インタビュアー:岸 / ゲスト:木島

【発覚・告知】

岸田 どうやって舌がんと気付いて、お医者さんから宣告を受けたのかを教えていただけますか?

木島 大学を卒業して。仕事はエステティシャンをしていました。

岸田 体力仕事や。

木島 7月ぐらいに5キロ痩せて8月ごろになって、7キロぐらい痩せたんです。

岸田 合計12キロ!?。

木島 最初5キロ痩せたまでは、良かったんですけど。その後は停滞期っていって、ある程度痩せたら、だんだん落ちるスピードって遅くなるんですよ。普通5キロも痩せたら、もっと落ちるのが遅くなるはずなのに、1カ月で7キロも痩せちゃって。ちょうどその頃に、お母さんとご飯を食べに行ったら「顔色が悪い」って言われて、「多分、化粧してないからだと思う」って言ったんですけど。「そんなに痩せてると思わなかったから、ちゃんとご飯食べてるの」ってなって。仕事も忙しいし、しょうがないのかなと思ったんですけど。突然、8月終わりごろに口内炎ができ始めて、口内炎って普段からできるものなので、そんなに全く気にしないじゃないですか。それもほっといてたんですけど、なんか口内炎が、1週間たったら大体治ってたのが、1週間たって痛さはなくなったんですけど、残ってたんです。

岸田 ずっと。口の中にあるなって。

木島 はい、残ってて。なんか痕になっちゃったらどうしようみたいなことを、冗談でお客さんに話したりとか、先輩に話してたんですけど。なんか2週間とかたっても、ずっと口内炎が残ったまんまで。

木島 歯医者さんに行って、「口内炎も治んないんですよ」って言ったら、「ストレスじゃないですか」と言われて、一過性のものっていう感じだったので、そんな気にもせず過ごしてたんですけど。その後、ご飯を食べれなくなっちゃって、仕事ちょっと休んだらってなって、しばらく仕事休んでたんですよ。

岸田 秋口ぐらいから。

木島 休み始めて、本当にご飯全く食べなかったので、動けないってなって、もう働けないってなったんです。なので、しょうがないですけど仕事を辞めました。

岸田 辞めたんや。

木島 辞めてしまいました。

岸田 仕事辞めて。しばらくは、ちょっとずつ、ご飯も食べれるようになってきて回復してきたなと思って、その頃からちょっと友達とご飯食べに行ったりとかしてたんです。でも口内炎の痕は治んなくて、変だなみたいな、痕になっちゃったんだなって思ってたんですよ。それが9月の終わり頃かな。ある日、友達に合コンしようよっていう話がきて。合コンがあるから行こうよって電話をしてたんです。そしたら突然なんか舌がすごいなんだろう、脈打つ感じ。

岸田 舌が脈打つ感じ。

木島 そう、心臓の音みたいな。

岸田 どっくんどっくんと、舌が。

木島 打ってて動いてるんですよ、電話してるときなんか変だなと思って、「はい、切るね」って言って電話切った瞬間に、すごい痛みが走って。よだれがすごいぶわっとあふれてきて、びりっと痛みが走って。気付いたらなんか舌が、口の中でよだれがあふれてて。やばいと思って押さえながら台所行って、うえって吐いて。口ん中がいっぱいになっちゃうんです、なんかで。いっぱいになってて、何だろうと思って恐る恐る鏡見たんです。べろしか見えなかったんですよ。あご上まで舌が膨らんじゃってて。

岸田 ぶわって。

木島 そーそー。「あっ、あっ」みたいになって、深夜だったので「お母さん、お母さん、なんか口の中がやばい」って。お母さんも「何?」みたいになって、べえって見せたら、「えっ!」みたいになって。その後にロキソニン飲んでちょっと痛みは治まったので寝て、明日病院行こう思い朝になって病院に行来ました。

岸田 その病院は、その前に行った歯科とかじゃなくて?

木島 じゃなくて、いろんな病院行ってたんですけど、その働いてた頃に行った病院っていうのは職場の近くの病院だったので、また地元とは別の病院だったので。

岸田 実家に帰ってるからね。

木島 そうなんです。自分の地元の病院で診てもらったら、なんか「これは、やばいね」ってなって、「膿が出てる」って言われて。膿を取ってもらったんですよ。びゅうっと押さえて、びゅって。膿を取ってもらって、その後に体が動かなくなっちゃって、目の前がぐわんぐわんみたいな。

岸田 よくテレビとかであるやつだね。

木島 そうそう。

岸田 ぐわんと。

木島 なんかもう意識を失う感じが分かって、手も動かなくて物を落としちゃって、どんって。そしたらみんな気付いて、やばいやばいってなって、前の人は、こう持ち上げてくれて。

岸田 もう倒れて、荷物だけじゃない、自分も倒れ・・・。

木島 気付いたらその病院のベッドに寝てて。「これは普通じゃないから、明日必ず救急車呼んでもいいから(別の)病院に行って」って言われて。次の日になって別の病院に行って診てもらったんですよ。最初は舌をちょっとカットして検査するようなやつ。

岸田 ちょっとだけ切って?

木島 いやぶちっと切って、めちゃめちゃ痛いんですけど、カットして、それに2週間ぐらいかかって、10月の中旬ぐらいになって、「木島さん、ちょっとまずい病気みたいなんですよ」って言われて。「多分、1週間ぐらいの入院で終わっちゃうと思うんですけど、ちゃんとした先生に診てもらいましょう」って言われて。

木島 偉い先生のところへ行ったら、「落ち着いて聞いてくださいね」って言われて、お母さんと一緒に行ったんですけど、「娘さんは舌がんっていうがんで、舌にできるがんで、舌がん」。

岸田 2回言われたんですね。

木島 「リンパにも転移してる」って言われて。

岸田 なるほど。

木島 「ステージは3から4です」って言われて。結構、淡々と言うんです。「ステージは3から4で、手術は大体12時間ぐらいですね」って言われて。最初なんか、「はい、はい」って聞いてて、何言ってるのか分からなかったんですよ、最初は。お母さんも「舌がんって何?」「リンパって何?」みたいな感じになってて。なんかもう、その時は頭真っ白だったので、淡々と説明を聞いて、「いついつ入院するので手続きするために下に行ってください」とか、そういうふうに言われて、何だろう、言われるがままに下に行って説明とかを聞いてたんですけど。

岸田 じゃあ、「舌がんって何?」っていう感じで、頭真っ白になった?

木島 なりましたね。ちょっと確かに舌がんなんじゃないかなっていうのあったんですけど、「若い人はならない」って断言されてたんですよ、どこかの病院で。

岸田 まじで。

木島 「そうだよね、なんないよね」ってなって、ほっといたら、もう転移しちゃってましたっていう。

岸田 じゃあ、そこで宣告受けて。

木島 だからご飯食べれなかったのも、今考えると、多分、喉がやられてたんですね。

岸田 そっか、転移してやられちゃってたのか、喉までも。だからご飯食べたら気持ち悪いし、なんか普通に飲み込むのも・・・。

木島 普通に飲み込めなかった。それが宣告までです。

【治療】

岸田 治療はそれからですかね?

木島 はい。「舌を半分切って、ここのリンパは全部取ります」って。「その後、抗がん剤と放射線治療両方やります」って言われて。早く取らないと危ないらしくて。年末だったのでどこの病院も多分いっぱいか、もうやってない所が多かったんです。それでもうやるんだったら手術しかないとなり、まずは開けて手術をしました。

岸田 ちょっと整理させていただきますと、2014年が、秋口ごろ10月に発覚して、そっから11月、切っての検査を、2週間ぐらい・・・。

木島 そうです。

岸田 検査をやって、その後に12月25日に入院したんですか。

木島 そうなんですよ、クリスマスに。

岸田 サンタさんからプレゼント。

木島 「プレゼントだって?ふざけんなって」いったんですけど。その日に入院して。

岸田 もう年末近いから、その診てもらったところにそのまま入院して、まず取ってみようと。

木島 取ってもらうことになったので、実際、手術は年明けの1月の5日からだったんですけど、入院はこの日からやってて検査とかを毎日してました。

岸田 毎日してたという形で。結局、1月手術を受けるわけですけど、その手術は、さっき言ったように、舌どれぐらい切ったんですか。

木島 当初は半分の予定だったので、まだ普通の人と一緒ぐらいしゃべれるということで心配してなかったんですけど。取ってみたら予想以上に広がってたみたいで、4分の3取って。

岸田 けど、しゃべれてるやん。

木島 しゃべれるまでの道のりが、すごい長かったんですよ、本当は今日もよだれ掛け持ってこようと思いました。つばが延々と出るんで。

岸田 そうね。舌がんの方ってそういう方多いよね。

木島 なんか、4分の3ぐらい取るのを、舌の亜全摘っていうのかな、全摘出じゃなくて亜全摘っていうみたいで。半分以上取ったら話せる、言葉に障害が残るっていうのを知らなかったんですよ。自分はそうならないって信じてたので、、、

岸田 4分の3取って、そこから検査。

木島 取って、ここは最初、「リンパに転移してるものが4つぐらいある」と言われてたんですけど、「1つを取ってみたら、転移してるのは1つだけだった」と言われて。ただ、転移してる場所が悪かったみたいで、レベルがあるみたいで、1、2、3、4みたいな点数があるみたいなんですけど。私はレベル4。

岸田 下のほうが転移しちゃってたんだ。

木島 転移しちゃったので、「これはもしかしたら流れちゃってるね」みたいな言われて。

岸田 酷やな。

木島 流れるとかあるんだ、みたいな。本当にそういうのあるんだって思って。1個だけだったから、まだ、抗がん剤とか放射線はやらなくて済むってなったんですよ。

岸田 手術だけで良かったんやね。

木島 良かった。ただ問題は舌の部分にあって、「半分以上取っちゃったので、もう言葉もご飯食べることも1カ月はできない」って言われて。

岸田 できへんよね。

木島 そうなんですよ。

岸田 その2015年1月手術して、14日、また手術してるんですか。

木島 そうなんです。そこからは本当ひどかったんですけど。私は、この右の部分に腫瘍ができたので、右の部分を結構いじってたと思うんです、長い時間。感染しちゃうとなんだろうな、もう一回舌を取って。

岸田 ええっ。

木島 本当は移植した部分が、何だろう、血管がちゃんと通んないと駄目なんで、舌に針を刺して、ちゃんと移植した部分が機能してるかどうかっていうのみるんですけど。そこはちゃんと機能してたんですけど、ここも感染しちゃって、すごい腫れたので、なんか、感染部分を取んないと駄目ってなって。そのとき私、女の子の日で。

岸田 女の子の日で。

木島 手術終わった直後は女の子の日になって。感染して、熱が39度出てっていう、なんかもう。

岸田 いろんなダブルパンチ、トリプルパンチくらって。

木島 はい。動けない、意味分かんない、その状態で、動けないので、その病室のベッドでミニ手術みたいなのを。

岸田 感染の手術して、腫れてた部分を取ったんかな。

木島 抜いたんです。膿がたまってたのか、感染で。

岸田 そういうことか、

木島 それが1回目の感染の手術です。

岸田 また31日も手術したんですか?。

木島 そうなんです。また感染して。最終的に先生はなんか、「ちゃんと病室にいなかった木島さんが悪い」って言い出したんですけど。

岸田 病室にいない?。

木島 なんか外に出たくて。リハビリみたいな感じで、ちょっとずつ車椅子乗って外に出始めた頃だったんですけど。そのときに、また感染しちゃって。

岸田 外に出ちゃったのね。止められてはなかった。

木島 止められてました。

岸田 止められてた。前のゲストの方も、止められてたけど外出たりだとか。みんないろいろ若さあふれる。

木島 あふれますよ。外出たいですもん。

岸田 外でどんなことしてたんですか、そのとき。

木島 病院内ですよ、外出るっていうのは。

岸田 そういうことね。

木島 本当は個室の部屋にずっと収まってないと・・・。

岸田 外出だと思った、そういうことね。

木島 外出は殺されます、多分。

岸田 廊下とかそういうイメージか。

木島 だから、2週間ぐらい本来は個室にいないと駄目だったんですけど、頭おかしくなっちゃうと思って、窓開けてても怒られて。なんか友達は「ご飯食べてくるね」とか言い出すし。

岸田 行きたくなるよね。

木島 私も行きたいってなって、友達は、「ちょっとなら大丈夫なんじゃん」ってなって、

岸田 ちょっと行って。

木島 行って、人がいっぱいいる中に。全然治ってないのに出るっていう。

岸田 1回や2回やったら確かにあれかと思うんですけど。はい、どん。

木島 どん、3回目。これには事情があって、これは退院した後の話なんです。

岸田 これは退院した後なんや。

木島 2月の中旬に退院したんですよ。2月の終わり頃になって、また感染しちゃったんで入院したんです。退院したから感染しちゃったのはしょうがないな。ただ何回も感染すると危ないから、1回入院しましょうってなって、膿また抜いたんです。

岸田 また膿できちゃったんだ。

木島 なので入院して・・・。

岸田 ちゃんと治そうということで。

木島 治そうっていうので約2カ月入院したので、簡単に言うと、舌の手術した後のよりも長かったっていう。

岸田 闘病のほうが長かったんだね。

木島 そうなんです。

岸田 手術終わってから、2016年1月まではずっと、食事と話すのがリハビリかな。

木島 そうです。その手術が終わってから、1月の終わりごろからかな、ご飯を食べる練習をし始めて。鼻のチューブを抜かないと駄目だったので、まずチューブを抜く前に、ご飯食べれないと駄目だったんです。私もご飯どうしても食べたかったので、固形物とかゼリーとかを食べてたんですけど。ゼリー食べるのもすごい大変で、食べれなかったんですよ、

岸田 食べることにもすごい苦労したんだ

【家族】

木島 まず小学校の頃にお父さんとお母さんが離婚していて、お父さんとはずっと会ってなかったんですよ。お母さんと2人でずっと暮らしてたんです。がんが分かって最初お母さん、すごい明るく振る舞ってたんですけど、だんだん手術が近づくにつれて…

岸田 ちょっとテンション下がってた。

木島 テンションが下がるというか。家族に集まってもらって説明したときも、お母さんはもうすごい泣いちゃって。お母さんの妹もすごい泣いてて。その他の家族はあぜんとしてて。私はちょっと実感がなかったので、大丈夫、死なないからっていってたんですけど。その頃は私もちょっと若干、お母さん面倒くさいなとか思っちゃったんですよ。まだ何にもやってないのにそんな泣く?みたいな感じになっちゃってて。けどお母さんの妹も、「まりやは一人娘だから、いなくなったらそれは悲しいでしょう」って言われて。なんか死ぬ前提で話されても怖くて、そのほうが。

岸田 そういうことね。

木島 まだもっと明るくしてもらうほうが、私は安心だったんですけど。

木島 お父さんと久しぶりに会ったのは、がんが分かった年で、お父さんとお母さんと3人だけで集まったときが一番うれしかったんですよ。あったんですよ、そういう瞬間が。

岸田 家族水入らずじゃないけど、そういうタイミング、そういうときでしか会えなかったのかもしれないね。

木島 小さい頃はお父さん単身赴任で、あまり遊んでもらった記憶がなかったので、久しぶりにすごい話をしてお父さんに甘えられてうれしかったんですよ。

岸田 そういう機会が得れたっていうのは、すごく良かったですね。

【後遺症】

岸田 最初は話しづらかったと思うんですけど、どういうリハビリを経て、今までこんなに話せるようになったんですか?リハビリはどんなことをしましたか?

木島 正直言って病院のリハビリは役に立たなかったです。話してもいいですか・・・。

岸田 いいよ、どんどん言っとこう!

木島 話すっていうのは、病院の先生はある程度分かるんですよ。ちょっと話せなくても、いろんな人の話を聞いてるので「話せてるよ」って言うんですよ。それで話せてるんだって思って友達に話してみると、「全然、分かんない」って言われて。だから、病院の先生は多分気遣って「分かる、分かる」って言ってるので…「先生駄目だな」と思って、自分はもう諦めて…。まず自分が普通の人と話して、どういうふうに思われてるのかっていうのをすごい聞きました。気遣うのは、もちろん普通の人にとって通常のことだと思うので、そこは気にしなかったんですけど。まだ自分も、普通の人みたいに電話したいし、普通の人みたいにご飯食べたい、話したい、遊びたいっていうのがあったので、普通の人といっぱい話す。

岸田 普通の人といっぱい話す。

木島 いっぱい話して自分は何を、どの言葉が一番伝えにくいのかとかっていうのを。

岸田 把握するんだ。

木島 把握するんです、自分で。

岸田 何が言いにくかった? ちなみに。

木島 か行です。か行がしゃべれないってなったら、全部の言葉を変えるとか。

岸田 か行を使わないようにするってこと?

木島 いや、その文脈で言葉が分かるようにとか。いろいろ考えてやってます。意外と落ち込んで、「なんか全然話せないんだよね」って言うと、みんな「そうだよね、いいよ、話さなくていいよ」ってなっちゃうので。どんどん話して頑張ると、その分みんなも応援してくれてる人増えるなっていうのはよく分かったので。後遺症は、まだいっぱい残ってるんですけど、まだまだ治していけるかなとは思ってます。

岸田 ありがとうございます。すごくいいリハビリの方法を聞きました。いろんな人とまず話すということですね。

木島 そう、話す。

【キャンサーギフト】

岸田 キャンサーギフトって、がんになって得たこと、得たものっていうものになるんですけど。がんになって得たもの、あえて言うなら。

木島 今まで自分が、どれだけわがままだったのかとか、人の優しさに気付来ました。今まではあまり好きじゃなかった人もすごい心配してくれて、泣いて心配してくれた人もいて。なんか結構、偏見が多いほうで、この人は絶対こういう人だろうなって、想像で人と接しちゃうほうだったので。自分が動けば、みんな応援してくれるっていうこともよく分かったので、悩むよりも行動してみて、自分の行動で反省するっていうことも大事なんじゃないかなと思います。

岸田 人に対する偏見がなくなったっていうことですね。

【夢】

岸田 まりやちゃんの夢、今後どうなっていきたいですか。

木島 接客業をやりたいです。もともとエステティシャンだったので。本当はその仕事をやりたい。

岸田 エステティシャンに復帰する。

木島 復帰したい、本当は。見た目ってすごい大事だなって思う。化粧療法って知ってます?落ち込んでいる人でも見た目をちょっと清潔にするだけでも、うつは回復するとかっていうのがあるみたい。

岸田 見た目の部分から。

木島 そうなんです。ちょっと見た目から入るって、あまりイメージがいいほうではないと思うんですけど。なんかこう、エステの仕事してて、痩せてくとだんだん自信持っていくんですよ、皆さん。それで「うまくいきました」って話とかも聞いて、そこにすごいやりがいを感じてたので、できたら、そういう仕事に戻りたいなと。

岸田 いいんじゃないんですか。そのハードルって、しゃべることですか。

木島 しゃべることもだし、本当は筋肉をもっと付けないと駄目なんですけど。

岸田 今もしゃべれてるから、そこは大丈夫やと思うし。あとは筋肉ですか。

木島 そうですね。

岸田 夢があったら、それにまい進していけると思います。

 

 

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 今、闘病中のあなたへ。まりやさんからのコメントをいただきたいと思います。

木島 自分を忘れない。

岸田 どういう意味ですか。

木島 話せなくなってしまったときに、私って何か変わったことあるって友達に聞いたんですよ。「話せなくなって変わった?」って聞いたら、友達が、「まりやは何も変わってない」って言われたんです。たとえ病気になって、自分が普通の人と違うっていうのが分かったら、他人からどう見られてるのかっていうのを、一番気になる部分でもあったんですよ、どうしても。やだろうなとか、しゃべれないって変な人だと思われてるだろうなっていうのはあったんですけど。「何も変わんないよ」って友達に言われたときに、そのまんまでいいんだなっていうのが。ありきたりだと思うんですけど、すごい大事だなと思ってて。あと自分のやりたいこととかも、しゃべれなくなっちゃったから諦めるんじゃなくて、こういうふうになっちゃった自分を、自分でどうやって頑張っていくかっていう、全部自分ベースで考えてやっていくことが、すごい大事だなんと思います。だから自分のやりたいこととかも諦めないでやってみる。やってみて駄目だったほうが絶対悔いはないと思うので。そういう部分では自分をもって自分を忘れないことは、すごい大事だなと思います。

岸田 それはすごい、いい言葉です。もちろん、がんになってから変わっちゃった部分もあるかもしれないけれども、そうじゃなくてちゃんと自分の根幹というか。

木島 その自分を受け止めて落ち込むんじゃなくて、落ち込むこともすごい大事なんですけど、こうなっちゃったからもう駄目だじゃなくて、こうなっちゃったから、どうしようっていうふうに考えてくっていうのが、すごい大事だなとは思います。

岸田 それをちゃんと受け入れて、自分っていうの忘れずに生きていく。そして夢を諦めずに自分のやりたいことは、やっていくっていうのが。

木島 そうです。自分で起き上がんないと誰も助けてくれないと思うので。本当、それはそう思う。

岸田 そうですね。自分をちゃんともっていく、そういったところを思って頑張っていきたいと思います。まりやさん、今日はありがとうございます。

木島 ありがとうございます。

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