性別 | 女性 |
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がん種 | 悪性黒色腫(メラノーマ) |
治療方法 | 手術 |
ステージ | 1a |
罹患年齢 | 20代 |
インタビュアー:岸田 / ゲスト:畠山
【発覚・告知】
岸田 今日のゲストは、畠山枝李馨さんです。今OLをされてますよね?
畠山 そうですね。会社員として働きつつ。
岸田 がん種は?
畠山 悪性黒色腫というメラノーマという、ほくろのようながんですね。皮膚がんのひとつです。ステージは、初期だったので、ステージ1a。
岸田 現在は経過観察中ですか?
畠山 はい。3か月に1回通院しながら経過観察をしています。
岸田 がんがわかったときのことを教えていただきたいんですけれども。
畠山 はい。がんがわかる1年ぐらい前にさかのぼるんですが、2011年3月11日に東日本大震災があったんですね。それで、私ちょうどそのとき仕事で仙台にいまして、被災してしまったわけですよ。
岸田 それががんがわかったことにつな がってくるんですか?
畠山 そうなんですよ。そこから、体調を崩すようになってしまって。会社に行っても、なぜか涙が止まらなくなってしまったりとか、もう情緒不安定になってしまったんですね。で、ちょっと友達に「病院行ったほうがいいよ」っていうふうに言われて。そして、病院を紹介してもらって、心療内科に行ったんですけど も。そうしたらそこの看護師の方が優しい言葉をかけてくださるたびに、私はボロボロに泣いてしまって……。そのような状態だったので、お医者様には、「ちょっと適応障害ですね」というふうに言われました。それから、お薬を飲みつつ最初は会社に行ってたんですけれども、 副作用がけっこう強いので、眠気とか、だるさとか、吐き気とか……。結局会社にも行けなくなってしまったんですね。 そして、そこから療養ということで、 精神的な病気でのお休みの期間に入りました。精神的な病気でのお休みの期間っ て、「え、ウソでしょ?」って思われるかもしれないんですけど、私、じつはあまり記憶がないんですよ。トイレにも行けないぐらいで。ベッドからも起き上がれない、あまりにもだるくて。吐き気もすごいし。トイレに行くときは這っていったっていうことをなんとなく覚えてるぐらいで。そのような半年間でしたね。
でも、半年ぐらいしてきたら、ちょっと動けるようになってきたんですよ。そこで、ちょっと時間もあるし、なんか気になるところは全部調べてもらおうと思って。私、小学生のころから、おなかの左のほうに、ちょっと大きめのほくろがあったんですけれども、そのほくろが、ちょっと盛り上がったような形になって、イボみたいっていうか、ちょっと染み出したような感じで。これはもしかしたら、なんかがんかもしれないって頭の中にふとよぎったことがありまして。それが気になったので、診てもらおうと思って、 総合病院に行ったんです。そうしたら、 皮膚科でちょっとこれは怪しいから、とりあえず切って、生検(※1)に出そうということになりまして。直径8ミリの大きさのほくろを含めて1センチちょっとぐらいを切り取って、病理検査に出して、結局、「メラノーマでした」というふうにお医者さんから言われたっていう のが告知でした。
岸田 そうだったんですね。お医者さんから、どんな感じで言われたんですか?
畠山 けっこうあっさりでした。テレビとかで見てると、がんの告知のときって、 家族全員呼ばれてみたいな、そういう感じじゃないですか。でも私の場合、家族は青森にいるので1人でいつも通り仙台の病院に行って、先生から「あ、メラノーマです」って言われました。「あ、そうですか」って私も言って。でも「私たちの病院では、これ以上は診れないので、 もっと大きな病院を紹介しますね」とけっこうさらっと言われました。
岸田 その告知を受けて、畠山さんはどんな気持ちになりましたか?
畠山 「あ、やっぱり」って思いました。
岸田 「やっぱり」ですか?
畠山 「やっぱり」と思って。私がんかもしれないと思ってそもそも病院に行ったので。皮膚がんって唯一、目で見えるがんだと思うんですね。で、目に見える分、早期発見もしやすいと思いますし。 というので、「やっぱり」と思いました。 そのあとは、会社と母親に電話をしてっていう感じでしたね。
岸田 けっこう冷静だったんですね。
畠山 はい、意外と。
【家族】
岸田 どうご家族に打ち明けたんですか?
畠山 告知された日、母に「いやー、お母さん、私がんだった!」って言ったら、 「え!?」って。そこからどういう会話をしたかっていうのが正直思い出せないんですよ。母も混乱してしまったようで。
母は「今後私はどうしたらいいの?」みたいな。そして、手術のときには、青森から車に乗って仙台まで来てくれました。
【治療】
岸田 どんな治療をされたんですか?
畠山 治療はですね、手術、まぁセンチネルリンパ節生検(※2)というものと、 切除手術の2種類をやりました。全身麻酔と局所麻酔を使って、 2時間ぐらいの、 意外と早く終わった手術でしたね。メラノーマは手術が第一治療というふうにいわれてるらしいので。私も手術とか、そこの詳しいことについてはあんまりわか らないんですけれども。
岸田 そして、そのときの写真がこれですよね?
岸田 めちゃくちゃテンション高いですね! これ、なんか、スキップしてる感じですもんね!
畠山 私、手術って初めてだったんですよ。だから逆にワクワクしちゃって、ちょっと(笑)。
岸田 あー、ちょっとわかる、それ。ちょっとテンション上がりますよね。
畠山 はい。あと、母が青森から来てくれたんですけども、母を悲しませたくないし、悲しい顔を見たくないっていうのもあって、けっこう笑ってました。 手術のとき、私これけっこう恥ずかしかったのが、三角帯っていうふんどしみたいなのを締めるんですよね。
岸田 三角帯、そうですね。
畠山 岸田さん、やりませんでした? 三角帯ってださいじゃないですか、真っ白で。なんか私、アレが本当に恥ずかしくて。しかも手術中って、何気に、全身裸にされるじゃないですか。それもあとから聞いて、「うわー 」って思いましたもん。
岸田 まあ、仕方ないですよね。
畠山 仕方ないんですけど(苦笑)。
岸田 そうしたら、手術後けっこう意識もある感じだったんですか?
畠山 意識もありましたね。鼻から酸素を着けているぐらいで。あと抗菌剤を2 〜3本ぐらい打っていました。でも手術のあとけっこう私、熱が下がらなくて、それはちょっと辛かったですね。
岸田 手術の影響でですか?
畠山 おそらく。これ以上抗菌剤を打てないから、ちょっと様子見るねっていうふうに看護師さんにも言われまして。でも、そのあと熱は下がりましたけれども。
岸田 手術が終わって麻酔から目が覚めたとき、どうでしたか?
畠山 麻酔ってすごいと思いました。いや、私このとき本当に鬱がひどすぎて眠れなかったんですよ。不眠がひどくて。 けっこう強いお薬を出してもらってたんですけど、全身麻酔でこんなにふっと眠れるなら、毎日してもらいたいみたいな。
岸田 使う用途を間違ってますね(笑)。
畠山 間違ってますね(笑)。これは完全に冗談です(笑)。
【恋愛】
岸田 当時の恋愛事情。
畠山 当時彼がいました。
岸田 おー!
畠山 はい。病気になる前からも付き合ってた人で、手術のときも会社を休んで来てくれました。そのときはカメラを渡して、「もう私は死ぬかもしれないから写真を撮って」って言って、写真をパシャパシャ撮ってもらっていましたね。
岸田 じゃあ彼氏も、病気についてはけっこうサポートしてくれた感じですか?
畠山 そうですね、本当に感謝してます。 でも、申し訳ないっていう気持ちがけっこう大きいですね。8割ぐらい占めてます。私と出会わなければ、そういう辛い思いっていうのはさせなかったと思うので、本当に申し訳ないなと思って。だから、幸せになってほしいですね。
岸田 なんか深いですね……。
畠山 でも、私はいてくれて良かったと思います。
岸田 支えになりますもんね。
畠山 支えになりました。本当に感謝してます。恋愛の話っていうと、がんになってから、恋愛をどうしたらいいかとけっこう、悩んだんです。私はけっこう自分の病気のことをすぐ話しちゃうんですね。そして、「私がんなんだよね」って言うと、そこからパタッと音沙汰がなくなる人と、なくならなくて、「いや、でもそういうふうに前向きにがんばってる姿がすごいよ」みたいに言ってくれる人、 2通りに分かれるんですよ。これは面白いなと思って。
岸田 男性の傾向ってありました?
畠山 その男性の度量みたいなのがわかるなって思ったんですよ。
岸田 どっちのほうが多かったですか、 割合的には。
畠山 半々でしたね。
岸田 半々。
畠山 半々だと思います、うん。だから、がんになって恋愛とかはあきらめるのではなくて、いいなと思ったら、勇気を持って言ってみるっていうのも大事だと思いますし、絶対、そういう姿が素敵っていうふうに思ってくれる男性・女性っていると思うんですよ。だからあきらめないでほしいなと思いますね 。
【仕事】
岸田 当時お仕事はどうされたんですか?
畠山 まず私、鬱でお休みっていう形になってしまったので、トータルで1年ぐらいお休みさせてもらったんですけれども。当時、どうしても仕事は辞めたくなくて。というのも、私、高校も大学も奨学金で行ってるので、奨学金を返さないといけないんですよ。
岸田 それは、大変ですよね。
畠山 ここで職を失ったら、奨学金が返せなくなる。そうしたら私はブラックリストに載ってしまう……。そう思って、「仕事だけは!」と思ったんですね。そして、すごく理解のある会社や上司だったので、お休みをさせてもらって。そのあと復職するために精神疾患で長期で休んでる人たちのためのリワーク施設っていうのを、県とかでやってるんですよね。私はその当時、宮城県にいたので、仙台市にあるリワーク施設のホームに通わせていただいて、そこで認知行動療法ヨガとか、体を動かして復職のための準備をするっていうプログラムを受けたんですね。そこに行かせてもらって復職をしたので、けっこうスムーズというか。お休みしてから復職するってけっこうハードルがあるなって私思ったんですよ。たぶん、健康な人にはちょっとわかりにくいかなと思うんですけれども。仕事ってなると、時間を拘束されてしまいますし、それなりにプレッシャーとかも。そこのハードルって私にとってはけっこう高くて。
岸田 リワーク施設などを活用し、徐々に復帰できたと。
畠山 そうですね。
岸田 期間的にどれぐらいですか?
畠山 1〜2か月ぐらいだったと思います。だから、がん患者のためとか、精神疾患以外でも長期で休んでる人のための、 そういう施設があればいいなと本当思いますけどね。
【お金・保険】
岸田 当時、保険って入ってましたか?
畠山 500万円ぐらいの生命保険にしか入ってなかったです。私それまで病気ってあんまりしたことなかったので、30歳になったら入ろうと思ってたんです。 風邪すらひかないタイプだったので、「病気になるわけないだろ」っていう、なんか自信があったんですよね、どこかで。当時まだ24歳ぐらいでしたし。
岸田 今だと入っておけば良かったなとかあります?
畠山 やっぱりがんになってしまうと、保険って入るのが難しいじゃないですか。 引受基準緩和型とかありますけども、けっこうハードルが高いので。
【辛いこと・克服】
岸田 鬱の症状はもう大丈夫ですか?
畠山 今はほとんどないですね。あんまり落ち込まなくなりました。がんっていうふうに告知を受けるまでは、私は鬱症状がひどすぎて、毎日死にたいと思ってたんですよ。この世から消えてしまいたいと思っていて。でも、「がんです」って言われてから、「あ、めっちゃ生きたい!」と思って。私、こんなに生きたかったんだと思って。そこからはもう、死にたいなんて絶対思わなくなりました。
岸田 がんになって本当の気持ちがわかったって感じなんですね。
畠山 がんが教えてくれたってことですね。
【反省】
岸田 反省や失敗はありますか?
畠山 脱毛しとけば良かったなと思って。 脱毛とかって、手術してしまうと断られちゃうんですよ。私やりたかったんですけど、行ったら、「うーん、ダメですね」って言われてしまって。あの、レディーのたしなみとして、ちょっときれいにしておけば良かったな、みたいな。すごいしようもない反省なんですけど。
岸田 いやいや、こういうのはなった人 じゃないとわからないですからね。
【キャンサーギフト】
岸田 畠山さんの場合、得たもの、得たこと、がんになって良かったなって思うことって何かありますか?
畠山 生きたいっていう自分に気付けた。それでなぜか、鬱が治ったんですよね。 そして、いろんな人の人生に触れることができて、がんにならなければ出会えな かった人っていっぱいいると思うんですよ。学校の友達、会社の同僚とか先輩とかっていう狭い範囲の中でしかきっと生きられなかったと思うんですけれども、 がんになったことによって、範囲が広がった、いろんな人の人生に出会えることができたっていうことは、私にとってものすごく大きなことで。それがすごくキャンサーギフトですね。
【おすすめ情報】
岸田 何かおすすめ情報はありますか?
畠山 鬱になって、リワーク施設でヨガを取り入れてたんですけれども、はまってしまって、ヨガは今でもずっと続けてるんです。心と体をつなぐのがヨガっていうふうに言われているので、リハビリにもなると思いますし、あと心を落ち着けるってことができるっていうのもあるので、ヨガはおすすめですね。
【今、闘病中のあなたへ】
岸田 今、治療をがんばっているサバイバーへメッセージをいただきたいなと思 っているんですけれども。
畠山 「あきらめない!!」の一言に尽きます。私、鬱もがんも経験して、どっちも克服したんです。克服というか乗り越えてきたんですけれども。どんなに暗闇でも、必ず絶対光は差すんです。私はずっと、光は差すんだと思って、あきらめずに今まで生きてきたんです。今、ものすごく辛い治療されてる方とか、未来が不安で、再発が不安でっていうふうに思ってる方でも、絶対その光をあきらめないでほしいです。必ず光は差します。
岸田 ありがとうございます。そうですね。畠山さんも、鬱も乗り越えて、がんも乗り越えてきたっていうのがすごい。 がんになって鬱になる人もけっこういるらしいですからね。
畠山 けっこう多いですね。でも私の場合は逆ですから、自分でもなんか変だなって思うんですけど(苦笑)。
岸田 ありがとうございます。「あきらめない」という言葉をいただきました。 何か言い足りないこととか大丈夫ですか?
畠山 言い足りないことですか? じつは、主治医がイケメンだったんですよ。
岸田 それ、女性にとっては大事らしい ですね!
畠山 大事です! なんか、病院とかにいると、つまらないじゃないですか。入院してると。楽しみなのはごはんぐらいでしょ? だから、1つでもいいので入院中もそういう楽しみを少し見つけてほしいなと。たとえば、同じ患者さんに、 ちょっと若くてかっこいい子がいるみたいなのでもいいじゃないですか。若くてかわいい看護師さんがいるとか。
岸田 そうですね。たしかに。
畠山 主治医が本当にイケメンだったんです。2回ぐらい言いますけど(笑)。傷とかも、最初、別の病院で病理検査 (※3)に出すときの縫ったあとの傷が、汚かったんですね。でもそしたら、手術を担当される先生が「うわ、この傷汚いな」って、「俺は絶対こんなのしないから、絶対傷きれいにするから」って言ってくださったんです。そうしたら本当に今、傷跡がめちゃくちゃきれいなんですよ!
岸田 そうなんですか!
畠山 「あー、惚れた!」みたいな(笑)。
岸田 それずるいっすね(笑)!
畠山 でも、既婚者で子持ちだからダメなんですよ(笑)。でも、そういうことを言ってくださるだけでもちょっと安心しますよね。たとえ見えないとしても、やっぱり傷って女性だと気にしてしまうところではあると思うんです。
※1 生検・・・・・・患部の一部を切り取って、顕微鏡などで調べる検査。
※2 セチネルリンパ節生検・・・・・・・病変周囲のリンパ液が一番最初に入り込むリンパ節。ここを調べて、がんが転移していないかを調べる。
※3 病理検査……臓器、組織、細胞などを、顕微鏡などを用いて詳しい診断をすること。