目次
- 【オープニング】テキスト / 動画
- 【ゲスト紹介】テキスト / 動画
- 【ペイシェントジャーニー】テキスト / 動画
- 【大変だったこと→乗り越えた方法】テキスト / 動画
- 【メッセージ】テキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト: 清水
【オープニング】
【ゲスト紹介】

【ペイシェントジャーニー】

岸田 清水さんのペイシェントジャーニーは、2018年から2022年、そして現在に至るまで描かれています。青色がネガティブな時期、赤色がポジティブな時期を示していますが、まず最初の「プラマイゼロ」の地点から見ていきましょう。最初は「歯医者に通う」ところから始まっているんですね。清水さん、最初は歯が痛かったというわけではなかったんですか?
清水 そうなんです。痛いというよりも、舌の一部が白っぽくなっていたんです。歯がこすれて、当たっているような感じもあって、「ちょっと気になるんですけど」って歯医者さんに言ったら、「歯が当たって舌が白くなることがあるんだよ」って言われて、歯の内側を削ってもらったんです。
岸田 あ、そういうことだったんですね。
清水 そうなんです。内側がとがってるから削ったほうがいいって言われて。歯並びもそんなに良くなかったので、当たらないように削ってもらってたんです。
岸田 なるほど。定期的に通われてたんですね。
清水 はい。削ってもらうと、そのときは少し良くなるんですよ、白っぽい感じも薄れて。
岸田 ああ、そうなんですね。
清水 だからしばらくは、そんなふうに通っていました。
岸田 そして定期的に歯医者さんに通う中で、だんだん痛みが出てきたと。そこから耳鼻科に行かれたんですね?
清水 そうなんです。最初は白かっただけだったんですけど、だんだん赤くなってきて。口内炎っぽいけど、ちょっと違う感じで、触ると血が出るようになって。これはおかしいなと思って、自分で調べたら「耳鼻科に行くといい」と書いてあったんです。
岸田 ネットで調べたら耳鼻科が出てきたんですね。
清水 はい。「なんで耳鼻科?」と思いながらも、症状が似ていたので行ってみました。
岸田 そして耳鼻科に行ったところ、そこから一気に流れが変わるんですね。ここで——「がんの告知」。
清水 そうなんです。最初の耳鼻科は小さな病院だったんですけど、薬を塗ったり処方してもらったりしても、まったく治らなくて。「ちょっと気になるから、大きな病院で診てもらったほうがいいよ」と言われて、紹介状を書いてもらいました。大学病院を紹介してくださって。
清水 その大学病院では、最初は若い先生が診てくれて、その先生がいったん下がると、中堅の先生が来て、最後にベテランの先生が出てきて。皆さんが順番に私の口の中をのぞき込みながら、どんどん表情が険しくなっていくんです。
岸田 うわ……それはもう、嫌な予感しかしないですね。
清水 そうなんです。で、「断言はできないけど、がんの可能性があると思う」と言われて。「詳しく調べよう」と。いきなりそんな展開になるなんて思ってもいませんでした。
岸田 やっぱり、ネットでいろんな情報を見てしまうと、余計に怖くなりますよね。
清水 そうなんです。最初は「同じ病気の人、どうしてるんだろう」って軽い気持ちで調べてたんですけど、だんだん深みにはまっていって。ブログとかSNSで「手術しました」「退院しました」って書かれてるのを読んで、少し安心したのも束の間、次に見た投稿で「闘病の末に亡くなりました」っていう家族の報告を見てしまって。
岸田 ああ……。そうなると、自分の未来をそこに重ねてしまいますよね。
清水 そうなんですよ。「ああ、私もこうなるのかな」って。特に夜中に見たりすると、もう止まらなくなっちゃって。検索して、読み込んで、怖くなって泣いて、また調べて……の繰り返し。完全に“がんの検索スパイラル”みたいな感じでした。
岸田 わかります。その“止まらない感じ”ありますよね。
清水 ありますね。少しでも希望を見つけたいのに、気づけば不安な情報ばっかり集めてしまって。頭では「悪い情報ばっかり見るのやめよう」って思ってるのに、心が勝手に動いちゃうんです。
岸田 まさに、人間の自然な反応ですよね。誰でも、怖いときほど答えを探そうとしちゃう。
清水 そうなんです。でもそのときは、自分でも「落ち着こう」とか「深呼吸しよう」とか、そんな余裕もなかったですね。携帯を握りしめたまま、ただただ不安で。
岸田 その不安のピークのときに、やっぱり家族の支えもありました?
清水 ありましたけど、逆に子どもたちを心配させたくなくて、あまり泣けなかったですね。特に息子が不安定だったので、「大丈夫だよ」「治るよ」って自分でも思ってないことを言ってました。夜、一人になると泣いてましたけど。
岸田 そんなに早く大きくなっていったんですね。先生も驚かれたでしょう。
清水 そうですね。本当にびっくりされていました。「えっ、こんなに短期間で?」って。私自身も鏡を見るたびに、どんどん膨らんでいくのが分かって、怖くてたまらなかったです。触ると少し熱をもっていて、ズキズキするし、食べ物が当たるたびに痛みが走っていました。
岸田 体の変化が日ごとに分かってしまうというのは、精神的にもかなりきついですよね。
清水 そうなんです。何もしなくてもジンジンしていて、寝ていても気になるし、起きて鏡を見たらまた大きくなっているように見える。その繰り返しでした。日に日に「これ、どうなっちゃうんだろう」という不安が増していったんです。
岸田 そして、先生に診てもらったタイミングで「これは急がなきゃいけない」となったわけですね。
清水 はい。最初は「手術は2月中旬以降になる」と言われていたんですけど、診察のときに先生が腫瘍を見て、「もうそんな悠長なこと言ってられないね」と。その瞬間から一気に動き出しました。
岸田 本当に、状況が急変した瞬間だったんですね。
清水 そうですね。それまで“いつになるか分からない”という宙ぶらりんな状態が続いていたのが、一気に“今すぐ動かなきゃ”に変わって。少し安心もしましたが、同時に「もう逃げられないんだな」と覚悟するしかないと感じました。
岸田 なるほど。怖さと同時に、ようやく治療が動き出す実感もあったわけですね。
清水 はい。怖い気持ちはずっとありましたけど、止まっているよりも動き出せたことのほうが救いでした。「やるしかない」と思いましたね。
清水 気持ちは悪かったけど、このときは本を読んだりしながら、少し穏やかな時間も過ごしていました。
岸田 穏やかな時間を過ごせたということで、このあたりは少し上がっていたんですね。
清水 はい、ほんの少しだけですけどね。
岸田 ただ、そのあと少し下がっていくんですよね。何があったんでしょう。
清水 そうなんですよね。電気メスです。
岸田 電気メス。
清水 最初のうちはまだ良かったんですよ。私の手術は「縫わない手術」だったんです。
岸田 縫わない手術? 舌を切っても縫わないんですか。
清水 そうなんです。舌をバサッと切ったあと、普通なら横の部分を縫いますよね。でも、私の場合は縫わなかったんです。縫ってしまうと“玉結び”みたいにきゅっと縮んでしまって、舌の動きが悪くなる可能性があるそうなんです。だから、切った部分に“傷パワーパッド”のようなシートを貼って、自然に再生していく方法を選びました。
岸田 なるほど。舌の再生を促すための方法なんですね。
清水 はい。ただ、そのシートが剝がれてくるんですよ。ちょうどかさぶたが自然に剝がれるような感じで。
岸田 ああ、ありますね。
清水 でも、まだ治りきってない部分のシートが剝がれると、血が出ちゃうんです。皮膚ならそのままでも止まるけど、舌は出血すると止血しなきゃいけなくて。その止血を“電気メス”で焼いて行うんです。
岸田 びっと焼くやつですね。
清水 そう。それが本当に痛かった。焼かれるたびに、焦げるような匂いもして……あれは一番嫌でしたね。
岸田 清水さんの場合は、再生を促す貼付処置と電気メスによる止血を繰り返していたということですね。舌がんの治療は本当に人それぞれですから、今見ている方も主治医の先生としっかり相談してほしいですね。
清水 そうですね。私の場合はあくまでそういうやり方でした。
岸田 ただ、その後、さらに大変な出来事があったんですよね。緊急手術。
清水 はい。まさかの緊急手術になってしまいました。あのシート、普通は少しずつ剝がれていって治っていくんですけど、ある日、突然ぜんぶ一気に剝がれちゃったんです。
岸田 えっ、一気に?
清水 はい。しかも、それ、私のせいなんですよ。テレビを見ていたときに、好きな歌手の曲が流れてきて、思わず口が動いちゃったんです。ほんの少し一緒に口ずさんじゃって……。
岸田 口ずさみたくなりますね。
清水 そうなんですよ。口ずさむというか、ハミングしちゃったんです。「あ、歌えるかも」と思った瞬間、涙が出てきて。泣いちゃいけないと思って我慢したら、つい「ううん…」って力が入ってしまって。その拍子に、全部剝がれちゃったんです。まだ動脈が完全にふさがってなかったみたいで、血が止まらなくなってしまって。そこから緊急手術になりました。
岸田 それは大変でしたね…。緊急手術をしてからは、落ち着いたんですか?
清水 手術をして、今度は「ここだけはもう縫わないと駄目だ」と先生に言われて。だからそこだけ縫ったんです。でも先生が言っていた通り、縫うとやっぱり少し“つれ”が出て、動きが悪くなるんですよね。だから、今も少し違和感があります。
岸田 なるほど。少し引きつれる感じなんですね。
清水 そうです。でも、しゃべれるし、生活に支障はありません。だから「大丈夫、大丈夫」って自分に言い聞かせてます。
岸田 本当にすごいですよ。舌を半分切られているのに、こうして普通に話されているのが信じられないくらいです。
清水 ありがとうございます。そう言ってもらえると励みになります。
岸田 そして、ここからグッと上がっていくんですよね。何があったんですか?
清水 はい、手術を終えて、2度目の手術のあとから気持ちが少しずつ前向きになりました。縫ったことで回復が早かったのもあって、舌が動かせるようになってきたんです。それがすごくうれしくて。そこから「なんで自分はがんになったんだろう」とか「これからどう生きよう」って考えるようになって、本を読んだり、ポジティブな情報を調べたりしました。
岸田 情報収集ですね。
清水 そう。手術前はブログで悲しい記事ばかり読んでたけど、今度は前向きな人の話を探すようになったんです。「自分もまた歌えるようになりたい」って。そんな気持ちで、少しずつ希望を取り戻していきました。
岸田 それで、“もう一度歌おう”と思われたんですね。
清水 はい。手術で舌が動くようになってくると、退院も見えてくるじゃないですか。そうすると「この状態でもまた歌えるかもしれない」って思えてきて。そこから前向きになっていきました。
岸田 そして、鼻からの栄養補給が終わって、今度は口から水を飲むリハビリが始まったんですね。
清水 そうなんです。口から水を飲むって、当たり前にできると思ってたけど、全然簡単じゃなくて。最初は全然飲み込めなかったんです。
岸田 “ゴックン”が難しかったんですね。
清水 そう。ゴックンって意外と複雑なんですよ。だから最初はプリンみたいに柔らかいものから始めて、1食食べるのに2時間以上かかってました。食べ終わったらもう次のご飯の時間が来るくらいで(笑)。
岸田 本当に大変ですね…。
清水 そうなんです。「食べないと退院できないよ」と言われて、焦るけど食べるのもつらくて。そこでちょっと落ち込みましたね。
【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 そんな清水さんのゲストエクストラですが、「大変だったこと・困ったこと」として、入院中の意思疎通、そして子どもの気持ちのケアという項目を挙げてくださっています。それをどう乗り越えたかという部分では、「電子パッドを用意した」「毎日のLINE」「ハグ」などと書かれていますね。まず、入院中の意思疎通についてお聞きします。声が出せなかったから、電子パッドを使われていたんですか?
清水 そうなんです。声を出しても「わー」くらいしか出ないから、何を言ってるのか分からないんですよ。だから、最初は紙とペンでもいいかなと思ったんですけど、量がすごいことになりそうだなと思って。舌を動かせないって聞いていたので、電子パッドを買って、それで筆談をしていました。先生にも、看護師さんにも、お見舞いに来てくれた友人にも、それで会話をしていましたね。
岸田 なるほど。文字で伝えるということですね。でも、書くのも時間がかかりますもんね。
清水 そうなんです。一言、口で言えば済むのに、書くのに時間がかかる。相手が待ってくれている時間が、すごくもどかしかったですね。「大丈夫」とか「痛い」とかだけでも、やっぱりすぐ伝えられないのがつらかったです。
岸田 それでも電子パッドを使って、入院中の意思疎通を続けていたんですね。すばらしい工夫です。そしてもう一つ、「子どもの気持ちのケア」というところですが、これはどんなふうにされたんですか?
清水 私はシングルマザーで、子ども2人と3人で暮らしていたんです。入院中は実家の両親がサポートしてくれたんですけど、それだけだとやっぱり子どもたちも不安だったみたいで。そんなとき、息子や娘の友達のご家庭が「うちに泊まりにおいで」と言ってくださって、1週間くらい泊まらせてくれたんです。
岸田 1週間も! それは本当にありがたいですね。
清水 はい。本当に助かりましたし、子どもたちも気晴らしになったみたいです。あとは、友達の親御さんが病院までお見舞いに連れてきてくれたこともありました。そのときは、できるだけハグをして安心させてあげました。
岸田 電話とかもできなかったんですもんね。
清水 そうなんです。手術後はしゃべれなかったので、電話ができなくて。その代わり、LINEでやり取りをしていました。文字で「大丈夫だよ」「今こうしてるよ」って送るだけでも、子どもたちは安心してくれたみたいです。
岸田 なるほど。入院中の意思疎通も、こうしてデジタルでサポートできるようになってきたのは心強いですよね。
清水 そうですね。あのとき本当に思いました。病院の中でも、LINEみたいにスムーズにやり取りできる環境があったら、どれだけ助かっただろうって。キャッチボールができないもどかしさがいちばん大きかったです。
岸田 そしてもう一つ、グッズも持ってきてくださっていると。
清水 はい。これは「舌をきれいに保つため」に入院中ずっと使っていたものなんです。食べられなくても、口の中って不思議と気持ち悪くなるんですよ。歯ブラシは使えないので、代わりに**スポンジブラシの「ハミングッド」**というものを使っていました。
岸田 スポンジで磨く感じなんですね。
清水 そうです。こうやって、やさしく「こする」ようにして口の中をきれいにしていました。これを毎日やって、うがいもして。舌のシートを剝がさないようにしながら、口内を清潔に保っていました。あれがなかったら、本当に不快だったと思います。
岸田 なるほど。細かい工夫の積み重ねで乗り越えてこられたんですね。今は、もう普通に歯磨きしても大丈夫なんですか?
清水 はい、今は大丈夫です。ただ「気をつけてね」とは言われています。当たるとやっぱり傷つきやすいみたいで。切った部分が少し敏感なんですよね。神経が過敏というか、熱いものとか、逆に冷たいアイスなんかはまだ苦手です。刺激に弱いというか。
岸田 なるほど。そういう感覚の変化もあるんですね。
清水 そうなんです。食べられるんですけどね、ちょっと気を使う感じです。
岸田 辛いラーメンとかは、さすがに厳しそうですね。
清水 そうですね。辛いラーメン大好きだったんですけど、今は食べないです。あと、チーズとか。
岸田 チーズも?
清水 はい。チーズとかチョコレートみたいに“もったり”した食べ物は、舌をしっかり動かさないと食べられないんです。あめとかガムも、口の中で前に出てきちゃうような感じで、しばらくは上手く扱えなかったですね。今はだいぶ良くなりましたけど、退院してからしばらくはそういう状態でした。
岸田 なるほど。そこからだんだん慣れていって、1年くらいでだいぶ普通に戻っていったという感じですか?
清水 はい。そうですね。大体1年くらいかけて、少しずつ感覚も戻ってきました。食べるのもしゃべるのも、時間をかけてゆっくり慣らしていった感じです。
【メッセージ】

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