目次
- 【オープニング】テキスト / 動画
- 【ゲスト紹介】テキスト / 動画
- 【ペイシェントジャーニー】テキスト / 動画
- 【大変だったこと→乗り越えた方法】テキスト / 動画
- 【メッセージ】テキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:西田
【ゲスト紹介】

岸田 本日のゲストは西田さんです!よろしくお願いします。
西田 よろしくお願いします。
岸田 西田さんは出身は福井県で、今は京都府に住んでいらっしゃいます。お仕事は小学校の教諭ということでもあります。そして趣味は読書とありますが、何か好きな本とかありますか。
西田 何でも読むんですけど、昔のドラマで「流星ワゴン」って覚えてます?あらためて読み直しました。涙涙で。
岸田 いいですね。そして、がんの種類は乳がんということで、ステージは1。告知を受けたのは49歳のとき。そして現在の年齢は54歳ということで、治療法は薬物療法や手術をされているということなんですね。
【ペイシェントジャーニー】

岸田 そんな西田さんのペイシェントジャーニーを使って、少しお話を伺っていこうと思います。
ペイシェントジャーニーというのは、上に行けば行くほど気持ちが上がっている、下に行けば行くほど下がっている、そして右に行けば行くほど時間が経過する、というグラフになります。吹き出しにはポジティブ・ネガティブ・そしてどちらでもない普通の出来事があり、その後に治療などの経過が描かれるという形ですね。ざっくりと「色分けされているんだな」くらいに思っていただければと思います。
西田さんのペイシェントジャーニーを拝見すると、前半で気持ちがぐっと下がり、そこから徐々に上がっていくような流れになっています。まず最初、2017年のときは普通に元気に過ごされていたと。そこから下がっていくわけですが、そのきっかけが「しこりの発見」だったと伺っています。これは何かテレビなどを見ていて、自己チェックをしてみた、という感じだったんでしょうか?
西田 いえ、違うんです。2年に一度、乳がん検診は受けていたんですけど、そのときは異常なしでずっと来ていました。ところが、ある夜お風呂上がりにテレビを見ていたときに、ふと右側の胸に触れたら「あれ?」と感じて。よくよく触ってみると、小さなしこりがあると分かりました。
岸田 お風呂上がりに、ふと手が当たって気づいたという感じなんですね。
西田 本当に偶然、手がふっと当たったんです。そのときに“コリッ”とした感触があって。
岸田 なるほど。それで気づかれたんですね。さっき言っていたように、2年に1回は検診を受けていたんですよね。
西田 はい。だから、前回の検診から1年もたっていないくらいのタイミングでした。
岸田 そのときの検診では、特に何も見つからなかったと。
西田 そうですね。少なくともマンモグラフィーでは見つかりませんでした。
岸田 では、その1年の間にしこりができてきたんですね。そこで「コリッとするな」と思って、病院を探し始めたと。まずはクリニックに行こうと考えたんですか?
西田 そうです。やっぱり見てもらわないとと思って。でもすぐ診てもらえるだろうと思って電話をしたら、「3カ月先になりますね」と言われたんです。
岸田 3カ月先!それはちょっと驚きますね。
西田 そうなんですよ。「えっ?」と思って。「しこりがあるんですけど」と伝えたら、「今いっぱいなんですよ」と言われてしまって。
岸田 結局、3カ月後の予約になったんですか?
西田 いえ、そんな悠長なこと言っていられないと思って、3軒ぐらい別の病院に電話をかけました。そのうちの1軒が、「しこりがあるなら来週の再診の枠に無理やり入れてあげます」と言ってくれて。
岸田 無理やり入れてくれたんですね。
西田 はい。たしか翌週の木曜日、1週間後くらいに診てもらえることになりました。
岸田 でも、それでも1週間って長く感じませんでしたか?
西田 そうなんですよ。気になって仕方がないのに、「なんで今日見てくれないの?」って思いましたね。
岸田 本当、風邪とかだったらすぐに診てもらえる感じですけどね。乳がんで「しこりがある」と言っても、1週間後って言われたら、なかなか怖いですよね。それで1週間後に受診して、その後、生検をされたということですね。
西田 そうですね。まずエコーをして、先生が「確かにありますね」と言って。それで「マンモグラフィーも撮りましょう」となりました。撮ってみると、やはりしこりがあったんです。先生が「これは生検をしないと分からないから、来週生検しましょう」と。
岸田 また来週? その場でやってくれないんですね。
西田 そうなんですよ。すぐに週をまたぐんです。
岸田 “がん患者あるある”というか、“クリニックあるある”ですね。すぐ週をまたぎがち(笑)。
西田 本当にそう。「来週です」「明日とかじゃないんだ」って思いました。
岸田 あるあるですね。
西田 それで週が明けて針生検をして、またそこから結果待ちの1週間です。
岸田 結果を待つその1週間、不安の中で過ごされたわけですね。そして、再びそのクリニックに行ったんですか?
西田 いえ、電話がかかってきたんです。
岸田 電話、ですか……。それは、もう嫌な予感しかしないですね。
西田 そうなんです。もう“アウト”ですよね。
岸田 そうですよね。普通なら何もないときは電話来ませんもんね。電話があるということは、何かしらあるということです。
西田 「きょう来られますよね」という電話でした。そこで「もう分かりましたか?」と聞いたら、「じゃあ病院で」と言われて。
岸田 事前告知みたいな感じですね。
西田 そうなんです。「あ、そっか」と思って。告知ってやっぱり、家族についてきてほしいじゃないですか。
岸田 はい。「ご家族の方はご一緒ですか?」と聞かれるやつですね。
西田 そうですよね。でも、私の場合はそれも言われなかったんです。1人で聞くのが怖かったので、主人に「ついてきてほしい」と言ったんですけど、「仕事で無理」と言われてしまって。
ただ、そのとき、あんまりはっきり「がんかもしれない」とは言ってなかったんです。心配かけたくなくて。だから、「多分これ、私がんだから来てくれないかな」って言ったら、「無理」って返されて(笑)。でもその日の夕方、「今から行くわ、待ってて」と言って、結局来てくれました。
岸田 よかったですね。一緒に告知を聞けたんですね。
西田 はい。でも告知は本当に“さらっと”でした。「がんですね」という感じで。重々しくもなく、「ああ、もうがんだね。じゃあ治療していきましょう。ステージは1か2くらいだから大丈夫ですよ」と、そんな風に言われました。
岸田 そこから大学病院を紹介されていく、という流れですね。
西田 そうなんです。そのとき初めて「乳がんだったんだ」と思いました。ただ、その時点ではまだ実感が薄くて、「そっか」と思いながら聞いていました。
でも、診察室を出て待合室で結果の紙をよく読むと、最後の一行に「紡錘細胞癌(ぼうすいさいぼうがん)を示唆する」と書いてあって。「紡錘細胞癌って何だろう?」と思って……。
岸田 聞いたことないですね。
西田 そうでしょ。乳がんの中の「紡錘細胞癌(ぼうすいさいぼうがん)」って何?って思って。今の時代ですから、すぐググったんですよ。
岸田 そうですよね。今はすぐ調べられますもんね。
西田 そう、調べられるメリットもあるんです。でも調べたら「化生がんの一種で、進行が早い」と書いてあって。
岸田 化生がん? それも初めて聞きました。
西田 「化ける」に「生きる」と書いて“化生がん”って読むんだと思います。進行が早くて、抗がん剤も効かない、そして“予後不良”と書いてある。
岸田 わあ……。
西田 “予後不良”ですよ。「えっ!?」と思って、本当に怖くなって。先生にもう一回聞きに戻ったんです。「先生、これなんですか? 紡錘細胞癌って」って。そしたら、「いや、そんなに気にしなくてもいいよ。普通のがんだよ」って。
岸田 いやいや、気にしますよね(笑)。
西田 そう。めっちゃ気にしましたよ。「むっちゃ怖いこと書いてあるんですけど!」って言ったら、「僕も一回やったことあるけど、経過は普通の乳がんと一緒だったよ」って。多分、あんまり深刻に受け止めないように言ってくださったんだろうなと思います。「これすごく怖いがんなんだよ」って言うわけにもいかないじゃないですか。
岸田 そうですよね。
西田 それで「大学病院を紹介するから、また来週行って」と。
岸田 また来週(笑)。1週間、2週間とどんどん繰り越されていきますね。
西田 そうなんです。ここまでで、もう3週間くらい経ってるんですよ。
岸田 ようやく大学病院に行かれたんですね。そこで手術の方向へ。
西田 はい。やっと大学病院に行けました。でもそのとき担当の先生に「このがんなんですか?」って聞いたら、「この細胞は見間違うことがないから、多分間違いないと思うよ」って言われたんです。もう、むっちゃ怖かったです。
岸田 その“この細胞”っていうのは?
西田 特別な形をしてるんです。英語で“スピンドルセル(Spindle Cell)”って言って、特有の形状をしているらしいです。
岸田 その、紡錘細胞癌というやつですね。
西田 そう、それ。それを「見間違うことはないと思う」って。そんなこと言われたら、余計怖いじゃないですか(笑)。先生も悪気はなかったと思うんですけど、「これは抗がん剤も本当に効かないし、進行も早い。明日CTに行ってください。定員が空いてたら、すぐ切ります」って。
岸田 えっ、急に“明日”!? 今まで「来週来週」だったのに(笑)。
西田 そうなんですよ。今まで「来週ね」って言ってたのが、いきなり「明日行ってきて」って。もう無理やり押し込む感じで。「うちではすぐCT撮れないから、別の病院に行ってきて」って。
岸田 じゃあ次の日、別の病院でCTを受けたんですね。
西田 はい。「取れるところで受けてきて。じゃないと間に合わないかもしれない」と言われて。
岸田 いや、それまでの1週間たちは何だったんだって思いますよね。
西田 本当にそう。「もっと早く動いてくれてたら」と思いました。調べたら、紡錘細胞癌って本当に進行が早くて、1カ月の間に1cmが5cmになることもあるそうなんです。しかも血行性転移をするから、リンパ転移がなくても遠隔転移しちゃう。調べれば調べるほど、「3カ月で亡くなった」「半年で亡くなった」なんて話ばかり出てきて。
岸田 怖すぎますね……。
西田 もう、そういう情報ばかりで。希少がんなんですよね、これ。0.何%とかの確率で。「こんなところ当たらんでもいいのに!」って思いました。
岸田 せっかく当たるならね(笑)。
西田 そう。宝くじで当たってほしかった(笑)。
岸田 ほんまに(笑)。
西田 そんな希少なもの、いらないですよね。本当に。「普通の乳がんでよかったのに」って思いました。でも、そこからは本当に急スピードでした。CT受けて、結果も出て、「大丈夫そうだから」と。19日に受診して、もう26日に手術でした。
岸田 1週間後にはもう手術。全摘の手術をされたんですよね。その後の病理結果はどうだったんですか? 紡錘細胞癌という診断は。
西田 結局、病理結果がなかなか出なくて、術後の病理まで持ち越しになったんですけど……もう心臓がバクバクで、泣きながら病院に行きました。そしたら主治医が、「だいたい違ったから、抗がん剤効くと思うよ」って言ったんです。
岸田 「だいたい違った」って……!?
西田 そうなんです。先生はさらっと流したんですけど、病理の結果をよく読むと「with〜」って書かれていて。つまり、その“スピンドルセルうんぬん”が「with」でついていたんです。病理の中にその要素が含まれていて、部分的にそうだということ。大方は“硬がん”なんですけど、その一部に“紡錘細胞癌”がある。つまり、混合型なんだと思います。
岸田 一部にその紡錘細胞癌を含んでいて、あとは一般的な乳がん、いわゆる“硬がん”のタイプになっていたということですね。
西田 そうです。よくあるタイプの乳がん、“硬がん”の形。その中に、そういう部分があると書かれていました。正直、怖かったです。自分でもそこから目を背けて、「大方は硬がんだし、大丈夫」と思いたかった。
岸田 最悪の状況は免れた、と。
西田 そうですね。調べてみると、全部が紡錘細胞癌の人よりも、一部に混ざっている人のほうが長く生きていらっしゃるんです。混合型で、一般的ながんの部分が多いほど長期生存されている方が多くて。
岸田 生存率が比較的高いということですね。
西田 はい。だから「もしかしたら、いけるかもしれない」と、少しだけ希望が見えました。
岸田 ありがとうございます。ここでご覧になっている皆さんにもお伝えしておきますが、医療情報については必ず主治医や病院に確認していただければと思います。あくまで西田さんのご経験談としてお話しいただいています。治療法も日々アップデートされていますので、そこはご理解いただければと思います。さて、その病理結果を受けて、その後はFEC療法という薬物療法を受けられたんですね。
西田 はい。もともと抗がん剤はしないと思っていたんですが、「大方は効くだろう」と先生に言われて。トリプルネガティブ型だったので、「抗がん剤をしておいたほうが絶対にいい」と言われました。
岸田 ということは、トリプルネガティブの分類になったんですね。乳がんにもいろんなサブタイプがありますが。
西田 はい。そのサブタイプが“トリプルネガティブ”。
岸田 “ネガティブ”と。
西田 もう、抗がん剤しか効かないタイプなんです。抗がん剤が効かなかったら、もう何も効かない。だから、少しでも可能性が上がるなら受けようと思って抗がん剤を始めました。……でも、この頃の私はメンタルがどん底でした。
岸田 ずっとグラフも下がったままですもんね。
西田 はい。手術台の上でも、多分ずっと泣いてたと思います。入院中も、治療されている方で髪の毛が抜けている方を見かけると、とにかく怖くて。「自分もこうなるんだ」と思うと、受け止めきれなかったです。
岸田 その「どうやって乗り越えたか」は、後半でお伺いしますね。本当にこの時期はつらかったと思います。
そして治療中に「発熱性好中球減少症」というものが起こったそうですが、これはどんなものなんですか?
西田 抗がん剤は、思っていたほど副作用が強く出なかったんです。吐き気もほとんどなくて、「これならいけるかも」と思っていたんですが……2回目のFECのときに高熱が出ました。抗生剤を飲んでも下がらなくて、病院に行ったら即入院。白血球の中の“好中球”というのが、ほぼゼロに近いと言われて。「ありとあらゆる菌に感染しやすくなっているから、隔離です」と言われて、即入院になりました。
岸田 即入院。どのくらい入院されたんですか?
西田 好中球が回復するまでなので、2週間くらいは入院していました。
岸田 それは1回だけですか?
西田 いえ、2回入院しました。1回目が2回目のFECのとき。3回目のときは、白血球を上げるために“ジーラスタ”という注射を使ったんですけど、それで今度は肝機能がダメになってしまって……。数値が3桁に跳ね上がって、先生が「肝臓に転移したんじゃないか」とまで言っていて。
岸田 うわ、それは怖い……。
西田 そうなんですよ。だから消化器内科にも行っていろいろ調べたんですが、「どうも転移ではなさそうだ」と。薬剤の影響だろうということで、抗がん剤かジーラスタか、どっちの影響かを教授も一緒に考えてくださいました。結局、1回目・2回目は大丈夫だったので「おそらく抗がん剤ではなくジーラスタだろう」という結論に。それでも「やったほうがいいから続けよう」ということで、治療はそのまま継続しました。
岸田 続けられたんですね。
西田 はい。当然また白血球が下がるので、また熱も出るだろうと。主治医も「出ると思うよ」みたいな感じで(笑)。もう想定の範囲内でした。
岸田 そして、そこから気持ちは少しずつ上向いていくんですよね。ここで「遺伝子検査」とありますが、これはどういう経緯だったんですか?
西田 あんなに恐ろしいがんで、「生きられないかもしれない」と思っていましたし、トリプルネガティブで抗がん剤も効かないかもしれない。じゃあ、どうやったら少しでも生きられる可能性が上がるんだろうと考えたんです。そんなときに「乳がん学会の市民講座」を聞きに行って、「遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)」という話を知りました。
西田 その検査の対象となる条件の中に「家族に3人以上乳がん患者がいる場合」という項目があって、「あ、私も受けられる」と思いました。遺伝性の乳がんかもしれないと思い、主治医に「検査を受けたい」と申し出たんです。
岸田 ということは、ご家族にも乳がんを経験された方が?
西田 はい。母とおばが乳がんでした。乳がんは遺伝性でなくても、家族に患者がいると発症リスクが跳ね上がるって言われてますよね。ただ、「遺伝性」と「遺伝」って少し違うんです。例えば「うちは体質的に乳がんになりやすい家系だからね」と言うのと、実際に「遺伝子に変異がある」というのは別の話なんですよね。
西田 その違いを学んで理解した上で、「もしかしたら私には遺伝子の変異があるのかもしれない。だったら、まだできることがあるかもしれない」と思い、遺伝学的検査を受けたいとお願いしました。保険適用前の時期だったので自費です。
岸田 お医者さんはすぐに受け入れてくれたんですか?
西田 いえ、「そんなこと心配しなくてもいいよ」って言われました。「そういう人いっぱいいるし、お金もかかるよ」って。検査費用がたしか23万円くらい。なかなかの金額ですよね。治療内容が変わるわけでもないし、「そこまでしなくてもいいんじゃない?」と言われました。
西田 ただ、私はすでに全摘していたので、遺伝性の人に勧められる「両側全摘」も済んでいたんです。だから先生としては、「もう気にしなくていいよ」「慌ててやらなくてもいい」と。そう言われて2〜3回スルーされたんですが……。
岸田 それでも最終的には「やりたいです」と押し切ったわけですね。
西田 はい。押し切りました(笑)。
岸田 23万円払って。
西田 そうです。そこにたどり着くまでにも、「まず遺伝カウンセリングを受けてください」と言われて。「意志表明をしてからでないと検査できません」と。これも全部自費なんです。病院の診察室ではなく、専用のカウンセリングルームで、遺伝カウンセラーの先生と遺伝腫瘍専門医の先生と3人で。どういう検査なのか、どんなリスクやメリット・デメリットがあるのかを丁寧に説明していただきました。最後に「それでも受けますか?」と聞かれて、「はい、受けます」と。
岸田 そして検査を受けて、結果を聞くとき――。ここでグラフもまた少し下がりますが、「BRCA2の変異」が見つかったんですね。
西田 はい。結果を聞きに行ったとき、カウンセラーの先生がドアの前で立ち止まって「結果、見ますか?」と聞かれたんです。「もちろん見ます。23万円も払ったんだから」と(笑)。
岸田 そりゃ見ますね(笑)。
西田 でも、それはとても大事な確認らしいんです。最後の最後に「やっぱり見ません」と言う方もいらっしゃるそうで。私は「見たい」と答えて、結果を見せていただきました。すると、「西田さん、BRCA2のこの部分に変異がありました。ですから、あなたはHBOCです」と言われたんです。
岸田 その“HBOC”というのは、遺伝性の乳がん――ということですね?
岸田 できれば1回で終えたほうがいいですもんね。
西田 そう。だから「できれば1回で取れませんか」ということでお願いしました。病院側としても、かなり大きな決断だったと思います。
岸田 そしてその手術を行い、もう全部、摘出されたということですよね。
西田 はい。胸はフラットのままですし、卵巣と卵管も取ってしまいました。ただ、卵巣や卵管を取っても腹膜にがんができることがあるそうなので、定期的な診察は今も受けています。
岸田 その後、「クラヴィスアルクス」という団体に入会されたんですよね。これはどんな会なんですか?
西田 これは HBOC(遺伝性乳癌卵巣癌症候群) の当事者会です。遺伝性乳がんや卵巣がんの方々が集まってつくられた団体で、理事長は 太宰牧子 さんという方なんです。私が遺伝性だと分かったとき、ネットで検索してヒットしたのがこの団体だけでした。住んでいる地域には近くにそういう会がなかったので、最初は入会をためらっていたんですが、翌年の4月から入らせていただくことにしました。
岸田 そこに入ってから、西田さんご自身も「つばなの会」というものを立ち上げられたんですよね。これは病院の患者会なんですか?
西田 そうです。クラヴィスで仲間と話すことで本当に救われたんです。その経験から、「自分の病院にも泣いている患者さんがいるかもしれない」「一人で悩んでいる人がいるかもしれない」と思って、何とか患者会を作れないかと考えました。いろいろ話し合って、病院のカウンセラーのカヤノ先生という先生と一緒に立ち上げました。
「つばな」というのは、茅の花のことなんです。夏越の祓(なごしのはらえ)でくぐる茅の輪に使われる植物ですね。
岸田 あ、なんか聞いたことあります。
西田 あります? カヤノ先生と一緒に始めたというのもあって、“茅(カヤ)”の花=つばなを名前にしました。病気を乗り越える人の輪や、つながり、祈りの意味も込めています。
【大変だったこと→乗り越えた方法】

【メッセージ】

岸田 そして、西田さんに最後こちらをお伺いしていきたいと思います。今見てくださっている視聴者へのメッセージになります。西田さんからメッセージをいただいております。よろしくお願いします。
西田 はい。
がんになっても終わりじゃないよ、ということをお伝えしたいです。私は2018年にがんになり、それも進行の早いがんかもしれないと言われたとき、パニックになりました。「もうこれで私は死んじゃうんだ、終わりなんだ」っていう恐怖で、本当に眠れない夜を過ごしました。
でも当時の私は正しい知識、正確な知識を持っていなかったんだと思います。がんってどんな病気なのか、がんになったらどうしたらいいのか。そういったことを知っていくことで、少しずつ落ち着いていきました。
今、がんと宣告されてつらい思いをされている方に伝えたいです。
終わりじゃないです。
私たちには味方がたくさんいます。支えてくれる人がたくさんいます。
誰とも話したくないときもあると思います。でも、そんなときでも、あなたを支えてくれる人はそばにいます。がんになっても本当に終わりじゃありません。一緒に頑張っていきましょう。
岸田 ありがとうございます。がんになったからといって、そこで閉ざす必要はない。もちろん塞ぎ込んでしまう時期があっても、それは全然いい。でも、それだけで終わりじゃない。西田さんご自身、カウンセラーの方や患者会と出会って支え合い、今はご自身でも患者会を立ち上げて、サポートする側にもなられているということで、本当に心強いお話でした。
私の理解で合ってますか?
西田 はい。私、本当に当時は“駄目駄目”だったんです。でもそんな私でも、こうして元気に話せています。必ず大丈夫です。
岸田 ありがとうございます。それでは、がんノートmini、こちらで終了したいと思います。本日はどうもありがとうございました。
西田 ありがとうございました。
※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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