「がんは黒歴史。なかったことにしたかった。」看護師の樋口さんを突如襲った甲状腺がん。治療後、彼女に訪れた転機、心境の変化、そして夢とは――。看護師ならではの経験もたくさん語っていただきました。

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:樋口

更新日:2019.05.13

 

【発覚~宣告】

樋口 私は甲状腺がんで、ステージは甲状腺がんの分類では1で、一般的ながんの分類だと3になります。2012年12月に分かって、そのときは看護師をしてたんですけど、ずっと気付かなくて、夏で髪をアップにしたとき、なんかポコッとしてるなと思って病院に行ったら、これはちょっと普通のものではないということで、入院になって手術をしています。
岸田 腫れてるなって気づいた2012年12月より前から腫れてたんですか。
樋口 多分、私のがんは2年もの。甲状腺がんっていうのは、じわじわと大きくなるがんなので、ここまで育つにはだいぶ年月を経たんだろうなって、私はなぜ抱え込んだまま気付かなかったんだろうなっていう大きさまでした。ちょっと大き過ぎたので「一般的な甲状腺がんと違って手術はちょっと大掛かりなものになるよ」って言われました。実は私「がんです」って言われたことが一回もなくて。当時、5年ぐらい前なんですけど、検査でCTを撮って「これはちょっと怪しいから細胞診いこうか」って言われて。「これって悪性なんですか」って聞いたら「うーん」って濁されて、細胞診を受けました。細胞診で「じゃ、手術いきましょう」って。いろんながんのタイプがあるんですけど、「これは乳頭がん?何がんですか」って言ったら「まあ、じゃあ、乳頭がんなんです、一応」って。
岸田 じゃあ、細胞診のときに、そうかもしれない、ぐらいで。
樋口 分かってはいたんだと思うんだけど、「がんなので手術しましょう」とは言われなかったんですよ。やっぱり、ああ、言いづらいことなのかなと思って。若いし、医療者・看護師だし、看護師だったら、やっぱり看護師って書かれるんです、カルテに。
岸田 当時、看護師されてた病院ですか。
樋口 違う病院です。私の中でやっぱりがんは負のイメージがあって、治療してる間は私じゃなくしたかったんですよ。私の人生の中から消したかったの。だから、別の病院に行って治療して普通に戻ってきたかったんです。黒歴史として、どっかに置いて、ないことになって戻ってきたかったの。
岸田 じゃあ、あえて違う病院を…。
樋口 あえて違う病院を選んだし、自分の治療のことも病棟の師長と偉い人にしか言わなかった。

【治療】

岸田 治療は手術だけ?
樋口 手術と、甲状腺がん特有なんですけど放射線の内照射っていうのを受けました。甲状腺がんは、抗がん剤が効かないがんなのよね。だから、放射線の帯びたカプセルを飲んで内側から焼くんですけど、放射腺を取り込みやすくするためにちょっと食事療法があったりとか、食べちゃいけないものがあったりとか。鉄の部屋に3日間ぐらい閉じ込められるの。やりとりも一つの窓だけ。ご飯そこから運ばれてきて食べて、紙とかその場でそこに捨てて、着てるものも捨ててそこで。下界に持ち込んではいけないの。で、出るときは、ピーってやって、ピーって言わなかったら出ていいよって。
岸田 それって手術してから?手術する前?
樋口 手術してから。化学療法で普通焼き切るじゃないですか。ほかの余ってる細胞とか。甲状腺がんは、その代わりが放射線の内側から焼くってやる方法なんですよ。ちょっと独特な治療法。
岸田 全身麻酔だと「下手したら・・」みたいな説明されると思うんですけど、医療者やからそんなん全然大丈夫?
樋口 全然大丈夫じゃなくて。多分、医療者に独特だと思うんですけど、病状説明の手続きのときに、私たちって全部分かるんですね。だから、結局何が起こるっていうのが全部理解できるんです。最悪こういうことになるなっていうのが全部筋道立てて頭の中に入るんですよ。あ、こういうことも起こるよね。こういうことも起こる。ジェットコースターみたいに暴走してたの。それが医療者あるあるかもしれない。
岸田 実際手術に行くとき結構不安じゃなかった?
樋口 皆さん、手術やったことある人は分かると思うんですけど、なんか乗るじゃない?
岸田 ストレッチャー的なね。
樋口 それに乗らなきゃいけなくて。そこから見た世界って、こんな怖いんだって思って。ここまでしか見えない人がこうやって声掛けてくれるんだけど、全然温かみないよね。私、乗せる側にいたんですよ。機械的にやってたなと思って、こんな世界なんだと思って、やっぱ怖かったですね。体験して初めて分かった。
岸田 手術自体は2、3時間?
樋口 それが、普通はそうだったんですけど、私の場合ちょっと腫瘍が大きくて、いろんなとこに張り付いてたんですよね。なので、6、7時間ぐらいかかって。もともと「危ないよ」と言われてて。「食べることもできないかもしんないし、しゃべることもできないかもしんない」って言われてたの。ちょっと激しいタイプの手術だったので、目覚めたときはすごいキラキラキラキラしてました。すごい。私、手動く。しゃべれる。息できる。ごっくん、みたいな。あの瞬間は今でもずっと覚えてます。かみしめる感触、この世界を。
岸田 その後すぐ鉄の部屋に行った感じ?
樋口 鉄の部屋に行くまでちょっと段階があって、手術してるからちょっと組織がもろいじゃん。だから、整えるまでお時間が必要で、半年か1年空けないといけない。だけど残存の大きなリンパ節転移が見つかっちゃって、また手術しないといけなくなっちゃったから、結局1年ぐらいは空いた形になりました。
岸田 それで、鉄の部屋に3日間行ってから、それで終わり?
樋口 鉄の部屋×2して。
岸田 それは3日間を。
樋口 また半年後に。
岸田 そんな空くんや。
樋口 そう、空けないといけないっていうのがあって。やっぱ、いいことじゃないから。連続してやっちゃうと体への負担が大きいし、生理とかも止まったりとか、そういうのもあるから、ちょっとリセット期間は必要だったりして。
岸田 現在はホルモン療法で経過観察中。ホルモン療法はどんなの?
樋口 私が甲状腺全部取っちゃってるんで、まずホルモンが必要っていうのもあるんだけど、ホルモンを人工的に入れてあげることで残ってるかもしれない甲状腺の活動を抑えることでがん化を防ぐっていう。これは一生続けないといけなくて。そういう形で守っています、体を。
岸田 ちょっと当時の写真をいきたいと思うんですけど。
樋口 これは、みんなすごくミュージカルが好きで。
岸田 『RENT』って書いてますもんね。ミュージカルといえば。
樋口 そうです。ミュージカルは好きですね。上のが、東京、千葉、長崎、熊本、富山っていういろんな全国の友達とミュージカルを見に行ってたっていう写真です。下の写真も、ミュージカル『RENT』っていう私のがんの闘病中にすごい支えになってくれたミュージカルになっています。本当、趣味にまい進してました。
岸田 じゃ、この人たちに唯一。
樋口 そうです。これ、手術の直前の写真なんですけど、このみんなは身近にはいなかったので、がんになったことを言わなきゃいけなかったんです。だって私もしかしたら死ぬかもしれないし、死んだことが分かんなくなっちゃう、近くにいないから。この人たちにだけは「ちょっとがんになって手術しなきゃいけないんだよね」って。「次いつ会えるか分かんないんです」って言って。逆に身近な人には、私の人生の中でがんっていう期間をなくして、普通に戻りたかったもんだから、その当時は手術するってことはほとんど必要最低限の人にしか言わなかった。

 

 

【恋愛】

岸田 言える範囲でいいからね。当時は彼氏さん、いらっしゃいましたか。
樋口 当時はいたね。でも、すぐ病気が分かってそれどころじゃないなって思ったのもあったんですけど。こっちから必要としてはいないです、失礼だけどね。
岸田 もう自分でいっぱいいっぱいってことよね。
樋口 いろいろあって、今はいないんだけど、私の中の一番の原因がやっぱりこうやってオープンにしてるじゃん?一見オープンなんだけど、闇の部分があって。仲良くなって、ご飯行くよね。で、がんだとかってときに、どうせ分かってないでしょって思っちゃうの。私が言ってない部分もあるから。それだけで見てるじゃん、って思っちゃう部分もあるのよ。闇でしょ、本当に。ちょっと駄目な部分があって。
岸田 こいつ、私の全てを知っていない、って。
樋口 オープンにしといて、オープンにしてない自分がいる。だから、そういうふうな目で見ちゃうし、私、過去に鉄の部屋に入ってたときに「生理が止まるかも」って言われたのよ。で、当時って、妊よう性とか言われてなかったよね、そんなに。
岸田 2012年当時ね。
樋口 そう、妊よう性とか、子どもを産むとか卵子の機能とかっていうのは言われてなくって、そんなに。あ、生理、止まるんだ、ふーん。でも、戻るんでしょみたいな感じで思ってたんだけれども、自分が勉強するにつれて、いろんな方と知り合って、生殖医療をやってる方と出会って、先生にも「やっぱそれは一応検査したほうがいいよ」って。「生理があっても排卵が起きてるかどうかまた別問題だから」って言われたりするわけですよ。となると、気軽にはいきづらくなるなっていうのがある。検査とかすればいいんだろうけど、はっきりとは言えない部分もあって、ちょっともやもやもやもやしてるんだよね。
そうやって、妊よう性とかも検査して分かったら、それを前提に付き合ってもらいたいなっていう思いもあって、ちゃんと言わなきゃいけないし、それを抱擁してくれる人がいいじゃん?
岸田 心の器がね。
樋口 広い人がいい。もちろん今勉強が忙しいのもあるんだけど、そういうのもあると思うなと。

【仕事】

岸田 看護師をしていたってことでしたが、当時、上司・師長にどう伝えて休んで、みんなにはどう悟られないようにしたのか。
樋口 検査のためにお休みをもらわなくちゃいけないことが何回かあって、そのときに「実はもしかしたらがんかもしれなくて」って、で、お休みをいただいて、結局悪性っぽいから、「ちょっと手術をしなきゃいけないから、お休みもらってもいいですか」って言ったんだけど、周りの人には悟られたくなかったから、「なんか検査して取らなきゃいけないものがあったんです」って。「ちょっと休みもらいます」って言って出てって。
岸田 復職するとき、鉄の部屋とかで間空けたりするんで、その期間はどうしたんすか。
樋口 一応働きました。日勤の看護師に変えてもらったんです。偉い人に相談に行って、まだ治療もあるから、それなら日勤のところに行く?って感じで行ったんです。
でも、休職してた期間が一番病んでて、私が。ずっと家にいたんですけど、ネットで甲状腺、がん、看護師、経過とか、甲状腺がん、若年、看護師とかで検索しまくってたの。でも、誰一人、甲状腺がんになって看護師してて働いてる人っていうのはヒットしなくて。やっぱり同じ状況の人を探したくなる。私と同じ立場、同じ職で、今こういうふうにちゃんと活動できてる人っているのかなと思って。
岸田 そういうのを探したけど、いなかった。もうそこから闇モードに。
樋口 闇モード。ブラック麻衣子になって。ずっと夜寝れなかったりとか、何もしてない期間があって。でも、手術する前に、今から頑張るからミュージカルを見まくって手術望むぞと思って、だいぶはじけた4日間ぐらいがあって。そしたら、お金がなくて。むっちゃ使うから。
岸田 大阪とか行ってるでしょ。
樋口 大阪とか東京とか。で、使っちゃって。あれ?と思って。今のままだとミュージカル見れないし、お金ないし、生き残っちゃったし、これからどう生活してくんだ?となって、しょうがなく復職したんですよ。
岸田 公的な保障とかなかったんすか。
樋口 ないです、全く。看護師は共済保険ぐらいで。私、保険に入ってなかったんです。だから自腹。全部自分のお金でやってたから。
岸田 それで、1カ月半で復職。そんときの写真?
樋口 これ、化学療法センターのスタッフと隣の方が企業さんの写真なんです。
岸田 企業の方の写真?
樋口 はい、一緒に撮りました。私、仕事で部署が変わって。唯一空いてた部署だからって外来化学療法室に異動だったんです、まさかの。なんだけど、このおかげで私の今があるなと思っていて。私、復職当時は、こんな頑張ったんだから、別に何も頑張んなくていいじゃんって自暴自棄になったんです。大変な思いしたんだから、楽に生きればいいじゃんって思ってたんだけど、化学療法室に行って、患者さんもだけど、スタッフの皆さんがすごい患者さんのために頑張ってたんですよ。22時ぐらいまで残ってる人もいるし、分からないからって言って、すごい調べたりとか。自分って自分だけ頑張ってると思うじゃん、当事者だったら。だけど、ちょっと出てみると、裏でこんなふうに頑張ってくれてる人もいるなと思って。先生もだけど、闘ってくれてるのね、がんの医療を良くするために。
あと、患者さんに出会って、患者さんの姿見て、これって全然哀れじゃないなと思って。すごい輝いて見えたんですよ。すごいかっこいいなと思って。こういうふうに目の前のこと一つ一つ乗り越えて、治療は副作用もあるけど向き合って、でも日常生活も変わらず過ごそうと思って努力してる患者さんに出会って、私は何を思ってたんだろうって。がんになっても、その人らしく生きれるし、がんの名前だけでその人のイメージって決まらないなと思って。
医療者だけじゃなくて、企業の人も。先生も慣れないこととかもある。薬の使い方とか、副作用対策とか、ちょっと足りない部分もあって。そういうときも、私たちが、こうなんですよって言ったら、真っ先に駆けつけてくれて、こうですって伝えてくれたりとか、患者さんが初めてのお薬使うときに、やっぱり来てくれるの。「大丈夫でした?」って。毎回確認に来てくれて「患者さん、困ってることありませんか」って。裏ですごい走り回ってくれてて。いろんな人に支えられてるんだなと思って。

【学校】

岸田 学校のこと。なぜ学校なのか、話ししてもらっていいですか。
樋口 いったんちょっと退職して今、女子大生をしておりまして。
岸田 花の女子大生。
樋口 花が付くか分かんないけど、女子大生をしてまして、大学院でがんの専門看護師になるために今、勉強をしてます。そのきっかけも化学療法センターにあったと思うんです。やっぱりうちらって治療してるときに、がん患者さんって、がん患者さんとしか見てなかったなって。一人一人に人生があって、その人生にあった治療もある。でもまだ、私の病院の中の話ですけど、病院として動かさないといけない部分がいっぱいあるなと思って。だとすると、私はこのままの看護師じゃなくて専門を取得して、そうなれる人にならなきゃいけないと思って。多分体験者あるあるだと思うんだけど、ちょっと感情的になっちゃうのよ。それじゃやっぱりだめで、情じゃなくて知の部分で動かさないといけないから。「こういう研究もあるし、こういう流れだし、だからこうしなきゃいけないんです」ってことをちゃんと言えるようにならないといけないなと思って。で、女子大生になる決心をしました。

【辛かったこと・克服法】

岸田 どういうことが肉体的、精神的につらくて、どう克服したか。
樋口 患者さんって結構そうだと思うんですけど、当時は自分に与えられた治療って頑張るもんだと思ってたんですよ。やり切らなきゃいけないって思ってて。精神的に一番つらかったのは若年世代だったのもあるし、やっぱりがんイコール死とか、哀れな人っていうイメージがどうしてもあって、それが一番つらかった。
がんであっても、今をこういうふうに生きてけるんだっていうのを直接患者さんから見せてもらえたことで、こういう生き方ができるのかなって身をもって体験できたっていうのが本当にありがたかったし、すごい支えだった。
治験もやってたんです。治験ってすごい大変なのよね。私の治療法ができるのは多くの人たちが実際に自分の体で試してくれて、大丈夫って分かったから。そういう流れも見て、1人じゃないなって。すごい包まれてるような感じがして。
岸田 当初、黒歴史にしたかった、誰にも言わなかったっていうのは、どのタイミングでオープンにしだしたんですか。
樋口 面と向かって言えるようになったのは化学療法室に異動して、いろんな患者さんを見てから。なんか誇れるようになったというか。つらいときも、頑張って悩んで、もがいた時間って今思えばいろいろ使えるというか、人生の新しい一面だったんだな、っていうふうに思えるようになりました。患者さんのおかげです。

 

【後遺症】

岸田 今、後遺症はありますか。
樋口 ぱっと見、分かんないと思うんですけど、疲れやすいっていうのもありますし、あと、リンパ節を結構取ってるので、風邪とか病気、ばい菌とかと戦ってくれるのが少ないんですよ。ちょっとした風邪で大変なことに。手術の影響で神経がちょっと傷ついているので咳が止まらなくなったりとか。あと、冬になるとここがモコモコするの。腫れてくる。年数たって検査とかしなくても、一緒にずっと生きてかないといけない。なかったことにできないなって感じました。
岸田 今はもう一緒に付き合っていけそうな感じ?
樋口 そうです。「休んでばっかいるんですよ」って患者さんも言うんですよ。休む時間も次のためにはすごく大事な時間なんです。だから私は意味ある休みだと思って休みます。

【夢】

樋口 取りあえず私は今、学生なので、まず卒業するっていう。地味に。
岸田 卒業したらどこに行くん? もといた病院なのか。
樋口 戻ろうと考えていますけど。まずは卒業かなと思っています。
樋口 私は、患者さんにとってがんと一緒に暮らせるっていうのはすごくキーワードだと思ってます。がんのイメージってやっぱりどうしてもまだ死とかあるんだけど、研究してる方とかに会うと、今、日本でこういう研究が進んでるって分かる。もしかしてがんってなくなるんじゃないかって希望が見えてきたりするんですよ。でもそういうのって、実際患者さんには伝わってないし、それが見えてなかったりするんですよね。そういうのも踏まえて、がんであっても自分らしく生きれるように病院の役割が大切。やっぱ、がんになって一番に病院行くじゃない。ファーストコンタクトって私たちなわけ。そこでどんな対応をされるかによってその人の人生とかその人の期間が決まってくると思うんですよね。それは強く感じたので、それをちょっとどうにかしたいなって思ってます。

【今、闘病中のあなたへ】

樋口 『No day But today』。私が大好きなミュージカルの一言で、『過去も未来も必要ない。大切なのは今を精いっぱい生きること』だっていうメッセージなんですけど。私ががんって宣告されてミュージカルざんまいしたときの一言で。やっぱりどうしても、がんになったら、なんであのときこうしなかったんだろうとか、私、どうなるんかなって、未来とか想像できなくなってしまいがちなんだけど、そうじゃなくって、やっぱり今なんだと。今が未来につながってくんだなって思って、今をどう生きるかっていうのが大事なんだなっていうふうにミュージカルの一言を見て気付かせてもらったんですよね。
岸田 この今の積み重ねですもんね。未来っていうのは。
樋口 どうしても私たち、ぽんと飛び越えて未来がって思いがちなんだけど、がんって言われると。
岸田 『過去も未来も必要ない。大切なのは今を精いっぱい生きること』。
樋口 だからこそ、今っていうのは私たちも医療者として大事にしたいなとは思っています。

 

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