目次
- 【オープニング】テキスト / 動画
- 【ゲスト紹介】テキスト / 動画
- 【ペイシェントジャーニー】テキスト / 動画
- 【大変だったこと→乗り越えた方法】テキスト / 動画
- 【メッセージ】テキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:田中
【ゲスト紹介】

岸田 それでは、がんノートminiスタートしていきたいと思います。きょうのゲストは田中さんです。よろしくお願いします。
田中 よろしくお願いします。
岸田 お願いいたします。田中さんは今、22歳?
田中 22歳です。
岸田 22歳の田中さん。今まさに大学生ということで、ここから田中さんの闘病経験談を一緒に振り返っていきたいと思います。まずはプロフィールのご紹介です。田中譲士さん、広島県の……。
田中 そうですね。
岸田 ありがとうございます。広島県のご出身で、今は兵庫県にお住まい。そして大学生として生活されているということですね。趣味は外食と散歩、と書かれていますが、大学生活、結構いろんなお店を食べ歩いて楽しんでる感じですか?
田中 いろいろなお店を歩いて行って、食べたりするのが本当に楽しいです。
岸田 散歩はどんな場所に行くんですか?
田中 一応、兵庫県なので、三宮駅の地下にセンター街っていう飲食店が多いところがあるんですけど、そこですかね。ご飯を食べたり、お酒を少し飲んだりもします。
岸田 そういうところをひとりで散歩しながら、一軒一軒入っていく感じ?
田中 そうですね、いろいろです。ひとりでふらっと食べることもありますし、友達と誘いあって何人かでわいわい食べることもあります。今の時期なので頻度はあれですけど。
岸田 いいですねえ。めちゃくちゃ大学生活、満喫してますね。そんな田中さんは、胚細胞腫瘍なんですよね。僕も胚細胞腫瘍で、たぶんタイプは同じなんですよね、田中さんと。
田中 ふーん。
岸田 ふーん!? ……え、知らなかった?(笑)
田中 知ってますよ(笑)。
【ペイシェントジャーニー】

岸田 ありがとうございます。念のため確認しますけど、ステージ3Bということで、告知されたのが19歳。そして今は22歳という状況なんですよね。治療方法は手術と薬物療法を受けてこられたということで、ここから田中さんのペイシェントジャーニーを見ていきたいと思います。
めちゃくちゃいろんな治療や出来事があって、本当に紆余曲折なんですが、これ上に行けば行くほどハッピー、下に行けば行くほどアンハッピーというか、つらい場面ということで、左から右に時系列で並んだチャートになっています。
赤がポジティブ、青がネガティブ、白がどちらでもない、灰色が手術や抗がん剤といったところで、これを一緒にたどりながらお話聞いていければと思います。
まず最初は上がってるんですよね。高校卒業、そして浪人。これは「一応ハッピー」に分類されてるけど、感情的には無に近いというか、良くも悪くも平坦だった感じ?
田中 そんな感じっすね。
岸田 高校卒業して浪人して、そこからぐっと下がるんですよね。腰の痛み、食欲の減退とありますが、最初に食欲が落ちてきたんですか?
田中 その前にまず食欲がなくなって、おかしいなと思ってたら腰が急に痛くなってきて。「これは本当にやばいな」と思って病院行ったら、がんの告知を受けたっていう感じっす。
岸田 病院はまずクリニックに行った?
田中 最初はクリニックです。エコー撮ったら「お腹の中に変なものがある」って言われて。それで「大きい病院にすぐ行ったほうがいいよ」って言われて、次の週にはもう告知されました。
岸田 大病院に行ってすぐに告知されていく…。どん、と。胚細胞腫瘍の告知。ここめちゃくちゃ下がってるけど、どうでした? 19歳で「がんです」って言われて、気持ち的には。
田中 悲しかったですね、単純に。どうすればいいんだろうって気持ちでいっぱいで、本当にしんどかったです。
岸田 サイレン鳴ってるぐらいのね、気持ち的にもね。
田中 そうっすね。
岸田 告知はひとりで受けたの? 家族と?
田中 母と一緒でした。二人で呼ばれて、その場で先生から言われました。
岸田 お母さんの反応は?
田中 「え…」みたいな、戸惑った顔でしたね。不安そうで。
岸田 僕は告知の瞬間、「よし、がんばろう」みたいに気合い入れていったタイプやけど、田中くんはどうだった?
田中 僕の場合は告知されたその翌日にはもう手術、そのあとすぐ抗がん剤…ってスケジュールが全部決まってて。本当に一瞬で。考える時間も何もなかったです。
岸田 考える間もなくね。で、どん。高位精巣摘除術。これはどういう手術かというと?
田中 精巣、いわゆる金玉の片方を取る手術です。そこががんの「根っこ」みたいな場所なので、まずそこを取ってから治療していく流れです。
岸田 ちなみに田中くんは右? 左?
田中 右です。
岸田 右か。俺、左取ってるから。
田中 結構違うんですね。
岸田 2人合わせたらちょうど左右そろってええ感じやね、ごめん(笑)。で、精巣を摘出して、そこから次どうなっていったのか。薬物療法、BEP療法4クール。
このときは精巣だけじゃなくて、さっきエコーでお腹まわりもあるって言われてたよね。どこにあったの?
田中 一応、肩のところ、ここの骨の辺りにぼこっとしたのがあって。
岸田 鎖骨の下あたり?
田中 そうです、鎖骨ら辺に。で、ぶっちゃけ言うと、それだけじゃなくて、検査して造影CT撮ったら全身…というか上半身全部にありました。本当に肺とか、いろんなところに転移してて。それで「すぐ治療しないと」ってなった感じです。
岸田 本当に全身に散らばってた、って感じやったんやね。分かる、僕も首と胸とお腹に転移してたから。
すぐ治療に入らないと、って流れになってくる。そしてBEP療法。BEPっていうのは、抗がん剤のブレオマイシン、エトポシド、シスプラチンのセットね。
田中 はい。
岸田 4クールってことは、だいたい3カ月ぐらい?
田中 3カ月ぐらいですね。
岸田 やっていったと。このときの気持ちは、手術のときよりは落ち着いてきてた感じかな?
田中 まあ、まだ19歳で若かったので…今も若いですけど(笑)。怖い気持ちはありましたけど、BEPってそこまできつくないらしくて、自分も思ったよりしんどくなかったです。
岸田 俺25歳でやったけどめっちゃきつかったけどね(笑)。まあ、田中くんはここからさらにいろいろ続くから、比較するとそういう感覚なのかもしれん。
で、ここからまた下がっていく。CVポート留置。これはどういうものかというと、抗がん剤を入れるための管…ポートを体の中に埋め込むやつなんだけども。
田中 一応、腕の…。
岸田 腕に留置したってことかな?
田中 腕の血管がBEP療法で、もうなくなっちゃったというか、本当に刺せなくなっちゃって。それで治療を続けるためにもCVポートを入れようって話になって、入れました。
岸田 入れて、ちょっとネガティブやけど、さらにネガティブな事象があります。何かというとVIP療法。さっきのエトポシド、イホスファミド、シスプラチンの3つを足していく抗がん剤治療だけど、これは別? BEP療法が効かなかったってこと?
田中 効いてはいたんですけど、本当に全ての腫瘍マーカーが高くて。自分の場合、1万とか…もっとあったのかな。何万レベルで、本当にそれぐらい高くて。下がりきらなかったので追加療法になりました。
岸田 今「全部のマーカーが高かった」って言ったけど、胚細胞腫瘍って胎児性がんとか奇形腫とか、細かい種類がいろいろあるやん。それ全部、田中さん、該当してたんよね?
田中 多分そうです。ほぼ全部だったと思います。
岸田 だから胚細胞腫瘍ってひとまとめに言ってるけど、田中さんの身体の中には“いろんな種類のがんが同時に存在していた”ってことやもんね。
田中 そんな感じです。
岸田 推測やけど、BEPだけで効くタイプと効かないタイプが混ざってたから、いろんな治療をやらなあかんかったってことか。
田中 そうですね。
岸田 すごいな…。これはマジでつらかったと思う。で、このペイシェントジャーニーの中でも一番落ちてるのがVIP療法のとこ。これは何がそんなにつらかった?
田中 抗がん剤の量がBEPのときより多くて、本当に体がしんどくて、一日中寝たきりでした。1週間、本当に動けなくて、ご飯も食べられないし、おしっこも自分で行けない状態でした。
岸田 ご飯も?
田中 ほとんど記憶がないです。本当にずっと寝てたって感じです。
岸田 ほぼ寝たきり?
田中 寝たきりです。
岸田 それはきついな…。で、そこを超えて、少し上がる兆しがある。それが「大阪の病院へ転院」やね。広島でずっと治療してたわけじゃなかったんや。
田中 一応、大学病院にも行ったんですけど、大阪に専門医がいるって聞いて、そっちに行ったほうがいいっていう話になって転院しました。
岸田 なるほどね。大阪の病院のほうが専門的な治療ができたと。そのあと、また抗がん剤治療が始まる。それがTIN療法。TIN療法って、パクリタキセル・イホスファミド・ネダプラチンの三つやね。これはVIPよりはまだマシやった?
田中 前みたいに動けないってことはなかったです。ただタキソールの影響でしびれるっていうのはあったんですけど、でもその前のVIP療法よりは全然しんどくなかったので、ここはまだマシでした。
岸田 タキソール? TINはパクリタキセルかな?
田中 パクリタキセルですね。抗がん剤って同じ薬でもいろんな名前ありますよね。
岸田 あるある。…ごめん、完全に俺が混乱してたわ。パクリタキセル=タキソールで合ってます。失礼しました。そんな中でこのTIN療法を3クールやっていったわけやけど、そこからまたちょっと下がっていくんよね。何かというと、下大静脈フィルター留置。これどういうこと?
田中 VIP療法で動けなかったときに血栓ができちゃって。で、血栓が手術中に飛ばないようにするために、左の太ももにフィルターを入れました。
岸田 寝たきりやったから足に血栓できたってことか…。
田中 そうですね。太ももにできちゃいました。
岸田 で、フィルターを入れて手術に備えると。そのあと、ここでぐっと上がるんよね。GEMOX療法を5クール。この抗がん剤中なのに、むしろ上がってるやん。なんで?
田中 同じ病気、同じぐらいの年齢の友達が転院してきて、仲良くなって。めちゃくちゃQOL上がったんですよ。しゃべったり、お見舞い来てくれたり。それが本当にうれしくて。
岸田 いいねえ。同世代の仲間がいるって、闘病中ほんまに心強いよね。
田中 本当に救われました。特に何したってわけじゃないけど、ただ会いに来てくれるだけでめちゃ楽しかったです。
岸田 分かるわ。闘病仲間って特別な存在やもんな。で、治療中にも関わらずQOL爆上がりと。そしてその後、また下がっていくと。開腹手術で後腹膜リンパ節郭清。腹を開けて、残ってるがんを取っていくフェーズやね?
田中 そうです。一応ここで治療はひと区切りにして、おなかを開けて、残ってるものを取ろうってなりました。
岸田 散らばってたがんのうち、手術で取れるものを全部取りに行くって感じやね。そしてそのあと、開胸手術。これは肺にも転移が残ってたってこと?
田中 はい。肺にも残っていたので、一部分を切除しました。
岸田 そして肺を切っていって、次は…また薬物療法入ってくるんやね。Ir2、言い方が間違ってたらあれやけど。
田中 合ってます。
岸田 合ってるんやね。※皆さん、これはあくまで経験談なので、治療は必ずがん情報サービスや主治医に確認してくださいね。当時の治療法でございます。で、イリノテカンとネダプラチンの薬物療法。手術して、また薬物療法やってったんや?
田中 一応、まだ“地固め療法”みたいな感じで、抗がん剤もうちょっとやったほうがいいって話になって。なので2クール、Ir2療法を行いました。
岸田 すげえな。もうガイドラインに載ってる抗がん剤、ほぼ全部やってない?
田中 多分ほとんど…というか全部ですね、本当に。
岸田 開腹手術して、開胸手術して、Ir2療法。このあたりから徐々に上がってるけど、これはどういう意味なん?
田中 “治る兆し”が見えてきたんですよね。その光が見えた瞬間に、もう一回頑張ろうって気持ちが湧いてきたので、精神的に上がってます。
岸田 ああ、これを終えたらいよいよゴールが見えるぞってことね。だっておなかも胸も手術して、呼吸もきつかったやろ?
田中 本当にきつかったです。
岸田 この中で一番大変やった手術、どれ?
田中 最初の開腹手術です。
岸田 理由は?
田中 おなかを開ける手術だったので、術後の痛みが本当にやばかったです。1日、2日は全然寝れなくて、変な夢も見るし…あれはほんま地獄でした。
岸田 そんな中でも兆しが見えてきて、どんどん頑張れるようになって、そしてそのあと治療も終わって、受験勉強が再開できたと。ここでようやく、勉強に向かう元気が出てきた感じ?
田中 治療がひと区切りついたので、やっぱり大学行きたいって気持ちが強くて、勉強を再開しました。
岸田 そして勉強再開したんやけど…またちょっと下がるねんな。何かと思ったら、肺の胸腔鏡手術。これまた手術て…開胸やった後でも、まだ肺にあったん?
田中 もしかしたら取らなくてもよかった部分もあったのかもしれないですけど、主治医の先生が「全部取っておこう」と言ってくださって。なので肺の残ってるやつを全部きれいに取ることになりました。
岸田 全部取ろうということで、もう取って…そこから一気に上がっていく。何かというと――大学合格。おめでとうございます。
田中 ありがとうございます。
岸田 治療しながらの受験勉強やったけど、その間に手術も挟まってたやん? 体力面とか、精神面とか、どうやった?
田中 結構しんどかったっすね。肺を切ってるので、歩くのもしんどいし、体力も全然ないし…受験勉強に集中しようとしても、まず体がついてこないって感じでした。
岸田 けど、その中で勉強を工夫したとかっていうのある?
田中 勉強の工夫は…テストに出るところを集中的にやるっていう感じっすね。
岸田 効率的なね。
田中 本当に“受験に必要なところだけ”っていう勉強しかしなかったです。
岸田 そこだけをピンポイントで、ね。しっかりやって。で、大学合格して、そこから大学に入学して、今は2年生になっていくというのが、今の田中さんのペイシェントジャーニーになります。どう?今、大学生活、楽しい?
田中 すごい楽しいです、本当に。
岸田 よかったねぇ。本当にね。ここまでめちゃくちゃ大変な道のりを乗り越えてきたぶん、これからはぜひ大学生活、おう歌してほしいなと思うんよ。
そんな田中さんの、次はこちら。ゲストエクストラ、こちらになります。
【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 大変だったこと、困ったことということで、握力の低下や手足のしびれによる車いす生活。こういったことがあったんですね。それをどう乗り越えたかというところで、入院中のリハビリだったり、家族や周りの励ましがあったと書かれています。まず、握力の低下とか手足のしびれって、どのタイミングでどう出てきたんですか? 田中さん。
田中 一応、TIN療法のときですね。1クール目はそこまで問題なかったんですけど、2クール目、3クール目って進むにつれてひどくなってきて…。最後の3クール目は本当に歩けなくなってしまいました。下半身の感覚がほとんどなくなってしまったので。本当は4クールする予定だったんですけど、そこで治療は終わりました。
岸田 今は歩けてる? どう?
田中 今は全然歩けます。でも、まだ感覚が薄いというか…完全には戻ってないです。
岸田 握力は?
田中 握力も同じ感じです。でも、日常生活してたらだいぶついてきて、今はほとんど問題ないです。
岸田 車いす生活って、どのくらい続いたん?
田中 最初の開腹手術の前くらいまでですね。
岸田 ってことは、数カ月はずっと車いす生活?
田中 そうですね。
岸田 半年くらい? 1年くらい?
田中 そこまではずっと車いすで、日常生活でもIr2療法までは歩くのがしんどかったです。
岸田 その期間をどう乗り越えたかというところで、さっきのこちら。入院中のリハビリ、家族や周りの励まし。リハビリってどんなことをしたの?
田中 歩く練習とかですね。あと、手の感覚を取り戻すために、ブロックを触って組み立てるみたいな訓練もしていました。
岸田 作業療法士さんや理学療法士さんと一緒にね。入院中、ずっと?
田中 入院中にずっとやってました。
岸田 そして家族や周りの励ましも力になったって書いてるけど、やっぱり大きかった?
田中 本当に大きかったです。歩けなくてどこにも行けなかったときに、家族や恋人、友達も広島から来てくれて…。大阪の病院まで来てくれて、外に連れ出してくれたり、街に遊びに行かせてくれたり。あれがすごく嬉しかったです。
岸田 広島からわざわざ大阪に来てくれるって、それだけで胸にくるよね。
田中 本当にうれしかったです。
岸田 抗がん剤の合間でも、そうやって街に行ったりショッピングしたりできたんやね。
田中 はい、ショッピングしたりして、すごい楽しかったです。
【メッセージ】

岸田 いいね。家族、友達、恋人、みんな。いろんな人たちが見舞いに来てくれて、その励ましが力になったということですね。そんな田中さんなんですが、視聴者のみなさんへメッセージをいただいています。田中さん、こちら。よろしくお願いします。
田中 ナルシストになろう。治療を頑張る自分を愛せ、です。治療中は抗がん剤でしんどかったりすると思うんですけど、そのときは周りの人に甘えたり、助けてもらっていいと思います。あとで恩返しすれば、僕はいいと思っています。
岸田 ありがとうございます、田中さん。まずは周りに甘えて、あとで恩返しをするということだね。田中君、恩返ししてる?
田中 まだできてないですね。
岸田 これからやね。
田中 これからですね。
岸田 治療も終わって、ようやく大学生活もエンジョイできてるし、周りの人からしたら、今の田中君が元気で楽しそうにしていることが、すでに大きな恩返しにもなってると思うよ。
岸田 僕もいろんな人に助けられたから、その人たちに少しでも恩返しできるように、がんの勉強したり、がんセンターで働いて情報を学んだりしてるんだけど、恩返しの仕方って本当にいろいろあると思うんだよね。田中君もぜひ、自分なりの形で、発信でもいいし、周りの誰かを支えるでもいいし、できる範囲でやっていってくれたらと思います。
田中 はい。
岸田 ありがとうございます。それでは、がんノートmini、以上で終了していきたいと思います。皆さん、ありがとうございました。田中君、ありがとう。バイバイ。
田中 ありがとうございました。
※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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