性別 | 男性 |
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がん種 | 肺がん |
治療方法 | 手術, 抗がん剤 |
ステージ | 4 |
罹患年齢 | 30代 |
目次
- 【オープニングトーク】テキスト / 動画
- 【ゲスト紹介】テキスト / 動画
- 【 ペイシェントジャーニー】テキスト / 動画
- 【大変だったこと→工夫したこと】テキスト / 動画
- 【 がんの経験から学んだこと】テキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:清水
【オープニングトーク】
岸田 それでは、がんノートmini、スタートしていきたいと思います。きょうのゲストは、肺がん経験者の清水さんです。よろしくお願いします。
清水 よろしくお願いします。
岸田 よろしくお願いします。清水さん、後ろにサッカーボール出てますけど。後ろに結構、キャンサーペアレンツさんだったりとか、がんノート、いろんなものを入れていただいて、ありがとうございます。
清水 いえいえ。
岸田 サッカー好きなんですか。
清水 小学校からずっとサッカーしてますね。
岸田 ずっとサッカーしている。まさに、サッカー少年のような清水さん。どんなやねんっていう。
清水 おっさんや。
岸田 おっさん。少年。
清水 少年ではない。
【ゲスト紹介】
岸田 そんな清水さんの、ちょっとだけ紹介をさせていただければと思います。清水さん、今、滋賀ですね、滋賀にお住まい、滋賀出身ということで、フリーランスのお仕事をされています。そして、先ほど言った、サッカーとかDIYがご趣味だったりして、肺がんのがんに、今、罹患されています。
岸田 今、ステージは4ということで、そこのお話を聞いていきたいと思いますし、告知年齢が35歳のとき、そして今の年齢が39歳。治療方法としては、手術と薬物療法。そして、今、治験中ということで、そういったところも、もろもろ含めて、本当に多くいろいろあると思うんですけれども、清水さんのお話を聞いていきたいと思っております。よろしくお願いします、清水さん。
清水 よろしくお願いします。
【 ペイシェントジャーニー】
岸田 では、清水さんの、早速なんですけれども、どんな感情の起伏だったりとか、今までどういうふうに流れてきたのかというところを、ペイシェントジャーニーを使って、お話を聞いていきたいと思っています。
岸田 こういう形ですね。清水さんのペイシェントジャーニーというところで、清水さん、まずこちら、次男が誕生ということで、清水さん大丈夫ですか。次男の誕生、10段階中5ですけれども、大丈夫ですかね。
清水 10でもいいかもしれないですね。
岸田 10でもいい。
清水 取りあえず、5にしときます。
岸田 いったんね。一番最初だからね。
清水 はい。
岸田 全然もう、10以上だと思いますけれども、いったん他のとの兼ね合いで5にしていただいてるということを思っています。ありがとうございます。次男のご誕生があり、そして、健康診断を受け、下がっていきます。そんな中、精密検査。そして、肺がんの告知まで続いていくんですけれども、どのようにがんが分かって、どのように告知されていったんですか、清水さん。
清水 会社の健康診断を1年に一度、受けてたんですけども、その健康診断で影が見つかって。じゃあ、精密検査を受けましょうっていうことで、病院に行って精密検査を受けたと。で、縦隔っていわれる肺と肺の真ん中の所に、どうも腫瘍があるぞというところで検査を受けていったという形ですね。
岸田 その検査を受けていって、肺がんの告知までにはどのように先生に伝えられたんですか。最初は精密検査して、なんかあるぞみたいな形でやってたと思うんですけれども。
清水 精密検査、CT受けて、生検っていわれる、針でぷしゅっと刺して、細胞を取って。細胞を見たら、これはがんだというところで告知を受けたという感じですね。
岸田 告知、受けたとき、どうでした? 結構、ショックだったのか。それとも、何かあるぞっていうのが分かったっていう安心感なのか。今のペイシェントジャーニー、一番下がってたので、ショックだったとは思うんですけれども、そのときのお気持ちどうでしたか。
清水 もう4年ほど前のことなんですけど、当時はもう青天のへきれきというか、頭、真っ白になって。正直、診察室の前で泣いたりもしましたし、かなりショックを受けた状態でしたね、そのときは。
岸田 ショックを受けた。そんな中で、ちょっとだけ上がっていきます。何があったかというと、セカンドオピニオン行脚。セカンドオピニオン行脚をしていったということなんですね。
清水 そうですね。一番初め、ステージ3Bの告知を受けて、治療をどうしていくかっていったところで、いろんな手術であったり、化学療法であったり、放射線治療って、どういう治療がいいのかなっていうので、セカンドオピニオン、いろいろ受けて、自分の今後の治療の方針をどういうふうにするかっていうのを考えてた時期ですね、そのとき。
岸田 いろんな方針を。このときは、セカンドオピニオン、どうやって決めたんですか、清水さんは。
清水 それは、いろんな所を探して、紹介状を書いてもらって、いろんな病院の先生の所に行ったような形ですね。
岸田 どれぐらい行ったんですか、行脚って書くのは。
清水 6カ所ぐらい行ったんじゃないかな。
岸田 その中から、いい病院を見つけて治療していくといった形ですかね。
清水 そうですね。セカンドオピニオンで治療を考えてるところで、手術をしようというふうになってたんですけど、これ、ステージ4というふうになったのは、その手術を受ける前に、がん性心膜炎っていう、心膜に浸潤してしまって、緊急入院することになったんですよ。そこでステージ4に変わってしまったという経緯があります。
岸田 そうだったんですね。そこから、ステージ4の宣告もあったということなんですけれども。ステージ4っていうと、イメージとしたら、結構やばめというふうな感じで思っちゃうかと思うんですが、当時の心境、いかがでしたでしょうか。
清水 がん性心膜炎っていうのが、かなり予後が悪い状況だっていうのを知ったんで、今までの経験の中でも、転移したときっていうのは、一番、気持ち的にも落ちたところですね。
岸田 心膜炎って心膜に転移する。心臓にがんがっていうふうなところって、なかなか聞かないと思うんですけど、やっぱきつかったですか。
清水 そうですね。心臓の周りの水の所にがんがいるんで、水がたまって、どんどん心臓が圧迫されて呼吸がしにくくなるんで、かなりしんどい状況でしたね。
岸田 そんな中、この治療を。ステージ4から、ただ上がっていきます。何か上がっていく前に、ブログを開始されたということですね。その中で、上がっていて。自由診療、何か望みをって書いてるんですけども、これはどういうことですか。
清水 その当時、標準治療が受けられない体の状況だったっていうのもあって、何か生きる望みをっていうことで、いろいろ探して、自由診療を受けてたときもありましたね。
岸田 何か探しちゃいますよね。標準療法は、もちろん推奨したいんですけれども、やっぱり治療法がないってことだったんですかね、当時。
清水 そうですね。受け入れる体の状況でもなかったっていうのもありますね。
岸田 そういったところ、そんな中で手術していきます。手術していく、これ、どういうことですか。
清水 ここは、そこからだんだん体が回復してきて、もともと手術する予定だったので、体が回復してきたから、じゃあもう一度、手術にトライしようというところで、開胸手術をそこで行いました。
岸田 開胸手術をしていったと。じゃあ、手術できる、手術をしていって、そしてまた下がっていくんですよね。緊急入院、これどういうことでしょう。
清水 手術でがんが全部、取り除けてなくて、結局、残っている状態もあり、心タンポナーデっていう、がん性心膜炎が、またそこの緊急入院のときに起きて、またここで治療をしたというところで緊急入院してますね。
岸田 心タンポナーゼ。
清水 心タンポナーデ。
岸田 それが心臓の所に転移してるやつの、さっきの言った、胸水がたまる。
清水 そうですね。心嚢水ですね。心嚢水がたまって、水がいっぱいになるような状態です。
岸田 またなってしまって入院していったと。そして、ちょっと上がっていきます。臨床試験、遺伝子パネル検査。これはどういうものでしょう。
清水 これは当時、近大クリニカルシーケンスって呼ばれる、近畿大学病院がやってる臨床試験で、遺伝子パネル検査を行っているっていうのを知ったんで、パネル検査をして、自分、何か、遺伝子の異常がないかなというのを探しに行ったところですね。
岸田 探しに行って、それを行った。そして、そこから検査して、だんと下がってるんですけど。大丈夫なのかな。緊急にまた、心タンポナーデ。
清水 またそこで心タンポナーデが起こって、緊急入院したということです。
岸田 そうだったんですね。なかなか結構、緊急入院をされていて。ただ、その次に、HER2が判明したと。これはどういうことでしょう。この遺伝子パネル検査で分かったってことですか。
清水 そうですね。ここは、その遺伝子パネル検査の結果で、遺伝子のHER2陽性っていうのが分かったところですね。
岸田 分かって、そして上がっていきます。肺がん学会の参加。これはどういうことでしょう。
清水 これは、その当時、横浜で行われた肺がん学会に参加して、標準治療のことをよく知ってなかったっていうのもあるんですけども、がん治療のことをもっとちゃんと知りたいなというのもあって、学会に参加して、いろいろと情報を仕入れに行ったところですね。
岸田 結構、そこは転機だったんですよね、清水さんの。
清水 そうですね。その当時まで、標準治療のことをちゃんと理解してなかったというのもあって、自由診療とかも受けたりしてしまってたんですけども、そこでようやくちゃんと理解が深まったのかなというところがありますね。
岸田 結構そこから、自由診療じゃなくて、しっかり標準療法っていったところが大事になってくるっていうのを、ちゃんとそこで学んだって感じですか。
清水 そうですね。そこでようやくちゃんと分かったというところかな。
岸田 そこからは、もう自由診療せず、標準療法していったって感じなんですか。
清水 そうですね。
岸田 いろんなものを探して、確かにやっていこうっていうのは分かるんですけれども。例えば、清水さん、そのときやってた自由診療って何だったんですか。
清水 その当時は、樹状細胞療法。免疫細胞療法とかっていわれるやつですよね。
岸田 そういうのをやって。やってみてどうでした?
清水 どうなんでしょうね。分からないです。心タンポナーデとか、緊急入院とかしてたんで。
岸田 いいか悪いか。
清水 分かんないですね。
岸田 分かんないっていう形ですね。ありがとうございます。そんな中、肺がん学会に参加して。HER2陽性が分かったじゃないですか。そしたら、治療法が出てきたってことですかね。
清水 でも、そのときにはHER2と分かってても、標準治療とか保険適用した治療っていうのは、肺がんでおいて、HER2の治療っていうのはなかったんですね。
岸田 そうなんですね。ありがとうございます。そして、学会に参加したけど下がっていく、なぜか。入院、これもタンポナーデ?
清水 これはそうですね。心タンポナーデで入院してますね。
岸田 結構、苦しめられてますね、本当ね。
清水 そうですね。ここはもうかなり苦しめられてますね、ずっと。
岸田 ありがとうございます。そんな中、ただそこからは上がっていきます。なぜかというと、抗がん剤治療、カルボプラチン、アリムタ。抗がん剤治療をここでもしていくと。抗がん剤治療していくわけになるんですか。
清水 ここからようやく標準治療として抗がん剤を投与して、治療していってるんですけども。そこからようやく、体がちょっと持ちこたえていくような感じですね。
岸田 結構、副作用とか大丈夫ですか。
清水 副作用、吐き気とか倦怠感とか、ありましたけど。でも、思ってた以上に大丈夫だったというか、我慢できましたね。
岸田 思ってた以上。こっちのタンポナーデさんよりは、全然それと比べたらって感じですか。
清水 そうですね。そのときの苦しさに比べたら全然、大丈夫ですね。
岸田 そこから、清水さんは考えていきます。声の障害マーク発案だったりだとか、HER HER結成だったりだとか、キャンサーの名刺ということで。
岸田 これ、それぞれ、これだけだとちょっと分からないので、お話しいただきたいんですけど。まず、声の障害マークっていうのは、今、やっぱり清水さん、声がちょっと枯れたような感じで聞こえるのは、その声の障害があるっていうことなんでしょうか。
清水 手術で腫瘍を取り除くときに、左側反回神経っていう、声帯をつかさどる神経も一緒に切ったんですね。なんで、その神経を切ったので、声にちょっと障害があって出て、声がかすかすした感じが今も残ってるんですよ。声にちょっと障害が出たから、何か声の障害が起きてて。
清水 なかなか人に、見た目で声が出ないって分かりにくいじゃないですか。そういったときに、何か人に伝えるために、自分は声の障害を持っているよというのを、マークを作って提案しようかっていうので作ったのが、その声の障害のマークですね。
岸田 清水さんがご自身で。前職でもいろいろ、デザインというか、作られたりするということもあって。今、あったりとかします?
清水 こんなんとか、いろいろマークをいろいろ考えてみて、作ったりしています。
岸田 ありがとうございます。そして、患者会、HER HER結成ということありますけど。HER HERと、こういって、またホームページのサイトも見ていただきたいと思うんですけれども、このHER2陽性の肺がん患者さんの患者会を結成したということですね。これはどういうことをされていますか、活動としては。
清水 これは当時、HER2って自分が分かったときに、同じ病気というか、同じ遺伝子の異常を持った人いないかなって探してっても、なかなか見つからなかったんですね。見つからないから、自分でも患者会を立ち上げて、集まれる場というか、同じ病気の人たちの仲間をつくりたいなと思って、まずは結成しました。
清水 今は、HER2の治療に関しての情報で、臨床試験の情報とか、国内外でどういうふうな臨床試験の結果が出ているよとかっていう、そういう情報共有みたいなのをメインにしてますね。
岸田 ありがとうございます。そして、キャンサー名刺。キャンサー名刺って、あまり聞き慣れない言葉なんですけど、どういったものなんでしょう。
清水 キャンサー名刺は、学会とかセミナーとか、いろいろ行ったときに、仕事の名刺を渡すのもなんか変だなというのもあって、自分自身の名刺で、がん患者としての名刺があったらいいなと思って。名刺を渡したら、話しするきっかけになるんちゃうかなというのもあって、キャンサー名刺っていうのを作ってみたんです。
岸田 ありがとうございます。そういったものを、すごくもう清水さん、積極的で、全て自分で作られるというのはすごいなと思うんですけれども。そんな中、とんと退職とありますけど、お仕事を退職していくんですかね。
清水 そうですね。がんの告知、受けた後から、もうすぐに休職して、治療に専念してたんですね。1年半たって、傷病手当金が切れるというところのタイミングもあったんで、今後、治療もあるし、副作用の出方とか、今の状況を踏まえると、なかなか仕事をやっていくのがつらいなというのもあって、いろいろ会社とずっと話ししてたんですけども、いったん退職して、治療に専念するという決断になりました。
岸田 治療に専念するということで、これ、さっきの青とか赤とかって比べて、真っ白なんですけれども。これは、感情、特にポジティブでもネガティブにでもなくみたいな感じなんですか、清水さん。僕としたら、退職ってネガティブなイメージがある。退職せな、みたいな感じに思っちゃうんですけど、清水さん的にはそのときの心境どうでしょうか。
清水 ずっと治療しながら、仕事どうしようかなっていうのを考えてたところもありましたし。仕事ができなくなっても、また治療がうまくいって状態が良くなれば仕事ができると思ってるんで、そこはあんまり浮き沈みがないというか、ポジティブでもネガティブでもないかなという感情ですね。
岸田 ありがとうございます。そして、ただそれよりも下がっていくことがあるんですよね。これは心タンポナーデじゃありませんように。何でしょうか。増悪判定、リンパ節。これ、どういうことですか。
清水 ここは、アリムタの抗がん剤治療をやっていって、そこで薬が効かなくなって、増悪判定で。リンパ節に転移してるぞという状況に、またなったんでね。それでちょっと落ちてる。
岸田 てことは、薬が効いてないぞってなっちゃったってことですか、もう。
清水 そうですね。
岸田 これ結構、ショックじゃないですか。
清水 でも、そのぐらいの期間なのかなっていうのは覚悟してたんで、あまり。ていうのも、むしろ、それだけ効いてくれてたからよかったかなっていうぐらいのところですかね。だから、そこまで落ち込んでない。
岸田 ありがとうございます。そしてそこから、ただ、その中で上がっていくんですよね。何があったか。治験、HER2対象。これでようやくHER2の判明からつながってきそうな。この治験、どういうことでしょうか。
清水 リンパ節転移で治療方針が変わるところで、そこに対して、事前にHER2っていうのが分かってたので、臨床試験でHER2の治療が行われているぞという情報が、それは前から得てたんですね。
清水 主治医とずっと話ししてて、もし治療が変わったときに、それも一つの選択肢やなというのを考えてたところがあったんで。じゃあここにエントリーしようかというので、そこから治験に入って治療を始めたという経緯があります。
岸田 この治験、どうやって知ったんですか、清水さんは。
清水 治験自体は、遺伝子パネル検査の結果をもらったときにも、こういう臨床試験が動いてますよっていう情報は主治医からももらってましたし、僕自身も、臨床試験の情報とかを検索して調べたりしているところもあるから、それは事前に情報をキャッチしてましたね。
岸田 すごい。ちゃんと事前に情報をキャッチしてたと。主治医がちゃんと教えてくれたということもあるかと思います。今は治験中で、このやつで今、治療しているというか、そういう感じなんですかね。
清水 今も絶賛、治験中ですね。
岸田 ありがとうございます。そしてその後、PPI参加。CP、えほんプロジェクトというのもありますけれども。PPI参加、まず、PPIって何でしょう。
清水 PPIっていうのは、患者・市民参画のことで、治験の計画とかに対して、患者として意見を述べたりとか、製薬会社の方とか、医者の方と一緒に意見交換をするような場がありまして、そういう場に参加させてもらったというところです。
岸田 ありがとうございます。そして、CP、これはキャンサーペアレンツさんですね、患者会のオンライン、後ろにもありますもんね、キャンサーペアレンツさんのロゴだったりだとか、絵本等あるんですけど、このえほんプロジェクトにも参加していくということなんでしょうか。
清水 今、えほんプロジェクトに1年前ぐらいからかな、参加させてもらって、いろいろ、メンバーとお話しさせてもらってます。
岸田 というふうな流れで、清水さんの、本当もう、この時間だけでも全然、もっともっといろんなことがあるんですけれども、ダイジェスト版として、清水さんにお話しいただきました。ありがとうございます。
【大変だったこと→工夫したこと】
岸田 そんな中、清水さんの大変だったことから、どう工夫したかっていったところをフォーカスしてお伺いしたいんですけれども。大変だったこととして、声と治療情報、子育てがあったということです。声に関しては、先ほど、声のマークのご紹介いただきましたけども、そういったところを作って、自分が声が出づらいよだったりとかを共有していくということ。そして、情報共有といったところで、先ほどの、HER HERというところの患者会を結成していくこと。そして、子育てといったところの大変だったこと、ご両親のサポート。これはどういうことでしょうか、清水さん。
清水 子どもが、小さいのが2人いるんですけども、がん治療をしながら子育てもしてっていうので、特に今、妻がサポートを、一番大変だと思ってて。妻だけじゃどうしてもサポートが行き届かないというか、やっぱり大変なんで。そこはもう、実家の両親にサポートしてもらって、私がちょっと副作用でしんどいときとかは、少し両親に頼ってサポートしてもらったりしてますね。
岸田 自分も治療でしんどかったりとかするし、しっかり周りのサポートを、もし、得られるんであれば得たほうがいいってことですよね。
清水 そうですね。家族だけ、夫婦だけでとかってなると、どうしても負担がどちらかに偏ったりすることがあるんかなと思うんでね。できるだけ周りにサポートをお願いできるんだったらお願いしたほうがいいのかなと思います。
【 がんの経験から学んだこと】
岸田 ありがとうございます。そして、そんな清水さんが、がんの経験から学んだことをご紹介していただきたいと思います。
清水 今を大切にしながら笑顔でいること。自分が好きなことをやることと。
岸田 こちら、清水さんに、今のがんの経験から思ったことだったりとか、そういったところ、学んだことといったところを書いていただいてるんですけれども。清水さん、これどういうことになりますでしょうか。
清水 心タンポナーデとかでかなり苦しいときを過ごしてたときは、この先どうなんねんやろなみたいなところはあったんですけども、今、生きていることに感謝してるというか。苦しいときもありますけども、やっぱり笑顔でいることで、周りもすごく明るくなりますから。
清水 笑顔でいること、すごい大事だなと思ってます。自分で好きなこと、やりたいことっていうのを見定めてやることっていうのは大切なことなのかなというふうに、がん治療をしながら思うきょうこの頃ですね。
岸田 清水さんの場合の、自分が好きなことって何なんですか、ちなみに。
清水 サッカーやったりとか、今、DIYやるとか、そういう趣味をやることもそうだと思いますし。あとは患者会とか、外に向けた活動っていうのもやりたいことかなと思ってます。
岸田 しっかり自分でやりたいことをちゃんとやっていくっていうのは大事になってくるということですね。それを、いや、思っててもやれないなと思う人が多い中、清水さんは思って、しっかりちゃんとやっていくっていうのはすごい、本当に。
清水 ありがとうございます。
岸田 本当にね。だってあれじゃないですか、周りだってそんな、自分でやるときって、周りが支えてはくれても一緒にやろうっていう人ってなかなか出てこないとはあるかなと思うんですけど。清水さんはそういった中でも、ちゃんと自立されてやられてるってことですもんね。
清水 でも、そうやってやっていくと、仲間ができていくというか、同じ思いを持った人が出てくるんで、そういう出会いも面白いですよね。
岸田 そうですね。やっていく中で出会ってつながっていく。きょうのような形でもつながっていくことあるので。本当に、清水さんの経験の中でこういった学んだこともありますし、そして、もう清水さん、今、治験中ということで、その治験が本当にうまくいくことを祈っております。
清水 ありがとうございます。
岸田 ありがとうございます。それでは、清水さんのダイジェストですね、がんノートmini、これにて終わっていきたいと思います。清水さん、どうもありがとうございました。
清水 こちらこそありがとうございました。
岸田 ありがとうございました。ばいばい。
清水 ありがとうございます。