目次
- 【発覚から告知まで】テキスト / 動画
- 【治療から現在まで】テキスト / 動画
- 【家族(パートナー)】テキスト / 動画
- 【家族(親・兄弟)】テキスト / 動画
- 【妊よう性】テキスト / 動画
- 【仕事】テキスト / 動画
- 【お金・保険】テキスト / 動画
- 【遺伝子検査】テキスト / 動画
- 【辛い・克服】テキスト / 動画
- 【後遺症】テキスト / 動画
- 【反省・失敗】テキスト / 動画
- 【特別養子縁組】テキスト / 動画
- 【医療者へ】テキスト / 動画
- 【Cancer gift】テキスト / 動画
- 【夢】テキスト / 動画
- 【ペイシェントジャーニー】テキスト / 動画
- 【今闘病中のあなたへ】テキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:野口
【オープニング】

岸田 本日のゲストは野口さんです。 野口さんの闘病経験、そしてその背景にどんなことがあったのか、しっかりお話を伺っていければと思っています。ぜひよろしくお願いいたします。野口さん、自己紹介をお願いできますでしょうか。
野口 はじめましての方もいらっしゃると思います。野口晃一郎と申します。今ご紹介いただいたように、私は男性では珍しい乳がんを発症しまして、現在治療中です。41歳の時に見つかりまして、今6年目になりますが、ホルモン治療を続けています。
仕事はフリーライターをメインに、フリーアナウンサーなど、色々な仕事をしております。今日はどうぞよろしくお願いします。
岸田 お願いします。今日は、実は今月が“乳がん月間”ということもありまして、乳がんの経験者さんをお呼びしたいと思った時に、野口さんにオファーさせていただきました。男性でも乳がんになるということを、多くの方に知っていただきたいなと思った次第でございます。
【発覚から告知まで】
岸田 なので皆さん、乳がんは女性だけのものと思われがちですが、男性も乳がんになるということを、今回を機に少しでも知っていただけたらなと思っています。
ということで、ここからは野口さんの「発覚から告知まで」についてお話を伺っていきたいと思います。まず、どうやって発覚していったのか、こちらのフリップをご覧ください。
岸田 まず、2016年の8月に、妻とスリランカ・モルディブ旅行。なんかすごい。これは新婚旅行とかではなく、普通に?
野口 ではなく、普通の夏休みを利用して、ちょっと身体を休めたいなと思って行きました。ご存じの方も多いと思いますけれど、“アーユルヴェーダ”という身体のメンテナンスのような施術があって、それを体験したくてスリランカへ。そしてモルディブは憧れの海、ということで、本当にプライベートの旅行で行ってきました。
岸田 プライベートの旅行で。どうでした? スリランカ・モルディブ。
野口 めちゃくちゃ良かったです。今はコロナで海外旅行もなかなか行けないですけど、日常を忘れる機会にもなって、思いっきり羽を伸ばしてきました。
岸田 思いっきり羽を伸ばす、大事。
そんな中、2016年10月に左胸に違和感、不安になったと。この違和感、どうやって気づいたんですか? みんな“触って見つけた”とか“洗ってる時に気づいた”とかあるんですけど、野口さんは?
野口 多くの人は“しこり”のようなものがあって気づくと思うんですけど、僕の場合は左胸の乳首だけへこんでたんです。
岸田 へっこむ?
野口 そうなんです。乳輪のあたりが“くぼむ”“えぐれる”という感じで。それを自分で見つけたわけではなく、お風呂に入る時に服を脱いだら、妻が隣にいて「あれ? 左だけへこんでない?」って言って。見比べたら、確かに左だけ陥没していたんです。
妻の反応は、「いや、太りすぎたからじゃない?」みたいな軽い感じでした。
岸田 太りすぎたら逆にへこむ(笑)。
野口 そう、そんな風に言われました。
岸田 それで、「確かにへこんでるな」と不安になったと。
野口 そうですね。思い返すと、チクチクするのが左だけあるとか、極端に左だけ違うとか、そういうこともあって「なんか大丈夫かな」と思い始めました。
岸田 その陥没具合って、けっこうな陥没なんですか?
野口 本当にはっきり分かるくらい陥没してました。本当は写真をお見せできれば早いんですけど……。左右で極端に違っていました。
他の方だと“出血”とか“分泌液が出る”などの症状もありますが、僕の場合はとにかく見た目で明らかに分かる“くぼみ”でした。
岸田 普通、しこりは“ぼこっ”と膨らむイメージなのに、へこむんですね。
野口 先生の説明によると、腫瘍が乳管を引っ張るんだそうです。そうすると表面の乳頭のあたりがくぼんでくる、と。
岸田 それで明らかに左右が違うから不安になったと。
野口 そうですね。それで、僕がラッキーだったのは、フリーライターとして地元新聞社で乳がん特集を毎年担当していて。ちょうど取材があったので「先生に聞いてみようか」と思って聞いたんです。
野口 先生は「よっぽどないけど、男性の乳がんは年配の方が多い。60歳以上が多いからね。でも心配なら検査してみたら?」と。
当時僕は40代前半だったので「まあ無いとは思うけど……」という感じで。その流れで12月に検査を受けに行きました。
岸田 仕事でお世話になっていた乳腺外科の先生にそのまま相談して、その流れで検査へ行ったと。
乳腺外科に行ったんですね? それとも別の科に?
野口 取材していた先生が乳腺外科だったので、ダイレクトに乳腺外科へ行きました。内科か皮膚科か迷う方も多いと思いますが、その点は助かりましたね。
ただ、初めての乳腺外科はアウェー感が半端なかったです。
岸田 そうですよね。乳腺外科は女性が多いし、待合室もほぼ女性ですよね。
野口 そうです。まれに奥さんの付き添いで男性がいる程度で、基本見渡す限り女性。
今は無いですが、当時は「なんで男の人がひとりでいるの?」といった声が聞こえてくるような気がして……居場所が無い感じはありました。
岸田 それで受診していって、その後マンモグラフィー検査とあるけれど、一通り検査をした?
野口 そうです。女性と同じように胸を挟んで撮る検査をしました。腫瘍の検査なども一通り受けました。
岸田 マンモグラフィーって痛いってよく聞くじゃないですか。どうでした?
野口 女性の気持ちが分かりました(笑)。胸を挟まれるので締め付けが痛いなって。
岸田 あれって一瞬で終わる? それとも何分も締め付けられる?
野口 そこまで長くはないです。レントゲンと同じで撮ったらすぐ解放されます。ただ、角度を変えて何枚も撮るので多少時間はかかりますが、ずっと痛いわけではないです。
岸田 でも男性だと胸が女性ほどないじゃないですか。それでも?
野口 本当大変だと思います。寄せて挟む、って感じでしたね。……あんまり言いたくないですが、僕は多少あったので、挟めました。
岸田 なるほど(笑)。それでも寄せてできたんですね。
野口 そうですね。
岸田 そして、マンモグラフィーの検査は終わっていきます。その後、次のスライドではこんな感じ──乳がんの宣告を受けていくという流れですね。
その後、すぐに乳がんの告知を受けたんですか、野口さん。
野口 最初に検査を受けに行ったとき……これネットで話していいのか分からないですけど、その取材していた先生が「ちょっとさ、見せてもらっていい?」と、結構シビアな感じで言われたんです。
その時点で「あれ? これはただ事じゃないのかも」と感じました。
野口 検査結果って、その場では出ないじゃないですか。診察の日と検査の日はずれてますし。でも僕は、なんとなく引っかかってしまって、先生に“数字”を出したんですね。
岸田 先生に? 自分から?
野口 はい。「これ……ステージ、これ?」みたいな感じで。先生も診断確定前だから言えないんですけど、なんとなくさりげない反応があって。
岸田 ちゃんとした検査、生検をしないと分からないですもんね。正式に言葉にはできないけど、手の反応で伝わるというか。
野口 そうですね。
で、検査が終わって、生検の結果も出て、改めて先生から**「乳がんだったよ」**という正式な宣告を受けました。
岸田 「乳がんだったよ」と言われたときの、野口さんの心境はいかがでしたか。
野口 最初は驚きました。でも、同時に取材を通じて「乳がんは早期に見つかれば助かるがん」というのも知っていたので、早期で、転移が無いといいなという希望もあって。
昔はがん=死のイメージでしたが、そうじゃないと自分に言い聞かせていたのを覚えています。
岸田 自分に言い聞かせながら、その後「妻への告知」とありますが、奥さんと一緒に病院に行ったわけではない?
野口 最初の検査は自分で行きました。その後の検査結果を聞くとき……だったかな? 一緒に行ったような気もします。
岸田 一緒に聞いた時に、同時に告知された感じ?
野口 そのあたりの記憶は曖昧なんですが、妻にどう伝えるかはすごく悩みました。
彼女の周りにはがんの方も多く、父親も胃がんで亡くしていて、がんに対して複雑な思いを持っていたので。
野口 しかも僕は乳がん特集を取材していて、妻に「乳がん検診に行ってきてね」と言う立場だったのに、まさか自分が乳がんとは……。
「どうやって言おう」とすごく悩みました。
岸田 悩んだ結果、どう言ったんですか?
野口 詳しくは覚えてないんですけど、「見つかったよ」というのと、当時の診断がステージ1の早期だったので、「早期発見だから手術で取り除けば元気になる可能性が高い。一緒に頑張ろうね」と伝えたのは覚えています。
岸田 奥さんをあまり心配させないように、気を遣って、きちんと情報共有したんですね。
野口 そうですね。2人とも落ち込んでいると前に進めないので、自分がブレないように、落ち着いて話すように努めていました。
岸田 ありがとうございます。そして次の項目に行く前に、色々コメントをいただいていますので、読んでいきたいと思います。
岸田 よしさん、こんにちは。今日も楽しみです。トヨダさんもこんにちは。やまやさん、ジツハラさんもこんにちは。kameさんもよろしくお願いします。クボさんもよろしくお願いします。
岸田 よしさんから、「左乳首が陥没、痛みとか何もなかったのでしょうか?」という質問。痛みは無かった?
野口 痛みは無かったですね。さっき話した“チクチク”はあったんですが、先生いわく「直接的ながんの影響ではない」と。
岸田 痛みは特に無い、と。ジツハラさんから、「男性乳がんってどれくらい珍しいんでしょう? 希少がんですか?」という質問。「男性で乳がんってピンと来ないので、病院に行こうと思わないですよね」ってことですが、発生率はどのくらい?
野口 国立がん研究センターが統計を出していますが、全体の約0.6%と言われています。1%を切っているんですね。
人数でいうと日本では年間600人くらいが罹患しています。
岸田 600人! 日本で600人ですか。
野口 はい。でもそれが毎年積み上がっていくので、600・1200・1800……と累積していく形になります。
岸田 しかも、さっき野口さん、おっしゃったように、ちょっとご高齢の方のほうが多いんですか。
野口 みたいですね。65歳以上の発症の方が比較的多いというふうに言われています。女性の場合は40歳代とか、AYA世代の方も悩んでらっしゃる方も多いと思いますけど、男性は比較的高齢の方が発症するという統計が出てるそうです。
岸田 そうなんですね。ありがとうございます。シバタさんも、野口さん、こんにちはだったりとか、やまやんさんも、男性はマンモで挟めるお肉なく、更に痛そうですっていうご返答もいただいております。ありがとうございます。
野口 痛いつながりだと、さっきの乳腺外科の視線もまあまあ痛い、ダブルで痛いというか。
岸田 心がちょっとね。メンタルがえぐられてくる的なね。確かに。
野口 今は全然慣れましたけど、大丈夫ですけど。
【治療から現在まで】
岸田 ありがとうございます。もし皆さん、聞きたいことあったらチャット欄からいただけたらと思います。感想もぜひ。では、ここから治療について入っていきたいと思います。どんな治療をしていったのか、そして現在までの流れをお伺いしていきたいと思います。
岸田 まず治療として、2017年2月から手術を行われています。「センチネルリンパ節転移」とありますけれども、こちらはどういった手術をしていったんでしょうか。
野口 男性の場合、基本は女性と同じ手術方法に準じるということでした。私の場合はがんの性質や位置を含めて、左胸を切除するという手術になりました。
野口 先生の説明で印象的だったのは──「おまんじゅうありますよね。おまんじゅうの“あんこ”が筋肉だとして、その筋肉をぱかっと割って、あんこを取る。そして皮をつないで閉じる──そういう手術です」という例えでした。
岸田 ほーー。ということは、全摘になるんですか? 全摘にはならない?
野口 全摘です。左胸は完全に取っていて、今は左側には胸が無く、縫い目だけが残っています。
岸田 じゃあ、おまんじゅうの“あんこ”にあたる部分──そこにがんがあったから、それを全部取ったということですね。

野口 そうですね。例えば塊が1つだけなら良いんですけど、周りにばっと散らばる場合もあります。女性の場合は乳房温存など色々な選択肢があると思いますが、男性の場合は──言い方が正しいか分からないんですけど──女性ほど象徴的な意味を持たない分、切除のハードルが少し低いというか、そういう背景もあって切除という形になりました。
岸田 切除で……女性にはちょっと聞きづらいから、野口さんに聞いちゃうんですけど。
野口 いいですよ。
岸田 全摘の場合って、いわゆるビーチクはどうなるんですか。
野口 無いです。三日月というか葉っぱのような形で切り抜くので、ちょうどそのラインが乳首と重なっていて、そこごと“ピュッ”と取って貼り合わせるイメージです。なので乳首はありません。
岸田 乳首は無くなるんですね。
野口 はい。ただ余談ですが、アメリカでは乳首を再建する技術があって、この辺りの皮膚を少し移植して“乳首風の形”を作るという方法があります。
岸田 ありますよね。女性でもタトゥーのように医療的に乳輪を再現するケースもありますし、時代と共に変わってきているなと思います。
ありがとうございます。では「センチネルリンパ節転移」についてですが、こちらは?
野口 リンパは全身を流れていますが、繋ぎ目のところに“堰”のような役割のセンチネルリンパ節があります。そこを越えると腫瘍が全身へ広がってしまう可能性が高くなります。
野口 僕の場合、その“堰”にいくつか腫瘍が到達していたので、このまま放置すると全身転移の恐れがあるということで、左腕側のリンパを切除し、全身転移を防ぐための手術を同時に行いました。
岸田 ということは、胸の部分だけではなく、リンパにも転移していたということで、ステージ1ではなく、自己紹介にあったようにステージ2になるわけですね。
野口 はい、ステージ2Aという診断でした。
岸田 そこからリハビリが始まっていきますが、手術だけで済んだ感じですか? 抗がん剤は?
野口 乳がんには4つほどタイプがあって、がんの“顔つき”とよく言われるんですが、僕の場合は抗がん剤をやっても効果の差があまり無いというタイプでした。
むしろ女性ホルモンの影響が強いタイプだったので、ホルモンの調整をしたほうが良いと言われ、現在もホルモン治療を続けています。
岸田 野口さんのタイプは抗がん剤をしなくても大丈夫だったんですね。
野口 はい。放射線も、全摘なので必要ありませんでした。
今、ホルモン治療6年目で、最大10年続くと言われているので、まだ半ばですね。
岸田 ホルモン療法は毎日飲むんですよね。
野口 そうです。朝に錠剤を1つ飲みます。それをずっと。
あと、リンパを取っているので重いものを持つとリンパ浮腫になりやすく、腕が膨れたりします。なのでマッサージをしたり、左手に負担を掛けないように日常でも気を付けています。
岸田 そして、手術を終えてリハビリを開始したと。リハビリはどういうことを?
野口 基本は体力の回復と、リンパ浮腫予防のマッサージですね。
ただ、リハビリと言いつつ、入院中から原稿を書いていたので、それもある意味リハビリだったのかもしれません。
入院後、3カ月ほど休養をいただいて過ごしました。
岸田 入院は1週間くらい?
野口 10日ほどでした。体に付けるドレーンが取れないと退院できないので、そのタイミングを待っていました。
岸田 なるほど。
3カ月ほど療養し、その後社会復帰していく中で「MBCCを知る」という項目があります。MBCCとは?
野口 Male Breast Cancer Coalition(男性乳がん患者会)の略です。アメリカに拠点がある患者会ですね。
なぜアメリカかというと──岸田さんも実はメンバーに会われていますよね。
岸田 僕もアメリカの学会に行ったとき、たまたまMBCCさんがブースを出していて交流したら、「日本に野口さんっているよね?」と言われて。それがきっかけですよね。
野口 そうなんですよ。
2017年当時、日本語で男性乳がんを検索しても情報がまったく無かったんです。妻が英語の仕事をしていたので、英語で検索してくれて、そこでMBCCに辿り着きました。
野口 連絡を取ったら、「4月に集まりがあるから来ないか?」と。当時まだ休養中でしたが、情報が欲しくて飛びました。
岸田 大事ですよね。情報が無いと、他の男性乳がん患者さんがどうしてるのか、本当に気になりますしね。
野口 そうなんです。本当に当時──昨日、何気なく“男性乳がん”と検索したんですが、今は本当にたくさんの記事が出てきて、この6年間でだいぶ変わったなと思いました。でも、当時は全く情報が無くて、検索しても女性の乳がんの情報しか出てこなかったんです。だからこそ、“ここに行けば何か男性乳がんの情報が得られるかもしれない”という思いで、すがるような気持ちで渡米したのを覚えています。
岸田 僕も同じですよ。僕は当時“性”のことで悩んで、情報が無かったからがんノートを立ち上げました。今では日本がん生殖医療学会まで出来ていますからね。
岸田 そして次のスライド。先ほどのMBCCに初参加されたということで、参加してどうでしたか?
野口 周りに男性の乳がん患者が本当にいなかったので、初めて本人たちに会って──アメリカ人でしたけど──“一人じゃないんだ”と感じました。居場所があるというか。
何気ない会話でも「こういうところがつらいよね」「こんな手術をしたんだね」と共有できるだけで、心が和らぐような、あたたかい感覚がありました。
岸田 分かります。ちなみに参加者はどれくらい?
野口 患者は20〜30人ほど。そこに研究者やスポンサーの方も加わり、合計で100人規模でした。会場を借りて学会のような発表もあって、夜はパーティーもあって、かなり盛大でしたね。
岸田 一人じゃないと分かったんですね。そして仕事にも復帰されて。
2018年3月、術後1年で“異常なし”。少しホッとした感じですか?
野口 そうですね。がんになると、やっぱり検査は避けて通れないし、直前は特にブルーになります。でも結果が出て“今年も更新された”という感じで、毎回ほっとします。
岸田 一年一年、更新していく感じですよね。
野口 本当にそう思います。
岸田 そして2018年4月。メンズBC、男性乳がんの集まりに初参加。これは日本ですよね?
野口 はい。NPO法人キャンサーネットジャパンが、男性の乳がん患者向けに“メンズBC”というサロンを開催してくれていて、新聞やテレビで知って、周りからも「こんなのやってるよ」と教えてもらったんです。第2回目の会に初めて参加しました。
岸田 参加してみてどうでした?
野口 アメリカで感じたのと同じで、日本にも同じ悩みを持つ仲間がいるんだ、という安心感がありました。やっぱり“身近に同じ人がいる”って大きいですね。
岸田 そしてそのあと、MBCCのメンバーと再会。これ、また渡米したってことですよね?
野口 はい。初参加から3年連続で渡米しました。これは2年目ですね。
岸田 すげえ。
野口 同窓会というか、近況報告をしたり、「元気?」と声を掛け合ったり。旅行も兼ねて行きました。この時はニューヨークに集まったんです。
野口 ちょっと恥ずかしいんですが、アメリカは本当にオープンで、乳がんのPRを“裸で”するんですよ。
傷跡を堂々と見せて、人々に「男性も乳がんになる」と伝える啓発です。
啓発用の専用車があって、そこで写真を撮ったりもします。
岸田 アメリカでは啓発月間や啓発週間があるんでしょうか。
野口 詳しくはないんですが、アメリカではビヨンセの父親が乳がんになって、全米で一気に注目が集まったんですね。その影響で男性乳がんの認知もかなり広がったと思います。
岸田 なるほど。ありがとうございます。
そして2019年4月、定期検診でまた異常なしという結果ですね。
野口 はい。
岸田 また一年、更新していって、その後2020年2月、特別養子縁組ということで……今、お子さまがいらっしゃると言ったら変ですけれども。
野口 今、2歳半の子がいます。もしかしたら、このYouTube見てるかもしれませんけど(笑)。2歳半の女の子がいます。
岸田 見てますか〜という感じですね(笑)。このお話も後ほど詳しく伺いたいと思います。
そして“遺伝子検査・陰性”。これは遺伝子検査を受けられたんですよね?
野口 そうですね。ちょうど保険適用になったタイミングだったので、それを機に受けてみました。
岸田 遺伝子検査の話も後ほど詳しく触れていきたいと思います。ありがとうございます。
岸田 そんな中で、野口さんの“闘病前・闘病中・闘病後”のお写真をいただいております。まずは闘病前の写真をご覧いただきたいと思います。海外、回ってますね。
野口 回ってますね(笑)。岸田さんにも関わりがありますが、私たち夫婦は会社を辞めて世界一周に行ったんです。その後もチャンスを見つけては海外に行っていました。これはイタリア・ローマで撮った写真で、たまたま僕にローマで取材の仕事があって、そこに妻が便乗してきてくれて、一緒に撮った一枚です。
岸田 お隣の方は奥さまですよね?
野口 はい、そうです。
岸田 すごい……美人ですね。
野口 いやいや、お恥ずかしいです(笑)。
岸田 ちなみに奥さまとは、どういったきっかけでお知り合いになったんですか? 世界一周がきっかけですか?
野口 世界一周は結婚してからです。結婚のきっかけは、ベタですけど……友達の結婚式の2次会です。
岸田 いやいや、ちゃんとそういう場に出席するって大事ですよ。そこで意気投合して、そして旅も一緒にされて、という流れですね。そしてその後、闘病中の写真がこちらになります。闘病中のお写真、出ますでしょうか。こちらですね。ありがとうございます。

野口 これは、もう手術に行く直前ですね。
岸田 行く直前ね。
野口 タイツ履いているのが分かると思うんですけど、ここから運ばれていく直前です。
岸田 歩いて行くパターンじゃなかったんですね、手術室に。
野口 僕は車いすで運ばれて、そのままベッドに寝て、カウントが始まって……10まで数える前に寝てました。
岸田 僕も車いす乗るのかなと思ったら、歩かされて、ベッドに行くのも自分でよじ登る感じで(笑)。
あれ、10秒耐えるの結構しんどくなかったです? 僕は耐えられなかった。
野口 普通に一緒に数えてましたね、1、2、3……7ぐらいから記憶が無いです。
起きたら、取材でもお世話になってた先生が「野口さん、終わりましたよ」と声掛けてくれて、え、終わったの?という感じでした。
岸田 本当にそんな感じですよね。僕も頑張って耐えようと思ったけど、7、8ぐらいで記憶なくなってたわ。
野口 身体が素直なんじゃないですか(笑)。
岸田 ありがとうございます。
そして左上が手術後のお写真ですね。
野口 そうですね。最初は「1〜2時間で終わる」と言われてたんですが、リンパも取ることになって4時間ほど掛かったんです。
妻は「まだ出てこない」と心配していたそうです。僕は記憶が無いんですが、顔を見るなり、ほっとした表情だったそうです。
岸田 左下は入院中のお二人の写真ですね。
野口 はい。切除していたので、高熱が数日続いていて、ちょっとボーっとしてますが、入院中の写真です。
岸田 ありがとうございます。
そして退院後、現在に至るまでのお写真がこちらです。はい、ありがとうございます。
野口 先ほどお話ししていた──
岸田 すごいですね。下の写真が、アメリカの男性乳がん(MBCC)の方たち。
野口 そうです。横断幕に “Male Breast Cancer Coalition” と書かれてますが、そのメンバーです。
ピンクのネクタイやバンダナは提供してもらったものです。
岸田 壮観ですね。これ、左から2人目が野口さん?
野口 そうです。少し小さく見えると思いますが……アメリカの方々、本当に大きいんですよ。
岸田 めちゃくちゃ大きい(笑)。
野口 はい。埋もれちゃいそうなくらいです。
岸田 みんな上半身裸でネクタイして……啓発のために街を歩いたり?
野口 歩きはしなかったですが、有名な観光スポットで上半身裸になってパフォーマンスをしました。これはカンザスシティでの写真です。
岸田 すごい。日本だと通報されるかもしれない(笑)。
野口 そうなんですよ。日本ではまず、やる人がいないですよね。「見世物なの?」と思われますし、傷跡はどうしても隠したくなる気持ちもあります。
岸田 野口さんは温泉などではオープンにしてるんですか?
野口 いえ、腕組みします(笑)。
見られている気がしてしまうというか……自意識過剰かもしれませんが、なんとなく隠しますね。
岸田 右上の写真はお仕事中の写真ですよね。
野口 はい。カメラを持ってますが、こういう活動も続けています。
岸田 オシャレな場所での撮影ですね。
野口 実際は事務所などが多いんですが、ここはたまたま綺麗な会場でした。
岸田 こうやってお仕事もしながら、入院中も原稿を書いたりされていた野口さんでした。ありがとうございます。術後、温泉に入る時など、胸の傷は周りの目が気になりませんか──という質問です。
野口
そうですね。プールも以前は通ってましたが、やめてしまったというのはあります。
ただ最近は、Tシャツやパーカーのまま入れる施設もあるので、だいぶ気は楽になってきました。
岸田 ナツミさんから「一人じゃないと思えると心強いですね」とコメントいただいてます。
野口 ありがとうございます。
岸田 ゴウさんから「一年一年がドキドキしますよね」とコメントをいただきました。また、「交流してみて、男性乳がんの方の悩みってどんなことが多かったですか?」という質問もあります。どうですか。
野口 ありがとうございます。本当に人それぞれなんですけど──まず就労の悩みを抱える方は多いですね。再就職や働き方のことは、女性・男性関係なく皆さん悩まれる部分です。あとは副作用。抗がん剤治療の副作用にどう向き合えばいいのか、悩まれている方もいらっしゃいます。
治療自体は基本的に女性と同じ方法をとるんですが、男性が“女性ばかりの患者会”に一人で行くのはハードルが高いこともあって……。だからこそ、男性同士で情報交換したいという声も多いんですね。
野口 それから、ここに来られる方々は本当にごく一部で、情報を求めている男性乳がんの方はもっとたくさんいると思います。妻がTwitterで情報発信していることもあって、「どこに相談すればいいですか」「治療はどうされてますか」とDMで質問してくださる方もいます。情報を求めてるんだな、とすごく感じます。
岸田 ありがとうございます。マックさんから「乳がんは術後ホルモン剤をよく聞きますが、男性の場合は必要ないんでしょうか?」という質問ですが、野口さんはホルモン治療されてますよね?
野口 はい。錠剤でホルモンをコントロールする治療を続けています。
岸田 男性もタイプによってはホルモン剤が必要になるということですね。それから「遺伝子検査、詳しく聞きたいです」というコメントもいただいています。アッコさんからは「私も手術室まで長い廊下を歩きました」と。歩きパターンもあるんですね。
そしてKOさんから「ホルモン剤治療で、骨粗鬆症や関節痛はありますか?」と質問が来ています。副作用はどうですか?
野口 これはちょっと面白い話なんですが──毎年8月に“がん研”のキャンサーフォーラムがあって、そこで骨密度の検査を受けたんですね。そしたら……めちゃくちゃ数値が高かったんです。高いというのは“骨密度がしっかりある”という意味で、逆の副作用というか。
岸田 逆?
野口 はい。骨粗鬆症の患者さんに使う薬と似たような働きをする成分が、ホルモン剤にも含まれているそうで、「だから骨密度が高いんだよ」と先生に言われました。
岸田 そういうことなんですね。
野口 医学的なことは専門ではないので細かくは言えないんですが、僕の場合はそういう“想定外のプラス”もありました。ただ、ホットフラッシュなど更年期症状のような副作用で悩む男性もいますし、本当に人それぞれです。
岸田 ありがとうございます。野口さんのお話にもあったように、医療情報については皆さんの主治医や、がん情報サービスなどの正式な情報をご確認いただければと思います。僕たちの話はあくまでも“ひとつの経験談”として参考にしていただければと思います。
そして、「まさしく夫唱婦随ですね」というコメントもいただいています。僕、漢字を説明できないので……後でコメント欄でぜひチェックしてください(笑)。日本語、まだまだ勉強します。すみません。
【家族(パートナー)】
岸田 そんな中で、より詳細に項目ごとに聞いていきたいと思います。まずは“家族”について伺っていきたいと思います。
まずパートナー、奥さまですね。告知をどう伝えるか悩まれたというお話も先ほどありましたけれども、その後、奥さまがサポートしてくださったと思います。どういうサポートが嬉しかった、あるいは「こうしてほしかった」というものはありましたか。
野口 まずは本当に“感謝”ですよね。僕のがんを見つけてくれたのは妻のお陰ですし、あれがなかったら進行がもっと進んでいたかもしれない。今日こうやってここで話せているのも、あの発見のお陰なので、まずはそこに感謝があります。
岸田 本当に、見つけてくれて病院に行ったら“あった”んですもんね。
野口 そうですね。その後も、常に一緒にいることで「健康って大事だよね」と2人で考えるようになりました。睡眠時間とか、1日の過ごし方とか、人生の生き方そのものを、この病気をきっかけに考え直すようになった。
そういう意味ではいい転機になったというか、一病息災で、健康や生活の仕方が大きく変わったと思います。
岸田 お互い、健康的に過ごそうという意識が変わっていったということですね。
野口 そうですね。それから“家族の時間を何より優先する”という意識も強くなりました。岸田さんもそうだと思うんですけど、仕事をしているとどうしてもそっちに持っていかれがちで。
削るとなると睡眠時間を削ったりして、犠牲にすることも多い。でもそれだとまた同じことを繰り返してしまうので、家族の時間、睡眠、自分にとって大事なものの優先順位を上げるようにしています。
岸田 ありがとうございます。本当に睡眠って削ると一気に身体にダメージ来ますからね。
野口 なんか、この前記事で見たんですけど、大谷翔平選手いらっしゃいますよね。彼、睡眠10時間って書いてありましたよ。どうやって10時間取るんだろう……移動時間も含めてって書いてましたけど。睡眠、大事なんですよ、多分。
岸田 大事ですね。身体を酷使する人ほど集中力も必要ですし、やっぱり睡眠は大事。僕もなるべくしっかり取るように心がけています。ありがとうございます。
【家族(親・兄弟)】
岸田 そして、その後、次は家族の中でも“親や兄弟”のことについても伺っていきたいと思います。パートナーのお話は先ほど伺いましたが、ご両親、そして兄弟にはどのようにがんを告知されたんでしょうか。
野口 まず親には、普通に「見つかった」ということを伝えたうえで、幸い早期だったので何とかなりそうだという、安心できるような言葉を添えて伝えました。
妹もいるんですけど、妹にも伝えました。男性が乳がんになるということは、女性にはなおさらリスクがあるので、「ちゃんと検診受けてね」と伝えましたね。
あと、当時94歳で、今は100歳になる祖母がいるんですが、心配をかけたくなかったので祖母には何も言っていません。今も伝えていません。家族によって「伝える/伝えない」、「どう伝えるか」を変えたという感じです。
岸田 なるほど。ただ、100歳のおばあさまがもし検索したりしたら、野口さんの情報が出てきますよね。
野口 さすがに祖母は“ググれない”のでそこは安心です(笑)。ただ、新聞やテレビで取り上げていただくことがあるので、そういうときは祖母が見る新聞のそのページだけ抜いておくとか、配慮していました。
岸田 心配させないための工夫ですね。
野口 そうです。
岸田 妹さんには検診の必要性を伝えたとのことですが、実際受けに行かれたかどうかまでは分からない感じですか?
野口 はい。「受けてね」と伝えたというところまでですね。
岸田 皆さんも、必要な方はぜひ検診を受けていただければと思います。
では、家族への伝え方で「こうしておけばよかったな」などはありましたか。
野口 そうですね……家族という点とは少し違いますが、“友達”や“同僚”についてはエピソードがあります。実は僕、SNSで病気のことを公表したんです。
ちょうど同じ時期に、舌がんを発症した方がSNSで「実は見つかりました。手術します」と書いていて、その投稿が自分にとってすごく大きな影響があったんですね。「自分の健康、本当に気をつけないといけないな」と思って。
その流れもあって、僕もSNSで「乳がんが見つかって、明日手術することになりました」と投稿したんです。そしたら、女性の友達から何件も「男性がなるなら、女性はもっと気をつけなきゃいけない。検診に行きます」というコメントをいただいて。
それだけでも発信して良かったなと思いました。
岸田 発信が誰かの“気付き”につながったわけですよね。検診や健康意識につながるって、本当に大事ですよね。
野口 本当にそう思います。僕は早期で見つかったので治療の選択肢も広がったし、予後も全然違ったと思います。なので、検診で早期に見つけるということは、本当に大事な命を守ることにつながると思います。
【妊よう性】
岸田 ありがとうございます。そして、次に妊孕性のことについても伺いたいと思います。妊孕性というのは “子どもをつくる能力” のことを指しますが、野口さんの場合は手術とホルモン療法ですよね。妊孕性への影響というものはあるんでしょうか。
野口 僕自身は妊娠する能力が無いので、何とも言えない部分はあるんですけど……。ただ、先生もおっしゃっていたんですが、性欲減退というか、もう全然その気にならないというのは確かにありました。
岸田 それはホルモン療法の影響?
野口 そうですね。ホルモン剤の影響では、という感じで。ただ、因果関係がハッキリしているわけではないんですが、実際に「全く気力が湧かない」というのはありました。
MBCCで他の男性乳がんの患者さんや、その奥さんとも話したんですが、「うちもそうよ」という声が何人もあったので、同じ悩みを持つ方は多かったですね。
岸田 例えば……性欲100%元気だった人が、7分の1になるのか、それとももっと……?
野口 365分の0って感じです。
岸田 まじで!?
野口 はい、本当に。
岸田 全然やないですか……!
野口 もう“何だか”って感じですが(笑)。そうなると当然、夜の営みも無くなるので、妊娠のチャンスそのものが大きく減りますよね。妊孕性とは少し違いますけど、“機会が消えてしまう”という意味では、心配な部分はあります。
あと、妻の気持ちの落ち込みというか……心配してくれるんですが、その分、夫婦関係でも配慮がより必要になったなと感じました。
岸田 そこがきっかけで夫婦関係がぎくしゃくする可能性もありますしね。なるほど……ホルモン療法……。
皆さん、あくまでも 野口さんのケース ですからね。人によって個人差は絶対にありますので。
野口 そうですね。
岸田 では、次のお話にも移っていきたいと思います。
【仕事】
岸田 その次は仕事のことですね。野口さん、入院中もカタカタしてたということだったり、3カ月後にはしっかり復帰されたということですが、野口さんはフリーランスという形ですよね。
野口 色々な仕事をしていますが、メインはフリーランスです。あとは大学で広報の仕事をしたり、授業も持っています。大学の仕事は3カ月間、完全にお休みをいただいて、フリーの仕事は“ポツン、ポツン”という感じで、リハビリも兼ねながらやっていました。
岸田 フリーランスだと、クライアントや関係各所に伝えるのって抵抗がある方も多いですが、どうでした?
野口 幸い、皆さん理解してくださって、本当に「この期間はゆっくり治療に専念して。また戻ってきてくれればいいから」と言っていただきました。
ただ、新聞社の月1回の特集記事だけはレギュラーで担当していたので、取材だけ手術前に終わらせて、書くのは後回しできるよう事前に準備していました。
岸田 治療前に準備しておいたんですね。フリーランスの方は「仕事なくなるかも」という不安が大きいと思いますが、野口さんの場合は問題なかった。
野口 本当に感謝ですね。まずは治療に専念させてもらえたおかげで、気持ちの面でも落ち着いていられました。
岸田 3カ月後に復帰したら、そこから徐々に仕事を戻していった感じですか?
野口 そうですね。適切な表現かわかりませんが、「待ってました!」と言ってくださる方も多くて、元の働き方に戻っていきました。
岸田 体力面は大丈夫でした?
野口 最初の1〜2カ月は、動くのも少ししんどかったです。なので、睡眠をしっかり取って、ウォーキングしたり、運転したり、少しずつ身体を慣らしていきましたね。
岸田 完全な回復まで1年ぐらいですか?
野口 どうですかね……。術後2カ月でアメリカ行ってますからね(笑)。
岸田 アクティブやったわ、この人(笑)。
野口 主治医の先生も明るい方で、「行ってきていいんじゃない?」って背中を押してくれたので、それも大きかったと思います。
岸田 ありがとうございます。
フリーランスの方が今後増える中、「がんになった時、仕事が不安」という方も多いと思います。もし助言するとしたら?
野口 適切か分かりませんが、まずは不安になり過ぎないことだと思います。
どうしても「収入どうしよう」と不安が出てきますよね。僕の場合は、日頃から“何かあった時のためのストック”を作っていました。例えば半年働けなくても生活できるように貯金しておく。
あと、普段から信頼関係を築くこと。がんだから「じゃあもう仕事お願いしないね」ではなく、「治ったらまたお願いするね」と思ってもらえる関係性を作っておくのが大切だと思います。
岸田 備えと信頼関係ですね。ありがとうございます。
では、次のセッションに行く前にコメントを読みます。
岸田 クロちゃんさん、お久しぶりです。入院10カ月、手術7回……。
kuboさん、睡眠時間絶対大事ですよね。
「男性も全摘だと腕は上がらないんですか? 私は術後初めての冬を迎えます。傷口の痛みはどうですか?」という質問です。
野口 腕は……僕の場合は幸い上がります。そこは個人差あると思います。
傷口は、6年経ってもみみず腫れのようなものが残っていて、たまに痛みがあります。完全に消えたわけではないですね。
岸田 手術内容によって違うと思いますが、野口さんの場合は上がるタイプだったということですね。
マックスさん、「家族の応援は嬉しいですね」。
「妻のひと言でポジティブ思考に変われました」。本当にパートナーの言葉って大事ですよね。
そして、質問。「性欲減退というのは、朝勃ちや刺激のあるものを見ても全く反応しないということですか?」
岸田 AV見ても反応しないんですか?
野口 見ても反応しません。というか、“見る”という気持ちになりません。シャットダウン状態ですね。
岸田 朝勃ちは? する? しない?
野口 うーん……記憶に無いというか……トイレに行きたい時はあるかもしれないけど、そういう性的な意味ではほぼ無いです。
岸田 気持ちが起きないということですよね。
じゃあ最新の女優さんの話にはもう付いていけないですね。
野口 はい。すみません、申し訳ないですが、全然付いていけないです(笑)。
【お金・保険】
岸田 全然大丈夫です。そんな中で、次は「お金・保険」の話です。さっき蓄えの話が出ましたが、実際、治療費としてどれくらいかかったのか。また民間保険などに入られていた場合、どれくらい給付が出たのか、どう活用したのか──そのあたりを伺えますか。
野口 まず、手術に関する費用は高額医療費制度を利用しましたので、自己負担は月の上限である10万円の範囲でした。
僕の場合、抗がん剤治療も放射線治療もしていないので、かかる費用はほぼホルモン剤と検査代だけです。
ホルモン剤は2カ月分で5,000〜6,000円なので、月あたりだとおよそ3,000円です。ただ、年1回の検査には3万〜5万円ほどかかります。容によって変わりますが、ここはどうしても費用がかかります。
野口 保険についてですが、僕は県の共済には入っていたので入院に関する給付は多少出ました。でも、がん保険には入っていませんでした。生命保険も未加入でした。だ、これは少しレアケースかもしれませんが……家をリフォームした時に住宅ローンを組んだんですね。
岸田 おーー、マジか。
野口 その時、オプションで「がん特約」が付けられたんです。
自分が乳がんになるなんて全く考えてなかったので、本来なら加入しなかったと思います。
ただ銀行の方から、
「今なら特約をつけても利率が変わりませんよ」
と言われて、「それなら入っておくか」と軽い気持ちで加入しました。
結果は……もう皆さんお察しの通りで、このがん特約が利用できました。
岸田 おめでとうございます……!いや、何て言ったらいいのか分からないけど(笑)。
野口 僕も複雑ですが、左胸が犠牲になってくれたと思えば……。
岸田 本当にね。僕なんて、がん経験後は団信や住宅ローンの保険に入れないので、その恩恵を受けられないんですよ。だから、入っていて本当に良かったと思います。
住宅ローンは、がんの診断で残高がゼロになるようなプランもありますし、それが適用されたということですよね。これは本当に、みんな祝福していいと思います。
野口 はい。今は住宅ローンの負担が大きく減ったので、生活への影響もだいぶ軽くなりました。
正直、がんは2人に1人が経験する時代なので、宣告される前に出来る備えをしておくのは本当に大切だと思います。
岸田 でも、本来は特約をつけると利率が上がることが多いですよね。
野口 そうなんですよ。通常は上がるんですが、当時はたまたま利率が変わらないキャンペーン中だったので……そこも運が良かったです。
岸田 運が味方してましたね。
【遺伝子検査】
岸田 本当すごい。その銀行さん、みんな教えてほしいくらいだと思いますけど、多分、そうすると色々と大変になると思うので……ね。では、次の話を聞いていきたいと思います。
遺伝子検査について伺いたいんですが、先ほど闘病のところでも「遺伝子検査をして陰性だった」とお話がありましたよね。具体的に、どれくらいお金がかかったのか、どういう検査で、どう陰性と分かったのかを教えていただけますか。
野口 まず遺伝子検査ですが、これは医療的な話になるので、詳しくは専門サイトなどを見ていただきたいんですが、血液を採取して、特定の遺伝子に変異があるかどうかを調べる検査です。この特定の遺伝子に変異があると、乳がんや男性の場合は前立腺がんなど、がんのリスクが高くなると言われています。
費用については、以前は20万〜40万円ほどと言われていましたが、2020年4月から保険適用になりました。対象となる条件が色々あって、乳がんのタイプや年齢などが関係するんですが、その中に「男性乳がん」も含まれていたので、今年の4月に受けました。
僕は3割負担なので、6万円ほどの負担でした。
岸田 例えば、遺伝子検査をするメリットはどんなところでしょう。
野口 有名なところではBRCAという遺伝子の変異がありますが、これが陽性だと遺伝的に乳がん・卵巣がん・前立腺がんなどのリスクが高いと言われています。体のどこでがんが発生するか分からない、というリスクを抱えることにもなります。
僕は陰性でしたので、少なくとも遺伝性のがんではない可能性が高く、治療法の選択にも影響が出ますし、家族へのリスクも低いという安心材料になりました。
BRCAは遺伝する可能性が高いので、親族に乳がんなどの人がいた場合、自分にもリスクがある場合があります。
遺伝子検査は、自分だけでなく、親族の将来にも関わる一つの情報になると思います。
岸田 野口さんは陰性だったことで、今後の治療方針にも影響が出るし、安心材料にもなったということですね。
野口 そうですね。アメリカでは「遺伝子検査した?」と真っ先に聞かれるほど一般的で、標準の考え方になっています。
日本では当時まだ保険適用外で高額だったので踏み切れませんでしたが、今は受けられて良かったと思います。
陽性だったら陽性なりの治療と対策が必要ですし、陰性だったら陰性で安心できます。
岸田 ありがとうございます。視聴者の皆さんも、全員が保険適用で受けられるわけではないので、主治医の先生などにしっかり相談していただければと思います。対象疾患や条件がありますもんね。
遺伝子検査って、結果はすぐ出るものなんですか?
野口 大体1カ月ほどですね。採血したものをアメリカに送って、遺伝子の配列を解析して結果が返ってきます。
岸田 なるほど。血液検査で調べるんですね。
野口 そうです。採血して調べます。
岸田 ありがとうございます。
今後、遺伝子検査はさらに広がっていくと思いますし、もしかしたら将来的には日本でももっと主流になるかもしれません。アメリカで「一番最初に聞かれる」っていう話は、本当に驚きました。
【辛い・克服】
岸田 そしてその次、つらい克服といったところ。これは、肉体的や精神的につらいとき、どう克服していったんでしょうか、野口さん。
野口 まず肉体的なことですが、先ほども少しお話ししましたけど、私は左腕のリンパが無いので、どうしても重たいものを持つときには注意が必要です。マッサージをしたり、出来るだけ負担を掛けないようにしています。
幸い、今のところ大きな浮腫はありませんが、ちょっと過激な動きをすると出やすいので、そこは気を付けています。
逆に、普段の生活では普通に見えるので、男性だと「重たいもの持ってよ」とか言われることもありますよね。でも、見た目は元気でも身体には負担が掛けられないという、そのギャップがつらいと感じることはあります。
精神的なことについては、友達もそうですし、アメリカの男性乳がん患者の集まり、日本の患者さんの会など、同じように悩んでいる方々と話すことで、すごく心が落ち着きました。
自分の中に溜め込まず、オープンに気持ちを話せる場があると、本当に楽になります。
岸田 そうですよね。
これを見てくださっている男性乳がんの方も、気持ちを吐き出したいときは、日本には「メンズBC」という会もありますし、野口さんもよく参加されていますよね?
野口 そうですね。ホームページもあって、私の体験談も掲載されていますし、全く違うタイプの方の体験談も読めますので、参考にしてもらえると良いかなと思います。
【後遺症】
岸田 ありがとうございます。そうやって横のつながりを、もし何かあったら同志にちょっと聞いてみるとか、そういったところをしていただければなと思っております。ありがとうございます。
そして、次は後遺症のことについてなんですけど、後遺症、どうですか、今、何か。
野口 僕は本当にラッキーで、先ほどお話ししたようなホルモン剤によるホットフラッシュも無いですし、抗がん剤をやっていないので、そういった後遺症もありません。本当にラッキーなケースだと思います。
ただ、患者さんの中には、先ほど話したように、手足がしびれて本当に苦労されている方もいますし、本当に人それぞれ症状は違うので、ここは何とも言いづらいところがありますよね。
岸田 大きな後遺症は野口さんの場合、無かったという形で。
強いて言うと、さっきのお話で言うと後遺症という言い方は違うかもしれませんが、ホルモン療法の影響での性欲の減退だったり、そういったところ。
ホルモンで気持ちの浮き沈みが左右されるとか、特にそういったものは無く?
野口 私の場合は、幸い無いということですね。
【反省・失敗】
岸田 ありがとうございます。そして、その次、反省・失敗についてなんですけれども、あの時こうしておけば良かったなっていったことを強いて挙げるとしたら、何かあったりしますか。
野口 私の場合、反省というよりも、本当にラッキーが重なっているというか。冒頭に少しお話ししましたけど、乳がんの取材をしていて――
僕、その取材を最初に受ける時に、本当にこれ今だから話せるんですけど、「女性記者さんじゃなくて良いんですか?」って一度投げ返したんですよ。
女性のほうが気持ちも分かるし、症状も多いしって思って、最初はお断りしたんですけど、「まあ取材してよ」ということで続けていく中で、男性も乳がんになるということも知りましたし、乳腺外科という存在も知りましたし、結果的に主治医になったのも取材していた先生で。本当にそういう意味では恵まれていたと思います。
妻が偶然見つけてくれたこともそうですし、本当に当時の言葉で言うと、もう“神ってる”くらいの状況だったと思いますね。
それって本当に自分ではどうしようもできないことなので、ただただ感謝の言葉しかないですね。
岸田 いやあ、本当、その発見の時もそうですし、その後、治療の後も、ローンも全部チャラになったっていうところもそうですよね。住宅のね。本当に“神ってる”と思います。
野口 本当に感謝だけです。
【特別養子縁組】
岸田 もちろん乳がんにならないことに越したことはないんですけども、そうなった時に、どういうふうに対処されたか。凄い。ありがとうございます。
そして、特別養子縁組についてもちょっとお伺いしていきたいんですよね。今、野口さんにはお子さまはいらっしゃいますよね。
野口 はい。先ほどお話ししたように、2歳半の女の子が一緒に家族として生活しています。
岸田 ここは闘病のところでもさらっと触れた部分ですが、改めて、この特別養子縁組がどういった制度で、どういう経過を経てお子さまを迎えられたのか、お伺いしても良いでしょうか。
野口 もともと不妊治療をずっと続けていたんですね。年齢を重ねるにつれて妊娠率も下がりますし。でも、2人としては子どもが欲しいということで、特別養子縁組という制度があることも知っていたので、並行して準備をしていました。
野口 一度、特別養子縁組を進める際に、斡旋団体に登録して研修も受け、準備をしていたんですけど、その最中に――ちょうどアメリカに渡っていた時です――斡旋団体から「里親になれますよ」というOKをいただいたんです。
ただ、条件として「がんと診断された人は3年間、親になれない」という項目があったんですね。
岸田 項目があったんですね。
野口 せっかく親になれるチャンスをもらったのに、同じタイミングでがんが見つかった。3年経つと年齢もどんどん上がり、親になる年齢制限に触れる場合もあって、「もう子どもを持てないかもしれない」という厳しい状況に迫られました。
その時、妻と話し合って、「がんを隠して親になること」も選択としては出来たと思うんです。
野口 でも、がんを隠したままでは啓発も出来ないし、自分自身も偽りながら生きていくことになる。それがどうしても心苦しくて、その時は親になる権利を断念し、一度諦めました。「2人で元気に生きていけたらそれで良い」と。
野口 ただ、その後、熊本の慈恵病院――赤ちゃんポストで有名な病院ですが――そこの研修会に参加したり、都道府県が実施する里親研修にも参加していく中で、ご縁がありました。
2020年2月、2月生まれの赤ちゃんについて連絡をいただき、生まれる1週間前に面接を受け、そのまま同じ月に熊本へ行きました。
岸田 特別養子縁組のまず――
野口 準備を進めて。特別養子縁組を成立させるためには、裁判といっては大袈裟ですが、法律的な手続きが必要です。何カ月後かに正式に成立し、今は家族として一緒に暮らしています。
岸田 まず一緒に暮らして、何カ月か問題なければ裁判所で手続きをする、という流れですよね。
野口 そうです。
岸田 さっきの団体だと「がんは3年以上ダメ」という規定があったわけですが、今回のケースでは大丈夫だったということですか。
野口 はい。がんについてはもちろんお話ししましたし、そのうえでお声掛けいただいたという感じです。
岸田 それも、いろんな研修や勉強会に参加して、そこでのご縁がつながったんですね。
野口 そうですね。慈恵病院の研修会や、都道府県の研修など、色々通った中でのご縁でした。
岸田 ありがとうございます。本当に、団体によっては「がんは一定期間ダメ」という規定があることもあるので、今見てくださっている皆さんにも、そういうケースがあり得ることは知っておいてほしいと思います。
野口 あと、補足してもよろしいですか。もう1点だけ。
岸田 全然良いですよ。
野口 先ほど「妊孕性」の話がありましたが、例えば女性で――どうしても妊娠を諦めざるを得ない状況があると思うんですね。
でも、「子どもと暮らしたい」という気持ちが強くて、パートナーとも同じ方向を向いているなら、こういう選択肢もあるんだということを、少しでも頭の片隅に置いておいてもらえたら嬉しいです。
【医療者へ】
岸田 ありがとうございます。ぜひ、そういった選択肢もあるよということでもありますね。ありがとうございます。
そして次に、医療者の皆さんへの感謝や要望、あるいは「こうして欲しかった」という点があれば教えていただけますか。
野口 本当に、僕は感謝しかありません。男性乳がんについて、医療者の皆さんがしっかり理解してくださっていて、色んな機会でご一緒する先生方も、男性も乳がんになるんだということを積極的に啓発してくださっています。そういった意味では、本当に感謝しています。
もう一つ思うのは、前立腺がんと乳がんの関係について、今まさに研究が進んでいるという点です。そこがもっと明らかになってくると、注意の仕方やフォローの仕方も変わってくると思うので、情報がさらに広がっていくと良いなと思っています。
【Cancer gift】
岸田 ありがとうございます。そして次に、キャンサーギフトですね。がんになって、本当に大変だったことも色々あったと思いますが、その中で得たもの、得たことがあれば教えてください。
野口 先ほども少しお話ししましたが、健康であること、そして時間の過ごし方。この2点が一番大きいと思います。僕、病気になった時に友人から「一病息災」という言葉をもらったんですね。
本来は「無病息災」であるに越したことはありませんが、一つ病気をしたことで、より次の健康に気を付けたり、次の病気にならないように注意するようになったり。
この“一病息災”という言葉がすごく気に入っていて、何かあるたびに自分の中で大事な言葉として使っています。
【夢】
岸田 一病息災か。すごい、今ハッとさせられました。確かに“無病息災”はありますけど、“一病息災”か……。
確かに。そしてその後、野口さん。今後の夢、夢というと大袈裟かもしれませんが、これからどう生きていきたいか、お伺い出来ますか。
野口 ありがとうございます。プライベートに関しては、先ほどお話のあった2歳の子どもがいるので、何とかその成長を見守りたい。成人して、結婚式の姿も見たいし……そういう欲は出てきますよね。だからこそ、1年更新で健康に注意しながら見守っていきたいと思っています。
それから、冒頭に少し話しましたが、私たち夫婦は世界一周に行ったことがあるんですね。いつか、コロナも明けて、世界の戦争もなくなって、子どもを連れて“世界2周目”ができたらいいなという野望を持っています。
岸田 いいですね。
野口 あとは、男性乳がんに関してです。最近こそマスコミの注目もあって啓発が進んできましたが、もっと正しい理解が広まってほしいし、私自身もこれからも啓発活動に積極的に参加していきたいと思っています。
【ペイシェントジャーニー】

岸田 ありがとうございます。ぜひ世界2週目だったりとか、啓発といったところを、引き続きよろしくお願いします。ありがとうございます。さて、次に野口さんにお伺いしていくポイントも終盤、ラストになってきています。ここで、これまでの振り返りという形で、ペイシェントジャーニーを見ていきたいと思います。もし何か言い忘れていることがあれば、付け加えていただけたらと思います。こちらが野口さんのペイシェントジャーニーです。
岸田 まず、仕事が順調に進み、そして海外旅行にも行かれていた中で、その後に左胸の違和感。くぼんでいたということですよね。そこから乳腺外科を受診して、マンモグラフィー検査。そして、その後のがん告知。がん告知に関しては、青がネガティブ、赤がポジティブ、白がどちらでもないという中で、野口さんは白。特に動じなかったということなんですね。
野口 これは先ほど触れたように、早期発見だったことで「助かる命だ」という感触があったので、プラマイゼロというか。
岸田 ということで、そこで奥さんへ告知。その後、手術、全摘、リハビリへ。そしてアメリカのMBCCを知って参加。仕事にも復帰し、術後異常なし。メンズBCにも参加して、アメリカのメンバーとも再会。さらに定期検査異常なし。そして特別養子縁組、遺伝子検査の陰性という流れになります。野口さん、この中で補足はありますか?
野口 補足というのは無いんですけども、こうして見るとV字回復していたんだなと改めて思いました。がんと宣告されても、症状にもよりますが、前向きに進めたのかなと感じます。
【今闘病中のあなたへ】
岸田 今、闘病中のあなたへ。今日、さまざまな方が見てくださっていると思いますし、闘病中の方もいらっしゃると思います。ここで、野口さんからの言葉をいただいております。野口さん、よろしくお願いします。
野口 闘病中というと、どうしてもつらいことも多いと思いますし、精神的に不安になることもあると思います。ですが、少しでも、1分1秒でも、みなさんと一緒に過ごせる時間があるということで、「後悔をしない人生を過ごしましょう」。この言葉をぜひ共有したいと思います。
岸田 野口さんもがんを経験してから、自分の優先順位が変わりましたもんね。
野口 そうなんです。本当そうなんです。
岸田 家族が本当に大事だということだったり、後悔しない人生を過ごしていきたいという思いですよね。
ということで、がんノートoriginを終了していこうと思います。野口さん、この90分どうでした?
野口 あっという間でしたね。岸田さんに言われるがままに、ついつい乗っかっちゃって、しゃべり過ぎましたけど(笑)
岸田 いやいや。妊孕性の話や特別養子縁組、遺伝子検査の話など、意外なこともたくさん出てきて、僕自身もすごく勉強になりました。
また、男性乳がんのことで困ったら、野口さん、SNSもされていますし、いろんな活動もされていますので、ぜひ知って、つながって、相談していただければと思います。という無茶ぶりで終わりたいと思います(笑)
岸田 それでは、今日のがんノートorigin、終了したいと思います。どうも皆さん、ありがとうございました。
野口 ありがとうございました。
岸田 バイバイ。ライブ配信終了です。
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