目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:清水

【オープニングトーク】

岸田 それでは、がんノートmini、スタートしていきたいと思います。本日のゲストは、肺がん経験者の 清水さん です。よろしくお願いします。

清水 よろしくお願いします。

岸田 よろしくお願いします。背景にサッカーボールがありますね。キャンサーペアレンツさんや、がんノートのグッズも飾ってくださっていて、ありがとうございます。

清水 いえいえ。

岸田 サッカー、お好きなんですか?

清水 小学校の頃から、ずっとサッカーをしています。

岸田 ずっとサッカーをしている、まさにサッカー少年のような清水さん。

清水 いや、もうおっさんですよ。

岸田 (苦笑)おっさん……いや、少年の心を持った。

清水 少年ではないです(笑)。

【ゲスト紹介】

岸田 そんな清水さんを簡単にご紹介させていただきます。清水さんは滋賀にお住まいで、フリーランスのお仕事をされています。そして、ご趣味はサッカーとDIY。現在、肺がんに罹患されています。

岸田 今、ステージは4ということで、そのあたりのお話もうかがっていきたいと思います。告知を受けたのが35歳のとき、そして現在は39歳。治療としては手術と薬物療法を受けられていて、今は治験にも参加されているということです。きょうは、その過程での思いや経験、いろいろなお話を聞かせていただければと思います。よろしくお願いします、清水さん。

清水 よろしくお願いします。

【 ペイシェントジャーニー】

岸田 では、清水さんの、早速なんですけれども、どんな感情の起伏だったり、これまでどのように歩んでこられたかというところを、ペイシェントジャーニーに沿ってお伺いしていきたいと思います。

こういう形ですね。清水さんのペイシェントジャーニーです。まず、こちら。次男さんが誕生ということで……。清水さん、大丈夫ですか? 10段階中5になっていますけど、本当はもっと高いのでは?

清水 10でもいいかもしれないですね。

岸田 10でもいい。

清水 とりあえず5にしておきます。

岸田 いったんね。一番最初なので、全体のバランスで今は5ということですね。ありがとうございます。

次男のご誕生があり、その後、健康診断を受け、少し下がっていきます。そして精密検査へ進み、肺がんの告知まで続いていくわけですが、どのようにがんが分かって、どのように告知されたのか、お聞かせいただけますか?

清水 会社の健康診断を毎年受けていたんですが、そのときに“影”が見つかりまして。「精密検査を受けましょう」ということで病院に行きました。検査を進めていく中で、肺と肺の間にある“縦隔”という場所に腫瘍らしきものがあると分かり、さらに詳しい検査を受けました。

岸田 そこから告知までは、どんな流れでしたか?

清水 CTを撮って、生検といわれる、針を刺して細胞を取る検査をしました。その細胞を調べて、「これはがんです」と告知を受けたという流れです。

岸田 告知を受けたときの心境は、いかがでしたか?
ペイシェントジャーニーでも一番下がっていたので、相当ショックが大きかったのではと想像しますが……。

清水 もう“青天の霹靂”という感じで、頭が真っ白になりました。診察室の前で泣いたりもしましたし、本当にショックが大きかったです。

岸田 そんな中で、少し上がっていきます。「セカンドオピニオン行脚」とありますが、これはどういう状況だったのでしょうか?

清水 初めにステージ3Bと診断され、治療方針を考える必要がありました。手術、化学療法、放射線……何が最適なのかを判断するため、いろんな病院の先生に意見を聞いて回りました。いわゆるセカンドオピニオン行脚ですね。

岸田 6カ所ほど行かれたと。

清水 はい。その中から、自分に合う治療方針を探していた状況です。

岸田 そこから治療を決めようとしていたところ、ステージ4に変わったと。

清水 手術前に「がん性心膜炎」を起こしてしまい、緊急入院になりました。その時点でステージ4になったという経緯があります。

岸田 “心膜炎”ということで、心臓のまわりにがんが転移する状態。聞くだけでもつらい状況ですが、当時の心境は?

清水 がん性心膜炎は予後が悪いことを知っていたので、精神的にもこれまでで一番落ち込みました。呼吸もしづらく、とてもしんどい状態でした。

岸田 ただ、その後に少し上がり、「ブログを開始」「自由診療を探す」という流れが示されています。これはどのような背景だったのでしょう?

清水 当時、標準治療を受けられる体の状況ではありませんでした。「何か生きる望みになるものが欲しい」という思いで、自由診療も含めて治療法を探していた時期でした。

岸田 標準治療が受けられないと、どうしても何か希望になるものを探してしまいますよね。

清水 そうですね。体の状態の問題もありましたし、できる可能性を少しでも探したいという思いが強かったですね。

岸田 そういったところで、清水さんは手術に進まれたということですが、これはどういう経緯だったのでしょうか。

清水 心膜炎の治療などでいったん体調が持ち直してきたので、もともと予定していた手術に再チャレンジしようとなって、開胸手術を受けました。

岸田 開胸手術をされたんですね。しかし、その後また下がっています。こちらの「緊急入院」とは、どういう状況だったのでしょう。

清水 手術では腫瘍を完全には取り切れなくて、残っていた部分から再び「心タンポナーデ(がん性心膜炎)」が起きました。心臓の周りに水がたまり、圧迫される状態で、再度、緊急入院になりました。

岸田 心タンポナーデ……。先ほどの説明にもあった、心臓の周りに水がたまってしまう状態ですよね。

清水 はい。心嚢水が増えて心臓を圧迫するので、かなり苦しかったです。

岸田 そうした状況を経て、次に「臨床試験・遺伝子パネル検査」に進まれたとありますが、これはどういうものでしょう。

清水 当時、近畿大学病院が行っていた「クリニカルシーケンス」という臨床試験を知って、遺伝子パネル検査を受けに行きました。自分の腫瘍にどんな遺伝子異常があるのか調べ、治療につながる手がかりがないか探したかったんです。

岸田 その検査を受けられて、その後また心タンポナーデで緊急入院となったということですね。

清水 そうです。検査後、再び同じ症状で緊急入院しました。

岸田 その後に「HER2が判明」とありますが、これは遺伝子の結果で分かったということですよね。

清水 はい。遺伝子パネルの結果で、自分のがんが「HER2陽性」であると分かりました。

岸田 HER2が分かったあと、ペイシェントジャーニーでは上昇しています。「肺がん学会の参加」とありますが、これはどんなきっかけだったのでしょう。

清水 横浜で開催された肺がん学会に参加しました。標準治療について、それまであまり理解できていなかった部分もあったので、治療を正しく知りたいと思って参加したんです。先生方の講演を聞いたり、最新の情報に触れたりして、自分の治療に向き合う姿勢が大きく変わりました。

岸田 まさに転機だったんですね。

清水 そうですね。標準治療をきちんと理解できたことで、自由診療に頼るのではなく、根拠ある治療を選ぼうと考えるようになりました。

岸田 結構、そこは転機だったんですよね、清水さんの。

清水 そうですね。その当時まで、標準治療のことをちゃんと理解していなかったというのもあって、自由診療などを受けてしまっていたんですけれども、肺がん学会に参加したことで、ようやく正しい理解が深まったと感じています。

岸田 そこから、自由診療ではなく、標準療法が大事なんだということを学んだということですね。

清水 はい、そこでようやくしっかり理解できました。

岸田 そこからは自由診療をやめて、標準療法を選択するようになったということですか。

清水 そうですね。

岸田 いろんな治療法を探すお気持ちは分かるのですが、ちなみに当時、清水さんが受けていた自由診療とは何だったんですか。

清水 樹状細胞療法、いわゆる免疫細胞療法と呼ばれるものを受けていました。

岸田 実際にやってみて、効果はどう感じましたか。

清水 正直、分からないですね。心タンポナーデで緊急入院を繰り返していた時期でもあったので、良いのか悪いのか判断できなかったです。

岸田 なるほど、分からないということですね。ありがとうございます。
そんな中、HER2陽性が分かったことで、治療法の選択肢は広がったのですか。

清水 いえ、その時点ではHER2陽性と分かっていても、肺がん領域ではHER2に対する標準治療や保険適用の治療は存在していませんでした。

岸田 そうだったんですね。ありがとうございます。
その後、学会に参加したものの、また下がりがあります。これは入院、心タンポナーデでしょうか。

清水 はい、また心タンポナーデで入院しています。

岸田 本当に苦しまされていますね……。

清水 この時期は本当に苦しかったです。

岸田 そんな中、ここから上がっていきます。抗がん剤治療、カルボプラチン・アリムタを開始したんですね。これはどうでしたか。

清水 ここからようやく標準治療として抗がん剤を投与することができ、体が持ちこたえていく感覚がありました。

岸田 副作用はつらくなかったですか。

清水 吐き気や倦怠感はありましたが、思っていたよりも大丈夫でした。

岸田 あの心タンポナーデと比べたら、という感じですかね。

清水 そうですね。あの苦しさに比べれば、全然耐えられるものでした。

岸田 そこから、清水さんは考えていきます。声の障害マークの発案、HER HER の結成、そしてキャンサー名刺の作成と、さまざまな取り組みをされています。これだけでは少し分かりづらいので、一つひとつ教えていただきたいのですが、まず「声の障害マーク」とはどのようなものですか。

清水 手術で腫瘍を切除する際、左側の反回神経という声帯を動かす神経も一緒に切除したため、声に障害が残りました。声がかすれたように聞こえるのもそのためです。ただ、見た目では声が出にくいことが分からないので、自分に声の障害があることを周囲にさりげなく伝えられるマークを作ろうと思い、デザインして提案しました。

岸田 清水さんがご自身で作られたんですね。前職でもデザインのお仕事などをされていたと伺っています。今、そのマークも手元にあるんですか。

清水 はい。こういった感じのものをいろいろ考えて作っています。

岸田 ありがとうございます。続いて、「HER HER」の結成ですが、これは HER2 陽性の肺がん患者さんの患者会ですよね。どのような活動をされているのでしょうか。

清水 自分が HER2 陽性と知ったとき、同じ遺伝子異常の患者さんを探してもほとんど見つからなかったんです。だったら自分で仲間が集まれる場所を作ろうと思い、患者会を立ち上げました。今は臨床試験や HER2 関連の治療情報を共有することが中心です。

岸田 ありがとうございます。そして「キャンサー名刺」。あまり馴染みのない言葉ですが、どういったものなのでしょう。

清水 学会やセミナーなどに参加する際、仕事用の名刺を出すのは違うなと思ったんです。患者としての自分を表す名刺があれば、話のきっかけになるのではと思い、自分自身の肩書きを記した名刺を作りました。

岸田 本当に、清水さんは自分から動いて、必要なものを形にする力がすごいですね。そんな取り組みの一方で、ここに「退職」とあります。お仕事を辞められたのはどのような理由だったのでしょうか。

清水 がん告知後すぐに休職して治療に専念していましたが、1年半後に傷病手当金の支給が終わるタイミングが来たんです。副作用や体調を考えると、以前のように働くのは難しいと判断し、会社とも話し合って、一度退職して治療に集中することにしました。

岸田 退職と聞くと落ち込む方も多いですが、清水さんの感情グラフは“白”で、ポジティブでもネガティブでもないと。心境としてはどうだったんでしょうか。

清水 もともと治療と仕事の両立を悩んでいたので、退職が特別つらいという感情はありませんでした。治療がうまくいけば、また働く選択肢もあると思っていましたし、淡々と受け止めていた感じです。

岸田 ありがとうございます。しかし、そこからさらに感情が下がる出来事が起きています。「増悪判定・リンパ節」。これはどういうことですか。

清水 アリムタによる抗がん剤治療の効果が続かなくなり、リンパ節に転移が見つかりました。薬の効果が落ちるのは覚悟していたので、大きく落ち込むというより、「ここまで効いてくれてよかった」という思いのほうが強かったですね。

岸田 なるほど。そして、その後に上がっていく出来事が「治験・HER2対象」。これは HER2 をターゲットにした治験に参加できたということですね。

清水 はい。遺伝子パネル検査で HER2 陽性と分かっていたので、治療が切り替わるタイミングで参加できる治験を主治医と相談していました。事前に情報を集めていたので、選択肢としてすぐ動けました。

岸田 治験はどうやって知ったんですか。

清水 遺伝子パネル検査の結果を聞いたときに主治医からも紹介されましたし、自分でも臨床試験情報を調べていたので把握していました。

岸田 すごいです。今も治験中ということですよね。

清水 はい。現在も治験で治療を続けています。

岸田 ありがとうございます。そしてその後、PPI参加、CP、えほんプロジェクトという流れがありますが、まずこの「PPI」とは何でしょうか。

清水 「PPI」というのは「患者・市民参画」のことで、治験の計画などに対して患者として意見を述べたり、製薬会社の方や医師と一緒に意見交換をする場のことです。私はそうした場に参加させてもらいました。

岸田 ありがとうございます。そして「CP」はキャンサーペアレンツさんですね。後ろにもロゴが見えていますが、この「えほんプロジェクト」にも参加されているんでしょうか。

清水 はい。えほんプロジェクトには、1年ほど前から参加させてもらっています。メンバーの皆さんと意見交換したり、一緒に活動したりしています。

岸田 という流れで、清水さんのお話をダイジェストで伺いましたけれど、まだまだ本当は語り尽くせないくらい、多くのことが清水さんにはあります。今日はその一部だけでも共有していただき、ありがとうございました。

【大変だったこと→工夫したこと】

岸田 そんな中、清水さんの大変だったことから、どう工夫したかっていったところをフォーカスしてお伺いしたいんですけれども。大変だったこととして、声と治療情報、子育てがあったということです。声に関しては、先ほど、声のマークのご紹介いただきましたけども、そういったところを作って、自分が声が出づらいよだったりとかを共有していくということ。そして、情報共有といったところで、先ほどの、HER HERというところの患者会を結成していくこと。そして、子育てといったところの大変だったこと、ご両親のサポート。これはどういうことでしょうか、清水さん。

清水 子どもが、小さいのが2人いるんですけども、がん治療をしながら子育てもしてっていうので、特に今、妻がサポートを、一番大変だと思ってて。妻だけじゃどうしてもサポートが行き届かないというか、やっぱり大変なんで。そこはもう、実家の両親にサポートしてもらって、私がちょっと副作用でしんどいときとかは、少し両親に頼ってサポートしてもらったりしてますね。

岸田 自分も治療でしんどかったりとかするし、しっかり周りのサポートを、もし、得られるんであれば得たほうがいいってことですよね。

清水 そうですね。家族だけ、夫婦だけでとかってなると、どうしても負担がどちらかに偏ったりすることがあるんかなと思うんでね。できるだけ周りにサポートをお願いできるんだったらお願いしたほうがいいのかなと思います。

【 がんの経験から学んだこと】

岸田 ありがとうございます。そして、そんな清水さんが、がんの経験から学んだことをご紹介していただきたいと思います。

清水 今を大切にしながら笑顔でいること。自分が好きなことをやること、ということですね。

岸田 こちら、清水さんが今回のがんの経験から感じたこと、学んだこととして挙げてくださった言葉になります。清水さん、これはどういう意味になるのでしょうか。

清水 心タンポナーデで本当に苦しかった時期は、「この先どうなるんやろ」と、先が見えない不安がずっとありました。でも今、生きていること自体にすごく感謝していますし、つらい時もありますけど、やっぱり笑顔でいると周りも明るくなるんですよね。
だから、笑顔でいることは本当に大事だと思っています。

それと、自分が好きなこと、やりたいことをちゃんと見つけて、それをやること。がん治療を続けながら、最近、本当にそれが大切だと感じています。

岸田 ちなみに清水さんの場合、「好きなこと」ってどんなことになるんですか?

清水 サッカーだったり、DIYだったり、趣味の時間を持つこともそうですし、あとは患者会の活動など、外向けの取り組みも「やりたいこと」ですね。

岸田 思っていても実際に行動できない方も多い中、清水さんは「やりたい」と思ったことをちゃんと実行されているのが本当にすごいと思います。

清水 ありがとうございます。

岸田 周りの人が応援してくれても、一緒に動いてくれる人ってなかなか多くはないと思うんです。でも清水さんはその中でも、自分で動いて、自立して取り組んでいらっしゃる。そこが本当に素晴らしい。

清水 でも、やっていくと仲間ができるというか、同じ思いを持つ人が自然と集まってくるんですよね。そういう出会いもすごく面白いです。

岸田 そうですね。行動してこそ生まれるつながり、今日のような出会いもその一つですよね。
清水さんの経験や学び、本当に大きな気づきだと思います。そして今は治験中とのこと、その治験が良い方向へ進むことを心から願っています。

清水 ありがとうございます。

岸田 では、清水さんのダイジェストとしてのがんノートmini、これにて終了したいと思います。清水さん、本日は本当にありがとうございました。

清水 こちらこそ、ありがとうございました。

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