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インタビュアー:岸田 / ゲスト:清水

「乃木坂を推すことが生きがい」——社会保険労務士、清水公一さん

岸田 はい、それではがんノートorigin、スタートしていきたいと思います。今日のゲストは清水さんです。清水さん、今日はよろしくお願いします。

清水 はい、お願いします。

岸田 清水さん、簡単に自己紹介お願いできますでしょうか。

清水 はい、清水公一です。肺がんサバイバーで、今社会保険労務士をやっております。よろしくお願いします。

岸田 はい、お願いいたします。ということで、清水さんはもう出身が熊本で、そして今は千葉にお住まいでといったところで、社会保険労務士、こちらについても後でまた説明をいただきたいと思いますが、趣味が乃木坂46ということで。

清水 そうですね、乃木坂を推すことが生きがいですね。

岸田 いや、これも深い意味があるんですよ。深い意味というか闘病の時にね、また語っていただきますけれども。ちなみに、乃木坂46の中では誰推しとか。

清水 あー、いい質問ですね。

岸田 ありがとうございます。質問するのが生きがいなので。

清水 梅澤美波ちゃんです。

岸田 おっ。みなさんね。

清水 知らないでしょう。

岸田 ぜひググってください、僕も後でググります。ありがとうございます。僕ね、まいやんさんだったりとかね、飛鳥さんのあたりで卒業されていってといったところでまだ取り残されているので、ちょっと後でググりたいと思います。そして、肺がんのステージ4で35歳の時に罹患されて、46歳となっています。治療は放射線だったり抗がん剤、手術などコンプリートされているというところになります。

結婚、長男誕生、そして転職前の健康診断——グラフでたどる清水さんの浮き沈み

岸田 そんな清水さんの色々ここからお話、ペイシェントジャーニーを伺っていきたいなということを思っております。
では、ちょっとoriginにはなるんですけれども、めちゃくちゃ清水さんもうほんとに色んな事象があって、これたぶん文字で見るよりも実際の浮き沈みのグラフで見た方が早いなということ思いましたので、ちょっと今回このようなペイシェントジャーニーで、時間経過だったり吹き出しこのようなかたちとなっておりますので、ちょっと見ていただければと思います。
まず、はい、こんなかたちとなっているというところがありまして、このような浮き沈み。もうこれ見ていただいたら様々分かるかと思うんですけれども、ちょっとそれをお伺いしていきたいなと思います。まずはじめ、ご結婚されていってそこからちょっと上がっていく、長男が誕生されていくというかたちとなっております。これ別に、結婚がちょっとマックスいいっていうわけじゃないのは、ちょっと色々あるからですよね。色々ない、ちゃんと。

清水 知らない男女が一緒に住むわけですから、生活感の違いとかはそれは感じることはありますけど、幸せでした。

岸田 幸せ。ごめんなさい、そのフォローをしたかったのにぜんぜん違うフォローをしてしまいました。そこから上がっていくといったところで、ご長男が誕生されていき、この時は本当にもうがんのがの字もなかったと。

清水 そうですね、なのでこれから家族養っていかないといけないなという思いはありましたね。

「入社前の健康診断で肺がんが見つかった」——転職の内定直後、35歳の告知

岸田 といったところになります。ただ、そこから下がっていきます。それがこちら、ご転職をされていって、そして入社前の健康診断を受けられていくということなんですけれど、ちょっと教えていただけますか。

清水 前の会社辞めて、ちょっとスキルアップしたいなという、家族も増えたので大きいお金増やしたいなという思いで転職をして、その時に内定をいただいた会社の入社前健康診断で肺のレントゲンを撮ったら、そこで肺がんが見つかったというかたちになります。

岸田 以前のお仕事はどんなお仕事されていたんですか。

清水 その前ですか。

岸田 はい。

清水 その前、飲食店で働いてました。

岸田 飲食店で。

清水 そうなんです。

岸田 ウエイター的な。

清水 そうですね、何でもやっていました。

岸田 何でも。そっか、社員としてやから、もう全部。

清水 そうですね。全く畑が違う保険会社に転職というかたちです。

岸田 えっ、保険会社に転職したんですか。

清水 そうです、はい。

岸田 保険の営業ということですよね。

清水 そうですね、はい。

岸田 といったところをされていくということで。そこから、入社前の健康診断を受けていってからのがん告知っていう、いきなりここでがん告知がくるんですね。

清水 そうですね。とりあえずそんなに広がってはないだろうというような話ではあったんですけれども、精密検査をすると、右肺に3、4cmの腫瘍があったんですけれども、左肺にも何かあるっぽいって話になって、じゃあ右と左同時に手術をしましょうという話になりましたね。

岸田 その検査で分かっていくって時はもう会社の方から、いやちょっと影が見つかったっぽい。

清水 そうですね、会社には肺がんの疑いが強いですという報告をして、じゃあちょっと入社待ってねっていう話になりました。でも、治ったら採用するからっていう、治ったら入社していいからっていう話でしたね。

岸田 それで病院に行くと思うんですけど、最初それは自分で見つけていくんですか。

清水 最初ほんと家の近くの大学病院に行って、肺がんの可能性が高いですというところを言われて。うちの父親もがんで東京都内のがん専門病院の通院していたので、同じ病院にしようかなという、そこにしました。

岸田 そこの病院に行って、自分の健康診断の値とかを共有したりして、それで診てもらっていってそこでがん告知っていったところで。

清水 そうですね、はい。

岸田 もう普通に肺がんですって言われるんですか。

清水 そうですね、肺がんの可能性が極めて高いです。そこで気管支鏡検査をして、がんが確定するという。

岸田 気管支鏡で検査をして。気管支鏡ってごめんなさい、勝手なイメージは痛いイメージあるんですけど。

清水 僕これ2012年か、僕の時はこっちの喉のところの部分麻酔で入れるんですよ、カメラを。それがかなりゲホゲホゲホゲホきつかったですね。もう受けたくないっていうような感じですね。今罹患された方は、わりと麻酔を強めにやって入院で気管支鏡検査とかやってる方もいるんで、今は昔ほど大変ではないと聞きますけどね。色んな方がいると思うんですけど。

岸田 ありがとうございます。そしてそこで告知決定していくっていう時には、もうこの時の清水さんもちろん下がっているんですけれども、当時の心境としては、やっぱりかみたいな感じ。

清水 やっべーって感じですよね。子ども生まれたばっかで頑張らないといけないのに、もしこれが原因でここで死んだら家族どうなんだろうっていうような思いでしたね。

岸田 いや、そうですよね。いや、ここでどうなるんだろうっていったところで。

清水 左にもあるっていう話だったんで、左にあったらその段階でステージ4になるんですよ。そしたらかなり状況厳しいじゃんっていう思いでしたね。

岸田 肺がんって、右と左で、左にあったらステージ4確定みたいな感じなの。

清水 そうですね、左右にあったらステージ4になりますね。

岸田 左右にあったら、どっちにもあったら。

清水 そうです。

右は開胸、左は胸腔鏡——両肺同時手術の3日後に「左は良性でした」

岸田 そういうことでステージ4が確定していくっていったところで、それでこの後ちょっと上がっていくのが、手術を受けられていく。開胸と胸腔鏡の手術を受けられていく。だから、どっちも取っていくってことですか。

清水 同時にやりましたね。右を開けて、左は小さかったんで胸腔鏡でというようなかたちでしたね。右はすごい痛かったんです、やっぱりざっくり背中を切ったんで右はすごく痛かったんですけど、左の痛みは全く感じないというような。片っぽ痛いと片っぽ感じないのかなっていうような。色んな人がいると思うんですけど、僕はそうでしたね。右がすごく傷口が大きかったんで痛かったんですけど、胸腔鏡の痛さはほぼ感じなかったですね。

岸田 すごいな。結局これ両方取って。

清水 取って3日後ぐらいに、左は良性のものでしたって言われて。左が良性のものだと右に限局してるので、ステージ1っていうことになるんで、やったーっていう、そういう嬉しかったところですね。ステージ1だったら、その当時の5年生存率が75%ぐらいだったかな、それぐらいだったんで、これ自分生きられるなっていう思いでしたね。

岸田 かたや、ステージ4だともう。

清水 ステージ4だと5%ないぐらいだったんで。

岸田 わお、それはちょっと。

清水 なので、手術終わって先生からその話を聞いた時は嬉しかったです。

岸田 よっしゃーっていったところで手術を受けていったあと、こちらですね、新車を買うっていうことなんですけど。新車、これはもう手術終わったし、やったーみたいな。

清水 それもあるんですけど、がん保険に入って診断一時給付金がもらえて数百万円ちょっと手元に入ったんですよ。

岸田 うらやま。

清水 逆にありがとうございます。

岸田 僕じゃない、いえいえ、どういたしまして、いや違う違う。

清水 そんな感じですかね。

岸田 いや入ったら、それは新車。ちなみに何を買ったんですか。

清水 オデッセイ。子ども生まれて、それまでプリウス乗ってたんですけど。

岸田 プリウスもいいじゃないですか。

清水 いいんですけど、やっぱり子どもがいるとミニバンが欲しいなと思って、色々できるしミニバン買おうってことになって。せっかくお金も入ったし、がんも治ったっぽいしというような、ちょっとオデッセイを買わせていただきました。

岸田 オデッセイを買っていって、よしといったところで、ただ下がっていくんですよね。

清水 そうですね。

「根治的治療がしたいです」——ガイドラインでは抗がん剤だった副腎転移を手術で

岸田 ここがね、ちょっと本当にもうどうなっていくんやっていうとこなんですよ、副腎に転移をしていくということで、副腎ってどこにあるんですか。

清水 副腎って右と左の腎臓の横ぐらいなんですかね、横っ腹のあたりにあるイメージですね。右と左にあって、僕どっちに転移したのかな、たしか左だったと思うんですけど、どっちか取って問題ないんです、機能的に問題がないので副腎を全部取るというかたちになりました。

岸田 副腎を全部取る。副腎ってそっか、ホルモン系出してる。

清水 そうですね、副腎皮質ホルモンっていうの出してる、ステロイド出してるんですけど、片方あれば全然問題ないので。

岸田 それを取っていく。それは手術で取っていくって感じですかね。

清水 そうですね、手術ですね。最初はお医者さんからは、遠隔転移なので薬物療法になりますっていう話をされたんですけど、僕その当時生きる気力にみなぎってまして、当時ほんま家族、小さい子どももいるしっていう。ステージ4という時点で5年生存率5%なかったんですよ、当時の肺腺がんって。でも僕は生きる気力にみなぎってて、根治的治療したいですって先生に訴えて、薬物療法じゃなくて手術で切ってくださいっていう話をしたら、先生が分かった手術しましょうっていう話になりました。

岸田 じゃあ本当は、当時のガイドラインでは抗がん剤だったっていう。

清水 そうですね、先生の勧めてきたのは抗がん剤治療でした。わりと年数3年とか経ってたら、副腎だけに転移っていうのであれば取りに行くっていうのも選択肢としてあるらしいんですけど、その期間がわりと短い間に再発してるんで、こういった場合は普通は化学療法だっていう話でした。

岸田 ありがとうございます。みなさんね、この話は当時のお話でもありますし、今はまたちょっと変わっている可能性も全然ありますし。あと経験談になりますので、治療法とかに関してはみなさんの主治医だったりとか医療従事者の方に伺っていただければ嬉しいなと思っております。日進月歩ですからね、ほんとね。ありがとうございます。そんななかでこちら、次、手術をしていって取っていきます。その後、脳転移。

靴紐が結べない、駐車が曲がる——多発脳転移とガンマナイフ3回

清水 そうですね、副腎を取った2ヶ月後ぐらいに、左半身がちょっと動かなくなってたんですよ。車運転してても左側に寄ってるんですよね。駐車、車停めようとした時にも、僕わりと駐車うまい方。

岸田 かっこいい、オデッセイ。

清水 自負してるんですけど、真っ直ぐ入れたつもりが曲がってるんです。なんじゃこりゃと思って、そのあと左手の細かい動きができなくなって、靴紐が結べなくなったりとかで、これはやばいなと思って病院に行きました。

岸田 左だけ。

清水 左だけですね、はい。

岸田 左だけうまく動かせない。

清水 そう、どんどん動かしにくくなっていくという状況が。で、車は真っ直ぐ走ってるつもりがちょっと曲がってたりとか駐車がうまくできなかったりとか、そんな感じでちょっとびっくりしましたけどね。

岸田 けど、多発脳転移っていったところで分かっていって結構下がってるじゃないですか。副腎転移よりはやっぱりショックだった。

清水 そうですね、副腎転移全く症状がなかったんで画像上で分かったんですよ。脳転移って症状からきたんで、やっぱりびっくりしましたね。あと、そんながんについて詳しい知識なかったんで、脳転移っていうともうほんとにやばいんじゃないかっていう、そういうイメージ。実際は全然違ったんですけど、そういうイメージだったんで、かなりこれは深刻だなって、病院行く前にもう家に帰ってこれないかもしれないなという思いではありました。

岸田 だって、脳転移しててもう遠隔転移じゃないですか、副腎もそうですけど。もうステージ4確定じゃないですか。

清水 そうですね、はい。

岸田 だけど、さっき生きる気力にみなぎっててっておっしゃってましたけど、この時もまだ。

清水 この時はちょっと諦めかけたというか、やばいなって、もう帰ってこないかもなっていう思いでしたね。

岸田 そこから治療していきます。ガンマナイフで治療していくんですね。

清水 そうなんですよ。頭にわりと放射線、肺がんからの転移性脳腫瘍には放射線が効くらしくて。別に開頭とかもなくて放射線で治療できて、当時ガンマナイフってここにビス打ちするんですよ、ビスで固定するっていう、ここにビスをつけるんです、4箇所、前と後ろに。ロビンマスクみたいな感じで、あんな感じのマスクを固定して頭を固定してっていう。ビス打ち痛いんですけど頭を開けるわけではないんで。

岸田 そうか、頭開ければ痛いけど、開けるわけじゃないんでね。打ってそれ固定してってこと。

清水 固定して終わったら外す。外した時が痛いんですけどね。

岸田 これどれぐらい、もう1回行けばいい、1日だけで終わるようになるんですか。

清水 2泊3日の入院で1回照射をするっていうかたちです。僕の場合は3、4cmの腫瘍があったんで、1回じゃ叩けなかったので、3回に分けてガンマナイフの治療。だから3回ビスを打たれたってかたちですね。

岸田 その痛いやつをね。

清水 そうですね。なので、未だにここに短くすると米粒大のハゲがあるんです。

岸田 ビスを打ちされたところが。

清水 傷のところ治らないじゃないですか。そこは米粒のハゲがありますね。

岸田 うわー、ビスを打ち残ってるってことですね。

清水 でも、よっぽど短くしないと気付かないですけど。

岸田 ありがとうございます。そんなガンマナイフ2泊3日で3回。

清水 2泊3日3回入院ですね。

岸田 3回。

清水 そうですね。

岸田 ありがとうございます。

「予防的に抗がん剤をやった方がいいんじゃないですか」——セカンドオピニオンと転院、そして精子凍結

岸田 そこから、ここ上がっていきます、セカンドオピニオンってことで、また転移したからちょっとみたいな感じ。

清水 その後にそこでステージ4になるんで、何かしらの治療の予定があるのかなと思ったんですけども、その当時の主治医の先生が、頭は放射線やって副腎は取って、体には一応がんが何もない状態だったんです。

岸田 たしかにたしかに。

清水 そうなった時に、再発する可能性は極めて高いです。でも、標的がないんで今抗がん剤治療はやりませんと、再発するまで待ってくださいと。今抗がん剤をやってない時間を大切にしてくださいと。で、その先生からは治る可能性は極めて低いです、根治は難しいですと、基本的には延命治療になりますっていう話をされて。僕やっぱりさっき生きる気力にみなぎっていたという話をしましたけど、治したいという思いが強かったので、再発する可能性が極めて高いんですよね、だったら予防的に抗がん剤やった方がいいんじゃないですかっていう、僕はそういう提案をしたんですけど。先生は、いや抗がん剤は毒を入れるものなので、もし効いた場合にいつまでやっていいか分からないし、うちでは予防的なことはやらないという話だったんで、じゃあちょっと他の病院の意見を聞かせてくださいっていうかたちでセカンドオピニオンを受けました。

岸田 今は画像上では見えない状態だけれども、再発する可能性が極めて高いんだったら、もう事前に抗がん剤やっておいて再発をもうないような形で。そういうのもだから、情報は何か探してきたりとか。

清水 いや、ほんとにインターネットで調べて。でも、だから再発する可能性が極めて高いのにやらないっていうことに僕は納得がいってなかったんでしょうね。

岸田 そういうんやったら、やってくれよっていうことですね、もうほぼ分かってるんだったらっていったところで。

清水 今わりとがんに対する知識が、色んな状況から考えればおそらく両方正解だと思うんです。

岸田 今から考えるとね。

清水 今から考えれば、どっちも正解だと思うんですよ。だから、先生の言うことも正しかったんだろうなって思います。

岸田 その病院だったり医局だったりとかその先生の方針とかありますからね、そこはね。だからそこはちょっと合わなかったってところですね、自分の意見と。

清水 はい。

岸田 そんな自分の意見と合わない清水さんは、ここで行動を起こしてきますっていうのがセカンドオピニオンで。

清水 そうですね、はい。セカンドオピニオンで行った病院の先生は、いや全然やるよっていう話。予防的にやりたいんでしょうっていう、だったらやるよ。じゃあお願いをしますっていってお願いをして。セカンドオピニオンなので、元の病院の主治医に会って、やってくれそうなんでそちらに行かせてもらいますっていう話をして、じゃあ頑張ってという話で転院をしました。

岸田 セカンドオピニオン受ける人って、結構先生との関係性が壊れるから言いづらいとか、そういうのは清水さんの場合は大丈夫でした。

清水 関東圏に住んでると病院たくさんあるじゃないですか。

岸田 あります。

清水 なので、わりと、ここだめだけども違うところあるなっていう思いはありますけど。逆に地方とかで、そこの病院になかったらもう診てくれるところないよっていうような人だったら、結構躊躇するかもしれないですね。そこは、関東圏は大都市圏の。

岸田 いいところというか。

清水 そうですね、潰しが効くというか、そういうのはあると思います。

岸田 それでセカンドオピニオン先で。そのセカンドオピニオン先をどうやって見つけたかというと、それもインターネットとかで調べて。

清水 それは、知り合いがそこの病院に行っていたっていうのもあって。

岸田 ありがとうございます。そこからちょっと上がっていきます。それは、精子凍結。あれ、このタイミングで。

清水 そうなんですよ。当時、僕5年生存率5%ないって。

岸田 言われましたね。

清水 だから、当時では肺がんステージ4の方におそらく凍結保存を提案してる病院とかほぼなかったと思うんですけど、たまたま抗がん剤をやる前のインフォームドコンセントで先生がそういう提案をしてくれたっていう。そこ大学病院だったので、産婦人科もあったんですよ。時間的なロスがほぼなくて、凍結保存ができるという話で。あとインフォームドコンセントの時にうちの奥さんが1歳の子どもを連れて、子どもが言うこと聞かないとで走り回ったりとかそういうのもあったり、そういう光景を見て先生はこの人子どもいるんだなっていう話でしてくれたのかもしれない。実際のとこは分かんないですけど。普通だったらしない、精子凍結という提案はしない状況なんですけど、たまたま先生してくれて。僕自身は肺がんステージ4で未来が描けないなかでもう1人子どもなんて考えられないなっていう思いが、最初どっちでもいいなっていう思いだったんですよ。時間的ロスがほぼなくて、年間保存料が5000円ぐらいという話だったので、じゃあ未来が好転したら使うかもしれないということで、保存したという。それを、こちらがすごく要望したとか熱望したとか、そういうことではないですね。

岸田 その話が来たから、じゃあそれやったらやっておこうかっていうことですね。

清水 そうですね。

岸田 すごい。いや、今肺がんの患者さんでステージ4でっていったところだと、あまり先生たちも積極的に勧められない人もいるかもと思うんですけど、この時はそうだったということですね。ありがとうございます。選択肢があると患者さんも選べるっていうわけですから。別にやらなければやらないでいいと思いますし、先生たちはできれば選択肢はやっぱ提示して欲しいなと思います。

清水 そうですね、もしも二人目の子どもをすごく希望してる人であったら、それが治療への意欲に繋がったり未来の希望に繋がったりとかもすると思うので、そういう提案はしてくれると嬉しいですよね。

抗がん剤の3週目に乃木坂へ——シスプラチンとアリムタ、そして「乃木坂療法」

岸田 ってことですよね、いやほんとに。そして、ここから下がって1番の下がり具合のところに入っていくんですけど、まずは薬物療法していくというところで、これがさっき言った。

清水 予防的な治療。当時の遺伝子変異がない、肺がんのファーストラインですね、シスプラチン、アリムタ。アバスチンは加える人、加えない人いるんですけど、僕脳転移があったんでアバスチン加えてっていうかたちで。それをシスプラチンを入れて4クールやって、5クール目からはアリムタとアバスチンで維持療法、4週に1回をずっと増悪まで継続というかたちですね。

岸田 この抗がん剤は結構きつさ的にはどうでした。

清水 シスプラチンはきついんですよ。シスプラチンが終わってアリムタってことになると、最初はシスプラチン抜けるとこんな楽なんだと思ったんですけどじわじわ効いてきて、ボディブローのように効いてきて、やっぱりきつかったですね。投与後2週間ぐらいは、ちょっとぐったりしてるような感じでしたね。で、3週目に乃木坂のライブに行くっていう。

岸田 ここで乃木坂が出てくるんですね。

清水 そうですね。抗がん剤、乃木坂のライブとか握手会に3週目が来るように調整して、先生にお願いをしたこともありました。ここ乃木坂があるんで、ちょっと1週ずらしてくださいとか。

岸田 外出できるようなスケジュールで。

清水 でも免疫下がってるんですけどね。

岸田 そうですよね。

清水 うちの奥さんは、なんで免疫下がってるとこに、人が集まるところに行くの、ばかじゃないのっていう、そういう反応だったんですけど、1年ぐらいした頃に、僕はたぶん行ったら元気になって帰ってきたから、この人これを止めたら終わりだなと思ったんじゃないですか。その後あんまり批判をされなくなりましたね。

岸田 乃木坂療法ってやつですね。

清水 そう、乃木坂療法です、はい。

岸田 行って帰ってきたら元気になって。乃木坂は、好きになるきっかけは何かあったんですか。

清水 ちょうどこの頃に未来への希望も持てずにちょっと不眠状態になったりして、夜中にネットサーフィンをしてたら、僕それまで別にアイドルとか好きじゃなかったんですけど、たまたま乃木坂が入ってきて。昔から綺麗な女性の方は好きだったんですけど、乃木坂の白石麻衣さんとかが僕の目に入ってきて、詳しくYouTubeとか見てたらすごくハマって。

岸田 ハマっていったっていうことだったわけですね。それが、ここらへんの抗がん剤とかしてた時の不眠の時に見ててっていうふうな感じで、ちゃんと乃木坂も治療に関係性ありますからね。乃木坂の話したいだけじゃないですよ。ありがとうございます。そこからちょっとまた下がっていくというところで、ここが一番下がる、脳転移の再燃で癌性髄膜炎。これどういうやつなんですか、ちなみに。

「3ヶ月生きられればいい」から劇的縮小へ——癌性髄膜炎と、オプジーボが効いた日

清水 脳転移が、放射線ガンマナイフ当てたところがまた増悪してもう1回出たんだけど、もう抑えきれなくなってちょっとまずいなっていう状態と。あと、脳転移から脳脊髄液。脳って脳脊髄液の中にプカプカ浮かんでるんですけど、そこにがん細胞が散らばって。脳脊髄液って頭と脊髄の骨の周りを循環してるんですよ、中枢神経なんですけど。そこに脳転移がこぼれ落ちるみたいなイメージですかね。で、僕は脊髄に転移が見つかって。脊髄に転移すると、脊髄内転移、髄内転移と髄外転移があるんですけど、癌性髄膜炎の場合は転移になるんです。外側から圧迫してるんじゃなくて内側に転移がある。そこがちょっとでも増悪すると中枢神経を圧迫して、痛いというか、例えば僕の場合は腰のところの骨の脊髄にあったんですけども、それがちょっとでも増悪するともう歩けなくなったりとか、排泄排便障害が起きたりとか、そういうような状態ですかね。なので、インターネットで癌性髄膜炎と言われて、調べたんですよ。その当時、本当何一ついい情報がなくて、治ったなんて人はいなかったですね。3ヶ月生きられればいいみたいな。先生も目を赤くして、かなり厳しい状況ですと、時間を大切にしてくださいということを言うんで、あーこれやばいんだろうなっていう思いでしたね。症状としては、もう本当に見つかる半年ぐらい前から頭痛がひどかったのと、あとは左側の視野がちょっと欠けてたりとか、あとピカピカ星が舞うみたいな、そういうのが結構会ったり。それが結構ひどくなっていったりはしましたけど。

岸田 うわー、いやけどそれで、もう時間を大切にしてくださいとか言われた時にはもう、死を覚悟しますよね。

清水 そうですね、そこで初めてエンディングノートみたいなものを書いて、自分の口座とかはここにあるとか、保険がどうなってるとかそういうのをちゃんと書いて。あとは、僕キャンプが好きだったんですけど、キャンプ道具が家の一角をボンと。で、うちの奥さん別にそんなキャンプ好きではなかったんで、僕が死んだら自分が大事にしてたものだからたぶんそれの処分に困るだろうなと思って友達にあげたりとか、そういうのですね。あとは本当に歩けなくなって排泄排便障害が起きてというようなことが想定できたので、緩和ケア病棟とかを探したりとか外来受診したりとか、そういうことをしてましたね。

岸田 緩和ケアを探して、結構すぐ見つかりました。

清水 そうですね、うちの父親が家の近くの緩和ケア病棟でお世話になってて、それが5年ぐらい前だったんですけど、同じところに話をして、顔を知ってる人がいたのでっていうような。

岸田 見学などしていたというふうなところが、もうこの時ですね、癌性髄膜炎になっていく。ほんとにね、エンディングノート作ったりとかもしたり、本当に終活と呼ばれる。

清水 そうですね、はい。

岸田 していくなかで、ただそこから上がっていく。ここからちょっと本当よかったと思うんですけど何が始まるかというと、薬物療法の免疫チェックポイント阻害剤。こちらは。

清水 オプジーボというのを、ノーベル賞をとった本庶佑先生の研究を基礎に作られた新しい薬でして、2015年の12月かな、肺がんに保険適用になったんですね。それがたまたま使える状態だったので、先生が使いましょうかと。効く人はそんなに多くはないですけどっていうことでそれを使うことになりました。

岸田 清水さん、これまでにもそういった免疫チェックポイント阻害剤の情報っていうのはすごく存じ上げて。

清水 そうですね、患者会、長谷川さんのワンステップに参加してたんで、そのなかでオプジーボの話題は当然出てまして。チェックメイトっていう臨床試験があったんですけど。

岸田 そんな臨床試験あったんですね。

清水 そうです、チェックメイトっていうオプジーボの臨床試験、チェックメイトっていうんですよ。チェックメイトの臨床試験を結構追ったりはしてましたね。やっぱり、早く承認されないかなという思いで。あと臨床試験の結果が、効いた人にはわりとずっと長い間効くっていう、そういうようなデータが出てて、この薬いいなって効く方に入ればいいなっていう思いはずっとあったんですけど。そしたら僕、臨床試験参加したいなと思ったんですけど、脳転移がある人は除外されてたんですよ、入れなかったんですよ臨床試験に。なので、脳転移に関しては、癌性髄膜炎もそうですけど、中枢神経の転移に関しては症例がない。当然製薬会社も効かない可能性が高いから外してるんですよね。効くかどうかがかなり疑わしいので、成績を良くするために外してるので。

岸田 そっかそっか。

清水 そういう意味ではあんまり期待できないのかなって。でも、心の奥底の方ではすごく期待してる自分がいるんですけど、効かなかったらたぶん死ぬんだろうなっていうような思いでしたね。

岸田 思いをやりながら、臨床試験にその時入れなかったけれども、ちゃんと承認されて使えるようになって、そして上がっていくことになります、こちら。腫瘍マーカーが下がるという。

清水 そうですね、投与した1ヶ月後に腫瘍マーカーCEAというのがちょっと下がったんです。それまで右肩上がりだったのがちょっと下がったんです。おっと思ったんですけど、腫瘍マーカーでも、あくまでも参考程度にですねっていう。心の奥底ではめちゃくちゃ期待してる自分がいるんですけど、抑えよう抑えようというもう1人の自分がいて、あまり期待しすぎてだめだった場合にショックが大きいっていうような、そんな気持ちの状態でした。

岸田 腫瘍マーカーも、だって上下しますからね。

清水 そうですね。

岸田 そこで、そこからまた上がっていきます、画像上が劇的に縮小していくと。

清水 そうですね、がんの劇的な縮小を確認できて、そこでこれ効いてますねっていう先生の言葉で、かなり効いてますという話で、まだ生きてていいんだっていう思いと、もう少し家族と一緒にいられるんだっていうような思いが正直なところでしたね。

岸田 すごい、それはもう効いた時のね、気持ちの安堵感っていったらもう。

清水 そうですね、もうちょっと未来が自分にはあるんだっていうのを感じることができましたね。

岸田 今だと、ゲノム検査というか、をしてっていうふうなことがあるんですけど、清水さんの時はそういったことはされなかった。

清水 PDL1っていうタンパク質を測って、その数値が高いと免疫チェックポイント阻害剤が効きやすいっていうことは言われてました。僕PDL1が25%だったんですよね。25%って微妙なラインなんですよ。

岸田 そうなんですね。

清水 うん、50%以上だとわりと期待できる数値かなっていうところなんですけど、25%微妙だなっていう。でも、PDL1がとった組織によって結構ばらつきがあったりして、必ずしも正確ではないというか。

岸田 清水さんの例もありますからね。めちゃくちゃ劇的に効いて良かったなといったところで、その後こちらになります、子どもを持つ決断をされていって、次男さんが誕生されていくということですけれども。

清水 効いた時に、もうちょっと未来が描けるっていうことになった時に、最初妻と2人で子ども2人は欲しいよねっていう話をしてたので、凍結した精子があるじゃないかということになりまして、そこでそれを使って。実際、シスプラチンを使って妊孕性失われていたのですが。

岸田 えー。

清水 そうなんですよ。仲間。

岸田 僕もシスプラチンやってますし、妊孕性を僕も。

清水 たまたま凍結した、僕がその当時は熱望して凍結保存をしたわけではなかったんですけどそれがあったんで、この時に使えるんだっていう思いで使って、子どもを持つことができました。

岸田 じゃあ、あの時の精子凍結しておくかっていうのは先生のナイス判断だったんですね。

清水 本当に未来を変えてくれました。

岸田 その時のね。そして、そこからちょっとだんだん下がっていくというのも言い方変ですけれども、日常に戻っていくという感じにはなると思うんですけど、次こちら。その前に放射線治療するのか。

清水 そうなんですよ。他のところは効いたんですけど、縦隔リンパ節って2箇所左右にはちょっと画像上変化がみられなかったんですよね。大きさも変わらなかったし、前からあったんですけども、オプジーボを使っても画像上変化が見られなくてPETでも集積は変わらないという状態だったので。ここには効いてないのかなっていう感じで。僕は効いてないのがあるのであれば治療したいなという思いだったんですけど、それを主治医に相談したら、別に悪さしてないんだからこのままでいいんじゃないっていう、主治医はそういう判断だったんですけど、僕は局所治療をしたいということを伝えて。主治医が院内カンファレンスにかけて、外科は切ってもいいっていう。でも、手術をしてるので癒着等があるから結構難しいっていうこと。後ろからじゃなくて前から胸骨切開術というちょっと普通のかたちとは違うかたちになりますと、ちょっと難しい手術にはなりますというような話でした。放射線科は、放射線治療はしないですという話でしたね。それは何でやらないんですかって効いたら、癌性髄膜炎まで進行しててそこだけに治療しても意味がないから、他にも再発する可能性が高いので局所治療はこの段階ではしませんという判断でしたね。

岸田 じゃあもう、清水さんのやりたい方向と病院の方向はそこで違うってことですね。

清水 そうですね。ちょっとだから外科手術が負担が大きいなっていう思いがあって、できれば放射線を希望したんですけど無理だという話だったんで。患者会参加してるとさっき言いましたけど、患者会で言ったら、あそことあそこの病院はわりと積極的にやってくれるんじゃないかっていうような情報を得て。

岸田 ネットワークね。

清水 そうなんだ、じゃああそことあそこのうちのあっちに行ってみようっていう話で、セカンドオピニオンで行ったら先生がすごくいい先生で、僕の人生の背景まで、お子さん小さいんですねっていう話で、じゃあ根治的な治療をしましょうという話で、放射線を当てました。

岸田 放射線当てる前にも、セカンドオピニオン先でも先生たちの意見が食い違ったりします。

清水 そうですね、放射線を当てた病院の呼吸器内科の受診を受けたんですけど、そのセカンドオピニオン先の呼吸器内科の先生は、癌性髄膜炎までいってて再発する可能性が極めて高いですという話で、放射線を当てても、そこだけ局所しても意味ないですよとかいう話と一緒に、僕そこまで通院時間が1時間半ぐらいかかるんですよ。

岸田 うわー、遠い。

清水 そんなとこに来てないで家の近くの病院を探しなさいと。いつ再発してもおかしくないんだからっていう話でしたね。でも、僕はチェックメイトを、臨床試験を見てきてるんで、オプジーボが効いた人はわりと長く効くという思いがあったんですよ。なのに、なんでお医者さんはこういうことを言うのかなっていう思いはありましたね。

岸田 そうですよね。それで放射線治療を受けれるじゃないですか。それはもう内科医の先生は折れてくれたっていう感じなんですか。

清水 別に放射線科の先生はやると。

岸田 呼吸器内科にはちょっともうそんなこと家の近くでしろっていうことで、放射線科は受け入れたんですね。

清水 放射線科で直接最初に。

岸田 放射線科では先生は。

清水 全然やりますよと、すごくいい先生で。

岸田 そういうこともあるんですね。病院で、やっぱ科が違ってね。

清水 放射線科の先生の方が偉かったんです。

岸田 大事、大事。それで放射線治療を受けていくといったところで、これは64グレイというのは結構何回も通うんですか。

清水 2グレイ×32だったと思います。

岸田 32日、その片道1時間半ぐらいかかる。

清水 入院させてもらいました。で、がん保険、またありがとうございます。

岸田 いやいや。保険も出て、そっか、よかった。そして一応、それでもう消失した。

清水 そうですね、放射線当てたところに一応あとは残ってるんですけど、若干集積あるんですけど、一応。

岸田 効果があっただろう。

清水 効果があるというような、間違いないと思います。

岸田 そこから下がって、ここで下がっていくのは、だから悪いという意味じゃなくての下がっていくってことでね。

清水 全然半分より上なんでね。

岸田 そうそう、半分より上なんでめっちゃいい。

清水 未来が見えるっていうことになると、それまでそんなに長く生きてかなくてもいいと思ってたんですよ。なので、仕事もそんなに頑張ってなかったし、どっちかといえば家族との時間を大切にしたり自分の好きなことをやるという方向に舵を切っていたので。ただ、この時点でそうではなくなって、わりと未来が見えるようになった。そしたら、現実をどうやって生きていくのかっていう現実を考えなければいけなくなったので、そういった意味で、ちょっといい意味で日常生活に戻ってきたのかなっていう感じですかね。

岸田 そのなかで社会保険労務士に試験合格していく。

清水 そうですね、僕自身が治療と仕事の両立に苦労したり、今まで見たこともない就業規則を見て、こういう休職がこの期間使えるんだとか、休職の間お金がいくらもらえるんだとか、あとは休職が終わったあと1年また働けばもう1回休職が使えるんだとか、そういうのを一生懸命調べたりとか。あとは僕障害年金もらってたんですけど、そういう社会保障制度。それに社会保険労務士というのがわりと力になれるのかな、がん患者さんをサポートできるかなという思いで資格を取って開業したという流れになります。

岸田 ありがとうございます。またここね、お仕事でも聞いていきたいなと思うんですけれども、その後、今の清水さんはこちらで無治療で維持されている。もう今は何もじゃあ。

清水 はい、今は何もやってなくて、もう5年以上無治療で寛解状態を維持しているというかたちになります。

岸田 5年以上、じゃあもうほぼほぼ。5年以上寛解だと、もうほぼないかもしれない。

清水 それがだから難しいんですよね。免疫チェックポイント阻害剤というのがまだ出始めで、何年ぐらい無治療だったらじゃあ完治しますよって、まさに僕ぐらいの人間が今後の指標になると思うんです。

岸田 そうですね、だってもうはじめの方ですよね、受けたのがね。

清水 そうですね、うん。なので、今後僕みたいな人が再発しなければ根治が見込めるというかたちになるだろうし、再発してしまったらまた違う見方になるだろうしっていうようなかたちですね。

岸田 逆にその免疫チェックポイント阻害剤はどれぐらいでやめたんですか。

清水 結構早かったですよ、僕は。

岸田 そうなんですね。

清水 はい、10ヶ月もやってないと思います。

岸田 やめる時、怖くなかったですか。

清水 結構口内炎がひどくて、皮膚炎とかもひどくて、その時にちょうど国立がんセンターの後藤悌先生という方が、オプジーボは、免疫チェックポイント阻害剤が効いた人はその治療をやめてもずっと効いてる可能性が高いんじゃないかっていう臨床試験をしようとしてたんですよ。僕それを患者会の講演で聞いて、そうなんだと、効く可能性が高いんだと。僕終わった後に、僕その臨床試験に参加したいんですけどっていう話をしたら、清水さんの行ってる病院はちょっと対象外なので結果教えてくださいっていう感じでした。

岸田 臨床試験やってるところとやってないところありますからね。だから、清水さんが本当に今前例を作っていってるっていうところですよね。

清水 癌性髄膜炎までいったので、再発したら危ないかもしれないですね。

岸田 ただ、今は無治療でずっと経過観察でいけてるということとなっています。ありがとうございます。

岸田 はい、それではここからちょっと当時のお写真もいただいておりますので、ちょっとこちらご覧ください。これは再燃した時と転移した時。

清水 そうですね、脳転移の再燃してちょっと抑えきれなくなったのと、あと癌性髄膜炎、脊髄内転移ですね、が、PETで光ってるようなかたちです。

岸田 この左側の再燃のお写真はどこらへん、ちょうど黒くなってるのか。

清水 そこです、はい。ここがかなり大きくなってきてて、頭を。わりと放射線とかそういうむくみとかも関係あるかもしれないですけど、それでかなり脳を圧迫しててたぶん頭痛がそれで発生してたんだなと思います。あと、視野神経がちょっと傷害されてたのかな、結構そういう症状が出てたというのもあって。どっかから脊髄内にいってと。

岸田 ビャーっていって、ドー、ここらへんで増殖しちゃって。

清水 そうですね、はい。

岸田 ここ、腰の方でなるんですね。

清水 そうですね、そこにあると下半身の神経とかそこに集中しているので歩けなくなったり、排泄排便障害が起こるというようなかたちですかね。

岸田 それが本当に、お薬が効いてこれもなくなったと。

清水 そうですね、今のところ画像上ないです。

岸田 ありがとうございます。そして、その次のお写真こちら、いただいております、ドン。賞状もらいました。

清水 賞状もらいました。賞状、どちらかというとあげた側になるんですかね。あげた側とかいってすごい偉そうなんですけど、本庶佑先生に感謝を伝える会というものに参加させていただいて、感謝を伝えて感謝状を渡させてもらったというようなかたちです。免疫チェックポイント阻害剤を作ってくれてありがとうございますと。

岸田 効きましたよっていう。

清水 本庶先生がいなかったら、僕と家族、2番目は生まれてなかっただろうし、家族の未来を変えてくれてありがとうという。

岸田 おー、すごい。

清水 お礼を言うことができましたと。

岸田 すごい。そして、その次こちらになります、ドン。

清水 これは乃木坂46が初めて東京ドームのライブをした時。グループ結成当初目標にしていた東京ドームに初めて行った時のライブなんですけど、チケットが当たったんですよ。乃木坂46というのがアイドルという坂道を登っていくのと同時に、僕は治療という坂道を登って、たどり着いたところが東京ドームだったと。

岸田 めっちゃええ話風に持ってってるけど。

清水 で、日付がちょっと問題なんですけど。小さくてごめんなさい、2017年の11月8日とあるんですが。

岸田 11月8日、ありますね。

清水 うちの次男が精子凍結保存を使って妊娠している次男、予定日が11月10日だったんですよ。

岸田 え、あと2日。

清水 お腹を大きくしたうちの奥さんが、あんた乃木坂のライブ本当に行くのって話をしてきて、ああ行くよって、乃木坂の節目の大事なライブだから。生まれたらどうするのって言われて、僕は俺の子ならその日に生まれないって、ライブに行きました。無事に11月12日に生まれました。

岸田 じゃあちゃんとお子さんも空気を読んでくださったと。

清水 生まれながらの親孝行です。

岸田 素晴らしい。ここでドームも行ってといったところで、元気になって帰ってくる乃木坂療法をされていったということですね。

清水 そうですね、はい。

「忖度のない笑顔がわりと大きかった」——家族で思い詰めなかった日々と、1歳の長男

岸田 はい、ありがとうございます。では、次こちら伺っていきたいなと思うんですけれど、次何かと申し上げますと、家族、パートナー、配偶者さんと、あとお子様のことと申し上げまして、こちらどういったことを伺いしたいかというと、ご家族の支援というかサポートどうだっただったりとか、今もうお子様が、今もう小学。

清水 今、上の子が小学校6年生ですかね。ちょうど次男が小学校入学しました、この4月に。

岸田 がんのことをどのタイミングでお伝えされているのか、されていないのかもお伺いしたいんですけれども、まずご家族の奥様というか、サポートとかはすごくどうでしたでしょう。

清水 うちの奥さん、あんまりサポートなかったんですよ。いや、結構僕はいい意味で。

岸田 いい意味でですからね。

清水 2人で治療について思い詰めるとかそういうのはなくて、子ども小さかったっていうのもあると思うんですよね、子育てが大変だったので。

岸田 そうです、子育てがあるからね。

清水 治療とかにも一緒に同行してくれることは本当に少なかったですし、重要な時しか来なかったですね。手術の時、手術ってだいたい家族じゃないですか。2回目の副腎の手術の時、熱出して来なかったですからね。それは寝てたし。

岸田 それはもう体調はね、お互いに体調悪いから。

清水 手術にちょっと来てくれないのは寂しかったですかね。でも、いい意味であんまりそんな病気について深く。状況はもちろん話してますよ。結構5年生存率がこうだ、かなり主治医から厳しいことを言われてるとかそういうことは話してますけど、でも頑張るしかないねっていうことで、家族みんなで思い詰める、子どもがやっぱり大きかったかなと。子どもって何も知らないじゃないですか、小さい1、2歳の子どもは何も知らないんで、忖度のない笑顔がわりと大きかったかな。でも、抗がん剤の副作用できつい時とかに横になってたら上に乗っかってきたりするんで、めんどくさい時はめんどくさいんですけど、そういうのも含めて子どもに救われたかなっていう思いはあります。

岸田 今お子様には、そのがんのことは伝えている、伝えてないで言うと。

清水 さっきの本庶佑先生の祝う会にうちの。

岸田 家族一緒に行ったんですか。

清水 その時がちょうどうちの子が小学校に入学するタイミングやったんですね、1年生になる前ぐらい。そこで初めて、僕がこういう病気だということは知ったんじゃないですかね。パパ病気なのっていうことを言われて、もう治ってるから大丈夫だよっていう感じですね。

岸田 ありがとうございます。そういった、ご家族の中で無邪気な子どもの笑顔に癒されていたというふうなところであったということを思います。ありがとうございます。

「未来が好転したら使うかもしれない」——年間5000円の凍結が、家族の未来を変えた

岸田 そしてちょっとその次に、妊孕性のことについて少しお伺いしていきたいんですけれども、精子凍結をされていってといったところで、その後子どもを授かるのに向けて、当時妊孕性の話も、凍結保存っていう話がなければやってなかったってことですよね。

清水 そうですね、やってないと思いますね。

岸田 そこの話があったからやったというふうなことをさっきもお話いただきましたけれども、そこから子どもを持つといった時に、ご家族の中で、配偶者の方とじゃあ凍結したものをっていうふうな話になってるっていうことですよね。

清水 そうですね、それが最初から2人欲しいよねって話はしてたので。妊孕性がないということが分かったので、方法としては凍結してあるのを使うしかないと。それで妻と相談をして、妻は大変だったと思うんですけど、不妊治療を受けてもらってっていうようなかたち。卵子を取り出して、顕微授精というかたちですね。

岸田 ということは、清水さん的には妊孕性保存していて本当によかったと。

清水 そうですね、今から考えると本当に、治療が効いてからのことを考えると、本当に未来が変わったっていうようなかたちですよね。

「治ったら入社していいから」——内定先に戻り、休職と復職を繰り返した日々

岸田 ありがとうございます。本当妊孕性保存大事だなと思うんですけれども、次ちょっとお伺いしたいことがこちらになります、お仕事のことというところで、お仕事。前々職、飲食のお仕事をされてその後保険のお仕事をされる時にがんが分かって、今は社会保険労務士としてお仕事をされてっていう感じなんですけど。結局、がん治ったら保険の仕事に戻ってきてねというか入社してねというのはどうなったんですか。

清水 そのまま入社しました。

岸田 入社したんですね。

清水 はい。

岸田 どのタイミングで。

清水 もう手術終わって、1、2ヶ月ぐらい。

岸田 1回目の手術終わって。

清水 そうですね。ステージ1だったので、仕事頑張るぞって思いで。

岸田 仕事をやってみて。

清水 家族のために頑張らないとっていう思いで、最初入社しました。

岸田 けど、すぐ転移が見つかって。

清水 そうですね。

岸田 4ヶ月ぐらい。

清水 はい。

岸田 その時は、会社にはどういう。

清水 会社には、転移しましたと。でも、会社の上司とか職場のみんながとてもいい人だったので、じゃあ頑張ってきなってことでしたね。

岸田 そうなんですね。

清水 そうですね、僕自身のメンタル的には仕事が1番ではなかったんですよね。5年生存率とかがかなり低いなかで、そのなかで仕事を頑張ります、出世したいとか給料増やしたいとかそういう思いにはなれなかったですね。できれば、経済的なこともあるので、経済的に困らずにいかに自分の、だから経済的に困らずにっていうことは、仕事をしなければならないんですけれども。仕事をしながら自分の時間、家族との時間だったり、あとは乃木坂のライブに行く時間だったり、乃木坂のライブ土日だから関係ないんですけど、乃木坂のライブに行く時間だったりを、そういう自分の好きな、自分らしく生きるという言い方をしたらあれですけど、そういう方向に舵を切ってましたね、この時は。

岸田 そっか。じゃあそこで休職をされて、復帰をされていく。

清水 休職もしました。で、休職もしたけど、休職したら1年以内に復帰しないといけないというのがあって、そこから1年働いたらもう1年休職できるとか、そういうようなかたちでしたね。で、僕の会社は休職中も給料が出るようなだったんで、わりといい会社だったんですよ。

岸田 えっ。

清水 なので。休職期間1年間できたんですけど、僕10ヶ月で復帰してるんですよね。家にいると働きたくなってくる。これはないものねだりといったらあれですけど、それまでずっと働いてきたので、ずっと家にいるとちょっと働きたいな、そんなことを思ったりして、ちょっとわがままっちゃわがままですけど。

岸田 いやいや。

清水 で、1週間ぐらいでもうやめたいっていう、なるんですけど。でも復帰したら1年働かなきゃいけないんで。そんな感じでしたね。だから、当時支えてくれた人に本当に感謝してるんですけど、全力で仕事を頑張れるとかそういう状態ではなかったですね。

岸田 仕事と治療を両立しながらしていかないといけないので。じゃあ、休んだり復職したりだとか、休んだり復職したり。

清水 そうですね、あとは本当に午前中有給をとって抗がん剤を打ってやって午後出勤するとか、そういったこともありましたね。でも、具合悪そうにしてたら3時ぐらいに今日帰っていいよとか言われたり。

岸田 いい職場。

清水 でも、やっぱり1人抜けると大変だと思うんですよ、10人ぐらいの部署だったんですけど。なので、感謝の気持というのは常に持つようにはしてましたね。デパ地下でお菓子買って行ったりとか。

岸田 そういう細かい気遣い大事ね。

清水 それが合ってるか分かんないですよ、その方向が。僕はそのお局さんたち、お局さんっていうのは。

岸田 今の時代はちょっとあれですね。

清水 わりと影響力の高い。

岸田 難しい、影響力の高い社員の方。

清水 そうですね、その方にお菓子を。影響力の高い方が好きなお菓子を買っていったりとかやったりしてましたね。

岸田 で、復職したりとか休職たりとかっていうのを続けていって、最終的に辞められるのはどのタイミングで辞められた。

清水 辞めたのは、最後オプジーボが効いて子どもが生まれた後に放射線治療をするっていう時に、もう休職とか使えない状況だったんで。放射線治療しながら、ぶっちゃけ午前中放射線して出勤というかたちでもできたんですけど、ただ僕の中での人生観の変化だったりがあったので、何か自分の経験をいかしてがん患者さんの役に立つことができないかなという思いがあって。あと障害年金とかもらってたので、さっき言いましたけど。そういったので仕事と治療の両立だったりそういう社会保障制度だったりで、社会保険労務士という仕事があるんだということを知って、それの勉強をしてというかたちですね。

岸田 じゃあそのタイミングで、放射線治療のタイミングで辞めて、そっから勉強を始めて。

清水 そうですね、はい。

岸田 どれぐらいで合格された。

清水 一旦落ちてるんですよ、その年ぐらいにやったら。で、その次に受かっていますね。

岸田 受かっていって、自分で今お仕事をそのお仕事でされているっていうところなんですけれども。就労されている方が相談に来た時に、ほんと様々だと思うんですけれども、やっぱり清水さんが大事に思われているマインド的な部分って何かあったりとかしますか。

清水 その患者さんが何を大切にしてるかっていうのは、常に掴もうとはしますよね。だから、仕事を継続したいという話で相談に来たとしたら、なんで仕事を継続したいのか。それがお金のためだとしたら、何かじゃあ変わる方法はないのかとか、傷病手当金とか障害年金とかで補填できる分は補填をして、それがもしもらえるんだったら何か自分らしく生きる時間に使える時間もあるじゃないかと。

岸田 たしかに。

清水 なので、そういったことは。何が本質的に望みなのかという、自分はどう生きたいのかというのは聞くようにはしてますね。

岸田 ありがとうございます。なので、清水さんちなみに千葉の病院で月2回ぐらい相談を。

清水 月2回ですね、はい。

岸田 月2回、何病院さんで。

清水 千葉大学医学部附属病院です。

岸田 なので、清水さんに相談に行きたいなっていう方は、その時を検索してもらえればいけるかなと思ったりもしております。ありがとうございます。もちろん直接行っていただいてもいいと思いますけれども。ありがとうございます。

「お金あるとないとじゃ、どう生きるかが変わってくる」——付加給付と診断給付金

岸田 そんななかで、次こちらなんですよ、お金や保険というところ。これは、保険は民間の保険に入られてたってことですよね。

清水 そうですね、入ってましたね。

岸田 それで治療費とかは結構まかなえた。

清水 そうですね、結構入院補償とかもあったのでそこらへんはまかなえましたけど、1番大きかったのはやっぱり会社の付加給付ですかね。

岸田 付加給付。

清水 はい、それは大きかったですね。高額療養費があって、その上限からさらに自己負担額2万5000円以上は、うちの会社はですね、2万5000円以上は健康保険の方で負担をしてくれるっていうのがあったので。

岸田 2万5000円を払えば。

清水 2万5000円を払えばよかったですね。それは後から戻ってくるっていう。

岸田 すげー。だから、傷病手当金とか高額療養費でだいぶ治療費が上限決まった中の、もっと会社が負担してくれるから2万5000円だけで払うのはすむっていう。

清水 そうですね、はい。

岸田 いやー、それはありがたいな。

清水 それが治療中のお金の面では1番助かったかなと。付加給付があるのって一部の健康保険組合と、あと共済組合か公務員のなので、ない会社も結構、協会けんぽとかないので。そこは本当に助かったなと思いますけどね。

岸田 ありがとうございます。言えたらレベルで全然いいんですけれども、さっき保険がおりて新車買ったりだとかされて、最終的に保険でどれぐらいとかっていうのは、どれぐらい出たかっていうのは。

清水 計算はしてないですけど。

岸田 ざっくり。

清水 診断給付金で200万円ぐらい出たのかな。あとは、入院日額1万円ぐらいはもらえたので、どうだろう、全部で。診断給付金は2回もらえたんです。

岸田 すごい、これめちゃくちゃ大事ですね。

清水 そうですね、何年間かあいて再発というかがんの治療していた場合はもう1回もらえる。

岸田 そういう保険入られて。

清水 そうですね、そこらへんはありがたかった。

岸田 すごい、じゃあ600万ぐらいは。

清水 そうですね、入院とかを含むとですね、あと手術給付金とかあるとそういうのでは大変助かりましたけどね。お金あるとないとじゃ、治療、どう生きるかというのが変わってくるのでね。

岸田 いや、まじでそうなんですよね、本当に。

清水 まして、先が限られているのであれば、なお変わってくるかなっていうふうに思いますね。

岸田 いや、ほんとそうですよね。だからそこがあればちゃんと、ちょっとそこの面は気にせず治療を選択できたりとかすると思いますし。清水さんの場合ね、ほんとそもそも長いですからね、治療もね。そういうところであったかと思います。ありがとうございます。

画像には写らない頭痛と、「治らない」の一言——民間療法に向かった日々

岸田 そして次のちょっとところお伺いしていきたいなと思います。辛かったこと、からだ、こころといたしまして、からだ面で辛いタイミングって、今までのなかでどこの。

清水 癌性髄膜炎のその前、かなり頭痛がひどかったんですよ。もう先生に言っても、画像上は特に問題はないと、でも痛かったんですよね。そこがやっぱり1番きつかったかな。

岸田 からだ的には。

清水 そうですね。

岸田 こころ的には乃木坂療法する前ですか。

清水 でもそうですね、先生に治らないと言われて、そこはちょっとショックでしたよね。で、治らないって言われたので、インターネットとか色々、当時はがん情報サービスとかもそこまで今みたいに検索したら上に出てくるっていうのじゃなかったんですよ。当時は検索したら上に出てくるのが、わりと民間療法の。それをうちの親が勧めてきたんですよね。これやったらどうだっていうので、そういう民間療法をやりました。

岸田 一時期されてたんですよね。具体的に言えたらでいいんですけど、どんな感じのやつを。

清水 NKT免疫細胞療法、免疫療法ですね。

岸田 どうでした。どうでしたって言い方変ですけど。

清水 いや、その後再発してるんで、だったと思うんですけど。ただ、免疫療法のそのクリニックの先生ってすごいポジティブなんですよね。標準治療も同時に並行してるんでなんですけど、清水さんこれ効いてますよ治りますよって。ホームページとかにも肺がんステージ4治ったみたいなのがあって、すごいポジティブにめちゃめちゃ効いてますよ、今。で、免疫の数値とかを紙で出してきて、清水さんこんなに免疫高いんですよって、これ絶対効きますよっていう話で。主治医は治らない、延命治療ですと、そういう回答で。

岸田 うわー、全然違う。

清水 もう両方とも医者の資格持ってる人なんですよ。かたや本当にポジティブなことしか言わなくて前向きな先生という、そういう状況ですね。また数百万、親のお金なんですけどね、自分だったら出してないと思うんですけど、数百万使って。

岸田 数百万で。

清水 励まし代、でも励まし代にするにも高いんじゃないかな。でも、励まされたのは事実です。だから、僕は思うんですけど、免疫療法とかをやる経済的なデメリットってすごい大きいと思うんですよ。でも、やってる人を否定は全然しないです。どう思うって聞かれたらやめた方がいいんじゃないって言うけど、やってる人自体を否定はしないです、否定はできないですね。プラセボ効果とか言うじゃないですか。

岸田 そうですね。

清水 だから、そういう前向きな人の心をへし折るっていうのは僕はやってはいけないことだと思うんですよね。だから、僕自身もたぶんその時にすごい前向きになってたんですよ、その先生の言葉で。なので、効果があったのかもしれない。

岸田 でも、ようやめれましたね。

清水 お金がなかったです、お金続かないですよ。本当のお金持ちだったらずっとやってるかもしれないですね。でも、僕の中では民間療法よりも乃木坂療法の方が効果があったと。

岸田 そっちがあるからね。

清水 そっちがあるから。

「星が見える世界もいい世界です」——左下の視野欠損と付き合う今

岸田 いや、ありがとうございます。めちゃくちゃ興味深い話でした。その後、ちょっとこちら、後遺症のこととしまして、今何か後遺症残ってるものありますか。

清水 今だいぶよくは、オプジーボやった後よくはなったんですけど、視野欠損というのが。

岸田 視野。

清水 そうですね、左側の下がちょっと欠けてるっていうのが、まだ自覚症状は全然ないですけど、検査とかをすると欠けてるみたいです。あと一時期に比べたら全然減ったんですけど、星が飛ぶ、たまに星飛びますね。でも、星が見える世界もいい世界です。

岸田 ポジティブ、ポジティブ。それは脳のやっぱりあれをやったからなんですね。

清水 そうですね、脳の後遺症だと思います。

岸田 もうそれはずっと付き合っていくっていう。

清水 そうですね、もう治らないんじゃないかっていうふうに先生には言われています。

「鼻で笑うような否定ではなく」——免疫療法に向かう患者の必死さを知ってほしい

岸田 ありがとうございます。そして次、医療者へということで、このタイミングの医療者、例えばセカンドオピニオンの時だったりだとか、いやもうちょっと医療者に対してありがとうでもいいですし、もうちょっとこう改善した方がいいんじゃないですかっていう。これ結構医学生とか学生たちも、看護学生も見てくださっているんですよ。なので、その子たちに何か。

清水 患者さんの気持ちに寄り添っていただけると、とても嬉しいですよね。なので、患者さんが変な方向にいったとしても、馬鹿にしたような、鼻で笑うような否定をするのではなくて、例えば免疫療法やってるっていったら鼻で笑う先生とかもいるじゃないですか。

岸田 結構いますね、そんなん効くわけないやんみたいな。

清水 でも、やっぱりやってる本人は必死だと思うんですよね。なので、そういう相談をされたら止めていいと思うんですけど。

岸田 やってること自体は、はなから否定するとかっていう。

清水 そうですね、そのへんの患者の気持ちは分かって欲しいなという思いはありますね。

岸田 気持ちに寄り添って欲しいという。

清水 今わりと治療が長期間にわたる患者さんが多くなってきてると思うんですよ。そうすると、治療以外のQOLを維持するっていうのがとても大事だと思うんですね。なので、そういった患者さんの生活状況とかお金の状況とか、あとは患者さんが何を望んでいるのか、人生で何を大切にしているのかというのをちゃんと理解したうえで、治療方針を。

岸田 決めていって欲しいっていうね。

清水 そうですね。

「がんになってよかったとは思えない」——それでも過去の自分には何も教えない

岸田 ありがとうございます。そして次、過去の自分へ、あの時の自分に戻れるとしたらこう伝えるなとかっていうのは何か。どの過去でもいいんですけど。

清水 過去の自分へ。

岸田 過去の自分に対して。

清水 そうですね、難しいですね。

岸田 難しいですね。がん告知の時でもいいですし、再発した時でもいいですし。

清水 そうだな、どうだろう。僕やっぱりがんになってよかったって思わないんですよね。できればそういう世界じゃなくて普通に生きていたかったという思いがあるので、過去とかちゃんと検診行けよっていう。そんなステージ4にならないような、検診行けよっていうことは言いたいですよね。

岸田 でもフォローしておくと、民間というか会社の検診でがん発覚されてますけど、その1年前でしたっけ。

清水 いや、半年ぐらい前ですね。

岸田 半年ぐらい前。

清水 レントゲンやってるんですよ。だから、やってるんですよ。がんになってよかったとは、なかなか思えないですよね。

岸田 当時色んな、様々なタイミングがありましたけれども、この時にこうっていうのは特に今のところ。

清水 そう、将来あなた薬効くよっていう、そういうのも変じゃないですか。そしたら、たぶん僕抗がん剤治療その3年間できて、その間にオプジーボが承認されてるんですよね。僕過去の自分に、あなたそこでオプジーボで回復したよって言ったら、たぶんオプジーボが承認される2年ぐらいで死んでるような気がするんですよね、頑張らなくて。

岸田 頑張らないということでね。難しい、そっか。

清水 余裕ぶっこいで死んでるような気がしないでもない。一応治療に対してすごく真面目に。

岸田 真面目に色んなことをされたから、今。

清水 そうですね。結構色々民間療法も含めて、民間療法は水素水とかも飲んでたし、あれは別に副作用ないから全然ですけど、水素水サーバー20万円ぐらいで、それを扱ってる友達がいて、騙されたのかな、分かんないですけど、水素水効くよって言われてサーバー買ってというのは。たぶんそういうのやってるということで、気持ちは上向いたと思うんですよね。

患者の気持ちが分かるから、支援できる——社労士としての「ギフト」

岸田 そうですよね、はい、ありがとうございます。そしてその次、キャンサーギフト、なったことは悪いことだっていうことで、ならない方がよかったってあるんですけど、唯一ちょっといいところに目を向けるとしたら何がありますか。

清水 患者さんの気持ちがすごく理解できるし、またそういったことでそういう患者さんを今支援できているということは、本当にお金の面とか仕事の面とかを解決することがその人の人生に大きな影響を与えると思いますので、そういった支援ができているというのは本当にキャンサーギフトだと思います。

「半径10mの自分の近いところが幸せであれば」——頼ってくれた人を支え続ける

岸田 そういった本当にみなさんの協力のおかげっていったところはあるかなと思います。ありがとうございます。そして今後の夢に関してなんですけど、今後どう生きていきますか。

清水 今後どう生きていくか。独身だったら乃木坂のメンバーと結婚したいとか言えると思うんですけど、もう妻子持ちなんでそれはできないので。今後も患者さんをサポートできればいいなっていうふうな。僕はどっちかといったら、岸田さんとかわりと大きな、色んな人を幸せにしてると思うんですよ。かなり大きな範囲で日本全国幸せにしてると思うんですけど、僕にはその力がないんで、僕本当に半径10mの自分の近いところが幸せであれば、そういうような性格だと思いますんで、自分の身近なところ、あと僕を頼ってくれた人にはとても幸せになって、サポートしていきたいなという思いが強いですね。

岸田 ありがとうございます。何か清水さんに相談したいことあれば、検索していただいたりだとか、概要欄にも貼っておこうと思いますので、そこに飛んでいただければと思います。

「治らない」と言われた2013年から——医療の常識は確実に変わっている

岸田 今闘病中のあなたへといったところで、清水さんにこの言葉をいただいておりますので、清水さんぜひよろしくお願いします。

清水 僕自身、2013年再発した時に治らない、延命治療ですと言われたんですよね。ただ、今の肺がん、今肺がんステージ4に罹患してからって、治らないって言われてないらしいんですよ。なぜならば、新しい薬ができて、僕みたいに長生きする人が出てくるようになった。これ、確実に医療の常識というのが変わってると思うんですね。なので、大変だと思うんですけど、治療を頑張って、少しでも頑張って長生きしてれば違う未来になる可能性はあると思いますんで、希望は捨てずに頑張っていただきたいなという思いはあります。ありがとうございました。

岸田 ありがとうございました。いや、ほんとね、清水さんも免疫チェックポイント阻害剤がこうやって世に出てきたからこそ、こうやってご存命で今活動されているといったところあったかと思います。なので、少しでも生きていると次のお薬、次のお薬といったところが出てくるということがあるかもしれませんので、それを希望にしていければということを思います。というなかで終わっていきたいなと思うんですけど、清水さん、ちょっと長丁場、もう色々本当お話いただいたかと思いますけれども、どうでした、今日の。

清水 乃木坂愛は伝えられたかなと思います。

岸田 そこ。

清水 はい。

岸田 ぜひね、みなさんも。好きな曲とかあるんですか、全部お好きだと思うんですけど何か。

清水 君の名は希望という曲が大好きなんですね。

岸田 君の名は希望。

清水 ググってください。

岸田 はい、ちゃんとこの配信終わったあと、ちょっとググってみたいと思います。それはなんで、ちなみに。

清水 歌詞が好きなんですよね。あと、僕が最初にハマった頃の乃木坂で、その曲にすごい励まされてという。

岸田 励まされて。清水さんが励まされた曲でもあると思いますので、ちょっと僕も後で聞いてみたいなと思います。それでは、これにてがんノートorigin終了していきたいと思います。みなさん、ご視聴いただきましてどうもありがとうございました。それでは次の動画でお会いしましょう。バイバーイ。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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