目次
- ゲスト紹介テキスト / 動画
- ペイシェントジャーニーテキスト / 動画
- 病院や治療のことテキスト / 動画
- 副作用や後遺症テキスト / 動画
- 恋愛・結婚テキスト / 動画
- 妊よう性のことテキスト / 動画
- 家族のことテキスト / 動画
- 学校のことテキスト / 動画
- 仕事のことテキスト / 動画
- お金や保険のことテキスト / 動画
- 辛かったことテキスト / 動画
- がんになる前と後で変わったことテキスト / 動画
- 今後の夢や目標テキスト / 動画
- メッセージテキスト / 動画
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インタビュアー:岸田 / ゲスト:中島
- 歴史漫画と山道ドライブが好きな32歳——18歳で骨肉腫を経験した中島さん
- 筋肉痛だと思った左肩——告知、手術、後遺症までの歩み
- 「専門の先生が言うなら」——母とともに委ねた治療の選択
- 前ならえができない左肩——髪を結ぶにも自分なりの工夫
- 「左肩動かないんですよ」と、自分から話せた理由
- 当時、妊よう性の説明はなかった——10代の治療だからこそ
- 父も母も祖母も看護師——教科書を引っ張り出した家族
- 同級生のノート、先生の追加課題——遅れを取り戻せた高校3年
- 障害者枠で住宅メーカーへ——肘掛け椅子とデスクトップの配慮
- 生命保険は入れず、医療保険・傷病手当金・財形でしのぐ
- 一番つらかったのは、看護師になれなかったこと
- 「明るくなったね」と同級生に言われた、がん後の自分
- 「麻布の卵かけご飯」を探して——叶えてきた日記の願い
- 「なるようにしかならない、治療のプロに委ねて」——中島さんからのメッセージ
歴史漫画と山道ドライブが好きな32歳——18歳で骨肉腫を経験した中島さん
岸田 ではですね、早速なんですけど、ゲスト紹介といたしまして今回のゲストですね、中島ゆずかさんになります。簡単にちょっと自己紹介お願いできますでしょうか?

中島 埼玉県出身でずっと埼玉に住んでいる、埼玉から出たことがない32歳です、中島ゆずかです。一応家族は父・母・弟ってあるんですけれども、今母と弟と犬一匹とパートナーがいてっていう感じで、仕事は住宅メーカーの事務職。趣味は小説読んだり漫画読んだり、あとはパートナーと一緒にドライブに行ったりっていう形になります。
岸田 もしよければおすすめの本だったり、おすすめのドライブの場所とか教えてほしいんですけど…。
中島 おすすめの本!?
岸田 本・漫画!!
中島 本・漫画…!?
岸田 ハマってるものでも!
中島 漫画だと結構歴史ものが好きなので、特にフランス革命の時期のものが好きなので(笑)『イノサン』とかそういう歴史物のやつだったりとか、小説だとやっぱり昔の小説が好きなので、最近なんだ、遠藤周作とか。あと今ちょっと読んでるのが三島由紀夫
岸田 金閣寺?
中島 金閣寺とか今なんだろう、三島由紀夫の自叙伝みたいななんか、よく分かんないけれども、とかを読んでます。
岸田 本当にね、歴女…ではない?
中島 歴女ではない(笑)
岸田 いろんなそういった小説だったりとかいろんなものを、そういったものをお好きでといったところで、ドライブはどちらに行かれるというか、ドライブどこがおすすめとかあります?
中島 ドライブは、私はそんな運転しないんですけれども、多いのは山沿いが多いかな。秩父とか栃木の方に行ったりとか、この間は宇都宮の方に、スーパーカーカフェみたいなのがあってそこに行ったりとかして。
岸田 いいですね!
中島 ワインディングのある道を。
岸田 ワインディングのね。
中島 こういう道を。
岸田 いろは坂もね、ありますしね。というふうな形でね、そんなご趣味があられてという形です。がんについても少し教えていただけますか?
中島 がんについては、一応18歳の時に骨肉腫っていうちょっと珍しい骨のがんになって、高校3年生の時ですね、薬物療法とあと手術を行って一応経過観察を経て寛解ということで、ほぼ治ったということで過ごしています。
岸田 骨肉腫の治療などそういったところはこれからもお話しいただこうかなということを思うんですけれども、ここからご経験談に入っていくんですが、あくまでも皆さんね、個人の経験談でございます。一般の人たち、一般化されているものではございませんので、そこはご容赦いただきたいといったところだと思います。
岸田 特定の治療を推奨していませんよといったところで、今日も聞き慣れない、僕も全然初めて聞いたような治療法とかも出てくるんですけれども、そこはもうその時ちゃんと主治医の先生と話し合ってされていますので、そういった特定のこれがいいよとかというわけではございません。
岸田 また病気については一番知っているのは主治医さんでございますので、そこだけがんノートで聞いたからというよりは主治医さんといろいろ話し合ってもらえたら嬉しいなと思っています。
筋肉痛だと思った左肩——告知、手術、後遺症までの歩み
岸田 それではですね、ちょっと経過や感情の浮き沈みなどグラフでって書いてるんですけれども、グラフでね、このような形で紹介していきたいと思います。まずドン!というふうな形で、当時ね、17歳からね、今に至るっていったところにはなるんですけれども、さまざまなね、経過っていったところをお話をいただきたいと思いますが、まず初めこちら、2011年修学旅行で海外へということで、この時高校生?
中島 高校2年生の3学期、4月から高校3年生になりますよっていう時に、3月に修学旅行で海外に行って、すっごい楽しかったんですよ!
岸田 どこに行ったんですか?海外は。
中島 オーストラリアに。
岸田 あー!いいっすね、オーストラリア!シドニーとか?
中島 そうです、あの辺に行って。楽しくて楽しかったところに、突然海外の方が、あなたたち日本人?って言ってきて、あ、そうですって言ったら大変なことになってるわよ!!って言ってきて、ん?ってなったら3.11。
岸田 東日本大震災が、そのタイミングで?
中島 そのタイミングで、えっ?って言って。で、当時は本当にみんなガラケーだったので、パカパカパカパカ、そんななくて、しかも当然海外にいるから全部英語だし、テレビをつければなんかもう津波の映像とかしか流れてないし、こうみんなで「・・・」ってなって。英字新聞を買って、電子辞書はみんな持ってきてたんで訳してました。
岸田 はー!高校生で!?英字新聞を?
中島 一生懸命訳して。
岸田 何が起こったんだ!?っていう。
中島 そうそう、何が起こったんだろうっていって、帰れるのかな?って言って。無事帰ってこれたんですけど。
筋肉痛かと思った左肩、最初の受診では「異常なし」
岸田 そんな時期だったんですね。で、海外行って、もちろん海外は楽しかったですけど、日本では大変だったことはあったと。そんな中でなんですけれども、次こちら、左肩に違和感が…ということで、それからすぐですか?
中島 多分5月ぐらいですかね。もともと私陸上部で中長距離をやっていて、なんで肩に違和感なんだろう?筋肉痛かな?ぐらいの感覚に思っていて、で、そうなんで腕なんだろう?足じゃないのかな?うーん、っていうのがこの違和感。
岸田 …があったってことですね。ただね、その左肩に違和感がといった中では病院にも行かれていくんですよね?
中島 病院に一回行きました。なんかじわじわと筋肉痛みたいな痛みが結構続いたので、ちょっと一回行ってみようか?って言って整形外来に行ってレントゲンを撮ったんですけど、その時は特に何もなくて、ちょっと様子見ましょうか〜って言って終わりました。
岸田 そうなんですね。普通に何も違和感というか異常がない?
中島 うん…なんでだろう?って思って。
岸田 そうですね、ただね、病院で異常ないって言ったらそのまま様子を見るしかないですよね?
中島 そのまま様子を見るしかなくって、で、こうなんかどんどんどんどん。
岸田 痛くなっていって、痛くなっていってそれが。痛みが激しくって書いてあるんですけど、どんな痛みなんですか?ズキズキなのかチクチクなのかガクンガクンなのか?
中島 ズキズキ痛くて、あとなんか鈍痛…鈍いような痛みとかがあって、とにかくズキズキでしょうね。すっごい痛かった思い出があるので。
岸田 左肩のどの辺が痛くなる?
中島 左肩の本当にもうこの辺全体が。
岸田 関節がとかっていうわけじゃない?
中島 じゃないです、この辺ですかね、多分。ここら辺が痛い。
岸田 触ったら痛い?もう普通にしてても痛い?
中島 普通にしてても痛い、何してても痛い。で、痛くて痛くて部屋にあるティッシュ箱とか枕とか、当時高校生だったのでノートとか教科書とかを、痛い!って言いながら壁にバンバン投げて(笑)
岸田 えー!?
中島 痛かったんです(泣)
岸田 そうなのか!鎮痛剤とか鎮痛薬とかは別に処方されず?
中島 そうですね、痛い!って言って。
岸田 それぐらいずっと、四六時中?
中島 ずーっと痛かったです。だから部活も痛いんでちょっと今日見学させてくださいとか、体育の時間もどうしても痛いんでちょっと休んでいいですか?って言って、しょうがないねって言って、うーんって思いながら。
岸田 いや、それぐらい痛かったんですね。それがずっと痛くて、そのままどうしていく?
中島 ずっと痛くて、やっぱり母が何かおかしいって思ってもう一回、同じ病院にもう一回行こう!と。
岸田 もう一回同じ病院に行かれたんですね?
中島 データが残っている、レントゲンのデータが残っているからもう一回行こうと。
レントゲンの影に、看護師の母が「骨肉腫」とつぶやいた
岸田 行こうということでお母様が連れて行ってくださる。それが次こちら、レントゲンに影が写りました。これは新しくまた撮り直した時に?
中島 撮り直しました。
岸田 レントゲンに影が、これは期間としては最初異常なしから言われて…。
中島 1ヶ月ぐらい経ったのかな、2週間じゃない、3週間経ってるか経ってないかぐらいで。痛い!って言ってどんどん痛みが増していって、で、影が写っちゃいました。
岸田 影がもう…ご自身でも見られました?。

中島 見ました見ました。なんか前見た時となんか違うっていうのは分かって、ただ何がおかしいのかが分からない、何が原因なのかが私は分からなくて。で、その総合病院の先生もレントゲンをずっと見つめてて、ちょっと大きい病院に行こうかって言って、ん?って思いながら、そのまま診察室、あっじゃあちょっと待合室でお待ちくださいって言われて。
中島 隣に母親が座ってて、すごいこう下の方ずーっと見てて、あれ何が写ったの?って聞いたら見たことがあるって言い始めて、何を!?って、何が写ってたの!?って。看護学校の時の教科書で見たってよく分かんないワードを言い始めて、ええ!?っつって。教科書に載ってるの?何?って言ったら、骨肉腫ってこっちを見ながら言ってきて。でも、骨肉腫って分からない。
岸田 分からない分からない。
中島 骨肉腫って何?って言ったら、骨のがん…って言われて、え?がん?って思いながら。でもまあ検査してみないと分かんないねって言って、なんか衝撃的でした。
岸田 はぁ。その時に、そっか…もしかしたら…みたいな感じには自分の中でもなっていく?
中島 うん、そうですね。ただがんもよく分かってなかったんで、がんって今治るんじゃないの?ぐらいの感覚でいて、そう、多分、今はほらスマホとかでね、すぐ調べられるけれど、なかったんでそういうのが。本当にもうガラケーとかでカチカチこうメールを一生懸命両手打ちとかしてる時代だったので。
中島 そう、で、病院に行って、で、やっぱりレントゲンも今は電子でね、こう出るけれども、まだフィルムの時代で、大きいそういうがん専門の病院の先生がこうやってこうやって少しなんかあるね。
岸田 そういう時代なんですね。
中島 あるねって何が?って言って、いきなり、うん、なんかあるからさって、ちょっと生検しようかって言い始めて、生検ってなんだろう?とかって、何の説明も分かってなく説明がないまま手術室とかに電話してて。
中島 やっぱり後から母親に、ごめん生検って何?って聞いたら、腫瘍っていうか細胞を取って良いものか悪いものかを判断する手術だよって言われて。えっ、手術するの私?みたいなっていう形でした。
生検、そして告知——「考える暇もなく」始まった抗がん剤
岸田 そのね、レントゲンに影が写っていくからこそ、がん専門病院をここじゃなくてっていったところでちょっと大きな病院を紹介されていく。そこでいろいろね、生検なども受けられていってという感じですよね?
岸田 はい、そんな中でその結果が出てきました、がんの告知と。
中島 はい、出てきました。
岸田 ということで、ここで改めて正式に骨肉腫ですっていうことが言われていくんですかね?
中島 あんまり覚えがなくって、そう。あるねって最初に言われたのが衝撃的で、何が?って思いながら。でもちゃんとその生検の結果、これは悪性なので多分骨肉腫でしょうっていうことでお話があって。
中島 多分先生の戦略なんですかね、考えさせないようにするためにじゃあ治療していこうって話を切り替えて、抗がん剤の話だとか抗がん剤が終わったら手術の話がもうちょっと先に出るよとかそういう話をして、そこから抗がん剤生活が始まりました。
岸田 じゃあ、もうすぐ治療していこうってなって。
中島 すぐです。
岸田 そのまま抗がん剤からすぐ治療していこうという形になっていきますが、じゃああれかあんまり考える暇がなかったところですね?
中島 なかったです、全くなかったです。急に抗がん剤やろうって言われて、じゃあMRI撮ってきてレントゲン撮ってきていろいろ検査やって、で、じゃあこれやるからねみたいな、えー!みたいな感じで。
中島 一応副作用の話とかも聞いて、髪が抜けるよとか気持ち悪くなるよとかそういう話を聞いて、あっ本当にやるんだって、本当にドラマとかそういう感じ。本当に抗がん剤治療やるんだ私、ここでやっとじわじわと自覚が出てきて。
岸田 そうですよね。あんまりね、最初言われてもね、なんか、僕もそうですけど、誰のこと言ってるのかな?みたいな感じはね、ちょっと現実味湧かないですもんね。思ったより告知が特にガンッて下がってないなっていうのはそういうことなんですね。
中島 なんとなく、なんかあるのかな?って思いながら。
ご飯の匂いで吐き気、救いはカリカリ梅とカップ麺
岸田 っていうことですね。その中で治療していこうということで、この治療、薬物療法をしていくということで、この中で書かれているのはシスプラチンとアドリアマイシンをやってからイホマイドやってメトトレキサートをやっていく、段階的にやっていかれるということなんですけれども、薬物療法はどうでした?この中では結構下がっている方だなと思うんですけれども?

中島 とりあえずやるしかないので、最初にシスプラチンとアドリアマイシンをやってすっごい気持ち悪くって。なんか、クラクラするし一気にグロッキーな状態になって。その中で高校の同級生の子たちが代表で2人ぐらいかな、お見舞いに来てくれたんですけど。
岸田 代表制なんですね。
中島 うん、なんかもうそれどころじゃない…みたいな、そう(笑)来たよーって看護師さんとか母親に、あっ来てくれたよ!って言われたけれども、もうそれどころじゃなくて、ふっと顔を見てもそのままああーってベッドに行っちゃうような形ですっごいつらくって。
中島 これが続くのか嫌だなーって思ってたら、看護師さんとか先生に相談してじゃあ(薬)変えようって言って。割とすぐ変えようって言ってで、イホマイド。
中島 イホマイドが多分一番最初よりはしんどくなかったのかな。でもしびれとかちょっとボーっとする感じみたいなのもあったけれども、吐き気がそんなになかったかな。うんうん。本当にちょうど髪がこう抜け始めて帽子かぶってやって。
中島 副作用でつらかったの…、あとやっぱりご飯の匂い。
岸田 ああー!
中島 お米の匂いがうっ!てなっちゃって、で、一応ご飯出してもらってたんですけど、食べれないって言って。みんな何食べてるの?って看護師さんに聞いたら、カップ麺とか結構ジャンキーなもの食べてるよって言ってて、ふーんって思って食べたんですよ、自分もカップ麺を。美味しかったです(笑)
岸田 ああ、そうなのよね。
中島 美味しいって思いながらスルルルって食べて。
岸田 ああいう時カップ麺とかカップ焼きそばとか、めちゃくちゃうまいですよね?
中島 そう、カップ麺食べてました。
岸田 濃いもの食べたくなりますよね!
中島 そう、なんか食品添加物が美味しく感じさせてるのかな、何なんだろう?って思いながら(笑)
岸田 けど、食べれるもの食べた方がね、体力もね、つきますしね。
中島 食べれるもの食べてって言われて、カップ麺とかコンビニのサンドイッチとか、あと何食べてたかな?アイスクリームとか食べたり。
岸田 僕もハーゲンダッツとかちょっといいもの食べてたり。
中島 あと同じ病室に中学生の女の子が骨肉腫でちょうど同じ時期にいて、何食べてるの?って聞いたら、カリカリ梅とか食べてるって言われて。それも本当に、朝カリッカリッって音が聞こえて、それで起きて何食べてるの?って聞いたらカリカリ梅って言われて、どこに売ってんの?って言ったら売店!って言われて。カリカリ梅かーって思って買いに行って、食べたら美味しかったです(笑)
岸田 カリカリ梅。カリカリ梅は僕も挑戦したことなかったけど、美味しいんですね?闘病時のカリカリ梅。そういうね、濃いものを食べて、自分の何も食べれないより全然いいという感じかなと思いますが。
12月2日は「手術記念日」——熱でがん細胞を処理するパスツール法
岸田 そんな治療をやっていった中で、おかげさまで腫瘍が小さくなるということで、どれぐらい小さくなったんですか?半分ぐらい?それとも、もう結構ちっちゃく?
中島 なんか、結構手術できるぐらいまでは小さくなったからやろっかー!って先生に言われて、あ、はいって言いながら。
岸田 結構それまでは大きかったんですか?
中島 どうなんだろう?
岸田 膨れてはこない?さすがに。
中島 腫れてはなかった。ステージ2のA。そんなそこまでステージも何にも言われてなくて、そういえばって、先生私ステージっていくつなの?って聞いたら、うーんってすごい渋い顔されて、強いて言うならって、ステージ2のAかなぁみたいな。じゃあそんなに悪くないのかな?どっちなんだろう?よく分かんないなって思いながら。

中島 そうで、小さくなったから手術をしましょうかっていうのが多分10月・11月ぐらいかな?話があって、で、12月の2日にじゃあ手術をしましょうっていうふうになって、なんかそれすっごい覚えてて。
中島 そうあの、なんかよく分かんないけど、12月の2日は手術記念日になってて私の中で。なんかちょっといいごはん、いいランチを食べたりとかして、頑張ったなー!って思いながらそう。
岸田 いいですね、その手術ね、まあできるよということでしていこうということなんですけれども、手術っていうのがね、こちら、パスツール法と。
中島 パスツール法です。
岸田 パスツール法って僕すいません、僕全然医療知識あれだからかもしれないですが、初めて聞いたんですよね。
中島 私も初めて聞きました。
岸田 パスツール法って何ですか?もちろんね、皆さん医療情報に関しては主治医の方だったりとかがん情報サービスさん見てくださいね!あくまで経験談ですからね。
中島 多分通常でいくと、人工骨頭(置換術)とかそういう金属を入れるのかな?って思ってたんですよ私も。
岸田 切ってその分。
中島 違うものを入れてって。そしたら急に主治医の先生が、いやパスツール法をやろうとかって言い始めて、パスツール法って何?って思って、先生それ何?って聞いたら、腫瘍の部分の骨と筋肉を一緒に一回切り取って熱処理して、その熱でがん細胞をコロして戻すっていう。
岸田 そんな方法があるんですね!
中島 そんな方法があって、え?って、それ骨戻してつながるの?って聞いたら、いや骨はつながらないんだけどって、やっぱ自分の骨だから異物じゃないからそっちの方がいいよねって言われて。もちろん止めるのは金属のプレートでバチバチバチって、骨折と一緒ですよね、止めるよーって言われて、はいって言って。
中島 先生2人と看護師さんと母親と私でその手術の説明を聞いたんですけど、先生はホワイトボードにいっぱいいろいろ書いてて読めなくて、逆に母親は分かるわけですよ。
岸田 確かに。
中島 看護師なので。多分メモを取ろうとしたんですかね、お母さんメモはいいからって言われて、あっそうですかって。
岸田 (メモとるよりも、まず)これ見てくれとホワイトボード。
中島 ホワイトボードを見つつ先生のパスツール法の話を聞きつつ、先生が最後に、僕だったらもうこれを勧めるねみたいなことを言ったので、じゃあお願いしますって言って、そのままドドドンって行きました。
主治医が手書きでくれた、手術の説明図
岸田 当時説明をしてくださった紙というか、これは紙バージョンなんですけれども、どういうふうなところ、ちょっといただいております、ちょっとこちらご覧ください。
岸田 すごい!なんかめっちゃリアル。
中島 手書き。
岸田 先生が手書きですよね!?
中島 先生が手書き。もう一人メインのお年取った先生ともう一人30代ぐらいだったんですかね?若い先生がいらっしゃって、その若い先生が書いてきてくれて、すごい!何これ?って言って、これ何?って聞いてそしたら赤い部分が。

岸田 この赤い部分。
中島 切り取るところだよーって言って、それは左肩ですよね、全体的に左肩で、その赤い部分骨と筋肉含めて取るところだよーって。
岸田 肩がね、こうあって肩の関節のところですね。
中島 その白い骨の部分にさらに赤い十字でポチポチポチポチって、そこが多分腫瘍の部分。そこを熱でコロしますと(笑)
岸田 この部分を切り取って、ここの腫瘍を熱でやると。
中島 やっちゃって戻しますと(笑)腕に戻しますと。
岸田 すごい!そんなのあるんや。
中島 っていう説明を受けて、手書きすごい!ってなって、先生これちょうだい!って言ったらいいよって(笑)
岸田 もらったっていう。すごいですね、めっちゃすごい!なんかめっちゃね、なんかいろんな情報を。
中島 下の部分、赤文字は多分後から書いたんじゃないかな?
岸田 後からね。
中島 最初多分黒文字が多くて、英語で何書いてあるか分かんないっていったら、渋々多分なんかちょこちょこ赤文字でこういう。
岸田 説明してくれた。
中島 筋肉の名前を多分書いてくれた。
岸田 すごい、こういう説明を受けて手術を行っていくということですね、パスツール法。これは皆さんまた主治医の方としっかり相談してという、中島さんの場合はこれを推奨されてやっていこうというふうな感じでされていきました。
岸田 そんな中でですね、このパスツール法も部位によってまたできるできないとかがあるらしいですよね。中島さんの場合はこれでやっていこうということで、手術していきます。
左肩が動かなくなり障害者手帳、クリスマスは病室で抗がん剤
岸田 無事この手術は終わりました?
中島 終わりました、無事に終わって。
岸田 つけて。
中島 戻って、そう元に戻して。
岸田 筋肉とかも一緒に取っちゃう?
中島 一緒に取っちゃって、それでその時に左肩が動かなくなっちゃいました。筋肉も一緒に取っちゃったんですね。
岸田 じゃあ今左肩どう?
中島 肘から下は動くんですけど、肩が動かない、前ならえができない。
岸田 前ならえ、ができない?
中島 できない、落っこっちゃう。こっちは大丈夫なんですけど、こっちはちょっとこう肘から下は元気なんですけど、落っこっちゃう。
岸田 あっ、そっか…。じゃあなんか手を挙げるとかっていうのも難しい?
中島 難しい、左は難しい。
岸田 右でって感じですね。
中島 そう、それでもうじゃあ上がらないし障害者手帳を取ろうかって言って、身体の障害者手帳の申請をして取りました。
岸田 なんか痛いとかっていうのはめちゃくちゃありました?手術して終わった後。
中島 その時はそんなに痛いっていう記憶がなくて、どっちかっていうとすっきりした感覚の方が強くて。でも手術終わった後の抗がん剤がすっごいきつくて、クリスマスの時期ですね、よく覚えてます。
中島 高校3年生だったので、同級生たちがみんなで集まって鍋とか食べてるわけですよ。一人病室で気持ち悪いし、なんで私だけ!って言って。先生が回診で来てくれて、いいじゃん何か食べなよって言われて、でも気持ち悪いから食べれなくって先生に八つ当たりして。
岸田 そういう、だから手術というよりもその後の抗がん剤が?
中島 うん、その後の抗がん剤の方が。手術の後ってそんなにあんまり記憶ないんですよね。
病院の隣の高校へ、制服のまま卒業まで
岸田 そんな中でね、そこから上がっていきますが、それがこちら、高校卒業。クリスマスを越えて高校卒業3月。
中島 できました、できないと思ってました。
岸田 そうですよね。ずっと治療入ってたってことですよね?
中島 高校3年生の6月・7月ぐらいからもう病院だったんで、あっ、高校卒業できるかな?って思ったら、学校の先生たちがなんとか追加の課題とかでいろいろ手を打ってくれて、で、あと治療した病院のその隣にほぼ隣に高校があったんで、変な話病院で制服着てそのまま高校行けたんですよ。
岸田 めっちゃいい立地。
中島 午前中だけ受けて、じゃあ戻るねみたいな感じでそのまま病室戻ってまた針刺すみたいな感じで。
岸田 すごいですね!なんか、がんと仕事の両立のなんかすごい、学校と治療の両立をもう現地でされてる方。
中島 運がよかったですね。本当にたまたま、本当にたまたまなんですよ!そう。なので、その高校の友達もすぐそこなんでしょっちゅう来てくれて。
中島 今はね、コロナとかそういう感染症でね、ちょっと家族以外の面会ってちょっと難しいところがあると思うんですけど、そんなんなかった時代なので、来たよー!って言って、じゃがりこ買ってきたよーとか、ブリトー食べる?とかなんかそういう感じで。ゲームしよう!って言って、ポータブルでゲームをしてました。
金属を削る最後の手術、障害者枠で住宅メーカーへ、経過観察の終了
岸田 そんなね、学生生活、そして先生たちもいろいろやってくださって卒業できたということです。そこからようやく抗がん剤とかの治療も終了していきといったところで、そしてその後、手術を受ける金属を削る。これはまた入っている金属が悪さしたとか?

中島 悪さは特にしてなくって、多分大きかったんでしょうね、ちょっと結構出っ張ってて、出っ張ってると結構引っかかっちゃうんですよ。こすれちゃって。なんで、痛いって言ったらじゃあ削ろうって言われて。
中島 で、先生たちに、じゃあもうこれで最後の手術だねみたいなこと言われて、削りました、ガリガリって先っちょだけちょこちょこって。
岸田 それは1日、結構入院しないといけないやつなのか。
中島 1週間くらいだったのかな?1週間もいたのかな、うん。
岸田 まあこう金属削って。
中島 削って、そう全身麻酔して金属削って、で、終わったなってこう思いながら。
岸田 もうその後は快適に?
中島 快適に…あっそう、それでこれだけ削ったよーって言って、金属の破片もらいました。緑のプレートの一部と、あとなんだろう、青いネジみたいな(笑)へーって言いながら。あります家にまだ。
岸田 本当ですか?
中島 家にまだあります。
岸田 もしよかったらまた写真撮って送ってもらえると、ちょっとここにパーッと出させていただくんで、もしよかったら、はい。
岸田 でね、手術されていきますが、その後ですね、ここからちょっといいことが続くのかなと思いますが、就活で内定を受けていく。そして住宅メーカーに就職されていくという形ですけれども、あれ就活内定…これは22歳だからあれ大学?
中島 大学はあの学校…、高校1年生・2年生の時の成績がよかったので、一応指定校で推薦をいただけて。それも学校の先生たちがいろいろ融通きかせてくれて、家から通える範囲内でっていろいろやってくれて。もう夢も希望もちょっとなかったんで、とりあえず潰しがきく法学部に行って法律の勉強をして。
中島 就活も、もともと看護師になりたかったんですけど、もう腕がさっき上がらないって話をしたじゃないですか。なんで、なれないねーってなって。
岸田 重いもの持ったりもするしね。

中島 バンザイしたりね、そういうのがあるんでどうしようかな?って思って、障害者手帳を持っていれば大きい会社に障害者枠で入れるっていうのを、どこで知ったんだろう、大学のなんかそういう…。
岸田 キャリアセンター的な?
中島 そういうところかな。で、聞いてへーって思って、そこから就活始めて、でもやりたいことがなくて。なくって、いろんなブースがあって、たまたまふっと住宅メーカーが目に入って、すごい本音を言いますと、採用課の人たちはすっごいかっこよかったんですよ。かっこいい!って思いながら、スーッて行ってそのままうまくトントンって、ちゃんと面接とか筆記テストとかやって内定もらって。
中島 雇ってくれるならどこでもいいって思いながら。それでそうですね、まだ勤めてますねずっと。
岸田 就職できていってということですね。よかった!そしてその後ですね、こちら、経過観察終了していく。
中島 もう終わりました。

経過観察を終えた後の蜂窩織炎——背中の筋肉を移す皮弁手術
岸田 経過観察終了してやった!って感じじゃないですか。その後に直近に下がっているのがちょっと怖いんですけど、怖いですね、これが、はい、左肩が蜂窩織炎(ほうかしきえん)に、僕もこの漢字読めるようになりました、蜂窩織炎(ほうかしきえん)にって。蜂窩織炎(ほうかしきえん)ってどういう感じ?
中島 なんだろうな、引っかき傷とかでもなっちゃうんですけど、傷にばい菌が入ってそこから炎症を起こしてっていうのがあって、多分どっか服とかがこすれてなのかな?よく分かんないんですけど、要は皮膚がちょっと薄くなってたのでどっかに傷があったんでしょうね、入っちゃって痛い!ってなって、左肩が赤くジンジンして。
中島 で、しかもかゆかったのかな?少し、なんかちょっとこうジュクジュク、一部ジュクジュクしてて、あっやばい!ってなって病院に行って、あって言って、これちょっと感染症っぽいからまだ骨まで骨の感染はしてないからとりあえず抗生剤の点滴やろうって言われて。
中島 そっからもう本当に職場に話をして、すいませんしばらく点滴通うので午前休いただきます、午後休いただきますっていうのを1週間ぐらいやったのかな。やって、1回よくなったのかな…1回よくなったんですよ。もう大丈夫そうだねってなった後に、やっぱりなんかまだちょっと腫れるみたいな話になったら、じゃあ手術しよっかって言われて、は?って言って。
岸田 手術?
中島 そう、何の?って言ったら、要はその皮膚が薄くなっちゃってるから、服とかがこすれて傷ができやすくなっちゃって、また同じことが起きたら困るからって、背中の筋肉の一部を左肩に持ってこよう!って言われて。
中島 ちょっとまた何言ってるか分かんないなって思いながら、パスツール(法を)やってくれた先生なんですけど、はっ?って言って。先生それちょっと言ってることよく分かんないって言ったら、皮弁(ひべん)手術って言うんだけどねって言って、へぇー!人の体ってすごーいって思いながら。
岸田 ちょっとここを厚くするというか?
中島 そう!厚くしました。
岸田 そういう手術を、こちらですね、皮弁(ひべん)手術していくと。へ〜!
中島 会社にちゃんと休職の…1ヶ月半ぐらい休んだのかな、休職の申請出して傷病手当金の申請出して。今はマイナンバーの保険証があるからあれですけど、去年はまだ持ってなかったんで、限度額適用認定証を発行してもらって行きました。
岸田 あ〜、そうだったんですね。いや〜、なかなか。いやもう今はそれをやって今は左肩は?大丈夫って言い方変ですけど、今は?
中島 もう元に戻ったって感じですね。うん、あのなんて言うんだろう、うん特に何も、今のところ何もなく、うん。
岸田 いやー、そっか。それもね、この左肩がね、ちょっとその炎症を起こしてしまうのも、まあ言ってしまえば治療の影響でね。
中島 なのかな?よく分かんないんですけど。
岸田 そっかそっか。そのようなね、こう中島さんのこの様々なね、このペイシェントジャーニーのこの流れではありましたけれども、といった中で。
岸田 なんかちょっとパッとこう見た感じあれなんですね、すごく一番低い時って本当にめちゃくちゃどん底っていうのが、そこまでこう今の中では、薬物療法・手術とかもちろん蜂窩織炎(ほうかしきえん)にってあるんですけど、ガクッともう本当にもうやばいっていうところはそこはないんですね?
中島 あんまり…記憶がもうだいぶ、もう十…。
岸田 そういうことか!
中島 そう、でも逆に多分その昔の記憶を掘り起こしていって多分つらかった!って思ってるのが多分この項目だったので。
岸田 うんうん。
中島 そんなに…あー!そうね。でもちょっとやっぱメンタル的にはやっぱり波があったって感じですね、うん。
岸田 ありがとうございます。じゃあここからですね、それぞれちょっと、当時のお写真もちょっといただいている部分がありますね。これをちょっと見ていきたいなと思います、こちら。ほう!このお写真は?

中島 高校卒業式。お花が胸についてるんで、歩いて無事に卒業できたからそのまま病院行こうって言って歩いて、テクテクって行って。
岸田 そうなんですね!高校卒業した時に、お世話になった看護師さんと主治医?
中島 主治医のさっきのイラスト…イラストというか絵を描いてくれた若い方の先生ですね。
岸田 すごい、結構覚えてます?この時のこととか。
中島 そうですね、すごいよくしてくれて、先生も看護師さんたちも。今はね、Wi-Fiとかいろいろつながってるからすぐに何でも暇つぶしで映画見たりとかできるけれども、何にもなかったんで。
中島 本当に本読んだりとか看護師さんとか病院の先生としゃべる、その中でこの治療がつらい!とか。あと何話してたんだろう。それこそゲーム好きだったんでゲームの話したりとか、治療についていろいろ聞いたりとか、それで過ごしてました。
岸田 じゃあ結構本当に親しく接してくださってっていう感じだね。
中島 だいぶいろんなものを教えてもらって。
岸田 いいですね。それで治療をしていって、そしてその後になりますこちら。元気になってっていう形で。これはどちらの?

中島 横須賀です。
岸田 横須賀にドライブ?
中島 これは母親と電車で行って、自衛隊の護衛艦がすごいちょっと後ろにちっちゃーく映ってるんですけど、そうそうもともとその…あんまり興味なかったんですよ、こういう船とかで。
中島 それこそこの病気をきっかけに暇になっちゃったんで、部活とかもなくなっちゃって、自宅にですね、父親が集めたそういう船とか飛行機とかの図鑑とか本とか漫画があって、暇だからっつって読み始めて、これどこに行ったら見れるんだろう?ってなって、治療が終わったら見に行ってみよう!って。
岸田 そういうことですね!めちゃくちゃいろんなね、護衛艦だったりとか。
中島 そうです、護衛艦とか戦闘機だとかそういうのを見に行って。
岸田 いいですね。
中島 そうですね。当時、こんなのがあるんだなって思いながら。
岸田 実際見に行ったというふうな感じか。
中島 結構ね、グレーだったりとかね、灰色だったりとか多かったりとかしてね、すごい。僕も見に行ったことありますけど、結構ね、すごいなっていう。これでこう海行ったりとかね、戦ったりとかするんですよね。すごいアンテナとかね、レーダーとか…。
岸田 レーダーとかがね。
中島 すごいですよね。
岸田 うわーすごい!って言いながら。あー!そうだったんですね、ありがとうございます。
「専門の先生が言うなら」——母とともに委ねた治療の選択
岸田 ここからですね、中島さんに様々な項目についてちょっと質問させていただいて、それについてちょっと回答いただくというふうな形となりますので、ちょっとまず一つ目、病院や治療の選択といたしまして、どういうふうにね、治療を選択していったかといったところ。
岸田 今はね、シェアード・ディシジョン・メイキングというふうな形で、今までは医療者の方からインフォームド・コンセントと言われてその選択に同意していくということでしたけれども、今の時代はね、一緒に考えていくという時代でもありますが、当時はまだ言われて、そしてはい!みたいな感じかと思いますけれども、病院に関してはまず地元の病院に行かれてから紹介されてがんの専門病院に行かれているってことですね?
岸田 で、そのがんの専門病院でいろんな治療法をね、こういうのをしていきますよってことでしたけれども、それに関してはあれですか?中島さんと先生というよりもお母さんも入られて治療を決めていくっていうふうな感じ?
中島 母親…結局聞いても私分からなくて、そう、高校3年生だったし。結局専門の病院だったんで、専門の病院の先生がそう言ってるんだからそうなんだろうなって思って、で、そんなにこの病院嫌!とかこの治療嫌!とかそういうのはなかったです。
中島 1個だけ嫌がったのが、抗がん剤の最後にやったメトトレキサート。何でかっていうと、周りにちょっと同年代の子が何人か入退院したりしてやってたんですよね。そしたら、つらい!つらい!ってみんな言ってて。
中島 しかも抗がん剤やる時に点滴、ポートを入れてたんですね、ここにポートを。ポートが壊れる!壊れる!って言ってて、結局それ結局因果関係はなかったみたいなんですけど、っていう噂がこう病棟の中であって、やりたくないって思って、それだけは先生にやりたくない!やりたくない!私はやりたくない!嫌だ!って言ったら、最後だから1回だけやろうよって言われてやったら、ひっくり返ったんだったかな?
岸田 えー!?
中島 合わなかったです(苦笑)下痢しちゃったんだったかな?
岸田 大変なことになったってことね。
中島 大変なことになりました
岸田 その1回で終わり?
中島 終わりました(笑)先生に合わなかったねって言われて、だから言ったじゃん!って思いながら。
岸田 そっか、まあね、それをね、されていったというふうな形で、まあそういう先生から提示されたものを順次やっていってという形だったということですね。
前ならえができない左肩——髪を結ぶにも自分なりの工夫
岸田 そして次こちら、副作用や後遺症といたしまして、抗がん剤のお話の時に副作用のお話さまざまいただきましたけれども、後遺症もね、今左手が上がらないよというお話をいただきましたが、それ以外今日お話ししていないところで副作用や後遺症っていうのは他にあったりとかしますか?
中島 副作用は多分髪が抜けたりしびれたりっていうので、後は後遺症は左肩が動かなくなっちゃって。で、最初の方リハビリとかちょっとしたんですけど、可動域を増やしましょうっていうことで。でも、髪の毛を結んだりとか、治療が終わって髪が伸びてきて髪の毛を結んだりとか、あと女性だと背中がチャックの洋服とかそういうのをどうしようかな?って思って。
中島 で、考えたのが、結局肘から下は私動くので、この高さに合わせればいいんだ体をって思って。なんで、こうやって結ぶように。
岸田 肘を置いてね?
中島 肘を置いた状態で首をこう下げて、そうすると下がるじゃないですか?手の位置に頭が来るんでねってやったりとか、それであとだから背中のファスナーもそうですね。最初に多分片手で上に半分ぐらいピッて上げるんですよ。で、そっから先は多分しゃがんでグッて上げるんですよ、そうそう。しゃがんで、そうそう。
岸田 そういう。
中島 とかかなあ?
岸田 やっぱこう、ここが動かないっていうことがすごく日常生活で。
中島 あとやっぱりちょっと運動を。結構スキーとかスケートとかそういうの好きだったんですけど、危ないからダメって言われて、はいって言って。
岸田 陸上はもうできなくなっちゃった?
中島 もうやってないですね〜。
岸田 運動に制限が出てきた。
中島 ちょっと制限が出てきちゃったりとか。ちょうど18歳の時になったんで、20歳の時に成人式だとか大学の卒業式の時にはかま?和服はそうですよね、そう着物ってこうギュッて締められちゃうんで、着れないねって。
岸田 あっ、そうなんですね?
中島 そうそう。なんでちょっとまあ今考えるとちょっと残念だったなっていうのはあります。
岸田 そうか、そういう制約も出てくるんですね。はい、ありがとうございます。
「左肩動かないんですよ」と、自分から話せた理由
岸田 そしてですね、ちょっと次にお伺いしたいのがこちら、恋愛や結婚ということで、パートナーのお話だったりだとか、そういった中でいろいろお話をお伺いしていきたいなということを思うんですけれども。
岸田 えっと、がんになったことを異性の方に伝える時どうするのか?とか異性の方から支えてもらう時どうだったのか?だったりとかそういったところをお伺いをしていきたいのですが、パートナーの方はいらっしゃってっていう形ですね?
中島 はい、就職してからですね、そうですね、もうその頃にはがんは骨肉腫自体はもう寛解の状態だったので、病気っていう意味ではそんなにどっちかというと障害?左肩が動かないの方が私は気にしていて。結局左肩が不自由だと、ちょっと子育てとかそういうのが大変なので、ちょっと難しいなって思ったりとかして。
中島 でもそうですね、左肩動かないの本当のことなんで普通に話しちゃいます。
岸田 こういうがんを患って。
中島 昔がんやって左肩動かないんですよ〜って。で、もう自分から言って仕事とかもどんどん手伝ってもらって、やっぱ重たいものとか持つのは大変なんで、高いものを取ったりとか、そういうのはちょっと頼んでとかで。
岸田 いやいや、あれですよね、パートナーの方もそういう?
中島 パートナーの方は最初ごはん食べた時に、割り箸あるじゃないですか?あれ普通パキって割れるじゃないですか?片手でパキって割って、ん?お行儀の悪い人なのかな?って最初思ったんですよ。
中島 そしたら、んーって思って見てたら。あ、俺ね右腕動かないのって言われて、え?つって、昔バイクで事故しちゃってさーつって、あっそうなんだ!みたいな、私もー!みたいな感じで。多分私よりも多分可動域が少ないそう。
岸田 そうなんですね。
中島 しかも右手利き腕だから、左腕一本で頑張ってますよ。
岸田 パートナーの方もそういう制約があって、ご自身もこうでっていうふうな形で。そういったところでは分かり合えるというか?
中島 そうですね。だからいろいろ教わったりしました
岸田 へー!
中島 さっきの体の可動域の話じゃないですけど、片手だとどうしても背中とかね、洗いにくかったりするじゃないですか?どうやって洗ってんの?って聞いたら、足にさ、ボディタオル巻きつけてさ、こうやってこうやっていろいろ洗うんだよ!みたいな。
岸田 すごい!
中島 あー!みたいな、なるほどなー!とか。包丁も、片手でこうやって。
岸田 片手でやるんですか?
中島 やるんですよ。りんごとかこうやって器用に。
岸田 へ〜。
中島 えっ、すご!って思いながら。
岸田 だからやりようによっていくらでもできるってことですね。
中島 そうそう。
岸田 そういったところで意気投合してっていうふうな形で、ドライブ行かれるっていう時はどうするんですか?
中島 片手で運転してます。オートマ(AT車)でそうそう、オートマ基本まあマニュアル(車は)無理なんで、オートマで片手で車のハンドルをこう。
岸田 それで免許を取られているということですよね?
中島 そうですね、もちろん。
岸田 そうなんや。じゃあお互いそういうね、症状…後遺症というかそういったものはあってといったところで、今お付き合いをされているというふうな感じですね。
当時、妊よう性の説明はなかった——10代の治療だからこそ
岸田 そんな中でなんですけれども、次こちら、妊よう性のことについてお伺いしていきたいんですけど、妊よう性、これ子どもを持つ能力のことを指したりとかするんですけれども。
岸田 近年やっぱり抗がん剤治療だったりいろんな治療がそういった子どもを持つ能力に影響するんじゃないかとかいろいろこういったお話があって、そういったお話が当時10年以上前にあったのかどうなのかだったりとかそういったところをちょっとお伺いしていきたいなと思うんですけど。
岸田 そういったところって当時先生からありました?
中島 なかったです。
岸田 なかったですよね。
中島 なかったです。多分18歳高校3年生だったっていうのもあるのかな?なかったですね。
岸田 どうなんですかね。だから今だとね、多分抗がん剤治療をされる前とかにあるんだろうなと思うんですけど。
中島 今だったらもしかしたらね、あるかもしれないんですけど。当時なかったか…もしくは話したけれどもさらっと言ったから覚えてないのか、どっちかかなっていう感じ。
岸田 今なんかその、フォローアップでもう一応経過観察は終わられてますけどね、ちょっとこうなんか肩のところとか見られる時、蜂窩織炎(ほうかしきえん)でもそうですけど、そういった時にもそういった話にはならずってことですね?
中島 なんないですね…ならないですね。突然なんか、そういえば何々先生覚えてる?とか訳分からない話はする。
岸田 そっちの話になるってことか。
中島 どうしたんですか?みたいな、すっごい元気なんだよ!みたいな、へーって言って。
岸田 そっか。なのでね、もし医療従事者の方が見ていらっしゃれば、10代だったり子どもの時にやっていた治療の影響っていうのはもしかしたらあるかもしれないこともあるので、そういったところは気にされる方もいるのでぜひ説明していただければ嬉しいなということを思っております。
父も母も祖母も看護師——教科書を引っ張り出した家族
岸田 そして次、こちらなんですけれども、家族やパートナーのことですね。こちら家族やパートナー、ご家族、お母様が看護師だったりだとかご兄弟もいらっしゃったりだとかっていうところ、今のパートナーの支えもね、このパートでもあるんですけど、ちょっとお話しいただければなと思いますけれど。
岸田 まずがんとなった時に家族のなんでしょう、支えというかそういったところっていかがでしたか?
中島 すごいあの…母親は毎日病室に来てくれたし、父親も実は看護師で。
岸田 えー!?
中島 母方のおばあちゃんも看護師で。だから看護師に憧れがあったのかなっていうのがあったんですけど。もう…多分全員沈黙。
岸田 そうですよね、まさか10代でってね。
中島 急に教科書を引っ張り出して本当に一生懸命いろいろ調べてくれて。結局治療は日々変わっていく、今ちゃんと先生と看護さんと話をして今の治療を頑張ろう!って言って。毎日それこそカップ麺買ってきてくれたりマクドナルド買ってきてくれたり、あと手巻き寿司、なんかよく分かんないけど手巻き寿司は食べれて、食べたり。
中島 あと病院に、病院勤めしながらやっぱ終わったら来てくれてたので、いろいろ家の話聞いたり。病院食が出るんですよ夜・夕方、食べれないんですよ大体。食べちゃうからね!って言って。
岸田 あ〜。
中島 本当においしいのにみたいな。逆に毎日それを見てるから見てたから、ね、ちょっと気が紛れたっていうのはあると思います。
岸田 いや〜すごい!毎日のようにね、両親来てくださってっていうところで。
中島 毎日毎日。
岸田 それはありがたいですよね、気紛れたりとかね。
中島 気紛れて。
岸田 いや〜そっか、そういう。弟さんがいらっしゃったんですね?
中島 弟いますね、3つ年下の弟がいて、ちょっと発達障害が入ってて多分本当にもう私の病気多分理解できてなかったんじゃないか、もうがんっていうのは多分分かってたけれども。それこそ何それ?みたいな、多分うつると思ってて(笑)
岸田 何もね、知らなかったらね。
中島 うつるって思ってて。
岸田 病気ですよね。
中島 うつると思ってて、お見舞いに来てくれたの多分1回か2回。
岸田 まあ、じゃあ別にがんだからなんでしょう、ギクシャクしたとかそういったものもないですか?
中島 ないです、特にないです。
岸田 よかったよかった。パートナーさんのお付き合いされていてって中での、なんかこうサポートとかっていったところは、もうがんになった時はいらっしゃらなかったですね?その後っていったところで、さっきの蜂窩織炎(ほうかしきえん)になった時とかどうでした?
中島 その時は、それこそ基本母親が洗濯物とかは持ってきてくれたんですけど、たまに洗濯物持ってきたり、パートナーが。あとはお茶とかおやつとかアイスとかそういうのをガサッと買ってきて。だから私入院して手術したのにすごい太ったんですよ(笑)体重、入院する前と3キロくらい多分増えてて。
岸田 動かないからですね〜。
中島 いっぱい食べてました。
岸田 しかも手術するときも励ましてくれなかったんですね?
中島 そうですね、手術のときも来て急にニヤニヤこうしながら、皮弁(ひべん)手術ってさって、失敗するとさって、紫色になるんだぜ!とかって言い始めて、なんで知ってんの?って言うと、俺やったもん!って言われて、えーっ!?つってそうなの?って思いながら。
岸田 めちゃくちゃ脅されるっていうね。
中島 脅されますよ、脅されました。
岸田 結果的に大丈夫だったから。
中島 そうですね、ちょっと怖いなって思いながら。
岸田 パートナーの方もね、まあそんな暗くならないようにね、ちょっと冗談まじりで言ったんでしょうかね?
中島 そうですね、本気で心配…どうなんだろう、よく分かんないな。まあでも普通に接してくれる、一番いいですね。
岸田 普通に接してくれるってね、今までのようにね。
中島 高校の同級生とかも当時高校通っててやっぱり普通に接してくれる、それがすっごい救いでしたね。何もなんか変に気遣ったりとかそういうのなしに普通に接してくれる、一番嬉しかったです。
岸田 まあね、そういう普通に接してくれてっていったところがよかったということですね。
同級生のノート、先生の追加課題——遅れを取り戻せた高校3年
岸田 そんな中で次にお伺いしたいのは学校のことなんですけど、学校休学されてたじゃないですか?休学っていうか休まれてたじゃないですか?高校3年生。
中島 3年生の時に1ヶ月のうち1週間だけ学校は休んでました。
岸田 ああ、そうなんですね。
中島 だから残りの2週間ちょいは、行ったり・行かなかったり。
岸田 あとは先生たちが課題で単位というかあれをやってもらったりだとかってところで。それで大学は推薦のところで、指定校で行かせてもらってっていう感じじゃないですか?勉強の遅れとかそういったところは特に?
中島 特に…あっ、それこそ同級生の子たちがノートを取っててくれてて、たまに学校行った時に見せてって言って、取っといたよって言ってありがとうってやって、恵まれてました。
岸田 今やとね、写メ撮ってとかなるかもしれないですね。
中島 そうですね、写メ撮ってかもしれないですね。
岸田 今だとね。
中島 今だとね、うん。
岸田 写させてもらってっていうね。
中島 写させてもらってました。
障害者枠で住宅メーカーへ——肘掛け椅子とデスクトップの配慮
岸田 その後、お仕事のことなんですけれども、お仕事に関しては先ほどおっしゃっていたように、就活して内定を取って住宅メーカーへ、看護師になれないからといったところがあったと思うんですけれども、障害者枠を活用されてということですよね。キャリアセンターの方に教えてもらって、うんうん。
中島 で、就職して。一応結構会社の方も配慮してくれて、例えばいすも肘掛け付きのいすにしてくれたりとか、あと今はそれこそ事務職の方って大体デスクトップパソコンなんですけど、私が入社した当時はまだノートパソコンだったんですね。
中島 ちょっとノートパソコンだとキーボードが遠くなっちゃうので、デスクトップだとキーボードの位置をずらせるので。なので新入社員なのにいきなりデスクトップにしてもらったりとか。
岸田 おー!そっか、そういうこともあるのか。
中島 合理的な配慮はしてもらって、そうそう。
岸田 お仕事で何か支障があるってところは特に今なく?
中島 ないですね。何かあったらきちんと相談、上司とか周りの同僚には相談できる恵まれた環境にいるので。それこそ、さっき重たいものが持ちにくいとかそういう話も、じゃあ書類減らせばいいじゃんってペーパーレスが進んだりとか。
岸田 へー!
中島 あとは、どうしても紙で取っておかないといけないものに関しては、じゃあよく中島さんが使うものだけは近い棚に入れればいいじゃんとか、そりゃそうだなって思いながら。
岸田 すごく合理的な。
中島 ありがとうございますって言って仕事をしてます。
岸田 そっか、そういうね、小さなこう積み重ねっていうのがね、すごい大事だなっていうのを思いますよね。
生命保険は入れず、医療保険・傷病手当金・財形でしのぐ
岸田 そしてその次こちら、お金や保険のことといたしましてですね、当時学生だったらそういったところとかっていうのはね、ご両親がお金をお支払いされてっていう形ですよね?その後病気になられているから、民間の保険とかっていうのは社会人になって入れたりとかするんですか?
中島 医療保険は確か団体…会社でやってるグループの団体の保険に入れて。ただ生命保険、お亡くなりになったら何百万・何千万っていうのはダメでした、うん。
岸田 入れなかったんですね。
中島 入れなかったです、うん。
岸田 じゃああれですか、蜂窩織炎(ほうかしきえん)になった時は治療費とかは?
中島 医療保険と、もともと入ってた医療保険と、あとは限度額適用認定証を使って治療費を抑えて、あとは傷病手当金。
岸田 休んでる間もらえるね。
中島 休んでる間もらって過ごしました。
岸田 それであれば、治療費賄えるって感じですね。
中島 賄えますね。あと別個で財形(貯蓄)とかもやってたんで。
岸田 財形って?
中島 財形(貯蓄)って給与から天引きされて勝手に貯金されるような。
岸田 やつがあるんですね、へえー!
中島 それも多分新入社員の頃からちょっとずつやってたのが、本当に最低限の貯金ですよね。そういうのもあったんで、何とかしてました。
岸田 できたってことですね、そっか。そういうね、がんなったら入れなくなってしまうとかっていうのもね、民間の保険とかはね。
中島 がん保険はちょっと難しいですね、やっぱり。
岸田 だいぶね、だんだん時代も変わってきて入れるやつも出てきて。
中島 増えてはきたと思います。
岸田 ありがとうございます。
一番つらかったのは、看護師になれなかったこと
岸田 そしてこちら、つらかったことといたしまして、今までの経験の中でこれが一番心に、もしくは体にきたなってやつは今から振り返るとどれですか?
中島 多分看護婦さんに、看護師になれなかったこと。
岸田 うん。このね、就活とかこう、いろいろこうやっていった時の?看護師になれないなってなったと。
中島 なれなかった……。
岸田 自分的に結構。
中島 きました。なんで、なりたいものがなかった…他に…。そう………なんかまあこういう話したらちょっとあれなんですけど、住宅メーカーじゃなくてもよかった。なりたいものがなかったから、うん。どうしてもやっぱり看護師になりたかったんだと思います。
岸田 そのなんかやりたいこと、ただこのね、体のことでできないっていうそのギャップとかっていったところは、自分なりにどう折り合いをつけるんですか?
中島 とにかく結局治療中日記をずっとつけてて、そこに今日楽しかったこととか気になったこととかつらかったこととか、全部ガーって書くんですよ。で、多分書いて後で読み返したりすると、なんかこういうこと思ってたんだな〜とか俯瞰して見れるんですよ、自分のことを。
中島 で、多分その中で気持ちの整理がだんだんついていって、最終的には時間が解決してくれるっていう形になって、もうなれないもんはしょうがないんで、だったら今自分が何したいのかっていうのを、きちんとあるならあるでそれを実行していった方が絶対楽しいのでっていうふうに切り替えて。あちこち遊びに行ったりごはん食べに行ったりして。
岸田 そういう切り替えを、時間も解決してくれつつやっていったということか。
「明るくなったね」と同級生に言われた、がん後の自分
岸田 そして次ですね、こちら、がんになる前と後で変わったこと。人生観でもいいですし、まあ生活面何でもいいんですけれども、がんになる前と後でこう変わったよっていうのもあったりとかしますか?
中島 もともと私性格ネクラ(根暗)なんです。
岸田 おお!そうなんですか?
中島 どうしようって考えちゃうんです、どうしようって。良くも悪くもどうしようって考えちゃって。でもがんになって、どうにもならないっていうことに気づいて。
岸田 どう考えたとてね。
中島 すごい変な話、死ぬかもしれんって思って。だったらやりたいことやらないとって思って、しゃべってみたことない友達に話しかけてみたり、あと写真あんまり好きじゃなかったんですよ、撮られるのって。なんだけれども、ちょっと撮っといた方がいいかもしれないって思って、写真撮ったりとか。
中島 あとは出かけるのも、治療中だったけど結構行ってましたね。原宿行ったりそれこそディズニーに行ったり、そうそう、友達学校の同級生と行ったりして。で、こう大学行って就職して、当時の高校の同級生とかに会うとすごい変わったよねって言ってくれる。ん?何が?って聞くと、すごい明るくなったよね前向きになったよねって言われて、あっそうだったんだって思いながら。
岸田 じゃあ、今までどうしようとかいろいろ考えてたのが、もう考えてもどうしようもない。
中島 どうしようもないです。だったら、今やりたいことやらないと損じゃんっていう。
岸田 新しい考えに変えていったってことですね。ありがとうございます。
「麻布の卵かけご飯」を探して——叶えてきた日記の願い
岸田 そしてですね、こちら、今後の夢や目標なんですけれども、今後どういうふうに生きていくかでもいいですし、どういう目標を持っていくかっていったところがもしあればちょっとお伺いできたらなと思っています。
中島 やりたいことやるしかない。だから行きたいところ行って食べたいもの食べて、で、そのやっぱり日記に書いていた、治療が終わったらこれやる!これ行く!っていうのは割と順調にいろいろ終わっていって。唯一残っているのが、麻布の卵かけご飯を食べるっていう。
岸田 一気に…一気になんかもう、庶民的な卵かけご飯?
中島 入院中に、抗がん剤治療で気持ち悪くてご飯食べれなくてごねて、駄々こねて、じゃあ何なら食べれるの!?って病院の先生に言われて、卵かけご飯が食べたいって言ったら、ちょっと無理だなって、ここでは無理だなって言われて。
中島 急に、そういえば誰々先生と一緒に行ったお店の最後のコースの最後に出た麻布で食べた卵かけご飯がすっごい美味しかったな〜って言い始めて。田舎の高校生にとっては「麻布の卵かけご飯」ってすごいパワーワード。
岸田 いや〜(笑)
中島 「麻布の卵かけご飯」って何?って思いながら、なんかお店聞くの忘れちゃって。
岸田 あー!そうなんですね、いや聞こうかなと思ったんですけどね、そっか。
中島 誰か教えてくれないかなって思ってて。
岸田 もし皆さん、麻布で美味しい卵かけご飯が食べれるとこあったら、ちょっとコメントに教えていただければ。
中島 ここだよって言っていただければ。
岸田 そこに行きたい?
中島 行きたい…引っかかってますね、一個あとはこれ達成したやつなんですけど、やっぱりその病院の先生がちょっといい靴を履いていらっしゃって、先生それオシャレだね!って言ったら、これはねって言って、イタリアのねって、こうすごく結構値が張る靴だったんですね。
中島 で、すごい人の足に合っていて履きやすいんだよっていうのを話している。で、ふーんって思って、当時ガラケーで多分調べたんですよ、ポチポチポチポチって、えっ1足こんなにするの!?みたいな感じでギョッとして。はぁ都会ってすごいなーって思って。でもいつかもし長生きしてたらこの靴が履けるような人に、人間になりたいなーって思って30歳の時に買ったんですよ。就職してお金貯めて。
中島 で、靴屋さんでじゃあこれお包みしますねって言ってる時に、その治療中のこととか一気に思い出して靴屋で号泣。隣にいたパートナーびっくり。え?つってどうしたのどうしたの?つって、いやすごい夢だったからって、私生きててよかったって言って。
岸田 そっか、自分のね、願いが叶った瞬間。
中島 願いが叶った瞬間ですねっていうのがあったんで、卵に戻っちゃうんですけど、卵かけご飯!(笑)
岸田 麻布で食べたらもしかしたらまた号泣…。
中島 しちゃうかもしれない、生きててよかった!ってなっちゃうかもしれない。
岸田 ぜひぜひ知っている方がいたら教えてください。
「なるようにしかならない、治療のプロに委ねて」——中島さんからのメッセージ
岸田 といった中でですね、メッセージといたしまして、ご視聴者の皆様、患者さんもいればご家族の方もいればそれ以外の方医療者の方もさまざまいらっしゃるかと思いますので、その方たちに向けてにはなりますけれども、主に経験者さんの方に向けてこちらのメッセージをいただいておりますのでぜひお願いいたします。

中島 なるようにしかならないので、治療のプロ(医療従事者の方)に委ねてください。なんでかというと、今多分スマートフォンとかパソコンですぐいろいろ調べられるいい時代になったと思います。でも、結局それってネットの情報であって、多分個人の見解とかいろいろ書いてあって、どれが本当か分からないので。
中島 まずは病院の先生とか看護婦さんとかにきちんと相談して、お任せしていれば多分うまくいくと思っています。
中島 なんだけれども、気になる部分はやっぱり聞かないと自分が納得しないと意味ないので、そこはちゃんと気になった部分はお医者さんに確認は絶対にしてください。
岸田 はい、ありがとうございます。やっぱりしっかりプロのお仕事はプロの医療に関してはそこを信頼してというところで。ただ、患者側としてはその決定にしっかり従ってという言い方は変ですけれども、ただ自分の言いたいことはしっかり伝えて一緒にね、やっていくってこと大事ですよね。ありがとうございます。
岸田 これにてね、がんノートを終了していくんですけれども、どうでした?出られてみてですけれども、この時間は?
中島 この時間はなんか濃い時間でしたね(笑)しゃべりながら私こういうこと思ってたんだって思って、そうですね。区切りじゃないんですけれども、またさらにじゃあ今度何しようかな?っていうのはありますね。
岸田 こうやって経験談を伝えてくださった中島さんがね、さまざまなことを乗り越えられてきたと思いますけれども、皆さんにもね、少しでも何かヒントになれば嬉しいなということを思っております。
岸田 これにてですね、がんノート終了していきたいと思います、皆さんね、また次の動画でぜひお会いできたらと思います。それでは皆さん、次の動画でお会いしましょう!それではバイバイ!
※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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