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インタビュアー:岸田 / ゲスト:目片

笑顔の理由と、私のすこし前の暮らし

岸田 本日のゲストは目片さんです。よろしくお願いします!まずは簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか。

目片 目片多美子と申します。神奈川県横浜市に住んでおります。出身は滋賀県で、今は専業主婦をしています。

岸田 爽やかな笑顔が印象的なお写真ですが、これはどこで撮られたんですか?

目片 みなとみらいです。

岸田 なるほど。ご趣味が旅行やカフェ巡り、インテリア雑貨巡りということで、いろんなところに行かれるのがお好きなんですね。

目片 そうなんです。旅行が大好きで、もちろん家族とも行きますけれども、子育ても一段落してきたので、今は友人との旅行も本当に増えていますね。

岸田 素敵ですね。特におすすめの場所ってありますか?

目片 私はとにかく海が好きなので、沖縄方面によく行きます。

岸田 やっぱり海!いいですね。私たちも友達同士で旅行すると、北なら北海道、南なら沖縄って感じで極端になっちゃうんですけど(笑)。この前、与論島に行こうと計画して宿まで予約してたんですが、雨季だと気づいてしまって……。以前、宮古島も雨季に行ってずっと雨だったんですよ。だから「また雨だったら嫌だね」って話になって、急遽グアムに変更して、海で泳いできました(笑)。

岸田 そんな海が大好きな目片さんですが、ここからはがんについて伺っていきます。どんながんだったのか、改めて教えていただけますか?

目片 はい。私は「子宮肉腫」という希少がんです。多分聞き慣れない方が多いと思いますが、私自身も最初は全く知らなかったです。10万人に1人か2人といわれるほど珍しいがんで、子宮の筋肉などの組織から発生する肉腫です。

岸田 子宮肉腫……本当に珍しいがんですよね。ステージはどのように伝えられたんでしょうか?

目片 肉腫にステージという概念がどこまであるのか分からないんですが、すでに体のあちこちに転移があったので、分類的にいえば「ステージ4」にあたるのかなと思います。

岸田 なるほど。そして告知された年齢が48歳、現在54歳ということですね。治療法としては薬物療法や放射線、手術、ラジオ波など本当にさまざまな治療を受けてこられたと伺っています。そのあたりのお話も、これからじっくりお聞きしていきたいと思います。

「生きる」をあきらめない—迷いと決断の連続だった私の闘病記

岸田 ではこちら次に、どのような経過をたどってきたのかという「ペイシェントジャーニー」を伺っていきます。感情の浮き沈みや、吹き出しなども交えた形でご覧いただければと思います。

そんな中でですね、こちら、目片さんのペイシェントジャーニー。浮き沈み、さまざまなことがあったかと思うんですが、結構下がっているところが多いように見えます。

目片 こうやって見ると、自分ではあまり沈んで生活していた感覚はなかったんですよ。どちらかというと元気で明るいタイプなんですけど。でもこうして表にして見ると、治療が多い分「良いか悪いか」で言えば悪い出来事が多いのかなと。でもまぁ、こんな感じなので大丈夫です(笑)。

岸田 (笑)そんな中で、いろいろお話を聞いていきたいと思います。まずは仕事や家庭、そして遊びなど、いろんなことが充実していた時期が2018年。この頃は沖縄にも行かれていたとか?

目片 そうです。もう遊びまくってました(笑)。仕事と、週末の遊びと。息子が2人いるんですけど、ちょうど反抗期真っ最中で。それでも4人で楽しく過ごしていて、家庭も仕事もいいバランスが取れていた時期でした。ワンちゃんはまだいませんでしたけどね。

岸田 どんなお仕事をされていたんですか?

目片 公務員関係の仕事でした。ただ少し特殊な職種で……詳しく言うと「え?」って思われるようなところです(笑)。でもすごく楽しかったです。

岸田 なるほど、市役所とかそういう感じではない、と。

目片 そうですね。ちょっと変わったところで働いていました。

岸田 そんなお仕事をされていた中で、ここから下がっていくところに「お腹が痛い」「生死に関わるかも」と書かれています。これは最初どういった経緯だったんでしょう?

目片 本当に軽い気持ちでした。女性ならわかると思うんですけど、生理痛みたいな感じで「ちょっとお腹が痛いな」「でも続くな」くらいで、薬をもらおうと近所の病院に行ったんです。そこで診てもらったのが町の女医さんで、内診した瞬間に「これはちょっと普通じゃないかも」と言われました。

その先生が本当に命の恩人だと思っていて、「すごく珍しい病気の可能性がある」と。「もちろん違うかもしれないけど、もし子宮肉腫だったら生死に関わる。一刻を争う病気だから、今すぐ検査を受けてください」と言われました。

その場で血液検査をしてもらったんですが、結果は良かったんです。でも先生が「血液検査で良くても肉腫は分からないから、絶対に大きな病院に行って」と。結果が良くても行け、と。言われた通り、すぐに大きな病院に行きました。

岸田 先生の見立てがすごいですよね。こんな珍しい病気を、町のクリニックで気づくなんて。

目片 本当にそうなんです。婦人科の先生でも、子宮肉腫の患者さんを診たことがある方は少ないと思うんですけど、よく気づいてくださいました。その前に別の病院に行った時は「更年期ですね」って言われてたんです。でもその女医さんが見つけてくださって、もしその先生に出会ってなかったら、腫瘍がどんどん大きくなって破裂して、生死に関わっていたと思います。本当に感謝しかないです。

岸田 そしてその後、大きな病院に行かれて。そこでがんの確定診断を受けたということですね。

目片 そうです。大きな病院で診てもらって、やはり同じ見立てでした。ただ珍しい病気だから、手術で全摘してみないと正確には分からない、と言われました。でもMRを撮って怪しければすぐに手術をする、という話で。どんどん大きくなる可能性があるから早急に対応する必要がある、と言われました。

岸田 なるほど。そのMRの結果が、分かれ道になるという説明だったんですね。

目片 そうです。なので「まあ大丈夫だろう」と思っていました。だって滅多にない病気だって言われてましたし、私はそれまで入院も手術も出産以外は経験がなくて、健康そのものだったので。だから主人とも「まあないよね」なんて話をしてて。

で、結果を聞きに行く時も一人で行きました。行く朝に主人に「もしものことがあったら宝くじ買いな」って言われたんです(笑)。「そんな珍しい病気に当たるくらいなら、宝くじも当たるよ」って。だから私も「そうだね、じゃあそうするわ」って言って、一人で行きました。

岸田 そして、結果は……「ないと思っていたけれど、やっぱりがんだった」。

目片 そうなんです。その日の帰りはもう、「この世で一番かわいそうなのは私だ」って思ってました。でもそう思いながらも、とりあえず宝くじは買いました(笑)。

岸田 (笑)そのエピソード、最高ですね。

目片 とにかく帰り道で宝くじを買って、そのあと夫に「宝くじ買いました」ってだけLINEしたんです。詳しいことは夜に家で話しましたけど、とにかくまずはその一言だけ送って。それくらいもう頭がいっぱいで。「今、自分はすごくかわいそう」って思ってました。

今から考えれば、もっと大変な思いをされている方はたくさんいるって分かってるんですけど、その時は、告知を受けた直後で気持ちの整理もつかなくて。言われた自分が“本当の自分”じゃなかったらいいのにとか、「目片さん」じゃなくなれば、元の普通の生活に戻れるんじゃないか、とか。告知を受ける前の自分に戻りたい、そんな気持ちが帰り道には渦巻いていました。

岸田 ちなみに……宝くじ、当たりました?

目片 それが、当たんないんですよ!!(笑)あんなにかわいそうな人にも、全然当たりませんでした(笑)。

岸田 そして手術へと進んでいきます。これは子宮の手術、つまり子宮の摘出ということになりますか?

目片 はい。子宮と卵巣、そして周辺の組織も含めて、すべて取りました。肉腫ってどこに飛んでいるか分からないと言われたので、「周りも含めて、ごっそり全部取ります」と説明を受けました。

岸田 そこから少し気持ちが回復していく。薬物療法に移っていかれるんですよね。抗がん剤の治療が始まったと。

目片 はい。私自身、珍しい病気だと告げられた時には「調べなきゃ」と思ったんですけど、やっぱり怖くて。ちょっとだけネットで「子宮肉腫」って検索してみたら、余命の話とか、「予後が悪い」とか、すごくネガティブな情報がたくさん出てきてしまって。それを見てしまってからは、もう何も調べたくなくなってしまいました。

「全部取りました」と言われた時には、「じゃあそれで終わりだ」と信じてたんです。痛みには弱いけど、手術してしまえば終わるんだって。なので、抗がん剤を提案された時は……本当にショックで。まさかそんな治療があるなんて思ってなかったので、信じられませんでした。

私、昭和生まれで、抗がん剤って「髪の毛が抜けて、吐き気が続いて、もう壊れていく」みたいなドラマの中のイメージしかなかったんですよ。だから、その“イメージの中の抗がん剤”を自分がやるなんて、本当に想像もしてなかった。術後は体調も回復してきて、「もうすぐ職場復帰できるかな」と思っていたタイミングだったので、そこで「抗がん剤やります」と言われて、心がついていかなくて。

岸田 実際に治療はどれくらいの期間されたんですか?

目片 4クールでした。8月に始めて、11月まで。私の場合は、大学病院の先生が「うちとしてはやる方針。ただ、病院によってはやらないところもあるから、どうしても嫌なら、他の病院で指導を受けるという選択もある」とまで言ってくださって。

でも……本音を言えば、私はやりたくなかったんです。なによりショックだったのが「また仕事に行けなくなる」ということ。職場復帰するつもりでいたから、治療のためにまた休まないといけないっていうのが、本当に辛くて。

そのとき、直属の上司に相談しました。トップの女性の方だったんですが、その方が「私は病気のことはよく分からないけど、やるかやらないかって言われたら、私だったらやる」と言ってくれて。

その言葉が私の背中を押してくれました。きっとまた職場に迷惑をかけることになる、それが嫌で仕方なかったけど、その言葉で「私、休んでいいんだ」って思えたんです。

そうして私は、抗がん剤治療を選びました。11月まで、しっかり受けました。

岸田 そこから回復して、職場復帰のタイミングですね。

目片 はい、11月が終わって、すぐに戻りました。もう本当に嬉しくて、嬉しくて。髪の毛が全部抜けていたので、ウィッグを被っての復帰でした。上司には伝えていましたけど、周囲の同僚には何も言っていなかったので、そのことに対してはちょっとした緊張感もありました。でも、なんとか復帰できて、みなさんのおかげで楽しく働かせてもらっていました。本当にありがたかったです。

岸田 またお仕事のことについても、後ほど改めて伺いたいと思いますが、ここでまた少し感情のグラフが下がります。転移が見つかったんですね。肺と骨に。骨の方は、どこに転移があったんでしょうか?

目片 骨は2か所で、肩甲骨のあたりと骨盤の中です。そもそも私、最初に「子宮肉腫」と言われた時に、町の女医さんにも大学病院の先生にも「再発したら厳しい」とはっきり言われていたんです。だから「再発しなければ大丈夫かもしれない」と逆に言われていたようなものでもありました。

だから最初の治療後、再発せずに元気に仕事もできて、正直、病気のことを忘れていたくらいで。「もう私は再発しないんじゃないか」「病気は終わったんじゃないか」って思っていたんです。そんな時だったから、「肺と骨に転移しました」と聞かされた時は本当にショックで……。「え、じゃあもう終わりなの?」って、頭の中が真っ白になりました。

診てくださっていたのはすごく大きな病院のベテランの先生で、普段はとても明るくて元気な方なんですけど、その時だけはトーンが全然違って。直接的に「終わりです」とは言われなかったけれど、「ご家族との時間を大切に」と言われて。あぁ、これはそういうことなのかな……と感じてしまったんですよね。

その後、先生が「セカンドオピニオンを受けてみては?」と勧めてくださいました。「うちでも治療はできるけれど、これからの治療は厳しいものになる。違う先生の意見を聞くのも一つの選択だよ」と、とても優しくおっしゃってくださって。それで、セカンドオピニオンを受けることにしました。

岸田 セカンドオピニオンに行かれたんですね。

目片 はい、そして結果的にサードオピニオンまで行きました。

岸田 サードまで行かれたんですね。どちらもかなり大きな決断だと思います。

目片 そうなんです。セカンドは、近くの大きながん専門病院にある「希少がんセンター」でした。そこでは、私のような肉腫の患者さんが多く集まっていて、情報も豊富だと思ったので、ぜひ行きたいと思いました。

ただ、私自身は病気のことを調べるのが怖くて……。代わりに友人たちが本当にたくさん調べてくれたんです。ネットや本、論文まで読んでくれて、「目がしょぼしょぼする〜」なんて言いながら(笑)、一生懸命探してくれて。

その中の一人が、「この先生、あなたと同じ病気の人の症例でよく名前が出てくるの」と言って、ある先生を見つけてきてくれたんです。私は知らない先生でしたが、その方が「一度調べてみて」と言ってくれて。そのおかげで、その先生を訪ねることができ、結果的にその方がサードオピニオンになりました。

でも……そのセカンドとサードで言われたことが、まったく違ったんです。そこが本当に辛かった。どっちが正しいとか、良い悪いとかじゃないんです。ただ、言われた内容があまりに違いすぎた。

セカンドでは、「抗がん剤一択です」と言われました。そして、「正直、効く可能性は高くない」と。「抗がん剤をやっても、もし効かなかった場合は次の薬がありますが……」という話の流れで、緩和ケアの話まで出ました。はっきり「あと6か月くらい」という具体的な数字も聞かされて。

一方でサードの先生はまったく違いました。「治療します。肺も骨もやります。放射線もラジオ波もやって、社会復帰に向けて動きましょう」と言われたんです。「普通の生活に戻れますよ」「また出てきたら、その時にまた取ればいいだけ」と。本当に前向きな言葉で。

岸田 真逆の意見ですね。

目片 はい、全然違いました。セカンドでは「命の残り時間」を感じて、サードでは「これからの生活」を描いてくれる。そんな両極端で、私はどちらを信じたらいいのか分からなくなってしまって……。

しかも、どちらの先生もすぐに動いてくださる方だったんです。セカンドの先生は、抗がん剤の予約までその場で入れてくださって、サードの先生も「放射線治療の予約をすぐ入れよう」と言ってくださった。

「でも、まだ決めてません」と私が言っても、「急ぐから、予約だけは入れておこう。ただ最終的に決めるのは自分だよ」と言ってくれて。

……だから、私はもう本当に混乱してしまいました。どちらの道を選ぶかで、もしかしたら寿命そのものを決めることになるかもしれない、って。怖かったです。

目片 骨は2か所で、肩甲骨のあたりと骨盤の中です。そもそも最初に「子宮肉腫」と言われたときから、町の女医さんにも大学病院の先生にも「再発したら怖い」「再発したら厳しい」とはっきり言われていました。だからこそ、再発しなければ大丈夫だと信じていたんです。

仕事にも復帰して、病気のことを忘れている時期もあったくらいでしたから、もう「再発しないんじゃないか」「病気は終わったんじゃないか」と思っていたんです。そんな矢先に、「肺と骨に転移しています」と告げられて……本当にショックでした。「え、もう終わりなの?」と。

大きな病院のベテランの先生に診ていただいていたのですが、その先生もその時だけはトーンが違って。「ご家族との時間を大切にしてください」と言われたとき、やっぱり“そういうことなんだ”と感じてしまいました。

その後、先生が「セカンドオピニオンを受けてみては」と勧めてくださって。とても優しく、「うちでもできるけれど、再発後の治療は大変だから、他の意見も聞いていいと思う」と。そう言われて、セカンドオピニオンを受けることにしました。

岸田 セカンドオピニオンを受けられて、さらにサードオピニオンも行かれたんですよね。

目片 はい。セカンドは近くの「希少がんセンター」がある大きな病院で、肉腫を専門にされている先生方がいらっしゃったので心強かったです。

でも私は病気のことを自分では調べられなくて……。代わりに友人たちが文献を読んだり、本を探したり、夜通しネットで検索してくれたりして、いろいろ調べてくれたんです。

その中の一人が、「この先生、あなたと同じ病気の症例でよく出てくる」と言って、ある先生を紹介してくれて。それがサードオピニオンの先生でした。

けれども、このセカンドとサードの病院で言われた内容が、本当にまったく違っていたんです。どちらも素晴らしい先生なのですが、内容があまりに正反対で……。

セカンドの先生は「抗がん剤一択」とおっしゃって、「正直、効く可能性は低い」と。余命も「6か月ほど」と伝えられ、緩和ケアの話も出ました。

一方でサードの先生は「治療をします。肺も骨も放射線で治療して、社会復帰を目指しましょう」と。とても前向きで、「また再発したら、その時に取ればいいだけ」と。

岸田 真逆の意見ですよね。

目片 本当にそうなんです。どちらも本気で向き合ってくださっているのが分かる分、どちらを選べばいいか分からなくなってしまって……。どちらの先生もすぐ動いてくださる方で、セカンドの先生は抗がん剤の予約まで入れてくださって、サードの先生は放射線の予約をその場で入れてくださって。

「まだ決めてません」と伝えると、「でも急ぐから、予約だけは入れておきましょう。決めるのはあなたです」と言ってくださって……。

もう本当に、どちらを選ぶかで寿命を自分で決めてしまうかもしれない、と思いました。怖かったです。

岸田 そうですよね。その選択が、まさに命を決める選択ですもんね。

目片 はい。だから本当に悩んで悩んで、あの時期が一番辛かったです。肉体的な辛さよりも精神的な苦しさの方がずっと大きかった。素人だから分からないし、調べれば調べるほど分からなくなるし。悩みすぎて、もうどうしたらいいか分からなくなっていました。

結局、自分が「悔いのない選択をしよう」と決めて、最後にもう一度、セカンドオピニオンの先生のところへ行ったんです。なんと3回目でした。普通ならあり得ないですよね。抗がん剤の予約まで取ってもらっていたのに……。でもどうしてもご挨拶と報告がしたくて。

「申し訳ないのですが、私はサードオピニオンの先生のところで治療を受けることにしました」と伝えに行きました。

そしたら先生がね、最後に立ち上がってこう言ってくださったんです。

「でもね、僕は目片さん、その選択でいいと思うよ」と。

「うちは病院としては抗がん剤を推奨しているけれど、今のあなたの状態を見たら、しばらくは頑張れると思う。再発のリスクはあるけれど、今のあなたならきっと大丈夫。僕個人としては、間違っていない選択だと思うよ」と。

もうその言葉に涙が出ました。本当にいい先生で、あの言葉に救われました。

そして、最終的にサードオピニオンの先生のもとでお世話になることにしました。あの時期が、私にとって本当に一番つらかった時期です。

岸田 治療もそうですけど、「自分の寿命を自分で決める」ような選択って……本当に辛いですよね。

目片 はい……。だって、自分の選択で運命が決まってしまうんです。選択肢が多いほど迷うし、どっちが正しいかも分からない。そんな中で“生きるか死ぬか”を自分で決めるような感覚でした。

岸田 まさにそこですよね、一番の苦しみは。——そして、そこからサードオピニオン先で放射線治療を受けていかれたんですね。

目片 はい。先ほど押さえてくださっていた放射線治療です。右肩甲骨と左恥骨のあたりに照射しました。

岸田 放射線治療はどんな感じでしたか?

目片 思っていたよりも大丈夫でした。想像していたより副作用も少なくて、「あ、これなら私、できる」って思いました。

岸田 そうですか。それはよかったです。ありがとうございます。

目片 でも、それはその時の私にとっては……の話ですけどね(笑)。

岸田 (笑)ありがとうございます。

——皆さん、医療の選択については、必ず主治医や専門の先生とよく相談して決めてくださいね。目片さんも本当に多くの先生と話し合い、納得できる選択をされました。後悔のない決断、それが大事ですよね。

さて、その後は「肺へのラジオ波治療」ですね。ラジオ波ってあまり聞き慣れませんが、どんな治療なんでしょうか?

目片 そうなんです、これがですね。サードオピニオンの先生がいらっしゃる病院が、ものすごく大きなところなんです。今思えば、日本で唯一「肉腫科」として専門科を掲げている病院なんですよ。

で、そこがちょっと不思議なんですけど、自分の病院ですべての治療を完結させるわけではなくて、患者を日本全国の“肉腫に特化した施設”に次々と送るんです。たとえば「肺の治療なら○○病院」「骨なら△△病院」みたいに、それぞれの専門機関に“ピョンッ”と飛ばされていく感じなんですよね(笑)。

岸田 ああ、なるほど。病院の中で全部やるんじゃないんですね。

目片 そうなんです。最初は正直びっくりしました。「え、自分の病院でやらないの?」って。でもその時にすごく支えになったのが、中学高校時代から仲の良い友人で、今は関西で外科医をしている女性の友達なんです。かっこいいでしょ?(笑)

その子に相談したら、「その先生、知ってる!」って。大阪時代に自分もその先生に肉腫の患者さんを紹介してたって言うんです。「すごく信頼できる先生だから大丈夫」と言ってくれて。

それで私もようやく腹をくくれたというか、「じゃあ行こう」と思って、肺の治療に行きました。

岸田 その肺の治療がラジオ波治療、ということですね。

目片 そうなんです。最初は普通に「開胸手術」をする予定だったんですよ。でも行った先の先生が、「ラジオ波っていう方法もあるよ」と言ってくださって。

私はその時、初めて“ラジオ波”という言葉を聞いたんです。「それ、なんですか?」って聞いたら、「切らないで済む治療だよ」と。

でも私、痛みに本当に弱いんです(笑)。だから「切らない」で済むならそれがいい!って思って、「それでお願いします」と言いかけたんですけど……そこから延々とデメリットを聞かされました(笑)。

まず当時は“保険適用外”でした。今は保険が使えるようになっているんですが、当時は自費扱いで。だから治療費が高いのはもちろんなんですけど、問題は“合併症”でした。

ラジオ波は**気胸(肺に穴が空いて空気が漏れる状態)**を起こしやすいんです。しかも、ラジオ波自体が保険外だから、もし気胸になって追加の治療や入院が必要になっても、それすら保険が効かないんですよ。つまり合併症が起きたら、そこから先も全部自費。そうなると、とんでもない金額がかかる可能性があるって言われて……。

岸田 うわぁ、それは怖いですね。

目片 そうなんです。それを一人で聞いてて、「そんなの私、どうやって決めたらいいの?」って混乱してしまって。結局また外科医の友達に電話して、「こんなこと言われたんだけど!」って泣きつきました(笑)。

そのあと、主人にも電話で相談したんです。「もし合併症になって、治療費が高額になったらどうしよう……」って言ったら、主人が「そんなの家売ればいいよ!」って。

岸田 かっこいい(笑)。

目片 ね!(笑) でも“かっこいい”というか、すごく冷静に「お金なんてどうにでもなる。お金のことより、自分が後悔しない選択をしなさい」って言ってくれたんです。うちは別に裕福じゃないんですけどね。でも「命が優先だ」っていう意味で言ってくれた。

その言葉に後押しされて、最終的に私はラジオ波を選びました。痛みに弱い自分にとっても、それが一番納得のいく方法でした。

岸田 今はもう、ラジオ波も保険適用になってますもんね。

目片 はい、そうなんです。当時は大変でしたけど、今は制度が変わっているので、だいぶ受けやすくなっていると思います。

岸田 そしてその後ですね、リンパ節や軟部組織にも転移が見つかったということですが、今度はどのあたりだったんですか?

目片 この脇の下とか、背中のあたりですね。いくつか傷が残っています。リンパのあたりと、背中の下部の方にも転移があって、手術を受けました。

岸田 そうした手術も経て、再びグラフが少し下がっていく。その中には「退職」という出来事も含まれているんですね。

目片 そうですね。文字にするとあっさりして見えますけど、実際は本当に大変でした。この病気って、とにかく“スピード勝負”なんです。主治医の先生も「スピード!スピード!」ってよくおっしゃってて。

何かっていうと、「じゃあ明日検査できる?」「来週じゃ遅い、明日来れないと次の予約取れないよ」とか。治療も「もうすぐ入らないと」みたいに、どんどん予定が決まっていくんですよね。だから、仕事をしながらだと本当に大変でした。職場に「また休ませてください」と言うたびに、申し訳なさでいっぱいで……。

これはもう闘病している方、皆さん共通している悩みだと思います。仕事そのもののストレスじゃなくて、「職場に迷惑をかけてしまう」っていう心の負担が大きくて。しかも治療の予定が急に入ることも多くて、「また?」って感じで。それが続くうちに、自分の中でだんだん限界を感じてしまいました。

それに、これから先も再発や転移が続くかもしれないという不安も出てきて……。私は“抗がん剤で全身を守る”よりも、“局所をどんどん治療していく”方を選んだんですけど、そうするとどうしても治療の回数が増えるんですよね。

だから、これ以上職場に迷惑をかけるのは本当に申し訳ないと思って。結果的に、自分から退職を決めました。

でもそれは、職場から辞めるように言われたとかでは全くなくて。むしろ「そんなの気にしないで」「続けてほしい」と言ってくださっていました。本当にありがたかったです。

ただ、自分の中で「また休ませてください」と言うたびにストレスが募ってしまって……。それが一番辛かったです。だから辞めるという選択をしました。

仕事自体は本当に好きでした。外に出て人と関わるのも好きなので、やっぱり今でも何かしら“自分にできること”を探し続けたいっていう気持ちはずっとありますね。

岸田 そうですよね。「迷惑をかけてしまう」っていう気持ちが、自分自身を一番苦しめるときってありますよね。

目片 そうなんですよね。きっと同じように感じている方、たくさんいらっしゃると思います。

岸田 本当に人それぞれですもんね。働き方も人生観も違うから、どれが正解とか不正解とかではないですよね。

——そして、その後の手術はうまくいったんですか?

ChatGPT:

目片 はい、手術自体はうまくいきました。取り切ったとは言われました。ただ……結局また再発しました。再発や転移を繰り返していて、いろんな病院で手術や治療を受けています。どこの先生も「また出るかもしれないね」とおっしゃるんです。もちろん希望を持たせてくれる言葉もありますが、肉腫という病気の性質上、“取り切ってもまた出る”ことが多いみたいです。何度もそれを経験して、ああ、セカンドオピニオンの先生がおっしゃっていた「全身的な抗がん剤で守る」という考え方も、一理あるんだなと感じました。私は“どんどん局所を叩く”方を選びましたが、結局それは“もぐら叩き”のようなもので、叩いても叩いても新しい場所に出てくる。イタチごっこです。でも、どちらが正しいということではなくて、どの選択にも意味があると思っています。だから、手術はうまくいったけれど再発もしてしまった。うまくいっているようで、でも“完全ではない”という感じです。

岸田 そして、その手術のあとにリンパ節転移や骨転移もあって、右脇のリンパ節や右腸骨に放射線をあてたんですよね。

目片 そうです。骨盤の中に小さな転移がたくさん飛び散っているんだと思います。それが大きくなってくるんでしょうね。よくわからないんですけど、なんかこう、“ポン”と遠くに飛ぶというよりは、似たような場所でまた出てくるんです。

岸田 そこから少し下がっていきますが、お母様とのお別れがあったと。

目片 はい。母は私を20歳か21歳のときに産んでくれて、本当に仲が良かったんです。若いお母さんだったので、親子というより姉妹みたいで、私にとって世界で一番大好きな人でした。そんな母が、スポーツジムに行った二日後に突然「ステージ4の胃がん」と診断されて、6月に病気がわかってそのまま6月に亡くなりました。本当にあっという間で……。私は立ち直れませんでした。

でも、同じ病気の友達がたくさんいて、その中の一人が「お母さんはあなたの悪いところを全部取ってお空に行ったんだよ」って言ってくれたんです。最初は意味がわからなかったけど、その子が言うには「お母さんは元気だったけど、あなたが病気になったでしょ?だから娘を守るために、あなたの悪いところを全部持っていったんだよ」って。

その友達も同じ病気で闘っている人で、ご自身は息子さんを亡くされている方なんです。だからこそ親の気持ちがわかる人で、その言葉が本当に心に響いて。「お母さんの分まで生きなきゃ」「お母さんが全部取ってくれたんだから、あなたが元気でいなきゃダメだよ」って言われて、ああ、そうだなって思いました。そこから、母の死を前向きに受け止められるようになりました。今は「お母さんが見守ってくれているから、何があっても大丈夫」って思えるんです。

岸田 うーん……本当に素敵なお話ですね。

目片 ね、いい話でしょう? 本当にその友達には感謝してます。

岸田 ありがとうございます。そしてまた上がっていくところで、再発して手術を受けた時期ですね。これは骨のほうですか?

目片 そうです。たぶん肩甲骨だったと思います。「肩甲骨を半分取ります」って先生に言われて、意味がわからなかった(笑)。「半分取るってどういうこと?」って感じで。痛いのが本当に嫌だから「無理です!」って言ったんですけど、結局その手術を受けました。

岸田 痛かったでしょうね。

目片 本当に痛かったです。もう痛いのは本当に苦手で(笑)。

岸田 痛かった、手術は痛いですよね。

目片 本当に痛いのは嫌だから、何しろ痛かったですよね。

岸田 そしてその次がこちらになります。次が骨転移、また放射線をしていくと。

目片 そうですね。放射線はでも、私手術が本当に怖くて痛いのが苦手なので、「放射線」と言われると、正直ちょっとホッとするんです。でも放射線もずっと続けると、やっぱり骨髄抑制が出てきたり、気持ち悪さなどの副作用も出てくるんですよね。私の場合、回数もかなり重ねているので、体にも負担がかかってきます。あと、1回の治療期間が長いんです。だいたい1ヶ月。土日はやらないので、1ヶ月ちょっと入院することになります。複数箇所当てる場合は2ヶ月になることもあります。

がんの痛みを和らげるために5回や6回で終わる放射線もあると思うんですけど、肉腫の放射線は本当に長いんです。だから、精神的にも疲れてきます。これだけ入院が続くと、「またこれやるのか」「これやってもまた出るんじゃないか」って気持ちになることもあります。やっぱり、いつまで続くんだろうって思うと、少し心が折れそうになる時期もありました。

岸田 まず放射線をされて、その後も骨転移があって、また放射線をされて……そして次、少し下がっていくんですよね。これは頸椎。

目片 そうです。頸椎に転移してしまって、放射線を当てたんですけど、今までの放射線とは違って顔を完全に固定されるタイプで。固定がすごくきつくて、顔に跡がつくぐらいの締め付けなんです。背中の治療もしていたので、上向きに寝るだけでも痛いのに、さらに固定されるものだから、もう苦しくて。ちょっと軽いパニックみたいになってしまって、それがすごく辛かったです。今までの放射線よりも、本当に嫌でした。回数も多いし、「もうキリがないな」って思って途中でやめようかとも思いましたけど、結局ちゃんとやりました。

岸田 上がっていきますが、ここがボランティア活動ですね。

目片 そうですね、こうやって言うとちょっと綺麗な言葉に聞こえるかもしれないですけど、私が再発した頃に「日本肉腫学会」に入ったんです。そこに「サポートメンバーとして活動させてほしい」とお願いして、ボランティアとして関わらせてもらっています。

再発や治療を繰り返す中で「やっぱり何かしたい」という気持ちはずっとありました。実は一度、再発の合間に仕事が決まったこともあったんです。面接して、採用が決まって、「初出勤の日」も決まっていたのに、その直前に検査結果が悪くなって、治療に入らざるを得なくなった。それでスタートできなかったんです。そういうことが続いて、「仕事は無理かもしれない」と思いました。

でも、それでも「何かしたい」という気持ちはずっと強くて。私、この病気になった当初は本当に絶望的でした。でも、今こうして6年経っても生きていて、治療を続けながらも、普通に生活できている。寝込んでいるわけでもない。だから、今の私を通して「絶望の中にも希望はある」って伝えたいんです。

今、がんを告知されたばかりの人って、きっと数ヶ月先すら想像できないと思うんです。でも、6年経ってもこうやって元気に過ごしている人がいるということを知るだけで、ほんの少しでも希望を持てるかもしれない。それが私にできることだと思っています。

だから、仕事はできなくても、ボランティアとして、こうして発信していく活動をしていきたいと思っています。自分の経験を通して「生きる姿」を伝えていく。それが、今の私にできることです。

岸田 今ね、すごくアクティブに動かれている中で……そんな中、ここに“多発転移で治療予定”と書かれていますね。

目片 そうなんです。もうやる気満々でいます(笑)。ただ、昨日病院で言われたんです。昨日の検査で、肺と脾臓と肋骨、それから骨盤内の4か所に転移が見つかりました。私は痛いのが本当に苦手なので「いやだ〜!」って先生にごねたんですけど、結局、脾臓は全部取る手術をすることになりました。肺も手術して、骨のほうはラジオ波か放射線で治療していく予定です。

先生からは「抗がん剤」という選択肢も出たんですけど、サードオピニオンの先生とも長く話し合って、結果的に今は手術でいくことにしました。脾臓への抗がん剤の効き目があまり期待できないというのもあって。脾臓の血液は肝臓に流れるから、今の状態のままだと肝臓に影響が出る可能性がある。だから、できるだけ早く取ろうという話になりました。私は最後まで抵抗したんですけど(笑)、結局やることに決めました。

岸田 今の治療も、これからも続いていくということですね。目片さん的には、再発しても前ほど大きく落ち込むというよりは、少し気持ちの持ち方が変わってきた感じですか?

目片 そうですね。もうね、再発は“する”んです(笑)。人によりますけど、私はこういう病気だし、再発はつきもの。でも、こんなに再発してるのに、こうやって元気に治療を続けられている。それってすごくありがたいことだなと思います。

岸田 そうですよね。この前もグアム行かれてましたもんね。

岸田 ありがとうございます。がんノートも、そうした“支え合い”の一つになれたらという思いで発信を続けています。
では、ここからお写真を少し見ていきたいと思います。こちらのお写真、これは入院中ですか?

目片 そうですね。これは手術の後だと思います。私、闘病中の写真をほとんど撮っていないんです。今から思えば、撮っておけばよかったなと思います。髪の毛が抜けて帽子をかぶっていた時期もあったけど、当時は「人生から抹消したい」くらいの気持ちで……。だから絶対に何も残さないって決めていたんです。
でも今になって思うと、頑張った自分を記録しておけばよかったなって。これは本当に数少ない入院中の写真です。

岸田 たまたま残っていたんですね。入院中の写真を撮らない方って本当に多いので、これはまさに“奇跡の一枚”ですね。
では、ここから項目ごとに少しずつお話を伺っていきたいと思います。

副作用や脱毛への不安と向き合う──痛みと心のケアのリアルな体験談

岸田 では、まず一つ目の項目として「副作用や後遺症」について伺います。手術や放射線、さまざまな治療を受けられていますが、今はどんな影響がありますか?

目片 今はとにかく背中が痛くてしょうがないです。腕も上がらなかったり、いろいろありますね。ペインクリニックにも通っていますし、同じ病気の友達が“ヘルプマーク”を取ってきてくれたので、電車に乗るときはそれをつけています。抗がん剤治療の通院中は特に体がきつかったので、本当に助かりました。

痛みは常にありますけど、飲み薬でなんとかコントロールしています。やっぱり一番つらかったのは抗がん剤の副作用ですね。気持ち悪さとか、体のだるさとか…。そして何より、脱毛がつらかったです。女性だからということではなくても、やっぱり髪を失うことには抵抗がありました。

抗がん剤を始めて2週間くらいで脱毛が始まるんですが、その前にたまたま参加したウィッグ会社のコミュニティで、同じ経験をされた方々と出会ったんです。皆さんすごく明るくて綺麗な方ばかりで、ウィッグだなんて全然わからないような感じで。私はその時、これから髪が抜けるのが怖くて、泣きながら「なんでこんなことに…」って話してたんですけど、皆さんが笑いながら「そんなの、みんなそうよ!」って言ってくれたんです。

「がんになる予定で生きてる人なんていないし、みんな突然告知されて、気持ちが追いつかないまま治療に入ってる。でもね、髪の毛はまた伸びるから大丈夫」って。そう言われて、すごく救われたんです。

みんなの明るい表情を見て、「あ、私も大丈夫かもしれない」って思えました。そのおかげで、実際に髪が抜けていったときも全然泣かなかったし、悲しみよりも「ああ、これか、みんな言ってた通りだ」って感じで受け止められました。あの話を聞いていなかったら、きっと泣いていたと思います。だからやっぱり、人の体験談って本当に心強いですよね。

岸田 なるほど。脱毛があっても、そこまで落ち込むことはなかったんですね。

目片 そう!なかったんです(笑)。本当にあの時の皆さんの言葉が支えになりました。

希少がんの治療で後悔しないために──病院・医師の選び方とセカンドオピニオンの大切さ

岸田 ありがとうございます。では次の項目にまいります。今度は「病院について」です。先ほど、セカンドオピニオンやサードオピニオンのお話もありましたが、先生とのコミュニケーションや病院全体の印象はいかがですか?

目片 そうですね、私は本当にありがたいことに、どの病院の先生方にもとてもよくしていただきました。先生との関係で嫌な思いをしたことは一度もありません。ただやっぱり、この病気のように珍しいケースになると、“どの病院で治療を受けるか”というのが大きな壁になるのかなと思います。

私の病気は「軟部肉腫」といって、骨肉腫とはまた違うタイプの肉腫なんですが、この軟部肉腫に関しては、本当に診ている先生の数が少ないんです。エビデンスも限られていますし、薬も「これが決定打」というものがまだ少ない。だからこそ、今診てもらっている先生の考え方を大切にしつつも、「他の先生の意見も聞いてみる」ということはすごく大事だと思います。

私はブログでも発信しているんですが、やっぱり一度どこかで調べてみたり、肉腫を多く診ている先生がどこにいるのかを知ってみることが、自分の治療を考える上でものすごく大きな助けになると思うんです。やっぱり“肉腫”というのは本当に特殊な病気なので、いろんな先生の見解を聞いてみる――それが結果的に、納得できる治療につながると思います。

岸田 そうですよね。希少がんだからこそ、そういう難しさもありますよね。

目片 そうなんです。もちろん、「この先生」と決めて信頼して治療を続けるのもすごく良いことです。ただ、「他の方法はないのかな?」と感じたら、いろんな先生に話を聞いてみる。それも立派な“前向きな選択”だと思います。

がんを家族にどう伝えるか──言わない選択とその後の関係性

岸田 ありがとうございます。では次の項目にまいります。今度は「ご家族のこと」についてです。旦那様や息子さん、ご両親などとはどのようにコミュニケーションを取られていたか、お伺いできますか?

目片 そうですね。まず息子たちには、最初の手術のときは正直あまり詳しく話していませんでした。というのも、私自身“手術したら終わる”と思っていたんです。だから深刻に伝えることもなく手術を受けました。

ただ、抗がん剤の治療が始まるときには、さすがに言わないわけにはいかなくて、そのときは夫から息子たちに伝えてもらいました。うちは男の子が2人で、その頃は中学生と高校生。そんなに「お母さん大丈夫?」みたいに涙を流して励ましてくれるわけではなくて(笑)、「頑張ってね〜」みたいな感じで、割とサラッとしていました。でも、入院や通院を繰り返す中で、夫を手伝ってくれたり、家のことを支えてくれたりしていて、それは本当にありがたいなと思っています。

一方で、両親には最初は何も言いませんでした。遠方に住んでいたので、どう伝えるかすごく悩んで、結局「言わない」選択をしたんです。告知の時も、手術の時も、抗がん剤の時も。両親とはすごく仲が良くて、頻繁に電話もしていましたけど、あえて普通に話していました。

夫は「親なんだから言うべきだ」と言ってくれていました。でも最終的には「あなたが決めていい」と背中を押してくれて。私は“元気になってから伝えよう”と決めていました。

それで、抗がん剤が終わって体調も落ち着いた年末に、帰省したときに話しました。普段どおり元気にしていたので、両親もまさかそんなことになっているとは思っていなくて。私がウィッグをかぶっていたのも気づいていなかったんです。だから、実はこれウィッグなんだ、と話したときは本当に驚いていました。

岸田 それはショックだったでしょうね。反応はいかがでしたか?

目片 そうですね……相当ショックを受けていたと思います。ただ、私の前では泣かなかったです。病名を聞いてもピンときていなかったみたいで、「がんじゃないんだよね?」「でも抗がん剤はやったんだよね?」って混乱していました。

たぶん、「知らなかった」ということ自体が一番ショックだったと思います。私も今、親の立場で考えると、もし自分の子どもがそんな大変なことを一人で抱えていたら、やっぱり悲しいですよね。だから、両親の気持ちを思うと複雑です。

でも、当時の私としては、遠くにいる分、心配をかけるだけだと思っていました。知らないほうが両親にとっても穏やかに過ごせるんじゃないかと。だから、言わなかったことを後悔はしていません。でも、きっと両親は「知っておきたかった」と思っていたでしょうね。その気持ちも今ならよくわかります。

仕事を手放すという決断──それでも「社会とつながり続けたい」思い

岸田 ありがとうございます。では次の項目にまいります。お仕事についてお伺いしたいと思います。冒頭でも少しお話がありましたが、公務員として、しかも少し特殊なお仕事をされていたということでしたね。

目片 そうなんです。ちょっと独特な職種の公務員でしたけど、仕事自体は本当に楽しかったです。やりがいもあったし、人との関わりも多かったので、私に合っていたと思います。

ただ、先ほどもお話したように、治療のスケジュールがすごく不規則で、どうしても「またお休みをいただかなきゃいけない」ということが続いてしまって。職場の方はとても理解してくださっていたんですが、私自身がだんだん“申し訳ない”という気持ちのほうが強くなってしまったんです。それで結果的に、退職という選択をしました。

でも、これは私にとって“終わり”ではありません。仕事という形でなくても、自分ができることはまだまだあると思っています。治療を続けながらでも、外の世界と関わって、何かしらの形で社会とつながっていたい。だから、お家の中だけにとどまるつもりはまったくありません。

今後も、自分にできることを見つけて、少しずつでも動いていきたいなと思っています。

治療の合間は“自由時間”──病気のことを考えすぎないための心の工夫

岸田 ありがとうございます。では次の項目、「工夫していること」についてお伺いします。日々意識していること、工夫していることはありますか?

目片 そうですね、やっぱりこれだけ再発や治療を繰り返していると、どうしても気持ちの浮き沈みはあるんですけど、その中でも“経過観察”の期間は、自分にとって「自由時間」だと思うようにしています。2ヶ月に1回くらい検査があるんですけど、先生から「経過観察で大丈夫」と言われたときは、病気のことをなるべく考えないようにしてるんです。もちろん頭の片隅には常にありますよ。でも、それでも“自由時間をもらった”って思うようにしていて。

治療が始まれば嫌でも病気中心の生活になるので、経過観察の間は“何をやりたいか”に集中する。遊びもしますけど、ちゃんと目的意識を持って、自分が次にやりたいことに時間を使うようにしています。

それから、以前は「病気だから先の予定は立てないでおこう」と思っていた時期もありました。治療が入るかもしれないから…と。でも今は、「なったらなった時に考えよう」にしています。先のことを心配しすぎると、毎日が病気中心になっちゃうんですよね。だから、予定は普通に立てる。治療が決まったらその時に調整すればいい。そういう考え方に変えました。

岸田 旅行の予定を立てるときも、そういう工夫をされているとか?

目片 そうなんです。以前は旅行の計画を立てても、「治療が入るかも」と思うと、どうしても躊躇してしまって。でも今は、はじめにルールを決めておくようにしてます。たとえば友達3人で旅行に行くとき、「もし行けなくなったらキャンセル料は自分で払う」って。

これは私が言い出したわけじゃなくて、友達が「誰だって急に行けなくなることあるじゃん」って言ってくれて。病気だけじゃなくて、子どもが熱を出したり、仕事が入ったり、いろんな理由があるから、そこはお互い様にしようって。

だから、もし私が行けなくなっても、他の2人はそのまま行くし、キャンセル料も自分で払う。それを最初に決めておくと、気持ちがすごく楽になるんです。迷惑かけたくないっていうプレッシャーが減るから。

岸田 本当に素敵なご友人ですね。現実的だけど、すごく温かい。

目片 そうなんです。すごくありがたいです。そうやって理解してくれる友達がいるおかげで、私も「病気だから」って諦めずに、いろんなことに一歩踏み出せていると思います。

がん体験談をもっと身近に──書籍・音声で広がるリアルな声と応募案内

岸田 ありがとうございます。そしてここからは、少しインフォメーションをさせていただければと思います。

昨年、がんを経験された皆さんのリアルな声をまとめた本を出版いたしました。とてもライトな読みやすい内容になっていて、いつでも気軽に手に取っていただけるような一冊です。もしよろしければ、ぜひご覧いただけたら嬉しいです。

また、こちらの内容は Audible(オーディブル) をはじめ、各種音声配信サービスでもお聞きいただけるようになっています。通勤中やお休み前など、耳から気軽に触れていただける形になっていますので、ぜひそちらもチェックしてみてください。

そして、ここまでご覧くださった皆さん、本当にありがとうございます。おそらくチャンネル登録してくださっている方も多いと思いますが、もしまだの方は、ぜひ チャンネル登録 をお願いいたします。高評価ボタンやコメントをいただけると、私たちの活動の励みになりますので、ぜひよろしくお願いします。

また、出演いただける方のご応募も、公式ホームページから受け付けております。今回ご登場いただいた目片さんも、実はこの応募フォームからご連絡をいただき、このように配信させていただくことになりました。ぜひ、「自分の経験を誰かの希望につなげたい」と思われた方は、ご応募ください。

ではここから、最後の項目となります。
目片さんから、今見てくださっている方へのメッセージをお願いしたいと思います。

「6年前の私へ」──余命宣告を越えて生きる今、伝えたい希望のかたち

目片 こんな未来もあるんです。私の病気は、告知されたときに本当に絶望的な気持ちになるような病気なんですね。きっと、同じように「もう先が見えない」と感じている方もいらっしゃると思います。私自身もそうでした。1年先なんてとても想像できないし、明日のことさえ怖かった。でも今、私はあれから丸6年経ちました。治療は続いていますが、治療のない時期は旅行にも行くし、ライブにも行くし、友達ともたくさん笑っています。普通に「生きている」んです。

もし6年前の私が、今の私の姿を見ていたら、あのときの絶望は少しは軽くなっていたかもしれません。だから今、同じように不安や恐怖で押しつぶされそうになっている方がいたら、どうか知ってほしい。こうして6年後も元気に過ごしている人が“実際にいる”ということを。

肉腫に限らず、どんな病気でも「未来が見えない」と思う瞬間はあると思います。でも、未来は一つじゃないんです。道は必ずどこかにつながっている。だから、どうか諦めないで。少しでも前を向けるように、私もこれからも発信を続けていきたいと思っています。治療はまだ続くと思いますが、7年後、8年後もこうして「元気にやってます」と言えるように。そうやって誰かの希望の一部になれたら嬉しいです。本当にありがとうございました。

岸田 本当に…目片さん、最初はセカンドオピニオン先で「余命6ヶ月」と言われていたんですよね。

目片 そうなんです。あの時は“あと半年”って。

岸田 でも、そこからもう6年。すごいですよね。

目片 ほんとに(笑)。ありがたいです。

岸田 もちろん痛みや大変なこともあると思いますが、こうして笑顔で話してくださる姿が、きっと多くの方の勇気になると思います。

目片 そうだと嬉しいです。

岸田 本当にありがとうございました。皆さんも、こうして前を向いて生きている方がいるということを、ぜひ心に留めていただけたらと思います。

これにて本日の「がんノート」終了です。目片さん、1時間を超えるお話、本当にありがとうございました。

目片 こちらこそ、素敵な機会をありがとうございました。

岸田 それでは皆さん、次の動画でお会いしましょう。
岸田・目片 ありがとうございました!

 

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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