目次
- 【オープニング】テキスト / 動画
- 【ゲスト紹介】テキスト / 動画
- 【ペイシェントジャーニー】テキスト / 動画
- 【大変だったこと→乗り越えた方法】テキスト / 動画
- 【メッセージ】テキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:岸
【オープニング】
岸田 それでは、がんノートminiを始めていきたいと思います。本日のゲストは、岸春希(きし・はるき)君です。よろしくお願いします。
岸 よろしくお願いします。

岸田 ありがとうございます。春希君は現在、高校生なんですよね。
岸 はい。
岸田 昨年がんを経験され、治療は今年まで続いていたという春希君です。
岸田 改めてになりますが、本日のゲストは岸春希君です。東京ご出身で、現在も東京都内で高校生活を送っているとのこと。高校1年生ですよね?
岸 そうですね。16歳です。
岸田 16歳で高校1年生。そして趣味はゲームとのことですが、どんなゲームをされるんですか?
岸 パソコンゲームなんですけれども、FPSという一人称視点のゲームをよくやっています。
岸田 一人称視点で、銃を撃ったりするタイプのゲームですね。
岸 はい、そうです。
岸田 ありがとうございます。そして、春希君のがんの種類はユーイング肉腫。ユーイング肉腫には通常ステージ分類がないと言われていますが、春希君の場合は肺への転移があったんですよね。
岸 そうですね。
岸田 そして、告知を受けたのが15歳。現在16歳で、手術・放射線治療・薬物療法を経て、今に至っているという状況です。
【ペイシェントジャーニー】
岸田 では早速ですが、春希君のペイシェントジャーニーについてお話を伺っていきたいと思います。吹き出しの色などはこのような形式になっていますので、併せてご覧いただければと思います。
こちらが春希君のペイシェントジャーニーになります。ご覧のとおり、全体的にはポジティブな要素も多い印象ですが、途中で気持ちが大きく落ち込んでいる時期が2回ほどありますよね。そのあたりも含め、順にお話を伺えればと思います。まず最初は、中学生の頃、つまり14歳・中学2年生から中学3年生に上がった頃でしょうか。
岸 そうですね。中学3年に上がったくらいの時期です。
岸田 その頃から、左足に突然力が入らなくなるという出来事があったんですよね。いきなり力が入らなかったのですか?
岸 はい。中学2年生の期末テストが終わったあと、友達と「カラオケに行こう」という話になって行ったんです。その帰り道に突然、足ががくっとなって、「あれ? 力入らないな」と違和感を覚えました。一緒に行った友達がいるんですけど、今でもその友達は“カラオケに行ったせいでがんになった”と思っているみたいで……。嫌な思い出がよみがえるからと、あまり一緒に行ってくれなくなってしまって、それはちょっと寂しいですね(笑)。
岸田 突然力が入らなくなって、そこから痛みが強くなり、病院へ行くことになったんですね。
岸 はい。ただ、力が入らなくなるとか痛みが出るといっても、常に痛むわけではなく、1日に何回かの間隔で襲ってくる感じでした。ずっと痛いわけではないけれど、痛みが出ると歩けないくらいの強さだったので、「これはまずいのでは」と思い、病院へ行きました。
岸田 このあたり、春希君のペイシェントジャーニーでは赤色=ポジティブに分類されていますが、当時はそんなに前向きだったのですか?
岸 そうですね。足が痛くなる程度で、まさか“がん”なんて想像すらしていなかったですし、「成長痛かな。身長伸びてるしラッキーだな」くらいの感覚でいたので、不安は1ミリもなかったです。
岸田 なるほど。そういう意味でポジティブだったわけですね。そこから落ち込んでいるのは、“がん専門病院へ行った”というタイミングです。さすがに、がん専門病院へ行くとなると少し不安になるのでは?
岸 実は、がん専門病院へ紹介される前に、別の病院で「もし重い病気だったら、あなたは聞きたいですか?」と急に聞かれたんです。ドラマみたいなことを言われて、「本当にこんなこと言われるんだ…」と驚きました。でも、当時15歳で、がんの深刻さ自体がよく分かっていなかったので、言われても実はあまりピンと来なくて…。そこまで深刻に受け止めてはいませんでした。
岸田 なるほど。ただ、その後がん専門病院へ行き、生検(バイオプシー)を受けることになったんですよね。
岸 はい。ユーイング肉腫の疑いがあるということで、確定診断のために生検を受けました。
岸田 “がん専門病院”と聞くと、もっと不安が強まりそうな気もしますが、そうでもなかったのですか?
岸 そうなんです。そもそも“がん”が何なのか、イメージすらよく分かっていなかったので…。それよりも、「病院に行くと学校を休めて祝日が増えたみたいでちょっと嬉しい」くらいのノリで考えてました。
岸田 すごいね(笑)。だいぶ前向きなテンションですね。
岸 そうですね。
岸田 生検のあと、小児科のある別の病院へ移ることになったのはどういう理由だったのでしょう?
岸 元々のがん専門病院には小児科がなかったんです。一方、もう一つ紹介された病院は薬物療法が得意で小児科もあるということで、「そちらのほうが治療が進めやすい」ということで転院しました。
岸田 なるほど。がん専門病院では小児科がなかったんですね。薬物療法を行うという話が出たということは、このタイミングで正式に“がんの告知”を受けたのですか?
岸 はい、生検のあとに「がんです」と告知されました。ただ、そのときは全身麻酔を使った大きな検査をしたので、「これで治ったんだろう」と勝手に思っていたんですよ。だから、「あれ、治ってないの?」と。転院したときも、「治療が続くとしても1カ月くらいかな」と軽く捉えていて、深刻さは感じていませんでした。
岸田 なるほど。生検で大がかりなことをしたから、もう治療は終わりだと思ったんですね。ただ、このタイミングで“ユーイング肉腫です”と言われて、どんなお気持ちでしたか?
岸 がんになったと言われても、そのつらさも分からなければ、これから何が行われるのかも分からなかったので、「長期休暇をもらった」みたいな感覚でいました。入院中は勉強以外の好きなことをして過ごそう、くらいの気持ちでしたね。
岸田 達観してるなあ(笑)。ただ、その後、気持ちがぐっと落ち込んでいます。薬物療法(VDC療法・IE療法)を始めた頃ですね。この小児科のある病院で化学療法を行っていくわけですが、やはりつらかったのですか?
岸 はい。治療が始まる前日までは能天気でいたのですが、薬が始まって体調が急に悪くなった瞬間、「これはやばいやつだ」と感じて、ようやく事の重大さが分かりました。
岸田 そうだったんですね。
岸 しかも、「この治療を計14回行う」と前もって言われていたので、「14回もあるのか、乗り越えられるのか…」と不安が一気に出て、気持ちが大きく落ち込んだ時期でした。
岸田 14回ということは、治療期間としてはどれくらいあったのですか?
岸 1週間ほど間隔を空けながら行ったので、5月から翌年1月まで。だいたい1年の7〜8割は治療が続くという感覚でした。
岸田 なるほど。薬物療法はその後、退院までずっと続いていくわけですね。
岸 はい。1週間おきに継続していく形でした。
岸田 つらい薬物療法が続く中でも、少しだけ気持ちが上向くタイミングがあったそうですね。それは“手術前”と書かれていますが、手術前に気分が上がるというのはどういう理由だったのでしょうか。
岸 そうですね。手術と化学療法は同時には行われないので、手術前にいったん、手術を担当する病院──最初のがん専門病院に戻ったんです。その際、「化学療法はしばらく1カ月ほどお休みになる」と言われて、つらかった治療から解放される喜びのほうが大きくて。手術の大変さをまだ知らなかったので、恐れるポイントが分からず、とにかく“化学療法が終わった”という実感にテンションが上がっていました。
岸田 なるほど。治療の中断による安心感で気分が上がっていたわけですね。その後に手術がありますが、手術前もポジティブな気持ちになっているように見えます。これは、がんが取れるという期待からでしょうか?
岸 がんが取り切れるというよりも、手術内容の説明で「左側の骨盤を半分ほど切除する」と聞いていたんです。その結果、障害が残ると言われていて、「そうなると社会が自分に優しくしてくれるのではないか」とか、「少し融通の利く人生になるんじゃないかな」と思っていた部分もありました。日常生活には戻れますよと言われていたので、“ラッキーかもしれない”くらいの感覚でした。大掛かりな手術を受けるという“オンリーワン感”にも、正直ワクワクしていました。
岸田 大きな手術を経験すること自体が、これまでの人生ではなかなかないですからね。少し興奮していた部分もあったわけですね。実際の手術はどうでしたか? 手術時間は10時間ほどと聞きましたが、大変でしたか?
岸 10時間くらいかかったようですが、全身麻酔で寝ていたので、手術中の記憶はほとんどありません。
岸田 そうだったんですね。ところが、その後、気持ちがまた大きく落ち込むタイミングがあります。“手術後の痛み”ですね。術後はかなり痛みがありましたか?
岸 術後1〜2日くらいはずっと痛かったのですが、その間の記憶はあまりなく、どれほどつらかったかも覚えていないほどです。3〜4日たつと意識がはっきりしてきて、日常の痛みは薄れてきたのですが、毎日1回、着替えと体拭きの時間があって、そのとき背中も拭かないといけないので体を起こす必要があり、その瞬間に強烈な痛みが走っていました。あれは本当につらかったです。
岸 ただ、痛みが出るタイミングが決まっている分、「この時間だけ頑張れば後は遊べる」と思いながら過ごしていたので、覚悟を持って臨むことはできました。
岸田 痛い部分は左足だったので、手術も左側の骨盤付近をかなり大きく切除したんですよね。具体的にはどの部分を手術したのですか?
岸 左側の骨盤です。骨盤とその周囲の筋肉など、広範囲をまるごと取りました。
岸田 なるほど。その痛みが術後に響いていたのですね。
岸 はい。少しの振動でも響くくらいで、着替えや体拭きは覚悟できますが、特にくしゃみが一番怖かったです。くしゃみは出るまで3秒くらいしかないので、「この後絶対痛いのが来る」と分かっているのに準備する時間が少なくて……。くしゃみだけは本当に勘弁してほしかったですね。
岸田 分かります。くしゃみは身体に負担がかかりますもんね。
岸 はい、本当に。
岸田 その後、再び化学療法の病院に戻ってから“神経まひ”と書かれていますが、これはどんな状態だったのでしょうか?
岸 骨盤を取ったので、自分では左足を動かせなくなりました。そうすると重力に負けて同じ部分がベッドに当たり続けるので、その圧迫で神経まひを起こしてしまいまして……。手術の痛みは動いたときだけだったんですが、神経痛は1日中続くので、そちらのほうがつらかったですね。加えて、手術の痛みも残っていたので、あの時期が一番しんどかったです。
岸田 神経痛というのは、どんな痛みだったのですか?
岸 正座を長時間したときの“足のしびれ”ありますよね。あれの最上級みたいな痛みがずっと続く感じでした。
岸田 あれの最上級はつらい……。それは確かに気持ちも落ち込みますよね。
岸 はい。本当にしんどかったです。
岸田 そこから、再び気持ちが上向くタイミングもあったようですね。“仲のいい看護師さんができる”というポイントがありますが、その看護師さんに助けられたということでしょうか。
岸 ちょうどその時期、別の病院から研修で来ていた看護師さんが担当についてくださったんです。研修なので見学のような立場で、病室にいる時間も長くて、自然と話す機会も増えました。生活の大半を共にしていたので、必然的に仲良くなり、つらいことも楽しいことも共有できる存在になりました。おかげで精神的にとても落ち着いたと思います。
岸田 研修で来ていた看護師さんと仲良くなって、いろいろ話すことで気持ちが安定していったわけですね。
岸 はい。気持ちに余裕が生まれたことで、かなり救われた部分は大きかったです。
岸田 そしてその後、“歩けるように”とありますが、歩けるようになるまでのリハビリは大変でしたか?
岸 実際に歩けるようになったのは、手術してから2週間くらい経った頃でした。ただ、その後すぐに神経痛が始まってしまい、その間はずっとベッドの上で生活していました。でも、その頃には先ほど話した看護師さんのおかげで精神状態が安定していて、精神面って本当に大事なんですよね。
結局、治療内容が変わるわけではないので、心の状態が体調に大きく影響するんです。精神が落ち着いたことで、やる気も出てきて、そのタイミングで歩けるようになった、という感覚です。
岸田 なるほど。
岸 歩けるようになったときも、「立つ練習をたくさんした」というわけではなくて、看護師さんと話していたら急に“今なら歩ける気がする”という感覚が湧いてきて、「ちょっと試してみます」と言って立ち上がり、そのまま歩行器を使って歩けたんです。
岸 本当に、何の前触れもなく突然“歩ける気”が生まれて、それを信じてやってみたら歩けたという感じで……。“精神状態ってこんなに大事なんだ”と強く実感しました。
岸田 すごいですね。精神の力って本当に大きいんですね。そこから歩けるようになって、神経痛も徐々に良くなっていったんですか?
岸 はい。神経痛の原因は、左足を動かせずにずっと同じ面がベッドに当たっていたことでした。でも、立ったり歩いたりできるようになると、体の圧がかかる部分が変わるので、その時間が増えてきて、徐々に良くなっていきました。
岸田 なるほど。
岸 神経痛がひどかったときは、痛み止めとして“準麻薬”と呼ばれる薬を使っていました。麻薬に近い効果があって、打つと痛みが引いて気分が良くなるんです。その“気持ちよさ”で、ついハマってしまうんですよね。
岸田 ハマる、というのは?
岸 何度も使いたくなってしまうんです。でも「自分だけは大丈夫」と思っている人ほど依存している、という情報を事前に聞いていたので、「これは自分もハマってるかもしれない」という自覚はありました。でも薬の効果が強くて、“いや、自分はハマってない、大丈夫だ”という気持ちが勝ってしまう瞬間もあって……。
そんなときに救ってくれたのが、Nintendo Switchの『どうぶつの森』でした。同じ時期に買って、思った以上にやり込み要素があるゲームで……気付けば1日12時間くらいやってました(笑)。すると、薬を欲する感覚が完全になくなって、“脳のリソースの全部が『どうぶつの森』”みたいな状態になり、自然と薬を使わなくても平気になったんです。
岸田 病院で管理されている薬とはいえ、自分で“もっと使いたい”と思ってしまうことがあるわけですね。
岸 そうですね。
岸田 でも、その状況を『どうぶつの森』が救ってくれた、と。
岸 本当にそうです。『どうぶつの森』がなかったら今どうなっていたんだろうと、思うくらいです。
岸田 『どうぶつの森』、偉大ですね(笑)。そして、その後に放射線治療が始まっていくわけですね。
ユーイング肉腫が肺に転移していましたが、肺に転移したものには手術はあまり行われないということで、放射線を当てて消していくという治療方針になったわけですね。
岸田 この放射線治療は、どれくらいの期間行ったんですか?
岸 放射線治療は5日間ほどでした。1日30分ほど放射線を浴びるだけなので、つらさや気持ち悪さはなく、精神的にも特に変化はありませんでした。
ただ、その5日間が、ちょうど化学療法と重なってしまって……。化学療法で強い吐き気があるときに、病棟から放射線治療の場所まで移動しなければならなくて、それが本当につらかったです。「これ同時にやるんだ…」という、ちょっとした苦行でしたね。
岸田 化学療法のつらさと重なってしまうと、本来はそこまで負担のない放射線治療も大変になるよね。
岸 そうなんですよ。つらい治療と並行すると、普段はつらくないことも、つらく感じてしまうというか。
岸田 そんな状況でも、このあと気持ちが上向くタイミングがあります。「治療の終わりが見えてくる」というポイントですね。終わりが見えてきたんでしょうか。
岸 はい。残り3回、2回と治療が減っていくにつれて、「あ、退院が近いんだな」という実感が湧いてきました。そうすると、“退院したら何がしたいかな”と考えるようになって、未来のことを想像するのが楽しくなってきて、気持ちもだいぶ前向きになりました。
岸田 そして無事に退院へ。退院したときは、気持ちとしては晴れやかだったんじゃないですか?
岸 そうですね。ずっと病院生活だったので、制限が多かった世界からようやく解放された感じでした。
岸田 本当に“やっと外に出られた”という感覚だったんですね。ところが、このあと少し気持ちが下がるタイミングがあったようです。「不便さを感じる」というところですが、これはどういうことですか?
岸 2022年の3月頃から、少しずつ学校に行き始めたんです。でも外の生活に出たとき、いろいろな不便さを痛感しました。
岸田 例えばどんな不便さ?
岸 車いすで外を移動すると、信号のところにある車道と歩道を区切る段差すら、自力では上れないんです。ほんの数センチでも、すごく大きな壁になってしまって……。そういう細かい不便さが一気に押し寄せてきて、“外の世界ってこんなに生きづらいんだ”と感じてしまいました。
岸田 なるほど。当時、春希君は車いすで生活していたんですよね?
岸 はい。その頃はまだ車いすでした。今はリハビリが進んで、主に杖を2本使って歩けるようになったんですが、当時はずっと車いすだったので、大変でしたね。
岸田 そうか……。そんな状況の中で、今は生活に慣れてきているんでしょうか。
岸 結局、慣れますね。できないことは、どうあがいてもできないので、「もうどうしようもないや」と割り切るしかなくて……。そうしていくうちに、だんだん環境に適応できるようになってきましたね、最近は。
岸田 なるほどね。さすがです。
岸 自分が“できないこと”についての知識も増えてきて、「これはできないから、こうやって工夫しよう」という考え方ができるようになりました。
岸田 それは本当に素晴らしいことですね。頭が柔らかいというか、状況に合わせて臨機応変に対応できているんだなと感じます。ありがとうございます。
そんな中で、春希君が「大変だったこと・困ったことをどう乗り越えたか」というテーマで、いくつかお話をまとめてもらっています。
【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 では、こちらです。どん。“大変だったこと・困ったこと”。
まず一つ目は「病院側とのコミュニケーション」。これを看護師さんと仲良くなることで乗り越えた、とあります。この点について、少し詳しく教えていただけますか?
岸 はい。“大変だったこと・困ったこと”として、まず挙げたのが病院側とのコミュニケーションです。病院側と患者側では、やはり考え方が全然違うんですよね。病院側はあくまで治療を最優先にしていて、「治療を確実に進めること」に重きを置いています。
岸 一方で患者側には、治療と同時に“生活”があるわけです。治療のために、なぜここまでしなければいけないのかと思うこともたくさんあって……。でも、それは病院側からすると“確実に治療を進めるためには必要なこと”。その認識の違いが大きかったんです。
岸田 分かります。病院側には治療計画をスケジュールどおりに進める使命がありますし、患者側には患者側の生活があって、“指示どおりに動く”ことがすごく負担になることもありますよね。
岸 はい、そうなんです。
岸田 では、そのコミュニケーションの難しさを“看護師さんと仲良くなることで乗り越えた”というのは、研修で来ていた看護師さんと仲良くなったことがきっかけだったんですか?
岸 そうですね。その研修の看護師さんと仲良くなり始めてから、ほかの病院の看護師さんとも自然と仲良くなっていきました。
岸田 その研修の看護師さんが間に入ってくれたり、サポートしてくれたりしたということでしょうか。
岸 はい。話していく中で、「これは不便だよね」とか「ここはこうしてほしい」という話ができるようになって、看護師さんたちもできる範囲でいろいろ配慮してくれました。仲良くなって話しておいたほうが、やっぱり何かと助かるなと感じましたね。
岸田 医療者とのコミュニケーションって、本当に大切ですよね。どれだけ密にやり取りできるかで、治療の受けやすさも大きく変わってきます。
岸 そうですね。
【メッセージ】

岸田 ありがとうございます。では続いて、春希君から、いま闘病されている方や、ご家族・ご友人など、さまざまな立場の方が見てくださっていると思いますので、メッセージをいただいています。春希君、お願いいたします。
岸 まず、治療をしている本人の方に向けてですが、「我慢せず、家族や友人を頼る」ということが本当に大切だと思っています。治療の時期というのは、人生を全部通しても一番大変な時期と言ってもいいほどで、明日のことを考えるだけで精一杯、という状況だと思います。
そんなときに、あれこれ遠慮したり、「迷惑をかけちゃいけない」と自分で制限してしまうのは、正直やめたほうがいいです。治療は本当に大変で、事の重大さが想像以上に大きいので、精神状態が何より大切です。なるべく楽に、楽しく過ごせた方が、体調にも絶対に良い影響があります。なので、我慢は絶対にしないほうがいいと思います。
そして「家族や友人を頼る」ということについてですが、最後まで自分のことを心配してくれるのは、医師や看護師ではなく、家族や友人なんですよね。もちろん医師・看護師の方々は全力でサポートしてくれますが、同時に多くの患者さんを抱えています。でも、家族や友人は、ずっと自分のことを考えてくれていて、心配してくれています。
だから、つらいことがあったら遠慮せず相談したほうがいいです。「迷惑になるかな」と思う気持ちも分かりますが、その“迷惑かもしれない”という気持ちより、治療そのものの方が何倍も大変なはずです。話すことで救われることも必ずあるので、ぜひ頼ってほしいと思います。
そして、退院した後についてですが、「なるべく楽して生きる」。これは本当に徹底したほうがいいと思います。もし退院後の自分が楽しく生きられていないと気付いたら、過去の自分が「じゃあなんで、あんなに大変な治療を乗り越えたんだろう」と感じてしまうはずなんです。
過去の自分が治療を頑張れたのは、「退院したら楽しい生活が待っている」と信じていたからこそなんですよね。だからこそ、退院後の自分が“楽しく生きられているか”が、とても重要になると思います。
もちろん、治療が終わったからといって生活が元通りになるわけではなく、普通の人より大変なことはたくさんあります。でも、そこで周りを頼ることで、生活が楽になったり、いろいろ融通が利くようにもなります。
なので、自分一人で抱え込まず、周りの人に助けてもらうこと。そして「これはやらなくていいや」という取捨選択も含めて、とにかく“楽しく生きる”ことを大切にしてほしいと思います。
岸田 ありがとうございます。本当に、周りを頼ること、そして我慢しないことの大切さを、すごく丁寧に伝えてくれました。春希君、いま高校1年生ですよね。
岸 はい、そうです。
岸田 この年齢でここまでのことに気付けているというのは、本当にすごいことだと思います。将来どんな大人になるんだろうと、僕はとても楽しみにしています。今回、がんを経験した自分の話が誰かの役に立てばということで出演してくれて、本当にありがとうございました。
ご覧いただいている皆さんも、ぜひ春希君の経験を参考にしていただければ嬉しく思います。それでは、がんノートmini、これにて終了したいと思います。春希君、今日は本当にありがとう。
岸 ありがとうございました。
※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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