目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:御園生

【オープニングトーク】

岸田 それでは、がんノートmini、きょう、スタートしていきたいと思います。ゲストは、御園生さんです。よろしくお願いします。

御園生 よろしくお願いします。御園生です。

岸田 御園生さん、よろしくお願いします。御園生さん、今、鼻になんか付いてますけど、それはなんですか。

御園生 これは、酸素を今、鼻から吸ってまして。自宅で酸素吸入してるんですよね。機械から酸素をこうやってやって、鼻で吸うってことやっています。ちょっと今、呼吸の状態が良くなくて。

岸田 先日緊急入院して、そして今、もう退院されて、自宅で療養されてるという、御園生さんに来ていただいております。そんな中、ありがとうございます。

御園生 とんでもないです。よろしくお願いします。

【ゲスト紹介】

岸田 お願いします。それでは、御園生さんの自己紹介を、私のほうがさせてください。

岸田 御園生さんは千葉のご出身で、そして東京のお生まれじゃないや、千葉の出身で、東京の生まれやったら、どっちもってことなってるっていう。すみません。ちょっとレーザーを使おう。というふうな形で。

岸田 航空会社の勤務。格闘技観戦がご趣味ということで、今、肺腺がんのステージⅣで、告知年齢が38歳。そして、今のご年齢が43歳ということで、手術や放射線治療、そして薬物療法などもされていて、治験などもされているという御園生さんになります。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 そんな御園生さんのペイシェントジャーニーをお伺いしておりますので、ペイシェントジャーニー、こちらになります。

岸田 ペイシェントジャーニー、がんになってからの旅路というか、どういうふうな過程をいっていたかっていうふうな、ニコちゃんマークで、テンション上がっている状態、泣いている状態で、ネガティブな状態みたいなところを、こうやらせていただいております。そんな中、少し御園生さんの場合、多く話ししていきたいと思いますので、ポイントポイントに絞ってにはなりますけれども、お付き合いいただければと思っています。

岸田 まず、御園生さんですね。まず最初、影があり、といったところからですね、どんと下がっていきます。それは、肺がん告知を受けてとなりますね。

岸田 そんな中こちら、その次に薬物療法、ジオトリフという薬物療法を行っていって、同じ方を発見していくといったところで、ちょっと気持ちは上向いていくということになっています。御園生さん、このとき、肺の影は何で見つかったんですか。

御園生 会社の健康診断ですね。会社の健康診断で、影があるっていうふうに、なんか紙に書いてあって。でもなんか、肺炎かなんかだろうぐらいにしか思ってなかったんです。

御園生 でも話を聞きにいったら、「これ多分、がんだよ」って言われて。「すぐ受診したほうがいい」と言われて。築地のがんセンター、僕の場合は、に行って、診断を受けたら、がんだよということが確定したということですね。

岸田 がん確定したときっていうのは、やはり、まさか自分が的な感じですか。

御園生 いや、そうですね。全然思っても。体、ピンピンしてたし、誰よりも働いて、元気にやってたんで。なんでそんなことが起きるんだろうって、びっくりしました。

岸田 ですよね。そんな中、そこから薬物療法を行って、同じ方を発見していきます。やっぱ同じ方を発見したっていうのは、これ、どういうふうに知って、どういう気持ちでした?

御園生 がんなって、ステージⅣだって言われて。基本的に根治が望めないって言われたわけですよね。

岸田 え、根治が望めないって最初に言われたら、結構。

御園生 いや、落ちますよね。

岸田 落ちますよ。

御園生 え、じゃあもう何、死ぬしかないの?って思ったわけですよ。勝手に、もちろんあり得ないんだけど、2週間ぐらいで死んじゃうんだと思ったんですよ。

岸田 おー。

御園生 何も書いてないし、そんなことも、もちろん言われてないんだけど、勝手に勘違いして。そうすると落ち込みますよね。

岸田 いや、落ち込めますよ、それは。

御園生 それで落ち込んで、どうしようかなと思うと、いろいろ検索するじゃないですか。

岸田 はい、検索します。僕もしました。

御園生 で、ろくでもないものとか、いろいろ出合ううわけなんですけど。いや、なんかあとは、結構肺がんステージⅣで、もう駄目だみたいな、ネガティブなものとかにいっぱい出会っちゃって。いや、やっぱり駄目なんだ、みたいなふうに思ってたんだけど、その中で、いいものとも出会えて。

御園生 それが、フットサル日本代表の久光重貴さんっていう方がいて。元日本代表だったんですけどね。その人も、同じ肺腺がんだったんですよ。

岸田 あ、同じがん種で。

御園生 で、治療をしながらフットサル続けてて。で、日本一、まだ目指してるって言ってる。それをネットで見つけたときに、お、こんな人がいるんだったら自分もいけるかも、みたいなことで上向きになってたってことですね。

岸田 いや、それは確かに、そういう同じ人がいるっていうのは本当に心強いなということ、確かに思います。そんな折に、こちら。それで同じ方がいるということで、気持ちを新たに、その後こちら。ちょっと下がっていきます。何があったかというと、仕事が不調になっていく。

御園生 いや、そうなんすね。これって。

岸田 あ、ごめんなさい。仕事が不調になっていって、転移をしていって。その後、薬物療法して、また上がっていくわけなんですけれども、それがLAVENDER RINGというものになります。まず仕事不調していって、その後、転移が見つかってくる。これも、なかなか落ち込みますよね。

御園生 そうですね。病気になる直前まで、仕事が無双状態というか、何やってもうまくいくっていう状態だったんですけど。

岸田 えー、そういうのなるんですか。一度でいいから、そういう状態になってみたい。

御園生 でも、病気になったと同時に、いろんなものががたがたと崩れていって。今までうまくいってたものが、全てうまくいかなくなっちゃったんですよ。

御園生 そういうことで、病気とは関係ないんだけど、メンタル的に落ちていって。そこに輪をかけるように、転移が見つかって。気持ちがどんどん落ちていったってことですね。で、続けていたジオトリフも効かなくなって。

岸田 あ、そうなんですか。効きませんってことで書いたんですね。

御園生 効かなくなったから、転移したってことですね。

岸田 そっか、確かに。

御園生 本当は、もうちょっと続くと思い込んでたんですよ。データを見てると、もうちょい続く。平均値というか、中央値を見てると、もうちょい続くだろうと思ってたから。でも、思いどおりにいかなくて。で、シスプラチンとアバスチンっていうのに切り替えたということです。

岸田 で、切り替えてから、その後、LAVENDER RINGという活動。これは、LAVENDER RINGという活動をスタートしたんですか、このときに。

御園生 そうですね。当時はまだLAVENDER RINGって名前は付いていなかったんですけど、実際は。LAVENDER RINGっていうのは、僕が発起人になってやっている活動。がん経験者の方を応援する活動なんですけど、ポスターをプレゼントする企画なんですよね。

御園生 がんになった方が、元気になるように。資生堂の人と組んで、プロのメーキャップアーティストがヘアをセットして、メークをしてくれて。資生堂の広告とか、普段撮ってるプロのカメラマンが写真を撮って、その人だけのポスターをデザインして、プレゼントするって企画をやっていて。

御園生 その他にもいろいろやってるんですけど。そういうことを主にやっているLAVENDER RINGっていう活動を、当時始めて。そこには、一番最初の撮影に、岸田さんにもご登場願って。

岸田 そうですね。

御園生 助けてもらったんですね。懐かしい。

岸田 懐かしい。ちなみに、もうそのLAVENDER RINGさんの活動は、今、本にもなってたりだとかして。

御園生 ありがとうございます。

岸田 こちらに僕も、ここに、あれ、こっちに載らせていただいてたりだとかもしていて。

御園生 そうですね。

岸田 すごい、本当にさまざまな方がこういうふうな感じで写真を、こういう。

岸田 そうですね、写真で。

岸田 こういうふうな形で、いっぱい。見えますかね、こういうプロの方のメークで、プロの方の写真が撮ってというふうな形でありますので。

岸田 もしAmazonや、いろんな蔦屋書店など、いろんな所でもありますので、ぜひお手元に取っていただいたら、すごい、いろんな方が載ってるかと思います。ありがとうございます。

御園生 ありがとうございます。

岸田 そんな中で、このLAVENDER RINGという活動をスタートしていって。

御園生 そうですね。この活動をしたことによって、自分が何か誰かの役に立ててるって感じがして、気持ちが上がっていったということがあります。

岸田 ありがとうございます。ちょっとまた下がっていきます。そこからどうやって上がってきたかというと、下がっていった理由は、どんと。

岸田 母の死、そしてLAVENDER RING DAYというところで少し上がって。そして、ただ、また痛みが走って。その中で、放射線療法をやって、Japan Cancer ForumというJCF、通称JCFという、Japan Cancer Forumというイベントになっていくというところですけれども。やっぱお母さまの死っていうのが、結構どんと来ているんですけれども。

御園生 いや、そうなんですよね。母親、1人暮らしをしていて。その中で、1人暮らししている中での、事故死だったんですけど。

岸田 あ、そうなったんですね。そっか。

御園生 全く病気があったとか、そういうことでもなかったから、びっくりしちゃって。

岸田 そうですよね。

御園生 それはやっぱり、僕の病気と関係ないところで起きて。すごく、それは落ち込む原因でしたよね。そんな中、痛みが今度また出てきて。LAVENDER RING DAYが先か。

岸田 はい。LAVENDER RING DAYをその中で、その心境の中、行って。そして、そのLAVENDER RING、先ほど言った、患者さんのメーキャップや写真を撮っていくというイベント、それを行って。その後、痛みが走っていってっていうところですよね。

御園生 そうですね。痛みってこれ、骨に転移したんですよ。

岸田 うわ、そうなんですね。

御園生 胸骨っていう、この胸の真ん中にある太い骨なんですけど。ここに転移が出てきて。家で腕立て伏せしたんですよ。

岸田 元気。

御園生 腕立てしてたら、あれ、ちょっと今までにない痛みがあるぞって思って。で、調べてもらったら、胸骨の転移だったと。

岸田 そっか。それで放射線治療していったんですか、その骨の痛みに対して。

岸田 そうですね。痛みの緩和っていう目的で放射線治療ですね。

岸田 あ、緩和的な目的での放射線治療だったんですね。

御園生 そうなんですよ。根治を目指す放射線治療ではなくて、痛みを取るよっていうことですね。

岸田 それをして、イベントでちょっとだけ上がっていくということで。

御園生 そうですね。基本的にイベントをやると気持ちが上がるっていうね。

岸田 すげー。さすが。

御園生 仕事柄ですね。

岸田 さすが。そんな中、ここからどんどん小刻みに動いていきます。何があるかっていうと、こちらですね、転移。また転移。うわ。めっちゃ転移するな。そして治験。転移して、治験していって。

岸田 そして副作用があってのまた、LAVENDER RING DAYがあって。そして、下がっていきます。胸水がたまる、というふうな形ですけれども。

岸田 また転移が見つかって。せっかく骨の治療をした、治療っていうか、緩和したにもかかわらず、また転移が見つかって、そして治験していって副作用。ここら辺っていうのは、どんな心境でしたか。

御園生 この転移は、今度、脇に転移したんですよ、脇の下に。リンパ節ですね。風呂に入っているときに、何気なく触ったら、あれ、何かあるっていう。また転移だっていうことですね。

岸田 なんか自分で転移見つけるときって、どうなんですか、心境的に。

御園生 いや、ショックです、めっちゃ。

岸田 ですよね。

御園生 触りたくなかったけど、でも見つからないよりはましだけど、やっぱりショックですよね。何だろう。すごいずっと触っちゃうんですよ。僕の場合は。触ったら変わらないんだけど。

岸田 気になりますもんね。いや、本当に。気になりますよね。そんな転移が見つかって、そこから治験になっていく。そこはもう先生から治験の提案はあったんですか。

御園生 ありましたね。僕の場合は、ジオトリフって一番最初、僕は肺腺がんの中でも、1 EGFR陽性っていうタイプなんですけど。それに効くのは、分子標的薬っていうことで。これは、今はタグリッソっていうのが有名ですけど、当時はまだなくて。で、ジオトリフをやったんですよね。

御園生 ジオトリフに耐性ができると、何らかの原因で、もちろん耐性ができるわけなんですけど、一つの原因として、こういう治験が効くパターンもあるんじゃないかってことで。御園生さんの場合は、この可能性がどうやら高いような気がするという、検査をした結果ですね。

御園生 ということで、試してみたらどうかっていう提案があって。じゃあ、乗ってみましょうということで、やってみた。

岸田 やってみたということで。治験に入るとき、結構それは、御園生さん的にどうなんですか。希望を持ってっていう言葉とか、いろんな考えがあると思うんですけれども、御園生さん的な考えで、治験っていうことは、どういうふうに映ってますか。

御園生 僕の場合は、結構希望を持って臨みましたね。これ、治験、第1層から第3層まである中で、2層の試験だったんですけど。

岸田 あ、そうなんですね。

御園生 1層で、まずある程度、数字が見えてたっていうのと。あとは、これは消去法的な発想ですけど、どんどん治療の選択肢、なくなっていくじゃないですか。

御園生 治療、続ければ続けるほど、耐性ができちゃうから。この後、有効な治療法があんまりないなって思ってたんですよ。ジオトリフやって、シスプラチンやって、放射線やってっていうことでいくと、この後、劇的に効く薬って今のところ存在しないんだよなっていう状態の中で。

御園生 これは、劇的に効くかもしれないと思えたんですよね。そういう意味で、前向きですよね。

岸田 ありがとうございます。その前向きに捉えての治験。その後の副作用も、なかなか大変だったと思いますけれども。そんな中、LAVENDER RING DAYの、2年目ですかね、ことがあって。やはりここで、お祭り男の御園生さんは、テンション、上がっていくというふうな感じです。そんな中、胸水がたまっていく。胸水も結構、きつかったんじゃないですか。

御園生 これは相当きましたね。

岸田 胸水がたまるとどうなるんですか。

御園生 呼吸が苦しいんですよ。胸水がたまるっていうのは、肺がまずあって、その外側に胸膜っていうのがあるんですよ。それの間に水がどんどん、いっぱいたまっていっちゃうよっていうことなんですけど。水が、水位がどんどん上がってくれば上がってくるほど、呼吸ができなくなって、苦しいという。溺れてるような感じです。

岸田 うわ、そっか。めっちゃ分かりやすい。

御園生 ずっと立ち泳ぎで、苦しいみたいな。

岸田 そっか。そんな胸水がたまった中で、どうしていったかというと、御園生さん、こちらになります。また薬物療法をして、治験をしていく。あれ、この治験はどうだったんですか、最初の治験は。

御園生 また違う治験なんですよ。

岸田 あ、そうなんですね。じゃあ、ちょっとこれは胸水がたまっていって、ちょっと効果がないかもしれないということで、薬物療法に切り替えた。

御園生 そうですね。これはそんなに効かないだろうと思って、つなぎ的にやったんですけど。

岸田 そんな中で、また次の治験が始まっていく。

御園生 やっぱりそんなに効かなくて、治験に切り替えたと。これはこれで、ポジティブで。1回目の治験のときには、2回目の治験のこと、薬物のこと、知らなかったんです、まだ。

御園生 まだ開発中だったと、あんまり情報が出てなくて。ネットとかでバーッと調べると、割といいものじゃないかなと思えて。この治験を受ける前に、情報はもう見つけてたんですよね、既に。

岸田 どうやって見つけたんですか。

御園生 これね、日々検索してるんですよ、僕。新しい治療について。

岸田 すげー。

御園生 どこの製薬会社が、どういうパイプラインを持ってるかっていうのは、ネットに普通に載ってるから。それをずっとウオッチしてて。

岸田 へー、さすが。できる人、違うな。

御園生 やめてください、そういうの。やめてください。

岸田 そういうのいらない。ごめんなさい。そして、治験を検索して、知ってたと。

御園生 知ってたと。それで、なんでこれは可能性あるんじゃないかと思って、前向きに受け取っています。

岸田 え、じゃあ自分から提案したってこと? 先生に。

御園生 どうだったかな。もともとは、違う治験の提案があったんですよ。それは、遺伝子検査で遺伝子の異常が出てるものがあって。それに対する治験がたまたまあったんですよね。

御園生 でもそれはあんまり効かないんじゃないかっていう、病院側の見立てがあって。そこで会話してる中で、いや、そういえば、これ、ないっすかっていう、僕が知っていたやつ。まあ、あるねみたいなことで。それでやってみようかってことになった。

岸田 すげー。それで提案が通るっていうのは、すごい、いい病院ですねって言うと、あれやな。いい先生だったりとか、そういう理解があるってことですね。

御園生 親身になってくださって、とても良かったですね。

岸田 すごい。それ自分で提案して、治験される人っていうのは、すごいな。

御園生 呼び水あったと思うんですよね。他にもあるんだよって話が向こうからあって。

岸田 いろんなそういうのあってっていう中での、ちゃんと情報提供あってっていうことでした。で、それをやってみようということになったんですかね。そして、ここから治験の後ですね。治験の後、脱毛していくということで。脱毛が始まったんですね、このときに。

御園生 そうなんですよね。初めて、治療してて初めて脱毛しましたね。

岸田 そっか、ここまでは脱毛ないのか。

御園生 ないんですよ、意外に。「抜けるよ」って言われてたから、まあ覚悟はできたんですけど。そんなに言われてたから、そんなに大きなショックではないものの、やっぱり抜けると抜けるで、結構、少し気持ちは落ちましたね。

岸田 ありがとうございます。そんな中、また下がっていって。そこから今まで、ちょっとダイジェストに振り返っていくと。また胸水がたまっていって。そして、薬物療法、また行い、LAVENDER RING、次、ONLINEが始まっていき、そして転移があって、薬物療法、胸水がたまって、薬物療法という形で、もう本当にどとうの。だって、これ、2020年からでしょ、これ。

御園生 そうなんですよ。

岸田 え、もう怒涛過ぎて、ちょっとあれですけど。

御園生 この1年、やばいですね、結構。

岸田 自分で言っちゃう。自分で。

御園生 自分でも、もうこれ、結構、限界じゃないかなって思うときは何回かあったけど。限界だっていうときに、たまたまキッシーに連絡したりとかして、応援してもらったりもしたけど。

岸田 いえいえ。

御園生 やっぱり胸水は結構、焦るんですよ。

岸田 胸水は焦る。それはなぜ。

御園生 やっぱり、胸水で検索すると、結構もう終わりが間近みたいな感じのものがいっぱい出てきちゃうんですよね。だから、すごい恐怖があったんですけど。でも、結果としては今んところ大丈夫だし。なんですけどね。でも、いざ苦しくなってくると、苦しくなるとメンタルも落ちるから。

岸田 いや、分かる。本当に。

御園生 そうすると、まあ大丈夫っしょって今まで思えてたやつが、思えなくなってくるんですよね。

岸田 ですよね。いや、分かるわ。

御園生 しかも何度となくっていう。2回目の治験の後の胸水、たまったやつは、これまたちょっと、前回と違って。

岸田 2回目の治験の、ここですね。

御園生 これ、左の肺だったんですけどね。左の肺が、胸水がたまったことによって、ちっちゃくなっちゃったんですよ。

御園生 肺自体が。

岸田 肺がね。

御園生 それで戻んなくなっちゃったんです。本来は、水を抜けば肺のサイズ、元に戻るんですよ、本来というか。でも、水を、ドレーンを付けて抜いたりとかするわけなんですけど、でもこのとき、なんかどうだったかな、5リットルぐらいの水がたまってたんですかね。

岸田 えー。

御園生 それを抜けばスペースが空くので、そこに肺が戻ろうとするわけですけど。戻んなくなっちゃったんです。

岸田 えー。

御園生 戻んなくなっちゃうと、どうなるんだって、やっぱり不安になりますよね。

岸田 なる。

御園生 もちろん肺がちっちゃくなれば、呼吸能力も落ちるし、苦しいわけですけどね。だから、それで戻んないってことで、また焦るという。

岸田 あ、それもあって、今、鼻のやつ、やってるんですか。それとまた別?

御園生 これ、また別なんですよ。今度、右側に胸水がたまって。

岸田 次、こっちの胸水。

御園生 はい。それで左の機能が落ちている上に、右も胸水になっちゃったから、どこで酸素、吸えばいいんだっけ、みたいなことになって、それで今、これ、付けてるということです。

岸田 そうなんですね。そっか。ありがとうございます。この中で、薬物療法をそれぞれやっていくっていったときには、治験の場合は、治験の後、それが胸水たまって、治験は中止して、薬物療法に変わってって感じですか、イメージとしては。

御園生 そうですね。そこが、このドセタキセル、ラムシルマブっていうのが、これはこれで標準的な治療で、割と効果があるので。これはこれで、最後の切り札的にというか、これは全うに効く。全うって言ったらあれなんですけど、そこそこの期間、効くだろうっていうのが見込めていて、やったんですけどね。ただ、それもそんなに長く効かなかったということですね。

岸田 その中、LAVENDER RINGのオンラインで。逆にオンラインでやることで、お祭り男の御園生さん的にも、体の負担も少なくできたということですよね。

御園生 そうなんです。家から参加ということで、めっちゃ良かったです。

岸田 めっちゃ良かった。

御園生 逆に、家から参加じゃなかったら、参加できなかったですね。体調的に。

岸田 逆にオンラインでなって良かった部分というのも、こういったところにあるのかなっていうのはありますね。

御園生 はい。ラッキーですね。

岸田 そして、転移、こっちの転移がまた見つかって。この転移はどこですか。

御園生 これは、腹膜に転移をして。腹膜が、おなかの内蔵とか守っている。これまた風船状の膜ですよね。

岸田 そこに転移して、次また、薬物療法を行っていきます。ただ、その薬物療法もあまり効かなかったんですかね。次、胸水と腹水に水がたまるということで。胸水、水がたまるって、同じこと言ってたね。胸水、腹水がたまると。

御園生 全身、水だらけというか。

岸田 そっか、そうですよね。やっぱ胸水も先ほど、大変っていろいろ聞きましたけど、腹水も結構きついですか。

御園生 いや、腹水結構きつくて、僕の場合は。おなかが張って苦しくて、食べれないんですよね、ご飯が。

岸田 食べれないの、きついな。

御園生 日に日に食べれる量が減っていくんですよ。食べれないと、やっぱり元気も出ないし、栄養状態もどんどん悪くなっていくから、いろんな数値が悪くなっていくんですよね。そうすると負の循環というか、どんどん焦りも出てくるし。

岸田 ですよね。で、今、TS-1というお薬をされているというところになるかと思います。そんな中、御園生さんの、ちょっとだけ、こちらもお伺いしていきます。

【お金・活用した制度】

岸田 御園生さんの活用した制度であったりとか、お金といったところでは、障害年金を活用されていて、高額療養費制度、あと民間の保険なども活用されているということになります。

【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 その御園生さんの大変だったこと、それを乗り越えた方法としては、やっぱり治らないと最初にありましたよね。言われたこと。そして、死と向き合わなければいけない現実。これが、大変だったといったところ。

岸田 乗り越えた方法としては、病気になる前と考え方を変えた。仕事中心から、家族中心ということを書いてくださってますけれども、これに関してどのようなことでしょうか、御園生さん。

御園生 やっぱり一番最初から、根治できないよって言われて。死ぬっていうことを意識せざるを得なかったですよね。ていったときに、じゃあ、残りの人生、やっぱり有意義にしたいなと思ったわけですよ。じゃあ、自分にとっての有意義って何かなって、初めてそこで真剣に考え始めて。

御園生 それが今までは、ずっと仕事中心に生きてきて。もう一つは、かなり自己中心的な発想で生きてきたんですけど。じゃあ、これをそのまま、残りの人生続けていくことが、本当に自分にとって幸せなのかなって考えたときに、真剣に考えたら、違うなって思ったんですよね。

御園生 だったらどうしたらいいかなって考えたときに、やっぱり一つは、自分の満足をもちろん求めるんですけど、人に何か貢献できることないかなって思って。それが、自分の満足につながるんじゃないかなと思ったんですよね。

岸田 それがLAVENDER RINGっていう活動にもつながっていくってことなんですね。

御園生 まさにそういうことなんですよ。がんになった人が困っているんであれば、その人を応援するということが、自分なりの方法で、できるんじゃないかなと思って。

御園生 自分なりの方法っていうのは、さっき言ったよう写真の企画だったりとか。ああいう、普段広告の仕事をやってるからこそ、発想しやすいような企画ってことになっていったわけなんですけど。そういうことで、自分なりに誰かの役に立ちたいと。それによって自分が満足するということですね。

岸田 すごい。

御園生 もう一つは。

岸田 もう一つあるんかい。

御園生 仕事中心から家族中心っていう。もうずっと仕事ばっかりしてたわけですよ。

岸田 まあ、そうですよね。

御園生 けど、それで終わっていいのかっていうと、いやいやと。やっぱり家族と一緒にいたいなと思って。できる限り、家族の時間を少しずつ増やしているということですね。

【がんの経験から学んだこと】

岸田 仕事中心から家族中心ということですね。ありがとうございます。そんな御園生さんの、今、がんの経験から学んだことはこちらになります。自分の人生で大事なこと、そして価値観という言葉をいただいております。御園生さん、この意図はいかがでしょうか。

御園生 やっぱり自分の人生、生きるってことと死ぬことってことと、向き合ったことによって初めて、自分にとって一番大事なことって何なんだろうって、初めて学べたんですよね。

御園生 それは僕にとっては、自分だけのことを考えるんじゃなくて、誰かの幸せと、自分の幸せの、その交点を見つけていくことっていうことだったんですよ。そういうふうに価値観が変わっていきましたね。がんの経験から学べたこととしては、その価値観のシフトということです。

岸田 価値観のシフト。やっぱり自分の何が大切なのかっていうのを、すごく考えますもんね、自分の中でね。

御園生 そうですね。やっぱり、がんと向き合わなきゃいけないっていうことでいくと、何かしら自分を保つ必要もあって、気持ち的。ていったときにやっぱり、どう生きるか、どういう価値観で生きていくかってことは、すごく僕にとっては生きたんですよ。

岸田 今、一瞬一瞬が大事なんだなっていうことを本当に痛感しましたね。

御園生 ね。一瞬一瞬、本当に大事だと思いますよ。がんになる前は本当にもう漫然と生きていたというか。目の前にある仕事をさばくことで、時間を使ってたんだけど。

御園生 でもそうじゃなくて、やっぱり朝、起きて、きょうの一日を大事にするぞっていうふうな気持ちがすごく強いし。そうするとやっぱり、何ていうんでしょう、一日の密度が変わってきますよね。

岸田 おっしゃるとおり。

御園生 密度が変わると、ちょっとしたことでも幸せだって感じれるようになるし。それは、もしかしたら僕は、人よりも残りの人生、短いかもしれないけど、もしかしたら幸せだという感じる量は多いかもしれないなと思えるし。

岸田 やば。名言過ぎてやばい。

御園生 そんな名言じゃないでしょ。

岸田 え、いやいや。ほんまに、めちゃくちゃ、めっちゃぐさっとくるな。

御園生 だからやっぱり大事にしたい。時間を大事にして、生きたいなと思いますよね。

岸田 ありがとうございます。本当に価値観、そういったところを御園生さんは変わって、そして今を生きられているということですね。

御園生 はい。

岸田 ありがとうございます。そういった形で、きょう御園生さんの、がんノートmini、以上にしたいと思います。御園生さん、本当にお時間いただきまして、ありがとうございました。

御園生 こちらこそ、ありがとうございました。

岸田 またよろしくお願いします。ありがとうございます。

御園生 ありがとうございました。

岸田 バイバイ。

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