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インタビュアー:岸田 / ゲスト:山本

54歳、兵庫県出身のキャリアコンサルタント。がんの治療が落ち着いてから登山を始めた山本桂子さん

岸田 それでは、がんノートをスタートしていきたいと思います!今日のゲストは山本さんです!よろしくお願いします。

山本 よろしくお願いします。

岸田 そして早速なんですけれども、ゲストの紹介といたしまして、今回のゲスト山本さんになります。よろしくお願いします。

山本 お願いします。

岸田 山本さん、簡単に自己紹介お願いできますでしょうか?

山本 皆さんこんにちは、初めまして、山本桂子と申します。出身が兵庫県で、現在は大阪府に住んでおります。この間に和歌山県に結構長く住んでいました。年齢は54歳です。家族は夫と、子どもは長男長女いるんですけれども、2人とももう社会人になっております。私の仕事はキャリアコンサルタントという仕事をしております。

山本 趣味が登山なんですけれども、がんの治療が落ち着いたタイミングで始めました。そうなんです、小さい頃に私の父が割と登山結構好きで、夏のアルプスとかにも行ってた、日本アルプスですけれども、行ってたっていう父のもとで、子どもの頃に関西ではメジャーな六甲山とか連れて行ってもらってたんですね。

山本 結構なじみがあったっていうのと、あとは乳がんって手術後に体重が増えると再発率が少しだけなんですけれども上がるっていうデータがあるらしくて、それを本で読みましたので、まずいと思って体を動かすことを始めようと思って登山を始めました。

岸田 そうなんですね、がんのあった後に本格的に登り始められたって感じなんですね。

山本 そうなんです。

岸田 じゃあ好きな山は?とかお伺いしようかなと思ったんですけれども、そういうところだとどういった形になります?

山本 最初は屋久島の縄文杉を見に行きたいなと思ったんですね。縄文杉ってものすごい時間もかかるし距離歩くんですよ。10時間ぐらいかかるのかな?20キロぐらい歩いて。登りはそんなにすごい登るというわけではないんですけれども、体力は間違いなくいるってことはわかってましたんで、そこをまず最初の目標にして、近場の関西の低山でトレーニングをしたんですけれども。

山本 で、その始めた半年後に行けて、屋久島・縄文杉に。で、その時に次の目標を富士山にしたんですけど。で、その翌年に富士山に行きました。

岸田 そういう形なんですね、まず屋久島だったんですね。

山本 はい。

岸田 いいですね。なんかそんなね、登られるようなご趣味もあったりだとか。ここからね、ちょっと乳がんのことに入っていくんですけど、ちょっとその前に一個だけどうしても見過ごせないポイントがありまして。すいません、山本さんバッファローズファンなんですか?このキャップが。

山本 見つけてくださいましたか(笑)

岸田 完全にバッファローズのやつだなと思って。

山本 そうなんですよ。この収録の前も応援歌が頭の中ぐるぐるぐるぐる回ってて、一人で歌ってました!

岸田 ああ、そうなんですね。僕は阪神ファンではあるんですけれども、ただ去年一昨年かな、エスコンフィールドに行った時は日ハム対バッファローズの試合を見させていただいて。

山本 そうでしたか。

岸田 宮城くんとかね、本当にすごいいいピッチャーですし……。この話やったらちょっとすごく長くなっちゃうので、すみません、がんのことをお願いいたします(笑)

山本 乳がんのところですね。乳がんのタイプなんですけれども、ホルモン受容体がまず陽性だっていうところと、HER2陽性っていうところがわかっております。手術後のタイミングですけれども。ステージは2Aでした。大きさ的には1センチぐらいのと8ミリぐらいのとがちょっとつながった感じであって、リンパ節の転移がほんの少しだけ、微小転移っておっしゃってたと思うんですけれども、ありましたので、ステージ2Aというふうに言われました。

岸田 ありがとうございます。そして50歳の時に告知をされて、そして手術や薬物療法で、今はホルモン療法中ということですかね?

山本 そうですね、はい。それだけで今服用しております。

「タオルを忘れた日」から始まった5年間——山本さんの感情グラフを追う

岸田 ありがとうございます。より詳細の経過をちょっと確認していこうということを思うんですけれども、このような感情の浮き沈みをグラフにさせていただいておりますので、こんな形となっております、ドン。前半がドーンと落ちてきて、後半はめちゃくちゃ上がってきているみたいなね、そんな山本さんのグラフとなりますけれども、詳細をお伺いしていきたいなと思います。

岸田 まず2019年ですね、まず初めのところは短期大学の教員に就任ということで、あれ?何の先生をされているんですか?

山本 キャリアなんですよ。キャリアって言っても分かりにくいと思うんですけれども、分かりやすいところから言うと、キャリアセンターがやっているような就職活動に関することを授業でやったりとか。

山本 それだけでなくて、キャリアデザインっていう授業なんかですと、自分のキャリアをこの先どう描いていくのかっていうところ。短大生なので、そんなになんていうか、今までの経験も学生の経験っていうところからなのでなかなか難しい面はあるんですけれども、ただそのキャリア系の授業としてそういうことをやってました、その学年に応じてですね。

岸田 そうなんですね、いやなんか腑に落ちました。この後ね、闘病経験をされて、この後半の部分っていったところがそういったところも関係してるんだろうなって、ようやく腑に落ちました。ありがとうございます。またね、皆さんはちょっと興味を持って後半聞いていただければと思いますけれども。

岸田 その後ですね、はい、こちら、通信制の大学院に入学をされていくといったところで、これは大学は辞められてですか?入学するってどういうことですか?

山本 短期大学に就任するまではですね、フリーで講師の仕事とか相談員の仕事なんかもやってたんですけれども、そういうところの実務経験から教員になったっていうパターンで短期大学には入ったので。

山本 他の先生方っていうのは、どちらかっていうと若い頃に大学を卒業するタイミングで大学院まで行かれて、先生によっては博士さん、博士課程まで行ってなられてるという方がほとんど多いんですけれども、私はそういうパターンじゃなくて大学院にも行ってなかったので、遅ればせながら行かせていただこうと思ってですね。

岸田 そうなんですね。いや〜学校の先生しながら大学院っていうのは、かなりハードだったんじゃないですか?当時は。

山本 もう、めちゃくちゃハードで、もしかしたらそのハードさががんにつながったんちゃうかなっていうのは、ほんの少し思ったりもしたんですけどね。そればかりはわからないので何とも言えませんが。

岸田 それぐらいハードだったってことですね、当時ね。そんな中で、になるんですけど、ちょっと下がってまいります。それがこちら、右胸にしこりを発見ということですけれども、これはしこりを発見したのは自分で、ご自身でですか?

山本 そうなんですよ。もう本当にお風呂、入浴中に体を洗うのに。普段は体を洗う用のタオルで洗うんですけれども、その時、手短なところにタオルを置き忘れてて。

岸田 ありますね。

山本 そうなんですよ。で、まあもう今日は手でいいかと思って、冬やったし。手で洗ってたら見つけたっていう。

岸田 ほ〜右胸ですよね。なんかコリコリしてるなーみたいな感覚なんですか?

山本 そうなんですね。だからタオルだったら全く気づくことはなかったと思うんですけども。

岸田 右胸の部分的には上の方なのか下の方なのかとかって言うと、どこら辺になるんでしょう?

山本 半分から上の、自分の体で言うと半分から上の右側。

岸田 外側?内側?

山本 そうです、脇に近い方。

岸田 脇に近い方ってことですね。脇に近いところの方が、ちょっとコリコリとするものがあってってことですね。

山本 そうですね。

岸田 大きさとしてはどれぐらいでしょう?例えると。

山本 1センチのが1つと、そこから非浸潤の状態で、こう手をつなぐような形でちょっと離れたところに8ミリぐらいということでした。

岸田 まあそれをね、ちょっとなんかコリコリするなぁといったところで、そこから下がっていくのはこれがクリニックに行かれるんですね。これは地元のクリニックに?

山本 そうです、通勤途中というか、ちょっと寄りやすいところにまずは行ってみました。

岸田 そこで細胞診、実際にちょっとチクッとされるやつですかね?

山本 そうですね。

岸田 診られていく。ただこれがすごくネガティブなところではあるんですけど、そこからまた続くのが、見つからず再度細胞診。見つからないってあるんですね?

山本 マンモとエコーでは、先生はこれはっていう確信を得てらっしゃったと思うんですけれども、その狙いを定めて細胞を取ったはずが、がん細胞が見つからなかったので、がん細胞が見つからないと確定にはならないからってことで。

山本 最初にクリニックに診察に行ってから1週間後に1回目の診断を受けに行って、その時行ってなかったんで、もう一回もっとたくさん取りますよっていう検査をして、そこから2週間後かな、年末年始にかかっちゃったんで結構時間かかってしまったんですけれども。なので年が明けてから告知を受けたということになります。

岸田 じゃあ最初マンモとか、なんかそういう超音波だったりとか、そういったところでいろんなこと見たときは、すごくなんかあるぞっていう感じだったのに、細胞診ではわからなかったっていったところで、もう1回こうやったっていうことなんですね?

山本 そうですね。

岸田 なんか、じゃあもう先生たちもそわそわしてたんじゃないですか。なんか見つからないみたいな形で。けど、そうなんじゃないかって言ったところで。

山本 見つかりませんでしたって言われたら普通はホッとすると思うんですけど、私も先生の表情とか画像を見る目線とかを見てると、これ絶対先生は確定や思ってはるなと思って。なので、見つかりませんでしたって言われた時も、そうですかって、もう一回やるんやろうなっていうのはすぐに思いました。

岸田 分かったってことですね。けど、その時同じような形でやったらまた一緒になっちゃいますよね。ちょっと方法変えるんですか?

山本 1回目は注射針ぐらいの針で、麻酔もせずにチューと抜かれた感じで。2回目はあんまり怖くて見てないんですけど、結構太い針で、穴が開いてるのが見えるぐらいの太い針で、それ刺すからちょっと部分麻酔しますって言われて部分麻酔をして、すごいバチンって音がする、バネを利用して細胞を採るような感じで取られたんですけれども、量は取れるんやろうなっていうのは分かりました。

岸田 そっか、いや〜そうですね、部分麻酔してるにも関わらずね、痛そうですね、それね。

山本 そうですね、痛み自体はありましたけど、でもそんな大したことではなかったです。怖くはあったんですけどね。

岸田 怖くはあったけど、全然耐えれるというか、全然大丈夫な感じですね。

山本 はい、大丈夫です。

岸田 そこからですね、ちょっとこの後がん告知をされていくということで、それでようやく見つかった感じなんですね。

山本 そうですね。

岸田 どうでしたか?された時のこの心境というのは?

山本 うん、もうなんか覚悟をしていきましたので、見つからずにもう一回やる時点でもうおかしいじゃないですか。なので、もう覚悟していきましたので、情報をちゃんとキャッチしないとなっていう気持ちで行きました。

岸田 情報っていうのは、先生からの説明されるような情報ってことです?

山本 そうですそうです。

岸田 それをちゃんと聞き漏らさないぞ、みたいな形でってことですかね?

山本 はい、そのつもりで行ったんですけど、やっぱり聞いたことをちゃんと全部理解できたかっていうとそうではなくて、いろいろこう、分かりにくいこともあったんですけれども。

山本 ただですね、その告知、2回目の検査から告知までが2週間ぐらいあって、その間いろいろネットとかで乳がんのことを調べたんですね。そのガイドラインもこの時買ったかな、もうちょっと後だったかな。

岸田 ガイドライン買われたんですね、すごい。

山本 どんなふうに進んでいくのかなっていうことも、まだ買わなかったのかな、ネットで調べた状態だったかもしれないんですけど、結構調べて先生に質問しようって思っていたんですけど、その質問とかはできなかったです。

岸田 最初だとそこまで右往左往しちゃいますしね。

山本 そうですね。

岸田 まあけど、その後にはもうガイドラインとかも買われていくってことですもんね?

山本 告知されてから間違いなく買いました。

岸田 すごい。まあそうやってしっかり情報を手に入れて、まあだから上がっているのかもしれないですが、次はこちら、大学病院で精密検査。あれ?がん告知はまだクリニックなのか、ですね?

山本 そうなんですよ、クリニックで告知は受けて。ただクリニックでは手術はしてないからってことで、大学病院紹介していただきました。

積読が読める!入院中に感情グラフが上がった、意外な理由

岸田 大学病院で様々な精密検査をしていきまして、その後にようやく入院して手術していくというふうな感じなんですね。これ上がっているのは何でなんですか?入院や手術ってのは。

山本 手術したら治るというか、取ってくれるっていうのがあるので上がってます。あとは私、本が好きなんですけれども、仕事が忙しかったんで好きな本を読む時間がなかったんですよ。本屋さんに行くたびになんだかんだ買ってくるんですけど、いわゆる積読になってて。

山本 入院中ご飯も作ってくれるし、自分のことだけすればいいので、そういう時間がもう幸せで仕方なかったっていうのがあります。

岸田 そういうことですね。お写真にちょっと移るんですが、その時読んでた本がこちらですか?

山本 そうですね、そうです、読みましたこの3冊。

岸田 そうなんですね。これ、それぞれちょっとどういうあれなのか、ちょっとお伺いしてもいいですか?

山本 右側から『夢を叶えるゾウ』の4っていうもの。

岸田 4なんですね。

山本 そうなんですよ。これもシリーズ化されてて、もう1というか最初のやつからずっと読んでるんですけれども、このイラストにあるようなガネーシャっていう、インドかな、神様が大阪弁を喋るんですけれども、その大阪弁を喋る神様が、とあるそのシリーズごとにある人のそばに行って、その人の夢を叶えていくっていうシリーズで、4が出たと思って。

岸田 シリーズが好きなんですね。

山本 好きなんです。

岸田 僕もシリーズの一つ目は読んだことあって、まず靴をちゃんと磨くところから始めるっていう。次、真ん中ですかね。

山本 真ん中は『ホ・オポノポノ』っていうハワイの方々の考え方というか価値観というか、それが紹介されているような本なんですけれども、心の余裕ができたというか、仕事忙しくてああーってなってるところでこの本を読めたから、すごい心が落ち着いたんですけれども。

山本 例えば、周りに感謝する気持ちを持ちましょうっていうのって、日本でも一般的にもよく言われることなんですけれども、それだけではなくて、例えばこういうもの、メガネにもいつもありがとうって、私の生活を支えてくれてありがとうっていうふうな気持ちを持って接するとかですね、そういうお話でした。

岸田 感謝するっていうことの大事さってことですね。

山本 そうですね。

岸田 そして、そのお隣。

山本 こちらは、私の友人が何年前かな、少し前だったんですけれども、がんになりましたってことを私は聞いてまして、本を出したってことも聞いてたので購入してたんですね。購入した当時はやはり忙しくて読めなくて、最初少しだけ読んで置いてたんですよ。自分もなりましたってことで、これ読まなあかんと思って読みました。

岸田 ありがとうございます。ちなみにね、辻本さんはがんノートにも出てくださっていますので、もしよかったらね、また視聴者の皆さんもこちらの動画をご覧いただければと思います。ありがとうございます。

点滴室の扉が怖かった。ハーセプチン開始で感情グラフが下がったわけ

岸田 そして、またちょっと戻ってはいくのですが、ここからちょっと下がっていきます。これがこちら、薬物療法をされていくんですね。

山本 はい。

岸田 この治療、やっぱこれは治療がつらかったから下がってるんですか?

山本 治療がつらいというか、恐怖心の方があってですね。痛みとかはまあまあそれほどでもないんですけれども、点滴で受けますということで、その点滴を受けるお部屋、薬物……なんだっけな、なんかその……薬物なんとか室みたいなのがあって。

山本 そこが日頃私が行っているような外来のとことかとはちょっと離れた場所にあって、扉もカーテンとかじゃなくて結構仕切られたところがあったんですけども。そういう雰囲気でまずはちょっと、特別なところに来てしまったなという気持ちになってしまって、ちょっと怖かったです。

岸田 怖かったからっていうことですね。また薬の話は後でもお伺いしたいなと思いますけれども、その後ちょっと上がってまいります。それはこちら、薬物療法、またタモキシフェンをされていくということで、これはまた違うお薬ですか?

山本 これは飲み薬というか、ホルモン剤を飲むという形になるんですけれども。正確には手術後に診断を得たのが3週間後か4週間後なんですけれども、その診断、摘出したものから診断されて、この治療法でいきましょうの一つに入っていた療法なんですけれども、その診断された時から飲み始めているので、タイミング的にはハーセプチンと同じ時期に始まっています。

岸田 ということですね。上がっているのは、その恐怖心っていうのはちょっと和らいでるからって感じですか?

山本 ここが上がったのは確かハーセプチンが終わったからじゃないかな、終わる頃〜。

岸田 に、始めてっていう。

山本 ハーセプチンはとりあえず1年間だけ、タモキシフェンは10年間っていうふうに言われているので。

岸田 そういうことですね。ここからは10年間がスタートしていくっていうことですね。ここからは安心して聞けるというか見ていけるようなパートになるのかなと思うんですけれども、そこからブログを開始されていく。これは何かきっかけあったんですか?

山本 入院前から、さっきも言いましたように、いろいろネット上で調べてたんですね、乳がんのことを。その時に、体験を書いてくださっているブログを読んだりとか、あとYouTubeを見たりとかということで、なんかね、自分の中ではそれがとてもありがたかったんですね。

山本 自分の記録を残したいっていうのと、いつかその残した記録を発信していきたいなっていうふうに思ってて、入院前からスマホで日記をつけてたんです。入院中はブログは書いてないんですけれども、退院して自宅療養、あれ!?そっかそっか、自宅療養の頃にブログを始めました。

山本 なのでタモキシフェンって書いてる1個前のところ、まだ1年も全然経ってない、自宅療養の。

シンポジストとして登壇、そして「辞めて大阪で働く」一世一代の決断へ

岸田 時にということですね、つけてた日記などでブログも開始されていき。そしてその後にハーセプチンが終了していってからね、上がっていくっていったところでの体験談を語るということありますけれども、これも発信されていく感じなんですかね?

山本 これが私が所属しているキャリアコンサルタントのグループがあって、そのグループの親しくしている方がですね、キャリアコンサルタントの中でも両立支援をしっかりやりましょうっていう、そのグループに入っている方がいらっしゃって。

山本 その方が、当時私は和歌山に住んでて和歌山の短大にいてたんですけれども、和歌山の両立支援をいろんな立場の人がやっている会議に一回出ませんかって声をかけてくれて。

岸田 へえー!

山本 産業保健センターさんとかが結構旗振り役をしてくださって、その会議があって出た時に、私実は当事者なんですよっていうお話をしたら、シンポジウムで、そしたらシンポジストとしてお話ししてくださいませんかって言われて、体験談をお話ししたっていう、そういう経緯です。

岸田 お〜すごい。じゃあここでもういろんな人の前でお話をしてっていうことだったんですね。

山本 そうですね。

岸田 それでね、自分の体験談を本当に皆さんに伝えていってってというところから、またね、上がっていくのが、退職し一人暮らしへ。え?退職ってこの短大のやつですか?

山本 はい。

岸田 おお、一人暮らしをされて、なんかすごい転機だと思うんですけど、すごいアップしてるのは、すごく良かったことなんですよね、これはね?

山本 そうなんですよ。短期大学時代はものすごい仕事は充実はしてたんですけれども、副業ができないっていうところがあって。粛々と短期大学で働き続けるっていう選択肢はあったんですが、自分ががんになったからには、そのことに関する、なんていうのかな、そのことに関することで仕事できひんかなっていうのがあって。

山本 いろいろ頭の中で妄想したりとか、友人に話を聞いてもらったりとかしてきたんですけれども、ちょっとこう一世一代の決心をしましてですね、辞めて自分で仕事を始めるということにしました。

岸田 しかも、一人暮らしなんですね。ご家族はどうなっていかれるんですか?それは。

山本 この時点ですでに子どもたちはそれぞれもう自立してたので、家にはいてなかったんですね。

岸田 そういうことですね。

山本 夫と二人暮らしだったんですけれども、その夫にはなんて言おうかなっていろいろ考えはしましたけども、考えはしたんですけど、もう譲れない気持ちがあったので。というのが、その和歌山暮らしはですね、自然が豊富で車でドアtoドアでどこへでも行けるっていういいこともあって、子育てもやりやすかったんですけれども、ただし、仕事をするっていう面ではなかなか難しい面があって。

山本 大阪で仕事したいなっていうのは、キャリアコンサルタントの仕事をし始めてからずっと考えてたことではあったんです。ただ大阪で仕事したいって言っても、遠いから仕事を受けて行くんやけど、疲れ果てて帰ってくるみたいなこともやってたので、もうちょっと本格的にやりたいと。

岸田 それでご自身で一人暮らしを選択されて。だから別に夫婦仲がとかっていうわけではなくて、普通にもうまず大阪で仕事をするんだっていったところで、一人暮らしを始めていかれるってことですね?

山本 そうです、よく心配されます。

岸田 いやいや、ちょっと僕もちょっとなんか心配しました。これ踏み込んでいいのかなって思って(笑)ありがとうございます。

起業し、YouTubeを始め、闘病記フェスに登壇。感情グラフはマックスへ

岸田 まあこうね、仕事に邁進されていき、その後会社、今立ち上げられた会社を設立。これもあれですか?キャリアの方の会社っていうふうな感じですかね?キャリアを支援する。

山本 そうですね、キャリアコンサルティングをメインにした事業になります。

岸田 事業をされていって、そしてその後にYouTubeも開始されていくということで。YouTubeはどういった内容を発信されているんでしょう?

山本 このタイミングで始めたのが乳がんに関するYouTubeで、自分の体験談と、ブログに書き続けてきた自分の体験を今度はYouTubeで話すってことをやろうと思って始めました。

岸田 すごい。また山本さんのYouTube概要欄にも貼っておきたいなと思いますので、またお願いいたします。ありがとうございます。

山本 ありがとうございます。

岸田 そういった発信も、YouTubeでも発信されていきつつ、そして出版も計画されていくということで、すごいですね、ここら辺も怒涛にいろんな計画をされていく感じですね?

山本 そうですね。やっぱりその入院して退院して自宅療養2週間ぐらいあったんですけれども、その時期にいろんなことを考えたんですよ、時間があったから、ありがたいことに。

岸田 今までずっといろんなことで忙殺されていたけれども、ようやく……ね、自分だけの時間ができてっていうね。

山本 そうですね。それで短期大学の仕事を続けられるかなっていう、その時は不安の方が大きかったんですけれども、自宅療養中の途中からですね、やっぱりこう、がんになったっていう経験をこのまま置いとくんってすごいもったいないっていう、なんか変な気持ちになって、どうせやったら何か役に立つ形にならへんかなっていうのは頭の中にあったんですね。

山本 で、その頭の中にあったことを出すっていうのはどういう形かなっていうのをそこから先ずっと考えてて、一つがYouTubeでもう一つが出版という形で考えたんですが。ただその出版、今やってる出版の準備っていうのは私の体験談ではなくて、他の方の体験談を10人分集めて出すっていうことを計画しています。

岸田 ご自身の経験談もその中に入ってはいますよね?もちろん。

山本 入ってない、入ってないです。

岸田 入ってないのかい(笑)いや、そこはぜひ入れてほしいと個人的に思うんですけど。

山本 ありがとうございます。そう言っていただけるんだったら、またじゃあ次回作でって。

岸田 いやいや、そうですよそうですよ!山本さんの経験談もぜひ次回作で、ぜひお願いします!本当に。

山本 はい!

岸田 これだけじゃ終わらないですよね。その後に闘病記のフェスで登壇もされていかれたりだとか、インタビューも開始されていくということで、すごいですね!闘病記のフェスなんてあるんですね!?

山本 そうなんですよ、これもですね、出会いがあって。いつ頃か、自分ががんになってから夕方のニュースでたまたま見かけたのがあって。どういう内容だったのかというと、闘病記ばっかりを集めて私設の図書館みたいなことをやってますっていう大阪の方が。へー!そんなんやってはるひといるんやなと思って、いつかお会いしたいなってその時は思ってたんですね。

岸田 うんうん。

山本 で、その自分が出版をしようと思った時に、その前からその方のことは調べてたんですけれども、闘病記を並べてるだけではなくて出版社もされているという情報をキャッチしまして、これは!と思ってですね。

岸田 へえー!

山本 会いに行ったんですよ!で、そちらで、じゃあ私出版こちらでさせていただきたいんですけれどもっていうお話をしてる中で、今度こんなイベントあんねんけど……っていうのを見せていただいたのが闘病記フェスティバルっていうイベントだったんです。

岸田 で、そこでぜひ登壇してみない!?っていうことで、そこでお話をされるんですね。

山本 そうですね、はい。

岸田 すごい本当にね、そういったご縁がつながってっていう感じなんですね、すごい!

山本 つながりましたね、びっくりですね。

岸田 その後のこのインタビュー開始っていうのは、さっきの出版計画の延長でもあるインタビューってことですか?

山本 そうですそうです。

岸田 12人の患者さんたちのやつをインタビューしてまとめていくっていうことをされているってことなんですね?

山本 そうですね。

岸田 すごい、じゃあ今はもう結構人生いい感じに来てる状況が今ってことですね。

山本 でもマックスにしちゃうと、この先上がりようないやんっていうところで、ちょっとなんかもやもやしてるんですけどね(笑)

岸田 いやいや、大丈夫です。これはね、形式上マックスではありますけど、全然飛び越えていただいて。ありがとうございます。

岸田 というふうな経験談お伺いをしてきたんですが、ここからお写真をスライド2つ使って紹介していきたいなと思います。まず1つ目、こちらのお写真をご説明していただいてもいいでしょうか?

山本 左側が病院から見えた景色です、病室から見えた景色です。入院していって窓際だったので海が見えるという、いい。

岸田 いいですね。

山本 ホテルやったらよかったですけどっていう(笑)病室から景色を眺めてて、ここにちょっと見にくいんですけど建物が映った向こう側に黒く横に筋が入ってると思うんです。

岸田 これ?

山本 そこが陸地なんですよ、細い。行ったことなかったんですね、近くはよく通るんですけど行ったことがなくて、どうなってるのかなって思ってたんですけど、病室から見ながらさらにそれがどうなってるのかなっていう思いが深まって。退院当日、娘が迎えに来てくれて一緒にスタバを買って、この細いところの根元のところに行きましたっていうのが右側の写真です。

岸田 ようやく退院して、自分の気になってたところに行ったってことなんですね。

山本 そうなんです。

岸田 気分はどうでした?

山本 気持ちよかったですね、すごい寒かったんですけど。寒いのになんでこのフラペチーノなんやっていう感じなんですけど。でも開放的な気分で、やっぱり海って広いですから開放的な気分で、娘も来てくれて、ちょっとこうなんていうかな、まだフラフラするんですけれども気持ちよく歩けました。

岸田 ありがとうございます。そういったね、入院中とその直後のお写真。そしてそこから少しお時間が経つのかもしれないですけど、こちら、はい、これ登山している写真なのですかね?こちらちょっとお願いします。

山本 左側が富士山のてっぺんのてっぺんです。

岸田 おお、富士山。

山本 富士山って火山だから一番頂上のところってくるっと河口を一周できるようになってるんですね。登山口が何種類かあって、上がっていった登山ルートの一番上のところがとりあえずは頂上ですっていうふうになってるんです。

山本 何箇所か上がってくるとこがあるんですけども、その一周回らなければ自分が上がったところが頂上ですってもちろん言えるんですけれども、私のいたツアーは希望者は一周回りましょうって言って一周回ったんで、その一周が終わった中の一番高いところだから日本で一番高いところです。

岸田 すごいこれ、しかもめっちゃ天気いいですね。

山本 そうなんですよ。3日間のツアーで3日とも快晴……これはちょっと盛りましたね、雲は出た時あったんですけど3日とも晴れたんですよ。

岸田 すごい、いや〜持ってますね。

山本 持ってますよ。

岸田 そしてその隣もまた晴れてますもんね。

山本 そうですね、隣がこちらはハワイなんですよ。で、短期大学を退職して自分で卒業旅行と思って一人旅に行きました。

岸田 そこ一人旅でもう行かれるんですね、ハワイを。すご!

山本 行っちゃったんですけども、普通ハワイって海のイメージですよね。映ってるのはホノルルの……ホノルルじゃない、ホノルル外れの方で、で、ワイキキがちょっと切れてる、右の方に切れてる感じなんですけれども。

山本 ただハワイに行ってもやっぱり山が好きなので、ダイヤモンドヘッドに登ったところです。

岸田 おお、このね、お写真ちょっとずらしていくとこんな感じですね、はい。見えますかね、皆さん。ダイヤモンドヘッドの山に登ったところっていうのがこの写真ということですね。これは比較的最近、最近というか辞められた後といったところで?

山本 そうですね、去年です。

岸田 ありがとうございます。そういったね、もう今アクティブに動かれているというふうな山本さんではございますけれども、ここからちょっと各項目に沿って聞いていきたいなということを思っております。

セカンドオピニオンは?治療法はどう決めた?山本さんのリアルな治療選択の話

岸田 病院や治療の選択ということで、大学病院どうやって選択したの?とか治療方法はどう選択したの?とかセカンドオピニオン行ったの?みたいなところをお伺いをしていきたいんですけれども。病院に関しては地元のクリニックから紹介されたところとかですか?

山本 そうですね、紹介いただいたのが2つ、大きな病院2つあって、どっちがいいかっていうのは分からなかったんです正直。どちらも確実にきちんとやってくれるってことは分かってたんですけれども、じゃあ最初どうしようってなった時に、スターバックスが院内にある方にしました(笑)

岸田 スタバの力、すごいですね。大事、そこはいやもちろんですけど、それはご自身の好きっていうのもあるし、なんかあれですか?なんかあった時に飲みたいなってなれるからとかですかね?

山本 やっぱりね、普段から好きなのは好きで、あの通院したら必ず行くというか。

岸田 その中で好きなドリンクは何なんですか?やっぱりフラペチーノ?

山本 フラペチーノは夏だけしか飲まなくて、さっきのフルーティーのやつなんかも夏しか飲まなくて、普通フラペチーノでもコーヒーフラペチーノっていう割とアッサリしたやつを好きで飲むんですけど、普段はもう本当にラテばっかりです。

岸田 そうなんですね。ラテを飲まれて、ただそれを、それができるからということで病院を決められていくっていうのはもう初めて、そのパターン初めてですわ、すごい。

山本 そうですか。

岸田 いや、全然いいと思います。治療に関してはあれですよね?ガイドラインも買われてその治療通りに行くっていうふうなところで、なんか特段何もトラブルなくっていう感じですかね?

山本 治療はそうですね、自分がなってから初めて知ったんですけれども、その検査、最初の告知される前の検査の段階ではそのタイプが確定ではないっていうことなんですよね。

山本 なので、実際に治療の方針を詳しく決められるのは、手術をしてがん細胞をきちんと調べてみないと分かりませんよって言われて。なので、だいぶ時間がかかるっていうか、術後に決まるんやっていうふうなことを思いました。

岸田 手術してからどの治療、薬物療法していくかっていうのは決まっていくっていうふうなね。

山本 そうですね。その時の考え方というか決め方も、私はもう全摘をしましたので放射線治療はいらないだろうということだったんですが、一番しっかりした治療をしようと思ったら抗がん剤と分子標的薬のハーセプチンとホルモン剤、この3つをやると一番しっかりできますって言われたんですね。抗がん剤入ってたんですよ。

岸田 うん、まあそうですね。

山本 ずっと抗がん剤をやりたくないやりたくないやりたくないってずっと思ってて、来た時に、来てしまったかって思ったんですけれども、その時に抗がん剤って絶対やっぱりやらないとダメなんですか?って聞いたら、先生が抗がん剤がなくハーセプチンとホルモン剤でもそんなハイリスクにはならないですと言ってくださったんで、じゃあやめますって言って抗がん剤なしにしました。

岸田 その種類の抗がん剤はやめておいてってことなんですね?

山本 そうですね。結構髪の毛が抜けたりとか気分悪くなったりする体調不良が結構出やすいタイプの抗がん剤は、その時はもうやりませんと言いました。

岸田 ということですね、ありがとうございます。ここはね、もう本当にここはもう山本さんのご決断なのでね、しかも主治医の先生と話されてということですので、またね、これは現時点の治療法にはなりますけれども。

岸田 またね、この後いろんな治療法も乳がんの場合出てくると思いますし、ご自身の治療に関してはやっぱり主治医の先生だったりとか、あとね、がん情報サービスだったりそういったところでご確認いただければ嬉しいなということを思っております。あくまでも経験なんだと思って皆さん見てもらえたらなと思っています。ありがとうございます。

岸田 髪の毛が抜けるような抗がん剤はやめて、今はホルモン剤をされているということですね?

山本 そうですね。

痛みに強く副作用も軽微——でもホットフラッシュは夏に1日10回。山本さんの術後のリアル

岸田 そんな中でになるんですけれども、副作用や後遺症のことといったところで、やっぱり乳がんなので前提にもされているのに手術の後遺症、あと薬物療法の副作用だったりそういったところで悩まれているところとか、こういったものが出たよっていうのありますかね、どうでしょう?

山本 まず外科的な手術についてなんですけれども、当日朝一でやっていただいて、その翌日の朝まではほとんどベッドに貼り付け状態ではありました。

山本 同じ病室にもう一人、私のすぐ後に手術を受けた方がいらっしゃって、コロナなんでカーテン閉めたまま、大丈夫ですか?って上見ながら会話するっていうことをやってたんですけども、その方はすごく痛いっていうことをおっしゃってたんですけど、私は麻酔冷めた後もちろん痛いんですけど、そんなに痛いかなと思ってて。私、多分感じにくい人だと思うんですよ、痛みを。

岸田 お〜いいですね、手術に限ってはめちゃくちゃいいですね。

山本 そうですね、助かってます。動いたら痛いけどそこまででもないしな、私おかしいんかな?思いながらやってまして、傷口も結構いい感じで治っていくっていう、外科的なものについてはそうなりました。

山本 薬物的には、ハーセプチンは1回目受けた時には副作用結構出やすいですよ、気分悪くなったりすることがありますって説明受けてましたんで、1回目はさすがに私もと思って心して行ったんですね。でも、ほぼ何もなかったです。

岸田 へー!よかったですね。

山本 なんかあるのかな、あっても感じひんのかな?思いながらほぼ何もなく副作用は、1回目終わって。1回目が一番副作用が起きやすいって聞いてたので、2回目以降は全く本当に何もなかったです。

岸田 すごい。

山本 あとはホルモン剤ですけれども、これはですね、若干あるのかなっていうふうに感じてて。いわゆるその更年期障害風な状態になるよって言われてたんですよ。

岸田 言われますよね。

山本 私年齢的にもそういう年代だから、ほんまはどっちなのかわからないんですけども、ただそのホルモン剤飲み始めてからホットフラッシュが頻発するようになって。ちょっとこうしたきっかけもない時もあるんですけど、カーってこう全身が熱くなるっていうことを、これはちょっと今も繰り返してます。

岸田 そっか、じゃあホットフラッシュ、急に熱くなってっていうふうなことで汗かいたりとかっていうのは、どれぐらいの頻度であります?

山本 冬はあまり気にならないんですけれども、夏は特に最近とかですと1日に10回ぐらいはありますね。

岸田 1日に。

山本 何回も何回もあります。

岸田 その時の対処法としてはどうするんですか?引くまで待つ?

山本 そうですね、それが1時間続くとかではなくて10分もすれば落ち着いてくるので、こうやったりとか、今扇風機みたいなのあるじゃないですか、そういうの使ったりとかしています。

岸田 ありがとうございます、そういったね、副作用や後遺症っていったところが今あるということでお伺いをしました。

夫・母・義母——それぞれへの告知のタイミングと反応。山本さんが選んだ伝え方

岸田 この次にですね、ご家族のことといたしましてちょっとお伺いをしたいんですけれども、この後にちょっとお子さんのことはお話をいただくのでですね。

岸田 パートナーさんだったりとかご両親だったりとかそういったところにカミングアウト、もしくはこういったサポートがあればみたいな、こういうふうなことをしてもらったよというご家族のエピソードをお伺いしたいんですけれども、いかがでしょうか?

山本 まず夫には最初のクリニック、診断を受けたクリニックから駐車場で車の中から連絡をして言いました。目の前にいなかったから表情分かりませんでしたけれども、大丈夫なんかって言ってくれて。ただ進行状態はその時はそんなに進んではいないって言われてたので、多分手術で大丈夫やと思うっていう会話をしました。

山本 あんまり特別扱いしてもらいたくないっていう私の気持ちがあったんで、生活自体は本当に今まで通り。

岸田 そうなんですね。なんかちょっとこうやってほしいとかっていうんじゃなくて、もうちゃんと今まで通りされてたんですね?

山本 そうですね、もう本当に告知受けた段階では全く体調不良はなかったので。

岸田 そっかそっか。では、ご両親だったりとかそういったところではいかがでしたか?

山本 両親には心配かけたくないっていうのがあって、まず私は父もなくしてるんですけれども、私の母には退院した翌日に電話をしました。

岸田 退院した翌日、手術して退院してってことはさっきのスタバを海で飲んだ翌日ってことですかね?

山本 そうです。

岸田 反応はいかがでした?

山本 いやあ、確かびっくりはしてたんですけども、私の父が胃がんだったんですね。胃がんでそれが原因でなくなったので、すごいやっぱり聞くのつらかったやろうなとは思ったんですけれども、ただ手術がうまくいって元気に退院してきたでというふうに言いましたので、その面については安心してくれたと思います。

岸田 そういうことですね。特段ご家族の中の理解はあってというふうな中で治療とか、もちろん治療後にお母さんは知ったと思いますけど、そこは問題なかったということですね?

山本 そうですね。あと夫の両親も同じタイミングで伝えまして、義理の母親に電話をしたんですけれども。早よ言うてよって言われて、なんか手伝えることあったのにって言われたんですけれども、そういうタイミングになって、そこから先、近くに住んでたのでおかずを分けてもらったりとか助けてもらいました。

長女は大学4年、長男は2年生。子どもたちは山本さんの闘病をどう支えたか

岸田 そういった助けてもらった、そんな中でにはなるんですけれども、お子さんもご長男さんと長女さん、娘さん息子さんいらっしゃる中で、当時それぞれ何年生ですか?

山本 上の子が大学4年生、下が2年生でした。

岸田 上の子が男の子、女の子で言うと?

山本 女の子です。

岸田 女の子ですね。下の子は男の子、息子さんでというところで。どうでした?お子さんの子育てというか、大学生であれば家から出ている?

山本 家から出てるはずなんですけど、たまたまコロナで家におりましてですね、ずっと家からオンラインで授業を受けるってことをやり始めた頃かな、そういう頃です。やり始めたじゃないな、もう結構それが定番になってた頃かな。

岸田 オンラインで授業をされて、もうそこで、だから家で授業を受けてるみたいな感じな。じゃあ育児に関しては、そこまでお二方が自立されてるから手間っていうか、そういったところはかからずっていうことですかね?

山本 もう全くそれはないですね。むしろ息子の方が割と料理好きなので。

岸田 へえー!すごい。

山本 ちょっと今日担当してって言って晩ごはん作ってもらったりしてました。

岸田 めっちゃいいですね、それは。だからそういうね、子どもたちがサポートしてくれてっていうふうなところであったのかなと思います。ありがとうございます。

有休3週間で職場復帰、卒業式に間に合った。そして最終的に「辞めて起業」を選んだ理由

岸田 そしてこちら、次は仕事のことなんですけれども、お仕事のところね、先ほどもお仕事辞めていってといったところありましたけれども、まずちょっと教員をしながら治療をどのようにしてきたのかっていうところをちょっとお伺いしたいんですけれども。これは、治療中は授業できないですよね?

山本 手術中というか入院している間は無理。

岸田 ごめんなさい、入院している間。

山本 タイミングが良くて、手術が2月だったんですね。2月って大学お休みなんですよ、学生は。

岸田 お〜そうか、確かに。

山本 春休み期間中で。その準備は確かに大変ではありました。1月に授業が全部終わって、2月の頭にテストがあって、その終わってから採点して評価して成績をつけて、次の4月からの授業の準備してっていうのがやらないといけない期間だったので、その休みを取る直前はめちゃくちゃ忙しかったんですけれども、お休み取ってからはもう仕事のことを考えんとこうって思ってたので、入院中と自宅療養中はほぼ仕事のことは考えなかったです。

岸田 そうなんですね。そこから考えずにできて、復帰はされるんですよね?一度は。

山本 有給を使って休めたと、有休休暇だけで休めて3週間後に復帰をしまして。

岸田 そういうの3週間なんですね。

山本 3週間、割とゆっくり休めました。

岸田 ゆっくり休めた。僕、3週間って結構早いなと思っちゃったんですけど、結構休めたっていう感じなんですね?

山本 手術の多分具合によると思うんですね。私は全摘はしましたけど、痛み感じにくいのと、そこからの体調不良も本当になかったので。

岸田 よかったよかった。

山本 大丈夫でした。

岸田 3週間後に復帰して、それはもう復帰してスムーズに復帰できました?

山本 そうですね、最初やっぱり初日なんかはこう体調がちょっと心配ではあったんですけどね。まだまだずっと家にいてたから体力落ちてるやろうなとかいう心配と。あとはその頭の中が仕事モードになってなかったので、ちょっとやらかすやろうなっていうのを思いながら行きました。

岸田 実際大丈夫でした?やらかしちゃいました?

山本 いや、実際はですね、さっきも言いましたように休み期間中でしたから、自己完結する仕事が結構多かったんですね。自分でしっかりやっとけばいけるっていう。

岸田 よかったよかった。

山本 感じで。ただ、その卒業式が復職をして5日後か6日後ぐらいにあったんですよ。そのためにそのタイミングで復職したっていうのもあって、卒業式は大きなイベントですし、自分が主担任をした学生が卒業、初めて主担任をした学生が卒業するっていうタイミングだったので、絶対出たいなって思って、その卒業式の準備をやりました。

岸田 復帰されて早々に。じゃあそういったもので問題なく復帰できて、その後はね、ご自身の行きたいところといったところでお仕事を辞められていきはするものの、というふうな感じですね。

山本 そうですね。一瞬告知された後、仕事辞めなあかんかなっていうのを頭によぎったんですけれども、それはがん相談支援センターとかに行ってその話をしたら、仕事を辞めるのは急いでやらない方がいいですって言われて、確かにそうやなって思いまして。

通信制大学院+教員+治療。教授に「最低ライン狙います」と伝えて修了した話

岸田 っていう風な感じで続けられてきたっていうところなんですね。そんな中で今お仕事の話聞きましたけれども、何気にあれですよね、最初の冒頭の話で大学院生でもあったと思いますので、そこの大学院っていうのはどうなったのか、そこから授業を受けてって難しいんじゃないかなって勝手に思ったりするんですけれども、ここはどうなりましたか?

山本 こちらもですね、もともと通信制だったので、普段は自分自身で指定された専門書を読んでそれを要約したりとか、課題レポートを提出したりとかということをやるっていうのが学生生活だったんですけれども、確かに専門書っていうのが難しいのでものすごい時間かかるんですね、読んで要約っていうのを。

山本 そういうのが何冊も何冊も来るっていうので、病気がわかる前から、仕事を終えてご飯準備して食べてお風呂入って、その後10時ぐらいから2時間ぐらいでそのレポートの時間に充ててっていう生活をやってました。なかなかのハードさでしたね、その時。

岸田 ええ、ハード!

山本 そこに治療が加わってきたので、前と一緒っていうわけにはちょっとさすがに無理やなって思って、その担当教員、教授に相談をしまして。もちろん指定された課題はこなさないと単位が出ないので卒業終了できないということは分かってたんですけれども、言い方変なんですけど、最低ライン狙いますということを相談しました(笑)

岸田 そうですよね。無事それはどうなんですか、取得できたんですか?

山本 できました。

岸田 すごい!!

山本 ですけど、はい、それは、はい、最低ラインで(苦笑)

岸田 いやいや、治療しながらもね、続けられてすごい。じゃあそこは、学校のことに関しては担当教授と相談して、最低ギリギリを狙って取得できたということですね?

山本 はい。

岸田 よかったです、ありがとうございます。

普通の医療保険しか入っていなかった。それでも高額療養費と私学共済に「むちゃくちゃ助かった」

岸田 そして、その次にはお金や保険のことといたしまして、治療費どれくらいかかったの?とか、それをどう工面したの?とかね、保険は入ってたの入ってなかったの?とか、そういったところをお伺いしたいんですけれども、こちらに対してお伺いできますか?

山本 保険はですね、民間の保険は私は普通の医療保険しか入ってなくて、がんの特約とかではなくて普通の医療保険しか入ってなかったんですね。なので手術をしたら10万円がおりますという保険でした。なので、告知されたら100万円とか300万円とかってあるじゃないですか、特約入れたりがん保険だったりすると。だから、チッて思いました(笑)

山本 ただ、その治療費につきましては、入院手術の一番お金がかかったときで20万ちょっとだったんですけど、20万ちょっとそのひと月にはかかって。その10万円は保険から下りてなんですが、高額療養費があるじゃないですか、その高額療養費の範囲にまずなったのと。さらに良かったのは私学共済っていう社会保険、短期大学の社会保険ですね。

山本 それがすごく良くて、2万5千円をひと月のうちで超える治療費を払ったら、その超えた部分はお金で返してくれるっていう。

岸田 えぇ、すごい。

山本 めちゃくちゃ良かったんですよ。なので、むちゃくちゃ助かりました、それは。

岸田 それはその、私学共済って全員入っているもの?それとも自分で入りたいと言って入っているものです?

山本 全員が、ですから一般の会社勤めの方ですと社会保険として入っている保険あるじゃないですか、学校版だと私学共済だったっていう。

岸田 へ〜すごい。

山本 保険証のおかげっていう感じです。ありがとうございます!その時お世話になりました!って感じです。

岸田 それだったらね、乗り越えられるというか。

山本 そうですね。ただ私の場合はそうだったんですけれども、その治療費っていうところで言うとハーセプチンの治療代が結構高くて、1回点滴を受けて、その日は診察もありますので、その日1日で4万円弱の、1日行くと。

山本 それが3週間に1回なので、月によってはそれが2回来るっていうことなので、そのさっき言った私学共済じゃなかったりすると、やっぱり大変やったやろうなっていうのはあります。

岸田 はぁ、そっか……。いや〜ちょっとそう、結構かかるんですね、思ったより。

山本 そうですね、かかりましたね。多分でも、もっと高い抗がん剤もありますよね。

岸田 ありますね、今ね、いっぱいそういうものも出てきたりだとか。ハーセプチンはそうですけど、タモキシフェンはどうなんですか?あれどれくらいかかるんですか?

山本 タモキシフェンは3ヶ月分もらっていくらだったかな?他のとセットで買ってるから5,000円とかかな。

岸田 数千円レベルってことですね。

山本 そうですね、まあまあいかないです。

岸田 まあまあいかないってことですね。それ1ヶ月です?3ヶ月?1ヶ月?

山本 3ヶ月で、です。

岸田 3ヶ月でってことですね。よかった、それであればね、それで結構ね、万とかいったら結構ね、大変だと思いますけど。

山本 それはそうですよね。

岸田 うんうん。

山本 で、あのジェネリックもあったと思うんですけど、タモキシフェン。

岸田 後発品の?

山本 まだ使ってはなくて、ジェネリックは。

岸田 うんうんうん。先発品にやられてるってことですね。ありがとうございます。

自分を「実験台」のように客観視し、好きなものを身の回りに——山本さんのメンタルの整え方

岸田 そしてちょっと次お伺いしたいことが、ちょっと工夫したことあるんですけれども、工夫したこと、こちらは入院中・治療後でもいいんですけれども、なんかこういうふうな形で自分の場合乗り越えましたよっていうふうなツールでもいいですし、意識みたいなものでもいいですし、何か工夫したこと・したものありますかね?

山本 気持ちの面では自分を客観的に見るってことを自然にやってたと思うんですよ、実験台のように見てたというか。

岸田 うん。

山本 がんになったらこうなるんやっていうのを離れてとか見てるみたいなところがあって、それをやってるから、なんかこうつらいど真ん中にいるってことがあんまりなかったです。

岸田 ちゃんと客観視できてたってことですね、すごい。

山本 そうですね。

岸田 そういった中で意識はされていて、よく使ったものとかそういったものもあったりとかします?治療中。

山本 特にこれっていうか、好きなものを身の回りに置くと気分が上がるので、そういうことはやってました。

岸田 何を置かれてたんですか?

山本 ちっちゃいかわいい人形とか。

岸田 人形とかね。

山本 バッファローズグッズですとか。

岸田 理解しました(笑)

山本 それがあると頑張れるっていうツールに救われてました。

リストに書くだけでなく、消していく人生へ。寿命を意識して変わったこと

岸田 ありがとうございます。そして次にこちら、変わったことといたしまして、がんになる前となった後で、意識的なところでもいいですし何かこう変わった、変わらなかったでもいいんですけれども、こういったところ、変わったよということがあればちょっと教えていただきたいなと思いますがいかがでしょうか?

山本 もともと自分がやりたいなと思ったことは結構やろうというふうに動くタイプではあったんですけれども、がんになってからもっとそれがスピードアップして、やりたいことにまっしぐらになってます、今。そこが変わった部分ですね。

岸田 やりたいことにまっしぐらになって、それこそ一人暮らしをされるとか大きな決断だと思いますしね。そういったところをちゃんとスピードアップしてされたっていうのが変わったことということですかね?

山本 そうですね。やっぱり寿命を意識したっていうのがあって、いつかできたらいいなっていうのは、割とリストをつくるのが好きであれこれ書いてはいたんですけど、そのがんがわかってからはもう本気、これリスト書くだけじゃなくてちゃんとやりましたって消していけるようにっていう、そんなふうにやってます。

50キロウォークで手応えをつかんだ。プライベートと仕事、山本さんのこれからの夢

岸田 素晴らしい、ありがとうございます。こちら項目としては最後の項目、今後の夢や目標、こうしていきたいなって、もうね、会社も設立されたりとかね、闘病記のフェスも出られたりだとかいろんなことをされているかと思いますけれども。これは直近でも結構先でもいいんですけど、どうですかね、夢や目標いかがでしょうか?

山本 まずプライベートでは近いところで、来年ホノルルマラソンに出たいなって思います。

岸田 すご!

山本 マラソンは、私走るの苦手なんですよ。

岸田 矛盾してますやん、走るの苦手やけどマラソンには出たいってことですか?

山本 そうなんですよ、走るの苦手やけど、ホノルルマラソンだけにはちょっとなんかすごい憧れがあって。時間制限がないらしいんですね、ホノルルマラソン。なので、距離さえいけたら行けるっていうふうに思ったんで、今年春に50キロウォークに出場しましてですね、行けることを確認しました。

岸田 すごい!時間制限なかったら最悪歩いたらいいですもんね。

山本 そうなんです、倒れさえしなければ多分行けるという。あとエントリーミスらなければっていうところですね。来年、それともう一つが登山系なんですけど日本百名山っていうのがあって。

岸田 ありますね。

山本 全部っていうのは、ちょっと技術的に無理な山ももちろんあるので全部は無理やなと思ってるんですけど、ちょっとスタンプラリーのようにここに行った・ここに行ったっていうのをどんどん増やしていきたいなっていうのがプライベートの夢2つ目です。

岸田 山に登っていく。

山本 仕事的には去年会社作ったところで今本当にアップアップ状態というか。

岸田 うんうん。

山本 とりあえずは自分が生活できるだけの稼ぎをなんとか一生懸命頑張ってる感じで今来てるので、そこから脱して。ただその収入面で脱するっていうだけではなくて、がんの方に役に立つような仕事をやって収入を得るっていうことにつなげていきたいと思ってます。

岸田 そうですよね。もう今会社立ち上げられたとこだったら、もう今、ベンチャーのね、本当にもうすごいいろんなことをしないといけないね、時期だと思いますし。本当に、いや頭が下がります。

山本 とんでもないです。

岸田 しかもその仕事がね、患者さんたちのね、いいことにつながればっていうのは本当にすごいなと思います。ありがとうございます。そういったところで今目標を掲げられているというふうな感じですね。

「あなたは何も変わっていない」——積み重ねてきたあなた自身は今も失われていない

岸田 そして、ここから最後メッセージをいただきたいなということを思っておりますので、山本さんからのメッセージがこちら、一言いただければということを思います。では、よろしくお願いします。

山本 メッセージですけれども、あなたは何もかわっていないというメッセージにいたしました。これなぜかと言いますと、がんになって不安に押しつぶされて今までの自分と変わってしまったというふうに思っていらっしゃる方が結構いらっしゃるんじゃないかなというふうに思うんですけれども、実際どうですか?ということを考えてみてほしいんです。

山本 今まで自分が子どもの時から経験してきたいろんなことを積み重ねてこられたことがあると思うんですけれども、その積み重ねてきたものが全部なくなっているわけではありませんよね。

山本 私、それに気づいてすごく前向きな気持ちになったので、今まで積み重ねてきたあなた自身のあなた自身らしさというところは何一つ変わっていないと思いますので、その部分を大切にしていただけたらなということでこのメッセージを書かせていただきました!

岸田 ありがとうございます。本当に山本さんの実体験からも来るお話かなと思いますし、やっぱりキャリアコンサルタントをされているような山本さんだからこそのメッセージでもあるのかなと思います。あなたは何もかわっていないというメッセージをいただきました、ありがとうございます。

山本 ありがとうございます。

岸田 といった中でですね、がんノートこれにて終わっていくんですけれども。いかがでしたか?ご出演されてみて。

山本 いや〜、自分のことを聞かれるってやっぱり嬉しいです。いつも聞く側なので。

岸田 そうですね、確かにね。

山本 聞く側なので嬉しいです。ありがとうございます。

岸田 いや〜よかったです。だからね、ぜひぜひ闘病本は、第2弾はぜひ山本さんの経験談も載せていただきたいなと個人的には思っておりますので。

山本 ありがとうございます。

岸田 お願いします。それでは皆さん、これにてがんノート終了していきたいと思います。この動画が皆さんの何かのヒントになれば嬉しいなと思います。今後もまた配信していきますので、次の動画でお会いしましょう。それでは皆さん、バイバーイ。

山本 ありがとうございました。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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