目次
- 【発覚から告知まで】テキスト / 動画
- 【治療から現在まで】テキスト / 動画
- 【家族(パートナーと子)】テキスト / 動画
- 【家族(親・姉妹)】テキスト / 動画
- 【仕事】テキスト / 動画
- 【お金・保険】テキスト / 動画
- 【辛い・克服】テキスト / 動画
- 【後遺症】テキスト / 動画
- 【反省・失敗】テキスト / 動画
- 【医療者へ】テキスト / 動画
- 【Cancer Gift】テキスト / 動画
- 【夢】テキスト / 動画
- 【ペイシェントジャーニー】テキスト / 動画
- 【今、闘病中のあなたへ】テキスト / 動画
※各セクションの「動画」をクリックすると、その箇所からYouTubeで見ることができます。
インタビュアー:岸田 / ゲスト:秋山
【オープニング】

岸田 本日のゲストは秋山さん です。まずは簡単に自己紹介をお願い出来ますでしょうか。
秋山 東京都出身の秋山千登世と申します。2012年に慢性骨髄性白血病になりました。しかも、その日は私の41歳の誕生日だったんです。……神様、なんて残酷なプレゼントをするんだろう、って当時は本気で思いました(笑)。
今は元気にしていますので、今日は笑い話として聞いていただければと思います。よろしくお願いします。
岸田 ありがとうございます。きょうはつらい経験もたくさん伺うことになると思うんですけど、秋山さんがそれを笑いに変えてきた、その強さも含めてお話を伺っていきたいと思います。
では早速ですが、コメントもいただいてますので読ませていただきますね。
よしさんから「今日も楽しみで〜す!」、やまやんさんからは「こんにちはー!もうクリスマスですね」。確かに、もう12月ですからね。クリスマスまで……あと2週間くらい?
秋山 そうですね、ちょうど2週間くらいですね。
岸田 吉本和弥さんからは「CML界のラスボス登場ですね」と。CMLというのは慢性骨髄性白血病の略ですよね?
秋山 はい、そのとおりです。慢性骨髄性白血病(Chronic Myelogenous Leukemia)の略です。
岸田 ラスボスという表現で来ていますね(笑)。
秋山 光栄です、ありがとうございます(笑)。
【発覚から告知まで】
岸田 コメントいただいたら、千登世さんにも随時お伝えしていきたいと思いますので、ぜひ皆さん書き込んでください。
では早速ですが、千登世さんのがんがどのように発覚していったのか──発覚から告知までの流れを伺っていきます。
まず、千登世さん。どのようなきっかけで病気が見つかったのでしょうか。
秋山 毎年、誕生日月に区民検診を受けていたんですね。その検診で「白血球が高いですよ」と言われたのが最初のきっかけでした。
実はその数年前から、白血球の値が少しずつ高くなっていたんです。再検査もしていただいたんですが、「体質かもしれないね」くらいで、特に大きく取り上げられることもなくて。でも、3年目に入った検診で白血球が2万超えになってしまって。「これはもう大学病院に行きなさい」と言われて、そこで発覚しました。
岸田 えっと……「2万超え」というのは、普通ならどれくらいなんですか?
秋山 上限で8,000〜9,000くらいですね。
岸田 じゃあ、その2〜3倍以上の値だったと。
秋山 そうなんです。

岸田 ありがとうございます。あと、フリップのメモには「末っ子の幼稚園入園式」と書かれていましたが、お子さんは何人いらっしゃるんですか?
秋山 3人います。女の子、男の子、女の子の3人です。一番下の子が幼稚園に入った翌年に見つかりました。
岸田 まさに子育て真っ最中のタイミングだったわけですね。
秋山 そうですね。まだ小さくて、本当に大変でした。
岸田 毎年誕生月に区民検診を受けるという習慣は、何か理由があったんですか?
秋山 いえ、特にないんです(笑)。大きな病気もしたことがなかったので、「区から案内が来るから、とりあえず受けるか」くらいの感覚でした。しかも、結構しつこく連絡が来るんですよ。手紙も来るし、電話も来るし。「行かないとマズいかな…」と思って行ってました。
岸田 電話まで来るんですね! すごい。
秋山 本当に(笑)。今はもう血液内科に2カ月に1回通っているので検診は受けていませんが、当時はそんな感じで“流れで”受けてました。
岸田 なるほど。そうやって検診に行ったことで数字の異常に気づけたわけですね。大学病院に行くように言われた時は、すぐ行かれたんですか?
秋山 実は大学病院って行ったことがなくて、どこに行けばいいのか分からなかったんです。当時、「血液内科」という言葉すら知らなかったので。
どうしようかなと思っていた時に、幼稚園のママ友に相談したら、「血液内科っていうのがあるよ」と教えてくれたんです。それで初めて“血液内科”という存在を知りました。
ただ、いきなり大学病院よりも、まず専門の先生に診てもらったほうがいいよ、とアドバイスをいただいて、地元で血液の専門医を探したら2名ほどいらっしゃって。そのうち1人の先生のところに行ったら、すごく良い先生で、そこで初めてCMLの診断がつきました。
岸田 クリニックの段階で診断がついたんですね。
秋山 はい。その先生が週に2回、大学病院でも診療されていたので、翌日にはその大学病院に行って、骨髄検査(マルク)を受けました。
岸田 ありがとうございます。じゃあ、大学病院というのが当時は全然イメージつかなくて、とりあえず友達に相談したら、「まずは地元で血液内科にかかったほうがいいよ」とアドバイスされたわけですね。そこから血液の専門の先生を探していった、と。
秋山 そうなんです。いきなり大学病院に飛び込むより、まずワンクッション置いたほうがいいと教えてもらって。初診でいきなり行っても流れが大変ですし、紹介状を持って行ったほうがスムーズだよって言われたんです。
それで地元で探したら、たまたま血液に詳しい先生が2人いらっしゃって、そのうちの1人のところに行ったら…その先生が本当に良い先生で。しかもラッキーなことに、その先生、週2日大学病院でも診療していたんですよ。
先生も「自分で自分の紹介状を書くことになるとは思わなかったよ」と笑っていました。
岸田 自分で自分に紹介状を書くって、なかなか無いですよね(笑)。
秋山 そうなんですよ。自分で紹介状を書いて、その紹介状を私に渡して、翌日その大学病院に行って、同じ先生にかかり、そこでマルクを受けました。
岸田 マルクというのは……この資料にある骨髄検査のことですね?
秋山 はい。骨髄を採る検査なんですけど、今は腰から取ることが多いんですが、当時は胸のあたりから太い針を刺して採っていたんです。
これがまた、本当に怖くて。胸に刺しているところが見えるんですよ。局所麻酔はしてるんですけど、見える。先生が「いくよー」と言って胸をグッと押し込んで、そのまま骨髄を吸うんですけど……胸に刺してるはずなのに、足の先から魂を引っ張られているような感覚というか。なんとも言えない不思議な嫌〜な感覚でした。
初めての時は本当に恐怖でした。
岸田 その検査の結果が出て、CML(慢性骨髄性白血病)と確定した、と。
秋山 はい。骨髄の中が白血球でドロドロだったらしくて。
区民検診の時は白血球が2万2千くらいだったんですけど、診断が下った時には4万5千まで増えていたんです。急激に上がっていて、先生が採った骨髄を見ながら「うわ、ドロドロだねぇ」と言っていたのを覚えています。
岸田 改めて、その診断を聞いた瞬間は、どんな心境でしたか?
秋山 もう……青天の霹靂ですよね。「白血病です」と言われた瞬間、まさか自分が?という気持ちしかなかったです。
どこかで“白血病=色白で儚い感じの、すごく綺麗な人がなる病気”みたいなイメージがあって、完全に偏見なんですけど(笑)、でも当時は本気でそう思ったんです。「え? なんで私が?」って。
それに、私、中学高校が夏目雅子さんの後輩なんです。保健体育の先生が関係者で、よく雅子さんの話を聞いて育ったので、診断を聞いた瞬間にパッと名前が浮かんで……「え、私もその病気?」と、現実感がなくて。
岸田 若い世代は知らないかもしれませんが、夏目雅子さんは当時、本当に綺麗な女優さんで……白血病で亡くなられた方ですよね。
秋山 そうです。私とはタイプが違う白血病だったんですが、本当に印象的な方で。だから余計に衝撃でした。
岸田 そして資料には「確定診断と高額な薬代の説明」とありますが……?
秋山 はい。診断が出て診察室に呼ばれた時、先生が開口一番でこう言ったんです。
「おめでとう。」
最初は本当に意味が分からなくて、「え?」と思ったんです。でもその後に先生が、
「骨髄の病気はいろいろあるけれど、CMLは“良い薬”がたくさんあるからね。治療の選択肢があるんだよ、良かったね。」
とおっしゃって。白血病と聞いて落ち込んでいたところに「おめでとう」。混乱もしたんですが、今思えば、先生なりの励ましだったんだと思います。
その後に先生が、「ただね、お薬代は高いんだよ」と言ったんです。その額が確か90万円。3カ月処方なんて知らなかったので、私はてっきり「1カ月90万!?」と思って、持ち上がった気持ちがストンと落ちました。
実際は高額療養費の認定証を使えば上限で止まるし、薬は3カ月まとめて1回分の支払いで済むんですが、当時はそんなこと知らなかったので、「お金払えなかったら命が無いじゃないか」と本気で思いました。
地域によっては2カ月処方の所もあるようですが、基本は90日分出してくださるはずです。
岸田 なるほど。ありがとうございます。この真ん中に書かれている「両親・姉に電話で報告」や「幼稚園の親子遠足」っていうのも気になるんですが、これはどういう状況だったんでしょうか?
秋山 診断された日にまず両親と姉に電話で伝えたんです。母が電話に出て、開口一番「やっぱりね」と言われました。
岸田 え、何で「やっぱりね」なんですか。それ気になるやつ。
秋山 母、すごく迷信を信じる人で…。毎年6月になると梅酒を漬けるんですけど、その年は3ビン作ったうちの1ビンだけが異常にカビたらしいんです。しかも白いカビがホワホワ浮いていて、母いわく、
「血液の中に悪いものが広がっていくみたいで気持ち悪かった」と。
それがずっと胸に引っかかっていたらしくて、「ああ、やっぱりね」と言われました。ちなみにその梅、洗って煮詰めて食べたらしいです(笑)。
岸田 いや科学的には色々アウトな気もしますけど(笑)。でもそういうのありますよね、迷信とかね。
秋山 そうなんです。今では笑い話ですけど、その時は妙に納得してしまう自分もいました。
姉に電話した時は、完全に絶句して何も言葉が出てこなかったです。
岸田 そして「幼稚園の親子遠足」。これは診断後ですよね?
秋山 はい。診断から3日後に親子遠足があったんです。正直、心も身体もついていかなかったです。他のお母さんたちにも会わないといけないし、子どもも楽しみにしているし、「どうしよう」と思いました。
その上で医師から「日差しを浴びないように」「海にも行かないように」と言われていて、紫外線が良くないと言われていたんですが、その日は炎天下。めちゃくちゃ暑かったんです。だけど行かないという選択肢はなくて、行くしかなかった。
その時、本当に「いつどうなるか分からない」と思っていました。だから子どもとの写真を残しておきたいと思って、同行のカメラマンさんにも撮ってもらって、自分の姿を少しでも記憶に残してほしくて。明治神宮でお守りも買ってお願いをして…。
そしたら、今こうして元気になっています。
岸田 あ、もうその話まで行ったら終わっていいですかね?(笑)
秋山 そうですね(笑)。でも本当に、その時買ったお守りは今でも肌身離さず持っています。
岸田 ありがとうございます。では、視聴者さんからの質問にもいきましょう。ヒトミさんが「私も今日、宣告されました」とコメントくださってます。宣告されたばかりの方に、何かメッセージをお願いできますか?
秋山 ヒトミさん、本当に今日は大変な日だったと思います。でも、こうしてこの時間を共有できているのも何かのご縁だと思います。
今もし少しでも落ち着いているなら、それは本当に良かったです。一緒に、前に進んでいきましょう。必ず選択肢も道もあります。
岸田 ありがとうございます。そして、よしさんから「白血球の数値が年々上がってきても、身体の変化は無かったんでしょうか?」と質問があります。
秋山 本当に何も無かったです。気付けるような症状はゼロでした。痛みもつらさも無くて、あえて言うなら風邪を引きやすくなったかな、くらいです。
岸田 ありがとうございます。そして萩原さんから「シシィ頑張って!」とコメントをいただいていますけれど、シシィってニックネームなんですか?
秋山 そうなんです。アメブロで“シシィ”という名前で書いているので、皆さんそう呼んでくれています。
岸田 なるほど、ありがとうございます。
そしてコメントのほうでは「マルクの話を聞いているだけで痛そう・怖そう」という声も来ていますね。あと先ほどの“3カ月処方”について、「3カ月まとめて処方されると、高額療養費の“1カ月分の上限”だけ支払えばよくなる。毎月払うと3回分かかるところが、3カ月分まとめて1回払えばいいから実質1/3になるよね」というコメントも来ています。
秋山 そうなんです。しかも1年の中で上限額に達する回数って決まっているので、3カ月ごとに払っていくと、9カ月分払った段階で“1年のカウント”に達して、4回目以降は自己負担上限が下がるんです。4万4000円くらいの負担になって、それが続いていきます。
岸田 そうですね。年収によって上限は変わるんですけれど、ざっくり8万円台を3回払うと、次の回から4万4000円になるイメージですよね。ありがとうございます。
青木惠利子さんから、「明るくお話されるので尊敬します。宣告直後の遠足、大変だったと思います。明治神宮でお守り買えて本当に良かったですね」とコメントいただいています。
秋山 ありがとうございます。本当に、あのお守りは今でもずっと持っています。宣告後の1週間ぐらいは、もうずっと泣いていましたけどね。
岸田 やっぱり泣いてしまうんですね…。その時の気持ちって、どんな感じだったんですか?
秋山 この先、自分の時間がどれだけ残っているのか全然分からなくて…。だからまず「写真を整理しなきゃ」とか思ったり。でも結局、悲しみのほうが大きくて何もできなかったですね、最初の1週間は。
岸田 「死んでしまうかもしれない」という不安が大きかったということですよね。
秋山 そうですね。子どもたちがまだ本当に小さかったので…。それに両親から「1日でも長く生きなさい」とずっと言われていたことも思い出して、余計につらかったです。
岸田 その状況でも幼稚園の送り迎えは休まなかったんですよね?
秋山 はい。今思うと自分でもよくやったなと思うんですけど、マルクをした直後で胸に大きな絆創膏を貼ったまま幼稚園の送り迎えしていました。本当に1日も休まず毎日。
送った後の待ち時間にママ友たちとお茶したりすると、子どもの将来の話になりますよね。幼稚園児だから夢があって。その話がすごくつらかったです。「自分にはもしかしたら将来が無いかもしれない」と思ってしまって…。
岸田 ありがとうございます。
智恵さんからも「薬代ホントびっくりですね」とコメントいただいています。
秋山 ありがとうございます。本当に驚きましたし、最初は不安でいっぱいでしたね。
【治療から現在まで】
岸田 では、ここからは宣告を受けてから実際の治療、そして現在までの流れについて伺っていきたいと思います。告知を受けて、治療はすぐに始まったんですか?
秋山 そうですね。告知が6月11日で、そこから4日後の15日にはもう飲み薬が始まりました。
岸田 “投薬”と書かれていますけれど、飲むタイプのお薬なんですね。
秋山 はい。今は分子標的薬という新しい薬があって、カプセルを飲む治療なんです。人によって種類はいろいろですが、私は朝に2カプセル、夜に2カプセル。毎日、決まった時間に飲み続ける治療でした。
岸田 飲み続ける必要があるんですね。忘れたりはしなかったですか?
秋山 忘れませんでした。ただ、この薬は12時間おきに飲まなきゃいけないんですよ。さらにおなかが空っぽの状態で飲まなきゃいけなくて、食事の2時間後に薬を飲む。その後1時間はまた食べられない。つまり薬の前後3時間は食事NGだったので、これが本当に大変でした。
岸田 それは大変…。お子さんたちと夕食も一緒に食べられなかったんですね。
秋山 そうなんです。家族とは時間がずれてしまっていました。
岸田 その治療を始めて、白血球の値はすぐに下がるものなんですか?
秋山 はい、すごく下がりました。効きすぎてしまって、最初は2000台まで落ちてしまったほどで…。告知時は4万5000くらいまで上がっていたので、ジェットコースターみたいに下がりました。
岸田 逆に下がりすぎるとどうなるんですか?
秋山 感染症のリスクがすごく高くなります。そんな状態の中で、このあと予定していた海外旅行に行っちゃったんですよね。
岸田 海外!? しかも行き先がチェンマイって書いてあるけど、先生は止めなかったんですか?
秋山 「本当に行くの?」って心配されました。象に乗るとか言ってるし、薬もたくさん持たされました。
岸田 下にはもっと気になる項目が…。「美容皮膚科で黒子とシミ取り」って、これはどういう流れですか?
秋山 診断されて1週間くらいは本当に毎日泣いてたんです。でも、泣いてばかりじゃいけないと思って、「もしかしたらこの世を去るかもしれないなら、せめて綺麗にして去りたい」と思ったんです。
岸田 すごい発想の転換ですね。
秋山 当時、顔にも背中にもほくろやシミが多くてコンプレックスだったので、美容皮膚科に行って、レーザーで全部バチバチ取ってもらいました。今はもう無いんですけど、当時の私は「よし、これだけは綺麗にしておこう」と思って。
岸田 自分がもし死ぬかもしれないと考えて、「綺麗な形で終わりたい」という思いだったんですね。
秋山 そうです。最後くらいはね、と思って、美容皮膚科に行って綺麗にしてもらいました。
岸田 レーザー治療と、いま服用している薬は問題なかったんですか?
秋山 レーザーは外科的な処置なので大丈夫かなと思ったんですけど、白血病と言うと治療を断る先生も多いんですよ。怖くて。でも、私が行った先生は、病名を伝えた上でバチバチやってくれました。血液内科の先生には言わなかったですけどね。
岸田 あえて言わなかったんですね。やっぱり止められると思って?
秋山 はい。たぶん言ったら「そんなの必要ない」って言われると思ったので。ただ、私のメンタルにはすごく良かったです。女性は特に、見た目が整うと気持ちが上がるんですよね。
岸田 なるほど。そういう思いもあって黒子やシミを取ったあと、患者会にも参加し始めたんですね。これはネットで探したんですか?
秋山 そうです。当時、慢性骨髄性白血病の大きな患者会があって、ちょうど8月1日に東京で開催されていたので参加してみました。そしたら、みんな…びっくりするほど元気で。救われましたね。「こんなふうに普通に生活できるんだ」と思えて。
岸田 紫外線もダメって言われてたけど、普通にスポーツしてる方もいた、と。
秋山 そうなんですよ。私より“大先輩”の方々が大勢いて、インフルエンザワクチンのことや生活の工夫など、色々教えていただきました。
岸田 ちなみにインフルエンザのワクチンは、大丈夫なんですか?
秋山 「全然大丈夫」と言われました。普通に受けておられましたし、日焼けで真っ黒な方までいたので驚きました。
岸田 ※見ている皆さん、必ず主治医の判断を仰いでくださいね。経験談として聞いていただければと思います。
秋山 本当にそうですね。すみません。
岸田 いえ、経験談をうかがうのが『がんノート』の醍醐味なので大歓迎です。患者会で色々学んだあと、スライドを見ると「CMLの数値が上がり始める」とありますが、これは白血球ですか?
秋山 BCL-ABLという融合遺伝子の数値です。白血病特有の遺伝子で、昔は“コピー数”という数値で見ていたんですけど、そのコピー数が少しずつ上がって来てしまって。
岸田 それって良くないことですよね?
秋山 はい。薬が効いてない可能性とか、変異が出た可能性とか…。怖かったですね。
岸田 ここからどうなるのかと思ったら、次の項目が「子どもたちとお父さんと東欧旅行」。急に明るい話になってますね(笑)。
秋山 そうなんです(笑)。父もだいぶ年でしたし、「孫たちと一緒に行けるのは最後かもしれない」と思って、父と子ども3人と私、5人で東欧に行ったんです。
その頃、数値は上がり始めていたんですけど、体調としては全く問題なくて、検査で「高いね」と言われてるだけだったので、普通に旅行しました。しかも、東欧って直行便じゃないから、ドバイ経由とかでめちゃくちゃ遠回りして行ったんです。でも、それが良かったのか分からないけど…本当に楽しくて。プラハもすごく綺麗で、最高でした。
それで、日本に帰って来て検査をしたら、数値がガクッと下がってて。「あれ?免疫上がった?」みたいに勝手に思ってました。もちろん医学的には関係ないんですけど(笑)。でも、自分の中では、好きな旅行が良い方向に作用したのかなって。
岸田 楽しいことでストレス発散して、免疫が…って気持ちになりますよね。
秋山 そうなんですよね。実際、100を超えていた数値が一気に16まで下がったんです。
岸田 それって、どれくらいが普通なんですか?
秋山 本当は50を超えないようにって言われてました。当時は“コピー数”で見ていたので、50が目安。だから100を超えてたのが一気に16まで下がったのは、かなり大きかったですね。
岸田 良かったですね。そのあと、スライドに「2014年3月 T315I」とありますが…。
秋山 はい。下がったのは下がったんですけど、問題は“上がったり下がったり”を繰り返していたことなんです。安定せずに動きが変で、前の主治医の先生が気にしてくださって、遺伝子検査を外注することになりました。
結果が戻るまで2カ月かかって、12月か1月に出した血液の結果が3月に戻って来て、「やっぱり陽性だったね」と言われました。
この T315I って、いまでこそ薬がありますが、当時は日本に薬がなかったんです。だから「これが出たら移植しかない」と言われていた、本当に恐怖の変異でした。
その結果を聞いたとき、私以上に先生の表情が重かったです。「陽性だったか…」という感じで。そこから、移植ができる病院に転院したほうがいいと言われて、「兄弟はいますか?」と聞かれました。
岸田 血液なので、型が合えば兄弟から…という。
秋山 そうなんです。HLAの型が合えば姉からもらえる可能性がある。でも、姉に相談したら、検査そのものを断られてしまいました。
岸田 というのは?
秋山 もし型が合ってしまったら、提供しなきゃいけなくなる。それが怖かったみたいです。姉には姉の家庭と仕事があって、骨髄提供は体の負担も大きいですし…。その場で「検査は受けられない」と言われました。
なので、いまも姉と型が合ったかどうかは分からないままです。当時はショックでしたけど、今は笑って話せます。
岸田 家族でも事情や恐さがありますからね。
秋山 そうなんです。姉には姉の生活があるし、休職も必要ですし…。分かるんですけど、当時は衝撃でしたね。2年間、連絡取らない時期もありました。でも、今はもう仲良いですよ。
岸田 良かったです。色んな家族の形がありますからね。
秋山 そうなんです。移植となると、入院も必要ですし、提供する側も1週間は休まないといけない。その後も1カ月ぐらいは激しい運動ができないし、身体を酷使できない。だから、姉の立場でも不安は大きかったと思います。
岸田 難しいですよね。人の命がかかっているし、でも家族にも家族の生活がある。千登世さんのケースはその一つの形で、必ずしも家族全員が協力できるとは限らない。そのリアルを話していただけて、本当にありがとうございます。いろんな人生、生き方がある。
秋山 2年間ほど疎遠になってしまったんです。でも、子どもたち同士は従兄弟ですし、本当はいけないなと思ってたんですけど、どうしても当時は連絡を取れなくて…。でも、もう一つ言わせてもらうと、姉の娘、つまり私の姪が、私が白血病になってから看護師になったんです。
前は別の仕事をしていたんですけど、それを辞めて看護学校に入り直して、今は准看護師として働いています。その姪が間に入ってくれて、「2人きりの姉妹なんだから、このままじゃダメだよ」と言ってくれて。それで、姉とも仲直りできました。
岸田 そうだったんですね。患者側からすると「協力して欲しい」という気持ちが当然あるけど、家族の側にも恐怖や生活があるし…複雑です。
秋山 本当にそうなんです。兄弟って、型が合えば成功率も上がるし、心強いんです。でも、怖い気持ちも理解はできる。白血球の型は6つあって、全部一致するかどうか、姉妹でも確率的には結構シビアなんですよね。だから、本当は協力してくれたら嬉しいんだけど、それぞれの事情がある…。
岸田 見ている方で、もしご家族にそういう話が出たときは、できる範囲で協力してほしいですね。
ここで質問が来ています。「遺伝子変異の検査は自腹でしたか?」
秋山 いえ、私の場合は病院の医局が負担してくれました。たまたま先生が「とにかくやりなさい」と言ってくれて、病院側の予算で対応してくれたんだと思います。本来は自腹の方が多いと思いますね。
岸田 病院の体制やタイミングにもよりますよね。ありがとうございます。
では、「骨髄移植できる病院に転院」という次の項目に進みたいと思います。そこからどう動いていかれたのですか?
秋山 まず、セカンドオピニオン、サードオピニオンまで取りました。「どこでも好きな病院に行っていい」と言われていたので、自分でひとつずつ探しました。
血液といえば、まずここだろうという大病院に紹介状を持って行ったんです。最初は、移植じゃなくて治験という選択肢も残したかったので、治験についても聞いたんですが、その病院では治験はやっていないと言われてしまって。
そしたら先生が、「治験をやっているとしたら、○○病院かな」と教えてくれたんです。そこで急いで主治医のもとへ戻って、紹介状を2枚書いてもらって、宛名を書き換えて、その日のうちに別の病院へ持ち込んだんです。
岸田 すごいフットワークですね。
秋山 必死でした(笑)。でも結局、そちらの病院でも治験は日本では終わってしまっていて、参加できませんでした。
ただ、サードとして行ったその病院が、本当に良い病院だったんです。移植の実績もあり、医師にも恵まれました。治験の窓口の先生ではなく、「移植の名医がいるから」と院内でつないでいただいて、その先生に診てもらえることになりました。
診察室の前で「素敵な先生だな」と思って見ていたドクターが、自分の番になって扉を開けたらその先生だったんです。「あ、この先生にお願いしよう」と直感で思いましたね。
岸田 そこの病院で、いろいろ言われたんですよね? 宣告を受けたのはそのタイミングなんですよね?
秋山 宣告を受けたのは、サードオピニオンで行った病院の最初の先生でした。「移植しないと1年もたないよ」と、その先生に言われたんです。治験ももうやっていないという話で、移植チームの先生につないでいただきました。
岸田 転院先の最初の先生に、命が危ないと言われた…と。
そこから、このフリップにある「ドナー探し」や「アメリカの治験へ動く」という流れになっていくわけですね。
秋山 そうなんです。T315Iの変異が出たことをブログに書いたら、色んな方が連絡をくれて。飲み会まで設定してくれる患者さんもいて。本当に温かいつながりがあったんです。
その中で、「T315Iでもアメリカの治験を受けている日本人女性がいるよ」という情報をいただいて。調べたら本当に見つかったんです。その方に、がんのイベントで実際にお会いして、話を聞いて、「私もアメリカへ行って治験に参加したい」と思うようになりました。
正直、移植は怖かったんです。どんなに実績のある病院でも五分五分と言われていたので、可能なら移植を避けたい気持ちが強かったですね。
岸田 それで動き出して…アメリカの病院に連絡を?
秋山 はい。ただ、私、英語ができなくて(笑)。
いきなり海外の病院とやり取りするのは難しかったので、日本とアメリカをつないでいる企業の方に相談して、コンタクトを取ってもらいました。
滞在型の治験と、薬をもらいに行くだけで済む通い型の治験があるということで、費用の見積もりも教えていただいて。
岸田 費用はどれくらいなんですか?
秋山 滞在型なら300万円くらい。ただ、それにプラスして滞在費がかかります。
岸田 おお……。
通い型だともう少し安くなる?
秋山 通い型なら、治験薬は無料なので、渡航費だけですね。
でも当時は、下の子がまだ小学校2年生。一緒にアメリカに連れて行く可能性もありました。上の子は日本で家にお願いして、父が一緒に行ってくれる話にもなっていて。
もし滞在型になってしまったら…その覚悟までは決めていました。
岸田 その裏にあるのが、この後の「遺伝子変異が見つからない」という話ですよね?
秋山 はい。
岸田 これは、再検査したら見つからなかったということですか?
秋山 転院先の病院で、改めて詳しく検査をしたんです。何度も。
でも、T315Iの変異がどうしても検出されなかった。
「そんなはずはない」となって、前の病院の検体(血液)を取り寄せて調べてもらったら、そちらではやっぱり陽性。
でも、新しい病院で採った血液では見つからない。
岸田 前の病院では出るのに?新しい病院では出ない?
秋山 そうなんです。
おかしいなと思って、私は行動力だけはあるので(笑)、CML研究で有名な九州の大学の先生にもメールで相談したんです。会ったこともないのに。
そしたらその先生が、「血液を送れば調べますよ」と言ってくださって、主治医経由で血液を送りました。そちらでも「見つからない」。
結果、
前の病院の検体 → 陽性
転院先の病院での検査 → 陰性
という、よく分からない状態になってしまって。
岸田 なるほど、それで移植の話がいったん保留になったわけですね。
秋山 そうなんです。見つからなければ、移植を急ぐ必要もない。
というわけで、ずっと保留になりました。
岸田 ありがとうございます。
その後、千登世さんは患者会にも参加して、活動を始めていきますが…ここで、副作用の話が出てくるんですよね?
秋山 はい。副作用が出たのが、その後のタイミングです。
T315Iが見つかる前、数値が上がり始めて薬を増量していたんですけど、それが身体に強かったみたいで。
半年ぐらいで薬には慣れたんですが、コレステロールが上がってきたり、食事に気をつけても全然下がらなくて、下げる薬も飲んでいたんですけど、それでも改善しなかった。
ある時、勉強会に参加した際に、他院では同じ薬を飲んでいる患者さんが「頸動脈エコーを受けている」と知ったんです。
でも私は一度もやったことがなかったので、主治医にお願いしてやってもらったら…
岸田 詰まってた…?
秋山 はい。部分的に66%も詰まっていました。
でも血液の病気って、痛みが無いんですよ。何も感じない。
自分では全く気づきませんでした。
岸田 本当に命にかかわるレベルですね。
秋山 そうなんです。白血病の治療より、そちらのほうが先に危なかったかもしれなくて。
岸田 やばいですよね。あと44パーセントしか通ってないってことですもんね。
秋山 その日の夜から断薬っていうか、ストップですね、薬。CMLの薬はストップ。
岸田 12時間ごとに飲んでたやつってことですね?
秋山 そうなんです。まだ手元にいっぱいあったの残ってたんですけど、お薬は。だけどその日の夜から飲むのはなくなりました。中止。仕方ない断薬っていうのか。ただ、ただ、私は白血病の細胞が未検出にはなってなかったので、まだ体にあるのも分かってたしT315Iも出てたし。凄い決断だったと思います、その時の主治医も。その時の主治医って、今の主治医なんですけど。
岸田 まだあるのに、それ、断薬しないといけないっていうところで。怖いですよね。
秋山 落ち着いてはいたんですけどね、数値的にはね。だけど、未検出にはなってないし、T315I出てるし。でも、止めないと。頸動脈詰まっちゃったほうが命が危ないので。
岸田 今、もう断薬してる?
秋山 断薬してます。断薬して6年目です。2017年の8月から断薬なので。
岸田 今は2カ月に1回病院に行って、白血球が暴走ないかどうかを?
秋山 白血球。そうですね。最近、白血球はあんまり見てなくて、実は。
岸田 そうなん?
秋山 白血球見てなくって、遺伝子変異検査を毎回やってるので、その遺伝子検査の数値で白血病細胞がどのくらい、今、パーセンテージで出てくるんですよね、検査のあれが変わって。白血病細胞何パーセントとかって出て来て0.00幾つとかって出てくるんですけど、それを見ている感じです。
岸田 ありがとうございます。そして、次のフリップでは、お仕事にも復帰されていくといったところで。これに関してはまたあのお仕事のところを大きなところでちょっとお伺いしたいなということも思いますし、今、無治療で経過観察して、さっきの遺伝子変異をずっと見ているのが今されているっていうことですよね。ありがとうございます。
岸田 そんな中、色々、当時のお写真もいただいておりますので、ちょっとお写真見てみたいと思います。まず、闘病前のお写真がこちらになります。これは?
秋山 これは明治神宮に行った、診断の3日後に明治神宮に行って。この時に明治神宮の神様にお願いしました。でも本当に精いっぱいの笑顔してるんですよね、写真残さなきゃとか思って・・・。
岸田 そうですよね。娘さんが何かふてくされてる感じっぽいですけど、お母さん、満面の笑み、頑張ってますもんね。
秋山 そうですね。満面の笑顔を頑張ってして、写真に残して、子どもたちに記憶に残るようにしようかなとかって思ってたんで。この日、凄い暑かったですよ、炎天下で。6月なんですけど。
岸田 「紫外線浴びたらあかん」って言われてるのに浴びてるからね。
秋山 そうなんです。長袖着てますよね、黒で。
岸田 確かに。次は闘病中の写真なんですけど。トラ?

秋山 これ、左になるのかな。トラ触ってるやつはチェンマイに行った時の。
岸田 さっきのね。
秋山 これ、診断されて2カ月後ですね。白血球が低い頃ですね。
岸田 お薬いっぱい渡されて行ったってやつですね?
秋山 そうなんです。当時から予定してたんで。白血病になるとは診断されると思ってなかった時から予定してた旅行なので、チェンマイに行ってきたんですけど。
秋山 その当時の前の主治医は、心配して、白血球下がってるけど、行き場所がチェンマイってことで心配して。本当に、コレラに効くような強いおなかの薬とかも持たせてくれて。
秋山 この時、でも、海外行くのにその私の飲んでた薬っていうのは海外時間でも日本と同じ12時間おきに飲まなきゃいけなかったので、時計は取りあえず一つは日本時間にして持って行った感じです。夜中でも何でも時差があっても。
秋山 タイはそんなに無いから良いんですけど、その後、右にある隣の写真は、これは東欧に行った時ですね。これは子どもたちと父と5人で行ったんですけど、東欧だと時差があるから薬飲むのが難しいんですよ。食事の時間とかも難しくって。でも、日本時間を忘れないように日本時間に合わせた時計を持って必ず行って、それで合わせて飲むみたいな感じでやってました。
岸田 そういうことで治療をしながらも、飲むお薬の時間調整っていうか・・・。
秋山 飲む時間は守って、取り敢えず、丸5年と2カ月飲んだんですけど、時間は守り、忘れず飲んでました。
岸田 ありがとうございます。本当、ここから色々細かいことをまた聞いていきたいと思います。その前に色々コメントいただいております。読んでいきたいと思います。
岸田 マルクは『マルクは、マンガ好きの医者にジョジョの吸血鬼ディオにズキューンと血を吸われる感じ、といったら伝わりました』って、『ジョジョの奇妙な冒険』好きには伝わる話ですね。あと、田中さんから、『美容皮膚科の話は初めて聞いたかも。しかし、ウケる~(失礼)』っていう。吉本和弥さんが、『後ろの絵が気に成ります(*^^*)描かれたんですか』? その絵は何ですか。
秋山 これは何でしょうね。
岸田 よく分かってないみたいな感じです。先に行きます。Jitsuharaさんから、『姉妹関係、複雑ですね。。』だったりとか、『骨髄移植、身内だから、即、受けるというわけでは無いですからね。』とか。青木さんも、『私も姉妹がいますが、躊躇すると思います、今は乳がんになったので、骨髄が、役に立てるか心配 心情的には、検査は受けます』って言ったところだったりとか、『秋山さんの行動力が、めっちゃ、半端ないですね!』っていうコメントもいっぱいいただいております。
秋山 すみません、マルクのことで付け加えて良いですか。
岸田 どうぞ。
秋山 今はマルクって、腰からやることが多いんですけど、昔の先生っていうのはもうずっと胸でやってたんで。私の最初の主治医も凄い年配な方なんで、胸でやってたんです。胸のこの骨髄のあるところの後ろって大きな血管があるので。そこに刺さっちゃうと命取りなんで、今の若い先生とか慣れてない先生とかは腰からやるみたいなんですけど、こう胸からやって。先生が教えてくれたんですよ。
秋山 マルク何回かやってるので、その時に教えてくれたのが、まず、プツって刺して皮下脂肪を通る。で、またプツって刺して。プツって2回いうんですよ。そうすると、手を離しても直立するんですよ、その器具が。そうすると骨髄に刺さってるっていう証拠なんだとかって教えてくれて、先生、手放して見せてくれるんですよ。ほらねみたいな感じで。それがとても恐怖。今だから笑えるけど。
岸田 怖いですよ、手放されたら。いや、持っといてって思いますし。
秋山 でも、ちゃんと立ってるんですよね、器具が。直立してるんですよ。そうすると骨髄にちゃんと刺さってるらしくって。この話をして良いですかね、すいません。
岸田 いや、分からない人に分かるトーク。ありがとうございます。
秋山 先生が色々教えてくださいました。
岸田 ラーラバさんも、『中1の我が子が、学校健診で指摘され専門病院でCMLと診断されした。現在、タシグナ服用で落ち着いていますが、肝機能が少し高く少ししんどそうです。経過は肝機能メインですが、コレステロールとかも注意する必要もありそうですね』ってコメントいただいておりますけど、どうでしょう?
秋山 私の経験からなんですけど、私も同じ薬だったので。循環器系は気をつけたほうが良いかなってか、念入りに検査したほうがいいかなって思います。コレステロール高くなるの薬のせいっていうのもあるのかなって思っているので、そこは注意深くぜひ見てください。あと、頸動脈エコーは忘れずにやってください。ぜひ、年に1回ぐらいは頸動脈エコーやってください。
岸田 何か言われたら、秋山千登世さんが言ってたっていうか、CMLのラスボスが言ってたっていうと・・・。
秋山 是非やってください。
岸田 ラスボスか分からへんけど。ということで、今から、各項目、これがちょっと30分で、たんたんたんと聞いていきたいと思いますので、是非よろしくお願い致します。
【家族(パートナーと子)】
岸田 まず、千登世さんのご家族のこと、パートナーとお子さんのことについてお伺いしていきたいと思います。まず、旦那さんとは、がんになったこととかどう伝えましたか。
秋山 メールで、なったんだということを連絡したんですけど、診断されたばっかりの時に。でも、特になんだってわけではなく。お友達に医師になった人がいるので、そういう人たちに聞いてたりはしてたみたいなんですけど、そんな感じですかね。
岸田 そっか、旦那さん。直接、何か関わるっていうよりも。旦那さんも怖かったのかな、何かね。
秋山 男の人っていうのは割とメンタルが強くない部分があるので、奥さんが白血病っていうのを受け入れるの、大変だったんじゃないかなと思います。
岸田 因みにお子さんにはどう伝えたんですか。
秋山 子どもには診断された日に、家に帰って、病気になったんだっていう話をしたんです。当時、誕生日だったんで、子どもが私に誕生日プレゼント、幼稚園で作ったっていうのをくれて渡してくれたんだけど、本当に、目を見てありがとうっていうことが出来なかったっていうのをお話ししたくて。上の子はちょうど小学校5年生だったんですけど、学校で何か白血病の女の子の本を読んだらしくって。
秋山 病気になったんだっていう話をしたら、開口一番に、「白血病?」って言われました。図星だったんですけど。でも、その時にもまだ白血病とは言えなくて。何か名前のインパクトがあり過ぎて言えなかったんです。
岸田 最終的にはどんなタイミングで、ちゃんと?
秋山 それからですね、移植の話が出る頃には言いました。移植の話が出て移植になったら。2年後ぐらいですかね。移植になったら、本当に家にいないわけじゃないですか。どのぐらい入院するか。長くて1年ぐらい入院するかもしれないんで、白血病になったって話もしながら、あとは、「自分のことは自分で出来るようにしてね」みたいなこと言いました。
岸田 お子さんたちもしっかり認識してっていうことですよね?
秋山 認識してます。ただ、こんなに元気にしてるので、見た目。一緒に住んでて。これが本当に具合悪くて寝込んでるようだったら、なかなか言えなかったかもしれないです、病名まで。
【家族(親・姉妹)】
岸田 因みに、ご家族の中でもご両親だったりとかお姉さんだったりとかには、さっき「電話で言った」って言ってましたっけ?
秋山 電話で言いました。
岸田 電話で言って。親や姉妹については、こちらに関しては、サポートとかそういったところに関してはどうでしたか?
秋山 本当に、両親からは「1日でも長く生きなさい」と言われました。子どもたちのために。
岸田 お父さんは、海外旅行にも付いて来てくださったりとかね。
秋山 そうですね、海外に。「もしアメリカに治験に行くことになったら付いてく」って言ってくれてたんで。あと、治療費高いじゃないですか。アメリカに行って治験とか。それも「気にしないで良い」みたいなこと言ってくれました。
岸田 あっ、さすが。
秋山 娘の命が大事なんでしょうね。
岸田 命はもちろんね。そういったこともあったりだとか。お姉さんの話は今はもう関係、すこぶる良好でということでね。
秋山 すこぶる。そうですね、仲良くしてます。
【仕事】
岸田 当時は色々あったけれどもっていったところはさっきコメントいただいたかなって思います。その後、お仕事のことについて。さっき、社会復帰のところはさらっとちょっとお話あったんですけれども。当時、お仕事はどういうお仕事をされてたんですか。
秋山 病気になる前はOLをやってたんですけど、子育てがあったんで辞めて。その後は子育てに専念してて。本当に2017年ぐらいですか、病気になって良くなった頃ですね。
秋山 その頃、始めたのが、友達に声を掛けてもらって、不動産関係のお仕事、「事務やらないか」みたいなことを言われて、全く不動産業界分かんなかったんですけど、ちょっとだけやらせてもらったんです。週に2日とかそのぐらいから始めて。あと、「イベントの司会とかをやらない?」って言われてやったりもしてました、たまに。それが社会復帰。
岸田 そういう友達の紹介のいろんな・・・。
秋山 それが最初かなって感じですね。
岸田 本格的に社会復帰出来たのはどれぐらいかかったんですか。
秋山 社会復帰したのは、子どもの育つタイミングでやってたので、そうですね、2021年の春から。
岸田 めっちゃ最近に。去年。
秋山 最近ですよ、本格的に始めて。社会保険も自分で持ちたくて。社会保険を。で、自分の社会保険に入ろうと思って入ったのがこの春からですね・・・。
岸田 今の仕事はどんなお仕事されてるんですか。
秋山 今、ホテルで働いてます。ホテルでチェックイン業務を主にやってます。
岸田 チェックイン行ったら受け付けしてくれる人ですね。
秋山 はい。
岸田 体力、大変じゃないですか。
秋山 そうなんですよ、入った頃は、それ始めたのが2021年の春からなんですけど、入った時は全然コロナもあったんで稼働率少なくてそんなでも無かったんですけど、今は凄い忙しいです。今はもうめちゃくちゃ皆さん旅行されて動き回って。観光業は凄いと思います。今は凄い忙しいです。
岸田 ありがとうございます。治療当時は、お仕事は辞められてるというか。治療終わってから友達の紹介でちょっとずつ始めていく。
秋山 そうですね、始めて。
岸田 今は復活してるってことですよね。そっか、今、断薬もしてるしね?
秋山 そうなんです。今、断薬もしてるしっていうのもありますし、自分で社会保険に入りたかったなっていうのもあって。
岸田 病院行く時は、その会社っていうか、上司とかに言って病院に行く感じ?
秋山 それが、週に20時間働けば、今って、社会保険に入れるんですよね。なので本当にアルバイトなんですけど、週に20時間で良いので。
岸田 それ以外・・・。
秋山 はい、全然大丈夫っていうか。
岸田 20時間。5日働くとしたら、4時間かける5日で20時間だから。
秋山 そうですね。
【お金・保険】
岸田 ありがとうございます。その後、ちょっと、お金、保険のことといったところであるんですけども。さっき、お金、海外行くなら300万とかあったりとか、あとは高額医療費制度使えなかったら1回に何か70~80万でしたっけ? 何かあったというふうなところあって。結局、お金って、最終的にどれぐらいかかったんですか、全体に。
秋山 治療にですか。かなりかかります。その時によって薬の量とか薬の種類によって違うと思うんですけど、一番高かった時で、会計の時に、レセプトってんですか、もらうじゃないですか。
秋山 それに書いてある金額が、診察代と薬代とを含めて177万とかなんですよ。掛ける、点数で書いてあるんですけど、計算すると177万で。掛ける3割負担じゃないですか、日本。それでも五十何万ですよね、1回の支払いで、3カ月に1度。
秋山 診察は2カ月に1回とか1カ月に1回とかだったんですけど、診察代とは別に。診察代だけだったら1万。遺伝子検査、私、してるんで、毎回、今は、薬なくて遺伝子検査するだけで1万5000円~1万6000円ぐらいかな。なんですけど、それに薬代が加わると、177万の3割負担で50何万だけど、限度額認定証を出すので、そこまでは払ってないんですけど。
秋山 ただ、最初、これ、うちは、病気になった時に国民健康保険だったんですよ。国民健康保険って家族合算なんですよ。うち、多いんです、人数が。給料もらってる人が多いので、義理の両親ももらってるし、主人、私と、義理の弟とかもいるので。みんなもらってるの世帯合算なので、一番上のランクになっちゃうんですよ。
秋山 そうすると今ですら25万とかですかね。だけど、当時はランクの一番上限でも15万だったんですよ。払うたびに毎回15万。限度額認定証使っても15万。
岸田 世帯合算か。
秋山 世帯合算だとそうなの。国民健康保険の方、多分、色々苦労あると思うんですけど、世帯合算なんですよ。だから、世帯の全部の収入に対しての限度額、認定証のランクが決まるので。だから3回目までは、15、15、15って払って、次の時に9万幾らか、8万幾らか下がったみたいな感じ。
岸田 それがずっと続いてるの、今も?
秋山 今は、薬飲んでないから。
岸田 今は薬飲んでないから。断薬するまではそれが続いてたっていうことですよね?
秋山 続いてて。義理の父とかが途中で他界とかしてるので、そうするとまた収入がかなり下がるというか、全員の世帯がみたいな。そうするとランクも下がるみたいな感じなんですけど。ただ、今は薬飲んでないのでないですけど、今、なんで、自分の社会保険持ちたくて週に20時間は働いて社会保険持ってるんですけど、そうすると会社の保険になるじゃないですか。社会保険になるとまた別だから、私だけの収入で出てくるので。
秋山 もし、今、病気になって、また再燃して投薬になったとしても、今は凄い少ないと思います。あと、会社の付加給付っていうのがあれば更に安くなるんですよ。覚えといてください。
岸田 会社の・・・。
岸田 くれるってやつですね。
秋山 そうです。社会保険でもそうなんです。付加給付のある所は。
岸田 因みに民間の保険は入ってなかったん?
秋山 民間入ってました。本当に手厚く無いやつに入ってて。入院保険。その前に入ってた、ちゃんとした、OL時代に入ってたやつは死亡保険がっつりみたいな、入院保険もちゃんと全部付いてるみたいなのは解約してたんです。まさか病気になるとは思わなくて解約して、もっと安いやつに入ってたんです。それに入ってて。入院とかは出るかもしれなかったんですけど、入院もしてないので出ないですね。がん保険は入ってないし。
岸田 だから、少ないやつに入ってたから、ほぼ出なかったみたいな感じなのか。
秋山 出なかった。入院もしてないので入院費用も出てないし。なんですが、途中で、断薬して2年目ぐらいで新しく入り直したんです、保険に。掛け直したんです。それが出来たんですよ。
岸田 それはやっぱ、今後のことを考えて?
秋山 そうですね。今後ずっと入れるような。それで、今、ちょうど治療もしてないしっていうことで入り直して。そしたら入れる保険があって、探していただいたら。だから、医療費は凄い手厚いかな。
岸田 今ね?
秋山 今、医療費手厚いです。死亡保険は入れないけど。
【辛い・克服】
岸田 ありがとうございます。そしてその後、つらい克服といったところで、秋山さんが、いや、これ大変やったなって時にどう克服したかっていうことを。これ大変やったなって時期、いつですか。
秋山 最初、告知された時が一番つらかったです。子どもたち小さかったし。さっき話したように、他のママたちとの付き合いもあるじゃないですか。学校行く機会も凄く多かったし。なんで、そういう時に、何か、お会いするのもつらかったなっていう時もありました。
岸田 けど、そんな中、役員とかもやってたんでしょ?
秋山 役員やってましたねえ。3人子どもいると、役員は必ず回ってくるというか、やらなければならない状況になってしまって、それで役員やったんですけど。役員の中でも、その学年の役員のトップっていうの決めなきゃいけなくて。どなたもやりたくなくて。どうですかみたいな感じになるんですよ。その時に、「私、1年もたないかもしれないですけど良いですか」っていうお話したら、「良いですよ」って言うので、じゃあやりますってことになってやったんですけど。
秋山 でも、まさか、私白血病だとみんな思ってなかったので、1年の任期が終わった時に、「実は、私、白血病だったんです」みたいに話したんですね。それも笑い話として今だから言える。
岸田 千登世さんが「1年もたないかもしれないです」っていうのは、みんなからしたら、今、クレームがあったりだとか大変だったりはするから1年もたへんのかな?ていう認識でいたけど、終わる時に、白血病やから1年もたへんかもしれへんって言った。
秋山 そう。もたないかもしれませんみたいなね。けど、良いですよって言うから。なんで、最後に、こんなに元気に見えるので、何て言うんでしょうね、最後の最後に「白血病です」って言った時の皆さんのリアクションを見るのが楽しくて、最近は。
岸田 みんな、びっくりしてたでしょ、本当?
秋山 びっくりよりも、心配してたと思います。
岸田 だから、その宣告された時のつらさっていうのは、持ち前の明るさで乗り切るの? どうするの?
秋山 宣告された時のつらさは美容皮膚科ですかね。
岸田 美容皮膚科でね。
秋山 1週間は泣いてたんですけど、美容皮膚科に行って。これじゃいけないなと思って。
岸田 見た目から変えていく、ケアしていく。
秋山 そうですね。で、免疫上げて。前向きな気持ちになりました。あと、子どもたちが本当に明るくしてくれてたんですよ。全然普通に接してくれてたんで食卓も全然暗くならなかったし、それも良かったかもしれない。
【後遺症】
岸田 家族の協力もあったってことですね。そして、後遺症のことといったところで、次、後遺症。この後遺症は、千登世さん、今、何か患っているもの。狭窄もあったといったところはあるかもしれないですけど、首の静脈の。後遺症、どうでしょう? 今、何かあるものってありますか。
秋山 そうですね、特に後遺症っていうのは。あります。
岸田 今、無さそうな雰囲気あったのに。
秋山 髪の毛が薄くなる、細くなる。もっと、凄い剛毛で多かったんですよね。あと、まつげばっちりだったんですけど、そういうのが薄くなりますね。分子標的薬飲んでから本当に。体毛、産毛っていうんですか、体中の。無くなるんですよ。髪の毛も細くなりみたいな。白髪になる人もいるみたいですけど、私の場合は白髪は出ないんですけど、細くなりますね。細くなって薄くなったっていうか。薬やめた途端に2週間ぐらいでちょっと腕に産毛が生えて来たりとか。産毛の観察して喜んでました。生えて来たみたいな。そういうのはありましたね。
【反省・失敗】
岸田 分子標的薬の影響でということですね。そして千登世さんの、次、反省や失敗、あの時こうしておけば良かったなっていったこと、強いて言うと何かありますでしょうか。
秋山 例えば何だろう?
岸田 千登世さんのあの時というの。無ければ無いでも全然良いですよ。
秋山 そうですね、反省や失敗、特に無いかも。
岸田 特に無い? さすが。あの時早めに病院に行っておけばとかっていうのは特に大丈夫っていうことですね?
秋山 そういうのはありますね。
岸田 検診を受けることだったりとか、色々されていたから、そういったところは大丈夫ですか。
秋山 そうですね。でも、検診は早めに受けたほうがというか、定期的には受けたほうが良いと思います。本当に病気知らずで病院知らずだったので、病院って行ったことなかったので、まさか自分がみたいなところがあったので。健康診断はちゃんと毎月受けてたほうが良いと思います。毎月なんてすいません、毎年受けた方が良いと思います。
岸田 あと、医療情報のところがね。周り、あまり知らない人たちが多いから、そういったところもしっかり見つけておくことが大事っていうことも。
秋山 そうですね、医療情報ね。怪しい情報には引っかからないように気をつけてください。それは言っておきます。
岸田 千登世さんはそういうのに引っかからなかった?
秋山 引っかかりはしないんですけど、何か、プロバイオティクスとか良いのかなと思ったりとか、気休めとして高濃度ビタミンC点滴やってた時期もあったんですよ。これ、美容のためもあるけど、がん治療にも良いのかなみたいな。月に1回やってた時もあって、実は。美容には良いんですよねって言われてますよね、どうですかね。
岸田 分かんないよ。
秋山 本当に気休めっていうことで、主治医にも「気休めです」とかって言いながら、実はちょっと期待してみたりとか。高濃度ビタミンC点滴やってた時もありました。
岸田 実際どうでした?
秋山 実際、それががんに効いたという感じではないんですけど。気休めですね、本当に。やってるっていう気休め。
岸田 おまじない程度っていう感じですね。
秋山 おまじない程度かな。お肌ちょっとプルプルして来たかなみたいな。ちょっとハリ、ツヤ出たかなみたいな。何となく思ってるだけで実際はどうでしょうね。
岸田 これね、本当、悪徳のクリニックとかになってくると、これががんに効くからやるっていうなね。何か言ったりとかしますよね。
秋山 そうですね。高いのは手出さないほうが良いですよね。私がやってたのも全然高くないので。
岸田 数千円レベル?
秋山 もうちょっと。
岸田 もうちょっと高い?
秋山 一般的には安いかなみたいな。
【医療者へ】
岸田 なので、皆さんも。千登世さんの場合は美容目的といったところもあるかもしれないですけども、本当にがんの治療目的とかといったところでだまされないように、皆さん、してもらえたらなとは思っております。そしてそんな中で、次、『医療者の方へ』といったところで、医療者にこういったこと伝えたいな、もしくは感謝している、もしくは要望したいといったことはありますでしょうか。
秋山 医療者へ、要望のことなんですけども、時計ばっかり見てる先生に出会ったことがあって。診察室に入ると、質問したいんだけど質問すると、「ああ、それは」、何か持ち時間があるらしくて、「何分なんだよね」みたいなのを言われて、時計ばっかり見てる先生とかはちょっと止めて欲しいなって思ったりもします。
岸田 だよね、それはね。ずっとね、サッカーのレフェリーみたいな感じでこうやって見ていらっしゃる方、いらっしゃいますもんね。
秋山 患者思いの先生は、それこそ、私、お会いしたこともないのに、メールして。血液検査してくださった先生もいたりですとか、本当に患者思いの先生もいらっしゃいます。その反面、そうじゃない先生もいるのかなって聞いたりもしますので。
【Cancer Gift】
岸田 ありがとうございます。その次、『Cancer Gift』といったところで、得たもの、得たこと、本当にいろんな。失ったものも沢山あると思いますけど、敢えて、得たもの、得たことって言うと何がありますでしょうか。
秋山 得たものは仲間たちでしょうか。白血病になって、ブログとかFacebook始めて、凄く、同じ病気の人と繋がることが出来たっていうのもあって、T315Iが出た時も凄い励ましてもらったのは、同じ病気の患者さんたち。
秋山 情報をくれたり、自分の主治医に聞いてこんなこと言ってたって言ってくれる方もいたりとかな感じで、本当に周りの患者さんたちに励まして、同じ病気の同病の方に励ましていただいたので。本当に、そういう仲間が出来たということですね。日本全国に同じ病気の繋がりが出来たというのは凄く良かったなと思っています。
【夢】
岸田 ありがとうございます。千登世さんの今後の夢といったところで、今後、どうされていくのかといったところで、千登世さん、今後、どのように考えてますでしょうか?
秋山 英会話を上達することと。昨日、シンガポールで。
岸田 昨日、シンガポールから帰って来たところなんですもんね?
秋山 そうなんです。シンガポールで、オーストラリアの希少がんの患者団体のワークショップに参加して来たんですけど、英語が出来るとコミュニケーション取れるんですけど、そこのところが今一つなので、もっと英語会話を上達させて、日本だけじゃなくて世界中の患者さんとか、いろんな団体がどんなことをやっているのかなっていうのを知ったりですとか、日本のことを伝えたりとか出来たら良いなと思っています。
秋山 あとは、今やっている会を。本当にボランティアで手伝ってもらうのが申し訳ないので、手伝ってくれたらペイ出来るような感じで何か企業化。ちょっとビジネスライクな感じで出来たら良いなと、そう持っていけたらなと思っています。
【ペイシェントジャーニー】
岸田 凄いですね。本当、行動力半端無いなということは本当に思うんですけれども。海外の所、そういうふうな所で英会話もしていくというところもあるかと思います。ありがとうございます。千登世さんのさまざまな話を聞いてきましたけれども、千登世さんの『ペイシェントジャーニー』といった形で少し振り返っていきたいなということを思っております。こちらご覧ください。
岸田 『秋山千登世さんのペイシェントジャーニー』といったところで、まずこちらです。レーザーポインターで。末っ子の幼稚園の入園式があってから区民検診で、さっきの、血液の値を指摘されていた。その後、診療所の所でがんの告知をされていって。因みに赤色がポジティブ、青色がネガティブで、白色はどちらでもないような事象になります。
岸田 で、がん告知を受けていって。それで先ほどのご両親だったりお姉さんに電話で報告していく。その後、遠足の写真もいただきましたけれども、遠足を行って。その後、高額な薬代にちょっと驚愕していくというようなところだったり、今後の、なっていく。
岸田 そして薬物療法。分子標的薬を12時間ごとに飲んでいく必要があるよということでここから治療が開始されていきますが、美容皮膚科でちょっとテンションを上げていって、患者会の参加だったりだとか。そういった中でCMLの数値が上昇していきます。
岸田 そしてその中で、東欧の旅行だったりとかしていくと、数値が正常になっていくってことなんですけど。数値が上昇していった時も結構ポジティブな感じになっているんですけど、千登世さん、これ、どういうことですか。
秋山 表面に出ているものとか体調悪いとか全く無かったので、大丈夫だろうという気持ちがあったんですよね、どこかに。
岸田 大丈夫だろうっていう自分の思っていたところ。
秋山 あまり、深刻に考えてなかったっていうのがあると思います。旅行も控えてたし。
岸田 それはね。そこから遺伝子変異が見つかって転院を決断していって、セカンドオピニオン、サードオピニオンしていく。そんな中でサードオピニオン先の病院で余命宣告を受けていくといったところがあって、その時は一番下がっているのかな。
岸田 そこから、ドナーを探しに行ったりだとか、アメリカの治験を探したりだとか、そういったことをしていった中で、遺伝子変異のところの値がちょっと出なくなったというところで、移植は保留になっていきます。
岸田 そしてその後、患者会活動、色々精を出していった中での頸動脈狭窄で断薬をしなければいけないという形になっていった中でのお友達の紹介からの社会復帰をしていって経過観察中といった形ですけれども。千登世さん、この中で大丈夫ですか。間違った?
秋山 あるとしたら、ドナー探しっていうところなんですけど、私は、姉に断られて、長女が検査に来てくれたんですよ。ちょうど中1になったところで長女が検査に来てくれてHLAの型を調べたんですけど、子どもは半々なんですよ、親から。だから半分しか合わなかったんでドナーの対象にはならず、臍帯血移植の準備に入ったんです。
秋山 ドナー見つけるまでに時間かかるので。ノーマルだったんで、私の型が。「だからいるよ」とは言われたんですけど、時間がかかるので、臍帯血のほうが直ぐに冷凍してあるものを使えるので。「急激に悪くなるかもしれない」って言われてたんで、臍帯血移植の準備をしてました。

岸田 ありがとうございます。コメントもいただいております。藤田さんから。『絶賛、濃厚接触者になり、ワンオペ家事中で今から聴いてます!あきやまさんだ!おかえりなさい!』っていうことだったりとかね。田中さんも、『どんな話も笑顔で話せる秋山さんって、すごい。でも、当時は大変だったんだろうな~』っていったところで。当時、大変ですよね?
秋山 そうですね、大変だと思います。当時を思い出せば涙が出てきます、今でも。
岸田 当時、本当に、育児もしながら大変だったと思うんですけど、美容皮膚科以外で自分のテンション上げることってどうしてたんですか?
秋山 患者さんと話したりとか。会って話すの、元気もらえましたね。今じゃなかなか会えないんですけど。そういうのとか、あとは、私、大好きなのが、温泉とカラオケとロングドライブ。自分で運転するので、そういうのをやって。運転しながら大声で歌ったりとか。そんな感じでテンション上げてました。
岸田 吉本さんから、『岸田さんを圧倒する、秋山さんのトーク楽しかったです。』っていうような。
秋山 すみません、なんか。いっぱいしゃべり過ぎました。
岸田 いくらでもしゃべってください。本当にあっという間の90分でございますけれども、ここから、ちょっと、時間の。告知も含めていろいろさせていただければということを思っております。まず、こちら、協賛の企業さんも紹介していきたいと思います。生きるを作るAflac様、グローバル企業のIBM様、I-TONGUE様にご支援いただいております。どうもありがとうございます。
岸田 また、見てくださっている皆さまたちも、本当に、色々見てくださることだったり、チャンネル登録してくださること、ご支援くださること、ありがとうございます。
岸田 その中で次回の。来年になるんですけれども、『がんノートorigin』は、卵巣がん経験の相馬さんに来ていただきたいということを思っております。相馬さんの卵巣がん経験を伺って、当時、まだ学生といったところもありますので、ちょっとそういったところのお話を色々聞いていきたいなということを思っております。
岸田 そして、次、ちょっと皆さんへのお願いにもなるんですけれども、『ゲストへのメッセージ入力のお願い』。番組終了後、動画の概要欄またはチャット欄のところにURLが出ます。そのURLクリックしていただくとコメントを入れれる部分になります。
岸田 そのコメントに、ぜひ、今日の千登世さんへのメッセージみたいなものを入れていただくと、終わってから、千登世さんにお渡ししたいなと思いますので、一両日中に是非よろしくお願いしたいと思っております。
【今、闘病中のあなたへ】
岸田 その中で、最後の最後、『今、闘病中のあなたへ』。ちょうど、今日、宣告されましたよっていう方だったりだとか、中1のお子さまが診断されて闘病されているっていう方々も見てくださっていますので、その皆さんへ向けてのメッセージ、千登世さん、こちらになります。
秋山 『免活!』ですね。妊活とか婚活とか就活とか、活の付く言葉っていっぱいあると思うんですけど、免活っていうのは免疫を活性化させようっていう。それで、楽しいことを考えて前向きに過ごして。科学的とか医学的とかでは無いんですけれど、自分で出来る治療だと思ってるんです。
秋山 免疫を上げて元気に過ごして、白血病という病気をやっつけてしまおうという意味で、免活という言葉を今日は上げさせていただきます。皆さんに贈らせていただきます。すいません。私も免活頑張っています、未だに。
岸田 笑顔が素敵な千登世さんですけれども、自分のテンションを上げるようなこととかも取り組まれていたりだとか。決して科学的とかいうわけでは無いんですけれども、同じ時間を過ごすんであれば、ちょっとでもポジティブにも過ごしていただきたいなといったこともあるのかなと思っております。ありがとうございます。千登世さん、あっという間の90分でしたね。
秋山 そうですね、すいません、なかなかこのエプロンが見せられなくて。クリスマスのサンタさんの。
岸田 見る機会、全く。今の闘病の中で全然出て来なかったですけどね。
秋山 皆さん、素敵なクリスマスを過ごされてください。
岸田 素敵なクリスマスを過ごされてください。といった中で、今日の『がんノートorigin』、終了していきたいと思っております。『免活がんばります!』というコメントもいただいております。
秋山 ありがとうございます。私も頑張ります。
岸田 では、皆さん、またお会いしましょう。それでは皆さん、バイバイ。
秋山 ありがとうございます。
※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
*がん経験談動画、及び音声データなどの無断転用、無断使用、商用利用をお断りしております。研究やその他でご利用になりたい場合は、お問い合わせまでご連絡をお願い致します。