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インタビュアー:岸田 / ゲスト:御園生

【オープニングトーク】

岸田 それでは、がんノートmini、本日もスタートしていきたいと思います。今日のゲストは 御園生さん です。よろしくお願いします。

御園生 よろしくお願いします。御園生です。

岸田 早速ですが、御園生さん。今、鼻に何か付けていらっしゃいますが、これはどのようなものですか?

御園生 これは、鼻から酸素を吸うためのチューブです。自宅で酸素吸入をしていて、機械から酸素を送り、こうして鼻で吸っています。少し呼吸の状態が良くなくて、今はこのような形で過ごしています。

岸田 先日、緊急入院をされて、いまは退院後の自宅療養中と伺っています。そんな状況の中、こうして出演していただき、本当にありがとうございます。

御園生 いえ、とんでもありません。こちらこそ、よろしくお願いします。

【ゲスト紹介】

岸田 では、ここで 御園生さん のご紹介を私からさせていただきます。

 御園生さんは千葉県のご出身です。現在は航空会社にお勤めで、趣味は格闘技観戦。がんの種類は肺腺がんで、ステージⅣの告知を受けられたのが38歳のとき。現在は43歳で、これまで手術や放射線治療、薬物療法に加え、治験にも取り組まれてきました。

 今日は、そうした経過についてもお話を伺っていければと思います。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 ここからは、御園生さん のペイシェントジャーニーをもとに、お話を伺っていきたいと思います。こちらにまとめていただいたものがあります。

 ペイシェントジャーニーとは、がんになってから現在に至るまで、どのような道のりを歩んできたかを表すものです。気持ちの浮き沈みを、ニコちゃんマークなどのアイコンで示しながら、ご自身の変化を振り返っていただいています。今回は点を絞りながら、いくつかの場面を詳しく伺っていきます。

 まず、最初に「影があり」と記されたところから、一気に気持ちが下がっています。これは、肺がんの告知を受けたタイミングですね。その後、薬物療法──ジオトリフの治療が始まり、同じ病気を経験された方との出会いがあり、少し気持ちが上向いていったと書かれています。御園生さん、この最初の“肺の影”というのは、どのように見つかったのでしょうか。

御園生 会社の健康診断です。結果の紙に「影があります」と書かれていて、最初は肺炎か何かだろう、くらいに思っていました。でも受診してみたら、「これはおそらくがんだと思う。すぐ専門の病院へ行ったほうがいい」と言われて。私は築地のがんセンターに行ったんですが、そこで肺がんだと確定しました。

岸田 告知を受けたときは、やはり「まさか自分が」という気持ちでしたか。

御園生 そうですね。まったく想像していませんでした。体は元気でしたし、誰よりも働いていたので、「なぜ自分が?」という驚きしかなかったです。

岸田 そこから薬物療法が始まり、同じ病気の方の存在を知って、気持ちが少し上がっていったとあります。同じ病気の方を知ったのは、どんなきっかけだったんですか?

御園生 ステージⅣだと告げられ、根治は難しいと言われたんです。

岸田 最初にその言葉を聞くのは、かなりつらいですよね。

御園生 落ち込みますよね。「じゃあもう死ぬしかないの?」と極端に思ってしまって。もちろん実際はそんなこと言われていないんですが、勝手に「2週間後には死んでしまうのかもしれない」なんて想像してしまったりして。情報がなくて不安だから、どんどん悪いほうへ考えてしまうんですよね。

岸田 分かります。僕も検索して、いろいろ悪い情報を見て落ち込んだ経験があります。

御園生 そうなんですよ。調べるとネガティブな情報ばかり目に入ってきて、「やっぱり駄目なんだ」と思い込んでいました。でも、その中で希望につながる情報にも出会ったんです。

 それが、フットサル日本代表の久光重貴さんです。元日本代表の方で、同じ肺腺がんでした。治療を続けながら競技を続けていて、「日本一を目指す」と話していたんです。それを見つけたとき、「こんな人がいるなら、もしかしたら自分も頑張れるかもしれない」と思えて、気持ちが上向いていきました。

岸田 同じ病気で前向きに生きている方の存在は、本当に大きいですよね。気持ちの支えになります。しかし、そのあと再び気持ちが下がる場面があります。「仕事が不調に」と書かれていますが、これはどんなことがあったのでしょうか。

御園生 そうですね。これは……。

岸田 仕事が思うようにいかなくなり、さらに転移が見つかれたことで気持ちが大きく落ち込んでしまったと伺いました。その後、薬物療法を続けながら、少しずつ気持ちが上向いていく時期が訪れます。それが「LAVENDER RING」という活動につながっていくわけですね。まず、仕事の不調と転移について、お話しいただけますか。

御園生 そうですね。病気になる直前まで、仕事では“無双状態”というか、何をやってもうまくいっていたんです。でも、病気になった瞬間から、いろんなことが一気に崩れてしまって。今まで順調だったものが全てうまくいかなくなりました。病気そのものとは別に、そういう経験が重なってメンタルが大きく落ち込んでいたところに、転移が見つかってしまって。続けていたジオトリフも効かなくなり、さらに落ち込んでいきました。

岸田 ジオトリフが効かなくなったというのは、転移がそのサインだったということなんですね。

御園生 はい。データを見ると、自分の場合もう少し効くと思いこんでいたんです。中央値から考えても、少し延びるかなと。でも、実際はうまくいかず、治療が効かなくなったことで転移につながった。そこからシスプラチンとアバスチンの治療に切り替えることになりました。

岸田 その治療の切り替えの後に、LAVENDER RINGの活動が始まったんですよね。

御園生 そうなんです。当時はまだ「LAVENDER RING」という名前はなかったのですが、がん経験者の方を応援する活動として、ポスターをプレゼントする企画を立ち上げました。資生堂の方と協力して、プロのメーキャップアーティストがヘアメイクを担当し、資生堂の広告を手がけるカメラマンが撮影して、その方だけのオリジナルポスターを作ってプレゼントするという取り組みです。ほかにもさまざまな企画を行っていて、その最初の撮影のときには岸田さんにも参加していただきました。

岸田 そうですね。懐かしいです。LAVENDER RINGさんの活動は今では本にもなっていますよね。

御園生 はい。ありがとうございます。

岸田 とても多くの方が参加されていて、プロのメイクと写真で輝く姿が収められている素晴らしいプロジェクトです。Amazonや蔦屋書店などでも手に取れますので、ぜひご覧いただければと思います。

御園生 ありがとうございます。

岸田 そして、このLAVENDER RINGの活動を始めたことで、気持ちがまた上がっていったと書かれています。

御園生 そうですね。自分が誰かの役に立てている、応援できているという実感があって、とても気持ちが前向きになりました。

岸田 ですが、ここからまた大きく気持ちが落ち込む出来事がありました。「母の死」と記されているところです。そしてその後、「LAVENDER RING DAY」で少し上向きに。そしてまた痛みが出て、放射線療法に進み、Japan Cancer Forum(JCF)へとつながっていきます。やはり、お母さまの死は大きな出来事だったのではないでしょうか。

御園生 そうですね。母は一人暮らしをしていたのですが、事故で亡くなりました。病気ではなく、突然のことだったので本当に驚きました。僕自身の病気とは関係がない出来事だっただけに、大きな衝撃でしたし、深く落ち込む原因になりました。

岸田 その状況の中で、LAVENDER RING DAYが開催されたのですね。

御園生 はい。気持ちは沈んでいましたが、イベント自体はとても温かいものでした。
 ただその後、体に痛みが出てきてしまいました。

岸田 痛みというのは、どのようなものだったのでしょうか。

御園生 痛みの原因は骨への転移でした。胸の中央にある胸骨という太い骨に転移が見つかったんです。家で腕立て伏せをしていたときに、これまでにない痛みがあって、調べてもらったら胸骨転移が確認されました。

岸田 骨の痛みに対して放射線治療を受けられたと伺っています。これは痛みを和らげるための治療だったんですよね。

御園生 はい。根治を目指すものではなく、痛みを取るための放射線治療でした。

岸田 その治療を終え、イベントがあると少し気持ちが上がる、と先ほどおっしゃっていましたね。

御園生 そうですね。イベントがあると、自然と気持ちが前向きになるんです。仕事柄かもしれません。

岸田 さすがです。そんな中、ここから状況が小刻みに変化していきます。転移がまた見つかり、治験へ進み、副作用があり、再びLAVENDER RING DAYがあって──そして胸水の増加で気持ちが下がる。まさにジェットコースターのような時期に入っていきます。まず、再び転移が見つかったときのお気持ちを教えてください。

御園生 今度は脇の下のリンパ節に転移しました。お風呂に入っているとき、何気なく触ったら「あれ?」と。嫌な予感がして、その通り転移でした。

岸田 自分で転移を見つけるというのは、相当ショックだったのではないでしょうか。

御園生 ものすごくショックでした。触りたくないのに、つい触ってしまうんですよ。触ってもどうにもならないのに、ずっと気になってしまって。

岸田 気になりますよね。そこから治験に進むことになったのは、お医者さんからの提案だったんですか。

御園生 はい。私はEGFR陽性の肺腺がんなので、最初は分子標的薬のジオトリフを使っていました。当時は今のようにタグリッソが一般的ではなかったんです。そのジオトリフに耐性が出てきたことがわかり、検査の結果、治験の薬が効く可能性があるのではないかということで、主治医から提案がありました。それで「やってみよう」と決めたんです。

岸田 治験に臨むときは、どんなお気持ちでしたか?

御園生 私は希望をもって臨みました。第2相試験で、すでに第1相で一定の効果が見られていた薬でしたし。そして、これは少し消去法的な考えですが、治療を続ければ続けるほど選択肢が少なくなっていくんです。ジオトリフ、シスプラチン、放射線……と続けてきて、次に劇的に効く薬があるかというと、そうではない状況でした。だからこそ、「これが効くかもしれない」という期待は大きかったです。前向きにチャレンジしたい、そんな思いでした。

岸田 ありがとうございます。希望を持って臨んだ治験ですが、副作用もあったと伺っています。その後迎えたLAVENDER RING DAYでは、また気持ちが上向いたんですよね。

御園生 そうですね。イベントは僕に元気をくれます。LAVENDER RING DAYは特に、温かい時間でした。

岸田 そんな中で記録に書かれている「胸水がたまる」という出来事があります。胸水は相当つらかったのでは?

御園生 はい、本当に大変でした。胸水がたまるというのは、肺の外側にある胸膜との間に水がたまる状態なんです。水位が上がれば上がるほど、肺が圧迫されて呼吸が苦しくなる。まるで溺れているような感覚です。ずっと立ち泳ぎをしているような、そんな苦しさが続きました。

岸田 胸水のあと薬物療法に戻り、再び新しい治験に進むことになったんですね。

御園生 はい。胸水が増えたことで、それまでの治験は効果が薄いと判断され、いったん薬物療法に戻りました。その後、また別の治験に切り替えました。この治験は、自分としてはかなりポジティブでした。1回目の治験の頃は、次の治験の薬について全く情報がなかったんですが、その後ネットで調べているうちに「これは良い薬かもしれない」と思える情報を見つけていたんです。

岸田 どうやってその情報を見つけたんですか?

御園生 日々、新しい治療法を検索しているんです。製薬会社がどんなパイプラインを持っているかは公開されていますから、それをずっとチェックしていました。

岸田 すごいですね。本当に努力されています。

御園生 いやいや、やめてください。褒められると照れます。

岸田 でも治験を自分で調べて把握していたというのは、本当にすごいことですよね。

御園生 情報を知っていたからこそ、「この薬は可能性があるのでは」と前向きに捉えられました。

岸田 その治験は、ご自身から提案されたんですか?

御園生 どうだったかな……。もともとは別の治験の提案があったんです。遺伝子検査で異常が見つかり、それに対応する治験があったのですが、「効果は限定的かもしれない」という病院側の見立てがありました。その話をしている中で、「実はこういう治験はありませんか?」と、僕が知っていた薬のことを相談したんです。すると「ありますね」となり、やってみようかという流れになりました。

岸田 それが通るというのは、先生との信頼関係がしっかり築かれていた証拠ですね。

御園生 はい。とても親身になっていただきました。

岸田 自分から提案して治験につながるというのは、本当にすごいことです。

御園生 病院側からも「ほかにも選択肢がありますよ」という話があって、その中の一つとして自然に出てきた感じでしたね。

岸田 そして治験に進み、その後脱毛が始まったということですが、このタイミングが初めての脱毛だったんですね。

御園生 そうなんです。治療を受け始めてから初めて抜けました。「抜けるよ」とは言われていたので覚悟はしていましたが、それでも実際に髪が抜け始めると少し気持ちは落ちました。

岸田 ありがとうございます。その後の経過をダイジェストで振り返ると、胸水が再びたまり、薬物療法を行い、LAVENDER RINGからONLINEの活動へ広がり、さらに転移、薬物療法、胸水、薬物療法……と、本当に怒涛の時間が続いたわけですね。しかも、これがすべて2020年以降の出来事なんですよね。

御園生 そうなんですよ。

岸田 本当に怒涛の展開すぎて、聞いているだけでも息が詰まりそうです。

御園生 この1年は、本当にすごかったです。自分でも「もう限界なんじゃないかな」と思った瞬間が何度かありました。でも限界を感じたときに、偶然キッシー(岸田さん)に連絡したりして、応援してもらえたりしたんですよね。

岸田 いやいや……。

御園生 でも胸水は本当に焦りました。

岸田 胸水は焦る。なぜそこまで焦りが出るんでしょうか。

御園生 胸水を検索すると、「もう終末が近い」というような情報が多く出てきてしまうんです。だから、恐怖が強くて。もちろん今のところは大丈夫なんですけど、実際に苦しくなってくると、心も落ち込んでしまう。「大丈夫だ」と思えていた気持ちが、急に思えなくなるんですよね。

岸田 分かります。本当に。

御園生 しかも胸水が何度も続いたことで、より不安が強くなりました。特に2回目の治験のあとにたまった胸水は、前回と状況が違っていたんです。

岸田 2回目の治験のあとの胸水、ここですね。

御園生 はい。左の肺だったんですが、胸水がたまったことで肺が小さくなってしまい、戻らなくなってしまったんです。本来なら、水を抜けば肺はまた広がるんです。ドレーンで胸水を抜けばスペースができて、肺が元に戻ろうとするんですが……このときは5リットルくらい溜まっていて。

岸田 えー……。

御園生 それを抜いてスペースができても、肺が戻らなかったんです。

岸田 それは怖い……。

御園生 戻らないとなると、「この先どうなるんだろう」という不安が一気に押し寄せます。肺が小さくなれば呼吸能力も落ちるし、とても苦しいんです。戻らないという事実が、さらに焦りを生むというか。

岸田 それもあって、今は酸素を使っているんですか? それともまた別の理由ですか?

御園生 これはまた別なんです。今度は右側にも胸水がたまってしまって。左の肺の機能が落ちている状態で右にも胸水が来てしまったので、「じゃあどこで酸素を吸うんだ?」という状況になってしまった。それで今は酸素を付けています。

岸田 なるほど……。ありがとうございます。この中で、それぞれ薬物療法を進めていく際、治験が胸水で中止になったあとに薬物療法へ戻る、というような流れになるんですか?

御園生 そうですね。今行っているドセタキセルとラムシルマブは、標準治療として効果が期待できる薬です。いわば“最後の切り札”のような位置づけで、一定期間は効くだろうと見込まれていました。
 ただ、それも思ったほど長くは効かなかったんです。

岸田 そんな中、LAVENDER RINGがオンライン開催になって。オンラインでの参加は、体への負担も少なくて良かったのではないですか?

御園生 はい。家から参加できたのは本当に助かりました。もし対面だったら、当時の体調では参加できなかったと思います。

岸田 オンラインだからこそ参加できたという面もあったんですね。

御園生 はい。ありがたかったです。

岸田 そしてまた転移が見つかっています。これはどこの転移だったのでしょうか?

御園生 腹膜への転移です。腹膜は臓器を守っている膜のようなものですが、そこに転移が出ました。

岸田 そこから再び薬物療法に入ったわけですが、その治療もあまり効果が出なかったと伺っています。その後は胸水・腹水がたまった状態になってしまった、と。

御園生 はい。胸にもお腹にも水がたまって、全身が“水だらけ”のような状態でした。

岸田 胸水だけでも相当つらいとお聞きしましたが、腹水もかなり大変ですか?

御園生 腹水は本当にきついです。お腹が張って苦しくて、食事がほとんど入らなくなるんですよ。日に日に食べられる量が減っていって、食べられないと元気が出ない。栄養状態もどんどん悪くなって、検査値も悪化していく。そうすると焦りも出ますし、悪循環でした。

岸田 ですよね……。そして今はTS-1という薬を使って治療を続けているという段階になります。では、ここからは御園生さんご自身について、少しお話を伺いたいと思います。

【お金・活用した制度】

岸田 ここからは、御園生さんが実際に活用されてきた制度や、お金に関するサポートについても触れていきたいと思います。御園生さんは、経済的な負担を減らすために 障害年金 を利用され、さらに 高額療養費制度、そして 民間の保険 も活用されているとのことです。

【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 御園生さんが「大変だったこと」として挙げてくださったのが、まず「治らないと言われたこと」、そして「死と向き合わなければいけない現実」でした。
 そのうえで、どのようにそれらを乗り越えてきたのかという点では、病気になる前と考え方を大きく変え、「仕事中心から家族中心へ」と意識を切り替えたと書いてくださっています。このことについて、詳しくお聞かせいただけますか。

御園生 一番最初から「根治は難しい」と言われていて、死を意識せざるを得ませんでした。そうなると、「残りの人生をどう過ごすか」を本気で考えるようになったんです。
 そこで初めて、「自分にとって有意義な時間って何だろう?」と真剣に向き合い始めました。

 それまでは、ずっと仕事中心で生きていて、どちらかというと自分中心の考え方だったと思います。でも、「このままの生き方を残りの人生も続けることが、自分の幸せにつながるのか?」と考えたとき、答えは「違う」でした。

 ではどうしたらいいのかと考えたときに、一つ思ったのが「誰かに貢献すること」。自分の満足を求めるだけではなく、人のために何かできれば、それが自分自身の喜びにもつながるんじゃないか、と。

岸田 それがLAVENDER RINGにつながったんですね。

御園生 まさにそうです。がんになった方が困っているなら、応援したいと思いました。自分には広告の仕事というバックグラウンドがあって、写真やポスターという形でなら貢献できるかもしれない。それが、自分なりの方法で誰かの役に立ちたいという思いにつながり、結果として自分の満足にもなっていきました。

岸田 素晴らしいですね。

御園生 もう一つあります。

岸田 もう一つあるんですね。

御園生 「仕事中心から家族中心へ」ということです。ずっと仕事にばかり時間を使ってきたんですが、それで人生を終えていいのかと考えたときに、「いや、違う」と思ったんです。やっぱり家族と一緒にいたい。そう思うようになり、今はできる限り家族との時間を増やすようにしています。

【がんの経験から学んだこと】

岸田 仕事中心から家族中心へ。その変化について、丁寧にお話しいただきありがとうございました。では続いて、御園生さんが「がんの経験から学んだこと」として挙げてくださった “自分の人生で大事なこと” と “価値観” という言葉について伺いたいと思います。この意図は、どのようなものでしょうか。

御園生 やはり「生きること」と「死ぬこと」に正面から向き合ったことで、初めて自分にとって本当に大事なことは何なのか、学ぶことができました。
 それは、「自分だけの幸せ」ではなく、「誰かの幸せ」と「自分の幸せ」が重なる地点を見つけていくこと。その価値観に気付けたのが、がんと向き合ったことで得られた一番の学びでした。

岸田 価値観のシフトですね。自分にとって大切なものは何か、すごく考えるようになりますよね。

御園生 そうですね。がんと向き合うということは、自分の心をどこかで支える必要があります。そのとき、「どう生きるか」「どんな価値観で生きるか」を考えることは、僕にとってとても大きな支えになりました。

岸田 一瞬一瞬が大事なんだと、改めて感じさせられますよね。

御園生 本当にそう思います。がんになる前は、漫然と生きていたというか、目の前の仕事をこなすことで一日が終わっていました。でも今は、朝起きた瞬間に「今日の一日を大事に生きよう」と思える。
 そうすると、一日の密度がまるで変わるんです。

岸田 おっしゃるとおりです。

御園生 密度が高くなると、小さなことでも幸せを感じられるようになります。僕は人よりも残りの人生が短いかもしれない。でもその分、幸せだと感じる瞬間は人より多いかもしれない──そんなふうに思えるんです。

岸田 ……名言すぎて、心に響きます。

御園生 そんな大したことじゃないですよ。

岸田 いや、本当に深いです。ぐっときました。

御園生 だからこそ、時間を大事にして、生きていきたいですね。

岸田 ありがとうございます。価値観の変化と、今を全力で生きる気持ちが、とても伝わってきました。

御園生 はい。

岸田 それでは、きょうの「がんノートmini」はここまでとしたいと思います。御園生さん、貴重なお時間を本当にありがとうございました。

御園生 こちらこそ、ありがとうございました。

岸田 またよろしくお願いします。ありがとうございました。

御園生 ありがとうございました。

岸田 では、バイバイ。

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