性別 | 女性 |
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がん種 | 口・のど・鼻・耳 |
治療方法 | 手術, 抗がん剤, 放射線, その他 |
ステージ | III |
罹患年齢 | 10代 |
インタビュアー:岸田 / ゲスト:朱音/はるか
【発覚・告知】
岸田 今日は歴代ゲストから2名、がん経験者の方を招いております。
朱音 水橋朱音、24歳です。がん種は鼻咽頭がんという、鼻と喉の間にできるがんでステージは3でした。闘病は2006年7月からで、当時14歳の中学3年生でした。現在10年目になります。24歳という年齢ですが、看護学生4年生です。国家試験に受かれば、来年から看護師として働けます。
はるか はるかです。私は、慢性骨髄性白血病で、22歳の大学4年生のときに、がんが分かりました。ステージは慢性期で、22歳からずっと抗がん剤治療をしています。現在は社会人として、普通に仕事をしています。
岸田 よろしくお願いします。2人とも20代ですね。
朱音 はい。
はるか ぎりぎり(苦笑)。
岸田 という、20代のがん患者の経験談を、みなさんにお話いただきたいと思います。まず、朱音さんから、どのようにがんが分かって告知を受けたか、といったところをお願いします。
朱音 告知を受けたのは中学3年生の夏なんですけども、春くらいからちょっと首に痛みがあったり、腫れてたりして、なんか変だな……と思っていたんです。 そんなに大きな病気だとは考えていなかったので、普通に過ごしてたんですけど、病院に行ってみようかなと思ったのがきっかけです。それからどんどん首の腫れが大きくなってきて。結局、首の腫れに気付いてから、3か月ぐらい経って病院で告知を受けました。病名がわかるまでに4軒ぐらい病院を回りました。
岸田 中学生のときということは、小児科ですか?
朱音 そうですね。小児の病院に回されて、入院したのも小児の病院でした。
岸田 4軒目の病院でようやくがんだと分かったと。そのときはどんな感じでしたか?
朱音 告知は、はっきりされました。「鼻咽頭がんですよ」「ステージ3ですよ」「髪も抜けます」「50% 〜70%の確率では治りますよ」くらいのことは言われたんですけど、あまりショックもなくて ……。どちらかというと、4軒目の病院だったので、がんと分かるまでは「なんで何の病気かわからないの?」という気持ちのほうがすごく大きくて。首の痛みがあったので、「これで治療できるな、治るな」っていう、ほっとした気持ちの方が大きかったですね。
岸田 なるほど。一方、はるかさんの場合はいかがでしたか?
はるか 私は大学3年生の後半から、なんか体調が悪いな、というのがあって。旅行に行ったりもしてたんですけど、疲れてるのかな……と思って過ごしていました。あるとき、すごいめまいに襲われて、これはちょっと普通の疲れじゃないなと、そのときにやっと自覚しました。 病院に1人で行ったところ、「あなたはたぶん白血病ですね」みたいな。
岸田 いやいやいや。軽すぎじゃないですか。「つらいんですけど」って言ったら「たぶん白血病ですね」みたいな。
はるか そう。念のため血液検査をして、結果を見たら、白血球数が異常に多いということで、その場で「これは、そうでしょうね」みたいな感じで言われて。でもそのときは、告知されるなんて思ってなかったので、頭が真っ白……みたいな感じでした。
【治療】
岸田 そのあと、お2人はどんな治療を受けましたか?
朱音 鼻咽頭がんとわかったんですけど、手術ができない部位だったので、最初に抗がん剤治療を始めました。そのあと、しばらくしてから放射線治療を受けました。
岸田 最初から手術という選択肢はなかったんですね?
朱音 鼻と喉の間なので手術がすごく難しいのと、顔が変形するので鼻咽頭がんは基本的に手術はしないがんですよ、と言われたんです。最初から治療方法の選択肢は、抗がん剤と放射線でした。
岸田 抗がん剤と放射線でこのまま順調にいくと思いきや、次の治療が人工透析、ということなんですけど。
朱音 抗がん剤ってすごく強力で、他の臓器とか、がん細胞以外の正常な細胞にも影響があるんです。私の場合は腎臓に影響が出て、慢性腎不全になってしまい、 人工透析をしなければいけなくなりました。抗がん剤治療をやったあと、人工透析を秋からやりました。
岸田 そのあと腎臓移植をしたんですよね。
朱音 腎不全が慢性になっていくと、食事療法や薬物療法という保存療法になるんですけど、それではどうにもならないくらい、悪くなってしまって。2011年春に母から腎臓をもらって、生体腎移植をしました。
岸田 このタイミングで腎臓移植をした理由があるんですよね?
朱音 そうなんです。腎臓移植をすると、他人の臓器が体に入るので、拒絶反応を起こしてしまう……ということで、免疫抑制剤を飲むんです。そうすると、免疫が抑制されるから、がんが再発しやすい。がんって5年生存率とよく言いますけど、私のがんの場合は5年経って治療の経過や私の状態を見て、大丈夫だろうということで、5年待って移植、ということになりました。
岸田 一方、はるかさん。大学4年生のときにがんということが分かって、そこからどのように治療に入ったんですか?
はるか 治療法は、最初に骨髄をとって、マルク(※1)をして、白血病であることが確定してから、グリベックっていう分子標的薬(※2)を服用しています。
岸田 今も飲んでるんですよね。
はるか 今も1日1回飲んでいます。
岸田 ほんとに、今まさに戦っているということですよね。
はるか そうですね。
【恋愛】
岸田 がん患者って、恋愛に奥手になったり、どうしていいか分からないということが多いんですよね。そこでお2人にお話を伺いたいと思います。朱音さん、彼氏ができるときとか、できてからとか、どうでした?
朱音 病気になったのが中学3年生のときだったので、たぶん20代の人よりは悩んでないのかなと思ってます。がんになったことを言いにくいってことは、じつはあまりなくて、言う必要はないけど、聞かれたら言うし、あんまり気にしないタイプなので。
岸田 じゃあ、「自分はがん経験者です」 ということを、彼氏ができるたびに言ってた?
朱音 そう、その前に、友達の関係の時点で腎臓が悪いこととか言って、「なんで腎臓が悪いの?」「がんだよ」って (笑)。びっくりはされたし、引いた人もいたかもしれないですけど、私は気にせずに言ってました。
岸田 ちなみに、恋愛に奥手になったりとかは全然なかった?
朱音 病気になって入院すると、閉鎖的で人との関わりが少なくなったりするので、そういう意味で最初の頃は人とどう関わっていいんだろうって悩んだ時期もありました。その時期は、恋愛をしたいと思わなかったし、私なんて……って、ちょっと引いてしまう感じが、しばらくはありましたね。
岸田 じゃあ、最近はいかがですか?
朱音 最近は……今、いますね。
岸田 おお! 話せる範囲でいいんですけど、どういうふうに知り合って、どういうふうに付き合うことになったんですか?
朱音 がんの患者会があって、その中で知り合い、最初は友達として。
岸田 友達歴は何年ぐらい?
朱音 5年ぐらい。ある日突然、告白されました。
岸田 ある日突然呼び出されて?
朱音 そんな感じで。
岸田 じゃあ、今、患者同士で恋愛をされてると。がん患者同士の恋愛ってどうですか、なにか気を遣うことはありますか? それとも逆に気を遣うことがない、とか。
朱音 いちいち最初からしゃべらなくてもいいというか、なんとなくのニュアンスで伝わるのと、私、体調を崩しやすいんですけど、それも理解してくれますね。
岸田 今、付き合って何年目ですか?
朱音 1年8か月ぐらいです。
岸田 はい、1年8か月。このうちの1年数か月は、僕にまったく打ち明けてくれなかった、朱音さんです(笑)。
朱音 (笑)。
岸田 いやいや、いいですよ(笑)。ちなみに、隠してた理由というのはあるんですか?
朱音 特にないですね。「えっ、あの2人が……」みたいになるのが、ちょっと嫌でした。
岸田 周りにちやほやされるし?
朱音 いじられるし(笑)。
岸田 という、今、恋愛真っ最中の朱音さんでした。次、はるかさんにうかがいたいんですけれども、ずっと白血病と付き合っていかなければいけない、というところで、それをどう伝えるのかということと、今、どうなのかというところをお願いします。
はるか どう伝えるかっていうのは、友達として遊びに行くぐらいの関係になった人には、積極的に「私、こういう病気を持ってるんで」みたいな話を先にします。というのも、毎日飲んでる抗がん剤でたまに気持ち悪くなったりするんですよ。そのときに、説明しておかないと面倒くさいので、そうなりますよ、ということを先に言ってます。付き合ったあとに「私、こういう病気です」みたいなことは、起こらないようにしています。
岸田 なるほど。ちなみに、今は?
はるか 付き合っている人はいます。
岸田 はるかさんの場合も、朱音さんと同じように、経験者の方ですか?
はるか いや、全然。病気とは縁のないような……。でも、私、じつは病気を持ちながら人と付き合うことに抵抗があったんだなって、あとで分かりました。
岸田 というと?
はるか 大丈夫かなと思ってたんですけと、いざ付き合うことになったときに、すごく怖くなって。病気のことを全部話したら、この人は支えきれなくなって、いなくなっちゃうんじゃないかな、とか正直そういう気持ちがありました。
岸田 でも、それでも伝える?
はるか そうですね、ちょっとずつ。あとは、そういう病気のセミナーとかに、一緒に来てもらって。
岸田 どうですか、相手の方は理解してくれてます?
はるか そうですね、前よりも。昔は、こういう可能性がありますって説明をするのを無意識に避けてたんですよね。でも、そろそろ言わなきゃいけないと思って。
岸田 そろそろっていうのは、どのくらいのタイミングですか?
はるか 付き合ってから、1年半とか……ですね。
岸田 はるかさんは今、付き合ってどのくらいですか?
はるか 2年弱……1年半ぐらい。
岸田 1年半ぐらい。これを僕が知ったのも最近です(笑)。
【学校】
岸田 当時、中学3年生と大学4年生ということで、学校ではどうしたのか、教えていただけますか?
朱音 病院に院内学級があって、入院中は行っていました。なので、単位はちゃんと取れて普通に卒業できたんですけど、 高校はどうしても体力的な問題があったり、入院が延びたりしたので、週に1回だけ通う通信制の高校に行きました。
岸田 じゃ、高校は毎日通う高校には行っていないと。
朱音 週に1回学校に通うだけで、あとは家でレポートをやるので、普通のみんなが制服を着て行っているような学校ではないですよね。
岸田 大学に進学するときに、看護の方を目指そうとしたのは、何か理由があったんですか?
朱音 単純に、身近に看護師さんがいて、すごく支えになってくれたことが大きいですね。看護師っていう職業に最初はあまり興味なかったんですけど、長い間お世話になって、治療だけじゃなく、心の面でも人を元気にする看護師さんの仕事ってすごいなと思って。憧れから目指すようになりました。
岸田 高校の頃から目指すようになったんですか?
朱音 そうですね、病気になってしばらく経って、高校1年生ぐらいからなりたいなと、漠然と思うようになりましたね。
岸田 通信制の高校に通って、4年制の大学に進む、という感じですね。一方、 はるかちゃん。大学4年生の頃に罹患して、そのあとどうでした?
はるか 私の学科は大学4年生のときに 研究室に配属されて、そこから1年間研究室のメンバーと過ごすんですね。大学4年生の5月にがんとわかって、1か月間入院したんですけど、そのときに周りの人に入院した理由を話してなかったんです。周りの人からしたら「なんでこの人、入院したんだろう?」って。見た目は普通で、ちょっと太って帰ってきたし(苦笑)。しかも私は抗がん剤を始めた当初、気持ち悪さやだるさを強く感じていて、大学は9時から5時だったんですけど、時間どおりに行って、時間どおりに帰るということができなかったんです。周りの人からすれば「この人は遅く来て早く帰ったりとかして、怠けてるのかなあ……」みたいなところも、正直あったみたいで。
岸田 先生には言いました?
はるか はい、先生には。
岸田 やっぱり、周りの人に言うのには 抵抗があった?
はるか まず、自分が病気を受け入れられてなかったので。精神的にもずっと不安定で、自分の中にこもってる時期が半年ぐらい続いていました。だから、周りに伝えるとか考えられなかったんです。
岸田 だけどその後は、伝えられるようになったんですか?
はるか そうですね。ずっと内にこもっててもしようがないなって、あるときに思って。徐々に、みんなに伝えていきました。
岸田 そのときの反応は?
はるか 「あっ、そうだったんだね。知らなくてごめんね」みたいな感じで。みんな優しくて、病気のことをわざわざネットで検索して知ろうとしてくれたりとか。
岸田 言ってよかったってことですね。
はるか そうですね。
【仕事】
岸田 朱音さんは来年大学を卒業ですね。 どういう就職活動をしたかというのをお願いできますか。
朱音 私の場合は看護師で、他の職業よりは人手が足りないといわれているので、就職先はあるんですけど、私は小児科に入院してたこともあって、どうしても小児科で働きたくて……。子どもの発達を見て、緩和ケアをしたい、という目標があって、大学に入ったんです。でも、私は腎臓移植を受けて免疫抑制剤を飲んでいるので、感染症にかかりやすいんですね。小児科で働くとすると、もし私がどこかから感染症をもらってきて、子どもに感染してしまったら、命を預かってる看護師が命のリスクになってしまう……それですごく悩んでます。
岸田 難しいですね。
朱音 すごく迷いましたね。1年ぐらいずっと悩んでて、もう看護師になりたくないぐらい……それ以外考えてこなくて、すごく悩んだので、最終的には小児科ではなく、精神科の病院に進むことにしました。
岸田 なぜ精神科を選んだんですか?
朱音 いちばん大事な根本のところに戻ると、患者さんの心のケアをしたい、というのがあったんですね。精神的な安定が身体的な安定につながったり、誰でも精神疾患になる可能性があったり、精神疾患でなくてもすごく悩むこともあったりする。もっと人に寄り添いたい、って気持ちが大きくて。それなら、小児科じゃなくても学べるし、人の役に立てるかなと思って、精神科にしました。
岸田 小児科の看護師になる、という夢を持って今まで頑張ってきたのに、自分がもしかしたら子どもたちのリスクになるかもしれないって思ったら、けっこうへこむよね。
朱音 たぶん、がんになったときよりも。10年間でいちばんへこみましたね。私にとっては、それぐらいやりがいのあることだと思っていたので。がんになって10年近く、やりたいと思ってきたことが一瞬でできなくなると思ったときに、初めて「本当にがんって憎いな」じゃないですけど、一生ついてくるんだなと思って、すごく悩みましたし、落ち込みました。
岸田 そうですよね。ちなみに、就職活動をするとき、「自分はがん経験者です」っていうのは伝えました?
朱音 言わなかったんですよね。健康状態を書くところがあって、一応腎臓のことは書いたんですね。どうしても体力がないところがあるので、腎臓が悪いです、 薬を飲んでます、ということは書いた。 ただ、面接でも聞かれたんですけど、がんのことは言わなかった。それは、言う必要がないから、という結論に至りまし た。隠すこともないし、言うこともない ……っていうか。
岸田 あえてね。普通に生活できるから、言わなかった。
朱音 それに、もう過去のことというか。
岸田 10年も経ってるし。
朱音 そうですね。
【後遺症】
岸田 次に後遺症ですね。特に妊孕性 (※3)、妊娠・出産ができるかどうかということについてお聞きしたいと思います。朱音さん、どうですか?
朱音 抗がん剤自体は、すごく妊孕性に影響があるんですけど、私の場合はそこまでじゃなかったんです。でも結局、腎臓が悪くなったことでリスクが上がってしまったのと、腎臓移植を受けて今も免疫抑制剤を飲んでいるので、その薬の影響があります。産むのであれば、採血検査を受けて、薬も変えないといけなくて、計画出産になります。いろいろ決まりもあるし、リスクと体力、体調などの問題があったりします。
岸田 今後、どう考えていますか?
朱音 できたらいいな……と思いますけど、ほら、相手もがん経験者なので、お互いの問題みたいなところもあります。 私もそうだし、相手も今の彼だったら、 できてほしいけど、すごく難しい部分もあるのかなと思います。
岸田 そうですね。そのときにまた考える……ということになるのかな。一方、はるかさん。今も抗がん剤、分子標的薬を飲んでいるというところで、どのように考えてますか?
はるか 妊娠については、現在の私の体調では、子どもは産めないという状態です。私の場合、悪い細胞がちょっと残っているんですよね。妊娠するときは、抗がん剤の治療をやめなきゃいけなくて、今の状態でやめたら、たぶん2か月、3か月で、もう1回がんが増えてくるでしょう……っていうことで、今は産めないですね。
岸田 今後、どうします?
はるか そうですね。治療法とかを相談しようかな、というのは最近思っていて、でも難しい状態だな……とも思っています。
岸田 そうですね。今後、新しい治療法などが出てくればいいな、というところですね。
【今、闘病中のあなたへ】
岸田 がん経験者から、今闘病中の人たちに、一言メッセージをいただいております。まず、朱音さんから。
朱音 「自分を大切に、思いを言葉に」。入院中ってどうしても周りに気を遣ってしまったり、お世話になってばっかりだな、何も役に立ってないと思ってしまったりすると思うんですけど、まず、生きてることが大切だし、自分を大切にしてもらいたい。それから、気持ちを我慢しなくていいと思うんですよね。泣きたいときは泣けばいいと思うし、つらいときはつらいって言って、笑いたいときは笑って。思いを素直に言ったほうが、自分の気持ちも落ち着くし。看護学生になってみてわかったのは、看護師はじつはも っと、そういう言葉を聞きたいというか ……ほんとはもっと寄り添いたいけれど、どうしていいかわからなくて悩んでる人もいると思うんですよね。でも、言葉にしてもらえたら、受け止められるかもしれない。もっと、自分の気持ちに素直に、思いを言葉にして、自分を大切にしてもいいんじゃないかな、と思いますね。
岸田 次は、はるかさんからのメッセージ。
はるか 「過去にとらわれず、未来に怯えず、今を生きよ」。これ、自分に向けたメッセージみたいな感じなんですけど。 最近は吹っ切れてはいるんですけど、やっぱり、病気によって将来が考えにくいなと思ったときに、この言葉を見ると、今がんばろう、今楽しもう……みたいな気持ちにさせてくれる。
岸田 今の自分の人生を生きる、っていうことが大事だと。
はるか そうですね、闘病中は特にそうだと思いますね。
岸田 お2人とも、ありがとうございました。
※1 マルク……骨髄穿刺。骨髄から血液を採取して、造血能力や血液の成熟度、異常細胞の有無などを診る検査。
※2 分子標的薬……がん細胞が持っている特定のたんぱく質や遺伝子をターゲットにして、その部分だけに作用する。
※3 妊孕性……妊娠のしやすさ。