目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:大橋

【オープニングトーク】

岸田 それでは、がんノートmini、スタートしていきたいと思います。きょうのゲストは、大橋洋平先生になります。今日はよろしくお願いします。

大橋 お願いします。

岸田 大橋洋平先生は、緩和ケア医で、本当にその道のトップでもあるんですけれども、今回はがんノートのゲストということで、よろしくお願いいたします。

大橋 お願いいたします。

【ゲスト紹介】

岸田 ありがとうございます。大橋先生の自己紹介も含めて、させていただきたいと思います。大橋洋平先生、三重県のご出身で、今も三重にいらっしゃいますと。

岸田 お仕事が緩和ケア医ということですね。緩和ケア医の先生をされています。趣味が『うま』ってあるんですけど、先生、馬ってどういうことですか。

大橋 これ、もうこの私の風貌を見ていただいたら、もう多くの方は、上品で高尚な雰囲気あるから、乗馬って思われるでしょうけども、いや、私は乗るほうではなくて、買う。それも馬主ではありません。馬券を買うほうでございます。

岸田 馬券を買って、国に納税するほうですよね。

大橋 もうだいぶJRA、それからお国に、結果的にですよ、最初からこれは寄付目的じゃないから駄目なんだけど、寄付してまいりました。寄付して何十年。

岸田 ありがとうございます。国民のために寄付を。それで、がんの種類はGISTというもので。先生、GISTって簡単に言うと、どんなものですかね。

大橋 これは、聞き慣れない方ももしかしたらいらっしゃるかもしれないんですけど。悪性腫瘍は悪性腫瘍ですね。これは英語の頭文字を取って、GIST、ジストっていうんですけど。

大橋 いわゆる日本語訳で言うと、消化管間質腫瘍という、悪性腫瘍の一つです。まあ、10万人に1人、2人という頻度といわれているので、割とまれな部類にはあるんですけど。通常、がん、治療も抗がん剤を使うもんですから、がんの中の一つという形でいわれています。

岸田 ありがとうございます。そのステージがⅣ、ハイリスクということの肝転移といったところで。先生、これステージⅣということで、いわゆる末期になるのでしょうか。

大橋 これもよくいわれることなんだけど。ステージⅠが一番軽くてというか、Ⅳが重いと。そうすると、ステージⅣイコール末期、終末期っていうふうに捉えられがちで。実際、もちろんそういう方も中にはいらっしゃるんですね。

大橋 どういうことかというと、肝臓の転移も、私の場合にははっきりしているのは、幸いにも1カ所。でも疑わしいのはゼロではないので、もしかしたら2個以上、複数個あるかもしれないんだけど、画像上、言われてるのは、今もそうだけど、1カ所なんですね。

大橋 そうすると、何でもそうだけど、転移って幾つも転移してくるよりは、やはり数が少ないほうが程度は、いいわけじゃないんだけど、多いよりはまだいいということで。どうしても、終末期、末期の方になると、やはりもう2個、3個、それ以上と。

大橋 ただし、繰り返しますけども、ステージといわゆる末期とは、イコールではなくて、末期の定義も難しいとは思います。要は、もうそれこそ余命幾ばくもないかもしれない、場合によってはもうどうでしょう、1カ月とか、半月、1週間ってところだと、もう末期になるのかもしれません。

大橋 でも、ステージっていうのは、あくまでも病気の進み具合ということですので。私の場合は、幸い今のところは、いや、分からないですよ。こんなこと言ってて、1カ月先のことは分からないですけど。

岸田 いえいえ。

大橋 自分の中では、まだありがたいことに動けてるし、きょうもこうやって話もできてるので、末期ではないと思っています。

岸田 いえ、末期ではない。そのステージⅣイコール末期と思われる方も多くいらっしゃるので、その説明をしていただきました。ありがとうございます。

大橋 とんでもないです。

岸田 告知年齢は54歳で、今の年齢は56歳ということで、2年前にもう告知を受けて、今、化学療法だったり、手術をされているということになるかと思います。

【 ペイシェントジャーニー】

岸田 では、早速なんですけども、大橋先生、きょうは大橋さんということで、お呼びしますけども、大橋さんのペイシェントジャーニーを振り返ってきたいなと思います。こちらになります、どん。

岸田 結構、紆余曲折で、前半戦は結構、マイナスなことも多いような形になりますけども、ざっと振り返っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

岸田 まず大橋さんは、緩和ケア医として勤務をされていたということですよね。緩和ケア医として勤務をされていて、そのときは良かったというか、良かったけれども、下がっていくことになります。『少量の「そば」で・・・』。これどういうことですか、少量のそばでというのは。

大橋 私の場合、GIST、腫瘍は胃にできてたんですね。結果的には胃から大量の出血。それも血を吐くのではなくてお尻から出る下血で分かりました。

大橋 それはもう忘れもしない、2年前のある月曜の早朝、多分、3時か、4時か、2時か、そのあたりだったと思うんですね。その前日の晩にそばを食べたっていうこと。そんなそばの1杯なんて、もうどうでしょう。そんな10分、5分、もう2、3分で食べれてたと思うんです。ちょっと大げさやな。

岸田 ちょっと大げさ。

大橋 だいぶ大げさ、すいません。前日の晩は、家で夕食を取りまして。嫁さん、いつものように、そば、持ってきてくれて、食べれなかったんですよ。もうその食欲も、今にして思えばあまりなかったんでしょうけど、それ以上に、もう一口入れたら、おなか、胃ですよね、すぐ張ってきたんです。

大橋 というか、実際には、もう振り返ると、恐らくそのときに出血があったと思うんです。胃っていわゆる風船みたいに膨らむわけですから、幾らでも。

大橋 そうすると、かなり膨らんでたところ、いっぱいいっぱい、もう液体もたまってるんだけど、そこにそばに入ってきて、もう入らないっていう状況だったんじゃないかなっていうことで、少しの、少量のそばで、もう満腹になりました。あり得ない。

岸田 あり得ない量で満腹になったと。

大橋 前日の晩です。

岸田 その何の前日かというと、下血。こっから下血していくということで。下血って先生、下血ってあれですよね、お下から血が出ることで合ってますでしょうか。

大橋 おうてます。そのお下で、消化管なので、いわゆるお尻、肛門から出血。ただし、どうかな、赤い血が出るのも下血だし、私のように胃から出ると、その間、通ってくる中で、黒っぽく色が変化するんですね。なので、黒い便、よく黒色便とか、タール便、タールっていうのに例えて、タール便って言葉があるんです。そういった黒い便が大量に出た下血でした。

岸田 黒い便が大量に出たということですね。そのとき、すぐ分かりました? おかしいなっていうのは。

大橋 もうね、岸田さん鋭いところ突くな。それね、すぐ分からんだんですよ。正直。医者だったというか、医者なのにと。どういうことかと言いますと、繰り返します。3時頃だったと思うんですけど、トイレに。

大橋 要はおなか張ってきて、急に便意を催して行ったんですね。で、トイレ、駆け込む、本当、電気、つけるかつけんかの状態、つけたんですけども、行って、シャーッと出たわけですよ、お尻から。

大橋 だから、感覚的には、大量の下痢なんですね、感覚的には。で、うわ、いっぱい出たなっていうことで、ちょこっと治まりましてね。洋式トイレとは言っても、水流すときにふっと便器を見たら、黒かったんです。黒いんですよ。

岸田 あらま。黒い。

大橋 えーって思うだろうとなりますよね。でも、まあ、動転してたんだと思うんですけど、そのときは、正直あまり思わなくて。そこで、そば、食べましたよね、前日。あまり食べてないんですよ。あんまり食べれてなくて。

大橋 でもいわゆるそば、特にいわゆるざるそば系だったので、のりに、かけてるでしょ、のり少々。あれ、きょうののり、のりで黒なってるのかなとか。

大橋 いやいや、のりでは、ここはちょこっと冷静で。のりで黒ならんやろと。でも、イカスミパスタも食べてないよ。いや、あれ、そばやったなとか。間もなくトイレから部屋に戻りまして。で、いやって考える間があるかないかで、2回目の波がやってきたんです。第2波でございます。

岸田 第2波。

大橋 第2波のほうが大きいですよね。今もそうだし。

岸田 コロナにくっついてきましたね。

大橋 すみません。これは、同じぐらいか、もしかしてそれ以上、出たと思うんですね。さすがにそのときは、医者っていうほどでもないんだけど、冷静になって、ああもうこれは出血したなと。

大橋 それも、黒いから、ここは医者の端くれである以上、お尻に近い所だとやっぱり赤い出血になるんですね、下血。でも、黒いから、だいぶ下から言うたら上のほうで。食道とかから、もう出血したら、やはり血吐くほうが多いんですよ、吐血のほうが。

大橋 なので、胃の辺り、出血。出血だとよく胃潰瘍っていうのでも出血することはあり得るんですね。だけど、通常潰瘍っていう病気は、少し壁が掘れてくる。よく口の中に口内炎できると、白く、ちょこっと穴っぽくなって、痛いですよね。

岸田 痛い。

大橋 あれと一緒で、痛いこと多いんですよ、胃潰瘍。全然、私、痛みなかったので、いや、これはもう間違いなく胃の腫瘍、悪性。やはり胃の悪性腫瘍と言えば、もう代表的なものは胃がんですから。もう100パーセント胃がんだろう、胃がんだなということで、その時点で私は腹をくくりました。

岸田 うわ。

大橋 2回目の下血のとき。

岸田 すごい。2回目の下血で、黒い、大量、そして痛くないみたいな、で胃がんだみたいな。

大橋 そうですよ、医者ですからね、私。昭和63年卒業の、平成、当時30年に発病したので、30年間、医者してきたんですよ。それはもう違うはずですよ。でも誤診でしたよね。がんじゃない。

岸田 どういうこと。それ、あれですか、ここから分かっていくんですかね。ちょっとじゃあ、次の。そこから誤診ということはどういうことやろ。下血して、ちょっと上がっていくんですよね。それはなぜかというと、ちょっと待って。入院していく。入院したんですね、もうそのまますぐ。

大橋 その日、3時、2回目も4時頃。これ2回目の下血のときは、少し止まったんですよ、下血は。で、もうただならのことは腹をくくったわけですよ、出血してるから。

大橋 入院すると、やっぱり患者ですから安心しました、私は。もうこれで、とにかく任せて、信頼して、同じ病院、勤めてた病院でもあるので、もう任せようと。丸投げとかいう意味じゃなくて、信頼して任せようということで、安心して、ちょこっと上向いたこのピンク色、赤色ですね。

岸田 ありがとうございます。その後、下がっていきます。何かというと、がん10cmということで。え、さっきがんじゃないっておっしゃってました。あれ、どういうことですか。

大橋 えって思われたことあるかもしれませんが、これもちょこっと説明させてください。よく、胃がんっていうのは、これ、いわゆる組織分類といいますか、医学上の分類で、がん細胞があるんですよ。それが胃がんですよね。

大橋 でもがん以外にも悪性腫瘍っていうのはいくらでもありまして。そのうちの一つが、消化管間質腫瘍のGISTということだったので。まず、私、先ほどの誤診っていうのは、いわゆる胃がんではなくて、胃GISTだったんですね。

大橋 このGISTっていうのが、私の頭の中にはなかったんです。頻度が少ないっていうことは免罪符でしょうけど。何せ、もともと内科医だったんですけど、発病当時はもう緩和ケアで、どうかな、もう15年ぐらいやってきてたので。

大橋 これ、言っちゃ駄目なんでしょうけど、詳しいがんの種類がどうこうっていうよりも、やはり悪性腫瘍の患者さんの、どちらかと言うと、終末の方を見るというか、に関わるところでずっとやってきてたもんですから。

大橋 やはり胃の悪性腫瘍だったら、がんが多いし、そうだろうな。でも実際には、GISTという別の悪性腫瘍で。さらに、通常、がんって、小さいサイズで見つかるほうがいいですよね。やはり早期というか、早い。それが10センチの腫瘍だったということで、へこみましたね。

岸田 10センチの腫瘍。10センチって、なかなか、お目に掛からない感じですか。

大橋 いや、これも、もちろん病気っていつできたっていうのは振り返っても難しい部分があります。

大橋 ですから、例えば私、もし健康診断的、あるいは人間ドックのようなものを受けてたら、この出血ではなくて、例えば10センチでもなく、場合によっては5センチとか。実際、GISTは健康診断、健診で。健康診断、おかしいな、健診とかドックで見つかること多いんですよ。

岸田 へー、そうなんですね。

大橋 症状がやはり、大きくなると私のように出血が現れてくるんだけど。それまでは、もう私も全然なかったですから、自覚症状が。

大橋 そうすると、人間ドックやいわゆる健診なんかで、何か、最終確定診断までは無理でも、胃の辺りに何か腫瘍があるぞ、ということで見つかる方のほうが多いんです、現実には。そうすると、10センチということは、もう何とかの不養生じゃないけど、健診、きちんと検査を受けてたの?と責められましたね。

岸田 治療の診断の結果、ハイリスクだったということで。そして、標準治療、分子標的薬のグリベッグをやっていった、ということですよね。

岸田 そしてその中で、停滞期が入っていくと思うんですけれども。この中では、食欲不振、白血球の低下、そして消化液の逆流というものがありましたと。これらは結構、副作用として出てきたということですよね、先生。

大橋 このグリベッグという、GISTの抗がん剤治療といいますか、治療薬に使う薬は、他の疾患、悪性の病気にも使うので、もしかしたらグリベッグを飲んでおられる方いらっしゃるかもしれません。比較的、抗がん剤の中では副作用、ゼロじゃないですよ、もちろん。ゼロじゃないんだけど、比較的少ないといわれている薬でもあるんですね。

大橋 だから私、治療が始まるときに、これもどこの病院も、そういうこと今、多いと思うんです。薬剤師が説明してくれたときに、知ってる薬剤師ですね、同じ病院だから。

大橋「先生、これ、グリベッグは、比較的、副作用が少ないからいけますよ、大丈夫ですよ」って励まされて、あ、そうか、思って始めたんですが。私には、きつかったという。副作用、出ましたね。もちろん胃がないということも関係していると思います。

大橋 食欲は出にくいとか、出ない。吐き気もする。もちろん白血球も下がりやすくて、通常の標準の治療の方法の、どうでしょう、3分の1というか、きちんとやっぱりできないと。

大橋 その中で、これは胃がないことが大きいと思うんですね。胃の入り口に腫瘍10センチができていたから、胃がほぼ全摘と、食道と胃の間の、キュッと閉まる所も、もう取ってもらっているので。下からの液、胃液というよりも消化液が上がりやすい状態なんですね、普段からでも。それも結構、私はそれにも苦しめられましたね。

岸田 ありがとうございます。そんな副作用と闘いながらも、そしてちょっと上がっていきます。それは何かというと、食べなくても生きていける。なんか極論。

大橋 これだけ見たらおかしい。食べるなら生きられんやろって。

岸田 ちょっとおかしくなったのかなっていう。

大橋 当たり前ですよね。もちろんそうなんですよ。食べなくてもっていうのは、全く食べなくて生きられると、私も思ってないんです。これも、ある意味というか、患者が、こういうふうに実感してるっていうことをお示しできたらうれしいんですね。

大橋 どういうことかと言いますと、確かに食べられなかったんです、以前のように。

大橋 もう本当に、これちょっと言ったような気がするんですけど、きょうも。とにかく人よりも多く、速く食べるのがプチ自慢の私だったんですよ。体重は100キロ優に超えてる。まあ、40キロは減りましたからね。

岸田 100キロ超え。

大橋 173センチで、100引く40やったら、大体標準値ですね、いわゆる。でもそうじゃない。私は、前の体形、気に入ってたから、ダイエットなんかしたことないですよ、もう。見栄えは悪かったでしょうけどね、いろんなところが出て、ズボンも(####@00:19:45)。自分は、ここ、大事です。

大橋 患者とか、人が、自分が気に入ってるというか、思ってるときは、これちょこっと緩和ケア目線で話をさせてもらうと。患者の自主性とか、自立が保たれてるわけだから、苦しくないんで。ええんですよ。

大橋 話を戻しますとね、前のようにはもう食べられない。当たり前です。もう胃がないから。抗がん剤もしてると。具体的に振り返ると、何回か分けて食べることを強いられるというか、勧められるんです、胃のない方は、やはりすぐ張るから。

大橋 1日に、例えば朝昼晩食べてた人だったら、もうとても無理なので、倍に掛けて、1日5回か6回で、少量ずついきましょうっていうのは、どこの本、家庭の医学本にも書いてあります。でも、その1回当たりも、例えばスプーンで言ったら、1さじ、2さじ、いけるかどうかなんです。

岸田 えー。

大橋 ちょっと具体性に欠けるので、今ふと思ったの、飲み物で言うと、ヤクルト、ありますでしょ。

岸田 はい、ヤクルト大好きです。

大橋 ヤクルトは多分、これ三重県でも東京でも、サイズ一緒だと思うんですよ。あれ、一緒でしょ?

岸田 いや、どうかな。そうです。同じだと思います。

大橋 いや、すいません。もう最近あまり飲んでないので、手元にないんですけど、80ミリリットルなんです、ヤクルトって。あれの1本が飲めないです、1食当たり。半分いけたら、ええかどうかで。それも時間、かけてですよ。

岸田 なかなかですね、それ。

大橋 すごく焦ってたんです。要は、抗がん剤が始まってるし、明らかに手術の後、抗がん剤が始まった時点では、転移はなかったんです、画像上はですよ。

大橋 でも、抗がん剤が始まるに当たって、これは当たり前だけど、やはりこんなに食べれんでは体重もどんどん減ってたし、その頃。

大橋 もう副作用に耐えられないかもしれないし。何せ、抗がん剤の治療自体も、こんな体力、下がってきたら、効きにくいんじゃないか。いや、やっぱり食べなきゃ食べなきゃって、自分も焦るし、やはり嫁さんも焦るというか、心配してくれて。何とかあの手この手って、やってくれてたんだけど。

大橋 もう何せ食べられないと。そんなときは嫁さんにも、当たってましたね。「そんなに持ってきたって食べれへんやろ」っていうことで、声を荒げたり。それがもう8、9、10、11と続いてきて。半年ぐらいだった12月、その年の、2年前の暮れですよね。

大橋 これ、何気なくふっと思ったんです。誰かに何か言われたわけではありません。

大橋 ふっと、半年、生きてきたよなって思ったんです。そこに、あ、これ、食べなくてもっていうのは、前のようになんですけど。前のように食べなくても、生きていけるんや。じゃあ、焦らなくていいよなっていう。

大橋 人間、やっぱ焦ると駄目だと思うんですよ、何事においても。焦らなくてええよなーって思えたことが、随分、気を楽にしましたね。私の気を楽にしました。

岸田 そういった形で、こう上がってるってことですよね。ありがとうございます。そこから、残念ながら、なんか急転直下している感じが見えるんですけれども。それが、こちらになります。肝転移の発覚。

大橋 これは、具体的には2019年の4月なんですね。1、2、3月と割と上向いてきて、元気出てきてたときに、肝臓転移が分かりました。CTで分かりましてね。

大橋 めちゃくちゃへこみました、これは。へこんだ理由は二つあります。一つは、これ、もちろん主治医ももともと知ってる、科は違いますけど、ある意味、同僚ですよね。

大橋 説明してくれる中で、CT一緒に見てきましてね。今って電子カルテだから、どこの病院もほぼそうだと思います。

大橋 CTも頭のほうから足のほうに、上からだんだんスキャンしてきたのを、画像上示されて、スクロールしてきて。私、肝臓の上のほう、後ろの上のほうにできてるもんですから、ふっと止まるわけですよ。今までなかった影が、もう一転して、悪性腫瘍の肝臓転移と。

大橋 もう本当に、私でも分かるというか、要はがん専門医じゃなくても分かる。

大橋 もっと言うと、もしかしたら、もう医者じゃない、いわゆる医療者じゃない人でも分かるかもしれません。それぐらい典型的に、腫瘍があるって分かる写真やったんです。

大橋 その写真を見たとき、分かりますよね、私ももう肝臓転移だと。真っ先に浮かんだのが、あ、これは俺の肝臓なんやな。肝臓なんやっていうことで、ショックやったんです。

大橋 これ、緩和ケア医として15、16年。医者歴で言うと、昭和63年卒業なので、30年以上ですよね。

大橋 多くの患者さんのCT写真は見てるし、説明もしてたし。もっと言うと医学部の実習のときも、患者さんの写真って見てたから。何百や何千、場合によっては何万回、何万人じゃないですよ、何万回、見てたと思うんですよ、写真。

大橋 でもそれはやっぱり失礼な言い方ですけど、他人の写真ですよね。人さまの肝臓の、いわゆる悪性所見として見てました。

大橋 でも今回のは誰やろう、おのれの肝臓。しかも要は悪性腫瘍ができてる肝臓の写真を見てるわけなので、やっぱ違うんですよね。私の、もういわゆる悪性写真が写ってるわけです。まあ、へこみますよね。

大橋 そしてもう一つ。これはそれ以上にへこんだのは、手術、そして抗がん剤と。確かに量を減らして続けられてきたとはいえ、しんどい治療やったわけです、4月の時点でも。

大橋 グリベックって基本、毎日飲む薬なもんですから。とても毎日無理だったんですけど、やはり休薬、休まざるを得ない、副作用が強くて休んでるんだけど、でもそれなりに、私なりに頑張ってきた合計10カ月にもかかわらず、転移したわけです。

大橋 つまり、治療をやってたから、そんで済んだっていう意見もあるでしょう。でもそれはもう、そんなん飛んでるから、私、患者としてね。

岸田 そうですよね、ずっと治療してるわけですもんね。

大橋 要してきたにもかかわらず、肝臓転移したってことは、あ、この治療の意味なかったな、なかったんやっていうことで、へこんだんです。

岸田 こんだけ頑張ってきたけど、肝臓転移しちゃったぞということで、ショックだったってことですね。

大橋 治療の意味なかった。この意味ないって思うときって、人間、相当、苦しいはずなんですね。これ、病気に限らないと思うんです。

大橋 それこそ生きる意味がないとか、仕事の意味ないよということもまさに、特に今、コロナ禍で、すごく意味を失ってる方、大勢いらっしゃると思うんです。その方も同様に苦しいと。本当にまさにへこみましたね、ここ。

岸田 そして、そこから上がっていきます。何があったのか。ドン。ごめんなさい、もう一回、お願いします。そこから上がっていきます。何があったのか。分子標的薬スーテントをして。

大橋 そうは言っても、グリベックで効果がなかった、ないだろうっていう方に、スーテントという薬が、GISTにはあるんですね。確かに、グリベックよりは副作用が強いです。強いとされてるし、私も、今も続けてる、おかげさまで続けられてるこの薬、副作用強いんですけど。

大橋 やはり治療があるということは、まだその治療を頑張るという自分もいるので。そういった意味で、ここまで上がってこれましたね。またこのスーテント、頑張るぞと。

岸田 次の治療、頑張るぞということで、上がっていくということですね。そしてそこから、また上がります。足し算命。

大橋 これ、聞き慣れない言葉だと思うんです。要はこの肝臓転移が分かったとき、もう本当に患者になってますから、私。医者だというふうに、冷静な意識の下だったら、多分その質問は主治医にしなかったと思います。

大橋 でも、完全に患者ですから。「先生、これ、私」スーテント、勧められたときですよ、もう。転移が分かったとき、「スーテントって治療があるよ」と言われたときに、「どれぐらい生きられます? スーテントして」って、思わず聞いてた自分がいるんです。

大橋 主治医もすごく誠実に関わってくれてるんですね。そのときも、正直に、彼、「いや、でも先生」、あ、先生、言うてくるんです、私のことも。先生、これデータも少ないんですよ、GISTやはりね。そんなに多い患者さんの数やないってこともあって。

大橋 実際、手術して、グリベックして、9カ月のグリベックの治療の後、肝臓転移が来た人、スーテントしたらどれぐらいって、そんなデータないですよね、考えてみたら。なので、「正直、やってみないことには分かりません」と。「でも、スーテントで効いてる人もあります」それも事実なので。やっぱり余命なんか分からんよなと言われて。

大橋 ふっとうちへ帰ってきてから、1週間ぐらいへこんでたんですよね。で、その間に思ったのが、いや、でも、余命もし分かって、言われたとしましょう。

大橋 仮の話ですよ。じゃあ、例えば余命1カ月と言われるよりは、半年。いや、半年と言われるよりは、1年。いやいや3年と言われるほうが、長いから、時間的に。

大橋 いわゆる物理的な時間として時間的に長いから、いろいろやれること、場合によってはやりたいこともっていうふうに、思ってた、私、思ってたんです、それまで。思われがちですよね。

大橋 でもふっと思ったんです。でも余命って、もし3年と言われてどうなの。3年と、365掛ける3ですよね。大体、大ざっぱに言って1000ですよ。ところが、もし余命が1000日と言われてというか、分かったとしたならば。

大橋 でも、きょう、明日、明後日と生きれば、1、2、3は必ず減ってくんですよね。ある意味、カウントダウンになるわけです。

大橋 なんかちょっとうれしないなと思って。だったらもう、どんな状態であれ、生きていく時間、足していったほうがええなって。先ほどの私の趣味、乗馬でしたよね。

岸田 あれ。

大橋 いやいや。

岸田 お馬さんはって。

大橋 いわゆる投資のほうでしょ。賭け事ですよ。賭け事だって、例えばきょうの持ち金は、じゃあ5000円でいくぞってなってったときに、どんどん減っていったらうれしくないですよね。どこかで当たった。それが1万円でもなったら、うれしいでしょ。

岸田 うれしい。

大橋 やっぱり私、本質的に引き算よりも足し算のほうが好きなんですよ、本質的に。皆さん、そうやと思います。借金以外は、足し算のほうがええと思うんですよ。

大橋 じゃあ、もう一日一日足していこうと、単純に。そしたら、余命、関係ないですよね、どれぐらいなんて。少なくとも、生きられた日までは足されていくわけやから。ということで、じゃあもう足し算命で生きていこうっていうのを、まあ偉そうにも、思った次第です。

岸田 あー、いや、すごい納得です。そういうことですね。やっぱり余命1000日から減っていくってなると、うわ、あと900日切った。800日切った、とかなんか、本当、それこそストレスになりますもんね、そっちのほうが。

大橋 でもこれも岸田さん、本当に人それぞれやと思うんです。その余命を聞いて、知って、すごく前向きにその時間を生きられる人もいるでしょうから。あくまでも、これは、こんなんがんノートで言うのは、本当に失礼ですけども、もう通販の世界ですからね。ここ、大事ですよ。通販の世界。

岸田 どういうことですか、それ。通販の世界って。

大橋 心は。

岸田 どういうことですか。

大橋 何かっていうと、通販のうたい文句って、岸田さん、なんか出てきます?

岸田 今ならこの価格。

大橋 あー、そっち、来たか。それもあるな。要は、ちっちゃい書いてある、この辺に、この辺にちっちゃい出てくるのあるでしょ、この端っこのほうに、ちっちゃい。こんな字、読んでないよっていうので、出てくる文句ありませんか。

岸田 あります。個人差があります?

大橋 そう。要は、功能効果を示すものではありません。一個人の感想ですって、よう書いてあるでしょ。

岸田 書いてる。

大橋 そこです。一個人の感想です。でも、この一個人の感想も、意外と大事なんですよ、このがんを生きていく中で。だから、もちろん、話、ずれますけど、その標準の治療ってあると思うんですよ。それはそれで、押さえなきゃいけません。それはもう原則です。

大橋 でもそれがうまくいってる人はそれでいいし。なかなかうまくいかない人って、じゃあ、感想じゃないんだけど、一個人個人、つまり究極のオーダーメードになると思うんですよね、私は治療においても。

大橋 だったら、その治療は、私は医者だけど、でも患者としては、もう治療は主治医はじめ、スタッフにもう一任してるから。それは自分どうこうするつもり全くないので。

大橋 でもそれ以外のところで、例えばそのちょこっと気楽にするとか、ものの見方、価値観ちょこっと変えるだとかは、自分でやれるものはやりたいんですね。その一つが、余命うんぬんよりも、一日一日足してこうよ、という結果でございます。

岸田 ありがとうございます。CTで変化なし。これも、画像上で特に。

大橋 3、4カ月に1回撮ってて。5月か6月だったかな。前回、撮ったときにも、まあ何とか、どんどん腫瘍が増えてくる、大きくなってくるという意味での変化なしですね。残念ながらで、悲しいかな、腫瘍がなくなったわけではないんですけど。

岸田 ありがとうございます。そして、ちょっとだけ下がります。救急車で運ばれる。え、どうしたんですか。しかもちょっとだけなんですね。運ばれるって、結構、なかなかすごい。

大橋 これね、腹痛をきたしました。突然のといいますか。もともと、でも、おなかの痛みって、別に病気ない人でも、時々痛くなることあるでしょ。それこそ腸がちょっとね、動き過ぎたとか、あるいは動き治まったとか、弱まったとか。

大橋 便秘とか、下痢でも痛くなることあるので。大体の痛みっていうのは、五十何年生きてきたら経験してますから、これは治まってるかな。

大橋 これは大丈夫かなっていうのはあるんですけども。そうかどうかは別にしても、やはり肝臓に転移があるっていうことで、肝臓って右のおなかの上にありますから。それの痛みはあるんです。あったし、あるんです。

大橋 でも今回は、これ先月の下旬なんですけど、ちょうどおへその辺りが差し込んできまして。ある木曜日の、これぐらいの時間ですよ。夜と言いますか。痛くなってきました。

大橋 でも、まあ治まってくるかなと思って、そのままいたら、もう日、明けて、僕まさに、あの出血を思い出さんばかりの、2時か3時ぐらいに、ものすごい痛くなったんです。でも、また同じこと考えたわけですよ。

大橋 今、行ってもな、これ、夜中だし。これ、でもだいぶ痛いんですよね。でもちょこっと治まったんです、幸いにして。

大橋 朝を迎えまして。どうしよう。いや、でもこれ、このまま見とこうかと思ったら、また痛なってきまして。

大橋 もう8時か9時頃。もうこのときは我慢できず、病院に行こうと。でも、やっぱ自分では無理かなっていうことで。あの出血のときでさえ、つこてないんだけど、お世話になりました。人生初めて。

岸田 おなかが痛かったので。

大橋 救急車に乗ったことありますよ、もちろん。患者さんを搬送というか、ある病院に自分の病院からお送りするときに、医師同乗が必要ってことよくあるので、それはあったんですよ。救急車に乗ったことあるんですけど、自分が患者として、ストレッチャーにぐるぐる巻きに、ぐるぐる巻き大げさだな。ストレッチャーに運ばれたというのは、初めて体験しました。

岸田 これはがんの影響だったんですか、この。

大橋 幸いにして、でもこれ、このときは詳しいがんの検査は、もちろんしないんですよ。緊急を要してるから、あくまでもご存じの方もあるかな。

大橋 おなかの痛みで緊急を要するいうと、どこかの、腸がもう裂けたりして、いわゆる中の空気や液がおなかの中にだだ漏れになるような、いわゆる消化管穿孔という、穿孔っていうのがあったり。

大橋 あるいは、腸閉塞。これはもう緊急を要する、治療として緊急を要する場合があるんですね。でもそれは幸いにしてなかったんです、血液検査、CT撮って。だから、主治医、もう本当にいつもお世話になってる主治医、これ予約外だったんだけど、最後、診てくれて。

大橋 恐らく手術、割と大きな手術、私、受けているもんですから。手術の中の、腸閉塞までいかないんだけど、ちょこっと、腸と腸の流れが悪うなって、まあちょっと引っついたり、どこかに入り込んだりして、ある意味、よく、これ、昔、今はそういう言葉、使わないんですけど、脱腸って言って。

大橋 足の付け根に腸が下りてくる。いわゆるヘルニアですよね。ああいうものが、あれは外に出てくるヘルニアなんですけど、おなかの中に起こったのかな。そういう可能性はあるので、大橋さん、いや、先生、言われたかな、「先生、痛いときは、夜中でも来てください」と。

岸田 えー、いい先生。

大橋 はい、言われました。そのとき、いろいろ調べてもうて。痛みも、痛み止めの点滴、打ってもうて、ゼロにはならなかったんです、そのとき。随分和らいで、何とか帰ることができました。

岸田 ありがとうございます。そして、だんだん上がっていきます。これは、治療継続ということで。治療が継続。

大橋 この、スーテントが、もちろんその予定どおりというか、スケジュールどおりいかないこともあるんだけど。1年4カ月余り続けてこられていて、現時点では、それは分からないです、今度検査して、えーっていう結果になるかもしれないんだけど、現時点では治療を続けられるということは、治療を頑張れてるという自分がいて、この状態です。

【 がんの経験から学んだこと】

岸田 ありがとうございます。すごいいろんなペイシェントジャーニー、本当に長い旅路をご説明いただきました。

岸田 がんの経験から学んだこと。この、がんの経験から学んだことを、大橋先生はこのようにおっしゃっています。どん。お願いします。

大橋 これですね。もう繰り返しなんですけど、とにかくもう、足し算命。足し算命ですね。いえ、もう余命のことですよね。気になりますよ、私も患者やからね。

大橋 でもそれって、基本的に、これ医者目線で申し上げますと、やっぱ分からないんです。あくまでも数字は、数字です。疾患から出す、データから出す値、平均値というか。じゃあ、患者として気になるのは、おのれ、俺の余命ですよね。私の余命。

大橋 それって医者にも分からないんですよね。だったら、分からないことを気にしてもきりないな、ということで、思い始めたのが、あの肝臓転移を言われたショック、へこんだときに思ったのが、一日一日足していこうと。そうすると、どうでしょう。それって絶対増えていくわけですよ、必ず。これは増えます。

岸田 増えます。

大橋 野球で言うたら、打率や防御率じゃないんです。ホームランの数、ヒットの数、勝利数です。これ絶対増えますよね。

岸田 増えます。

大橋 そっちのほうが、私はうれしいんですよね。だから足していく。一日一日、本当にどんな形でも生きていたら、増えていくもんですから。これが随分、私の気を楽にしてるんです。

大橋 人間ってね、やっぱり体も楽になりゃ一番いいですよ。でも、まず、気、楽になると、いや、ちょこっと体も楽になってくるんですよね、不思議なことに。そうすると、やる気も出てきたり、途中でも少し触れました、もうこれ意味ないよと思ったら、苦しいですよね。

大橋 こんなことして、何の意味なんの。でも、やる気、出てくると、なんか生きる、大げさに聞こえるかもしれません。

大橋 でもやる気、出てくると、生きる意味であったり、生きがいも生まれてくるんですよね。そうすると、やはり病気、そりゃ一番いいのは、私もGISTなくなってほしいです。

大橋 でも、それはなくならないならば、なくならない中でも、生きる意味、生きがいは見つけて生きていきたいなと。

大橋 なぜならば、おのれの唯一無二の、おのれの命やからです。誰のものでもない、私の命やから、生きていきたいなと思っています。

岸田 うわ。いや、もう大橋先生の本当に、言葉、本当に心にしみます。なんかやっぱ、本当、引き算じゃなくて。アベレージヒッターじゃなくて、ホームラン王、もしくは打点王やな。

大橋 なんか、いや、そのほうが、もちろん私、野球選手じゃないから、あのかたがたがどうこうってことじゃないですよ。もし、でも自分が野球選手やったら、いわゆる打率とか防御率よりも、やっぱり積み重なっていく数のほうの記録のほうが、自分にはおうてるやろうなと。それは、減らないからです。

岸田 いや、ありがとうございます。その言葉をいただいて、きょうのがんノートmini、終了していきたいと思います。どうもありがとうございました。

大橋 ありがとうございます。私こそ、どうもありがとうございました。

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