性別 | 女性 |
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がん種 | 乳がん |
治療方法 | 手術, 抗がん剤, 放射線 |
ステージ | Ⅳ |
罹患年齢 | 20代 |
インタビュアー:岸田 / ゲスト:ユミ
【発覚・告知】
岸田 今日はよろしくお願いいたします。
ユミ はい、ユミです。現在34歳です。 闘病歴は今で11年目になります。病気は乳がんで、現在も闘病中です。
岸田 今日も抗がん剤を打ってきたんですよね?
ユミ はい、さっき打ってきました。
岸田 そう、ほやほやな感じで。あの、10年前の話にはなりますけど、どうやって乳がんに気付いたかっていうのを、お伺いできますか?
ユミ 11年前なので、ところどころ記憶が飛んでいるかもしれないですけど、最初に「あれっ?」と思ったのが、自分で触ってしこりに気が付いて。お風呂かなんかのときだったと思うんですが、「あれ?なんかグリグリがある」と思いました。だけど年齢的にも違うだろうとは思ってて、「ちょっと炎症起こして腫れてるだけかな?」とかそんなことを考えて近くの産婦人科に行って診てもらったんですね。そうしたら、「もうちょっと大きな病院で調べてもらったほうがいい」って言われて、それで紹介状を書いてもらって、大きい病院で詳しく検査しました。針で細胞を取ったり、マンモグラフィーなどをやりました。その結果を聞きに言ったら「どうやら悪性でした」 っていうことでがんがわかりました。
岸田 告知を受けたとき、どう思いました?
ユミ なんか「えー!?」っていうところまで自分の気持ちが追いつかないというか、まだ現実として受け止められないっていうのがいちばん大きなところでしたね。がんっていう病気は自分とは関係ないものだと思ってたので……。
岸田 まだ24歳ですもんね。
ユミ 言われた日は現実のものとして全然受け入れられてなかったですね。
岸田 そうですよね……。告知を受けたときは1人でした?
ユミ 1人です。それで「親御さん呼んでください」って言われたので急いで携帯で呼んで、そこから親も合流して3人でもう一度詳細を。どういう治療をしないといけないかという話をもう1回聞き直した感じですね。
【治療】
岸田 告知を受けてそのあと治療に入っていったんですよね。
ユミ はい。最初に「それほど大きな腫瘍でもないので、おそらく初期の乳がんでしょう」ということを言われまして。 あと「初期の乳がんだったら、局部を取るだけでいいよ。体の負担も少ないし大丈夫ですよ」ってことで。それ聞いてちょっとは安心してたんですけども、「腫瘍を小さくしてから取りましょう」ということで、初めにしたことは抗がん剤治療ですね。
岸田 抗がん剤治療をして、小さくなりました?
ユミ はい、なりました。
岸田 プランどおり手術はしました?
ユミ はい。手術と同時にリンパ節に転移がないかっていうことも少し取って調べてもらいました。その結果、リンパ節転移はなくてまだ進んでないがんだから、「根治も可能です」っていうことを言われました。そこで希望がちょっと見えて 「やったー!」という感じでした。
岸田 それは「やったー!」ですよね。
ユミ そうですね(笑)。
岸田 じゃあ、ステージ1とか2?
ユミ リンパ節転移がないので、1ぐらいですかね。そのあとはしばらく様子を見ましょう、ということで、ホルモン治療と、手術終わったあとも再発予防のために放射線治療をしました。毎日ちょっと放射線を当てに病院に通って、その間もおなかに注射するホルモン治療も受けながら、「あとはホルモン治療を持続させながら様子見ましょう」ということで、 いったんは落ち着いて経過観察になりました。
岸田 それはほっとしましたよね。
ユミ そうですね。まだ初期で部分摘出で済んだので、胸も全部取らなくて済んだし、抗がん剤治療で髪は抜けても、また生えてきて元どおりになったんで、全然それは問題なく。「もうこれで病気さえ完治すれば元の生活に戻れる」と思いました。
岸田 その2年後の2008年、26歳のときに乳がんの再発。
ユミ はい。定期健診を半年に1回ぐらい受けていて、クリアしてきてたんですけども、2008年に検査でついに引っかかってしまって。「同じところにまた再発しました、全摘出です」って言われて。やっぱり部分摘出と違って、全摘出はすごく嫌だったんですけど、命を天秤にかけたら、もうそれしか方法がないので。全摘出手術を受けて、それでまた放射線治療とホルモン治療で、またしばらく経過観察しましょうということで、そのときはそれで治療は終わりました。
岸田 全摘出したときは、同時再建とかですか?
ユミ そうです。同時再建手術というもので摘出してもらいました。それで手術をしたあとはエキスパンダーっていうものを入れて、風船みたいに膨らましてから最後にシリコンを入れるんですけど。
岸田 膨らましてから入れるんですか?
ユミ そうです。皮を伸ばしてから、シリコンを入れるんです。
岸田 ああ、そういうことですか。
ユミ そうです。切ってすぐは皮膚がピンピンの状態なんで、徐々に皮を伸ばしてからシリコンを入れて、胸を作るっていう方法です。
岸田 徐々にっていうのは、手術のときに徐々にじゃなくて何日かかけてっていう意味ですか?
ユミ はい、長いスパンで。通院しながらちょっとずつ膨らましていって。いろんな方法があるんですけど、その方法でやりました。でも残念ながら私、拒絶反応が出て。
岸田 シリコンが合わなかったってことですか?
ユミ はい。体の中に異物が入ってることで膿がすごい出て、強烈な激痛が起こりました。「もうこれは取り出さないとダメです」って言われて、結局再建手術はできなくなってしまって。おなかとかお尻とか自分の体を切って胸に持ってくる方法もあったんですけど、もう自分の体にメス入れるのが嫌だったので……。
岸田 そうですよね。
ユミ で、再建手術はあきらめました。
岸田 そっか……。やっぱり合う合わないもあるんですよね。それで、26歳のときに全摘出して経過観察になったのに1年後、27歳のときに骨転移。
ユミ ものすごく背中と足が急に痛くなって、「いったいこの痛みはなんだろ う?」と思って、歩くのも足を引きずるような感じで。で、病院に行って検査をしたら「骨に転移しています」と言われて、「あー、まさかの遠隔転移してしまった」と。そのときがものすごいショックでしたね。
岸田 それはショックですよね。だって、再発して手術して、もう大丈夫だろうと思ってからの、もう1回ですもんね。
ユミ 間隔も1年ぐらいしか空いてないし、「せっかく全部取ったのに」「これで治ると思ってやったのに」って。すごくショックでしたね。
岸田 そうですよね。骨転移がわかってから手術したんですか?
ユミ いや、治療はあんまりきついのはしないでおこうと思って、副作用の少ない飲み薬の抗がん剤治療と、痛み緩和ですね。
岸田 緩和ケアが入ってくるんですね。
ユミ そうですね、放射線治療がいちばん骨転移には効くっていわれていたので、というか放射線治療ぐらいしか有効な手段があまりないので、痛いところに当てることになりまして。もう足が何より痛かったので、足に照射。
岸田 転移は足だけですか?
ユミ あと肋骨もですね。肋骨も痛かったんですけど、足の方がとにかく痛くて、座るのも寝るのも歩くのも痛いという感じでした。
岸田 それはきついですね。
ユミ 痛いのはちょっときつくて、我慢できなくて。強烈な痛みだったんで、それで放射線を当てました。
岸田 当てた結果は?
ユミ すごく効いて。
岸田 おお!
ユミ 痛みがあっという間になくなりました。「ああもう治ったんじゃないか」 っていう感じの効き目だったんで、それでとりあえず痛みは治まりましたね。
岸田 それで、とりあえず治まって。
ユミ 先生は「骨転移だけでは命どうこうっていうことはないので、この状態をとにかく維持しましょう」って。
岸田 そのときには、骨のところしか腫瘍はなかったんですか?
ユミ 内臓はどうもなくて骨だけでした。なので、まだそこまで「絶望的な感じにならなくてもいい」って言われてて。
岸田 ちょっとへこんだけど、放射線が効いたからまたちょっと希望が見えたというのが27歳のとき。
ユミ はい、そうです。
岸田 で、2011年の秋、29歳。
ユミ 秋にまた同じところが痛くなってきて、歩くのがつらくなったので、放射線治療をまた開始しました。「抗がん剤もしたほうがいい」って言われたので、飲み薬の抗がん剤を処方してもらいました。それだと髪が抜けないんですけど、効果はすごくありました。
岸田 じゃあ抗がん剤自体は続けていたんですね。で、悪化してきて、また放射線治療を受けたということで。この治療は効いたんですかね?
ユミ はい、また効きました。内臓はまだ大丈夫なんで経過観察と言われて。
岸田 それで、また経過観察になって。
ユミ ホルモン治療と飲み薬の抗がん剤と骨の薬は続けていました。
岸田 ずっと続けているけれども、その1年後の2012年冬。
ユミ はい、背骨に広がってしまいまして。
岸田 背骨に。
ユミ 腰、頭蓋骨、あとついに肺にもいってしまいまして。30歳になったときに、肺に転移してしまって。「ああ、これはちょっとまずい」と。レントゲンにも写ってるし、CTも受けて、それで「これは早急にちょっと薬を変えないといけま せん」と言われて、それで「もう飲み薬じゃなくて、点滴の抗がん剤にしましょう」と言われて、それで、放射線治療と点滴の抗がん剤治療に変更しました。
岸田 それけっこう効きました?
ユミ はい、点滴はすごい効きました。それで、この2012年から現在に至るまでずっと点滴の抗がん剤の治療を受けています。3週連続で行って、1週休んで、また3週連続で行って、1週休み。このパターンです。もうずっと3年近く。
岸田 それをやりはじめて3年後の 2015年夏……て、去年ですね?
ユミ なんかふらっとふらつきが出てきて。なんか気持ち悪くなって、食欲が急になくなって。なんか頭も痛くって、そしたら先生が「ちょっとMRIで脳の検査をしましょう」って。今まで頭はまったく関係ないみたいに思ってたんですけ ど、一度精密検査しましょうと。そしたらついに頭にまでできてしまいまして、それでもう脳だと抗がん剤が届かないので。脳の手前で抗がん剤がシャットアウトされるんですよ。なので、放射線治療が有効ですってことで、脳全体に放射線当てました。
岸田 じゃあ、脳転移して放射線も全部受けて……。
ユミ 放射線が効いたので、とりあえず脳のほうは経過観察で、抗がん剤治療を続けながら様子を見ていきましょうということで言われたんですけど……。
岸田 けど?
ユミ 今日検査結果を聞いて、治療方法を変えないといけないという話があったので、またちょっと治療内容が変わるかもしれないです。
岸田 何か見つかったんですか?
ユミ 見つかったというかお薬の効きが悪くなってきたみたいで、腫瘍マーカーの値がすごい上がってちょっとポツポツっとCTに写るようになってきちゃったんです。あと、じつは肝臓にも転移していたみたいで。2012年から同じ薬を使っているんで「そろそろ効かなくなってきたんでお薬変えましょうか」って話が今日出たばかり。
岸田 マジですか。で、もちろん変えるんですよね。
ユミ まあ先生とちょっと相談して。
岸田 リアルタイムですね、本当に。それを聞いたときはどう思いました? 「うわあ」みたいな感じか、もう達観してる感じなのか。
ユミ 達観とまではいかないですけど、いずれは効かなくなる日が来るかなと思ってたんで。でもお薬は使ってないものがたくさんあって、まだそれだけお薬があるということは恵まれてるほうなんで、効くお薬を先生にチョイスしてもらって、現状維持を続けてたらいいかなと思って います。
岸田 すごい。今まで効いてたやつが効かなくなったら、僕だったら「うわあ」ってなると思うけど、10年闘病してきていると本当に言う言葉が、全然違いますね。
ユミ いやいや、いずれはくるタイミングなんでね。もうそれはしようがないです。
【恋愛】
岸田 そしてじゃあ次に、恋愛・結婚について。ユミさんは今34歳。
ユミ もういいお年です。24歳だったのに(笑)。
岸田 本当にいい期間をがんと一緒に過ごしてるじゃないですか。
ユミ そうですね。恋愛と結婚についていちばん考える年齢だったので、この年齢で病気になってしまったっていうことはすごく大きいですね。
岸田 24歳で乳がんになった当時、彼氏とかいました?
ユミ いました。彼なりにサポートをすごいしてくれたと思います。
岸田 関係的には続いてます?
ユミ 長い間続いてたんですけど、ちょっといろいろあって途中でお別れしました。
岸田 それはどのタイミングでお別れになったんですか? 何歳ぐらいのとき?
ユミ 29歳のときですね。
岸田 じゃあ告知を受けてからもお付き合いは長かったんですね。
ユミ そうですね。
岸田 別れて、それから、じゃあ次ってなるじゃないですか。ちなみに今は?
ユミ 今はいます。
岸田 良かったです。
ユミ でもすごく最近の話で、数か月前の話なんですけど。
岸田 おー、おめでとうございます。
ユミ ありがとうございます。やっぱり病気になる前から付き合ってるのと、病気になってから相手を見つけて付き合うっていうこの違いっていうか、なんて言ったらいいかわからないんですけど。正直、「病気になってから付き合う人なんて、できないわ」って思ってたんです。
岸田 思いますよね。
ユミ 「病気だ」って相手に伝えたところで、すごい引かれてそれでもう終わっちゃうんじゃないかとか、しかも私、ステージが4なんで。
岸田 そうですよね。
ユミ はい。この状態を受け入れてもらえる人なんていないだろうなということで、諦めてはいたんですけど。
岸田 けど、見つかった。
ユミ 世の中全然わからないもので、こういうことがあるんだと思って。いろんな人がいて、本当に人生何があるかわからないなって
岸田 友達の紹介で?
ユミ はい。
岸田 その紹介されたときに、「自分ががんです」って先に伝えたりしました?
ユミ 言わなかった。でも、もしお付き合いとかそういうふうな話になったら言わないといけないなと思ってて、相手をだますような気分になるのでね。で、そういう話を言われたときに、「じつは」ってことでそこでカミングアウトして。
岸田 お付き合いするときに自分からちゃんと伝えたんですね。
ユミ そうですね、やっぱりそれはちゃんと。本当は言いたくないっていう気持ちのほうがずっと大きくて、これを言うことで、「あー、もうまたダメになるわ」 って思っていて、でもこの壁は乗り越えないといけないところなんで、「全部言わないと」と思って言ったら、「じゃあ、 今度病院に行く」って言ってくれたんです。
岸田 一緒に病院に?
ユミ はい。
岸田 来てくれて、先生から一緒に話を聞いたんですか?
ユミ はい、具体的にどういう病状なのかっていうことも聞いてくれたうえで付き合ってくださってるので。
岸田 いい彼氏さん!
ユミ だから、そういう人もいるんだなと思いました。そんな人はいないと思ってたんで。一般的にはやっぱり健康な人がいいじゃないですか、きっと。
岸田 たぶんそうなんですかね。わからないですけど。
ユミ と思っていたんで、だから恋愛も諦めるべきものじゃないなとは思いましたね。
岸田 すごい。諦めなかったら本当に。「がんノート」を見てくれている人には、めっちゃ勇気になると思いますよ。
ユミ そうですかね。だからもう「恋愛とか結婚なんて自分には関係のない話になってしまったわ」ってずっと思ってたので、もうこんなに病状も進んでるし、 どうなるかわからないっていう毎日を過ごしているなかで、こんな話が来るなんて思いもしなかったので。
【辛いこと・克服】
ユミ 正直言って克服はまったくできてないです。つらいときはやっぱりつらいですね。気分がいいときはいいんですけど、ふと振り返ったときに「つらい」って気持ちが押し寄せてくる日もありますし、なんか楽しいことを考えたらって思うけど、どうしても途中で考えがくるっと変わってまた落ち込んじゃったりっていう日もあるんで、それはもう日によってまちまちなんです。「常に前向きでいたい」っていう自分がいるけど、実際なかなか難しくて、日々自分との戦いというか。
岸田 じゃあ、そういうところで無理してはいないってことですよね。
ユミ そうですね。私が10年闘病してきて思ったのが「がんばるのをやめよう」。 痛いときは痛いと言って痛み止めを使って、しんどかったら思い切って会社も休んで1日ゆったりして。無理をせず、がんばらず。でもまあそこそこがんばって(笑)。治療とかがんばらないとできないことありますしね。
岸田 生きてくうえでね。
ユミ そうです。何もがんばらないわけにいかないので、でも適度に休みながら、自分に噓をつかないように。ものすごいしんどいのにしんどくないって言ってがんばりすぎて、倒れるようなことにならないように、ほどほどにがんばろうっていう感じですかね。
【キャンサーギフト】
岸田 がんになって失ったものはいっぱいあるかもしれないですけど、強いて言うと得たものは何ですか?
ユミ 病気になってから考え方がすごい変わって、いろんなものを見て感じることが病気になる前とまったく変わったんですね。些細なことでも大事にしようと思えたりとか、病気になる前と一日一日の見え方が全然違って。ありきたりな言葉なんですけど、1日がすごい大事に思えるようになったりとか、ちょっとしたことですごく感動するようになったんですね。すごく涙もろくなって、「こんなことで泣くの」っていうことでもすっごく涙があふれてきたりとか、感情的になって。でもそれは悪いことじゃなくて、なんか人間らしくなったのかなと思っています。あと、病気になってから出会った人たちもとても多くて、みんなすごくいい方なんですね。がんばってこられてる方ばっかりで、見習わないといけないなと思う方もたくさんいるので、逆に勇気をもらっています。そういう方と出会えたのも病気になったからこその出会いなんだなと。そういう面では健康なときでは得られなかったことだなと思っていますし、よかったなと思っています。
【今、闘病中のあなたへ】
岸田 今、闘病中の方たちに向けてメッセージをお願いします。
ユミ 「がんばりすぎず、自分の楽しいことを何より優先してほしい」。どうしても治療とかでどんどん自分を追い込んでしまったり、自分自身を大事にできてなかったり、自分の好きなこともあきらめてしまいがちなんですけど、どうか自分を見失わないように、自分を大事にして、治療してがんばっていきたいなっていう気持ちですね。
岸田 がんばりすぎず自分の楽しいことを何よりも優先してほしい。本当にね、ユミさんのがんばってる姿勢やそういったところがお話の節々で出てきたと思うんですけども、やっぱりこの言葉はユミさんらしいなって思いました。
ユミ そこがすごい大事だと思うんですね。何のためにがんばるのかってことなんですよ。なんか「がんばるためにがんばってる」とか、そういうふうにしんどいスパイラルにどんどん陥ってしまうので、「楽しいことをするために今がんばってるんだ」っていうふうに、ちょっと切り替えたりしてもらえたらもうちょっと前向きに一歩近づけるかなと私は思います。