インタビュアー:岸田 / ゲスト:関

【宣告】

岸田 本日のゲストは関さんです。よろしくお願いします!

 よろしくお願いします!

岸田 それでは、どのようにがんが分かり、どのようにお医者さんから告知されたのかをお聞かせください。

 9月の初め、仕事中にみぞおちや背中、胃のあたりに強い痛みを感じました。何とか自宅に戻り、そのまま車で夜間救急を受診しましたが、「本日は詳しい検査ができないので、明日改めて来てください」と言われました。翌日、CTなどの検査を受けたところ、「今日から入院してください」と言われました。お腹のあたりに“もやもやしているもの”が見えるため、まずは10日間ほど絶食して入院し、その後に詳しく検査を行うとの説明でした。その際、「おそらく急性膵炎になっています」とも告げられました。

岸田 急性膵炎と説明されたのですね。

 はい。その後さらに検査を進めましたが、「このあたりに何かもやもやしたものがあるため、当院では対応が難しい。紹介状を書くので、専門の病院を受診してください」と言われました。

岸田 紹介状を受け取って、すぐに受診されたのですか。

 1週間ほど後に紹介先の病院を受診しました。そこで医師から、「現在の詳しい状態はまだ分からないが、今のうちに手術をしなければ、後々後悔することになるかもしれません」と説明を受けました。

岸田 病気の宣告は、いつ頃だったのでしょうか。

 それはさらに後のことでした。「良性か悪性か分からない腫瘍があります」と説明されました。医師ははっきりと「がん」とはおっしゃらなかったのです。

岸田 よくあるケースですよね。では、その時点で手術をすることが決まり、実際の手術はすぐだったのですか。

 急性膵炎と診断されてから、およそ2カ月半後でした。

岸田 2013年9月に入院、当時36歳。そして2013年11月に再入院し、手術という流れですね。

 はい。最初の入院は検査のみで、その後に紹介状を持って別の病院を受診しました。11月は手術のための入院でした。

岸田 その手術はいかがでしたか。

 難しい手術だとは事前に聞いていましたが、実際には12時間半かかりました。「膵頭部十二指腸切除術」という長い名称の手術で、膵臓の頭部の3分の1と胆のうを切除し、胆管を切って十二指腸の一部も切除しました。その後、それらをつなぎ合わせ、腸を持ち上げるなどの処置を行いました。

岸田 その大きな手術を経て、その後はいかがでしたか。

 手術から2週間ほど経った頃、病室の廊下で、最初にお世話になった消化器内科の先生に偶然お会いしました。その際、「関さん、今回、本当に残念だったね」と声をかけられました。

私は「まだ何も聞いていないのですが」という状況で、先生も「あ、ごめん、主治医から説明があるから」とおっしゃいました。実は、妻は手術後にすでに説明を受けていたようですが、私はその時点ではまだ正式な説明を受けていなかったのです。

岸田 そのときは、どのようなお気持ちでしたか。

 「もしかして、自分はがんなのだろうか」と思いました。ただ、その時点では、そこまで深刻には受け止めていませんでした。正確には、その翌日だったと思いますが、外科の主治医の先生に呼ばれてお話を伺いました。

ただ、その頃には体調が少し回復してきていたこともあり、また、がん保険にも加入していたため、どこか楽観的に受け止めていた部分がありました。

岸田 そうだったのですね。その後、正式な告知はあったのでしょうか。

 はい。主治医の先生から改めて呼ばれ、「がんです」とはっきり告げられました。「膵臓がんですから、これから治療は大変になります」と説明を受けました。

【治療】

岸田 そこから治療がスタートしていくわけですよね。どのような経過だったのでしょうか。

 11月に手術を受け、クリスマス頃に退院しました。そして翌年1月の診察の際に、「抗がん剤を補助療法として行いましょう」と提案されました。手術で目に見える腫瘍は取り除いたものの、目に見えないがん細胞は残っている可能性が高いとのことでした。

膵臓がんは再発率が非常に高いため、再発予防の目的で抗がん剤治療を始めることになりました。点滴や錠剤などいくつか選択肢がありましたが、私はできるだけ早く仕事に復帰したいという思いがあったため、内服薬の「TS-1」を処方していただくことになり、抗がん剤治療を開始しました。

岸田 TS-1の服用方法はどのようなものでしたか。

 1クールが6週間で、4週間服用し、その後2週間休薬するというスケジュールでした。1日は朝晩の2回で、確か60mgずつ、3錠ずつ服用していたと思います。

岸田 そこから抗がん剤治療が始まり、1年が経過したのですね。

 はい。1年ほど続けたところで、「今後どうしますか」と医師から尋ねられました。それ以上続けても明確な効果があるかどうかは分からないとの説明を受け、妻と相談した結果、抗がん剤の服用は終了し、その後は経過観察をしていくことにしました。

【再発】

 40歳の10月に再発が分かりました。

岸田 再発が判明してから、40歳の10月、そして翌11月には再び抗がん剤治療が始まったのですね。

 はい。抗がん剤の治療法を4つか5つ提示されました。その中で主治医からは「フォルフィリノックス」という治療法を勧められました。また、経験者の方々からも「フォルフィリノックスは体力があるうちにやったほうがよい」とアドバイスをいただきましたので、最も強い治療から始めることにしました。

岸田 資料に「46時間」と書かれていますが、これはどういう意味でしょうか。

 4種類の薬を投与するのですが、そのうち最後の1種類が約43時間ほど連続で投与する薬なのです。そのため入院して行うこともできますが、基本的には通院で行う治療でした。その際、「CVポート」という器具を体内に埋め込みますと説明されました。

それも手術が必要だと言われ、「また手術か」と少し不安になりながらも受けました。まずは試しに1回だけ入院して点滴で行いましたが、副作用もあり、血管の痛みが非常に強く、これは難しいと感じました。その後CVポートを入れて治療を行うようになってからは、血管の痛みはなくなり、負担は軽減されました。

岸田 CVポートで治療を続け、約8カ月後に抗がん剤を変更されたのですね。

 はい。主治医からは、「状態が大きく悪化する前に強い抗がん剤で勢いを抑えましょう」と説明を受けました。腫瘍マーカーの数値もかなり下がっていました。ただ、私自身はこの治療のつらさが体に染みついてきており、何とか変えたいという気持ちもありました。病状も大きく悪化していなかったため、抗がん剤を変更することになりました。

岸田 その「つらさ」というのは、副作用でしょうか。

 はい、副作用です。非常に単純に言えば、投薬中の3日間はほとんど食事が取れず、動くこともできませんでした。投薬前と4日後を比べると、体重が約7キロ減るほどでした。

岸田 体重の増減以外にも、副作用はありましたか。

 強い倦怠感でほとんど動けず、吐き気や頭痛もありました。その後1週間ほどは頭がぼんやりして、耳鳴りもあり、さまざまな症状が出ていました。

岸田 抗がん剤を変更された後はいかがでしたか。

 「こちらのほうが軽い治療です」と説明されましたが、実際に始めてみると副作用は非常に強く出ました。

岸田 ジェムザールとアブラキサンの併用療法ですね。

 日常生活はある程度送ることができ、投薬も日帰りで受けられる点はよかったのですが、一気に脱毛が進んでしまったことは大きな衝撃でした。「本当に抜けてしまったな」と実感しました。

岸田 前回の治療では、脱毛はなかったのですか。

 そこまで強くは出ませんでした。また、しびれの症状もほとんどありませんでした。しかし、ジェムザールとアブラキサンに変更してからは、手足のしびれが徐々に強くなり、今では歩くのもやっとという状態です。

岸田 現在は、手先以外にも副作用はありますか。

 足のしびれが特に強いです。それに加えて、むくみもあります。

【家族】

岸田 ご家族には、がんと分かったとき、どのように打ち明けましたか。また、どのようなサポートを受けられましたか。まずはご両親についてお聞かせください。

 正直なところ、両親はかなり動揺していました。実は、私が発病する半年前に、父の弟、つまり叔父が同じ膵臓がんを患っていました。私もお見舞いに行っており、結果的にまったく同じ手術を受けることになりました。さらに、父の母、私の祖母も膵臓がんで亡くなっています。そうした背景もあり、両親にとっては非常に重い出来事だったと思います。

岸田 ご両親には、どのように病気のことを伝えたのでしょうか。

 お見舞いに来てくれた際に、直接話しました。

岸田 奥様には、先に状況を知られていたのですね。

 はい。実は、私よりも先に主治医から説明を受けていました。その事実を思うと、妻は本当に強い人だと感じます。私に告げずに、自分の中で受け止めていたわけですから。

入院中、私はかなり気持ちが落ち込み、精神的にも不安定になっていましたが、妻はずっと支えてくれました。思ったことをすぐ行動に移すタイプで、前向きな性格でもあるので、強い気持ちで接してくれていたと思います。私は不満を感じることはほとんどなく、むしろ感謝の気持ちでいっぱいでした。当時を振り返ると、妻も相当な思いを抱えていたのだと、後になって気づくことが多いです。

岸田 ありがとうございます。奥様に伝えておきたいことはありますか。

 本当にいろいろとありがとう。これからも、よろしくお願いします。

岸田 お子さんには、がんであることを伝えたのでしょうか。

 当時から「病気なんだよ」ということは伝えていました。詳しい説明については、妻がいろいろと話してくれていたのではないかと思います。

退院後もなかなか体力が戻らず、手術でお腹を20~30センチほど切開していたため腹筋が使えず、子どもを抱き上げることができなかったり、一緒に走り回ることができなかったりしました。

岸田 お子さんの反応はいかがでしたか。

 後から聞いたところによると、「がん」という言葉自体はある程度知っていたようです。ただ、それがどのような病気で、どれほど深刻な状況なのかまでは、十分には理解していなかったのかもしれません。

【仕事】

岸田 最初に入院されたとき、どのようにお仕事を休まれたのでしょうか。また、その後どのように転職されたのかも教えてください。

 当時は責任ある立場で仕事をしており、突然長期間の穴をあけるわけにはいきませんでした。そのため、部下に業務を少しずつ引き継ぎながら、有給休暇を使い切る形で休ませてもらいました。

入院中も電話が鳴ったり報告が届いたりして、病室で指示を出すこともありました。なかなか気が休まらない状況でした。復帰後は時短勤務などの配慮をしていただき、会社には本当によくしていただいたと思っています。

岸田 手術後すぐに社会復帰されたとのことですが、体力面は問題ありませんでしたか。

 まったくありませんでした。自分の体ではないような感覚でした。徒歩10分ほどで行ける最寄り駅までの道のりに20分近くかかることもあり、最初は本当にしんどかったです。

岸田 その体力はどのように回復させたのですか。

 特別なトレーニングをしたわけではなく、時間の経過とともに少しずつ戻っていきました。気づけば20分が15分になり、少し早歩きができるようになり、12分ほどで歩けるようになる、といった具合でした。

岸田 仕事への影響はありましたか。

 かなりありました。体力がなく、朝起きるのもつらい日がありました。そのため、人脈を頼って代務をお願いできる人を探すなど、何とかやりくりしていました。

岸田 そうせざるを得ない状況ですね。

 そうですね。復帰した以上、自分の仕事は自分で担うという状況でしたし、当時は一人一人の業務量も多く、手厚いフォローを受けられる環境ではありませんでした。

岸田 その後、退職されていますが、その理由を教えてください。

 当時の仕事について、妻が強く反対していました。朝は早く、夜は遅く、土日も仕事になることがありました。たとえ休日であっても、緊急の電話が入れば現場へ向かうこともありました。ただ、私自身には辞めるつもりはまったくありませんでした。

一番のきっかけは、第2子の誕生でした。妻から「もう一人では無理だ」と言われ、家庭との両立を改めて考えるようになりました。ちょうど40歳を迎える頃で、子どもも増え、当時は病状も比較的落ち着いていましたので、「少し就職活動をしてみようか」と考え始めました。

岸田 再就職活動はいかがでしたか。

 一般の面接を受け、がんであることも正直に伝えました。ただ、「現在は術後3年が経過しており、通院は月1回程度です」と説明しました。しかし、40代で病歴があり、子どもが2人いて、なぜ転職するのかと問われることも多く、なかなか厳しい現実がありました。

自分ではキャリアを積んできたつもりでも、面接官にとっては初対面の人物ですので、その価値がすぐに伝わるわけではありません。改めて、ゼロからの転職は簡単ではないと実感しました。

岸田 最終的には、どのように転職が決まったのですか。

 結果的には、前職でお付き合いのあった会社からご縁をいただきました。

岸田 病気のこともすべて伝えたうえでの転職だったのですね。そして、そのお仕事を現在も続けていらっしゃると。

 はい。おかげさまで、現在も続けています。

【お金】

岸田 お金や保険についてはいかがでしたか。

 がん保険には20代後半から加入していました。それ以前から積立型の保険にも入っていましたので、今振り返ると本当に助かったと思います。がんと診断された際には、一般的によくあるように、一時金として100万円を受け取りました。

岸田 治療費は、合計でどのくらいかかりましたか。

 2013年から2018年までの間で、保険適用分のみですが、おおよそ300万円ほどかかりました。

岸田 その費用は保険で賄えたのでしょうか。

 はい。私は本当に保険の恩恵を受けていると感じています。場合によっては、支払った保険料以上に受け取っているのではないかと思うほどでした。手術の際にも手術一時金を受け取りました。

岸田 手術一時金は50万円ほどでしょうか。

 確かそのくらいだったと思います。最初の手術の際には、入院給付金や診断一時金などを合わせて、約180万円ほど受け取りました。

岸田 現在も保険給付は続いているのですか。

 はい、現在も給付を受けています。実際に病気を経験してみて、保険は何かあったときに本当に大きな支えになると、身をもって実感しました。

【つらい、克服】

岸田 つらかったこと。

 髪の毛抜けたときは、すっごくつらくて。本当に抜けちゃうんだっていう。本当にテレビの中の世界だけじゃないんだなって思いました。眉毛が抜けたりとかは、結構つらいですよね。

岸田 そうなんですね。

 後々、膵臓がんって非常に予後が悪いって言われていたんで、そこだけですよね。きっと長くは生きられないのかなっていうのは、結構、頭の片隅にはあって。でも、結構長く生きていますけどね。

岸田 がん宣告よりも、今のそれのほうがつらいんですね。

 その当時って、何か乗り越えたからかもしれませんけど、結構、僕、いろんなことを冷静に多分受け止めるくせというか、傾向があるみたいで。

岸田 それに今、髪の毛がないことに対して、どう克服はしている。

 慣れるしかないですよね。

岸田 そういう感じなんですね。肉体的につらいことは。

 今は、副作用でしびれがひどいんで、歩くときにつまずいちゃう可能性があって、それが本当につらいです。階段とかが、本当に怖いですよね。

岸田 歩くのが、今ちょっと不便なところがあるということですね。

 そうですね。感覚がないから、スリッパ履いている感覚がなくて。あと、足が浮いたような状態になっているんですね。

岸田 それが肉体的につらい、体力とかは。

 そうですね。気付いたら、日々の生活する中で戻っていったって感じですかね。あえて運動とかも、そんなにしていなかったです。

【感謝、要望】

岸田 医療従事者の方々への感謝や、何か要望はありますか。

 正直なところ、ほとんどが感謝の気持ちです。今でも定期的に抗がん剤治療を受ける際には採血がありますが、「はい、チクリとしますよ」といった一言を添えてくださるのが、とてもありがたいと感じています。

事務的ではなく、きちんと人として向き合ってくださっていると感じられるのです。入院中も、夜中であっても看護師さんが様子を見に来て声をかけてくださいました。わがままを言ってしまうこともありましたが、お茶やお湯を持ってきてくださるなど、細やかに対応していただき、本当にうれしかったです。

岸田 そうしたちょっとした気遣いがうれしいとのことですが、逆に「こうしてほしい」と思うことはありますか。

 私自身は、強い不満や要望はあまりありません。ただ、長く患者として過ごしてきて感じるのは、医師も必ずしも患者の生活背景や気持ちを十分に理解しているわけではないのだということです。医療従事者の方が、もう少し患者目線を持って接してくださると、より良い医療につながるのではないかと思います。

例えば、最初の手術後に抗がん剤治療を始める際、私は「できるだけ早く仕事に復帰したい」「点滴で頻繁に通院するのは難しい」といった希望をお伝えしました。そのような事情を踏まえたうえで治療法を一緒に決めていく、という形になりました。患者の生活や価値観を考慮して選択肢を示していただけると、より納得感のある治療になるのではないかと感じています。

【キャンサーギフト】

岸田 がんになって失ったものも多いと思います。その中で、「ギフト」、つまり得たものにフォーカスするとしたら、何がありますか。

 まず一つ目は、長男が生まれたことです。病気になる前から二人目の子どもを考えてはいましたが、なかなか踏み出せずにいました。結果的に家族が増えたことは、大きな意味を持っています。

二つ目は、気持ちの面です。普段の生活の中では意識しませんが、「明日が来ることは当たり前ではない」ということを実感しました。日々に感謝すること、一日一日を大切にすること、そのような思いを持てるようになったのは大きな変化です。

岸田 生活のスタイルも変わりましたね。

 はい。生活の中心は完全に家庭になりました。それが三つ目かもしれません。そして四つ目は、仕事です。病気にならなければ、以前の仕事をそのまま続けていたと思います。結果的に新しい職場にご縁をいただき、今の働き方に出会えたことも、ある意味でキャンサーギフトだと感じています。

岸田 四つ目は何でしょうか。

 マイホームですね。家を購入したのは発病の約10カ月前でした。住宅ローンを組む際に、三大疾病特約を付けるか迷いましたが、「もしかしたらがんになるかもしれない」という思いもあり、加入していました。そして実際にがんになりました。

岸田 団体信用生命保険でローンの支払いが免除になったのですね。

 はい、免除になりました。がんと告げられたときは大きなショックでしたが、一方で「もしかしたら」という思いも同時にありました。自分の生き死にと、お金の問題が天びんにかかるような感覚を経験しました。

岸田 複雑な心境ですね。

 そうですね。ただ、病気になったことで、妻や子どもたちに何か形として残せるものができたのは事実です。住まいという具体的な形が早い段階で整ったことは、安心材料になりました。

岸田 今後の夢や目標はありますか。

 定年を迎えるくらいまで働き続け、子どもと一緒に自分自身も成長していけたらと思っています。それが今の一番の夢です。

【闘病している方々へのメッセージ】

岸田 今、病気と向き合っている、戦っている、そして治療を乗り越えようとしている方に対して、メッセージをいただけますか。

 「今の自分を楽しもう」です。

岸田 その思いの背景には、どのようなお気持ちがあるのでしょうか。

 がんになりましたが、悪いことばかりではないと思っています。周囲の方々に支えていただき、そのことに感謝する気持ちも生まれました。ただ、自分自身が楽しめていなければ、周囲にも悲壮感ばかりが伝わってしまうのではないかと感じています。

「前向きに生きる」とよく言われますが、無理に強くあるというよりも、その時々の中で楽しめることを見つけられたらいいなと思っています。そうした気持ちを持つことで、これまでとは違った生活や人生の形が見えてくるのではないかと感じています。その思いを込めています。

岸田 ありがとうございました。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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