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インタビュアー:岸田 / ゲスト:小玉

【治療】

岸田 がんノートmini、きょうもスタートしていきたいと思います。きょうのゲストは宮城から、スキルス胃がんの経験者の小玉さんです。小玉さんは、僕の闘病中から知ってくださっていて、本当に宮城のお兄ちゃんのような存在の方なんですけれども、きょうはその小玉さんのお話を、いろいろと伺っていきたいと思っております。

岸田 まず、小玉仁志さんは、飲食店を経営されたり、食品産業に携わられたり、温泉支援業をされていたりと、本当に手広くご活躍されている方です。スキルス胃がんに罹患され、当時のステージは1、告知時の年齢は24歳で、現在は36歳。すでに10年以上が経過されています。治療方法としては、手術を受けられています。

 小玉さんの闘病歴ですが、2009年5月、24歳のときに半年ほど鈍痛が続き、我慢できなくなって検査を受けたところ、胃カメラと細胞診でスキルス胃がんが発覚しました。同年7月に開腹手術を行い、胃の2分の1を摘出。その半年後の定期検査で再びがんが見つかり、最終的には胃を全摘出されています。小玉さん、「鈍痛があった」とありますが、その鈍痛はどのような感じだったのでしょうか。

小玉 当時、私は出版社に勤めていて、編集作業が主な仕事でした。ちょうど年末頃で仕事も非常に忙しく、ずっとデスクワークをしていたんです。その中で、鈍痛がじわーっと起きてきて、机に胃のあたりを押し付けるようにして、痛みをこらえながら仕事をしていました。「ちょっと体調が悪いだけかな」「疲れているだけかな」という感覚が続いていたので、市販薬を飲んだり、机に押し付けて痛みをごまかしたりしながら、年末を乗り切っていました。

 ただ、食事の後は特に重たい感じが強くて、我慢できなくなったときには冷や汗が止まらなくなり、「これはおかしい」と思って検査に行きました。

岸田 ずっと痛みが続いていた感じだったんですね。検査は近くの病院に行かれたのですか。

小玉 はい。当時は宮城県仙台市に住んでいて、街の中心部だったので、近くの病院を受診しました。

岸田 そこで胃カメラと細胞診を行い、スキルス胃がんが発覚したわけですが、そのときの心境はいかがでしたか。よく「頭が真っ白になる」と言われますが、小玉さんの場合はどうでしたか。

小玉 僕も同じでしたね。もう何を言われているのか分からない、という感覚でした。
 ただ、重い病気だろうなという予感はありました。病院から「ご両親を連れて来てください」と事前に言われていたので。

岸田 それを言われたら、「これは相当まずいな」と思いますよね。

小玉 本当に嫌な週末でした。金曜日に電話をもらって、「月曜日に来てください」と言われたので、土日の過ごし方が本当にきつかったですね。

岸田 金曜日の連絡は、確かに精神的にきついですね。

小玉 正直、やめてほしいと思いました。週明けまで待つあの時間は、気が気じゃなかったです。
 実際に告知を受けたときは、全身の血が凍るような感覚というか、毛が逆立つようなぞわぞわした感じがありました。その後は、現状をまともに把握できず、まさに「頭が真っ白になる」という感覚でした。

岸田 がんが発覚してから約2か月後に、開腹手術で胃の2分の1を摘出されていますが、当時は大変な手術でしたか。

小玉 私は麻酔で眠っていたので、手術そのものの大変さは実感していませんでしたが、予定よりかなり時間がかかったようで、家族はとても心配していたそうです。

岸田 そして退院後、定期検査で再びがんが見つかり、全摘出となるわけですよね。

小玉 はい。それは本当に大変でした。

岸田 最初は2分の1の摘出で済んだのに、次は全摘出です。これは数値で分かったのですか、それとも画像検査でしょうか。

小玉 数値では特に異常は出ていませんでした。再度、部分的に細胞を取って詳しく検査したところ、見つかったという流れです。
 スキルス胃がんは、目に見えるしこりとして現れるのではなく、目視できない形で点在するのが特徴だと説明されました。そのため、他に転移する可能性も高く、「それなら全摘出しよう」という判断は、比較的すんなり受け入れられました。

岸田 普通の胃がんとスキルス胃がんでは、性質が違いますからね。そうして全摘出を決断されたと。

小玉 はい、そうです。

岸田 今は胃のない生活にも慣れましたか。10年以上経つと、さすがに慣れますよね。

小玉 人間の体って本当にすごいなと思います。体はちゃんと順応してくれるんです。
 今では一般的な成人男性と変わらない量を食べますし、ラーメンを頼んだら半チャーシュー丼も一緒に食べます。

岸田 え、胃がなくてもですか。

小玉 全然食べられます。小腸が「自分が消化しなきゃいけない」と頑張ってくれるらしくて。

岸田 すごいですね、人間の体。

小玉 胃がなくなってしまったので、「じゃあ俺がやらなきゃいけないよね」という感じで、小腸が頑張ってくれるんですよね。人間の体って本当にすごいなと、あらためて思います。

岸田 人間の体、本当にすごいですね。小腸が胃の役割を担ってくれるというのは、これから手術を受ける方にとっても、大きな励みになると思います。

【大変だったこと】

岸田 闘病中に大変だったことをお伺いしたいのですが、小玉さんが「これは結構きつかったな」と感じたことを教えていただけますでしょうか。

小玉 そうですね。体力的な面ももちろんありますが、胃を取ったことで、私の場合は食道と小腸が直接つながっている状態になっています。そうすると内臓の位置が変わるんですよね。小腸が引き伸ばされる形になるのですが、リハビリ中や普段の生活でも、内臓がおなかの中で揺れている感覚があって、それがものすごく痛かったです。

岸田 痛いんですか。

小玉 切ったところが痛いのは想像できると思うんですが、それとは違って、内臓がずっと揺さぶられているような感覚です。例えるなら、おなかの中でドリブルされているような感じですね。これは本当に大変でした。しかも、痛みがあっても歩かなきゃいけない。医師からは「ずっと寝ていると、内臓が変な位置で癒着してしまうから、歩いたり立ったりして、普通の生活の中でバランスを整えていく必要がある」と言われていました。なので、少し無理をしてでも、歩けるときには歩いてくださいと言われていたんです。

岸田 だから歩く必要があるんですね、そういう意味で。

小玉 そうですね。それから、メンタル面もかなりきつかったです。痩せていく自分の姿を見ることや、「スキルス胃がん」という病名そのものが持つショック。そういったものとのメンタルの闘いは、相当大きかったですね。

岸田 メンタル、落ちましたか。

小玉 落ちますよ。それは。今のメンタルとは全然違いますから。当時は体重も90キロくらいありましたし。

岸田 90キロですか。

小玉 今は63〜64キロですけど、2回目の手術が終わったときには48キロまで落ちました。ほぼ半分ですね。

岸田 それは相当ですね。

小玉 もう、自分の姿じゃないですよね。究極のダイエット法だなって、今だから言えますけど。

岸田 確かに……究極のダイエットですね。

【副作用、後遺症】

岸田 副作用や後遺症についてお伺いしたいのですが、体重が減るというのも手術の副作用・後遺症の一つだと思います。他にもありますでしょうか。

小玉 そうですね。私の場合は、低血圧や低血糖が、タイミングを問わず起きることがよくありました。今でも時々あります。

岸田 今でもあるんですか。それはどういうときに起こるんでしょうか。

小玉 普通に寝ているときでも起こることがあります。

岸田 低血圧や低血糖になると、どんな感じになるんですか。ふらふらするような感じですか。

小玉 そうですね。血の気が一気に引いて、意識が後ろに引っ張られるような感覚になります。
 よく、思春期の女子中高生が朝礼中にバタッと倒れることがあるじゃないですか。あれに近い感じです。

岸田 いましたね。

小玉 そんな感じです。先生からは「運転中に起きるとリスクがある」とも言われていました。冷や汗が一気に出て、血の気が引いて、意識が遠のくような感覚は、当時は結構ありましたね。今はだいぶ少なくなりましたが、体調が悪いときなどに、たまに起こることはあります。ただ、今は自分なりの対処法があるので。

岸田 教えてください。どんな対処をされているんですか。

小玉 シンプルに糖分を取ることですね。口に何か入れる。それが一番の応急処置です。

岸田 糖分を取る、ということですね。飴をなめるとか。

小玉 そうです。食後に急激に糖分を取り過ぎて、そのあと一気に血糖値が下がる、いわゆる急降下が原因の一つだと言われています。なので、そういうときは自分なりのやり方で、その場を乗り切るようにしています。

【治療費】

岸田 治療費や活用した制度について教えてください。傷病手当金などは受給されていましたか。

小玉 そうですね。当時はきちんとした会社に勤めていたので、傷病手当金の手続きを取ってもらいましたし、手術を受けているので高額療養費制度も使いました。あとは民間のがん保険ですね。

岸田 ちなみに、どのような保険に入っていたんですか。

小玉 アフラックさんのがん保険です。ただ、正直なところ、サービス内容は全く把握していませんでした。というのも、当時、祖父ががん保険の営業をしていて、僕に保険をかけてくれていたんです。

岸田 なるほど。今の基準だといろいろありますが、親族に入ってもらうこと自体は珍しくないですよね。

小玉 そうですね。今考えると、営業成績のノルマもあったのかもしれませんが、結果的には本当にありがたかったなと思っています。

岸田 では、そのがん保険の給付金も、治療費に充てられたということですね。

小玉 はい。24歳という年齢だったので、自分からがん保険が必要だなんて考えもしなかったですし、自分で加入していたわけでもありませんでした。

岸田 確かに、その年齢だとなかなか保険のことまで考えませんよね。

【仕事との両立】

岸田 仕事との両立についてお聞きします。出版社に勤められていたとのことですが、手術後すぐに社会復帰できたのか、また苦労はありましたか。

小玉 正直に言うと、両立できていたかと言われると、できていなかったと思います。退院してすぐは体力の落ち方が本当に激しくて、例えば通勤でバスを使ったり、少し歩いたりするだけでも、体力の消耗がものすごく早かったです。

 仕事のパフォーマンスもかなり落ちていました。編集の仕事だけでなく、営業として大学に行き、先生方からお話を伺ったり原稿を集めたりもしていたのですが、営業は特に体力を使う仕事なので、以前のようにフルで動くことができませんでした。次第に、自分の居場所がなくなっていくような感覚もありました。編集の仕事自体は本当に好きだったのですが、結果的には辞めることになりましたね。

岸田 体力面はどうしても大きいですよね。外に出て大学を回るとなると、かなり負担がかかりますよね。

小玉 そうですね。メンタルと体力、両方の面で厳しくて、療養期間として1年ほど時間はもらったのですが、復帰してすぐに「これは難しいな」と感じました。低血圧のこともあって、当時はまだそれに慣れていなかったので、朝の始業時間までたどり着くこと自体が本当につらかったんです。今でもよく覚えていますが、朝7時半のバスに乗る予定で、7時に起きて、7時半までの間に「今日は無理だ」と諦めてしまう。着替えるだけでも大変、という状態でした。

岸田 低血糖や低血圧って、そこまできついものなんですね。

小玉 かなりきついです。数カ月前までは、朝ご飯も食べずに、途中でパンをかじりながらでも勢いで出勤できていたわけです。そのときの感覚が体に残っている分、今の体とのギャップがすごくストレスになりましたし、疲れにも直結しました。感覚だけが先にあって、体力がまったく追いついていない、そんな状態でしたね。

岸田 そういった状況で、結果的に出版社のお仕事は辞められたわけですが、その後、飲食店経営や食品産業など、いろいろな分野に展開されていって、今はもう体のことで仕事に支障はないですか。

小玉 そうですね。今は体のことが理由で、仕事に支障が出るということは、ほとんどないと思います。

【工夫したこと】

岸田 小玉さんが工夫されていたことをお伺いしたいのですが、闘病中や低血糖・低血圧のときなど、当時意識して工夫していたことはありますか。

小玉 そうですね。一番大きかったのは、胃がなくなったことによる「食べ物」に対する工夫です。まず、自分が口に入れて体をつくる食べ物について、しっかり知ることが重要だと思いました。当時は管理栄養士の方に教えてもらったり、流行っていた野菜ソムリエの勉強をしたりしました。

岸田 しかも小玉さん、野菜ソムリエだけじゃなくて、BBQもやってますよね。

小玉 そうです。バーベキューインストラクターもやっていました。とにかく「食べること」に関する情報は、かなり積極的に取りに行きましたね。それから、食べ方にも気をつけました。

岸田 食べ方。やっぱり順番とかあるんですね。

小玉 ありますね。例えば、サンマと大根おろしって、よくセットで食べるじゃないですか。

岸田 食べますね。上に大根おろしがどーんと乗ってるやつ。

小玉 当時、勉強していたので、大根おろしにはアミラーゼという消化酵素があって、消化を助けてくれると知っていました。「体にいいじゃないか」と思って食べたんですが、当時の自分の体にはものすごく刺激が強かったんです。内臓がつながって間もない時期だったこともあって、激痛が走りました。本当にもだえましたね、大根おろしで。

 だから、「体にいい」と言われているものでも、タイミングや状態によっては刺激が強すぎることがあるんだと学びました。自分の体を試験台にしながら、どんな食べ物が合うのか、体調が悪いときは何を控えたほうがいいのか、そういうことを一つ一つ確認しながら工夫していきました。

岸田 大根おろしで激痛が走るなんて、普通は誰も分からないですよね。

小玉 大根おろしに殺されるかと思ったのは、人生で初めてでしたね。そのとき家族と一緒に食事していたんですが、様子を見て本当に驚いていました。ソファの上でずっと転げ回って、「苦しい、苦しい」ってなっていましたから。

岸田 やばいですね。「大根おろしに殺されかけた男」。

小玉 おろされかけましたね。

岸田 なるほど。一般的に「体にいい」とされているものでも、体調や状況次第では劇物になることもある、ということですね。

【闘病のまとめ】

岸田 これまでのお話をまとめていきたいと思います。2009年5月から9月、24歳のときにスキルス胃がんが分かり、胃の2分の1を摘出されています。その後、2010年3月から5月まで入院され、25歳のときに再発が見つかり、胃を全摘出されています。現在は10年以上経過しており、寛解と言ってもよい状況かと思います。

岸田 副作用や後遺症としては、先ほどお話にあった低血圧や低血糖、食事が突っかかる感じなどがありますが、今もそうした症状は残っていますか。

小玉 そうですね。慌てて食べたり、体調が悪いときには、今でもどうしてもそういった症状は出ますね。

岸田 では、かきこむような食べ方は難しい感じでしょうか。

小玉 そうですね。そういう食事の取り方自体が、あまり良くないと思っています。

岸田 ありがとうございます。私も気を付けます。生活面では体力の低下があり、また食べ物にはかなり気を遣って生活されているということでした。治療費や活用された制度としては、高額療養費制度、傷病手当金、そしてがん保険を利用されていた、ということになります。

【がんから学んだこと】

岸田 ダマさんに、最後にお伺いしたいことがあります。それは、ダマさんががんの経験を通して学んだことについてです。こちらに挙げていただいている言葉が――『人はいつか死ぬ』。とても深い言葉だと思いますが、この言葉に込めた思いについて、少しお聞かせいただけますでしょうか。

小玉 哲学みたいな話ですよね。
 ただ、これは後に僕が飲食店を開いたり、自分のやりたい夢を実現していく上で、すごく共通する考え方でした。やはり二度のがん告知を受けたこと、特にスキルス胃がんは、当時5年生存率が20%程度と言われていて、かなり厳しい数字でした。自分では「死の淵を二度体験した」と感じていました。

 「人はいつか死ぬ」という言葉自体は、ドラマや映画、あるいは身近な人の死を通して、誰もが耳にするものだと思います。ただ、24歳、25歳の当時の僕にとっては、それが日常の実感として存在していなかったんです。その経験を経て、今の自分が本当にやるべきことは何なのか、もっとベストを尽くせるのではないか、そういうことをよく考えるようになりました。

 人は生きているうちにしか、自分のやりたいことはできませんし、人のために働くこともできません。だからこそ、「今のうちに、やれることをやっておこう」と考えるようになりました。

岸田 だからこそ、小玉さんはいろいろなことを同時並行でされているのかな、と感じます。お仕事の面でも。

小玉 そうですね。もちろん、ご縁があっていただいたお仕事もありますが、病気になる前と後では、明らかに自分がアクティブになったと感じています。考え方もポジティブになりましたし、パフォーマンスは正直、病気になる前よりも今のほうが高いと、自分では思っています。

岸田 「人はいつか死ぬ」ということを、日々の生き方の中で意識しながら過ごされているということですね。

小玉 いえ、毎日考えているわけではないです。毎日それを考えていたら、しんどくなってしまいますから。ただ、人生にはターニングポイントや、迷ったり悩んだりする場面が必ずありますよね。そういうときに、「いつか死ぬという事実は、みんな同じだ」と思い出すんです。

 一歩踏み出すことをためらっているときに、「今やらなくてどうするんだ」と背中を押してくれる。それが、自分のこの経験なんだと思います。見切り発車になることもありますが、迷ったときに勇気をくれる感覚ですね。

岸田 人生の要所要所で、その経験が指針になっているということですね。本当に深いお話をありがとうございました。それでは、きょうのがんノートはここで終了とさせていただきます。小玉さん、短い時間ではありましたが、本日は本当にありがとうございました。

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