目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:跡部

【オープニング】

岸田 それでは、がんノートmini、スタートしていきたいと思います。きょうのゲストは跡部さんです。よろしくお願いします。

跡部 よろしくお願いします。

【ゲスト紹介】

岸田 早速なんですけれども、跡部さんの自己紹介をお伺いしていこうかなということを思っております。跡部涼子さん、静岡県のご出身で、今、東京にご在住ということになります。お仕事は歯科衛生士をされておりまして、趣味はご旅行だって。アルバム作りということ書かれている。アルバム作りってどういうことですか、涼子さん。

跡部 紙を切ったりとか貼ったりして、見えます?

岸田 見える。

跡部 こんな感じで。これ、母の写真なんですよね。

岸田 おしゃれ。

跡部 こんな感じで切ったり貼ったりとかして。ステッカー貼ったり。コメントを書いて。

岸田 中も、ぱっと見てもいいですか。

跡部 いいですよ。差し使えがなさそうなページを探しましょう。例えばなんですけど、日常の、子どもの成長の様子とか。

岸田 ちゃんと現像して、いつでも見えるようにね。

跡部 そうですね。これもサークルみたいなのでみんなでやっているんですけど、Zoom活用しながら、みんなでレイアウトをシェアしたりしながらやってます。

岸田 そんなチームあんねや。

跡部 あるんですよ。もともと助産院で始まってた子育てのチームなんですけど、大きくなってもつながっているよっていうことですね。

岸田 すごい。もっと見てたいですけれども、そうすると趣旨が変わってくるので。次、がんの種類が、耳下腺がん、そして組織型不明ということがありますけれども、これどういうことですか。組織型不明、初めて聞いたような気がするんですけど。

跡部 私も初めて聞きました。耳下腺がんって、今、希少がんなんですけど、希少がんの中でもかなり難しい病気で、耳下腺がん自体、20種類以上あります。組織の形が。

岸田 そんなあるんすね。

跡部 あるんですよ。さらに、そこの中で低悪性から高悪性まであるっていう状態なので、ものすごく診断が難しい病気なんです。その中でもどれにも当てはまらないぞっていう、病理の結果で、低悪性の組織型不明のがんであるというところまでしか、今のところ分かってないです。

岸田 そんな種類あるんや、知らなかった。

跡部 そうなんです。びっくりですよね。

岸田 そしてステージが1、告知年齢が42歳、今も42歳ということで、告知されて間もないっていう感じですね。

跡部 そうですね。まだ1年もたってないです。

岸田 そんな本当にホヤホヤな中、ありがとうございます、がんノートにご出演いただいて。

跡部 いいえ、とんでもないです。お誘いありがとうございます。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 手術を経験されたということになっております。早速なんですけれども、跡部さんのペイシェントジャーニー、お伺いしていきたいなと思っております。ペイシェントジャーニーは、上にいけばいくほどハッピーで、下にいけばいくほどネガティブというふうな感じになっていきます。

岸田 この中でどんな形で跡部さんが闘病を経験されていったのかどうか、気持ちの動き沈みを考えながら、お伺いしていきたいということを思っているんですけれども。跡部さん、まず最初、どんということで、双子の出産ということで、初回からクライマックスみたいな。これ以上ないぞみたいな感じで。

跡部 本当にそうですね。実は、2カ月前に母を亡くしているんですよ、がんで。出産の2カ月前。で、月命日に生まれてきてくれたのでそれもうれしくて、生まれ変わりなんじゃないかなとか、母からのエールがすごい伝わってきて、人生で本当に、最高に幸せの瞬間でした。

岸田 その双子ちゃんがお生まれになってですね、その後、ちょっと下がっていきます。何かというと。復職。お仕事として復職されて。白色はポジティブでもネガティブでもないというふうな、中間的な感じ。

跡部 そうですね。復職が嫌だったわけではなくて、あまりにも双子育児が大変で、1歳半ぐらいで。社会とつながれるのがすごいうれしいんだけど、どうしよう子育てっていう思いで、5っていうところです。

岸田 もちろんね、分かってますよ。お仕事が嫌いなわけじゃないっていうのは分かってます。

跡部 主張しときます。

岸田 そこから上がっていきます。双子の小学校のご入学っていったところで、ちょっと上がっていきます。これは無事に育って。

跡部 そうですね。一つの節目節目の節の所にあたるので、こんなに大きくなったかなとか、自分としても、育児を楽しめるとか、仕事も充実してっていうところだったので、かなり楽しい時期だったかなと思います。

岸田 楽しい時期。これ以上はもうないぞと。

跡部 今、思春期が大変なんですよ。子どもがね。

岸田 ありがとうございます。そこから跡部さんの大変なものが、こっから目に見えているんですけれども、何があったのかというと、こちらから、体調不良。出ました。体調不良。病院に行ったけど異常なしだったんですね、最初は。

跡部 そうですね。近くのクリニックさんとかでも見て、血液検査したりとかしたんですけど異常がない。大学病院にも行ってみたけど、気のせいじゃないかみたいな感じだったので、そっか、気のせいか、異常ないかっていう感じで、軽く流してたんですよね。

岸田 そしてその後、ちょっと下がっていくのは、膠原病科を受診して、伝染性。

跡部 伝染性です。

岸田 伝染性紅斑。

跡部 紅斑。はい、りんご病です。

岸田 大人のりんご病。

跡部 診断されて。

岸田 これ、どういうこと。初めて。大人のりんご病ってなんですか。

跡部 りんご病って子どもがなるイメージだと思うんですけど、ほっぺが赤く腫れたりとか、お熱が出たりっていう病気なんですけど、なぜか私は大人になって発症したんですね。症状も子どものりんご病と違ってほっぺが赤くならなかったりするので、あまり気づかれないんですよ。で、口がすっごい乾くとか、関節が痛いとか、極度の倦怠感で、これは普通じゃないなと思って、大学病院の膠原病科に行ったんですけど、ありとあらゆる検査をしたら、りんご病だったということが判明して。

岸田 このりんご病は、いったん、がんとは関係なく、りんご病になったってこと?

跡部 そうそう、りんご病だったんです。で、そのときに、首の所も先生が、こう、触ったときに、「この辺、ボコボコしてるね」みたいな感じで、同じ病院の中の「耳鼻科のほうも行ってきて」っていうふうに回してくださって、耳鼻科で、針でブスッと刺して、中の細胞を取って調べたりとか、エコーの検査とかもやってくれたんですけど、特に異常ないねっていうところで、一回収まったんですね。だから、あー、りんご病だったねぐらいで、そのときは終わってたんです。

岸田 そこから、その後、こちら、どん。頸部に違和感もあったけど、先ほど言った、耳下腺の良性の腫瘍じゃないかというふうな診断だったんですね。

跡部 そうですね。もう一回、自分で、なんかおかしいんじゃないかなみたいな感じで病院に行って、もう一回調べたんですけど、全然、悪性所見はないから、良性の腫瘍だね。でも取っちゃったほうがいいねっていう、そんな感じで、軽い流れで手術に。というか、手術を日程までそのときに、もう決めちゃったんですけどすることにしました。

岸田 手術をしていくといった中で、耳下腺浅葉摘出術ということで、浅葉の、この文字は合ってるんですもんね、これね。

跡部 そうですね、浅い葉、浅葉ですね。

岸田 これは、普通にどこら辺を切ったんですか。

跡部 先生が丁寧な手術をしてくださる先生で、この首のシワに沿って、大体、5センチぐらいかな。こう切って、がばって開いて、表面の耳下腺、こっち側のとこの、皮膚に近い所の耳下腺と、その腫瘍をぐいって取るっていういう手術ですね。

岸田 それを手術をしていって、その後、ただそっからどんどんと下がっていくんですこれがね。そうすると、その摘出したら、それが詳細不明の悪性腫瘍で、断端陽性の診断、これは。

跡部 先生もびっくりだったと思うんですけど、一回手術をして病理検査にひとまず出したら、良性のはずが、何これ、がん、みたいな。明らかに良性ではないような像が見られて、しかも断端陽性で、体の中にまだがん、怪しいものが残ってるぞっていう。

岸田 そういう意味。

跡部 で、何か、大学病院レベルでは分からないから、がんの専門病院にすぐ転院してくださいっていう感じで。その週に転院となりました。

岸田 怒濤ですね。

跡部 そうですね。

岸田 で、転院して、そして下がってから、はい。ここで、耳下腺がんの組織型不明と告知を受けたということなんですね。

跡部 そうですね。1カ月間ぐらいかけて、頭の先からつま先のほうまで調べるような、ものすごく詳細な検査を受けてやっと分かったんですけど、耳下腺がんっていう聞き慣れないがんに加えて、よく分からない組織型不明っていう診断名だったんですよね。

岸田 告知受けたとき、どんな心境でした? 大変めずらしいがんの組織型不明って言われたら、どんな気持ちです?

跡部 最初は涙も出なかったですね。先生のお話を聞いたとき。訳が分からないので。

岸田 大丈夫ですか。宅配大丈夫ですか。

跡部 大丈夫です。すいません。

岸田 いやいや、こんなハプニングは全然。

跡部 宅配ボックスに入れてくれると思うので大丈夫です。

岸田 全然、行っちゃっていいですから。

跡部 大丈夫です。すいません。何話すとか忘れちゃった。

岸田 そうですよね。告知を受けてっていったところで。

跡部 ごめんなさい。そして、一番大変なとこだったのに。何を言われたか分からない。あまりの衝撃で涙も出ないっていう状態と、原因不明の体調不良が続いてたので、やっぱりがんだったんだみたいな。しっくり来るような感じも、実はしたっていうのが本音かなっていう。

岸田 確かによくありますよね。何か分からなかったけど、ようやく分かったっていうかね。

跡部 そうですね。

岸田 そしてですね、そこから上がっていきます。それは、がんサロンの参加。こちらは何か、そういう病院でやってるサロンとかに参加したってことですか。

跡部 そうですね。告知を受けたときは、受け入れられないとか、訳分かんないっていう気持ちだったんですけど、翌日になったら、かなり人生どん底ぐらいまで落ち込んでいて、次の日出勤もできないよみたいな、そういう状態に陥っているようなときに、元勤務先の大学病院のナースのお友達とか、ドクターのお友達に「がんサロンっていうのがあるから、参加してみたらどう」っていうふうに声掛けてもらって、参加をしてみました。

岸田 どうでした? 参加してみて。僕、イメージ、病院でやってるがんサロンとかってご高齢者が多いようなイメージだったんですけど、どうでした?

跡部 そんなことないですよ。同じぐらいの年齢の方からお母さん世代の方までいらっしゃって。その中でも希少がんの方とお話もできたので、すごい有意義な時間で、しかも皆さん、前向きに生きている方と出会えたっていうのが大きな収穫だったかなって思います。

岸田 病院にもよりますよね。がんサロンの世代とかね。

跡部 そうですね。

岸田 ありがとうございます。そして、まだ上がっていきます。何か、セカンドオピニオン、サードオピニオン、そこからセカンドオピニオン、サードオピニオンを受けられるんですか。

跡部 そうですね。最初行った病院の先生もとても良い先生だったんですけど、やっぱりいろいろな意見を聞きたいなっていうのがあって、都内で行ける病院、何個か回ってお話を聞いてみたっていう感じなんですけど。

岸田 どうですか、全然、違った? 治療法っていうようなところ、どうでした?

跡部 全く違いました。本当に、希少がんってこうなんだなっていうのを思い知らされた感じがして、三つの病院とも全然違って、最初の病院は、がっつり大きく切って、切った所は陥没しちゃうから、足から神経取ってきたりとか、太ももとかの筋肉を移植しましょうっていう、そこまでがっつり取って、がっつり移植する型を提案されたんですね。

跡部 二つ目の病院は、機能温存とか、そういうのも重視してくれて。開けてみて悪い所を取って、最小限の手術でやりましょう。三つ目の所は、何もしないで再発を待ちましょうっていう。でも、断端陽性なので残ってるじゃないですか。だから、いつかは普通に考えたら再発しますよね。まあ、待つのもありかなって。

岸田 おー、すげー。僕としたら、あるのめっちゃ怖いやんってなりますけど。

跡部 なります。

岸田 そういう病院もあるんでしょうね。別に変な病院ってわけじゃないですもんね。

跡部 全然。すごい、いい先生で、あなたが何かやりたかったら、僕は小さく手術をして、放射線っていう組み合わせを提案することもできますっていう感じだったので、放置っていう感じではないです。ちゃんとした、とても熱心に研究されたです。

岸田 結局、三つ行った中で、どうしたんですか。どれにしたんですか。

跡部 その中間の先生で、私の意見を尊重してくださって、「機能温存を大事にしながら腫瘍を取ろうね」って言ってくださった先生がいらっしゃったので、セカンドオピニオンの先生の所に行くことにしました。

岸田 1個目ががっつり切る、二つ目は中間、三つ目は放置みたいな感じ。

跡部 放置、経過観察ね。

岸田 おおげさに言ってますけどね。

跡部 そうですね。

岸田 二つ目の所に行っていう中で、そうすることで、跡部さんの気持ちが、リセットされたというふうなことですよね。

跡部 そうですね。自分の思いをくみ取ってくださる先生とやっと出会えて、自分が望む術式も提案していただけたので、これだったら頑張れそうな気がするっていうようにやっと思えて、ここでリセットして転院しようって、そういう中でですね。

岸田 はい。気持ちリセットしてるけど、そこから下がるんですけど。

跡部 ありえないですよね。

岸田 まあね。いやいや、全然ありえる。

跡部 ありえますか。

岸田 人生、本当、波あり谷ありですよね。

跡部 本当ですね。

岸田 そんなうまいこといかへんというのを、跡部さんが体現してくださってます。何かというと、ここで後部さんが下がっていくところ、こちらになります。何か。とん。え。精神腫瘍科を受診。ちょっと予想と違う。手術してあかんかったんか、手術したかー、みたいな感じだと思ったんですけど、精神腫瘍科。

跡部 そうなんですよ。リセットして、私が信頼できる先生から、もう一回、手術の説明を聞いたんですね。そしたら先生も、自分のもとで手術を受けるって覚悟ができて転院して来たと思うので、もちろん詳細についても説明してくださいますよね。

跡部 で、先生の説明の中で、「ちょっと神経とかは、やっぱ切断しなくちゃいけないかもしれないね」って言われた、その神経切断という言葉で、私の中で、がんっと落ちて、もう立ち直れないぐらいになってしまって、診療室の中で大号泣ですよね。ナースさんに、ちょっと「精神腫瘍科行ったほうがいいんじゃない?」っていうふうに言ってくださって、「行きます」って言って、紹介してもらって受診しました。

岸田 どうでした、精神腫瘍科の話ってあんまりよく聞かない。精神腫瘍科って、本当に専門的な心理的なケアだったりとかしてくださってるんだと思うんですけど、どうでした、行ってみて。

跡部 行ってみて、私、何しゃべったかもう覚えてないんです。人生どん底をそのときはもう超えて、穴を掘ってたんですよね、人生。マイナス10よりも下ぐらいに今いるっていうぐらいで受診したので。

岸田 このマイナスよりもどんどん、もっと下にいるみたいな。

跡部 100にいるぐらいだったので。受診したことは覚えていて、先生とか心理士さんがとっても温かい対応をしてくださったっていう、そこは覚えてるんですけど、何を話したのかが、本当に全く記憶がない。

岸田 行ってよかった?

跡部 行ってよかったと思います。行かなかったら、その後、ちょうどお正月っていう時期だったので、もう病院もやってないし、誰もフォローしてくれないっていうようなときだったので。本当にお空に行っちゃってたかもしれないですよね。

岸田 怖い、それぐらい、どん底に行ってたっていうことですね。そこからちょっと上がっていきます。こちら、陽子線の説明。上がっていくけど、青色がネガティブな事象ですけども、陽子線の説明。これはどういうことでしょう。

跡部 精神腫瘍科を受診したことで少し気持ちが楽になって、いろいろ冷静に考えられるようになったんですね。そんな中、私の治療は、手術が第1選択っていうのが出ているけど、他にも方法はないんじゃないかなって思ったときに、そうだと思って。

跡部 この病院には陽子線の施設があるぞっていうところで気づいて、それだったら陽子線の先生の所、行ってみたいなと思って、ちょっと期待をして、切らないで治せる夢のような治療に思えて、受診するっていう経過なんですね。ただ、受診したところで放射線科の先生も、あなたの場合、第1選択は手術ですよってところから始まって。

跡部 メリットもこれはあるけど、デメリットもこのぐらいありますっていうのを、説明を丁寧にしてくれた中で、私が求めているものはこれじゃないんだっていうのにやっと気づいたんです。だから行ってよかったと思います。もやもやが解決して、私にはもう手術しかないんだっていうところに行き着いたのかなっていう感じがあった。

岸田 納得して手術ができるようになったということですね。

跡部 そうですね。

岸田 そして手術をして、決意をするということで、ポジティブにね、よし、再手術しようということを思って。ただ、下がっていく。これは手術ということで、こちらは耳下腺浅葉残存切除術といったところで、神経縫合術と書かれていますけれども。こちら。手術、うまくいったってことなんですか。

跡部 手術はうまくいったと思います。ミニマムな手術ができたかなと思ってるんですけど、再手術ということもあったし、腫瘍の場所を考えると、どうしても神経は切断しなきゃいけない状況になってしまったんですよね。そんな残念な状況だったんですけど、先生もすごい頑張ってくださって、この辺の中の使える神経を移植してくださって。

岸田 そんなんできるの。

跡部 できるんです。この所なんですけど。切ったほうも、なるべく口が動くようにとか、顔面神経まひがなるべく残らないようにっていうところまでやってくださったっていう感じですね。

岸田 まひは全然ない。

跡部 ありますけど、すごい軽度です。ここ、いいってやっても、口の角もちゃんと上げることができるし。ただこうすると、少し分かりますか。

岸田 え、全然。

跡部 分からないくらいですか。

岸田 分からないくらい。もう一回。

跡部 いいってやると。つれてると思うんですけど、このぐらいのまひで済んだ。先生がすごい丁寧に処置をしてくださった成果かなと思います。

岸田 そして、そこからさまざまな合併症がある。例えばどんな合併症が。

跡部 一番、今でも続いてるのが、ファーストバイトシンドロームっていう合併症なんですけど。

岸田 やばい。分からへん。

跡部 すごい特殊で、ファーストバイトって幸せなイメージじゃないですか、結婚式とか。

岸田 確かに。そのファーストバイトね。

跡部 そんな甘いものじゃなくて、食事をするときに痛みが出るんですけど、一口目を口に持ってくるじゃないですか。そしゃくをしたその瞬間に、激痛が走るっていうので、壁に頭をぶつけたときのような感じとか、殴られたことはないんですけど、棒で頭を殴られてるような、中が本当に痛いような状態が毎食続くんですね。かめばかむほど、痛みってレベルが下がってくるんですよね。

岸田 不思議。

跡部 それがすっごい痛くて。痛み止めでコントロールができるレベルじゃないんです。我慢して食べ続けるっていう、本当に試練ですよね。食べれば良くなるっていうのも覚えていくので、体も。最初は我慢して、5分ぐらいは耐えて食べていく。

岸田 今は大丈夫?

跡部 今も痛いけど、甘いものとか、多分、固いものがめっちゃ痛いんですよ。だから、そういうものじゃないものから最初、食べようかなとか、お水飲むと、その辺、痛くなくなるかなとか。唾液腺マッサージするとちょっと違うかなとか、ちょっとずつ工夫をする中で生きているっていう状態ですね。

岸田 ありがとうございます。さまざまな合併症あって。そして経過観察を、今、していっているという状況で、CPの入会。これはCP、キャンサーペアレンツさんという、子どもを持つ親の、がん患者さんたちの会というふうなものですよね。

跡部 そうですね。

岸田 入会されて、そして今、復帰を目指して通院継続中ということで。今も通院されている。これはどういう通院です? 経過?

跡部 そうですね。まずは主科である頭頸部外科で、月2回なんですけど、何か変化なかったかなっていうような経過観察と、あとは精神腫瘍科でカウンセリングとかを続けているっていうのと、三つ目は歯科ですね。お口のケアでお世話になっているっていうので、今、三つの科に通院している感じです。

岸田 切除してがんを取り切ったといっても、それ以降もいろいろ続いていくってことですよね。

跡部 そうですね。取ったら終わりじゃなかったなっていうのが、患者になって初めて分かりました。

岸田 後遺症だったり、アフターケアだったり、いろんなところで付き合っていかないといけないということですね。

跡部 本当ですね。

【お金・活用した制度】

岸田 ありがとうございます。ここから、がんのゲストエクストラといったところで、こちら。ゲストエクスラということで、活用した制度やお金といったところで、高額療養費制度や民間の保険にも入られていたということですけど、民間の保険でも大変だったこともあったんですよね。

跡部 そうですね。何社か入っていたんですけど、1社はものすごく対応が早くてすぐに給付金が入ったんですけど、もう一社は審査にもすごい時間がかかって、手元に届いたのが数カ月後みたいな感じだったので、本当に使いたいときには使えなかったよみたいなのがありました。会社によって時期が違うので、早めに手続きはしたほうがいいと思います。

【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 早めに手続きが大事ということですね。そして、ゲストエクストラの、大変だったことから乗り越えた方法。いろいろいただいております。一つ目が食べること、飲むこと。二つ目が、希少がんのため情報が少ないこと。そして三つ目、治療中の子どもの預け先で、いろいろ大変だったところに対して乗り越えた方法としては、一つ目は食べること、飲むことについては、歯科の専門家や同僚、友人、耳下腺がんの仲間からのアドバイス。

岸田 そして2番目に、希少がんセンターと、相談支援センターを活用したということで。預け先については、友達に甘えたということですけど、まず一つ目、食べること、飲むこと。これ、アドバイスが乗り越えた方法とありますが、どんなアドバイスだったんですか。

跡部 まず、食べ物の形態だけ変えれば食べられるんじゃないなというところで、カトラリーっていう。スプーンの厚さとかも、かなり食べやすさに影響があるんですね。こういう普通のスプーンだと口もあまり開かなかったので、そのまま使えなかったりとか、あと、このカーブが激しいものは私の口に合わなくて、こぼしてしまったりするんです。

跡部 まひがあるので。そういう点で、「フラットなスプーンがいいんじゃない」っていうのを管理栄養士の同僚から習ったんですけど、「離乳食みたいなスプーンを選ぶといいんじゃない」って言われて、そこで探して見つかったのが、猫舌堂さんのスプーンで。で、そこで、ランチ会とかでお話しするときに、いろいろ食べ方の工夫とかも習ったっていう経緯がありますね。あと、五感を使って食べるっていう意味でもすごい難しくて。

跡部 いつも柔らかいものとか形がないものを目の前にすると、食欲って落ちるので、介護食の冷凍食って売ってるサイトがあるんですよ。そういうのを習って。見た目はすごいきれいな形してるんだけど、スプーンとかですぐにつぶれちゃうのが。そういうものが今あるので、その活用方法を習ったりとかしながら過ごしていました。今はもう普通のものが大体食べられます。

岸田 ありがとうございます。そして、希少がんのための情報が少ないっていうのは、希少がんセンター、相談支援センターを活用したということですね。

跡部 はい。

岸田 相談先でこういうのがあったということで、助けられたということですね。

跡部 はい。社会資源の活用ですね。

岸田 そして、治療中の子ども預け先。これはお子さんのね、ありますよね。

跡部 すごい大変だったのが、手術日が決まらないんですよね。手術の申し込みをして何日手術ですっていう病院じゃなかったので。突然電話が来て、「はい、手術の日、この日になりました」っていう感じだったので。そんな中、主人、仕事休めるのかなとか、義理の父、母も、今、甘えられるのかなとか。こういうコロナの状態だったので、その辺も含めて大変だったですね。友人たちが助けてくれるよって言ってくれたのでよかったんですけど、抗がん剤とかがあったらもっと大変ですよね。ちっちゃなお子さんを連れて毎日、病院に行くんですかとか、そういう問題もなるので、やっぱり切実な社会問題なのかなって思います。

岸田 どうにかしてください、政府。

跡部 はい、お願いします。

【がんの経験から学んだこと】

岸田 お願いします。そんな跡部さんの中の、がんの経験から学んだことについてお伺いしていきます。経験が学んだこと、こういった言葉をいただいております。人の優しさ、温かさが前向きに生きる力になること。この意図、教えてください。

跡部 はい。人の優しさ、温かさっていうのは常には感じていたんですけど、本当に人生どん底に陥ったときに周りの人が掛けてくれた言葉で、すごく前向きになれたんですね。例えば、「1日のうちに数秒でもいいから楽しいと思えたら、それはすてきなことだよ」とか。

跡部 あとは、「60パーセントでもいい、100パーセント目指さなくてもいいじゃない」とか。「あなたは全てがんじゃなくて、あなたの一部ががんで、涼子は涼子のままでいいんだよ」とかって言ってくれた言葉がすごいうれしくて、私も前向きに生きられるようになったかなって思うので、今回、この言葉を選ばせていただきました。

岸田 確かに僕も毎日、100点を目指そうとし過ぎてるな。今の自分でも突き刺さってくるなと思います。この言葉。

跡部 60パーセントでいいって、なかなか思えないですよね。

岸田 けど、そうすると息が詰まっちゃいますしね。治療を頑張っているだけで、それだけでも100点満点ですもんね。本当に。

跡部 本当に花丸だと思います。

岸田 前向きに生きる。人の優しさ、やっぱ周りのサポートって大事ですよね、跡部さん。

跡部 すごい大事だと思います。人のつながり、CPもそうなんですけど、会ったことがない人から掛けてもらった、そういう優しい言葉でもすごい前向きになれるので、大事ですよね。 

岸田 なので、これ見てくださってる皆さんも、自分なんて何も役に立てないと思うかもしれないですけど、その言葉掛け一つでも、すごく前向きになったりとか、生きる力になったりとかするので。

岸田 もちろん人それぞれでありますけれども、ぜひそういったサポートもしていっていただきたいなと思っています。跡部さん、本当に紆余曲折な人生、ほぼこの1年の経過でしたけれども、本当にすごくいろんなことあったなということ、思っています。きょう、がんの経験というのを教えてくださってありがとうございます。

跡部 ありがとうございました。

岸田 終了していきたいと思います。ありがとうございました。

跡部 ありがとうございました。

 

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