インタビュアー:岸田 / ゲスト:堂前

【発覚・告知】

岸田 今日のゲストは堂前皓樹くんです。自己紹介をお願いします

堂前 はい、堂前皓樹です。21歳、大学3年生です。線維形成性小円形細胞腫瘍という、わりと珍しい病気です。これは肉腫の一種で、悪性の軟部腫瘍ということで、進行が速いというのと、あと再発もあるという、ちょっとタチの悪い病気です。

岸田 今、ステージとかは?

堂前 ステージは、ちょっとよくわかんないんですけど、2012年9月の大学1年生の夏に発症したんです。もうそのときにはだいぶ進行というか、おなかの中と骨盤のあたりに大きな腫瘍ができてしまっていて、その時点で判断すると、進行してはいたのかなっていう状況ですね。

岸田 おなかと骨盤のあたりって、リンパとか? 臓器とか?

堂前 臓器でもないんですよね。いろんなところに散らばっちゃうっていうような、ちょっと範囲が広い。胸のほうとか肺の周りとかにも転移をしていた、進行が速い病気です。

岸田 今は、一応治療的には終わっているの?

堂前 現在も治療中です。2012年の夏に発症して、それから半年ばかり治療して一回寛解を迎えたんですけれども、 また2013年の夏に、再発をしてしまって。そこから半年ぐらい闘病し、今年 2014年の1月、2月ぐらいに寛解になったんですけど、再度4月に小さい腫瘍が見つかり、治療をしています。

岸田 がんがわかったときの話を教えてください。

堂前 僕の場合は初期症状がなく、下腹部に大きな硬いものがあり、手で触ってもわかりましたが、まったく気にしていませんでした。たまに便秘があり、下腹部の硬いものも含め母に相談したところ、 気になるから病院に行くように言われ、 病院に行きました。そして、その場で入院して検査をしたほうがいいと言われたのが、病気がわかったきっかけです。また僕の場合、珍しい病気であったせいもあり、すぐにがんであるという診断はされなくて、最初に行った地元の病院でも、1週間ぐらい検査をしたものの、はっきりとした診断はされませんでした。それから、大きな病院に行って検査をしたところ、線維形成性小円形細胞腫瘍と診断されました。

岸田 検査はどんなことをしましたか?

堂前 生検(※1)をしました。

岸田 がん種ですが、レアですよね?

堂前 レアだと思います。僕が行った大きな病院、国立がん研究センター中央病院でも、数例しかないと言われて。最初に病名を言われたときは本当に「なんのこっちゃ!」て、いう感じでした。

岸田 何十万人、何百万人にひとりって感じですよね?

堂前 ですね、はい。

岸田 告知を受けたときに、どういう気持ちでしたか?

堂前 「すぐ入院して検査を」と、病気の診断を受けた最初に言われたときに、 なんか自分でも気づくところはあって、 レントゲンの結果を見たんです。そうしたら、だいぶ大きい黒い塊が見えたので、 先生の話を聞いたときに頭が真っ白になってしまい、ショックでした……。その場で悪性の腫瘍かどうかというのはわからなかったんですけど、体の中には明らかに異物があるということで驚きました。

岸田 ショックを受けてどうしました?

堂前 泣きそうになりながらすぐに母親に連絡を入れて、病院に来てほしいというのを伝え、一緒に話を聞いてもらったんですけど、そこから先の先生の話は、正直あんまり覚えてないです。

岸田 パニックで頭が真っ白になった感じですね?

堂前 そうですね、パニックでしたね。

【家族】

岸田 家族の様子はどうでしたか?

堂前 僕にはあまり見せなかったんです けど、両親ともだいぶショックは受けていて、それが伝わってきました。サポートはもう全力でしてくれて、だいぶ助けられたと思います。

岸田 そのときにはすぐ入院を?

堂前 検査のためにすぐ入院です。

岸田 大学はどうされましたか?

堂前 ちょうど9月の夏休みの終わりぐらいに、がんの診断を受けたので、後期は完全に休学して治療に専念しました。 最初にがんの診断を受けたときは、自分の中のがんのイメージが「がんは死ぬ」 だったのと、高齢者の方がかかる病気だと思っていたので、病気を受け入れることが大変でした。

岸田 入院と同時に、大学は休学されたんですか?

堂前 休学をして、治療は一応4月にかかるぐらいで終わりました。そこから復学をして、前期はちゃんと単位が取れたのですが、そのあと、再発をしてしまいました。

【治療】

岸田 治療は、どんなことをされたんですか?

堂前 最初は化学療法を行い、そのあと手術を。現在は分子標的薬(※2)を使った治療をしています。

岸田 入院して、まずは抗がん剤の治療ですか?

堂前 そうです。抗がん剤を使って、腫瘍をちっちゃくしていこうっていう方針で、強い抗がん剤を6コースぐらいやってから、手術を行いました。そのあと、おなかの中のところと骨盤のあたりの手術で、8時間くらいの大変な手術だったんですけど、担当医ががんばってくれて、きれいにそこは取れました。

岸田 再発したときも、同様に抗がん剤を使いましたか?

堂前 この病気は、再発のリスクが高くて進行が速いという特徴から、手術で取りきるっていうことが難しくて。広範囲に小さな腫瘍が広がりやすいので、抗がん剤で腫瘍を小さくして、残ったところ を手術して……と、2回目の治療も同じ方法でした。

岸田 治療を終えて、分子標的薬を飲むという?

堂前 2014年1月に2度目の手術を行い、治療が終わりになったんですけど、 4月頃に再発しまって。腫瘍が小さかったので分子標的薬を服用しました。すごい副作用もなくって楽です。これまでの抗がん剤治療っていうのは3週間に1クールで、その内1週間ぐらい治療して家で休むっていう感じだったんですけど、 最初の頃は、毎回40度近くの熱が出たり とか、髪の毛もすぐに抜けたり、下痢だったりとか、副作用がすごくつらかった です。しかし、今は飲み薬で、その腫瘍をコントロールできるっていうところがすごくいいです。4月から始めて、今だいぶ腫瘍が大きくなるのを防げている状況です。副作用は、髪の色が抜ける、白髪みたいになっちゃうとか、高血圧になりやすいとか、下痢になっちゃうとか、 それくらい。実際4月に治療が始まっても、学校には行けていて、生活の質がものすごく良くなっています。できれば、 このまんま飲み薬でのコントロール、腫瘍の大きさをコントロールできるっていうのが理想です。

僕の病気は再発性が高く、1回目の再発っていうのがものすごくこたえたんです。がんばって治療して、手術をして、やっと治療が終わり、学校に復学し、これからまたがんばろうっていうところで再発して、出鼻をくじかれたので。再発におびえて過ごすってよりも、今みたいに自分の体の中にがんがあるのはわかっていても、薬でコントロールできているっていう安心感が僕が使っている薬ではすごくあって、すごく充実した生活を送っていると自分では思っています。

岸田 そうですね。元からポジティブだった?

堂前 1回目の再発は本当にきつかっ ですね。考えてはいたんですけど、やっぱ考えないようにしていた。2回目も、また抗がん剤とかを使うことになっていたのですが、腫瘍が小さかったので、分子標的薬も使えると担当医にすすめられて。学校に行きたいって要望を伝えていたので良かったです。分子標的薬が最近、1年前か2年前かぐらいにできた新しい薬だったみたいで、その選択肢があるっていうのは、自分にはすごく大きかったです。今はもう正直、がんが完全に治る っていうことは、望むことが難しいです。 自分の中でそこまで考えられてはいなくて。なんとかがんと共存できていけたらなっていうのは思っています。

岸田 大人ですね。

堂前 1回目の治療で絶対自分は治るって思っていたので、再発はつらかった。 最近はなんとか、もう割り切ってきて。 がんになって得られたものもたくさんあるから、そういった部分で「自分はがんと生きていく」みたいな考えもあります。

 

 

【辛いこと・克服】

岸田 今の治療方法とかで、たぶんメンタル的にも向上していると思うけど、肉体的にきつかったっていうのは、40度の熱が出たときとかですか?

堂前 抗がん剤の副作用は、だいぶこたえました。熱って体も全然動かないし、それに伴って、白血球が少ないので、外に出ると伝染病にかかる可能性が増えるっていうことで友達とも会えなかったり、 いろいろ辛いときもありました。肉体的なっていうと、僕、1回目の手術が終 わって寛解(※3)を迎えたあとに、合併症の腸閉塞になってしまって。

岸田 手術で切ったせいで?

堂前 おなかを開けたので、開腹手術をした人はみんな可能性があるんです。

岸田 そうなんですよね。

堂前 言われてはいたんですけど、本当に痛くて、おなかがまた動き出すまで、手術によって腸が癒着しちゃって、動きが悪くなってしまい、本当に痛くて。それがまた動き出すまでずっと病院で何も食べられず、ベッドで過ごす……。

岸田 ずっと点滴で栄養取っていた感じですか?

堂前 はい。もう2〜3回ぐらい腸閉塞を繰り返しちゃっていて。腸閉塞の手術をしないといけないみたいなところまで いっちゃったんですけど、なんとか、あんまり脂っこいものを食べすぎないようにとか、あと食物繊維とるようにするとか、母が家で料理を作ってくれ、その辺も気を遣ってもらって。だけどそれはだいぶこたえましたね。

岸田 腸閉塞になったときどう乗り越えたかっていうのはありますか?

堂前 そうですね、腸閉塞だったときに、だいぶ苦い目をみたので、もう絶対なりたくないって、過ごしていたんですけど、でも、ふとしたきっかけでまたなっちゃたり、どう乗り越えたかって言われると……。

岸田 別になく? 治療して?

堂前 そうですね、もう、腸が動き出すのを待って。

岸田 待つ……。

堂前 ちょっと良くなってきたら、三分がゆから始めて、五分がゆにあげてって。

岸田 1日ずつ変わっていくんですよね?

堂前 はい、そうです。抗がん剤を使っている最中、生ものは食べちゃいけない期間もあり、食生活はだいぶ変わりました。

岸田 そこは意識して変えました?

堂前 そうですね、今もあんまり食べすぎないとか意識してます。

【お金・保険】

岸田 下世話な話ですが、いろいろ治療とかやってきたら、お金もけっこうかかったと思うんですけど……。ちなみに保険とかは入ってました?

堂前 そうですね。大学でも入っていたのがあったので、もう保険はぜんぶ使って、あとは高額医療の制度(※4)を毎月のように使って、満額で払っているって感じですね。今の分子標的薬でも適用を受けています。

岸田 分子標的薬でも、限度額を毎月払っているのですか?

堂前 そうですね、だいぶ両親には負担をかけてしまっていると思うんですけど。

岸田 頭上がらないですよね。

堂前 本当に感謝しています。

【カミングアウト】

岸田 友達にどんな伝え方をしましたか?

堂前 友達には、伝えるときはだいぶ気を遣いましたね。自分の現状がだいぶ深刻だったのですが、がんになったっていう事実だけは伝えました。友達はふつうに接してくれ、闘病の支えになりました。

岸田 それは、親しい人だけ?

堂前 そうですね、近しい友達だけですね。なんか隠すというより、伝えていく人はだいぶ選びました。仲がいい人だけ、です。

【後遺症】

岸田 生きていくうえで不便はありますか?

堂前 あー、がんの治療をした人はみんな通るんですけど、精子の精度がどうかっていうのはありますかね。僕は強い薬を使っているので。だけど、精子保存とかはしてなくって。

岸田 してないんですね。

堂前 なんか、先生にも言われたりしたんですが、最初の治療のときに、考えられなくって。ですので、精子保存はしていません。今は調べてはいないんですけど、どうなのかなっていうのは、気になります。

岸田 そっかー。

堂前 その他の後遺症っていうのは、とくにないですかね。

岸田 堂前くんの髪の毛は黒いですけど、 じつはこれ、白髪染めしてます?

堂前 はい、そうです。白髪染めして。

岸田 髪は白髪染めしてますが、まつ毛とかが金髪なんですよね。それも、お薬の影響ですか?

堂前 そうですね、はい。

【反省】

岸田 今だから思う、あのときこうして おけばよかったと思うことはありますか?

堂前 やはり、最初の発覚のときですけど、下腹部あたりに腫れがあったのは、病院に行く前から気づいていて。

岸田 どれくらい前からか覚えていますか?

堂前 病院へ行く、たぶん2週間前ぐらいに旅行に行ったんですけど、そのときにも感じていたぐらいで、3週間前ぐらいから自分でも感じていました。がんだとは本当にまったく考えずに過ごしていたので、そこで異変があったとは言えず、 最初、母親にも父親にも言ってなくて、自分で大丈夫だって勝手に判断していま した。今思えば、そこで話をしてみて、 病院に行っていたら大きくなる前で、治療法とかも変わってきたのではと思います。

岸田 気づいても、がんだとは思いませんもんね。

堂前 頭痛がするとか、そういう初期症状がまったくなくて、自分で触って気づいて、気になったから病院に行ってみたぐらいのことだったんで。その判断が、少し悔やまれるというか。

岸田 気づいたときに早く行っとけばよかったみたいな。

堂前 早く行っていればよかったなっていうのはありますね。

【キャンサーギフト】

岸田 堂前くんにとっての「キャンサーギフト」っていうのは何ですか。

堂前 やっぱり自分が治療を通して感じたことは、親への感謝と、友達への感謝 っていうのがすごくあって。1つは、つらい闘病生活を一緒に乗り越えてくれた両親。もう1つは、僕ががんであることを知っていて、それを元気づけようといつもどおりに楽しく、くだらない話をしたり、一緒に過ごしてくれた友達。そういった人たちのおかげで、自分は生かされているっていうか、支えられて生きているっていうのを身をもって感じることができ、本当感謝しています。

あとがんになって、得難い出会いがいろいろとあって。僕も岸田さんが所属している「STAND UP!! 」(※5)に所属しているんですけど、そこで同年代の闘病している仲間たちに出会うことができて、そこでのつながりが。僕にとって、病気や闘病のことを話せるっていうのがだいぶ大きくて。それまで過ごしてくれた友達もありがたいんですけど、やっぱり悩みっていうのは体験した人にしかわからない部分がすごくあると思うので、そういうことを話し合える友達が増えたのはすごくよかったです。闘病したっていう共通点があるので、すごくいい出会いだなって感じています。

岸田 出会いに支えられているっていうね。その感謝の気持ちも、ほんとに生かされているよね。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 堂前くんも今治療をがんばっている人ですけれども、同じくがんばっている人たちに向けて、何か一言メッセージをお願いします。

堂前 これは僕の高校時代の友達から、 病気になったということでもらった寄せ書きに書いてあった言葉です。「頼ることも愛すること」。僕はこの言葉にすご く感動しました。病気になっていろんな面で両親に負担をかけてしまっていて申し訳ないという気持ちがあったり、病院でも看護師さんとかすごく尽くしてくれ て申し訳ないっていう気持ちが出てきてしまっていたときがあって、そういうときに「頼ることも愛すること」という言葉をもらって、頼ることも大切なんじゃ ないかって強く思って、すごく感銘を受けました。振り返ると、いろんな人にそれまでは申し訳なさから「ごめんね」っていう言葉をすごく使っていたなと思うんですけど、この言葉をすごく意識するようになってから、「ごめんね」より先に「ありがとう」っていう言葉が言えるようになって。

岸田 うん。

堂前 「ごめんね」よりやっぱ「ありがとう」が大切だなって。一言目に「あり がとう」が言えるようにと思っています。 自分が病気であることで、いろんな負担をかけてしまうってことはあるとは思うんですけど、やっぱそこで思い切って頼ることも、信頼とか、愛することになる のかなっていうことですね、はい。

岸田 そうですね。やっぱりね、治療しているときはね、頼ることしかできないから申し訳ないっていうのはすごい感じますもんね。

堂前 そうですね。僕はそういう思いがあって。

岸田 それわかります。「ごめんね」ってなってね。周りからのサポートとかも「こんなんならんかったら」みたいな感じがあると思うんですけど、そんなときに、頼ることも一種の愛情。

堂前 はい。愛情だと思えるようになって「ありがとう」が言えるようになったかなって思ってます。

岸田 いやー、もうすごい、いい話を聞きました。ほんとにありがとうございます。

 

 

 

※1 生検……患部の一部を切り取って、顕微鏡などで調べる検査。

※2 分子標的薬……がん細胞の持つ特異的な性質を分子レベルでとらえ、それを標的として効率よく作用するようにつくられた薬です。

※3 寛解……症状が一時的に軽くなったり,消えたりした状態。このまま治る可能性もあるが、場合によっては再発することも。

※4 高額療養費制度……同一月にかかった医療費の自己負担が高額になった場合、自己負担限度額を超えた分が、あとで払い戻される制度。

※5 STAND UP!!……35歳までにがんにかかった、若年性がん患者による若年性がん患者のための団体。

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