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インタビュアー:岸田 / ゲスト:義若
本日のゲスト義若さんの趣味と人生観-『後世に残すもの』への想い

岸田 今日のゲストは義若さんです。本当に、いつもお世話になっております。
義若 いえいえ、こちらこそお世話になっております。まさか自分が「がんノート」に出演させていただけるとは思っていませんでした。どうぞよろしくお願いします。
岸田 ありがとうございます。では早速、義若さんの自己紹介をさせていただきます。義若さんは岐阜県のご出身で、現在は東京都にお住まいです。岐阜県のどちらご出身ですか?
義若 岐阜市ですね。
岸田 岐阜市のご出身で、現在は会社の役員を務められている。会社のお話は後ほど詳しく伺えればと思います。そして趣味は読書とのことですが、やはり会社の代表や社長を務めてこられた方らしいご趣味ですね。
義若 いやいや、お恥ずかしい限りです。私は無趣味でして……今回病気を経験して、趣味を持っている人は本当に強いなと実感しました。私はどちらかというと仕事人間で、趣味といえば読書ぐらいなんです。
岸田 そうなんですね。ちなみに、その読書の中でおすすめの一冊はありますか?
義若 1冊挙げるとすれば、内村鑑三の『後世の最大遺物』です。人生において、人は後世に何を残すのかというテーマで書かれた本なんですね。お金がある人はお金を、事業を持っている人は事業を、思想を生み出した人は思想を残す。しかし何も持たない人は何を残すのか。それは「自分の人生そのものを残すのだ」と説かれているんです。私自身も何もないと思っていましたが、この本を読み、自分の生き方そのものを周りの人に感じてもらえるような人生を送りたいと考えるようになりました。
『え、自分が?』会議中の電話で告げられた胃がん-告知から手術、そして回復まで

岸田 そして、がんの種類は胃がん。ステージは1Bで、今年68歳の時に告知を受けられたということですね。そして手術をされたという流れになります。ここからは義若さんのペイシェントジャーニーを伺っていきたいと思います。まずはこちら。最初は気持ちが上がっているのですが、その後に下がっていく流れになっています。まず一つ目のお話です。ジェネリックの製薬企業の社長に就任された時のことですね。
義若 はい。もともと大手製薬会社が新しくジェネリック医薬品の会社を立ち上げ、その設立から関わっていました。そして2年後に社長に就任しました。当時、ジェネリック医薬品はまだ理解が進んでいなかったのですが、「国民の医療に役立ちたい」「会社を大きく育てたい」という気持ちで、とても高いモチベーションで取り組んでいました。
岸田 社長に就任されて、大変なこともあったと思いますが、楽しいことも多かったのでは?振り返るとどうですか。
義若 責任の重さはひしひしと感じていましたが、それ以上にやりがいがありましたね。これほど面白い仕事はないと思っていました。自分で方向性を決められるのも魅力でしたし、スタッフにも恵まれました。そのおかげでジェネリックの世界で新しいビジネスを展開でき、奇跡的な発展を遂げることができました。社長としての7年間は、とても充実していました。
岸田 なるほど。社長としてのやりがいを感じられたわけですね。
『がん』を仕事で支える側だった日々―妻の闘病と抗がん剤AG開発
岸田 そして次の転機は、奥様が乳がんになられたことです。
義若 そうなんです。ある日、朝から妻と大喧嘩をしていたのですが、その日がちょうど妻の人間ドックの日で……。お昼頃に電話がかかってきて、「胸にしこりがあると言われた」と。私は製薬業界に長くいたので親しい先生にすぐ連絡を取り、すぐに診てもらえるよう手配しました。その結果、乳がんと診断されました。最初は大きな衝撃を受けましたが、治療すれば治せるレベルだと聞き、家族としてサポートをする覚悟を決めました。大喧嘩のことも吹っ飛ぶくらいの衝撃でしたね。この出来事で、がん治療の大変さや患者のメンタル面を間近で知ることになり、その経験が岸田さんとの出会いや後のビジネスにもつながりました。本当に人生は何があるかわからないと実感しました。
岸田 ありがとうございます。奥様の治療はうまくいったんですか?
義若 はい。オペ後の診断はステージ2Bで、化学療法も受けましたが、今は9年が経ち、ほぼ完治に近い状態です。ただ、化学療法の大変さや、女性にとって髪が抜けるということのショックを間近で見て、治療の厳しさを改めて感じました。メンタル面でも鬱のような症状があり、家族も一緒に苦しむのだと実感しました。
岸田 そうだったんですね。その経験を経て、次にお仕事で抗がん剤のAGを発売されたんですよね。
義若 そうです。私の会社はジェネリック企業なので、普通は先発品と同じ成分を安価に提供するのが一般的です。ただ、2015年ごろに厚生労働省が「オーソライズド・ジェネリック(AG)」を認める制度を導入しました。先発品と全く同じものをジェネリックとして販売できる仕組みです。当時、抗がん剤に対してはジェネリックへの信頼がまだ低かったのですが、先発品と同じ品質で価格を抑えられるなら、患者さんの負担を減らせる。特に妻の治療で高額な医療費を実感していたので、「ぜひ抗がん剤でAGを出したい」という強い思いがありました。
義若 最初は偶然にも、先発企業が認めてくれたおかげで「イレッサ」という抗がん剤のAG(オーソライズド・ジェネリック)を発売できることになりました。そこから、どうやって展開していくかを考えていく流れになったんです。
岸田 なるほど。そこから展開を考える中で、社員研修として「がんノート」へ依頼をいただき、全社員に実施されたんですよね。
義若 はい。妻の闘病を間近で見ていたこともあり、社員にも「がん患者さんの大変さ」を理解してほしいと思ったんです。それがなければ、抗がん剤のAGを普及させることはできないと感じました。社員が、がんと向き合う厳しさを知ることは、この事業を進めるうえで欠かせない要件だと思ったんです。
ちょうどその時に、同僚から岸田さんのことを紹介していただいて。初めてお会いしたときに、すぐに「やりましょう」と言ってくださって、企画書まで作っていただいた。本当にありがたかったですね。
全国で研修を行いましたが、地域ごとに「がんノート」のメンバーも参加してくださって、非常に厳しい状況にある方々も体験談を語ってくれました。社員たちもその話を聞きながら涙を流し、「自分はなんて甘かったんだ」「この程度の仕事の苦労で音をあげてはいけない」と感じてくれたんです。いまでも当時の社員に聞くと「あれほどの研修はない」と言うくらいです。改めて心から感謝しています。本当にありがとうございました。
岸田 いえ、こちらこそ本当にありがとうございました。日本全国で地元の患者さんに話をしていただき、社員の皆さんが真摯に受け止めてくださった。その姿勢に、私たちも熱意を感じましたし、「自分たちの経験が役に立つんだ」と実感させていただきました。これも義若さんが築かれてきた社風や人間関係あってのことだと思います。本当にありがとうございました。
義若 本当に感謝しています。
岸田 そしてその後、義若さんは社長を退任され、顧問に就任。その後はコンサル会社を起業されています。いやあ、義若さん、アグレッシブですね。
義若 いやいや(笑)。先ほど趣味の話でも言いましたが、私は本当に無趣味で、半分仕事が趣味のような人間なんです。ただ、業界の方々や岸田さんをはじめ多くの方に支えていただいて会社を発展させることができた。だから、少しでも恩返しがしたいと思ったんです。
社長時代に業界紙の方々とも知り合いになり、「義若さん、コンサルをやったらどうですか?」と言われることもありました。医薬品業界は裾野が広く、小さい会社も多い。そうした会社の発展に少しでも役に立てればと思って、コンサル会社を始めたんです。
岸田 なるほど、そういうきっかけだったんですね。
義若 そうなんですね、はい。
『頭が真っ白に』人間ドックから電話告知の衝撃―それでも冷静に考えた次の一手
岸田 そして起業されて、その後ちょっと下がっていきます。ここで人間ドックを受診されたということですが、何かきっかけがあったんですか?
義若 もともと60歳を過ぎてからは、毎年ではないですが人間ドックを受けていました。63歳ぐらいからは毎年受診していて、実は5年前にピロリ菌感染が見つかって除菌もしたんです。ただ、その後「除菌できたかどうかの確認」をしなきゃいけない日に仕事が入ってしまい、受診できなかった。そのまま放置してしまったんですね。さらにコロナもあって、受診の間隔が1年空いてしまったんです。
なんとなく「見つかってしまうんじゃないか」という不安もありましたし、年齢的にも70が近い。実際、私の先輩が70を迎える前に次々とがんで亡くなっていくケースを見ていました。「69、70歳の壁」というのがあるんだなと感じ、不安が強くなっていたんです。妻のときも慶應大学病院で治療していましたし、私自身も製薬会社時代に慶應を担当していて先生方とも親しかったので、「何かあればここで」と決めていました。そこで慶應の健診センターで人間ドックを受けることにしたんです。
岸田 でも1年空いただけなんですよね?
義若 そうなんです。ただ65歳を過ぎると毎年受けなきゃいけないと痛感します。実は妻もそうだったんですよ。毎年受けていたのに、1年だけ空けてしまったら、その翌年に乳がんが見つかったんです。だから余計に「1年空けるのは怖い」と思っていました。
岸田 なるほど。ありがとうございます。では次ですね。ここから大きく下がっていきます。「電話で胃がんの告知を受ける」とありますが、電話で告知だったんですか?
義若 そうなんです。人間ドックを受けたのが6月26日。内視鏡を受けたとき、先生が「潰瘍があるからバイオプシーしますね」と言って、画像も見せてくださいました。私は製薬企業に勤めていたので、そのあたりも話をしていました。
そして7月3日、別のクライアントの朝会議中に知らない番号から電話が入り、出てみたら慶應の健診センターでした。電話口で内視鏡を担当した先生が、「義若さん、やっぱりありましたよ」と。「なんですか?」と聞いたら「胃がんです」と、その場で告知されたんです。
岸田 準備ができていない中で告知されたんですね。
義若 そうなんです。やっぱり頭が真っ白になって、足がガクガク震える感覚でした。会議中だったので廊下に出て電話を受けたんですが、「え、自分が…?」という感覚になったのを覚えています。ただその時、「ちゃんと治療すれば管理できるレベルですよ」と先生が言ってくださったので、少し安心もできました。
岸田 義若さんも、がん経験者のお話を聞かれたり、製薬企業に勤められていたご経歴があったとしても、「え、自分が?」という気持ちになられたんですね。
義若 やっぱりそうなんですよね。岸田さんからも「今は二人に一人ががんになる時代。特に男性はさらに確率が高い」と伺ってはいました。それでも「自分はならない方の二分の一だ」と、どこかで信じたい気持ちがありました。だから、どうしても他人事として捉えてしまっていたんです。
でも実際に自分がなった時は、音もなく近寄ってきて後ろから頭をハンマーで殴られたような衝撃でした。同時に「やっちゃったな」という思いもありました。というのも、ピロリ菌除去の確認を放置してしまったこと、去年は人間ドックを受けなかったこと、その自覚があったから「これは自業自得かもしれない」と半分思ったんです。
岸田 いやいや…でも、検査が空いてしまったという要因も含め、いろんなことが重なったんですね。会議中に告知を受けられたわけですし、その後の会議はきっと耳に入らなかったんじゃないですか?
義若 そうですね。でもその瞬間、「今すぐ何をやらなきゃいけないのか」を妙に冷静に考えていました。不安感はありつつも、美容院を予約していたことを思い出して、「入院したら行けなくなるから短く切っておこう」とか。あるいは、ジェネリック学会の役員として、ちょうど提言をまとめている最中だったので「入院までに仕上げておかなくては」とか。普通じゃ考えないようなことを必死に考えて、不思議な感覚でした。
スピーディな治療決定からロボット支援手術へ―胃3/4切除、そしてステージ1確定の喜び

岸田 ありがとうございます。そこから少し気持ちが上がっていきますね。最初の外来受診と手術日が決定したタイミングです。
義若 そうなんです。告知を受けたのが7月3日で、その場で「慶應で治療しますか?」と聞かれて、即答で「します」と伝えました。すると「来週の月曜に外科の外来に来てください」と。その際、「内視鏡で取れるレベルは超えているので、しっかり手術が必要です」と言われました。その場で予約を入れてくださって、7日に外来受診。その後、病院から次々と検査日程の電話が入り、10日までに検査が一気に決まったんです。非常にスピーディーでありがたかったですね。
岸田 なるほど。そしてオペ日が28日に決まって、しかもロボット支援手術だったんですね。
義若 はい。「28日にロボット支援手術の枠が空いていますがどうしますか?」と聞かれ、「ぜひお願いします」と答えました。すでに人間ドックで肝臓や肺への転移はないことが分かっていたので、リンパ節や腹膜はまだ不明でしたが、少なくともステージ4ではないと安心できました。早めに手術が受けられることも分かり、少し気持ちが上向きになりました。
岸田 その後の検査結果と術式の説明では、どういう状況だったんですか?
義若 検査の結果、臓器転移もなく、CTでもリンパ節転移は見られませんでした。医師からも「ステージ1か2でしょう」と言われて、気持ちがだいぶ落ち着き、モチベーションも上がりました。
岸田 そして迎えたロボット支援手術。実際に受けてみていかがでしたか?
義若 実際は麻酔をかけられるので手術中のことは分からないんですが、オペ室に入るといろんな管がぶら下がっていて、「ああ、これがそうなのか」と思いました。後から知った通り、ロボット支援手術は視野が広く、リスクのある部分もしっかり確認して取ってもらえる。主治医がロボット手術の第一人者で、日本でもトップクラスの先生だと分かっていたので安心してお任せできました。
術後2日ほどは痛みや違和感が強く、持続点滴を受けたり、胃の3/4を切除した影響でお腹全体がむくんで呼吸が苦しかったりもしました。でも「2〜3日で治まるだろう」と思いながら乗り切れましたね。
岸田 え、最終的にロボット手術でどれくらい胃を取られたんですか?
義若 3/4ですね。
岸田 周りの臓器はどうでした?
義若 術式やがんの場所によって違うみたいなんですけど、私の場合は噴門部だけ残して、幽門側はすべて切除しました。そして残った胃と小腸をつなぐという術式でした。ですので、今は胃の1/4しか残っていない状態で、十二指腸もほとんど食べ物が通らず、胃から直接小腸へ流れていく構造になっています。もとの消化器の仕組みとはまったく違う状態になったわけですね。
岸田 そういう複雑な手術もロボットでできる時代なんですね。すごい。
義若 本当にすごいと思います。リンパ節も30個取っていただきました。がんが転移しやすいリンパ節は同定されていて、取れる範囲はすべて取っていただいたんです。熟練の先生でないと難しい手術ですが、日本でもトップクラスの先生にお願いできたのは本当にありがたかったです。
岸田 ありがとうございます。そしてその後、少し上がっている部分が「自宅療養」、すっきり退院できたというところですね。手術後、すぐ退院できたんですか?
義若 経過が良かったので10日程度で退院できそうでした。ただ家内から「食事の準備が大変だから、できるだけ長く入院してほしい」と言われまして。先生にお願いして結局2週間入院しました。その方が私も安心でしたし、食事管理も病院でしてもらえましたからね。
岸田 なるほど。ただその後、大変なことがあったんですよね。食事のコントロール、水分調整など。
義若 そうなんです。私は仕事柄、早食いで量も多く食べるタイプでした。でも胃を切除すると「ダンピング症候群」が確実に起きるんです。退院前に先生から綿密な食事計画を渡されて、「これは良い」「これは避けた方がいい」と指導はありましたが、実際には「良い」とされているものでも食べ方次第で詰まったような不快感が出るんです。
そこで患者さんの体験談を調べて「食事中は水分を取らず、食後に飲むと楽になる」と知り、実践しました。すると確かに良かった。今は一口ごとに50回噛んで、胃の貯蔵機能を口で補っています。その後に水やお茶を飲むようにしたら、かなり食べやすくなりましたね。
ただ急ぐとやはりダメで、以前パンを急いで食べたら電車内でダンピング症候群を起こして動けなくなったこともあります。今は朝は野菜ジュースとバナナ、と決めてルーティンを守るようにしています。
麺類が好きなんですが、水分が多いので難しいですね。ラーメンを50回噛んだらまずいですし(笑)。だから今の目標は「1年後にはラーメンを食べられるようになること」です。
岸田 いいですね!他の患者さんでも、時間が経つと普通に食べられるようになる方も多いですし。
義若 そうですね。主治医からも「1年経てば落ち着く」と言われています。だから1年間は工夫しながら、なんとか乗り切ろうと思っています。
岸田 ありがとうございます。そして最後に上がっているのが「外来でのステージ1の確定診断」ですね。
義若 はい。病理検査は手術から1か月ほどかかるんですが、夏休みも挟んで1か月半待ちました。その間は本当にドキドキでした。入院中に渡された承諾書に「ステージ2の可能性あり」と書かれていたので、できればステージ1で収まってほしいと強く願っていたんです。もしステージ2ならTS-1による補助化学療法が必要になり、仕事にも影響しますからね。
ですので、最終的に「ステージ1です」と告げられたときは、本当に嬉しかった。とりあえず治療は終わり、今後は経過観察だけということになり、心からホッとしました。
岸田 その経験を経て、幸せの基準も変わったそうですね?
義若 はい。まさにそうです。「ステージ1」と聞いた時の喜びは、これまでの人生で味わったことのない感覚でした。新たに命をもらったような気持ちでした。それ以降、当たり前だと思っていた日常の一つひとつが幸せに感じられるんです。
朝オフィスに行けること、新幹線で富士山を見ること、そのすべてが新鮮で。これまで感じられなかった喜びが、今は毎日のように感じられます。「今日も良かったな」と思える瞬間が必ず一つある。それはがんを経験したからこそ気づけたことだと思います。68歳にして今さらかもしれませんが、人間的に少しは成長できたのかなと感じています。
岸田 いやいや、本当にそうですよね。ただ、やっぱり患者さんからもよく聞きますよね。「日常の当たり前こそが幸せなんだ」と。
義若 まさにその通りだと思います。がんを経験すると人生観が変わる、とよく言われますが、本当にその通りだと実感しました。研修のとき、サバイバーの皆さんが語ってくださった「本当の気持ち」。あの時も感動して、自分の生き方を見直すきっかけにはなりましたが、どこかまだ「他人事」だったんだと思います。
でも自分がサバイバーになって初めて、あの時いただいた言葉の本当の重みを、もっと深いところで理解できた気がします。だからこそ、改めて当時お話しくださった皆さんに、より強い感謝の気持ちを抱くようになりました。
『死』を意識した不安をどう乗り越えたか―がん経験者との出会い、妻の支え、そして人生への満足感

岸田 ありがとうございます。では「大変困ったことをどう乗り越えたか」という部分を、詳しく伺っていければと思います。
義若 はい。今よく「人生100年時代」と言われますが、それが当たり前だと私も思っていたんですね。両親の亡くなった年齢を考えても、自分もあと20年くらいはあるだろうと。だから「死」を身近に意識したことがほとんどなかったんです。
ところが、がんを告知されて初めて「自分の寿命」や「死」を強く意識しました。製薬業界に長くいたので、ステージごとの治療の大変さも理解していた分、なおさら不安が大きかったですね。
そんなときに思い出されたのが、研修で出会った、がんを経験した方々の顔でした。ステージが進んだ状況でも参加してくださり、前向きに語ってくださった姿。あれを思い出すことで、私も乗り越えられるかもしれないと感じました。
さらに大きかったのは妻の存在です。妻自身が乳がんステージ2Bで化学療法も経験し、今は9年経って元気に過ごしています。告知を受けたときも、私が電話したら「じゃあ早く手術して悪いところを全部取ってもらうしかないよね」と、全く動揺しない。家に帰っても「仕方ないよね」と、むしろ強めに言ってくれる。
「胃がんなんて治っている人はたくさんいるんだから」と。そういう姿に安心させてもらいました。
そしてもう一つ支えになったのは「人生を振り返ること」でした。
高齢になるとがんになるリスクが高まるのは当然で、それを受け止めつつ、これまでを振り返ったときに「自分は結構いい人生を送ってきたな」と思えたんです。仕事でもやりたいことをやり切れたし、子どもたちも二人とも結婚して自立している。仮に自分がいなくなっても、妻が一人で生きていけるだけの基盤はある。
そう考えたときに、不安だけでなく「満足感」や「安心感」が出てきて、死を意識した恐怖を少し和らげてくれました。
「信頼できる医師」「経験者とのつながり」「家族の存在」──治療を経て気づいた3つの支え

岸田 ありがとうございます。三つの視点から乗り越えた経験を伺うことができました。ではここで、義若さんから視聴者の皆さんへのメッセージをいただきたいと思います。患者さん、ご家族、一般の方、医療者の方、さまざまな方がご覧になっています。義若さんの経験から伝えたいこと、こちらです。
義若 まず一番は、やはり主治医やスタッフの方々を信頼すること。そして信頼できる先生との関係を築くことだと思います。ただ先生方も非常にお忙しいので、説明には限界もあります。ですから、経験者の方々と話すことが不安の軽減につながるのは間違いないと思います。
実際、妻を見ていても「がん友」の絆というのは本当に強く、互いに悩みを共有し合える大切な存在でした。ですので、こうした「がんノート」のような場で話を聞いたり、地域の患者会に参加したりして仲間とつながることが、とても大事だと感じています。
そしてもう一つは「家族の大切さ」です。特に男性は家庭を顧みない傾向があり、定年後にわがままが出ることもあるかと思います。私自身もそうで、家族を大切にしてきた自覚はあまりありませんでした。ただ今回病気を経験して、家族こそ本当に支えであり、ある意味「第二の患者」でもあると痛感しました。家族の存在を意識しながら治療に取り組むことで、サポートもより強いものになると信じています。
今回私がここに出させていただいたのも、少しでも誰かのお役に立てればという思いからです。私の話がどこまで役に立つか分かりませんが、同じようにがんと向き合っている方にとって、少しでも励みになれば嬉しいです。
岸田 ありがとうございます。義若さんとはがんになる前からお仕事をご一緒させていただいていて、まさかご自身ががんを経験されるとは思っていませんでした。ただ、そういった知識や経験があったからこそ、今こうして語っていただけるのだと思います。やはり検診の大切さ、そして早期発見・早期治療の重要さを改めて感じました。
義若 本当にそう思いますね。今、名古屋の大学薬学部で非常勤講師をしているのですが、毎年講義で「がんノート」を紹介しています。今年も授業の中で学生たちに伝えたいと思います。薬剤師を目指す彼らには、患者さんの思いを知ることがとても大切ですから。私自身が出演した経験を、リアルに紹介できるのもありがたいです。
岸田 本当にありがとうございます。胃がんの患者さんの中には「食事はどうなるのだろう」「この先どう過ごせるのだろう」と不安に思う方もいらっしゃると思います。今日の義若さんのお話で、少しでも見通しを持っていただける方がいれば、私たちとしても嬉しいです。ありがとうございました!
義若 こちらこそ、どうもありがとうございました。
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