目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:河野

【オープニング】

岸田 本日のゲストは、河野順さんです。本日はよろしくお願いいたします!

河野 河野です。よろしくお願いいたします!

岸田 河野さんは製薬企業にお勤めで、がんの種類は精巣腫瘍。ステージはIAから再発を経てIIAへと進行されたとのことです。告知を受けられたのは50歳のときで、現在は54歳。治療としては、手術と化学療法を経験されています。また、今回はとても凛々しい、ノルディックな雰囲気の写真もご提供いただいています。

河野 お腹は出ていますけどね。

岸田 いえいえ、とても良い感じだと思います!

 

【闘病について】

岸田 では早速、闘病についてお伺いしていきたいと思います。2016年11月、50歳のときに、右精巣に軽度の腫れと痛みを自覚され、泌尿器科クリニックを受診されたところ、触診とエコー検査でがんの告知を受けた、ということですね。

岸田 その後、右精巣摘出の手術を受けられ、この時点ではステージIと診断されたということでした。ただ、それから約2年後、2018年12月、53歳のときに、傍大動脈リンパ節への転移が判明し、ステージIIと診断されています。県立がんセンターを紹介され、造影CTやPET-CT検査を行った上で、エトポシドとシスプラチンによるEP療法を4クール、約3か月間受けられたとのことです。

岸田 2019年3月に退院され、現在は経過観察中という理解でよろしいでしょうか。

河野 はい。

岸田 ありがとうございます。では、少し振り返りながら詳しく伺っていきたいと思います。まず、右精巣の「軽度の腫れ」とありますが、どの程度の変化だったのでしょうか。

河野 すみません、これ「膨張」ではなくて「腫脹」、つまり腫れですね。当時、ジーンズをはいて会社に行っていたのですが、歩いているときに、普段は触れないはずのところがジーンズに触れる感覚があったんです。

岸田 普段は、触れないですよね。

河野 そうですね。普通はちゃんと収まっているものが、わずかに触れる感覚がありました。製薬会社に勤めていることもあって、炎症なのか、それ以外なのかを2〜3日様子見していたのですが、「これは炎症性ではないな」と感じて、すぐに泌尿器科を受診しました。

岸田 泌尿器科に行って、触診とエコーで、かなり早い段階で告知されたんですよね。

河野 はい。ベテランの泌尿器科の先生だと、精巣を触った時点で、ある程度分かるそうです。エコー画像も見せてもらいましたが、はっきり分かる状態でした。本当に3分診療のような感じで、エコーが終わったあとに「ズボンをはいてください。ご自宅は近いですか」と言われたので、その時点で「あ、これはがんだな」と思いました。その場で、はっきり「がんです」と言われました。

岸田 それは、かなりストレートですね。ショックは大きかったですか。

河野 いえ、学生時代から抗がん剤の開発研究に関わってきたこともあり、「こういう形で自分にも来たか」という受け止め方でした。2人に1人はがんになるということも知っていましたので、頭が真っ白になるような感じではなく、比較的冷静でした。

岸田 なるほど。ある程度、心構えができていたという感じでしょうか。

河野 心構えができていたかは分かりませんが、そんな感覚でした。

岸田 その後、手術を受けられたわけですが、どちらの病院だったのですか。

河野 自宅の近くにある、中規模の病院です。がん専門病院というわけではありません。

岸田 手術自体は、比較的短時間だったのでしょうか。

河野 予定は60分でしたが、子どもの頃にヘルニアの手術歴があり、癒着があるので10分ほど延びるかもしれないと言われました。結果的には、70分で終わりました。

岸田 早いですね。

河野 早いです。ただ、術後はやはり痛かったですね。

岸田 あれは本当に痛いですよね。では、この時点では、いったん治療は一区切り、ということだったのですね。

河野 そうです。

岸田 そこから約2年後、53歳のときに、傍大動脈リンパ節への転移が見つかりますが、そもそも傍大動脈リンパ節というのは、どのあたりなのでしょうか。

河野 私も医療従事者ではないので正確ではありませんが、お腹のあたりですね。精巣腫瘍の場合、まずお腹の奥のほうですね。精巣腫瘍の場合、最初に転移しやすい場所としては、だいたい傍大動脈リンパ節だと言われています。

岸田 なるほど。後腹膜と呼ばれるあたり、という理解でよいでしょうか。

河野 はい、そこです。

岸田 腹筋の裏側あたり、というイメージですね。

河野 そうですね。

岸田 後腹膜リンパ節に転移していたことが、2年後に分かったということですね。

河野 はい。3か月に1回、定期的にCT検査を行っていたのですが、その検査で分かりました。

岸田 定期的に検査していたからこそ、見つかったということですね。その後、県立がんセンターを紹介されて受診された、という流れでしょうか。

河野 そうですね。紹介を受けて受診し、CT検査とPET検査を行いました。

岸田 そこで転移が確認されて、すぐに手術というわけではなく、化学療法を選択されたのですね。

河野 はい。精巣腫瘍は、さまざまながんの中でも、比較的抗がん剤がよく効くタイプのがんだと言われていますので、化学療法が選択されました。

岸田 しかもEP療法ですよね。私はBEP療法を受けたのですが、エトポシドとシスプラチンのEP療法だったと。

河野 はい。一般的なBEP療法の「B」はブレオマイシンという抗がん剤ですが、これは肺毒性が強いんです。

岸田 肺毒性というのは、肺への影響ということですよね。

河野 そうです。間質性肺炎や肺線維症といった、重篤な副作用が出る可能性があります。特に年齢が高くなると、そうした副作用のリスクが高まると言われています。

河野 BEP療法の場合は通常3クールですが、ブレオマイシンを除いたEP療法を4クール行えば、同等の治療効果が得られるということで、EP療法が選択されました。

岸田 その判断には、年齢も関係してくるのですね。

河野 はい。主治医からは、一つの目安として「40歳を超えているかどうか」と説明されました。

岸田 なるほど。河野さんは40代どころか、50代ですもんね。

河野 そうですね。

【副作用】

岸田 その後、EP療法を4クール受けられて、退院という流れになったわけですね。現在は、通常どおり社会復帰されているということですが、ここで当時の副作用について伺っていきたいと思います。

 副作用については、河野さんから資料もご用意いただいています。こちらの資料について、ぜひご説明いただけますでしょうか。

河野 横軸は治療日を示しています。1日目、2日目、3日目、4日目という形ですね。抗がん剤を投与してから何日目か、という意味です。上のグラフが体重の変化で、下のグラフが副作用の強度を示しています。

岸田 副作用の強度、というのは?

河野 つらさの度合いですね。これまで経験した中で「一番つらい」と感じた状態を10としたときに、どれくらいのつらさか、という基準で棒グラフにしています。これは毎日、エクセルで入力して記録していました。

岸田 本当にまめですね。

河野 朝の回診のときなどに、看護師さんから「今日はどうですか」と聞かれた際、この表を見せると、言葉で説明しなくても一目で伝わるんです。そのために作っていました。

河野 グラフを見ると分かるように、体重は最初どんどん減っていきます。これは単純に、食事が取れなくなるからです。一昔前の抗がん剤治療というと、吐き気や嘔吐で食べられない、というイメージが強いと思いますし、特にシスプラチンはそういった副作用が出やすい薬です。

河野 ただ、現在は支持療法、つまり副作用を抑える治療が発達しているので、私の場合は吐き気や嘔吐は全くありませんでした。その代わりに、下の青い棒グラフで示している味覚障害が強く出て、9日目までは、イヨカンとイチゴとプリンしか食べられませんでした。それ以外は、まったく受け付けなかったです。

河野 さらに、黄色で示しているのがしゃっくりです。これはシスプラチンの副作用で、特に男性に強く出ることがあると言われています。

岸田 しゃっくりのつらさが「10」というのは、どれくらいの状態なんですか。

河野 24時間、しゃっくりが出続けます。特効薬がなく、抑える方法もほとんどないので、我慢するしかありません。ずっと続くと本当にへとへとになります。

岸田 しゃっくりって、かなり体力を使いますよね。

河野 使います。耳に指を入れると止まる、というような民間療法も試しましたが、全く効きませんでした。薬もいくつかありますが、基本的には効かなかったです。

河野 面白いのは、9日目までは体重が減り、症状も強いのですが、10日目まででそうした自覚症状が終わり、11日目からはぱたっとなくなることです。本当に何もなくなります。

河野 赤で示しているのは、私の持病であるパニック発作です。これは8日目から10日目の3日間だけ出ました。息が苦しくなったり、心拍数が急に上がったりと、一言では表せない症状ですが、それ以外の日には出ませんでした。

岸田 パニック発作は、その3日間だけだったんですね。

河野 そうです。それ以外は問題ありませんでした。

河野 結果的に、グラフを見ると分かるのですが、抗がん剤治療を通して体重は増えています。11日目以降は本当に元気になって、食欲も戻り、ウォーキングなどで消費するカロリー以上に食べられるようになるため、最終的には体重が増えました。

岸田 本当ですね。グラフを見ると増えています。

河野 実は治療前にダイエットをしていたのですが、抗がん剤治療で、また少しぽっちゃり体形になってしまいました。

河野 このグラフは1クール分ですが、これを4クール、ほぼ同じパターンで繰り返しました。記録を取っていると、「何日目に、どんな症状が出るか」が分かるので、心の準備ができるんです。

岸田 なるほど。「9日目まではきついけど、11日目から楽になる」と分かっていれば、そこまで頑張ろう、と思えますね。

河野 まさにそうです。このグラフを見ながら、乗り切っていました。

河野 もちろん、こうしたパターンは人によって全く違うと思いますが、自分の傾向を知るという意味では、とても有用でした。

岸田 ありがとうございます。そして、もう一枚、写真もご提供いただいています。

河野 抗がん剤治療の最初の1クール目は、12月27日から31日、大みそかまででした。翌日が元旦で、おせち料理が出たのですが、薄味のしょうゆベースの味付けが、味覚障害の影響で全く受け付けなかったんです。それ以降、病院食は一切食べられなくなってしまいました。

 抗がん剤治療あるあるだと思うのですが、そうなると、こってりしたものが食べたくなるんですよね。例えば、たこ焼きとか、マヨネーズやソースがたっぷりかかったものです。

岸田 分かります。僕もその頃は、王将とかが大好きでした。

河野 まさにそんな感じです。マヨネーズとソースがかかったものを欲するようになって、結果的に太るのかもしれません。

岸田 そんな中で、「人生で一番おいしく感じたレトルトカレー」という写真がありますね。

河野 10日目まではほとんど食べられなかったのですが、11日目から食事ができるようになりました。看護師さんに「好きなものを食べていいよ」と言われて、病院内のコンビニに行ったんです。そこで見つけたのが、レトルトカレーでした。

河野 コンビニのごく普通のレトルトカレーなのですが、そのときは本当に、人生で一番おいしく感じました。

岸田 それは、相当おいしかったんでしょうね。

河野 めちゃくちゃおいしかったです。

岸田 それを聞いたら、明日のご飯はもう決まりですね。人生で一番おいしいと言われたら、食べてみたくなります。

河野 本当に普通のコンビニのカレーなんですけどね。でも、ああいうタイミングで食べるものって、格別においしいんですよね。

【後遺症】

岸田 次は、副作用の流れでもありますが、後遺症について伺っていきたいと思います。後遺症に関して、河野さんから写真もご提供いただいていますので、こちらをご紹介したいと思います。

河野 これは指サックですね。シスプラチンのような、白金系抗がん剤の副作用としてよく知られているものです。

岸田 白金系、というのは?

河野 プラチナ製剤のことです。その副作用として、手足のしびれが出ます。感覚が完全になくなるというよりは、ジンジンするような感覚ですね。

河野 治療から1年が経った今も、しびれは続いています。例えば、お札、特に新札のようなきれいなお札が、うまく取れないんです。本のページも、指先の感覚が鈍くて、めくれません。

岸田 全部、くしゃっとしていないと難しい、という感じですね。

河野 そうなんです。その影響で、スーパーのレジでも、どうしても時間がかかってしまい、後ろの方をお待たせしてしまうことがあります。

岸田 となると、もうSuicaやICOCAのようなICカード生活ですね。

河野 そうですね。例えば、何千円の中から2000円だけ取り出す、というようなことが、今でもすごく大変です。

岸田 今も、そのジンジンした感覚は続いているんですね。

河野 続いています。ただ、これは本当に人それぞれで、一般的には2〜3年でほぼ治まると言われていますが、どうなるかは分からないですね。

岸田 実際、ずっとこの症状で苦しんでいらっしゃる方もいますよね。

河野 そうですね。ただ、この指サック自体は、100円で買えるものなので。

岸田 100円ショップですか。

河野 はい、100均です。

岸田 それなら、コストパフォーマンスはかなり良いですね。

河野 そうですね。

【困ったこと】

岸田 続いては、対策と、治療中・治療後に困ったことについて伺っていきたいと思います。河野さんから、こちらの画像もご提供いただいています。「ペイシェント・ジャーニー(patient journey)」ですね。

河野 これは、ペイシェント・ジャーニーの模式図です。がん告知は左下に描かれているのですが、一般的に、がんの告知を受けると気持ちは大きく沈みますよね。その後、治療が進んでいくにつれて、少しずつ良くなっていく、という線をたどることが多いと思います。ただ、その線は滑らかな一本の線ではなくて、ところどころギザギザしていると思うんです。

河野 どういうことかというと、例えば今の私のように、抗がん剤治療が終わって経過観察になったとしても、不安がすべてなくなるわけではありません。再発への不安だったり、周りの人に迷惑をかけているのではないか、という気持ちだったり、そうした心の「ザワザワ」が残ります。その状態を、このギザギザで表現しました。

河野 これは治療中も同じで、「今の治療は本当に正しい方向に進んでいるのだろうか」といった不安が常にあります。人は、いつも前向きな気持ちでいられるわけではありません。ペイシェント・ジャーニーの中では、こうした大小さまざまなザワザワが、何度も起きるものだと、私自身の経験から感じました。

岸田 少し慣れてくると、「あのときの判断は良かったのだろうか」とか、「あの人はどうしているだろうか」とか、いろいろ考えてしまう、ということですよね。

河野 そうです。急に寂しくなったり、孤独感を感じたりします。

岸田 なるほど。つまり、河野さんの中では、そうしたザワザワが結構あった、ということですね。

河野 はい。このザワザワは、なかなか周りの人には分かってもらえませんし、人に話すのも難しいんです。

岸田 確かに、そうですよね。

河野 入院中でも、例えば婦人科病棟のように女性が多いところだと、わりとおしゃべりをすることが多い印象がありますが、泌尿器科病棟は男性が多く、そういった話題になることはほとんどありませんでした。家族に対しても、逆に心配をかけてしまうと思うと、なかなか話せませんでした。

河野 結果として、誰にも話せずに自分の中で抱え込んでしまう、そういったつらさがありました。

岸田 そのときは、どうされたのですか。耐えていたのでしょうか。

河野 話せる人に話しました。

岸田 話せる人、というと例えばどなたですか。

河野 例えば、勤めている会社で親しくしている保健師さんですとか、あとは「マギーズ東京」です。岸田さんもご存じだと思いますが、がんを経験した人が無料で、いつでも訪れて、専門の方に話を聞いてもらえる場所です。

河野 そこで、自分のつらさを聞いてもらい、受け止めてもらうことで、少しずつザワザワが静まっていきました。

岸田 本当にそうですね。マギーズ東京さんは、偉大な存在だと思います。

河野 本当に偉大です。

【治療費や制度】

岸田 相談できる場所があるというのは、本当に大事ですよね。そうした中で、次に伺いたいのが、治療費や活用された制度についてです。お金の面や、実際に使った制度について教えていただけますでしょうか。

河野 まず治療費ですが、保険適用の範囲で見ると、総額としては100万〜200万円くらいかかっていると思います。ただ、高額療養費制度を利用した結果、実際に支払った金額は約64万円でした。さらに、私が勤めている会社の健康保険には「付加給付」という制度があり、どれだけ医療費がかかっても、自己負担は月2万円まででよい、という仕組みがあります。

岸田 それは、かなり手厚いですね。

河野 結果として、治療期間が4か月だったので、2万円×4か月で、治療費の自己負担は8万円程度でした。

岸田 それは、河野さんの会社ならでは、という感じですか。

河野 そうですね。ただ、他の製薬会社さんなどでも、同じような制度があると聞きます。また、治療のために休職しましたが、その際は傷病手当金を受給しました。一般的には給与の3分の2程度ですが、これにも付加給付があり、結果として約9割程度が補償されました。

岸田 それは本当にすごいですね。

河野 そのため、お金の面で大きな負担を感じることは、正直あまりありませんでした。がん保険にも入っていなかったのですが、特に困ることはありませんでした。

岸田 それだけ制度が整っていれば、確かにそうですね。

河野 賞与については、休んだ分だけ減りましたが、毎月の給与はほぼ変わりませんでした。こうした制度は、先人の方々や、会社と労働組合の方々が積み上げてきたものだと思っています。

岸田 先ほどの約64万円というのは、再発時の治療費ということですよね。

河野 はい。再発時に支払った金額が、約64万円です。

岸田 では、最初の治療のときはどうだったのでしょうか。

河野 最初の治療は、手術も含めて医療費としては約90万円ほどでしたが、治療期間が1か月以内だったため、自己負担は2万円で済みました。

岸田 ということは、トータルでも10万円ほど、という感じですね。

河野 そうですね。最初のときは欠勤せず、積立有給休暇を使いました。これは、使い切れなかった有給休暇を、病気のときに使える制度です。

岸田 それもかなり手厚い制度ですね。

河野 本当に助かりました。

【工夫したこと】

岸田 ありがとうございます。では続いて、そんな中で工夫されたことについてお伺いしていきたいと思います。「工夫したこと」ということで、こちらの写真をご覧ください。これは、何の写真でしょうか。

河野 入院中のちょっとした工夫です。左の写真は、お薬を入れるボックスですね。看護師さんが朝にお薬をセットしてくださって、飲み終わったら、そのシートをこの箱の中に入れる仕組みになっています。

岸田 朝、昼、夜のお薬ですね。この箱の中に入れる、と。

河野 そうです。ただ、この箱が結構深いので、看護師さんが「ちゃんと飲みましたか」と確認する際に、シートを取り出しづらそうにされていたんです。忙しい中で、これは負担になるなと思って。

河野 そこで、簡単な紙を折って、下が「レ」の字のようになる形にしました。飲み終わったら、その紙の上にシートを置いておくんです。そうすると、看護師さんは引き上げるだけで、すぐに確認できます。

岸田 なるほど。紙なんですね。

河野 はい。しかも「飲みました」と書いて、飲み終えたらその面が手前にくるようにしていました。そうすれば、私がベッドを離れていても、飲んだかどうかが一目で分かりますし、看護師さんの負担も減るかなと思って。

岸田 すごいですね。かなり意識の高い患者さんですね。

河野 いえいえ。ただ、看護師さんの動きを見ていて、患者として何かできることはないかな、と思っただけです。

河野 右の写真ですが、こちらはメモですね。普段から看護師さんには感謝の言葉を伝えていたのですが、夜勤の看護師さんが日勤の看護師さんに交代するタイミングで、ちょうど私が散歩に出ていることがあって、直接お礼を言えないことがありました。

河野 それが気になって、「一晩お世話になりました。ありがとうございました。お疲れさまでした。」と書いたメモを、ベッドの上に置いておくようにしました。

岸田 それは素敵ですね。

河野 中には、そのメモにお返事を書いて、クリップで留めてくださる看護師さんもいました。ちょっとしたやり取りですが、コミュニケーションが生まれるんですよね。

河野 また、裏面には「お散歩中です」「お手洗いに行っています」など、行き先を書けるようにもしていました。そうすれば、看護師さんが探さなくて済みますし、これも負担軽減になるかなと思って。

岸田 確かに、それは助かりますね。

河野 看護師さんは本当に大変なお仕事ですし、患者として少しでもできることがあれば、と思っていました。結果的に、医療従事者の方々との関係も良くなって、自分自身も気持ちの良い入院生活を送ることができました。抗がん剤治療は2週間ずっと入院しますし、長い期間を過ごすので、人間関係はとても大切だと感じました。

岸田 では、ここで一度まとめさせていただきます。河野さんの治療期間は、2016年の約1か月と、2018年から2019年にかけての約3〜4か月。50歳のときと53歳のときですね。手術は精巣摘出術を受けられ、その後、化学療法としてEP療法を実施されています。再発を一度経験され、現在は経過観察中です。

岸田 化学療法中の副作用としては、食欲不振、パニック発作、耳鳴り、そして手足のしびれがありました。耳鳴りは、今も続いているとのことですが、日常生活やお仕事への大きな影響はない、ということですね。

河野 はい。影響はありません。

岸田 利用された制度としては、高額療養費制度や会社の健康保険による補助、傷病手当金などを活用され、がん保険に加入していなくても、大きな問題はなかったということでした。本日は、貴重なお話をありがとうございました。

【学んだこと】

岸田 では最後に、河野さんが、がんの経験を通して学んだことについてお伺いしたいと思います。「どんなことを学びましたか」という問いに対して、『人は、人によって支えられ、自分らしさ・自分の力を取り戻し、自立できる自分の人生を展開できる』という言葉をいただいています。この言葉に込めた意味を、ぜひ教えてください。

河野 人は、自分の力だけで生きているわけではなく、周りの人の支えがあって今があるのだと思います。ただ、元気なときは、なかなかそのことに気付けないものですよね。病気を経験したことで、私はその事実に改めて気付くことができました。

 その一例として、お茶を飲んでいる写真を載せました。これは、抗がん剤治療を受けるために入院する前日、つまり最終出社日のときの、私のオフィスのデスクでの写真です。そのとき、同僚がお茶をたててくれました。

 戦国武将が、お茶をたててから戦に出ていた、という話があるそうです。いつ命を落とすか分からない中で戦に向かい、無事に戻って来られるようにという願いを込めて、お茶をたてていたと聞きました。千利休が重宝されたのも、そういった背景があるそうです。

 私の同僚に、茶道をたしなんでいる社員がいて、その方が「抗がん剤治療がうまくいって、また元気にこの職場に戻って来られるように」という思いを込めて、戦国時代のその習わしになぞらえて、お茶をたててくれました。しかも、業務時間中に、周りの社員がいる前でです。

岸田 業務時間中に、ですか。

河野 はい。それが本当にうれしくて、こういう人たちに囲まれて自分は働いているんだな、と強く感じました。これが、治療に向かう大きな励みになりました。

岸田 また戻ってくる、という思いにつながったわけですね。

河野 そうです。

岸田 本当に、素晴らしい同僚の方々ですね。

河野 これはあくまで一例ですが、支えてくれたのは同僚だけではありません。家族であったり、先ほどお話ししたマギーズ東京の方々であったり、同じがんサバイバーの仲間であったり、本当に多くの方々に支えられてきました。

河野 そうした人たちがいて、今の自分があるのだと、改めて実感しました。

岸田 本当に、人は人に支えられて生きている、ということですね。
『人は、人によって支えられ、自分らしさ・自分の力を取り戻し、自立できる自分の人生を展開できる』
という、とても大切な言葉をいただきました。河野さん、本日は貴重なお話を、本当にありがとうございました。

河野 とんでもないです。

岸田 それでは、本日の「がんノートmini」は以上となります。どうもありがとうございました。

河野 ありがとうございました。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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