやつをそのままやっていく感じにしました?

 ほぼ主治医の先生の言う通りです。強いていうなら…座骨神経痛が痛いんで抗がん剤再開してくださいってお願いした時ぐらいですかね〜。

岸田 それはもう、抗がん剤したらその痛みが消えるだろうから…みたいな形ですかね?

 いちるの望みですね。消えたらいいなぁ〜ですけどね。

岸田 じゃあ、そういう時は実際に抗がん剤スタートできたんですね?

 実際痛みは消えたんだと思います。しばらく坐骨神経痛は消えたんで。

岸田 うんうん。そんな中で今はその緩和ケアに移られているということですけど、その何でしょう…医療用麻薬などを使われているのか、どういう形なんでしょう?あまり緩和ケアの治療っていうのをあまりお伺いすることがないので。

 私も多分…例外みたいな人だと思うんですけど、最初入院した時はそれこそ医療用麻薬ナルサスっていうのを8ミリ…ぐらい使ってたんですけど、今実はそのナルサス全く使ってない状態で。そんなに痛くはなくて、坐骨神経痛が痛い時にトラマドールっていうちょっと医療用麻薬よりちょっと一段階…弱めのというか、ちょっと…麻薬とは言わない痛み止めを使って坐骨神経痛を抑えているという感じ。

完全に医療用麻薬っていうのは、頓服でたまに痛い時だけ飲んでるって感じですね。

岸田 これ今はその…お家にいていらっしゃって、お医者さんが在宅で回ってきてくださる感じなんですか?

 いや、来てないです。実は退院する時にすぐベッドを用意しなきゃいけないとかという話もあったんですけど、そこから急激に多分回復したのか、今のところベッドとかもまだ入れずに済んでる状態ですね。

岸田 じゃあ緩和ケアのところ…病院に行くんですかね?

 そうなんですよ。なぜか多分めったにいないと思うんですけど、外来で通っているという形です。

岸田 緩和ケア外来に通われている、それは地元の病院にということですね?

 そうです!

脱毛は「シャンプー楽だな〜」に変えて——いま向き合う晩期障害の顎骨壊死

岸田 ありがとうございます。そんなね、今の畠ちゃんのそのような状況の中で、次この…つらかったこと、副作用や後遺症でこれ大変だったな〜とかっていう、さっきね、脱毛が嫌だっていう話もあったりだとか今の坐骨神経(痛)っていったところでも全然構わないんですけれども、これ大変だった・つらかったとかっていった時はいつだったでしょうか?

 脱毛も本当は最初嫌で嫌でたまらなかったりしたんですけど、実際抜けてしまえばシャンプー楽だな〜乾かすの楽だな〜とかって思ったりしたり、髪の毛抜けるのも実は放射線治療でも実は抜けるんですよ。だから襟足の方ちょっと抜けてた頃があって、それはちょっと髪の毛縛ってごまかしてたりしてて。

さらに言うなら…脳の手術の時も後ろガーッ!!て刈り上げされて今も…ちょっとハゲてるんですよ、伸びてはいるんですけど。で、嫌だな〜!と思いながら、髪の毛乾かすのが楽だな〜とかっていい点も見つけて(笑)まあいっか!みたいな(笑)

岸田 じゃあ今悩まされてるやつは特段 大丈夫そうですかね?

 放射線治療で、晩期障害っていうので顎骨壊死(がっこつえし)っていうのがあるんですよ。それ多分私なってて…なってるんですよ。で、それも痛かったんですけど、今はそこまで痛くないもんで。そうなんですよ、痛い時はほんまに嫌でしたよ。なぜか分からないですけどそこまで痛くない。

岸田 それに対しての対処はどうやったらいいんですか?

 なんか治しようがないみたいですよ。強いて言うなら、めちゃくちゃ歯をきれいにして歯磨きを一生懸命すれば抑えられるみたいなのでそれは気をつけてるんですけど、そんなに広がってないのはすぐ歯磨きしてるおかげだとは思います。

日光、伊勢、出雲、アドベンチャーワールド——「行けるんだ」と思える目標が支えに

岸田 そんな中でですね、次こちら、つらい時支えになったことやものなどあれば教えていただきたいんですけれども、畠ちゃんが支えにしているもの、何かありますでしょうか?

 そうですね、基本的にがんだからといって何かをあきらめたくなかったもので、積極的に旅行に行ってましたね。入院するかもしれないとかそんなこと一切思わずに。それがちょっと精神的によかったのかな。

岸田 例えばどこに行かれました?

 いっぱい行きましたよ!日光とか伊勢とか出雲とか。つい最近ではアドベンチャーワールドとかも行ってきましたね。

岸田 そうなんですね。

 エンペラーペンギンのヒナを見に。

岸田 そっか〜じゃあ その…行きたいところにはしっかり行く!っていうのが自分にとって支えになったってことですね?

 行けるんだっていうことと、目標があるんだってことですね。

10年間、転院を家族に伝えなかった——「お葬式みたいな雰囲気になるのが嫌で」

岸田 そして次こちら、家族のことについてちょっとお伺いしていきたいなと思っています。家族、ご両親だったり妹さんや弟さんがいらっしゃるという話でしたけれども、お父様やお母様のサポート、もしくは妹さんや弟さんのサポート、そういったところをお伺いしたいんですけれども。

家族に関して…どうでした?そのサポートというか、接してくれてこれ嬉しかったよ〜とか、これはこうしてほしかったよ〜とかそういったものはありますでしょうか?

 あっ、実はステージ1の時は両親同伴で説明聞いてて両親は知ってるんですけど、その後転院した時に両親に言ってないもので、多分10年間ぐらい私が転院してることを全く知らなかったと思います!家族は。ここ最近ですね。

岸田 えー!?じゃあ大学病院に転院してたのを、ご家族は知らなかったってことですね?

 経過観察してると思ってると思います、多分。で、頻繁に入院してるのも結局耳じゃなくて腸とかで入院してたんで、なんか調子悪いんかな?ぐらいで思ってたんだと思う。

岸田 今はもうご存知?

 バレました(笑)

岸田 別にそれは家族に特段…心配かけないでおこうとかそういったことなんですか?どうなんでしょう。

 ああ…心配かけないでおこうというか、もしかして家の中がお葬式みたいな雰囲気になるのがすごく嫌で、それなら言わないでおこう!が10年間続いた。

岸田 そうなんですね!

 私は沈黙とか悲しんでる人を見るのがちょっとつらいんで。

岸田 そっかそっか!だからもう…みんなが今まで通りいつも通り接してね、いくような感じで、明るい家庭の方がいいな〜と思って畠ちゃんはそのままにしてたんですね。バレて大丈夫でした?畠ちゃん。

 バレて私もお葬式(みたいな雰囲気)になるかと思ったんですけど、意外と私と同じで普通でした。そんなことなら最初から言ってもよかったかもな〜とかって思ったりも。すごい普通でした。みんなで一緒に(家を)掃除して介護ベッド入れるぞ〜!みたいな(笑)エアコン入れるぞ〜!とかやってました

岸田 そういう感じだとね、患者としても気兼ねなくいけますもんね。

 そうですね、やっぱりそうです。それくらい普通に接してくれた方がやっぱり嬉しいですね。

岸田 家族はそのように接してくれてということではありましたが…弟さん・妹さんもいらっしゃるっていうことなので、弟さん・妹さんのサポートとかっていうのはいかがでしたか?同居されてるんですよね?

 そうなんです。やっぱり私今ちょっと2階に自分の部屋があったもんで1階じゃないと都合が悪いだろうということで、最初 弟の部屋を譲ってくれるとかっていう話があって。でも…弟の部屋より父親が自分の部屋の方を譲った方がいいんじゃないかとか譲り合いがあって、ちょっと今…父親の部屋を介護用の部屋にするっていう話があったりします。

岸田 あっ、そっか!1階の方がいいんですもんね?それはね。

 それは聞いてたらありがたいな〜とは思いますね、譲り合いで。自分の部屋譲る・自分の部屋譲るっていうのは。

「妊娠の話があるならTS-1はやめてもいい」——33歳、主治医からの説明と畠さんの判断

岸田 そんな中でね、ちょっと…系統はちょっと変わってしまうのですが、次にこの妊よう性についてもお話をお伺いしたいなと思います。妊よう性…子どもをつくる能力といったことを言われていたりとかするんですけれども、治療の際にこういった説明とかっていうのは医療者からありましたか?

 ありました。一番最初のステージ1で、ステージ1だけど腫瘍が2.8センチあってステージ2に準じた方がいいんじゃないかということでTS-1は1年間ちょっと継続することだったんですけど、ただ…あくまでステージ2に準じてるということなんで、妊娠とかの話とかあるならTS-1(服薬)はやめてもいいよっていう話はありました。

岸田 畠ちゃんとしてはどうしました?

 いや…全然予定がないので1年間飲みました (笑)

岸田 妊よう性ね、結構やっぱ…そういった能力のところにもね、やっぱりいろいろなダメージとかもあったりとかしますからね。

午後から抜けて放射線治療へ——「ありがたいけど申し訳ない」働きながらの14年

岸田 次にですね、ちょっとお伺いしたいのはお仕事のことということなんですけれども、お仕事、畠ちゃんは公務員をされているということでね、先ほども…避難所を開設しに行ったりとかそういったお仕事があったかと思いますけれども、今お仕事は辞められているんですよね?

 はい。

岸田 やっぱり仕事と治療の両立…難しかったですか?どういう経緯で?

 やっぱり放射線治療とかは通院になっちゃうんで、入院している人もいらっしゃるらしいんですけど、(仕事を)午後から抜けて放射線治療に行ってきまして、66グレイの時は約1ヶ月ですし骨転移の時は2回ありまして2週間ほど仕事の途中で抜けて放射線治療に行ったりとかしてましたね。

岸田 そっか…もう職場の人たちはもちろん理解してくださってっていう感じですよね?

 …だと思うんですけど、やっぱり心苦しくて!結構長い間…頻繁に午後からさよなら〜とかって言ったり入院とかもしてたりして、通院とかもあったりすると。

岸田 そっか〜、やっぱ休んで仕事が滞ってしまうみたいなところがあってということですかね?

 そう…滞るのもありますし、自分がいない間に誰かがフォローしてくれて行ってもらったんじゃないか?とか、ありがたいけど…申し訳ないという気持ちも強くて。

岸田 そっか〜。そういう思いもあって最終的には…退職されていくっていうふうな感じなんですかね〜。畠ちゃん的にはどう?がんと…休職もされたりとかしてたと思うんですけど、治療と仕事の両立を続けていくっていうのはやっぱ… 一般的にどう?厳しい?どうなんやろ?

 あぁ〜、私的にはスッパリ休んで治療した方がいいんじゃないかな〜って思ってたりもしたんですけど、そうすると…お金が入らないじゃないですか?そうなんですよ。で、結局…そこに安易に流さずに働きながらがん治療を続けていたおかげで、今こうやって貯蓄でなんとか過ごせるお金も貯まったんで、結果オーライやったのかな?って働きながら、避難所も開設して働いてたのは、はい。

岸田 そっか〜。いや、すごいよね!だから…働きながら治療もしていって畠ちゃんは。

同級生に勧められた保険に救われた——「保険料払わなくていい」という特約

岸田 今ね、ちょっとお金の話もありましたのでちょっとだけお金の話に移らせていただきます。お金や保険ということで、何か…畠ちゃん民間の保険とか入られてました?

 あっ、入ってました!実は。

岸田 そうなんですね!そっか それはどういった種類の保険?

 一つは全労災で、よく入社したて時に入りませんか?いうので何も分からず入った保険が一つと、もう一つはたまたま仕事で中学生の時の同級生に出会って保険の外交員になってて保険に入らない?と言われて、同級生の勧めるままに保険に入ったらがん保険・特約付きだったということです。

岸田 そうなんですね!じゃあその…同級生に勧められた保険とかそういったものを活用して、今治療とかそういったところを工面していった感じなんですか?

 そうなんです!その同級生に会ったのが30歳くらいの時に保険に入って33歳でもうがんになって。がんになったら保険料免除の特約があるもんで、もう…保険料払ってないんですよ!その。でも…なかなかいい保険内容で、入院したら…1万3000円ぐらい入るんですかね?1日、その保険。

岸田 ふーん!

 もう一つの保険も入院したら5000円ぐらい入るんで、1日入院したら…実は働いてるより給料がいい!みたいな(笑)実は、みたいな、びっくりですよね!?…という保険があったおかげでちょっと楽というか、治療は負担は軽減されてましたね。

岸田 治療ね、さまざまなこの2011年の時からこの良性の腫瘍だろうと思われた時から治療というかあれが入っていって、このね、積極的治療中止といっても今緩和ケアでね、お金がかかっていくわけですし。トータルでどれぐらい…?いや!もう細かくじゃなくていいのでどれぐらいかかってると思います?畠ちゃん的に。

 いや…1000万弱じゃないですかね?分からないです。で、保険とか高額療養…そうですね、高額療養費はまた別ですね、自分が払ったのは、いや〜、100万はいかないかな?200万…数百万だとは思いますね。

岸田 そういったものは…あれ?先ほどの保険で賄えました?それともご自身で貯金とか崩されました?

 保険で賄いました、ほぼ保険で賄ってます。そうなんですよ!同級生のおかげです本当に。

岸田 同級生ありがとうございます。

 保険料払わなくていいっていうのと、保険料が入ってくるのはダブルで大きかったんで。

坐骨神経痛にはカイロ——「痛み止めより効く」ので病院でも貼っていた

岸田 そういった畠ちゃんの場合はそのような形でね、工面されていってっていうことだったんですね。そしてですね、ちょっと次にお伺いしたいのがこちら、工夫したこと。これは工夫したこと、入院中でもいいですし今の生活でもいいんですけれども、何かこういう工夫してるよ〜っていうものがあれば何か教えていただけますでしょうか?

 多分もともと何か、何かいい方法がないか?って探すのが好きなタイプで、今も…坐骨神経痛に対してはカイロ貼ったら楽になるって分かったらカイロを病院でも貼ってたりしてましたし。

岸田 そっか!坐骨神経はカイロ貼ってよくなりました?

 温めたらよくなるんですよ、なぜか私の場合は。なんか…痛み止めより効くもんで、カイロをずっと貼ってましたね。

岸田 よかった〜。

33歳、AYA世代での告知——「何か溝があるんですよ」同世代との距離

岸田 そして次こちらですね、がんになる前と後で変わったこと。これ気持ち面でもいいですし生活面でも何でも構いませんけれども、がんになる前と後で畠ちゃんの変わったことを教えていただけますでしょうか?

 今では…もう47歳なんですけど、がんにかかった当時は33歳でAYA世代の…(年齢で)かかってたもんで、やっぱりがんにかかったら他の同じ世代の人と隔絶は感じます。いろんな普通が自分では普通じゃない、感じません?

岸田 そうですね!普通がね。

 何かが違うんですよ!何かが違うんです、何か溝があるんですよ。

岸田 その溝が結構…がんになる前と後で変わったなって、その溝を感じるようになったから変わったなっていうことなんですかね?

 そうですね。その溝が悪いって言うわけじゃないんですけど、あっ何か絶対分かり合えないものがあるって、がんになった人となってない人、若くして。(溝が)あるなーっては思いますね。だから…その溝があるからしょうがないなって思う時もたまにありますね。

岸田 うんうんうん。そしてね、遠隔転移が分かった後などもね、やっぱ気持ちとかも変わったんじゃないですか?

 やっぱり時間は大切ですね!時間を大切にしようとは思いつつ、昼寝をするのはなぜだろう?(笑)

岸田 大事!大事!もう。至福の時を感じれますからね!!

 あっ、分かりますね。でも…長い間寝たら寝てよかったんかな〜って(笑)

岸田 ちょっとね!罪悪感もあるっていうね。確かに確かに。そんなような形でね、がんになる前と後で変わったことといたしまして。

「深く調べるのが怖いタイプ」——病名を検索できるようになるまでの距離

岸田 あと…情報なんですけれども、畠ちゃんが何の情報で がんの情報を手に入れたか?ブログ・SNS・医療者だったりとかホームページだったりいろんなのがあると思うんですけど、畠ちゃんの場合は何で情報を手に入れていましたか?

 私はあんまり深く調べるのが怖いタイプなんであんまり調べないんですけど、ある程度なんか…慣れてきたらちょっと情報調べたくなるんでネットでは調べてましたね。

岸田 ネットでもどんな?

 病名入れて(検索)とか。

岸田 (病名を入れて)出てくるサイトってことですね?がん情報サービスとかそういったものとかではなく、特段そのサイト名とか決めず、出てくるものを(見ていた)?

 かなり昔の話なんで、今ならまたちょっと変わっているかもしれないですけど。

「悪いことしたからがんになるわけじゃない」——自分を責めていた告知直後の自分へ

岸田 次にこちら、あの時の自分へというふうな形で、これがん告知の時でもいいですし、他のね、手術の後だったりとか放射線の後なんでも構いませんけれども、畠ちゃんがあの時の自分に声をかけるとしたらどんな声をかけますか?というのをちょっとお伺いしたいんですけど。いつの自分に声をかけますでしょうか?

 やっぱりがん告知を受けた時あたりの自分に、あの時はもう自分何か悪いことしたんじゃないだろうか?そういえばあんな悪いことしたな〜とか自分の悪いことばっかり反省してたんですけど、全然 『悪いことしたからがん』じゃないですし、悪いことしたって思ってもないです今!

やっぱり14年…経つと思わないです(笑)悪いことしたから…なるわけじゃないです、悪いこともしてません!!むしろ私 看護師さんに、いい人だから神様が先に呼ぶんだよってまで言われたことあるんで、いい人説を推します(笑)

岸田 いい人だからだよと、悪いことしたんじゃない。

 ダメダメ、でも…天国には呼ばないでください(笑)

岸田 確かに!(笑)そうですね!うんうん。だから、そっかそっか、そういう…悪いことしたと思ってたっていう時期があったんですね?自分の中でね?

 やっぱ思っちゃいますよ!どんな悪いことしたんだろう?とかね。

岸田 そんな気にしなくてもいいよっていうのは、今の畠ちゃんからの(言葉)ですね。

希少がんの体験を後世へ——「がんノートも誰かの役に立てばいい」

岸田 次にこちら、大切にしたいこととしまして、夢や目標だったりとかね、そういったものがあればお伺いをしていきたいなと思うんですけれども、畠ちゃんの大切にしたいこと・していきたいこと、ありますでしょうか?

 そうですね、私やっぱり自分ちょっと希少がんで珍しいがんにもなっているのもあって、なんとかこの体験とかが後世に役に立ったらいいな〜と思っていて、遺伝子パネル検査の結果もなんとか役に立ってほしいと思ってるし、なんなら…脳にあったでっかい腫瘍も役に立ててほしいなとも思ってますね。がんノートも誰かの役に立てばいいな〜と思って。

岸田 ありがとうございます!いや、畠ちゃんもね、本当治療…長い治療の中でね、こんなことを思ってとか、そういった今のね、闘病中の方たちにね、絶対参考にできることすごくあると思いますし。

 ないかもしれないですけど。

岸田 いやいやいやいやいや!だって畠ちゃんがこんなにね、もう再発だったり転移したりとかね…。

(突然に)本当これ個人的な質問なんですけど、なんで畠ちゃんはそんなに明るいんですかね?なんかこう、こういうふうに…さっきね、暗いお通夜のような雰囲気になるのが嫌だっていう話もされてたと思いますけど、畠ちゃんを見てたらすごい逆にこっちが元気をもらえるような、そんな…とてもとても今がんを持ってらっしゃるようなそんなイメージは思わないんですけど。

畠ちゃんが意識してることというか、こう考えてるよとかってあるんですか?

 多分特に意識しないのが一番だと思うんで、普通に暮らしたいが一番なんだと思う。がんだからとかそこら辺は考えずに、今の私なら何をするだろう?を考えて。笑うなら、笑うだろうと思ったら笑う!みたいな。

岸田 そっか〜がんのことを意識しすぎず、今の自分のやりたいことっていうのをしっかりされているという感じなんですね?

 …と思いますね。

岸田 すごい…すごい。シンプルですけどすごい響く言葉だなと思います。

「流れる時間が同じなら笑っとこ」——笑うのをためらった1日と、そこからの14年

岸田 そして最後ですね、メッセージといたしまして視聴者の方々にですね、畠ちゃんからメッセージをいただいておりますので、畠ちゃんこちらのメッセージよろしくお願いします、どうぞ。

 流れる時間が同じなら笑っとこ!がんと告知された時すごいショックだったんですけど、ショックだからいうことで、ショックなのもあったんですけど、誰かに話しかける時に自分がショックだっていうことを見せなきゃいけないかなと思って笑うのをちょっとためらってた時があったんですけど。

でも笑うのをためらってまで人に話しかけないなんておかしくない?って思った瞬間もう振り切れて、そこからはもう笑える時なら笑っとこ!と思って立ち直ったのもあって、流れる時間が同じなら笑っとこ!と私は思ってます。

あと…自分耳下腺腫瘍ということで機能的に笑えない可能性もあったんですよ。で、その機能が残っているのに感謝して笑うというのもありますし、自分が笑っていることで誰かが…自分もいいことあるかもしれないし誰かにいいことあるかもしれないかなって思っているのもあるんで、笑える時なら笑っておこ!と私は思っています。

岸田 ありがとうございます!このね、流れる時間が同じなら笑っとこ!畠ちゃんも笑うのをためらってた時期あるんですね?

 がんで告知されたばっかりの時に、のほほんって笑ってたらおかしいかな?って思った時は1日ほどありました(笑)

岸田 けど、それは自分で違うな〜と思って?

 はい。わざわざそんな笑うのをやめてまで、演技してまで病人のフリしなくてもいいんじゃないって。笑いたいと思っとるんなら笑えばいいんじゃ!たとえ…がん告知した後でもみたいですよね。

岸田 それはまさにそうだと思います。なんかね、やっぱこう…畠ちゃんのイメージってすごくやっぱ僕としてもすごく笑ってるイメージっていうのはすごくあるんで、畠ちゃんね。

 写真だったら すごいムスッとしてるんですけどね(笑)本当に…どれ見てもムスッとしてて、しかも私目閉じたら眉間にシワよるんで、なおさら…笑ってるような要素がないんですよ、自分からしたら。昔からなんか言われてます。妹の友達も、姉ちゃん…あなたのお姉さんいつも笑ってるねとかって言ってたらしいですし。

岸田 そっかー!いやもうね、その畠ちゃんが笑うことってたぶん周りの人たちがすごいやっぱり明るくなるな!っていうのはすごく思いますね。

 ありがとうございます!

岸田 そんなね、畠ちゃん、あっという間のがんノートの収録でありましたけれども、

畠ちゃんいかがでしたでしょうか?

 なんかすごい緊張しました!

岸田 えっ、緊張してた!?

 実は…あの…これあの多分、主治医の先生にバレてるんですよ!

岸田 おっ!と言うと?

 あの…11月の診察の時にYouTubeに出るそうですね〜って主治医の先生に言われて、なんでですか!?って聞いたら樋口さんからでした(笑)なんで知ってるんですか!って、樋口さんから聞きましたって、そうです〜って。緊張しますよねって、あっそうですね〜っていう話を主治医の先生としてたんですよ(笑)

岸田 そうなんですね!そっか〜じゃあぜひね!主治医の先生にも見てもらってね。

 もう緩和(ケア)に行ってますけど

岸田 いや…だから緩和に行ってるけど。

 あっ、なるほど!すみません、”見てもらう”のを”診察”と思いました、ちょっと病気がちなんで(笑)

岸田 そう、だから言ってますけど、そのね、やっぱこう今こんなにね、今あの…天真…天真爛漫(らんまん)…?じゃないな。

 あははは!そういう歳じゃない(笑)

岸田 畠ちゃんは変わってませんよっていうことをね。

畠ちゃん、ありがとうございました!これにてがんノート終了していきたいと思います!またね、皆さん次の動画でお会いしましょう!それでは皆さん、バイバイ!

 ありがとうございました!

岸田 バイバイ。

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