舌癌という比較的珍しいがんにかかったケンさん。壮絶な痛み、味覚障害、健常者に対する劣等感など様々な困難に立ち向かう中でケンさんが見出した希望とは。そして絶望と希望とを行き来する毎日の中で得られたものとは。

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:ケン

更新日:2018年06月16日

【宣告】

岸田  自己紹介をお願いいたします。

ケン  ケンと申します。私は舌がんを2016年の9月に告知されました。その後、放射線と化学療法の治療を3カ月しまして、現在経過観察中になります。

岸田  ケンさんが、いつ、どうなったのかっていうのをご説明いただければと思います。

ケン  違和感を覚え始めたのが2016年の春くらいからで、舌がんなんてことは思ってもいなかったのですが、口の右側のほうが、食べたりするときにしみるなとか痛いなっていうのはあって、口内炎かなとか思いながら歯医者に行ったりとかして、ケナログとかを塗ったりするけど治らないみたいな状態が続いていて。正直、歯医者行っても治らないし、もういいやと思ってほったらかしにしていたのですが、2016年の夏ぐらいになってくると、電話とかに仕事で出たときに、なんか、ろれつが回らないような感じが出てきて、これはさすがにやばいかなって思って、近所の総合病院で精密検査をして、2016年の8月だったか9月だったか、うろ覚えなのですが、「舌がんだよ」っていうことを言われまして。正直、自分で鏡とかを見ても、何か分かるようなものはなくて、大体、ネットとかで舌がんってなったら、舌の辺りに盛り上がっているとか、白くなっているとかいうのですが、そういうのが全然分からなくて。なのに発見したときには相当進んでいて、「ステージ4だよ」というふうに言われて。

岸田  2年前のときに、口の右側にちょっと痛みが出てきたと。

ケン  そうです。けれども、左で食べてれば、別にそこまで気になるほどでもなかったので。

岸田  口内炎とかはできたのですか。

ケン  口内炎だと僕は思っていたのですが、それまで口内炎とかができる体質ではなかったので、何でここまで治らないのかなということは思っていましたね。

岸田  そうなのですね。そのときはどこの病院に行きましたか。

ケン  歯医者で1回、口内炎の治療をしてもらって治らなくて、家族が「もう一回行け」って言うから、しぶしぶ、もう一回、同じ歯医者に行って、そのときも、また「口内炎かな」って言われて、レーザーとか当ててもらったのですが、全然良くならなくて。

岸田  そうなのですね

ケン  おかしいねみたいな感じで。「そんなに気になるんだったら紹介状書くから、一回検査してもらったら」って言った病院が総合病院で。

ケン  そこでCT。

ケン  ただ、そこの口腔外科の先生も、なんか、いろいろ触りながら「口内炎かな」とか言うぐらい、見た目じゃ分からなくて。なのに水面下では相当広がってたっていう感じですね。

岸田  そこで、もう。じゃあ、そこで見立ては口内炎かなって思われてて、CTの検査で全部が分かったって感じですか。

ケン  そうですね。CTを撮ったのが先だったかな。

岸田  CT撮って。

ケン  耳鼻科の先生に回されて、耳鼻科のほうでは触った感じで、「生検をしないと確定はできないけど、ほぼ間違いない」みたいなことを言われた。

岸田  じゃあ、耳鼻科に行って、CTの検査を見ながら触られて、それで、もう。

ケン  そのときに「舌を右側に動かせないでしょ」って言われて、確かに動かないことに、ようやく、その辺で気付いたような気がしますね。

岸田  ありがとうございます。そこで耳鼻科の先生に言われたときに、もうステージ4だった、奈落の底に落とされた気分になったとおっしゃってましたけれども、そのときは、お一人で行かれたんですか、病院は。

ケン  そうですね。口腔外科に行って、その後、今からすぐ耳鼻科に予約取るから行きなさいっていうふうに回されて、入ったときに「お一人ですか」って言われて、なんか、すごく嫌な予感がしたんですよね。

岸田  舌がんって言われたときに、受け入れることはできましたか。

ケン  それはすぐに受け入れられたかっていうと、当然、受け入れられないですけど、まだ正直、がんについての情報とか全く無知だったんで。なんか、治るんちゃうかなっていうぐらいの楽観的な感じだったかもしれないですね。調べていけばいくほど、どんどん、やばいなっていうほうになっていった感じですね。

【治療】

岸田  治療のことというところで、2016年の10月から12月、入院して。

ケン  動注化学放射線療法。

岸田  一応、今回は保険適用範囲内で。

ケン  保険適用で全部済みましたね。

岸田  どんな感じでやるんですか。

ケン  名前のとおり、化学療法と放射線療法をダブルでやる療法なんですけど。

岸田  はい。

ケン  動注ってのが、ピンポイントに抗がん剤を注ぐ治療で、僕の場合、舌だけなんで、舌とリンパ節だけに抗がん剤が行き渡るように、なんか、耳のこめかみからカテーテルを舌の動脈かなんかに入れて、そこにだけ何十倍の濃度の抗がん剤がいくようにしながら、放射線を同時に当てるみたいなやり方なんですね。

岸田  じゃあ、抗がん剤と、あと、放射線も同時に。

ケン  一緒にっていうか、週に1回だけ、なんか、常にここから舌のほうにはカテーテルが常時入ってて、抗がん剤流してないときも詰まらないように、常にポンプから水が入ってるんですよ。週に1回だけ、そこに、わあって流して、その次の週までの間は放射線を5日連続打つみたいな。

岸田  放射線を受けて、放射線が終わって、それで抗がん剤、抗がん剤終わったら、放射線やるっていう。

ケン  そう。病院によっては、なんか、両方一気にやったりするところもあるみたいなんですけど。

岸田  結構、大変でした?

ケン  あんまりなかったですね。当然、一般的な味覚障害とか、なんか、ちょっと気持ち悪いような、吐き気みたいなのはありましたけど、のたうち回るようなものは、あんまり。

岸田  放射線はどうでした?

ケン  放射線は、よく分かんなかったんですが、入院する直前が、しゃべることもできないぐらい痛くて。

岸田  がんの腫瘍が。

ケン  そう。筆談でないといけないような状態だったり、入院してて、突然口から血があふれてきたりとかするような状態だったんで、治療が進むほど、急にしゃべれるようになったんで。

岸田  ちっちゃくなってたんですね。

ケン  そう。だから、入院する前より入院してからのほうが楽にはなりましたね。入院して1カ月ぐらいたった頃には、電話とかでも十分しゃべれるようになってきて、それはちょっとびっくりしましたね。

岸田  治療、どんぐらいやったんですか。

ケン  最終的には8週間。放射線が2グレイが1回で、33回したんですかね。

岸田  なくなってることになった。じゃあ、切ってもないし。

ケン  はい。

岸田  今は自前の舌。

ケン  そうですね。

 

【家族】

岸田  ケンさんのときの家族、ご両親とか含めて、家族構成を教えていただきたいと思っております。

ケン  はい。両親2人と、弟が1人と、妻と、それぐらいですかね。

岸田  がんとなったときに家族にはどう伝えましたか。

ケン  「がんだった」って言ったような気がしますね。

岸田  それは電話で。

ケン  いや、親には自分で言った記憶はないですね。妻から言ってもらったかもしれないですね。

岸田  奥さんに、けど、ついてきてもらってないですよね、さっきの宣告をされたときって「1人で来たんですか」って言われたぐらいだから。

ケン  そう。そこに1人で行って、そこで言われて、帰ってきて、言ったみたいな。

岸田  奥さんの反応どうでした?

ケン  泣いてましたね。

岸田  そのときのケンさんの行動は。

ケン  あんまり覚えてないですけど、僕も人のことを構ってる状態じゃなかったんで。

岸田  その後、サポートはどうでした? 奥さんだったりだとか、ご家族の。

ケン  サポートは、すごくよくしてくれたですね。ただ、親とか家族とかは、なんか、「一刻も早く切ってほしい」みたいなことを言ってたときもありましたけど。

岸田  それ、どうしたんですか。だって、親は切ってほしいっていう方向じゃないですか。自分は切りたくないっていう方向じゃないですか。

ケン  うん。

岸田  結構、けんかに。

ケン  けんかには別にならなかったですけど、東京の病院のセカンドオピニオンを受けに行く新幹線の中で、必死にノートに、痛くてしゃべれなかったんで、殴り書きで、俺は絶対切らないとか書いた覚えがありますね。

岸田  親にめちゃくちゃ、切らないっていうことを伝えてたと。

ケン  そうですね。

岸田  ご両親も、そこまで言うんだったらっていうことで納得してくれたんですかね。

ケン  そうですね。それでも切れみたいなことは言わなかったですね。

【仕事】

岸田  というところで。どんなお仕事をされてるんですか。

ケン  僕は市役所に勤めてますね。

岸田  会社としては普通にそこから休みを。

ケン  そうですね。休むことについては、本当に、残った係のメンバーで何とかしていくから安心して行ってこいっていう感じで送り出してくれましたね。

岸田  仕事復帰に関しては、どれぐらい仕事を休まれました?

ケン  入院してた間は当然休んで、戻ってきてから1カ月ぐらい休んでで。一応、病気休暇の制度が90日までは取れて、それを超えると今度は休職になってしまうんで、個人的には病気休暇の間に復帰したいなっていうので、90日マックス取って復帰した気がしますね。

岸田  じゃあ、社会復帰して、大変じゃなかったですか。最初は。そのまんま、フルタイムで復帰したんですか。

ケン  そうなんですよ。

岸田  すごいですね。

ケン  そこが今でも、本当に、ちょっと、会社に要望したいとこではあるんですけど。時短勤務とか、そういう制度ってあんまり。

岸田  なかった。

ケン  こういう病気にはなくて。育児とか介護とかだったら、そういう制度があるのに、休職か完全復帰かの2択みたいな感じだったんで。もちろん、仕事の内容自体は配慮してもらって軽いものからやらせてもらったんで。

岸田  休職は考えなかったんですか。

ケン  休職はその時点では、なんか、考えなかったですね。

岸田  そうなんですね。それで戻ってからフルで。フルで働けました?

ケン  普通どおりには。しんどいときは休み取ったりとかはしましたけど、何とか。

岸田  そういうところであれば。ありがとうございます。

【つらい、克服】

岸田  肉体的と精神的につらかったとこ、それぞれ、もし可能であれば言っていただいて、それをどう乗り越えたか、お願いできますでしょうか。

ケン  肉体的っていうと、どっちかっていうと治療に入る前の、口から血が出てきたりとかしゃべるのもままならないぐらい痛かったっていうときが一番つらかったですね。治療が終わってからは、それは何となく、しんどいなとかだるいなっていうのはありますけど、そういう痛み的なものはそんなになかったですね。

岸田  ただ、精神的なほうが。

ケン  入院してたときよりも職場に戻ってからのほうが精神的にはしんどかったですね。

岸田  そうなんですね。それは何でですか。

ケン  入院してるときって、正直、周り、みんな病気の人ばっかりなんで、そんなに、なんか、自分が劣等感を感じたりとかすることってなかったですけど、職場に戻ると、周りは楽しそうに、幸せそうにしてる人たちも多いんで。そういう話に、なかなか、楽しい気持ちで乗ってくってことができなかったですね。

岸田  そこの他の、一般の健常者といわれる、普通に働いてる人たちとのギャップだったりとか、そういった比較してしまったということですかね。

ケン  そうですね。

岸田  ちなみに、それはどう克服してったんですか。

ケン  それはまだ、今でも完全に克服できてるわけではないですけど、いろんな本を読んだりとか、そういう中で。

岸田  本を読む。

ケン  そうですね。ヒントを見つけていって、それをなるべく日常生活で実践していこうかなっていう。

ケン  あとは最近、ちょっとヨガにはまってまして。

岸田  それ、落ち着きます? やったら。

ケン  はい。

【後遺症】

ケン  やっぱり一番ひどいのは味覚障害ですね。

岸田  放射線による味覚障害。どんな感じなんですか。

ケン  すごく表現が難しいんですけど、味が遠いっていうんですかね、ぼやけてるというか。

岸田  もうちょっと前に来てくれたらみたいな。

ケン  そうなんですよ。抗がん剤のときのような、なんか変な味がするとか、何食べても苦いとか、そんなんではないんですよね。焦点がぼやけたような感じで。

岸田  難しいな、それは。

ケン  僕の場合、なんか、日によって目まぐるしく変わるんですね。

岸田  日によって変わる。

ケン  うん。これだっていうぐらい、なんか、ドンピシャでくるときもあれば、悲しくなるぐらい、うーんっていう日もあったりっていうのがあって。先生も、ちょっと、首をかしげてるような感じですね。

岸田  例えば、味が遠いって何食べたら。

ケン  うまく言えないですけど、本当は濃いスープが水で倍とか3倍とかに薄めたようなスープの味がするとか、そういうイメージですかね。

岸田  それ、どう、克服するとかあります? めっちゃ香辛料入れるとかは。

ケン  そういうことはしないですね。時間の経過と共に、ある程度のところまでは戻るっていうふうには言われてるんで、それを信じて待ってる感じなんですけどね。

岸田  それ以外は。だって、切らなかったからね、今もしゃべれてますし。

ケン  長時間話すと、ちょっとしびれてくるような感じがあったりとか、そういうのはありますね。

岸田  他、よだれが出てくるとか、そういうのはないですか。

ケン  どっちかというと、よだれは少なく、つばの量は少なくなる方向ですね。

岸田  じゃあ、どうするんですか。

ケン  ただ、昔のやり方だったら、本当に唾液が一滴も出なくて、からっからになってとかいうので、すごく困る人たちもいたんですけど、割と最新のIMRTっていう、唾液腺を外して放射線を360度、なんか、回転させながら当てるようなやつでやったんで。

岸田  そうなんですね。じゃあ、逆に口以外での後遺症ってありますか。あまり感覚がないとか、放射線当てて。

ケン  口以外での後遺症っていうのは、あんまりないですけど、この辺の首周りにも当てたんで、たまに、凝ったような、違和感みたいなのは時々あったりとかはしますけど。

岸田  ありがとうございます。味覚障害が一番大きいというところですね。

ケン  そうですね。むしろ、がんがどうこうっていうよりも味覚障害が。最近、それと戦っているような感じですね。

岸田  ちなみに、そういうときにお薦めの食べ物ってありますか。

ケン  そうだな。

岸田  つらさは感じるんだったらつらいラーメンとかそういったものだったら、全然普通の感覚になるのかなとか。

ケン  コクがないですもんね。

岸田  ただつらいだけ。

ケン  どっちかというと、シンプルなもののほうがおいしく。ただ、ラーメンもすごくコクがあっておいしいなっていう日と、ない日とがあるんですかね。

岸田  シンプルなほうがいいんですね、逆に。

ケン  マックのポテトとか、ああいうのは割とおいしく感じますね。

ケン  訳分からないんですよね。かと思えば、この前、ベトナム料理の、鶏が乗っかったご飯みたいなのが、やたらおいしかったりしたときもあったし。

岸田  カオマンガイ。

ケン  そう。複雑な味のはずなのになと思ったり。ちょっと、訳分からないですね。

【反省】

ケン  9月ぐらいに、2016年の9月に分かったんですけど。

岸田  はい。

ケン  6月とか、それぐらいのときから、妻が「精密検査に行け」みたいなことを、しつこく言ってた時期があって、適当に流してたんですけど、たまには人の言うことを聞いて、その段階で行ってれば、もうちょっと違う方向もあったのかなっていうのは思いますね。

岸田  確かに。そのときの人のアドバイスをよく聞いたらよかったっていうのは、僕もそれはそう思います。

ケン  大体そういうのを聞かずに自分で決めるタイプなんですけど。

岸田  ありがとうございます。人のアドバイスは素直に聞こうと。

 

【感謝】

ケン  本当、入院した東北の病院のスタッフの人たちは本当によくてっていうか、事務的じゃなくて、すごく心に寄り添って対応してくれた方ばっかりだったので、それは本当にうれしかったですね。

岸田  やっぱ、そうですよね。寄り添ってくれるって一番ありがたいですよね。

ケン  僕、割と細かいことを聞きたがるんで、30分ぐらいベッドのサイドで聞き続けたりしても嫌な顔一つせずに、何でも聞いてくださいっていう感じで答えてくれて。

岸田  何でも答えてくれるって、すごいありがたいですよね。

ケン  あなたはこういう性格だから、こういう言い回しすると不安に思うかもしれないけども、みたいな、こっちのキャラとかも踏まえた上で言葉を選んで話してくれるみたいな。

岸田  そうですね、比較的、ケンさんには、ばしっと言ってもらったほうがいいって感じですもんね。

ケン  その日の気分によるかもしれないので難しいんですけど。だから、ちゃんと、その辺の心のひだを踏まえた上で、なんか、対応してくれる医療従事者っていうのは本当にありがたいなって思いますね。

 

【キャンサーギフト】

岸田  キャンサーギフトって、初めて聞いた方もいらっしゃるかもしれないのでお伝えすると、がんになって失うこともたくさんあると思うんですけれども、あえて、何か、がんになって良かったこととか、得られたものがあればといったところで、キャンサーギフトという言葉があるんですけれども。もし何かあれば。

ケン  まだ、これがキャンサーギフトだっていう、胸を張って言えるほどのものはあれですけど、ただ、やっぱり、病気になる前は、自分でも苦しい生き方をしてたような気はするんですよね。一見、そつなく生きてるようで、自分を追い詰めて生きてたような。あんまりスピリチュアルなことに興味があるわけではないんですけど、そういうののきっかけとして病気が出たのかなって、今は思うようにしてて。今は、ヨガとかを通じて、少し、自分の心と体に向き合いながら、もうちょっと楽な生き方をしていくのを模索してるような感じなんで、いい意味でも吹っ切れたっていうか、あれこれ考えず、やりたいように適当にやってけばいいかなって、ちょっと力が抜けた部分はあるかもしれないですね。だから、そういう生き方を、ちょっと見直して、もうちょっと自分を楽に、大事にしていくきっかけにはなったっていうのが一つかなっていう。あとは、もちろん、そういう病気になってから出会った方たちもいて、きょうも応援に来てくれた人たちもいるので。

岸田  そうですよね。きょう、応援に来てくださった方。すごい。

ケン  そう。そういうのは本当に大事な財産かなっていうふうには思ってますね。

【変化】

ケン  働き方自体は別に変わってないですけど、仕事のこととかをあれこれと、帰ってからも、こうがいいかなとか考えたりとか、前はしてましたけど、あんまり考えないようにしましたね。

岸田  あまり考えないように。

ケン  そうですね。あと、やりたいことは先延ばしにしないで、前はやりたいことがあったときにメリットとかデメリットとか、ごちゃごちゃ考えながらやってたような気がするんですけど、今は、気持ち的にやりたいって思ったら、即やるようにしたりとか、そういうふうには心掛けてるかな。

【メッセージ】

ケン  僕自身も、まだ絶望と希望が、本当に、行ったり来たりする日々なんですけど、その絶望の向こうに、生まれ変わる自分があるなってことを信じて、心の中にある小さな光を絶やさないで闘病とかに頑張ってほしいなっていうふうに思ってます。

岸田  『絶望の向こうに生まれ変わる自分を信じて、心の小さな光を絶やさないでほしい』。

ケン  僕自身、さっき言ったように、キャンサーギフトの一つとして、病気がきっかけで、ちょっと自分の生き方を見直すきっかけになったっていうのがあるので、それぞれ、その病気になった背景っていうのは違うっていうのかな、こうだって断定できるものはないとは思うんですけど、ただ、何かしらの無理したりとか、そういう部分がきっかけでなったっていう方はもしかしたら多いのかなっていう気もするので、病気をきっかけに、その向こうに待ってる新しい世界みたいなものがあるっていうことを信じてほしいなっていうのと、本当に闘病中って絶望感でいっぱいだとは思うんですけど、全部が全部、絶望感だって思わないで、その中になんかちょっとでもいいことだったり、その向こうに、何か見つかりそうなきっかけの光を見失わないでほしいかなって。そういうのが、少しでもあると乗り越えるきっかけになると思うんですけど、それも全部見失ってしまって、全部が真っ黒になってしまったら、どこかで折れてしまう可能性もあると思うので、そういう部分を何か闘病中から見つけて、その部分にフォーカスするのを続けてほしいなっていう意味です。

岸田  ありがとうございます。

 

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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