性別 | 男性 |
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がん種 | 膵臓がん |
治療方法 | 手術, 抗がん剤 |
ステージ | 4a |
罹患年齢 | 30代 |
インタビュアー:岸田 / ゲスト:関
【宣告】
岸田 どのようにがんが分かって、どのようにお医者さんに告知されたのかをお願いします。
関 9月の頭に仕事していたら、みぞおちの辺りと、背中と胃がとても痛くなって。なんとか家に帰って、車で夜間救急へ行って、当日検査できないので、明日来てくださいって言われて。
関 次の日、いろいろCT撮ったら、きょう入院してくださいと言われて。この辺にもやもやしているものがあるので、取りあえず10日間ぐらい何も食べずに入院して、それから検査しますと言われたんですよ。あと多分、急性膵炎になっていますって言われたので。
岸田 急性膵炎って言われたんですね。
関 そうなんですよ。それから検査したら、この辺に何かもやもやがあるから、もううちじゃ診れないので、病院紹介するので行ってくださいと。
岸田 紹介状をもらって、すぐ行ったんですか。
関 1週間後ぐらいで行きました。「今はどうなっているか分からないけど、今手術しないと後々、後悔することになるよ」と。
岸田 病気の宣告とかは。
関 そのさらに後です。良性か悪性か分からない腫瘍があると。がんって言わないじゃないですか。
岸田 あるあるですよね。じゃあ、そこで手術するということが決まって、手術したのはそこからすぐでした?
関 急性膵炎からだと2カ月半ぐらいたってからですね。
岸田 2013年9月に入院になります。36歳。そして2013年11月に、また入院、手術ですか?
関 手術のための入院っていうんですか。最初の入院は検査だけしかしないで、紹介状をもらって行ったって感じで。
岸田 その手術、どうでしたか。
関 難しい手術ですよって聞いていたんですけども、実際、12時間半かかったんです。
関 この長い手術名、膵頭部十二指腸切除術っていうんですけども、膵臓の頭部3分の1と、あと胆のうを取ります。胆管を切って、十二指腸の一部を切ります。そこをつなぎ合わせて、腸を持ち上げてとか。
岸田 そういう手術をして、そこから。
関 手術してから2週間ぐらいに、たまたま病室の廊下で、消化器内科の最初にお世話になった先生に会って。「関さん今回、なんか本当に残念だったね」って言われて。
関 あれ、まだ聞いてないのっていう感じで言われて。「あ、ごめん、主治医から説明あるから」っていう話を受けました。嫁は手術後に聞いていたらしいんですよね。僕自身は受けてなかったんですよ。
岸田 そのとき、どう思うんですか。
関 あれ、俺、がんなのかなっていう話ですよね。ただ、そこまで深刻には考えられずに。正確には、その次の日でしたかね、外科の主治医の先生に呼ばれて話した気がします。
関 ただそのときって、僕、実は、少し元気になっていたんで、がん保険とか僕、入っていたんで、ちょっと楽観視しながら見てたんですよ。
岸田 そうなんですね。その後に、ちゃんとした告知はあったんすか。
関 一応は主治医の先生から呼ばれて、がんですよと言われて。膵臓がんだから、これから大変だからという話はされました。
【治療】
岸田 じゃあそこから治療がスタートしていくわけですよね。どうなっていったんですか。
関 11月に手術して、クリスマス頃に退院して。最初の1月の診察のときに、抗がん剤を一応、補助療法としてやっていきましょうと。手術はして目に見えるものは取ったけれども、そうでない細胞は絶対残っているから。
関 膵臓がんって再発率が非常に高いので、気を付けましょうということで、抗がん剤がスタートですね。点滴のやり方とか、錠剤とか、いろいろあるみたいだったんですけど、僕は早く仕事復帰したかったんで、じゃあTS1っていう錠剤を処方するようにしますということで、抗がん剤をスタートしました。
岸田 TS1の飲み方っていうのは。
関 飲み方は、ワンクールが6週間で4週飲んで2週休薬。1日が、朝晩で確か60 mgずつ、3粒ずつだったかな。
岸田 そこから抗がん剤投与がスタートし、1年経過。
関 その後どうしますかって言われて。それ以上飲んでも、別に効果があるか、ないかは分かんないからって言われて、嫁と相談して、一応抗がん剤を飲むのはやめて、経過観察にしましょうと。
【再発】
関 40歳、10月、再発しました。
岸田 再発が分かってから、40歳から2017年11月、1カ月後には、抗がん剤治療がまたスタートしていく。
関 そうですね。抗がん剤治療の方法を4つか5つ提示されて。うちの主治医はこのフォルフィリノックスっていう治療方法を勧めてくれてはいた。
関 いろんな経験者の方から、フォルフィリノックスが、体が元気なうちにやったほうがいいよという、アドバイスもいただいたりとかしたんで、一番強いほうからやるようにしてみました。
岸田 その隣に細かくて見えないんですけど、46時間って書いてあるんですけど、これはどういうことですか。
関 これ、4種類の薬を投薬するんですけども。最後の1個が、43時間だったかな、それくらい連続投薬する薬になるんです。それのために入院してもいいけれども、基本的に通院でやることにしますんで、ここにCVポートというポートを入れますと。
関 それも手術しますよと言われて、また手術って、ちょっとびびりながらも取りあえずやってきました。試しに入院してやってみたらって、副作用とかもあるんで、1回だけ入院して点滴でやったんですよね。
関 そしたら、めちゃくちゃ血管が痛くて。これはもう駄目だと思って、ここにCVポートを入れてやるようになったら、そういうのもなくて、痛みもなくて、よかったなと。
岸田 それをCVポートでやって、8カ月弱後に抗がん剤変更と書かれています。
関 はい。主治医から説明を受けたのは、そんなにすごい状態にならないうちに、強い抗がん剤を使って勢いを殺しましょうと。腫瘍マーカーで測定したところ、だいぶ数値が下がってきた。
関 あと僕自身ももう記憶の中にこのつらさがだんだんすり込まれてきて、どうにか変えたいなと思っていたら、病状もそんなに悪くなってなかったんで、じゃあ抗がん剤変更しましょうかということで変えました。
岸田 このつらさっていうのは、副作用。
関 副作用です。すごく単純に言うと、全然食べられなくなって、3日間、投薬中ですね。廃人状態というか、動けないです。投薬前と4日後で7キロ大体やせるんですよ。
岸田 そういう体重の増減、それ以外にも、いろいろ副作用は。
関 あとは、だるさというか動けないですね。吐き気とか頭痛もあって。あと、その後1週間ぐらいは、ぼうっとしちゃって、耳鳴りもあって、なんか変な症状でしたね。
岸田 抗がん剤を変更した後はどうなりましたか。
関 こっちのほうが軽いっていうくせに、やりだしたらめちゃくちゃ副作用がひどくて。
岸田 ジェムザールとアブラキサンってやつですね。
関 普段の生活はできるし、投薬は日帰りでできちゃうのはいいんですけれども、一気に脱毛しちゃうっていうのが、本当にしちゃったなと。
岸田 じゃあ、この前のときは、脱毛しなかったんですか。
関 そんなにしなかったんです。あと、しびれとかもそんなにこなくて。ジェムザール、アブラキサンにしてからは、手足のしびれがどんどん、ひどくなってきちゃってですね。今、歩くのもやっとみたいな。
岸田 今は、手先以外の何か副作用は。
関 あとは足のしびれがすごいですね。あと、むくみと。
【家族】
岸田 ご家族に対して、例えば、がんになったときに、どう打ち明けたか、どういうサポートをしてもらったかを聞きたいのですけれども。まず、ご両親のほうをお願いします。
関 なんかよく分からないけど、おろおろしていましたよね。僕が発病する半年ぐらい前に、おやじの弟、おじさんが同じ膵臓がんになって。僕もお見舞い行っていたんですよ。全く同じ手術をしているんですよね。おやじのお母さん、僕のおばあちゃんも膵臓がんで亡くなっているんですよ。
岸田 どういうふうに伝えましたか、病気については、ご両親に。
関 お見舞いに来たときに、そういう話をしました。
岸田 では、ご自身の家族のほうに
関しては、先に知っているんですもんね。
関 そうなんですよ。だから、多分僕からすると、すごい嫁って強いなって思うんですよね。それを僕に言わずに、自分の中で抑えているわけですから。
関 僕かなり入院中、ぐんと落ちていたりとか病んでいたりしたんで、だいぶフォローはしてくれたんですよ。ただ結構、嫁は思ったことをすぐ行動にするっていうタイプで。
関 あとは結構、前向きなところもあるんで、かなりいろいろと気持ちを強く、頑張って接してくれていたんで、僕自身は、あまり本当に不満もなく、むしろ感謝しているような感じで。接していましたね。当時のことを振り返ると、そこまで抱えていたんだなっていうのは、後々気付くことが多いですね。
岸田 ありがとうございます。何か、奥さんに言っておきたいこととかありますか。
関 本当に、いろいろとありがとう。これからも、よろしくお願いします。
岸田 お子さんに、がんを伝えたんですか。
関 当時から病気だよというのは伝えてはいて、あと嫁が結構、いろいろと伝えてくれているかなとは思ったんですけど。
関 退院した後も、なかなか体力が戻らなかったり、本当に手術で20、30センチ切っているんで腹筋が使えないんで、抱っことかできなかったり、追いかけまわされなかったりするんで。
岸田 お子さんの反応とかって、どうなんですか。
関 後々聞くと、がんっていう言葉もある程度、知っていた。ただ、それがどこまでどういう状況かっていうのは、詳しく分からないのかもしれないですよね。
【仕事】
岸田 最初の入院したときに、どういうふうに休んだのか、そしてどういうふうに転職をしたのかをお願いできますか。
関 当時、責任ある立場で仕事していて、突然、穴を開けるわけにはいかなかったんで。一緒に働いていた部下に仕事を少し振りながら、有給を使いきる形で休ませてもらいました。
関 なんせ、いろんな電話が鳴ったり、報告がきたりするんで、病室の中で仕事の指示出しながらとか。なかなか気が休まらないときもあって。復帰した後は時短勤務とか配慮はしてくれて。本当によくしていただいた経緯はあります。
岸田 手術終わってからすぐ社会復帰して、体力的には問題なかったですか。
関 本当に体力がなかったんですよね。なんかもう自分の体じゃないみたいな感じで。徒歩10分ぐらいで行けた最寄り駅までの道のりが、20分近くかかったとか、そんな感じだったんで。最初は結構、しんどかったですね。
岸田 そこ、どうしたんですか。体力付けたんですか。
関 あまりそういうのができずで、時の流れに身を任せて、気付いたらだんだんそれが15分になり、ちょっと早歩きできるようになって、12分になりっていうふうに動いてきました。
岸田 仕事に影響はなかったですか。
関 結構ありましたね。体力がなかったり、朝とか起きるのがしんどかったり。なので、ネットワークを駆使して、誰か代務要員を探してとか、そんなことをやっていましたね。
岸田 そうやるしかないですもんね。
関 そうですね。復帰したからには、自分の仕事は自分で、という形になってしまうし。一人一人のマンパワーがいっぱいいっぱいだった時期だったんで、なかなかそんなに手厚いフォローはなかったですね。
岸田 そこから、退職していきます。これは、なぜ。
関 当時の仕事を嫁がすごく反対をしていて。朝早い、夜遅い、土日も仕事になる。土日に休みがあっても、何か緊急の電話があって現場に行ったりする。でも、僕自身は辞める気、全くなかったんですよね。
関 一番のきっかけは、第2子が誕生することによって、もうそんな1人じゃ、私できないっていう形になって。じゃあ40にもなるし、子どもも授かるし、そのときは結構病状も良かったんで、もうちょっといろいろと就職探してみようかなって考え始めたんですよね。
岸田 再就職、どうでした。
関 まっさらな面接に行って、ちゃんと僕、がんですとか伝えて。でも、今は3年経過しているんで、月に1回、病院に行くだけで大丈夫ですという話をしました。40代、病気をしています、子どもも2人います、なんで転職するんですかって言われるんですよね。
関 なかなか自分ではキャリアを持っていると思っても、面接をしている相手からすれば初めて会う人ですから、そんなこと分かったもんじゃないと。なので結構まっさらで行くと苦労するなっていうのは改めて思いましたね。
岸田 それ、どう転職にいきつくんですか。
関 結果的には、前の会社でお付き合いのあった会社さんにご縁があって。
岸田 それは病気を持っていても、それを全部ちゃんと伝えてからの転職だったっていうことですね。そのお仕事を今も続けていると。
関 そうですね。おかげさまで。
【お金】
岸田 お金、保険。
関 がん保険は20代の後半ぐらいから入っていて。その前から、積立保険とかも入っていたんですよね。なので、今となっちゃラッキーだったなと思って。まずは、がんと診断されて、よくある話ですけれども、一時金として100万円をいただいて。
岸田 治療費は、合計どれくらいかかりましたか。
関 2013年から2018年まで、大体かかったのが、保険適用のことだけなんですけれども、大体300万ぐらいですか。
岸田 それらを保険で賄っている感じですか。
関 そうですね。僕、本当に保険の恩恵に授かっているなと、自分では思っているんですけど。場合によっちゃ、プラスになるんじゃないかっていうぐらいには。手術のときも、手術一時金とか、いただいたりしましたね。
岸田 手術一時金って、50万ぐらい。
関 確か、そうですね。最初の手術のときに、入院費用とか、あと診断された一時金とか合わして、180万ぐらい出たんですよ。
岸田 今もちゃんと保険は出ている。
関 今は、保険は出ていますね。本当に保険ですけれども、何かあったときにはすごく助かるなっていうのは、僕は身をもって思いましたね。
【つらい、克服】
岸田 つらかったこと。
関 髪の毛抜けたときは、すっごくつらくて。本当に抜けちゃうんだっていう。本当にテレビの中の世界だけじゃないんだなって思いました。眉毛が抜けたりとかは、結構つらいですよね。
岸田 そうなんですね。
関 後々、膵臓がんって非常に予後が悪いって言われていたんで、そこだけですよね。きっと長くは生きられないのかなっていうのは、結構、頭の片隅にはあって。でも、結構長く生きていますけどね。
岸田 がん宣告よりも、今のそれのほうがつらいんですね。
関 その当時って、何か乗り越えたからかもしれませんけど、結構、僕、いろんなことを冷静に多分受け止めるくせというか、傾向があるみたいで。
岸田 それに今、髪の毛がないことに対して、どう克服はしている。
関 慣れるしかないですよね。
岸田 そういう感じなんですね。肉体的につらいことは。
関 今は、副作用でしびれがひどいんで、歩くときにつまずいちゃう可能性があって、それが本当につらいです。階段とかが、本当に怖いですよね。
岸田 歩くのが、今ちょっと不便なところがあるということですね。
関 そうですね。感覚がないから、スリッパ履いている感覚がなくて。あと、足が浮いたような状態になっているんですね。
岸田 それが肉体的につらい、体力とかは。
関 そうですね。気付いたら、日々の生活する中で戻っていったって感じですかね。あえて運動とかも、そんなにしていなかったです。
【感謝、要望】
岸田 医療従事者への感謝、要望はありますか。
関 本当、ほとんどは感謝なんですよね。今でも定期的に抗がん剤を受けるときとか、必ず採血とかするじゃないですか。「はい、チクリとしますよ」とか言って。そういう声掛けをしていただくことがうれしいなって。
関 事務的でない気がするというか。入院中なんかも、夜中とかでも看護師さんが見に来てくれて、声掛けてくれたりとか、わがまま言ってもいろいろと、お茶を持ってきてくれたり、お湯持ってきてくれたりとか、いろいろとやってくれるのが本当にうれしいですよね。
岸田 そういったちょっとした気遣いがうれしいということですが、逆にこうしてほしいなということは。
関 僕、そんなになくて。どちらかといえば、医者も結構、患者のこと知らないんだなっていうの、長い患者歴の中で思っていて。医療従事者の方は、患者目線を持って接してくれたら、もっといい医療ができるんじゃないかなっていうのは思いますね。
関 例えば最初の手術後とかも、抗がん剤投与するときに、僕すぐ仕事したいんですけど点滴とか、あんまり通院したくないんですけどっていう話をいろいろしていて。その中で、じゃあ治療法、決めましょうってなったりとかするんで。
【キャンサーギフト】
岸田 がんになって失うこともたくさんあると思います。その中で、ギフト、得たこと、得たものにフォーカスを当てるとしたら何ですか。
関 まずは、長男が生まれたこと。病気する前に2人目を考えていたけど、なかなかそこにいきつかなかった。
関 あとは気持ち的な問題としては、何気ない生活とかを送っていると分からないけども、明日が来るっていうことは当たり前じゃないとかですね。日々に感謝するとか、そういうこと。
関 あとは本当に一日一日を大切にするとか。そういう気持ちを持つことができるようになった。
岸田 生活のスタイルも変わりましたもんね。
関 そうですね。生活は家庭を中心に。三つ目は、仕事もキャンサーギフトのうちかなと。病気になんなかったら、多分、前の仕事をずっとやっていたと思うし。
岸田 はい、四つ目はなんでしょうか。
関 マイホームですかね。家を買ったのが、発病するちょっと前なんですよね。10カ月ぐらい前ですかね。たまたまローンを組むときに、ローンの中に三大疾病、何とかかんとか約とか、そんなのがあって。
関 さっきも言ったように、多分がんになるかもしんないなと思っていたんで、付けとこうと。そしたら、がんになっちゃったんですよね。
岸田 団信のローンの支払いが免除になったりするんですよね。
関 なりました。だから僕は、病床に伏せてがんと言われたときに、ショックと、もしかしたらというところが、すごいてんびんになっていて。自分の生き死にと、このお金って、すごいバランスがあるんだなっていうのを、身をもって体験しました。
岸田 複雑ですね。
関 ただ、病気して家族に、嫁にも子どもにも、何か残せるかなと思ったときに形に残せるものが早々にあったなと。
岸田 その後の夢、今後どうしていきたいか。
関 仕事が定年退職を迎えられるぐらいまで、子どもと一緒に自分も成長できればいいなと。もうそれが一番の夢です。
【闘病している方々へのメッセージ】
岸田 今、病気と向き合っている、戦っている、そして治療を乗り越えようとしている方に対して、メッセージをいただけますか。
関 今の自分を楽しもう。
岸田 その心は。
関 がんになったけれども、そんなに悪いことばかりじゃないよ。いろいろと、よくしていただくこととかに感謝もできますし。でもそれって、自分が楽しめないと、相手にも悲壮感ばっかりが伝わってしまうとか。
関 生きていくためには前向きにっていうの、よく言いますけれども、その時々で楽しめればいいなと。こういうことを楽しめれば、また違った生活とか、人生があるんじゃないかなと思うんで。そういったところを込めてです。
岸田 ありがとうございました。