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インタビュアー:岸田 / ゲスト:堀内

【オープニング】

岸田 それでは本日の「がんノートmini」をスタートしていきたいと思います。今日のゲストは、堀内隆さんです。どうぞよろしくお願いいたします。

堀内 堀内です。よろしくお願いします。

岸田 堀内さんのがんの種類は前立腺がんで、48歳のときに診断を受けられました。ステージは4で、治療としては化学療法、ホルモン療法、放射線療法を行ってこられています。

 本日は、堀内さんのこれまでのご経験について、たくさんお話を伺えればと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

【発覚、治療】

岸田 堀内さんは、さまざまな治療を行ってこられていますので、そのあたりのお話を詳しく伺っていきたいと思います。それでは、堀内さん、闘病歴をお願いいたします。

堀内 私の闘病歴についてお話しします。2016年10月、48歳のときに、骨が痛くて歩けないという自覚症状があり、病院を受診しました。検査の結果、前立腺がんであることが分かりました。

 診断を受けた時点で、PSA値が800だと言われました。そこからホルモン療法を開始しています。

岸田 前立腺がんというと、高齢の男性がかかるイメージがありますが、40代での発症は珍しいのでしょうか。

堀内 はい、珍しいと言われました。

岸田 ちなみに、PSA800というのは、どのくらいの数値なのでしょうか。

堀内 前立腺がん検診では、50歳以上の男性を対象にPSAを測定することが多く、正常値は4以下です。その基準で言うと、私は800でしたので、かなり高い数値だったと思います。

岸田 通常が4以下で800ですか。

堀内 ホルモン療法として、ビカルタミドという薬を服用したところ、1か月ほどでPSAは正常値の4以下まで下がりました。

岸田 1か月でそこまで下がるのはすごいですね。その後は、どのような治療を進めていったのでしょうか。

堀内 症状も徐々に軽くなっていきましたが、私は「ホルモン療法が効かなくなったら、そのときに化学療法を行うのだろう」と思っていました。

 ところが、2017年の1月頃に、主治医から「化学療法を早めに始めてもいいのではないか」という提案がありました。少し考えましたが、早いうちに手を打つのも一つの選択だと思い、2017年4月から化学療法を開始しました。

岸田 かなり早めの判断だったのですね。

堀内 他のがん患者さんからも「早いですね」と言われることは多かったです。

岸田 堀内さんは、決断が早い印象があります。

堀内 化学療法を終えた後は、再びホルモン療法に戻りました。自分では、ホルモン療法は3年くらいは効くと思っていたのですが、2018年1月にPSAが少しずつ上昇し始めました。いわゆる「再燃」という状態です。

岸田 再燃というのは、再発とは違うのですね。

堀内 はい。がんが完全になくなっていたわけではなく、進行を抑えていた状態が、再び進行し始めることを「再燃」と呼ぶそうです。

 その後、いろいろな薬を試しながら様子を見ていましたが、2018年8月には、使えるホルモン療法の薬がなくなり、「去勢抵抗性前立腺がん」として、エンザルタミドという薬で治療を行いました。

岸田 去勢抵抗性というのは、ホルモン療法が効かなくなった状態の前立腺がん、という理解でよいですか。

堀内 その通りです。

岸田 ありがとうございます。

堀内 ただ、この薬もあまり長くは効かず、12月から再び化学療法を開始しました。カバジタキセルという薬で、以前使ったドセタキセルよりも、効きも副作用も強い薬でした。

 髪の毛は抜けませんでしたが、白血球の減少が大きく、白血球を増やす注射を打っていました。その注射が、骨が削れるような痛みで、とてもつらかったです。

岸田 分かります。あれはかなり痛いですよね。

堀内 はい、本当にきつかったです。

 その治療を半年ほど続け、主治医からは「もう少し延長しますか」と言われましたが、私のほうから「少し休憩を入れたい」とお願いしました。その後、別の去勢抵抗性前立腺がんの治療薬であるアビラテロン酢酸エステルに切り替えました。

岸田 続ける選択肢もあった中で、切り替えたということですね。

堀内 10サイクル目で副作用がかなりきつく、「ここで終われる」というゴールが見えていたから頑張れました。正直、さらに続けようとは思えませんでした。

岸田 相当消耗されていたのですね。その後、放射線療法も受けられています。

堀内 はい。患者会の代表の方から、オーストラリアで行われている治療を紹介してもらい、実際に行って治療を受けました。

 それまでの化学療法やホルモン療法とは違い、「ここはもう治らない」と思っていた部分が改善した実感があり、とても嬉しかったです。

岸田 それは大きな経験ですね。なお、この治療は日本では未承認の方法で、現在は治験段階にあるものです。視聴者の皆さまには、日本国内では受けられない治療である点をご理解いただければと思います。

 そんな中で、闘病中に特に困ったことは何だったのでしょうか。

堀内 いくつかありますが、告知された当初は、周囲にがんであることを言えませんでした。症状が少し落ち着いてきた頃に、「周りに話したほうが気持ちが楽になるかもしれない」と思うようになりました。

 職場で周知しようと考え、妻に相談したのですが、「少し待ってほしい」と言われました。理由を聞くと、「子どもが、近所で『お父さんががんなんだって』と言われたときに、どう対応したらいいか分からない」と言われたんです。

 そのときは、正直、ジレンマを感じました。

岸田 言いたいけれど、言えない状況があった、ということですね。

堀内 はい。職場では杖をついて歩いていましたし、腰痛という説明をしていたので、「腰痛にしては長いですね」と言われることもありました。

 本当は「がんなんです」と、いずれ言わなければならないと思っていながら、言えないでいること自体が、逆に苦痛でした。

岸田 その後、職場にはカミングアウトできたのでしょうか。

堀内 はい。ドセタキセルによる化学療法を始める前に伝えました。髪の毛が抜ける可能性もありましたし、副作用で体調が悪くなって休むことも想定されましたので、その前に周知することにしました。

【工夫したこと】

岸田 次に、闘病中に工夫されたことについて伺いたいと思います。堀内さん、いわゆる“堀内チップス”として、何か工夫されたことはありますか。

堀内 治療を始めてすぐに気づいたのですが、ホルモン療法は男性ホルモンを強く抑える治療なんですね。

 それまで、手足の皮脂がなくなるとか、肌がかさかさするという感覚が、正直よく分かっていませんでした。妻が「乾燥する」と言っていても、あまり実感がなかったのですが、治療を始めてから、自分もまったく同じ状態になりました。

 特に冬は、皮膚がかさかさして、かゆくて夜眠れないということが起きました。最初は妻と同じハンドクリームを使っていたのですが、それでも追いつかず、しまいにはワセリンを塗るようになりました。

岸田 乾燥というと、家事などで手を使うことが多い女性に多いイメージがありますが、ホルモンバランスでも変わってくるのですね。

堀内 そうなんです。手のひらの皮膚が厚い部分や、足の裏の厚い部分まで、かゆくなりました。

岸田 そこも、かゆくなるんですね。

堀内 はい。なので、そこにもワセリンを塗っていました。

岸田 かゆみは、なかなかつらいですよね。かなり塗っていた、ということですね。

堀内 本当に、塗りまくっていました。

岸田 そして、こちらの写真もお預かりしています。

堀内 これは、南アルプスの悪沢岳です。

岸田 悪沢岳なんですね。

堀内 病気になって、「多分、そんなに長く生きられないんだろうな」という思いがあって、しばらくは気持ちが沈んでいました。でも、あるところまで落ち切ったときに、逆に「どうせ死ぬなら、それまで後悔しないように生きよう」「行きたいところには行こう」と思うようになったんです。

 そのとき、一番に思い浮かんだのが、この南アルプスでした。

岸田 なぜ南アルプスだったんですか。

堀内 僕はどちらかというと雪山に行くことが多くて、南アルプスは雪が少ないイメージがあったので、「いつか行けばいいや」と後回しにしていた場所だったんです。でも、「もう行けなくなるかもしれない」と思った瞬間に、「じゃあ、今行こう」となりました。

岸田 なかなか、やんちゃな雰囲気で登ってますよね。

堀内 そうですね。このときは、病気のことを周囲に伝えたうえで、大学時代の友人と中学校時代の友人、3人でこの山に登りました。

【がんから学んだこと】

岸田 そんな中で、堀内さんが、がんの経験から学んだことは何でしょうか。

堀内 やはり、「精いっぱい生きなければいけない」ということだと思います。後悔しないように生きるためには、どうすればいいのかを、ずっと考えてきました。

 やりたいことはしっかりやりたい。一方で、治療もしっかり続けなければいけない。どちらかを優先するのではなく、治療と自分のやりたいこと、その両方をどうやって両立させるか、ということを常に工夫してきました。

 そのために、先生の言いなりになるのではなく、「こういうことをしたいと思っているけれど、可能でしょうか」と自分から相談したり、提案したりするようにしました。

 そうやって、治療と生活のバランスを取りながら進んできたことが、がんの経験を通して学んだことだと思います。

岸田 自分から提案していくというお話でしたが、提案するためには、かなり調べたりもしないといけなかったのではないですか。

堀内 そうですね。一般的な情報は調べられますが、例えば旅行の予定があるときなどは、かなり具体的な相談をしました。

 たとえば、「西表島に行きたいんですが、もし現地で痛みが出たらどうすればいいでしょうか」といったことも、先生と相談しました。

岸田 それは先生も、なかなか困る相談ですよね。西表島は想定外でしょうし。

堀内 そうですね。でも、「行くのはやめたほうがいいのかな」「でも、できれば行きたい」と思って、どうすれば可能かを一緒に考えてもらいました。

岸田 実際に行けたんですか。

堀内 行きました。

岸田 すごいですね。今では治療のためにオーストラリアにも行かれていますし。オーストラリアでは山登りはされたんですか。

堀内 ほとんど水平移動でしたね。スリーシスターズやウルルを少し見て回ったくらいです。

岸田 次はぜひ、キリマンジャロ制覇を。

岸田 では改めて、堀内さんががんの経験から学んだことを教えてください。

堀内 治療は、医療者の言いなりになるだけではなくて、自分からも提案することが大事なんだ、ということを学びました。

岸田 堀内さん、本日は本当にお時間をいただき、ありがとうございました。

堀内 こちらこそ、少しでも役に立てればうれしいです。

岸田 それでは、今日の「がんノートmini」はここまでとさせていただきます。どうもありがとうございました。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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