目次
- ゲスト紹介テキスト / 動画
- ペイシェントジャーニーテキスト / 動画
- 副作用や後遺症のことテキスト / 動画
- 病院・医療者のことテキスト / 動画
- 家族のことテキスト / 動画
- 学校のことテキスト / 動画
- 仕事のことテキスト / 動画
- お金・保険のことテキスト / 動画
- 工夫していることテキスト / 動画
- メッセージテキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:市居
- 22歳で甲状腺がんと向き合った現役養護教諭の素顔
- 甲状腺乳頭がんステージ1診断-教員試験合格から一転、闘病への道のり
- 甲状腺がん術後の副作用は改善する?声のかすれ回復の実体験
- 甲状腺がん治療を支えた医療者たち―看護師の存在が変えた入院生活
- 甲状腺がん闘病で変化した家族関係 支えと衝突、そして新たな絆の形
- がん治療について同級生に伝える方法 インスタとnoteを使った段階的な情報開示
- 甲状腺がん治療後の仕事復帰-孤独感を乗り越えた養護教諭の職場適応体験
- 30万円の甲状腺がん治療費と偶然加入していた保険の恩恵
- 甲状腺がん治療中の工夫とセルフケア-好きなものに囲まれる入院生活と無理しない日常
- 甲状腺がん体験者が伝える人生観-今しかできないことを大切にする理由
22歳で甲状腺がんと向き合った現役養護教諭の素顔
岸田 今日のゲストは市居真帆さんです。市居さん、簡単に自己紹介をお願いできますか?
市居 はい、市居真帆です。出身は高知県で、大学の時に兵庫県に来て、今も兵庫県に住んでいます。現在は公立の中学校で養護教諭、保健室の先生をしています。趣味は散歩とゲームです。よろしくお願いします。
岸田 養護教諭の先生って、保健室にいる先生ですよね?
市居 はい、そうです!
岸田 散歩やゲームが趣味とのことですが、散歩は川沿いとか、どこか特定の場所を歩いたりするんですか?
市居 いや、引っ越してまだ数ヶ月なので散歩コースは決まってなくて、スーパーに歩いて行くくらいですね。
岸田 なるほど。近所を歩く感じなんですね。ゲームはどういうジャンルのものをされるんですか?
市居 どうぶつの森みたいな、まったり系が好きで、最近また始めました。
岸田 なるほど、撃ち合い系とかじゃなくて、ゆったり楽しめるゲームなんですね。それでは、がんについてお話しいただければと思います。
甲状腺乳頭がんステージ1診断-教員試験合格から一転、闘病への道のり
市居 がんは甲状腺がんで、その中でも乳頭がんという種類でした。ステージは1で、甲状腺がんは年齢によってステージが分かれているので、その中で私はステージ1になります。告知されたのは22歳の時で、今23歳なので、告知からはまだ1年経っていないか経ったかくらいの感じです。治療は手術でした。
岸田 ということは、治療してからまだ1年経っていないんですね。去年か今年って感じかな?
市居 そうです。ありがとうございます!
岸田 ありがとうございます。では、市居さんのがん告知から治療までの経過を、この感情のグラフを見ながらお話を伺いたいと思います。縦軸が感情のアップダウン、横軸が時間経過で、吹き出しはポジティブやネガティブ、普通、治療などの出来事を表しています。
22歳の市居さんのグラフですが、山と谷がいくつかありますね。さっそく見ていきましょう。まず一番高い山のところに「教員採用試験合格」とありますが、保健室の先生になりたいと思って学校に入ったんですか?
市居 そうです。養護教諭になりたいと思って入ったんですけど、養護教諭になるコースは教育学部と看護学部の二つあって、私は看護師の資格も取りたかったので看護学部に入りました。でも最終的には最初からの夢だった養護教諭になりました。
岸田 ということは、看護師の免許も持ってるんですね?
市居 はい、持ってます!
岸田 すごいですね!どちらもできるなんて。では少し感情が下がっているところについてですが、首にしこりを見つけて耳鼻咽喉科を受診されたとのことですが、最初は首のどの辺りにしこりを感じましたか?
市居 首の左側です。最初は見て分かるわけではなくて、大きく飲み込んだ時に痛みを感じたんです。その痛みが喉の中でも外側でもなく、微妙な場所で。触ってみると小さいながらもしこりのようなものがあり、病院に行こうと思って耳鼻咽喉科を受診しました。
岸田 その感覚って独特ですよね?
市居 はい。私はどこに行けばいいのかわからなくて、まず内科に行きました。風邪で耳鼻科に行く人もいますし、内科に行く人もいるので、とりあえず内科に行ったら、看護師さんに症状を伝えて「耳鼻科の方がいいかも」と言われ、その日のうちに耳鼻科に行きました。
岸田 受診まではどれくらいの期間でしたか?すぐに行きましたか?
市居 3日後です。
岸田 結構すぐですね。
市居 母にも相談して、「行った方がいいよ」と背中を押してもらったのもあって、普段あまり病院に行かない私ですが、その時はすぐ受診しました。
岸田 その後、専門病院の初診待ちとありますが、どういう経緯だったんですか?
市居 耳鼻咽喉科でエコー検査をしましたが、はっきりと原因は分からず、リンパの腫れかもしれないと言われて抗生剤と痛み止めを処方されました。2週間後に再診し、また2週間後にも診察を受けましたが、しこりはなくならず、これは普通じゃないと感じました。大学の先生にも相談し、早めに再度診てもらったところ、医師2人で「これは腫瘍かもしれない」と言われ、良性か悪性かを診るためにがん専門病院を紹介されました。
岸田 その時点で「がんかもしれない」と思いましたか?
市居 多少はありました。熱もなくしこりだけがある状態はおかしいと思い、がんかもしれないと考えていました。
岸田 がん専門病院を紹介された時点で、もう自分はがんなんだと確信した?
市居 はい、まだ何も分かっていなかったのに、がんだと思いました。その時はショックでした。
岸田 一番辛かったのは初診までの待ち時間だったんですね。その時の気持ちはどうでしたか?
市居 2週間の待ち時間はとにかく辛くて、得体の知れないものを抱えている気持ちでした。まだ親や仲の良い友達にしか話しておらず、人に言えない状態で、診断もついていなかったので、すごく不安でした。また、病院が家の近くにあったのに通り過ぎるだけで、そこに行けないことも怖かったです。
岸田 本当に複雑ですね。初診に行くのを待つ間、すごく気になっていたんですね。
市居 はい、人生で一番長い2週間でした(笑)。
岸田 そこから初診を受けて、気持ちが少し上向いたんですね。
市居 はい、やっと初診を受けられると嬉しくて解放された気分になりました。待っている間の不安が大きかったので、初診を受けてポジティブになりました。
岸田 そしてがん告知を受けていますが、その時は気持ちはそんなに下がっていないですね?
市居 告知ははっきり「がん」とは言われず、細胞診の結果が良くないのでがんかもしれないと言われました。ある意味予想していたので、ショックは少なくて、むしろ分かってよかったという気持ちでした。
岸田 なるほど、自分の中である程度覚悟ができていたんですね。
市居 そうです、がんだろうなとは思っていました。
岸田
甲状腺がんの中でも今回は乳頭がんというもので、9割近くの方がなる比較的多い種類ですね。ただ、他のがんの可能性もあったわけですよね。そういう部分は怖くなかったですか?乳頭がんは比較的ゆっくり進行すると言われていますよね。がん情報サービスにもそう書かれていますし、皆さん医療情報は主治医の方や公式のがん情報サービスでしっかり確認してくださいね。これはあくまで経験談ですので。そういった他のがんの可能性についてはどう思われましたか?
市居
私は甲状腺がんか悪性リンパ腫の可能性もあると思っていました。結構、最悪のケースを想定するタイプなんです。悪性リンパ腫だったら治療も長くかかるし、今後のことを考えると一番しんどいだろうなと思っていました。一方で甲状腺がんは進行が遅いと聞いていたので、そこまで心配はしましたが、たぶんすぐに入院になることはないだろうと予想していました。だから「まあまあ甲状腺がんか…」という感じで、少し落ち着いて話を聞けていました。
岸田
落ち着いて聞けたんですね。ただ、その後少し気持ちが下がっているのが「妹の反応でショック」とありますが、妹さんに伝えた時、どんなことがあったんですか?
市居
実際に家族に言ったのは母だけで、母が告知の際に一緒に病院に来てくれていました。私は自分の口から言わず、母から妹に伝えてもらうようにしていました。妹は当時高校2年生で、告知の日の周辺がテスト期間だったので「テストが終わってから言ってほしい」と母にお願いしていたんです。告知から5日後くらいに母が妹に伝えたら、妹から「なんでそんな大事なことを早く言わなかったの!?」とすごく言われたと聞きました。妹には淡白な反応を期待していたので、「お姉ちゃん大丈夫?」くらいの感じかなと思っていたのですが、妹が心配していたことを全く予想していなかったし、まだ高校生の妹にそんな思いをさせてしまって、本当に申し訳なくなって。そこで初めて「私はがんなんだ」と実感しました。
岸田
周りの反応で自分の状況を実感したんですね。
市居
そうです。自分は覚悟ができていて、そこまでショックはなかったのですが、周りに話したらすごく心配されたり、本当はしなくてもいいような思いをさせてしまうんだと気づいて、そこで初めてショックを受けました。
岸田
お姉ちゃんとしては、テストのことを考えて妹さんに配慮していたけど、妹さんは「もっと早く言ってほしかった」と思っていたんですね。自分の思いと周りの反応の違いにショックを受けたんですね。がん告知よりもショックだったかもしれませんね。
市居
はい、かなりショックでした。
岸田
もしあの時に戻れるなら、妹さんには早めに言おうと思いますか?
市居
うーん、言わないかもしれません(笑)。テストは頑張ってほしいのでその気持ちは変わらないですが、自分の口から言えたらよかったなとは思います。
岸田
なるほど。過去に戻ってもやっぱり妹さんのテストを優先したいと。
市居
はい、テストは大事にしてほしいです(笑)。
岸田
そこから気持ちが上がるところで「生まれて初めて金髪に染める」とありますが、髪が抜けるなど抗がん剤の影響で染めたんですか?
市居
いえ、抗がん剤はしないので髪が抜けることはありませんでした。ただずっと金髪に染めてみたかったんですが、実習などでタイミングがなくてずっと染められずにいました。がん告知を受けて「もしかしたら死ぬかもしれない」と思い、手術もあるし何が起こるか分からない人生だから後悔したくないと強く思いました。だから、やってみたかったことはできるだけやろうと思い、就職したら髪も染めにくくなると思い、思い切って金髪に染めました。
岸田
そうだったんですね。金髪にした時の写真はありますか?
市居
はい、入院中も金髪でした。
岸田
その写真もまた後で見たいですね。金髪にしてみて、気持ちはどうでしたか?
市居
すごく幸せでした(笑)。鏡を見るたびに本当に嬉しくて、周りの反応も良かったです。母は仕事を始める前に髪を暗くする話をしていましたが、「ずっと金髪にしてたらいいのに」と言っていました。大学の同級生や先生もすごく驚いていて、染めるまでは誰にも言わず、突然金髪で現れるサプライズもしました。
岸田
みんなびっくりしますよね。
市居
かなりびっくりしてました(笑)。
岸田
だから感情のグラフでもその部分は高くなっていますね。その後、また少し下がっているのが「就職に関する手続き」ですが、教員試験には合格しているのに、その手続きで悩んだのはなぜですか?
市居
合格はしましたが、どの市町村に配属されるかは合格した時点ではわからず、連絡が来たのは2024年の始め頃でした。仕事のことは考えないようにしていたのですが、いよいよ向き合わなければならなくなりました。手術の日もまだ決まっておらず、手術後のことも分からない中で書類を出したり教育委員会と話したりしなければならず、気持ちが追いつかずしんどかったです。4月からどうするかも決めなければならないのに、何も分からない状態で決められず、現実にぶつかった感じでした。
岸田
なるほど、現実が押し寄せてきたんですね。この時期に面接もあったんですか?
市居
はい、面接があり、その時にがん告知もして2月に手術をする話もしました。
岸田
その時は金髪で面接に行ったんですか?
市居
いえ、金髪にしてすぐは色がすぐ落ちるので、暗めの色を入れていて、面接の時は茶髪くらいでした。
岸田
なるほど、派手すぎない色だったんですね。
市居
そうですね。面接官の方がびっくりするだろうなと思って(笑)。計算して染めました。
岸田
さすがですね(笑)。その後、感情がまた上がっていますが「国家試験受験」とあります。これはどういうことですか?
市居
看護学部だったので、看護師の国家試験を受けに行きました。
岸田
手術の前ですよね?すごい頑張りましたね。
市居 手術は2月に行ったのですが、その前にどうしても国家試験を受けたいという強い気持ちがあり、主治医に相談して「国家試験が終わるまでは手術を入れないでほしい」とお願いしました。手術の日程を決めるときも、国家試験まで待つのか、就職に間に合うように早く手術をするのかでかなり悩みました。さっきの就職に関する手続きの話でも精神的に落ち込んでいましたが、国家試験は看護学部での4年間の努力の集大成だったので、どうしても同級生と一緒に受けたくて無理を言って受験しました。
岸田 そうだったんですね。手術のタイミングをずらして国家試験を優先したということですね。その後はnoteで発信していったということですが、noteってブログのようなものというイメージで合っていますか?
市居 はい、説明する時はよくブログみたいなものと伝えています。
岸田 なるほど。発信を始めたきっかけは何かあったんですか?
市居 病気が分かってから、甲状腺がんの患者さんと2人ほど繋がることができて、とてもありがたかったです。周りには甲状腺がんの人もいなければ、がん患者自体も見つけられなかったので、医療情報以外に生活に関する情報が欲しかったんです。特に私は就職のことが気になっていて、手術の副作用や後遺症のことも含めて、せっかく経験するなら他の人にも伝えられたらと思いました。また、何か後悔したくない、今できることは全部やりたいという気持ちもあって、発信を始めました。
岸田 後悔したくないという気持ちで、自分の経験や思いを発信しているんですね。ありがとうございます。
その後、入院と手術の話に移りますが、手術は甲状腺全摘で、その下に「傍気管部郭清」とありますが、これはどういう意味ですか?
市居 主治医から詳しく説明は受けていませんが、甲状腺がんはすぐ近くのリンパ節に転移しやすいため、疑われる部分のリンパ節を郭清(摘出)する手術をしました。傍気管部郭清とは、気管のそばにあるリンパ節の郭清のことです。
岸田 なるほど。入院や手術に対してはポジティブな気持ちもあったそうですが、どんな心境だったのですか?
市居 やっと手術ができる、早くこのしこりを取ってほしいという気持ちが強かったです。また、看護学部で実習などで病院の患者さんの生活を見てきたので、実際に患者として体験できることにちょっとワクワクもあり、入院自体は楽しみでした。
岸田 そうなんですね。実習でケアする側だったけど、今度は患者としてケアを受ける側になり、新しい体験に前向きだったということですね。
市居 はい、新しいことを体験できる楽しみがありました。
岸田 首の手術は怖がる人も多いと思いますが、全然そうではなかったんですね。
市居 はい、手術自体はとても前向きに受けていました。
岸田 では、その時の写真をいただいています。左側の写真は金髪の時のものですか?
市居 そうです。
岸田 すごく似合ってますね!
市居 ありがとうございます。
岸田 これはどんな時の写真ですか?
市居 入院初日、手術前日に友達が心配していたので「元気だよ」と送った写真です。また、首に傷が残る手術なので、綺麗な状態の写真を残しておきたくて撮りました。
岸田 右上の写真は手術直後のものですか?
市居 はい、手術当日のHCU(高度治療室)で撮った写真です。
岸田 ドレーンが刺さっている状態ですね。
市居 そうです。傷は小さめで綺麗に縫ってもらい、看護師さんからも形成外科の先生が綺麗にしてくれていると言われました。自分でも思ったより綺麗な状態でした。
岸田 右下の写真は?
市居 これもHCUで撮ったもので、手術室に入ってから麻酔を手の甲で取られた時の写真です。まさか手の甲で麻酔を取られるとは思っておらず、採血も苦手なのでびっくりしましたが、記念写真として撮りました。
岸田 手の甲で麻酔を取るのは珍しいパターンなんですね。
市居 あまり標準的ではないようで、看護師さんも「珍しい場所だね」と言っていました。私の腕の血管が取りづらかったのかもしれません。
岸田 手術の傷は今はどうですか?もうほとんど分からなくなりましたか?
市居 よく見れば分かりますが、普段の生活ではほとんど気になりません。お酒を飲んで血行が良くなると赤く浮き出て目立つことがありますが、日常生活には全く支障ありません。
岸田 手術後はホルモン療法が始まったとありますが、お薬はどうやって飲んでいたんですか?
市居 はい、手術翌日の朝から1日1回飲み始めました。主治医の配慮で錠剤ではなく粉薬でした。手術後すぐでドレーンも入っていて、あまり上を向けなかったので粉薬をどうやって飲むか悩み、スプーンに薬を入れて口に運ぶという形で飲んでいました。
岸田 そうか、それなら錠剤のほうがいいって感じなの?
市居 よかったです。
岸田 飲み込みが大変だから粉薬にしましょうって配慮されたけど、実際は上を向かないといけなかったりで、やっぱり錠剤のほうがよかったかもって感じだったんやね。
市居 途中で看護師さんに「これ、錠剤に変えてもらえませんか?」ってお願いして、変えられるものは変えてもらいました。
岸田 変えてもらえたんや。
市居 はい。粉薬がなくなって、次の処方のときに「錠剤にしてください」って言って変えてもらいました。
岸田 そうなんや、よかった。
そこから気持ちがまた下がったって話やけど、退院で気持ちが下がるの?入院で気持ちが上がって退院で下がるの?手術したかった人ってこと?(笑)
市居 そうですね、手術したかったです(笑)。
退院がすごく不安で、入院中に主治医と仕事の話ができると思ってたんですけど、結局できなくて。退院の話が出てきたけど、4月からのことが何も決まってないし、話せてもいないのに「退院です」って言われて困りました。
気持ちの整理もつかなくて、自分からはなかなか言えなかったので、看護師さんに相談しました。退院が決まった瞬間から気持ちがガーンと落ちてしまい、緩和ケアの看護師さんや精神腫瘍科の先生にもお世話になりました。看護師さんたちの間で私の名前が話題になっているくらい、対応してもらいました。まさに退院渋りみたいな感じでしたね。
岸田 退院によって不安が一気に出てきたってことか。
市居 そうです。退院後の生活が想像できず、声も出ず、体力も落ちていて、社会生活が送れる気がしなくて、すごく不安で落ち込みました。
岸田 そうか。それで緩和ケアや精神腫瘍科の先生にもお世話になって、少しずつ気持ちが上がってきて持ち直したってこと?
市居 はい、本当に持ち直しました。先生方にお世話になったことは大きいですが、やはり病棟の看護師さんがすごく気にかけてくださって、朝の担当の看護師さんが「こうしたほうがいいよ」って教えてくれたり、みんなが状況を共有して気にかけてくれているのが伝わってきて、話をよく聞いてもらえるようになりました。言ってよかったなと思いますし、本当に感謝しています。
岸田 みんなで市居さんの不安を取り除いていった感じなんやね。
次は大学卒業の話。大学卒業もネガティブやったんやね。普通は卒業ってポジティブなイメージあるけど、どういうこと?
市居 卒業式の時、まだ声が完全に戻ってなくて、体力もかなりきつかったので、式の間体力がもつか心配でした。
ほかの同級生たちは「大学卒業!やったー!」って感じで就職に向かって前向きに過ごしているのに、私は体調や病気のことで4月から働けるかも分からない状況がつらくて、孤独感がありました。
卒業のタイミングがあまり自分にとっていい出来事ではなくて、闘病中や検査中に助けてくれた同級生や先生と離れるイベントでもあり、あまり前向きに受け止められませんでした。
岸田 そっか、そういう別れのタイミングもあって気持ちが落ちたんやね。
そこから徐々に気持ちが上がってきたのは休職の話?
市居 はい、3月のギリギリまで悩んで、4月から働くのは厳しいと判断して診断書を書いてもらい、とりあえず1ヶ月単位で診断書を更新しながら休職しました。
岸田 その間に手続きや国家試験の受験があって、行く場所が決まったんやね。
市居 はい、3月末に決まりました。
岸田 卒業のタイミングで決まったんやね。
学校が決まる前から教育委員会の人と話をして、手術日や退院日なども伝えていたから、流れはスムーズにできていました。
市居 最初は休職して、そこから時短勤務を始めて復帰していく予定です。
岸田 時短勤務のプログラムがあって、管理職と相談しながら2週間ほどかけて、1〜2時間の時短から始めて、最終的に半日勤務まで増やす形で進めたんやね。
市居 はい、そこからフルタイム勤務に戻していきました。
岸田 どれくらいの期間で?
市居 時短勤務は2週間だけで、その後すぐフルタイムに出勤し、手術から4ヶ月くらいでフルタイム勤務を始めました。
岸田 体力的には大丈夫やった?
市居 最初は家に帰るとすぐ寝てしまう感じでしたが、徐々に慣れて、今は特に困ることなく働けています。
岸田 よかった。ありがとうございます。
ここまでの壮絶な1年間のお話を聞かせていただきました。これからは各項目についてお話を伺いたいと思います。
甲状腺がん術後の副作用は改善する?声のかすれ回復の実体験
岸田 まずは副作用や後遺症について。今のホルモン剤や首の手術の跡のことなど、困っていることや悩んでいることはありますか?
市居 今は大きな困りごとはなくて、体力があまりないとか疲れやすいのには慣れてきて、うまく付き合えてます。
手術の後遺症で一番つらかったのは声のかすれです。声が小さくなって本当に聞き取りにくい状態が1ヶ月半ほど続き、日常生活に支障が出ていました。手術を知らない人からは「どうしたの?」と心配されるほどでした。
岸田 声は戻ってくるもの?
市居 徐々に戻ってきて、1ヶ月半くらい経った頃に「声が出る!」と感じて、その1週間後には普通の声に戻りました。
岸田 その1〜2ヶ月の間、コミュニケーションが大変だったんやね。
市居 はい、短い単語や3語くらいの短い文章で、敬語も使わず話していました。うなずいたりジェスチャーや指さしも使って、工夫しながら生活していました。
岸田 例えば「ママ、コンビニ行ってきて」みたいな感じ?
市居 そうですね、本当にそんな感じで(笑)。子どもみたいな会話しかできませんでした。
岸田 でもそれを1〜2ヶ月続けて、声のかすれは治ってきたんだね。ありがとうございます。
甲状腺がん治療を支えた医療者たち―看護師の存在が変えた入院生活
岸田 次は病院のことについてお聞きします。医療者との関係性でもいいですし、病院の選び方についてでも構いません。
最初に耳鼻科に行って、そこからがん専門病院を紹介されたと聞きましたが、病院や医療者に対して何か感じたことや気になったことはありましたか?
市居 私は紹介された病院に素直に行きたいと思っていたので、セカンドオピニオンなどは特に求めず、そのまま紹介先で治療を受けることに決めました。
主治医はとても優しい方でしたが、就職の話をするような雰囲気ではなかったので、不安なことは看護師さんに相談し、看護師さんから主治医に伝えてもらう形を取っていました。
看護師さんがいなかったら、あんなに入院生活を充実して過ごせなかったと思うほど、看護師さんの存在が本当に大きかったです。
岸田 ありがとうございます。がんノートを見ている看護師さんや看護学生さんにとっても、とても励みになると思いますし、医師など他の医療者が見ることで、患者さんの背景や気持ちにもっと配慮しなければと気づくきっかけになると思います。ありがとうございました。
甲状腺がん闘病で変化した家族関係 支えと衝突、そして新たな絆の形
岸田 そして、次はご家族のことについてお聞きします。さきほど妹さんやお母さまの話は出ましたが、お父さまのお話はあまり出てこなかったですね(笑)。もちろん全く問題ありません。
ご家族とのコミュニケーションや、ご家族にしてもらって良かったこと、逆に困ったことなど、家族間の様子はいかがでしたか?
市居 母には告知の時や手術の日にも来てもらい、生活面でとても助けてもらいました。正直、体調が辛くて自分でご飯を作るのも大変な状態だったので、入院までの間は気持ち的にもなかなか動けず、おかずを送ってもらうなどサポートしてもらえて、本当にありがたかったです。
ただ、就職の話になると両親と考え方がまったく合わず、そこがとても辛かったです。
岸田 というと、具体的にはご両親は休職のことについてどういう感じだったんでしょうか?
市居 4月から働けるだろう、という感じだったんです。私が最悪のことを考えているのに対して、両親は最良のことを考えていて、そこですごく揉めました。ご両親からすれば心配もあるし、悪いことより良いことを考えたかったのだと思います。でも当時の私は不安で、分からないのにそんなこと言わないでよ、という感じで。結構喧嘩になって、お互いに機嫌が悪くなったこともありました。最終的には特に母が言ってきたので、「もうその話はしないで」ときっぱり伝えました。就職のことは自分のことなので、その話は出さないでほしいと伝えていました。
岸田 そうか、つまり家族間で自分の働き方に関して認識が合わず、話さないことでなんとか乗り切ったということですね。他に家族とのエピソードなどありましたか?
市居 妹とはもともとあまり連絡を取り合わず、子どもの頃は仲も良くなかったのですが、病気をきっかけに「大事な妹だな」と改めて思うようになり、これまでよりももっと大事にしようと考え方や接し方が変わりました。
岸田 なるほど、いい方向に変わったということですね。
市居 はい、妹に関しては本当に良い方向にしか変わっていません。
岸田 それは良かったですね。ありがとうございます。
がん治療について同級生に伝える方法 インスタとnoteを使った段階的な情報開示
岸田 次に学校のことについてお聞きします。大学の卒業などで落ち込むこともあったようですが、学校に関するエピソードはいかがでしょうか?
市居 4年生の最後のほうで、国家試験に関する授業や必修の授業があって、週に1〜2回は学校に行っていました。友達の何人かには検査の段階で伝えた子もいれば、告知されてから伝えた子もいましたが、その他の友達には最初は伝えないつもりでした。
ただ、声のことがあって卒業式や卒業前の集まりの時にどうしても「どうしたの?」と聞かれるだろうと考え、一人ひとりに何度も説明するのは負担だと思ったので、インスタグラムのストーリーを使い、大学の同級生だけ見えるように設定して、「手術を受けて声があまり出ないので、あまりそういうことを聞かないでほしい。普通に接してほしい」と簡単に書き、noteのリンクも貼りました。リンクをたどると病名がわかるようにしていました。友達には知る権利も知らない権利もあるので、伝え方は慎重に選びました。
岸田 インスタで、しかも詳細が知りたい人はnoteに行けるように工夫してたんですね。すごいですね。そこから周りの人たちの接し方は変わりましたか?それとも特に変わらずでしたか?
市居 「大変だったんだね」と言ってくれる子もいれば、何も言わずに普通に接してくれる子もいて、それぞれでした。でも伝えてよかったと思っています。
岸田 そういう伝え方でしっかり周囲に伝わって、理解も得られてよかったですね。ありがとうございます。
甲状腺がん治療後の仕事復帰-孤独感を乗り越えた養護教諭の職場適応体験
岸田 次に仕事のことですが、最初から休職に入ったこと、途中から復職したことなどで困難や大変なことはありましたか?
市居 4月から働けなかったことはやはり辛かったです。同期は皆働き始めていて、教員としても4月からいるので、孤独感がありました。自分で選んだことではありますが、置いていかれているような感覚もありました。
養護教諭は4〜6月が一番忙しく、健康診断があるので無理に4月から働いても持たないだろうと思い、休む決断は正しかったです。管理職も理解ある人で相談しやすく、環境に恵まれているので今は元気に働けています。
岸田 なるほど。その間、保健室の先生は代わりの方が来ていたんですか?
市居 はい、私が休んでいる間は講師の先生が代わりに入ってくださって、私が復帰するときに交代しました。
岸田 そういうことですね。
市居 私は大きな学校に勤めていて、養護教員が2人いるので、途中から入っても一人じゃないのは精神的に助かっています。周りの先生にも教わりながら働けているので安心です。
岸田 一人だったら復職しても右も左もわからない状態からのスタートになるもんね。
市居 本当にそう思います。二人でよかったなと思っています。
岸田 周りの理解もあって復職できたということですね。
30万円の甲状腺がん治療費と偶然加入していた保険の恩恵
岸田 では次に、お金や保険のことについてお聞きします。民間の保険には入っていましたか?
市居 はい、入っていました。でもその保険、最近になってわかったんですけど、医療保険として入っていたわけではなくて、大学生の時に大学の生協を通じて家を借りていたんですね。生協の条件で、家を借りるときに生協の保険に入らなければいけなかったらしくて、家を借りるために入った保険でした。
市居 その保険は本当に全部込み込みで、入院してもお金が出る保険で、入っていること自体も母が忘れているほどのものでした。大学の先生に言われて私が思い出し、母に調べてもらったら偶然入っていて、そのおかげで個室に入院することができました。
岸田 それは大事ですね。プライバシーが守られるのは安心です。治療費はトータルでどのくらいかかりましたか?
市居 個室代も含めて、だいたい30万円くらいかかりました。
岸田 入院中に個室を使って30万円程度かかったということですね。ありがとうございます。まだ働き始める前なので、ご両親が出してくれた感じですか?
市居 はい、そうです。実は来年の3月ごろまで、母が出してくれると言ってくれています。がんになっていなければかからなかったお金なので、がんの治療費は母が出してくれると言ってくれていて、1年間は甘えさせてもらおうと思っています。
岸田 それは存分に甘えていいと思います。ありがとうございます。
甲状腺がん治療中の工夫とセルフケア-好きなものに囲まれる入院生活と無理しない日常
岸田 では次に、工夫していることについてお聞きします。治療中でも今でもいいのですが、何か工夫していることはありますか?市居さんの場合、治療中でも今でもいいので、こういう工夫をしているよ、ということがあれば教えてください。
市居 治療中の話になりますが、入院するときに、たまたま近くに入院経験者の方がいて話を聞く機会がありました。その方が何度も言っていたのが、「入院中は好きなものに囲まれて生活した方がいいよ」ということでした。制限の多い生活は辛いことも多いので、そういう環境づくりが大事だと。私は何を持っていこうかなと考えたときに、ぬいぐるみを持っていこうと思い、2匹持って行きました。本当に持って行ってよかったです。
岸田 そのぬいぐるみがこちらですね。これは何のぬいぐるみでしょうか?
市居 左がダッフィーで、右がリーナ・ベルという名前のディズニーのぬいぐるみです。入院する少し前に家族でディズニーに行ったので、その思い出も込めて、この2匹を選んで持って行きました。
岸田 なるほど、思い出も一緒に持って行ったということですね。
市居 はい、思い出込みで持って行きました。
岸田 持って行って、ぬいぐるみに囲まれて寝たり過ごしたりしたのですね。看護師さんとの話題にもなったのでは?「かわいいぬいぐるみですね」「この子は何ですか?」みたいな感じで。やっぱり好きなものに囲まれるのは大事ですよね。
市居 はい、大事です。
岸田 入院中はずっと一緒にいたんですか?
市居 はい、ずっと一緒にいて毎晩一緒に寝ていました。
岸田 好きなものがそばにあるのは本当に大事ですね。ありがとうございます。では今の日常生活ではどうですか?
市居 日常生活では疲れやすいと感じているので、スケジュールはあまり詰め込みすぎないように気をつけています。本当に「無理しない」というのが手術後のモットーで、疲れたら早めに休むように心がけています。
岸田 無理をしないのは本当に大事ですね。体力が戻るまでは徐々にペースを作っていくのが重要だと思います。ありがとうございます。
甲状腺がん体験者が伝える人生観-今しかできないことを大切にする理由
岸田 それではここから市居さんにメッセージをいただきたいと思います。
市居 私からのメッセージは「今しかできないことを」です。この言葉は私ががんになってからすごく大切にしていることで、明日何が起こるか、自分自身にも周りの人にもわからないからこそ、今しかできないことを全力で楽しみたいと思っています。皆さんも、今しかできないことを大切にして生きていただけたら嬉しいです。
岸田 ありがとうございます。「今しかできないことを」というメッセージをいただきました。市居さん、今のところ「今しかできないこと」をできているという実感はありますか?
市居 結構あります。がんノートのキャラバンに参加するのも、本当に今しかできないと思って申し込みましたし、12月には一人で遠くに出かける計画もしています。常に今しかできないことを探し求めています。
岸田 そうなんですね。しっかり計画を立てて、イベントに参加したり遠くに行ったりしているということですね。ありがとうございます。
皆さんもぜひ「今しかできないこと」をしっかり考えてみるのも良いのではないでしょうか。これで『がんノート』を終了しますが、市居さん、この1時間はいかがでしたか?
市居 あっという間でした。楽しかったです。
岸田 よかったです。皆さんもきっとあっという間に感じられたと思います。また今後もさまざまな方の経験談をお届けしますので、ぜひ覗いてみてください。これにて『がんノートmini』を終了いたします。それでは皆さん、次の動画でお会いしましょう!バイバイ!
※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
*がん経験談動画、及び音声データなどの無断転用、無断使用、商用利用をお断りしております。研究やその他でご利用になりたい場合は、お問い合わせまでご連絡をお願い致します。