インタビュアー:岸田 / ゲスト:まぁ

【発覚・告知】

岸田 自己紹介をお願いします。

まぁちゃん(以下:まぁ) まぁちゃんです。よろしくお願いします。がんの種類は鼻前庭腺様嚢胞がんです。鼻の穴の鼻毛が生えているあたりのことを鼻前庭と言うんですけど、そのあたりにできたがんです。

岸田 どうやってがんが見つかったのかお聞かせください。

まぁ 虫歯になり放置してしまうと歯茎に膿がたまってすごく痛くなるんですが、3〜4年前から歯茎にそういうのができてしまって。ものすごく痛い治療なので、また痛い思いをするのかなと思って病院に行かなかったんですよ。虫歯だとずっと思っていたし、歯医者がとにかく嫌いだったので。

岸田 わかります(笑)。

まぁ 私、やることが何もかも豪快なので、たまに歯を磨いているときに歯ブラシが滑って、上唇の内側に、ゴン、とかぶつけちゃうんですよ。そのときはすごく痛いんだけど、でもやっぱり治療が怖いから行かなかったんです。もうどうにもならなくなるまで我慢しようと思って。その矢先に、友達から副鼻腔炎の手術をしたらすごく楽になったという話を聞いて。私も鼻炎で、鼻がつまっちゃうことがよくあるから、もしかしたら私も副鼻腔炎かな、なんて思って。軽くネットで調べたらなんとなく症状が当てはまったので、耳鼻科に行ってみようと思ったのがきっかけなんです。近所の小さな耳鼻科に行って、レントゲンを撮ってもらって、そこの病院では副鼻腔炎ですと言われました。

岸田 副鼻腔炎って、鼻の炎症ですか?

まぁ 副鼻腔という空洞があるんですけど、そこに膿が溜まるものです。「がんとか悪いものじゃないよ、大丈夫だよ」 と明るく言われたので、「そうだよね」 と思って(笑)。とりあえず抗生物質を飲んで様子を見ることになったんですけど、一向に症状が良くならなかったんです。先生に「これは手術するしかないから、国立病院を紹介します」と言われて、紹介状を書いてもらって、その国立病院でCTとかMRIとかエコーを撮りました。2か月間くらい通ったんですけど、行くたびに、診断というか先生の様子が変わっていくんですよ。「あれ?」っていう感じ。最初はただ「膿が溜まってるだけだよ」と言っていたのが、「石灰化している」とか、だんだん素人には理解できないようなことを言いはじめて。「うちでも手術はできるけど、万が一悪性だった場合、ここでは手術ができないので、大学病院に紹介状を書くのでそちらでもう一度検査してください」って。

それで、その国立病院で取った細胞と紹介状を持って、大学病院に行って細胞検査をしてもらったら、すぐに腺様嚢胞がんとわかりました。最近ではそこまで珍しくはなくなったそうですが、希少がんといわれる種類のものです。腺様囊胞がんというのは、だいたいできやすい場所が決まっていて、耳下腺(耳の下の唾液腺)や顎下腺(あごの下の唾液腺)などの、大唾液腺にできることが多いんです。私の場合は小唾液腺といって、口の中の粘膜のどこにでもある唾液腺にできました。小唾液腺にできるのは本当にごく稀らしくて、私の通っている病院でも、少唾液腺にできた人はまだ見たことがないと言われました。

岸田 そのときにがんの告知を受けたんですか?

まぁ そうですね。告知を受けたのが 2014年の11月16日なんですけど。けっこうさらっと言われました。「んー、これは、腺様囊胞がんだね」と。その前からネットで調べていたのでその言葉は知っていたし、どういうものなのかもざっくりと理解していたので、なんとなくそうかなという感覚があって。「あ、やっぱりな」という感じで、あまり驚かなかったですね。国立病院で毎回診断が変 わっていた時点で、たぶんこれは悪性なんだろうなって思ってたし。石灰化してるとか、骨が溶けてると言われていたので、悪性の可能性が高いなと。

岸田 骨が溶けるって聞かないですよね。

まぁ はい。だからもうある程度覚悟はできていたので、よくドラマであるような、頭の中が真っ白になったとか、そういうことはなかったですね。「あっそー」みたいな(笑)。

【治療】

岸田 それからどういう治療をすることになったんですか?

まぁ 悪性だったので、国立病院では手術ができないということで、そのまま大学病院に通うことになったんです。私のがんの種類は非常に珍しくて、放射線も抗がん剤も、ほぼ効かない。なので、標準治療は手術がメインで、切除できないような、たとえば顔の欠損が激しくなってしまう場合は、重粒子線治療になるんです。一応、重粒子線治療の話も聞きに行ったんですけど、副作用がものすごくたくさんあると言われて。火傷だったり、 味覚障害だったり、失明する可能性もあったり。いちばん嫌だったのが、確実にあごの骨が壊死すると言われたんです。壊死するとどうなるかというと、口の中にぽっかり穴が空いて、そこから骨が出てきてしまって、そうなると大きく切除しなければいけない。それだったら最初から手術をしようじゃないかと思って、手術を選びました。

岸田 壊死っていうのはきついですね ……。それで手術をしましょうということになって、どれくらいで手術できたんですか?

まぁ 11月にがんを告知されて、1回セカンドオピニオンで別の病院に行ったんですけど、結局そこでも治療法が一緒だったので、じゃあそのまま大学病院で治療しようと思って。手続きをして入院できたのが、2015年の1月ですね。

岸田 鼻のがんなので、鼻から手術をしたんですか?

まぁ 口の中から、硬口蓋という上あごの固い部分を、歯茎も含めて切除しました。

岸田 手術のとき緊張しませんでした?

まぁ 緊張はしたんですけど、私すごく能天気なので、寝ていれば終わるだろうなと。細かいことは考えずに(笑)。

岸田 手術のあと、どうでしたか?

まぁ 1度目の手術とき、私が女なので、 先生は顔の欠損を最小限にとどめてあげたいと思ってくれたらしく、小さめに切除してくれたんです。で、手術のあと、組織を病理検査に回したら、他の組織、たとえば歯茎だったり、鼻と鼻の間の壁、鼻中隔っていうんですけど、この鼻中隔にも浸潤(※1)していることが判明して。さらに安全域を大きく取って切除しなければいけなくなってしまって。

岸田 じゃあ、鼻中隔がなくなったら、 鼻の中がつながっちゃうんですか?

まぁ つながっちゃいます(笑)。それで、再手術しなければいけないと言われたんですけど、その日のうちに決心ができなくて。ただでさえ最初の手術でしゃべりづらくなっていたので、すごく嫌だったんです。「これ以上切るってどういうこと?」って。悩んだんですけど、悩んだところで再手術するしかないと思って。もう、自分の気持ちは後回しで、とりあえず再手術を受けますと先生に言いました。自分の気持ちはあとから持ってこようと思って。その再手術で、硬口蓋を全部摘出しました。

岸田 歯茎とかも含めてですか?

まぁ はい、歯と歯茎と、骨も含め、全部摘出です。そうすると後遺症で、発語と咀嚼に障害が残ります、「もしかしたら一生ペースト食になると思います」と言われたんです。

岸田 そうですよね……だってもう言っちゃえば、「あふぁふぁ」みたいな感じですよね?

まぁ それじゃすまないんですよ。口の中に穴が空いちゃうので、鼻から全部声が抜けちゃう。しゃべれないんです。鼻と口がつながっちゃうので。何を言ってるか全然わからない状態で、鼻から声が抜けちゃうから声も変わってしまうんです。うがいをすれば鼻からピューピュー出るし、食べ物を食べれば鼻からボロボロ出ちゃう、みたいな状態になるのを覚悟で。

岸田 それでも手術を受けようと。それが2回目の手術で、2015年の2月。

まぁ はい。この2度目の手術で、上あごがほぼなくなってしまって。骨も含めてなくなっちゃったので、ずっと入院中はそこにガーゼをつめてたんです。それがすごく痛くて、傷口がむきだしなんです。それにガーゼには軟膏が染み込ませてあるので、とにかく苦いんですよ。すごい苦いしまずいし、ビリビリするし。 それを毎日交換するんですけど、それも苦痛でした。

岸田 じゃあ、もうずっと流動食ですよね。

まぁ 鼻から管を入れて。一応、医薬品なのかな、栄養ドリンクのような、ものを管から入れて栄養は取れていたんですけど、口からは当然何も食べれないし、 飲めないし、という状況がずっと続いていました。

岸田 人工の骨とかに取り替えはできないんですか?

まぁ 2度目の手術のときに、2種類の手術法を伝えられて。1つは、普通に切除したところに義顎と言って、義歯みたいなものをはめこむ方法。もう1つが足の腸骨といって、ふくらはぎのところに2本ある骨の、その片方の骨を移植して、あごの骨の代わりにする手術でした。でも、それをやると完全に左右非対称になってしまって、さらに義顎がはめられないと言われたんです。要するに、もう一生食べることあきらめてくださいという状態です。

岸田 それはけっこうきついですね。

まぁ それはちょっと嫌だなと思って。で、義顎をはめる方法だと、もしかしたら食べられるようになるかもしれないと言われたので、じゃそっちにかけてみようと思って、骨の移植はあきらめました。

岸田 で、義顎をはめられたのですか?

まぁ はい。今、ちょうど義顎が入っている状態です。

岸田 今、全部義歯?

まぁ 上は偽物です。奥歯を1本ずつ残して、あとは全部ないです。

岸田 奥歯は残せたんですね?

まぁ 1本ずつだけ。そうしないと、義歯が金具で固定できないので。一応、固定と言ってもただ引っ掛けるだけで、もうカパカパなんですよ。

岸田 そこから、4月に退院。

まぁ はい。4月に退院したんですけど、 この時点ではまだ、この義歯ができてなくて。鼻から管を入れて、口にはガーゼをつめてる状態でした。傷口はもう落ち着いて、出血もなかったので、もうとりあえず大学病院ではできることはないから、退院して、自宅で療養というか、義顎ができるまで自分で栄養剤を飲んで栄養補給してくださいと。一応、毎週病院には通いますが。

岸田 退院して、そのまま普通に。7月に義顎が完成したんですね?

まぁ はい。義歯が完成して、やっと口から物を食べれるようになって。1月から7月まで半年ずっと、口から物が食べられない状態だったんです。

岸田 その期間、けっこうきついですね。

まぁ きつかったですね。なんか、常におなかが空いてる感じで。やっぱり、液体を胃に入れてもすぐにおなかが空いちゃうので、いくら栄養が取れてるとしても、おなかいっぱいって感覚にはならないし。

岸田 退院してからずっと管は入ったままで、おなかが空いたら管から飲む、みたいな毎日ですか?

まぁ いや、おなかが空いても我慢でしたね。その栄養剤というのが食事と一緒で朝昼晩と3回に分けて入れるんです。

岸田 どういうふうに入れるんですか?

まぁ 普通の点滴みたいな感じで、高い位置のカーテンレールか何かに掛けて、 自分が座っていれば落っこちてくる。

岸田 自分で取り替えるんですか?

まぁ そうです。毎晩、消毒して。

岸田 わー、大変ですね。

まぁ 私、食べることがすごく好きで。口の中にガーゼをつめていたこの時期、夜寝てると、食べ物を食べる夢を見て。

岸田 あー、夢でよかったです。食べ物食べに冷蔵庫あさるのかと。

まぁ 食べ物を食べてる夢を見て、何かを嚙んでるんですよ。はっと目が覚めると、ガーゼを嚙んでるんです。で、あとちょっとで飲み込んじゃうってところで 目が覚めて、おっといけないっていうのが何度かあって。あ、おなか空いてるんだなって(苦笑)。飲み込まなくて良かったです。

 

【仕事】

岸田 次に仕事のことを聞かせてください。当時、どんな仕事をされていて、どうやって復帰されたのか、お伺いできますか?

まぁ はい。今は、老人ホームの調理師をやっています。告知された当日に会社に行って、上司に報告して、シフトの調整をしてもらって。入院の日が決まったら、その日から有休消化だとたぶん長くなっちゃうので、休職扱いにして。傷病手当給付金(※2)をもらいながら休職させてもらって、2015年の10月に復帰したんです。ほんとつい最近なんですけど。

岸田 今はもう普通に仕事されているんですか?

まぁ はい、もう普通に。大丈夫です。

岸田 がんのことは、同僚に言えました?

まぁ その当時、私のいた部署には身内をがんで亡くされた方が多くいて、すごく言いづらい状況だったんです。けど、やっぱり言わないと、隠しちゃいけないなと思って。長く休みをもらうことにもなるし、戻ってきたときに顔も変わるし、しゃべり方も変わっちゃうので、これは言うしかないと思って。心配かけるのは覚悟で。でも極力、心配をかけないために、笑ってようと思って、その人たちの前では絶対に泣かないようにしてましたね。でも、言ったときにやっぱり泣かれてしまったんですけど。「お願いだから、私が笑ってるから泣かないで」と言って「絶対戻ってくるから待ってて」と。

岸田 じゃあ、休職して、またその職場に復帰できたのですね。

まぁ はい、同じ会社で。働いていた施設の施設長に話をしたときに、その施設長自身もいろいろな病気を経験されたみたいで。病気のつらさを分かってくれる人だったので、「心配しなくていいから、ちゃんとここで待っててあげるから、戻っておいで」と言ってくれました。それも、休職する際に励みになりましたね。 帰れる場所があると思えたので。

岸田 普通に勤務できました? 時短とかは?

まぁ 最初の1か月くらいは体力が完全になくなっていたので、デスクワークを中心にやらせてもらって。少しずつ体力を戻して、もう今は普通に現場でバリバリ仕事をやってます。

岸田 現場に戻れるのにどれくらいかかりました?

まぁ 10月に復帰して、完全に現場に戻ったのが11月半ばですかね。けっこう早かったとは思います。無理するなよって言われたんですけど、どこからが限界で、 どこまで行けるかが自分でもわからないので、無理しちゃって、仕事終わって家に帰ってから寝込んだりとか、たまにありました。でも、そうしないと体力もつかないと思ったので、ガンガンやってましたね(笑)。

【お金・保険】

岸田 治療にお金はどれぐらいかかりましたか?

まぁ 高額療養費制度(※3)を受けたので、入院中はだいたい毎月7万〜8万円くらいでした。出費は思ったより大きくはなかったです。たまたま、すごくしっかりした内容の、先進医療とかも出る保険に入ってたんですよ。それを継続してずっとかけてたのが、不幸中の幸いというか、お金の面は逆にプラスになりましたね。でも、お金を取っておかないと、今後、再発・転移したときには、治療費は保険ではカバーできなくなるので、お金はあればあるだけ助かりますね。

岸田 そうなんですよね。通院もありますし。僕は保険に入ってなかったので、何もなかったです。

まぁ やっぱり保険は入ってたほうが絶対にいいですね。がんなんて私には関係ないしと思ってたんですけど、その矢先に、がんと告知を受けて「あれっ」みたいな感じだったので。

岸田 今は2人に1人が、がんになる時代ですからね。

【辛いこと・克服】

岸田 身体的につらかったことや精神的につらかったこと、それをどうやって克服したのかをお聞かせいただきたいと思います。身体的につらかったのはどんなときでしたか?

まぁ 鼻から管を入れられてるときに、ごはんを食べられない状況がすごくつらかったですね。食べられなかったのが1週間とかならまだよかったんですけど、半年間だったので。けっこうつらくて、最初のうちは食べ物のことばかり考えてたんです。だけどあるとき、考え方が変わって。むしろテレビでグルメ番組とか、 大食い選手権みたいなのとかを見て、食べたつもりになる(笑)。食べられるようになったらここのお店に食べに行こう、っていう感じで。

岸田 鼻管を通してるときは、やっぱり体重が減りました?

まぁ いや、変わらなかったですね。カロリーはしっかり取れてたので、痩せなかったんですよ。絶対痩せると思って期待していたんですけど、ダメでしたね (笑)。

岸田 義顎ができてから、リストアップしたお店には食べに行きました?

まぁ そうですね、だいたい。遠くのお店には行ってないですけど。あとお肉を食べに行きました。義顎だと、嚙み切ったり嚙んだりできないので、外出するときもハサミを必ず持ち歩くんです。一口大に切らないと食べられないんですよ。だから、ハサミを持って焼肉屋に行って(笑)

岸田 じゃあ、いつもハサミ持参?

まぁ 持ってます。ハサミとストローは必需品ですね。

岸田 では、精神的につらかったときは?

まぁ 精神的につらかったときは、友達の支えがすごく大きかったですね。普通の友達もなんですけど、同じような境遇のがんサバイバーの友達の助けがすごくありがたかったです。

岸田 気持ちが落ちたのはどのタイミングでした?

まぁ 私ほんと能天気なので、そこまで落ち込むことはなかったです。ただ、ときどき、意味もなく、すごく落ち込んじゃうときがあるんですね、1週間くらいとか。それでも、戻ってくるので。けっこう大丈夫ですね。

【キャンサーギフト】

岸田 がんになって得たものはありますか?

まぁ 得たものは、やっぱり、がんになったからこそ出会えた人たち。ブログをやってるんですけど。

岸田 なんていう名前ですか?

まぁ もうそのまんま、「まぁちゃん」です。「鼻前庭腺様嚢胞癌」で検索したら出てきます。そこで知り合った人たちが、本当に宝物ですね。実際にお会いした人もいるし。みなさんに出会えたおかげでがんばれたというのがありますね。私も顔が変わって、外出するのが嫌だなと思った時期が当然あって。だけどそういうのも克服して、マスクもせずに外出している人もいて、そういう人にすごく勇気づけられました。「そうだ、私は別に悪いことをしたわけじゃないんだから、恥ずかしがらなくたっていいや、笑われてもいいから、素顔をさらけだしていこう」と思って。それで、もう今は全然、隠さずに生活しています。

岸田 そうですね、顔が変わっちゃうと 本当にね。まぁちゃんのその考え方はすごく勇気をもらえますね。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 今、闘病されている方に向けてメッセージをお願いします。

まぁ 「1人じゃないって思えるだけですごく強くなれる。一緒にがんばろう!」 私がとても感じたことは、1人じゃないと思えるだけで、強くなれるというか、つらいことも乗り越えられるんですね。 私も含め、つらいことを乗り越えた人たちはたくさんいるし、やっぱりそれでも乗り越えられなくて、引きこもっちゃってる人も確かにいる。でも、1人じゃないよ、一緒にがんばろうって言いたいですね。

岸田 まぁちゃんのときは、けっこう1人っていう感覚は強かったですか?

まぁ そうですね、やっぱり、身近にサバイバーがいなかったので。ブログをやってしばらくしてから、同じような悩みを抱えた人に出会えて、「あ、1人じゃないんだ」て思えたときに「大丈夫」って思えたんです。1人だと、どんどん悪い方向に考えて、どうせ私なんかっていうかんじでおちこんでいってしまうんですけど、「あの人もがんばってるから私もがんばろう」って思えることって、すごく大事なんですよ。自分自身がそうだったので。実際、私のブログでいろんなものを食べている記事を見て、似たような境遇で上半分が義歯になってしまった人から「普通に食べられるようになったよ」っていう報告をもらったんです。なんか、それがすごくうれしくて、一緒にがんばっていきたいなと思って。きれいごとかもしれないけど、救われる人が1人でもいるんだったら、私はなんでもさらけだそうと思うし、会いに行こうと思う。がんばってほしい、その一言ですね。

 

 

※1 浸潤・・・・・・がんが周りに広がっていくこと。

※2 傷病手当給付金・・・・・・病気やケガのために会社を休み、十分な報酬が受けられない場合に支給される。

※3 高額療養費制度・・・・・・同一月にかかった医療費の自己負担が高額になった場合、自己負担限度額を超えた分が、あとで払い戻される制度。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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