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インタビュアー:岸田 / ゲスト:岡野
「ファンモンのライブが生きがい」27歳・岡野さんの素顔と骨肉腫との10年

岸田 今日のゲストは岡野さんです。よろしくお願いします!
岡野 よろしくお願いいたします!
岸田 では早速ですが、自己紹介をお願いしてもいいですか?
岡野 岡野と申します。出身は千葉県で、今は東京都に住んでいます。会社員をしていて、趣味は読書、ライブ鑑賞、一人飲みです。
岸田 趣味がいろいろありますね!ちなみにライブ鑑賞って、どんなライブに行かれるんですか?
岡野 中学生のときからファンキーモンキーベイビーズが大好きで。2013年に一度解散してしまったんですが、2021年から体制を変えて再始動して、また新曲も出しているんです。当時は高校生だったのでなかなかライブに行けなかったんですけど、今は社会人になって自分でお金を稼げるようになったので、去年はツアーで4カ所くらい行きました。
岸田 それはまさに社会人の強みですね。
岡野 本当にそうです。やっと自分でお金を使って楽しめるようになりました。
岸田 なるほど。ファンモンのライブに行くのが趣味という岡野さんですが、そんな岡野さんは「骨肉腫」というがんに罹患されました。当時はステージ1A。発症が17歳のときで、今は27歳になられています。そのときの治療は手術や薬物療法を受けられたんですね。
岡野 はい、そうです。
17歳で骨肉腫発症から10年後の患者会参加まで-心境変化の全記録
岸田 そんな岡野さんのペイシェントジャーニーを伺っていきたいと思います。ペイシェントジャーニーは、吹き出しや気持ちのグラフで心境の変化を表したものです。岡野さんの場合は、2011年からスタートして2022年までのおよそ10年間の流れになっています。この10年間、どう歩んでこられたのかをお聞きできればと思います。
まず高校入学からですね。ここは「どちらでもない」、ゼロ地点になっています。入学は「入学したな」くらいの気持ちだったんですね。
岡野 そうですね。特に「この部活をやりたい」とか「勉強を頑張ろう」という目標もなく、とりあえず通えるところに進学しただけという感じでした。なのでプラスでもマイナスでもなく、本当にゼロという気持ちでしたね。
岸田 なるほど。そこから左膝に違和感を感じた、と。どんな違和感だったんですか?
岡野 診断される1か月前くらいから、左膝の動きが悪くて「動かしにくいな」という感覚がありました。最初は痛みはなかったので「放っておけば治るかな」と思っていたんです。でも日に日に動きが悪くなってきて、痛みが出始め、最終的には足を引きずって歩かないといけないくらいになりました。「自分の体に何が起きているんだろう」と不安になっていましたね。
岸田 そんなに痛かったんですね。
岡野 はい。最終的にはかなり強い痛みになっていました。
岸田 そこから病院に行くことになります。「がんセンターを紹介」とありますが、それまでの流れは?近くの病院に行かれたんですか?
岡野 そうです。あまりに痛みが強くなったので「一度ちゃんと調べないと」と思い、母と一緒に近所の整形外科に行きました。そこでレントゲンを撮ったんです。自分としては「疲労骨折かな」くらいに思っていたんですが…。先生がレントゲンを見た瞬間にクリニック全体がバタバタし出して、「ただ事じゃないぞ」という雰囲気になりました。そのまま「緊急でMRIを撮ってください」と回され、検査を受けて戻ると、すぐに「この病院に行ってください」と渡されたのが千葉県がんセンター整形外科の紹介状だったんです。
岸田 紹介状に「がんセンター」と書いてあったから、そこで初めて「がんかも?」と気付いたんですね。
岡野 そうです。がんセンターの紹介状を渡されて「え、がん? 自分ががんってこと?」とパニックでした。まだ「どういうがんか」までは説明されたのかもしれませんが、そのときは頭が真っ白で覚えていないくらいでした。
岸田 なるほど。つまり告知を受ける前に「がんセンターに紹介される」ということで、がんかもしれないと知ったんですね。
岡野 はい。本当に「何が起きているんだろう」というパニック状態でしたね。
岸田 そしてがんセンターへ行くことになったんですね。
岡野 はい。
岸田 えっと、がんセンターに行って告知を受けたということですが、実際どんなふうに告知されたんですか?
岡野 クリニックで紹介状を渡されたのが金曜日だったんです。そのあと土日を挟んで、月曜日にがんセンターに行ったんですけど、その“待ちの2日間”が本当に怖かったですね。
岸田 わかる、それ。
岡野 「おそらくがんです」とは言われたんですけど、まだ確定ではない。だから、土日がとにかく長くて。で、月曜日に千葉県がんセンターの整形外科で「左大腿骨骨肉腫」と正式に診断を受けました。
岸田 告知を受けたときはどうでした?「まさか自分が」って思いました?
岡野 そうですね。まず「骨肉腫」という言葉自体を知らなくて。「がん」と言えば肺がんとか胃がんとかを想像していたので、聞いた瞬間「何それ?」という感じでした。説明を受けて「何十万人に一人の発症率」と聞いたときは、「なんで自分がこんな珍しい病気に?」という不安でいっぱいで、「治療を頑張ろう」という気持ちにはすぐにはなれませんでした。
岸田 不安でいっぱいの中で、すぐ治療が始まったんですね。
岡野 はい。月曜日に告知を受けて、もう次の日から入院。すぐに抗がん剤治療がスタートしました。
40キロ台まで激痩せした抗がん剤治療-「積み上げたものが崩れ落ちた」感染の絶望
岸田 MAP療法とありますが、これはどんな治療ですか?
岡野 「メソトレキセート」「アドリアマイシン」「シスプラチン」という3つの抗がん剤を組み合わせた治療です。頭文字をとってMAP療法と言います。これは…辛かった思い出しかないですね。
岸田 副作用でかなり下がったと聞きました。
岡野 はい。特に吐き気がひどくて。食欲もなくなり、何を口にしても吐いてしまう。食べ物も水分も受け付けない状態が数日続くこともあって…。その結果、治療開始から1か月で体重が10キロ落ちました。当時40キロ台まで減りました。
岸田 それはしんどい…。でも、そのあと手術へ進むんですね。腫瘍切除と人工膝関節置換。
岡野 そうです。抗がん剤を3か月ほど受けたあとに手術になりました。膝の腫瘍を切除して、その部分は人工膝関節に置き換えるという手術です。2つを同時に行いました。
岸田 大変な手術でしたよね。でも、その後リハビリで気持ちが少し上がっていきますね。
岡野 はい。膝の違和感や痛みで歩けない日々が続いていたので、リハビリを始めて「自分の足でまた歩ける」と思えた瞬間はすごく前向きになれました。「ここから這い上がっていこう」という気持ちになれたんです。
岸田 ただ、その後また大きく下がるんですよね。感染発覚…。

岡野 そうなんです。人工膝関節に感染が起きてしまいました。順調にリハビリをしていたのに、膝の痛みや熱感が出てきて、手術の傷口から膿が出るようになってしまって。先生に調べてもらったら「感染している」と言われて、再手術が必要に。しかも「これまでのリハビリは振り出しに戻る」と聞かされて、かなりショックでした。
岸田 ええ〜…。それはつらいですね。
岡野 このグラフでも出ている通り、それまでは副作用の辛さはあったけど治療自体は比較的予定通り進んでいたんです。だから「感染発覚」で一気に、それまで積み上げてきたものが全部崩れ落ちたように感じました。本当に精神的にしんどくて、このとき初めて両親に泣きつきました。
岸田 そうか…。でもそこからまた頑張って這い上がっていくんですよね。リハビリをゼロから再開して。
岡野 そうですね。再手術を終えてリハビリを再開できるようになったんですけど、やっぱり一度感染を経験しているので、「また感染したらどうしよう」という不安が常につきまとって、最初のリハビリほど気持ちは上向かなかったですね。どっちつかずの感情でした。
「薬があったから生きられた」実感から薬学部へ|夢を叶えた就職と新たな患者会への挑戦
岸田 でもそこから退院して、高校を卒業するんですよね。授業はどうしてたんですか?
岡野 一度、通っていた高校から入院先の特別支援学級の高等部に転校という形になりました。抗がん剤治療や副作用の様子を見ながら、そちらで勉強を続けました。もとの高校と特別支援学級の先生が連携してくれて、そこでの勉強やテスト結果をもとの高校の単位に認定してもらえたんです。そのおかげで留年や退学をせずに、無事に高校を卒業できました。
岸田 いや、それはすごい!治療と勉強を両立して、高校を卒業できたんですね。そこから大学受験に挑戦?
岡野 はい。高校に戻れたのが3年生の10月で、受験まで残り数か月しかなかったんです。現役で挑戦して、合格をいただけた大学もありました。ただ、体力面でまだ不安があったのと、納得できる勉強をできていなかったので、両親に相談して浪人することを選びました。1年間リハビリと勉強に専念して、翌年薬学部に合格しました。
岸田 薬学部を選んだのはやっぱり病気の経験が大きかった?
岡野 そうですね。高校生活を振り返ったとき、一番印象的だったのは抗がん剤でした。副作用で苦しんだ一方で、転移を防いでくれたのも抗がん剤。だから薬を勉強して将来役立てたいと思って薬学部を志望しました。
岸田 大学に進学して、一人暮らしも始めて、そして就活の時期に「医薬品開発業界」へと。やっぱりそこも病気の経験から?
岡野 はい。大学3年のときに将来を考えたとき、「薬があったから生きられた」という実感が強くて。新しい薬や治療に携わる仕事をしたいと思いました。
岸田 就活では病気のことは伝えたんですか?
岡野 伝えました。僕の場合は病気の経験が志望動機でもありましたし、人工関節があって身体障害の状態でもあるので、正直に話しました。大学の先生からも「伝えたほうがいい」と言われていましたし、受け入れてくれる会社が一番だと思ったので。
岸田 その結果、医薬品開発の業界で内定をいただいて、もう働いて5年になるんですね。
岡野 はい。
岸田 で、社会人になって5年。ここで少しグラフが下がってますね。社会人4年目のときに何があったんでしょうか。
岡野 そうですね。単純に仕事への緊張感もあるんですけど…。希望していた業界に入れたのは本当にモチベーション高かったんです。ただ、配属先がシステム開発の部署だったんですよ。医薬品開発に必要なシステムをつくる部署で。だからプログラミングとかシステム関連の知識が求められたんですけど、僕は薬学部出身で、そこは全く触れてこなかった分野だったので「何それ…?」という状態でした。だから勉強しなきゃというプレッシャーもあって、気持ち的にはちょっと下がったんです。
岸田 なるほど。薬学部からプログラミングは、確かにギャップありますもんね。そこからまた「がん患者会」に参加されたんですね?
岡野 はい。治療から10年が経つタイミングで、何か新しいことに挑戦したいという思いが強くなりました。同じ世代でがんを経験した人と交流することで、入院生活を振り返ったり、新しい発見があったりするかなと思って。あのときの経験を言葉にすることで、自分の中でも整理できる気がしたんです。だから新しい一歩として患者会に参加させてもらうようになりました。
闘病中の心の整理術-「調べるのをやめる」決断と周囲のサポートの重要性

岸田 はい、ありがとうございます。そして岡野さん、次の一歩を踏み出されているということですね。本当に素晴らしいです。さて、岡野さんが大変だったこと、困ったこと、そしてそれをどう乗り越えたかについて伺いたいと思います。いただいた内容では、「自分の感情の整理」や「自分の考えを言葉にしていいのかという自信」といった点が挙げられていますね。それを情報のシャットアウトや、家族・友人・臨床心理士の方が“ただ聞いてくれる時間”を通して乗り越えてこられたとのことですが、詳しくお話しいただけますか?
岡野 そうですね。まず感情の整理についてです。入院当初は、骨肉腫についていろいろ調べていました。5年生存率はどのくらいなのか、どの治療が良いのか、同じ病気を経験した人のブログや闘病記なども読み漁っていました。でも情報が多すぎて、何が正しいのか分からなくなったんです。サイトによっては書いてある生存率も違うし、「ここではいいことが書いてあるのに、別のところでは悪いことが書いてある」と…。
その上、抗がん剤の副作用のつらさや治療そのもののストレスもあって、感情がぐちゃぐちゃになってしまいました。そこで、ある時から「もう自分で調べるのはやめよう」と決めたんです。治療のことはプロである主治医や看護師さんに任せ、自分は信じて従う。そう割り切ったことで気持ちが整理できて、前に進めるようになりました。
岸田 なるほど。とても大事な決断ですね。では「言葉にしていいかという自信」という点はどうですか?
岡野 はい。同じ病棟に自分より大変な状況の人がいるんじゃないかと思うと、「自分がこんなにつらいって言っていいのかな」と悩むことがありました。
でも、心の中に抱え込むだけでは限界があって…。そんな時に家族やお見舞いに来てくれた友人、そして病院の臨床心理士の方が、本当にただ話を聞いてくれたんです。「それは正しい」とか「間違っている」とか一切言わずに、ただ耳を傾けて受け止めてくれた。意見が欲しいわけじゃなくて、「自分は今こう感じている」と吐き出す場があったことが本当に救いでしたね。自分ひとりでは抱えきれないものを、聞いてくれる人が受け止めてくれた。その時間がとても大きな支えになりました。
岸田 うん。そうやって支えてくれる人たちがいたからこそ、乗り越えてこられたんですね。
では最後に、岡野さんから今ご覧になっている方々へメッセージをお願いします。
「生きる怖さは没頭で乗り越える」骨肉腫経験者が伝える”生きるための処方箋”

岡野 はい。私からの一言として「生きる怖さは没頭で乗り越える」という言葉を選びました。
この言葉を選んだ意図は、骨肉腫を経験してからの自分の思いにあります。
もちろん「自分の人生が終わってしまうのでは」という、死に対する恐怖もありました。でもそれ以上に強く残ったのは「生きているとこんなに苦しいことがあるんだ」「生きることってこんなに怖いことなんだ」という体験でした。今もなお、死よりも「生きることの怖さ」を感じることがあります。
それでも今、自分が生きていられるのは、その怖さを忘れられるくらい没頭できる時間があるからです。大切な人と過ごす時間、やりたいことや仕事へのやりがい、趣味…。人によって違うと思いますが、そうした希望を感じられる時間は「生きるための処方箋」だと信じています。
治療中はつらさしか見えなかったり、治療後も「この先大丈夫かな」という不安を抱えることもあるかもしれません。でも必ず、その不安や怖さを乗り越えさせてくれる存在や時間は一人ひとりにあると、私は信じています。
どうか皆さんも、それぞれの「処方箋」を見つけて、一緒に生きていけたらと思っています。以上です。
岸田 ありがとうございます。「生きる怖さ」という言葉は一瞬ドキッとしますが、岡野さんの体験から出てきた大切なメッセージだと思います。
視聴者の皆さんもぜひこの言葉を胸に刻んで、まずは治療に専念していただき、そしてこれからをしっかり生き抜いていってほしいと思います。
今日は岡野さんの貴重な経験を伺いました。皆さん、いかがでしたでしょうか。また次の動画でお会いしましょう。
それでは、ありがとうございました!
岡野 ありがとうございました。
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