目次
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:藤田
【オープニング】
岸田 それでは、「がんノートmini」をスタートしていきたいと思います。今日のゲストは、藤田理代さんです。
藤田 藤田です。よろしくお願いします。
岸田 藤田さんはフリーランスとして活動されており、「カラクリLab」や「ダカラコソクリエイト」といったプロジェクトに関わるほか、がんに関わる団体のウェブページ制作や、名刺の制作など、幅広いお仕事をされています。
藤田 はい。いろいろやらせていただいています。
岸田 そんな藤田さんですが、29歳のときに絨毛がんと診断されました。現在は35歳で、当時のステージについては不明とのことです。治療としては、手術と化学療法、抗がん剤治療を受けられています。
本日は、藤田さんのこれまでのご経験についてお話を伺っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
藤田 よろしくお願いします。

【治療・闘病】
岸田 では早速ですが、藤田さんの闘病歴について教えていただけますでしょうか。

藤田 今から約6年前、2014年1月のことです。地域のクリニックで「妊娠しています」と告げられました。
しかしその後、腹痛や嘔吐、出血といった症状が続き、結果として「今回は残念ながら流産です」と言われ、流産手術を受けました。
その際の病理検査で、異常な細胞が混ざっている可能性があると言われ、経過観察として腫瘍マーカーの検査を続けることになりました。
3月初め頃、その腫瘍マーカーが急激に上昇し、「すぐに大学病院へ転院してください」と言われました。転院後すぐに入院し、検査と治療を進める予定になっていたのですが、その日のうちに大量出血を起こし、再び大学病院に搬送され、緊急で止血手術を受けました。
その時点で、子宮と両側の卵巣、さらに両肺にも多数の病変がある状態だと分かりました。病理検査の結果はまだ出ていませんでしたが、「明日からでも抗がん剤治療を始めたほうがいい」と判断され、抗がん剤治療を開始しました。
2クール目の途中までは入院治療を続け、その後、病理検査の結果から「絨毛がん」と診断されました。
使用していた抗がん剤が非常によく効いていたため、「効果がある限りはこの薬でいきましょう」という方針となり、途中から退院して外来化学療法に切り替え、合計6クール治療を行いました。2014年6月に寛解し、現在に至っています。
岸田 ありがとうございます。少し振り返ってお伺いしたいのですが、妊娠が分かってから腹痛や嘔吐、出血といった症状が出てきたとのことですが、当時は妊娠に伴うものだと考えられていたのでしょうか。
藤田 そうですね。当時は、それががんによるものだったのかどうかは分かりませんでした。つわりなのかもしれないし、お腹が張っているのかな、という程度で、先生にも相談しながら診てもらっていました。
結果的には、「お子さんが育っていなかった」という理由で流産という判断になりました。
岸田 その後、腫瘍マーカーが上がっていったときは、かなり怖さもあったのではないでしょうか。
藤田 はい。ただ、担当してくださった開業医の先生が、絨毛がんを含む絨毛性疾患を診た経験のある方でした。
流産手術の際も、本来なら病理検査に出さなくてもおかしくない状態だったそうですが、「念のため」と検査に出してくださったんです。その時点で、「最悪の場合、抗がん剤治療が必要になる可能性」や、「抗がん剤が効きにくいケースもある」ということまで説明してくださいました。
怖さはありましたが、「これから先、こういう分かれ道が続いていくのかもしれない」という、先の見えない感覚のほうが強かったように思います。
岸田 その先生の判断が、とても大きかったのですね。
藤田 本当に、診立ての良い先生でした。「治療がきちんとできれば、寛解も見込めるがんだから、しっかり診ていこう」と言ってくださって、必要になればすぐ転院しましょう、という姿勢で診てくださいました。
岸田 その後、大学病院へ行き、一度帰宅された後に倒れてしまったのですよね。
藤田 はい。自宅に帰ってから倒れました。そのまま救急搬送され、夜中に緊急手術を受けました。
意識は完全に失っていたわけではありませんが、途切れ途切れの状態でした。術前のCTの段階で、両肺にも病変があることは分かっていたそうですが、説明を受ける頃には意識がはっきりせず、出血量もかなり多い状態でした。
岸田 そのときの出血は、どのような状態だったのでしょうか。
藤田 子宮の外側の動脈からの出血だったため、外に出る出血ではなく、お腹の中でどんどん出血していました。激しい痛みがずっと続いていて、最後に少し下血したことで「これは出血だ」と分かり、救急車を呼んだ、という状況です。
出血量は1リットル以上で、後から「肝臓の上のほうまで血が回っていた」と説明を受けました。腹腔内は、ほぼ血で満たされていたそうです。
岸田 それは本当に命の危険がある状態ですね。
藤田 このときが、いちばん命として危なかったと思います。手術で止血していただきました。
岸田 その後、すぐに抗がん剤治療が始まったのですね。
藤田 はい。夜中に手術を受け、その日のうちにMRIを撮影し、「抗がん剤治療が絶対に必要」と確定しました。翌日には治療が始まり、同意書にサインしたそのままの流れで抗がん剤治療がスタートしました。「1日でも早いほうがいい」と言われました。
岸田 その後、病理検査の結果で絨毛がんと分かった、と。
藤田 そうです。手術で採取した細胞の病理結果が出るまでに約2週間かかり、その結果が出たタイミングで正式に絨毛がんと診断されました。
岸田 その後は外来での抗がん剤治療に切り替わったのですね。
藤田 はい。5日間連続で筋肉注射を行う治療でした。通常は多剤併用療法に切り替えるケースも多いのですが、私の場合はこの1剤が非常によく効いていたため、「行けるところまでこの薬で続けよう」という判断になりました。
効果が落ちればすぐ切り替える予定で、外来通院しながら治療を続けていました。
岸田 通院での抗がん剤治療は、その日の体調が悪くなったりするものなのでしょうか。
藤田 これも本当に個人差があると思いますが、私の場合は、筋肉注射を打ってもらって、2回目くらいまでは比較的大丈夫でした。
ただ、クール数を重ねていくにつれて、副作用がだんだん強くなり、嘔吐が出てきました。骨髄抑制や肝機能障害もあり、そのあたりはかなりつらかったです。
岸田 それは大変ですね。副作用の中で、特に一番きつかったのはどれでしょうか。
藤田 吐き気と嘔吐ですね。制吐剤も調整してもらいましたが、抗がん剤を打ってしばらくすると、吐き気と嘔吐が始まり、それが翌朝くらいまで続きます。
しかも翌日もまた抗がん剤を打つので、5日間ずっとその状態です。その5日間は、24時間ずっとつらくて、ほとんどベッドで横になっていました。
岸田 ずっと横になって過ごす感じですよね。
藤田 本当に、トイレとベッドの往復だけという生活でした。
ただ、その5日間を乗り切れば休薬期間に入るので、その期間はご飯も食べられるようになり、体調も少し楽になりました。
岸田 抗がん剤治療はすでに終了しているとのことですが、現在の状況はいかがでしょうか。
藤田 治療後は3年間、腫瘍マーカーの経過観察を続けました。その結果、「いったん大丈夫でしょう」という判断になり、フォローも終了しました。今は大学病院にも通っていません。
岸田 では、がんの治療としては一段落している、ということですね。ありがとうございます。
【困ったこと】
岸田 次に、闘病中にどのようなことに困ったのか、また一番大変だったことについてお伺いしたいと思います。藤田さん、この闘病期間の中で、特に困ったタイミングはどこだったでしょうか。
藤田 困ったことは本当にたくさんありましたが、特に大きかったのは、あまりにも展開が早かったことです。2日ほどの間に、手術と抗がん剤治療が一気に始まる状況で、「何を相談したらいいのか」「どこに相談したらいいのか」が分からず、相談先にとても困りました。
岸田 相談先、というのは医療機関や主治医とは別の部分ということですよね。
藤田 はい。主治医の先生はとても良い先生で、治療内容や副作用については、ずっと丁寧にサポートしていただいていました。そこには何の不安もありませんでした。
ただ、流産を経験した直後に、すぐがんの治療が始まり、しかも珍しいがんだったこともあって、同じ治療を受けている人が身近にいませんでした。当時は、今ほど病気をオープンに話す雰囲気もなく、「流産のつらさ」と「がん治療を頑張らなければならない」という気持ちを、どこに持っていけばいいのか分からなかったんです。
岸田 確かに、短期間であまりにも急展開ですよね。
藤田 そうなんです。私は大学で福祉を学んでいたので、病院内にがん相談センターがあったり、ソーシャルワーカーさんがいること自体は知っていました。
ただ、「この気持ちを相談しても、明確な解決策はないよね」と思ってしまって、結局、誰にも相談できずに飲み込んでしまいました。病院も忙しいだろうと思ってしまって。
岸田 では、最終的にはどうやって乗り越えたのでしょうか。
藤田 どうしていたのかと改めて考えると、夫の存在が大きかったと思います。とても理解のある人なので、話を聞いてもらいながら、「とにかく今は治療を乗り切ろう」と二人で話していました。
身近な人に支えてもらいながら、何とか治療期間を乗り越えた、という感じです。
岸田 やはり、まずは目の前の治療を乗り切ることが一番だったのですね。情報交換できる場があれば、また違ったかもしれませんね。
藤田 この6年の間で、AYA世代のがんケアはかなり変わってきていると思います。今であれば、当時よりも、もっと相談しやすい環境やサポート体制が、この病院でも、他の病院でも整ってきているのではないかと思います。
【工夫したこと】
岸田 では次に、困ったことについてお話しいただきましたが、続いて「工夫したこと」について伺いたいと思います。闘病中に、何か意識して工夫されていたことはありますか。
藤田 はい。それは、先ほどお話しした「困ったこと」ともつながっています。病院の先生やスタッフの方々は、治療に関しては本当に手厚くサポートしてくださいました。
一方で、「相談先がない」と感じていた部分については、自分の周りの人たちに、いかに協力してもらうか、という方向に意識を切り替えました。そのため、自分ががんで治療中であることをきちんと公表し、周囲の人たちに助けを求めるようにしました。
岸田 それが、次のこちらの写真につながるということですね。
藤田 はい。一例ではありますが、そうです。

岸田 これは、どういう写真なのでしょうか。どこか「みんなで飛ぼう」というような雰囲気もありますよね。
藤田 これは、がんだと告げられた翌日だったと思います。この写真自体は、最初に勤めていた会社の同僚で、プロのカメラマンをしている友人が撮ってくれたものです。
写真に写っているのは、私と、その左側にいるのが夫です。周りにいるのは、会社の同期たちです。
岸田 とても素敵な写真ですね。撮ろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
藤田 入院中にがんだと言われて、「これからどうしよう」と考えたときに、治療で外見が変わっていくかもしれないし、もしかしたら治療がうまくいかないかもしれない、と思ってしまったんです。
そのときに、「今の自分の姿を写真に残しておきたい」と思いました。そこでカメラマンの友人に、「がんになったから、遺影にもなるような写真を撮ってほしい」とお願いしました。
岸田 頼まれたほうは、相当プレッシャーですよね。
藤田 寛解してから聞いた話ですが、あのお願いをされたとき、駅のホームで泣いたそうです。
ただ、「ちゃんとした写真は撮るけど、治療を一緒に頑張れるような写真にしよう」と言ってくれて、他の友人たちにも声をかけてくれました。それで、こういう明るい写真になりました。
藤田 見た目はすごく元気そうですが、実は退院してすぐくらいの時期で、私服を着たのもほぼ初めてでした。なんとか歩いて、家の前にある猫の額ほどの小さな公園に立っているだけ、という状態だったんです。
でも、周りのみんながこんなに飛んでくれているので、私も一緒に飛んでいるように見える写真になりました。
岸田 つらいときや大変なときに、この写真を見たり、ご友人に相談したり、そういったことも工夫の一つだった、ということですね。
藤田 そうですね。具体的に「これを手伝ってほしい」というお願いを添えて、連絡を取るようにしていました。
岸田 いいですね。「これはこの人にお願いしよう」と役割が見えてくる感じがします。
藤田 はい。例えば、髪の毛のことだったら、普段お世話になっている美容師さんに相談したり、そうやって周りの人それぞれの“プロの知恵”を借りながら、乗り越えていった感じです。
【がんから学んだこと】
岸田 そんな藤田さんがこれまでさまざまな闘病経験をされてきた藤田さんが、そこから学んだことは何でしょうか。
藤田 正直に打ち明けてみる、ということです。

岸田 「あえて正直に打ち明けてみる」という言葉に託した意味について、もう少し教えていただけますか。
藤田 治療の初期は、周りに心配をかけたくないという気持ちが強くて、すごく前向きな患者でいようと頑張っていました。でも、それだけで治療期間や、その後の日々をずっと乗り切るのは、正直とても難しかったです。
実はこんなことがしんどい、こんなことが不安だ、という気持ちを打ち明けてみると、思っていた以上に「言ってくれてありがとう」と受け止めてもらえて、一緒に考えてくれることが多かったんです。
ネガティブな気持ちでも、打ち明けていいんだ、ということを学びました。
岸田 確かに、相談される側からすると、「頼ってくれた」「信頼してくれた」と感じて、より親身になれることも多いですよね。
患者さんの中には、自分の気持ちを押し殺してしまう方も実際にいらっしゃいます。
藤田 きっと、「これ以上心配をかけたくない」とか、「周りのためを思って」という気持ちがあるのだと思います。
岸田 だからこそ、正直に打ち明けて、頼ってみることが大切なんですね。ありがとうございます。
本日はショートバージョンでお送りしましたが、本当にたくさんのお話を伺うことができました。心から感謝しています。
藤田 こちらこそ、ありがとうございました。
岸田 それでは、今日の「がんノートmini」はここまでとさせていただきます。本日はどうもありがとうございました。
藤田 ありがとうございました。
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