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インタビュアー:岸田 / ゲスト:田村

趣味はコーヒーとランニング─29歳会社員、田村さんのプロフィール

岸田 今日のゲストは田村さんです!よろしくお願いします。

田村 お願いします!

岸田 田村さんは埼玉県のご出身で、現在は東京都在住。お仕事は会社員をされているとのことですが、趣味がコーヒーとランニングとありますね。コーヒーはやっぱりブラック派ですか?

田村 そうですね。ただ、カフェインの摂り過ぎには注意していて。ときどきカフェラテにしたり、飲む量を控えめにするようにしています。

岸田 なるほど。あと、ランニングも趣味とありますが、どんなところを走るんですか?

田村 基本は家の周りですね。大学生の頃は皇居が近かったので、よく皇居ランをしていました。本格的に大会に出てタイムを競うというよりは、自分のリラックスのために走る感じです。私にとっては「競技」よりも「リフレッシュ」の意味合いが強いですね。

岸田 なるほど。普段の生活の中でランニングを楽しんでいるんですね。そして病気のことですが、がんの種類は急性骨髄性白血病。ステージはなく、告知されたのは28歳。そして現在は29歳ということになります。治療方法としては薬物療法、放射線、そして移植もされているんですね。

メキシコでの異変から急性骨髄性白血病告知─Google翻訳越しの診断と緊急帰国

岸田 そんな田村さんなんですけれども、ペイシェントジャーニーを伺っていきたいと思います。吹き出しの形で気持ちや時間の流れを示した図になっていて、最初にぐっと下がって、そこから平均以上を保っているような形になっていますね。
まず2021年から始まるんですが、これは本当に最近ですよね。最初に「メキシコで仕事が慌ただしい」とありますけれども、メキシコでお仕事されていたんですか?

田村 そうです。当時はメキシコに住んでいました。その年の3月からメキシコで働いていて、その前はブラジルにいました。さらにその前もメキシコにいたので、また戻ってきたような形ですね。体調が悪くなったのも、病気がわかったときも、どちらもメキシコにいるときでした。

岸田 なるほど。メキシコでがんがわかるというのは、今までの『がんノート』でもあまりないケースですね。どのように病気がわかっていったのか。最初は「仕事が慌ただしい」という中で、ボクササイズをしているときに立ちくらみがあったと。フィットネスジムに通っていたんですか?

田村 ジムというよりは、プロのボクサーの方に何人かで教わっていたんです。始めてから1か月ほど経った頃、だいぶ慣れてきたと思っていたある日、やっている最中に気持ち悪くなってしまって、その場で横になったことがありました。

岸田 そのあたりからですね。そして耳鳴りが出たり、人と同じペースで歩けなくなったりと、だんだん体調がおかしくなっていったんですか?

田村 はい。特に秋頃からですね。10月、11月くらいには耳鳴りがして、人と同じペースで歩けない状態になっていました。本当に病気がわかる1〜2か月前には「これは通常じゃないな」と思いつつも、なんとかしなきゃと思っていました。ただ病院に行くまではなかなか踏み切れずにいました。

岸田 そうですよね。メキシコで、しかも日本語が通じる病院も限られていると、なかなか行けない部分もあったんでしょうね。そんな中で「目に黒い影ができる」ことが起きて、そこから入院・輸血・がん告知と一気に進んだようですが、目の黒い影は突然出てきたんですか?

田村 そうです。その前から歩く距離が日に日に短くなっていました。最初は20〜30分歩けたのが、最後には数分で息切れするほどになって。最初は現地の薬局に行って、自分で薬を買ってなんとかしようと思ったんです。でも薬局で「これは薬じゃどうにもならないから診てもらったほうがいい」と言われて、隣にある診療所を紹介されました。そこで「かなりひどい貧血です」と言われて採血をすることになったんです。

岸田 なるほど。薬局から診療所に行く流れだったんですね。

田村 はい。ただ日本と違って、メキシコでは検査結果が出るのもすごく時間がかかるんです。日本だと採血の翌日には結果が出ますが、メキシコだと「採血だけで1日」「結果をもらうのにさらに1日」と、1ステップごとに丸1日かかる感じでした。なので病気がわかるまで1週間くらいかかってしまいました。

岸田 なるほどね。診療所が簡易的だったからこそ進みが遅かったのかもしれません。その間に「目に黒い影」が出てきて…。そこからは知り合いのお医者さんに相談したんですね?

田村 そうです。その知り合いは整形外科の先生だったんですけど、緊急性を感じて状況を説明しました。自分で受けていた血液検査の結果も見せて。そしたら「もっと精密な検査を受けたほうがいい」と言われて再度採血をしました。結果はやはり同じでかなり悪い数値。すぐに血液内科の先生につないでもらって、「病院に行けば準備しておくからすぐ来て」と言われ、その日の夕方に入院しました。

岸田 そのお医者さん、日本人の先生だったんですか?

田村 日系人の先生で、日本語が話せるメキシコ人の先生でした。コミュニケーションは日本語でスムーズにできて、私の状況もすぐ理解してくださいました。ただ病院自体はメキシコの病院なので、先生がスペイン語でいろいろ手配をしてくれて、対応していただいたという形ですね。

岸田 なるほど。で、その後「輸血」と書いてありますが、入院してすぐに輸血されたんですか?

田村 はい。ただコロナ禍だったので、まずは陰性であることを確認しないと入院できなかったんです。そのために少し時間はかかりました。でも病院に行って体調を話すと、ヘモグロビンの数値がかなり低くて危険な状態だと言われて。病気の内容はまだ分からないけど、まずは輸血をしましょうということになりました。手続きの前に輸血が優先されて、病院に行ってから1時間以内には始まっていたと思います。

岸田 輸血のあと「がん告知」とありますけど、どういう流れで告知されたんですか?

田村 輸血は1時間後ぐらいに始まって、3パック入れたので結構時間がかかりました。その日の夜中に入院したんですが、輸血後は体調がかなり良くなったので「数日したら帰れるかな」と思ってたんです。でも主治医から「もう少し詳しい検査をしたい」と言われて、それが2日後。その検査結果を受けて、告知されたのは3日後くらいでした。

岸田 なるほど。しかもメキシコでがん告知…。そのときはどんな心境でしたか?

田村 スペイン語は多少わかるんですが、医療用語は全く分からなくて。当時の先生は多少英語も話せたので、英語とスペイン語をGoogle翻訳で変換しながら説明を受けました。「白血病」と出てきたときに「ああ、そういうことか」と理解したんです。とりあえず「親に電話させてくれ」と言ったのを覚えてますね。ただ同僚もその場にいたので、重苦しい雰囲気というよりは、夜10時ごろに先生が病室を回ってきて告知されたので、比較的あっさりとした形でした。

岸田 なるほど。Google翻訳を見ながら告知されるって、なんだか時代を感じますね。

看護師付き添いで14時間の帰国─コロナ禍、日本での治療開始へ

岸田 それで告知を受けて、その後はメキシコから日本へ帰国されたと。すぐに帰ってきたんですか?

田村 ちょうど年末年始と重なっていたので、まず「どこの病院に受け入れてもらうか」「メキシコで治療するのか日本で治療するのか」という選択が必要でした。最終的に日本で縁のあった病院で治療することに決めました。ただ日本の病院もお正月休みがあるので、治療が始められるのは最短で1月4日から。そこに合わせて、2日の夜にメキシコを出発し、日本に帰国しました。その間の1週間くらいは荷物の整理や仕事の引き継ぎをして過ごしました。

岸田 へえ、日本から看護師さんが来て、一緒に帰国されたんですね。

田村 はい。メキシコから日本までは直行便で14時間くらい。乗り換えはないんですが、やっぱり空港までの移動や入出国手続きで何かあったら大変なので、一人で帰るよりは安心だろうと。貧血もある程度は改善していましたが、万が一を考えて看護師さんに付き添ってもらいました。

岸田 それは民間のサービスですか?

田村 そうですね。お金はかかりますが、空港との連携や手続きもサポートしてくれるので、とてもスムーズに帰国できました。特にコロナ禍での出入国はアプリの登録や検査などが必要だったので、すごく助かりました。

岸田 なるほど。そうやって帰国して、日本で治療が始まるわけですね。寛解導入療法をして、その後MEC療法、さらに臍帯血移植まで進んだと。日本の病院はメキシコにいる間に決めて手配したんですか?

田村 そうです。たまたま縁があって、受け入れてもらえる病院がありました。当時は海外から帰国すると2週間の隔離が必要でしたが、それでは治療開始が遅れるから「メキシコで治療を」と言われていて。そこをなんとか日本で初日から治療できるように整えてもらえました。到着した日には、もう抗がん剤治療がスタートしていましたね。

岸田 すごい。コロナ禍で大変な中、すぐ治療が始められたんですね。

田村 はい。

岸田 その後、移植もうまくいって生着。そして退院。でも「水が飲めなくなって再入院」と書いてありますが、それも移植の影響ですか?

田村 はい。副作用は人によって全然違うと言われていました。私の場合、皮膚の症状は軽めでしたが、口の粘膜が弱ってしまって飲み込むのが本当にしんどくなったんです。味覚障害も重なって、水も受け付けなくなってしまって。お腹の痛みもありましたね。それで退院した後、また入院になりました。

岸田 なるほど…。でもそこから「新型コロナ陽性」と書かれてますね。

田村 はい。移植から3か月半くらいで、家庭内感染しました。ただ幸い症状は軽くて、熱も出ず、コロナ特有の味覚障害もなく体調は良かったので、そこはあまり深刻にはなりませんでした。

治療中も前を向いて──簿記資格取得と転職先への誠実な状況報告

岸田 入院はしたけど、その後は無事に退院。そして通院しながら「資格試験に合格」と。何の資格ですか?

田村 簿記の試験です。

岸田 簿記!治療中に勉強してたんですか?

田村 もともと仕事で使う分野だったので、制度が変わった部分をもう一度サクッと勉強し直しました。1か月半くらい対策して試験を受けたんです。本来なら働く前に取っておくべき資格だったので、「日本にいる間に取ってしまおう」と思って挑戦しました。

岸田 なるほど。通院しながらも勉強を続けて資格を取得されたんですね。そしてその後も通院を続け、今月からは新しい会社でお仕事を始められたと。これはメキシコでのお仕事ではなく、転職されたということですか?

田村 はい。今月からは別の会社で仕事を再開しています。

岸田 転職先には、がんのことはどのように伝えたんですか?

田村 実は病気が分かる前から、ある程度転職のプロセスが進んでいました。ちょうど日本に一時帰国する予定もあって、そのタイミングで次の会社とも会う予定だったんです。ただ、病気が分かって治療のために急遽帰国することになったので、その数週間後には病気のことも含めて会社に伝えました。

岸田 なるほど。伝えたあと、治療もあったから会社側も待ってくださったんですね。

田村 そうですね。2か月に1回くらいは自分から状況を報告していました。幸い治療もおおむねスケジュール通り進んだので、大きな変更をお願いすることもなく、定期的に経過を説明していました。

岸田 ありがとうございます。そうして今月から新しい仕事を始められたわけですね。本当に貴重なお話をありがとうございました。田村さんのペイシェントジャーニー、ご紹介させていただきました。

痛みを言葉にできない苦しさ─薬に頼ること、無理をしないことの大切さ

岸田 田村さんの「大変だったこと、困ったこと、どう乗り越えたか」を伺っていきたいと思います。まず大変だったのは、やはりメキシコでの体調不良。そこで知り合いの先生に連絡して助けてもらったと伺っていますが、これは先ほどお話しに出ていた現地の先生のことですね?

田村 そうですね。本来は自分の症状とは関係のない整形外科の先生だったので、最初は連絡を躊躇しました。でも、最終的に頼れる方が他にいなかったので思い切って連絡しました。結果的に、やっぱり連絡して本当によかったと思っています。

岸田 確かに。専門外であっても、信頼できる人に頼れるかどうかって大事ですよね。そしてもうひとつ挙げてくださっているのが「副作用の激しい腹痛」。医療者にどう伝えたらいいか分からず苦労した、とあります。

田村 そうなんです。私はそれまで入院も手術もしたことがなくて、痛みを言葉にする経験もなかったんです。「どこが、どんなふうに痛い?」と聞かれても、うまく答えられなくて…。それで「薬をあまり飲み過ぎても良くないのかな」とか、我慢した方がいいのか悩んだりもしました。でも実際には、薬を使ったほうが楽になって、そのほうが過ごしやすいこともある。だから「必要なときにはしっかり薬に頼ることも大事なんだ」と学びました。

岸田 なるほど。薬とうまく付き合うってことですね。

田村 はい。それと食事も無理はしませんでした。無理して食べて吐いてしまうくらいなら、六分目くらいでやめて、最悪点滴で栄養を補えばいい。そうやって自分のペースで過ごすのが大事だと感じました。

岸田 ありがとうございます。無理をしない、自分のペースで、ですね。では最後に、田村さんから視聴者の皆さんへメッセージをお願いします。

闘病中の方へのメッセージ-「自分の体を大事に、情報に振り回されないで」

岸田 田村さんからのメッセージは「自分の体を大事に」ということですね。どんな意図を込められたんでしょうか。

田村 今は世の中に情報があふれていて、ほかの患者さんの状況なんかも気になってしまうと思うんです。でも、あまり周りに振り回されずに、自分の体と向き合って、治療に専念してほしい。毎日少しずつ良くなっていくんだと思いながら過ごしてほしい、という気持ちを込めました。

岸田 なるほど。確かに周りと比較するのは良くないですもんね。

田村 そうですね。もちろん気になるのは仕方ないと思います。でも、場合によっては一度ネットから離れてみるのも大事。特に仕事もできず人とも会えない状況では、どうしてもネットの情報に頼りがちです。でもそれよりも、主治医の先生としっかり話すとか、治療に専念することのほうが大切だと思います。

岸田 ありがとうございます。今日は田村さんの経験談、そして大切なメッセージをいただきました。田村さん、本当にご出演いただきありがとうございました!

田村 ありがとうございました!

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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