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インタビュアー:岸田 / ゲスト:小松崎

茨城出身・東京在住、写真好きの会社員——治療を終え経過観察中の小松崎さん

岸田 それでは、がんノートをスタートしていきたいと思います。今日のゲストは小松崎さんです。よろしくお願いします。小松崎さん簡単に自己紹介お願いできますでしょうか?

小松崎 今29歳でがんに罹患したのが28歳なんですけども、そこからですね、やっと社会復帰もできまして現在にちょっと至りますということですね。

岸田 ありがとうございます。茨城のご出身で東京の在住。そしてお父様やお母様、お兄様とお姉さんを2人ということで末っ子?

小松崎 そうなんですよ。

岸田 4きょうだい?

小松崎 そうですね。4きょうだいで一番上と11個離れてますね。

岸田 11個!?

小松崎 そうなんですよ。

岸田 じゃあ、もう話もあれですね、けんかとかもしないですよね?

小松崎 まあちっちゃい頃はねよくしたんですけどね、今はそうですね、もう大人なんで(笑)

岸田 今やってたらちょっとなんか、それこそ家族的ななんか、大変な話になってますけど(笑)

小松崎 そうですね、一番上のね、一番上はお姉ちゃんなんですけど、お姉ちゃんが住んでる場所が近かったんでめちゃめちゃ心配してくれて、もう週に1回は見舞いに来てくれてましたね。

岸田 そうなんですね、そういうねお姉様もいたりだとかっていうふうな形で、またね家族のことお伺いを後でしていきたいと思いますけれども、お仕事が会社員のビルメンテナンスということで、このビルメンテナンスをされていることで、朝が3時40分起きなんですよね?ということなんですね。

小松崎 まちまちなんですけど、4時にはもう家出なきゃいけないので。

岸田 具体的にはどんなお仕事になるんですか?

小松崎 そうですね、オフィスビルなので、オフィスの中の床のですね、大体カーペットなんでカーペットのクリーニングだったりとかあとゴミの回収ですね。これは朝行っているんですけども、僕の仕事としてはどっちかというと実務よりかは監督者の仕事なので、あとはお客さんと打ち合わせしたりとか見積もりがあったらお客さんのところに行って見積もりこれでどうですか?って言ったりとかっていう仕事になってますね。

岸田 そういったお仕事されている、そのことで朝早起きされているということですね。そしてですね、そしてですね、趣味が写真撮影とありますけれども、これは趣味写真撮影あれですか?カメラとかそういったところ?

小松崎 そうですね、カメラを使いまして人物の撮影ですとか、友達にコスプレやってる人とかもいるので、そういう人を写真撮影したりとか、依頼があったらですけどね。

岸田 おー!ってことは、レイヤーさん(コスプレ)の知り合いとかをこう?

小松崎 そうですね、撮ってって言ったらじゃあ行くよーなんて言って撮りに行ったりとか。病気する前はもう本当に月に3〜4回行ってたんですけど、病気してからは動きもセーブして、極力何かないと行かないようになりましたね。

岸田 写真も撮影もご趣味であったりとかで。舌がんがステージ3というふうな、またがんのことはいろいろお話を聞いていければということを思っております。そして告知が28歳、手術や薬物療法・放射線もされていて、今現在経過観察中ということで、治療がすべて終わったというか、いったん治療が終わったのは最近ですよね?

小松崎 そうですね、1月に、ちょっと後で詳しく言うんですけども、いったん終了しまして、そこからもうずっと経過観察中ですね。

15歳の就労から、舌がん告知、職場復帰まで——感情グラフでたどる小松崎さんの軌跡

岸田 今年入ってからというふうな形でね、そんな今経過を過ごされているというふうな流れにはなるんですけれども。そんな中でですね、今日これからですね、いろいろお話を聞いていくにあたりまして、患者さんの個人の闘病経験なんですのでね、特定の治療とか薬などそういったお話も出てきますけれども、それをがんノートとして推奨しているというわけではございませんので、あくまでもそういった治療で経過観察されてきたよというふうなイメージで思っておいてもらえたらと思います。そんな中でですね、どのような経過をたどってきたのかといったところ、このようなグラフなどを通じてお話を聞いていきたいと思います。まずグラフはこちらになります。基本的には結構真ん中より上なことが多いですね?

小松崎 そうですね、もう本当に明るすぎていつまでも中学生のノリって言われるぐらい(笑)

岸田 (笑)いやけど、そんな小松崎さんのね、そんな底抜けに明るい感じをですね、ちょっと今日もお聞きいただければ、ご覧いただければと思います。こちらまずですね、初め15歳の頃、東日本大震災を機に働くと書かれていますけれども、これはどういうことでしょうか?

小松崎 そうですね、もともとですね、ちょっと中学校の時学校あまり行ってなくて、それで周りの友達もちょっとあんまり仲良くなかったので、父親が単身赴任したので単身赴任先にもともと引っ越す、僕だけが引っ越すっていう計画ではあったんですよ、働くかどうか別として。そしたら、ちょうど東日本大震災が2ヶ月前ぐらいに起きてしまいまして、それで東日本大震災を機にちょっと人の役に立ちたいなと思って。なぜかというと、ちょこっとボランティア活動をしたんですよ、家の周りのがれきを片付けたりとか、あとは近所のどこどこの家の瓦がちょっと落ちてるからちょっと片付けたりとかっていうのをして、すごく感謝されたんで、人の役に立ちたいな!と思って本格的に働き始めたって感じですね。

岸田 そうなんですね。だって15歳でしょ?

小松崎 そうですね。

岸田 すごいな!

小松崎 もう頭も別に良くなかったんでこれしかないだろうなと思って、ちょっと定時制の高校通いながら働いてって感じですね。

岸田 その、人の役に立つためにということで働かれていきます。それは今の会社と?

小松崎 違う会社ですね、はい。

岸田 その時もビル関係?

小松崎 そうですね、その頃からビルメンテナンスだったので。

岸田 そうなんですね、じゃあ業界的には変わらず?

小松崎 ずっと変わらないですね。

岸田 お仕事されていった中でですね、その後こちらになります、職場の出向先で所長にということで。これはもうだって、10年以上経たれてというところですね?26歳の頃。

小松崎 そうですね。

岸田 もう認められて?

小松崎 そうですね。最初の頃は全然ダメだったんですけど、お客様の評価がちょっと高くいただきまして、そのおかげで会社の方から、ちょっとなってみるか?って言われて、それで所長になったって感じですね。

岸田 確かになんかね、小松崎さんが営業とかでいろいろ来てくださったら、なんか明るくなりそうですよね。

小松崎 そうですかね?

岸田 そのさっきもね。

小松崎 ありがとうございます。

扁桃腺の腫れ、治らない喉の痛み、舌の大きなしこり——数日で急変した体

岸田 そんなね、評価されてそして所長になっていくということなんですけれども、そんな中でちょっとここからだんだん下がっていくんですよね。それがこちら、扁桃腺が腫れるということあります。その1年後ぐらいか、27歳の時。扁桃腺がどれぐらい腫れたんですか?

小松崎 口の中を見たら結構真っ赤に腫れ上がるぐらいで、その前にちょっと風邪ひいてたんですよ。風邪ひいて腫れて、珍しく扁桃腺腫れたなと思って、ほとんど腫れたことないのにと思って。そっからしばらくしても全然痛みの方が取れなくて、何だろうな?っていうとこですね、ちょうどこの腫れるっていうタイミングは。

岸田 なんでこう腫れてきたんだろうな?いつも腫れてないのにっていったところで、こうなんでだろうなっていったところから、ここからまた下がっていきます。それが、軟こうを塗っても喉が痛い。

小松崎 そうですね。ちょっとあの口内炎もできてて、それはべろにできたんですけど、あれ?扁桃腺の痛みの元ってこれなのかな?とか思って、口内炎かなと思ってちょっと塗ったんですよ。

岸田 それは市販のお薬?

小松崎 そうですね、自分で買って。それでも全然よくならなくて、軟こう以外にもいろいろお薬試したんですよ、喉の腫れを抑えるやつとかっていうの。全く効かなくて、そこからもうどんどん痛くなって、夜も寝れないぐらいになってしまったんですよ。

岸田 喉が痛いんですよね?

小松崎 喉が痛くて、もう喉から、最初は喉らへんだったんですけど、だんだんもう頭まで痛くなってきちゃって。で、右の耳も耳鳴りがひどくて、あれどうしちゃったんだろうな?とか思って。で、口の中をチェックしたら、あれ?なんかべろに、なんか前見た口内炎よりなんかもっと大きいのがあるぞ!みたいな。

岸田 べろに?

小松崎 右のべろに。これ何だろうな?っていうのが、このちょうど軟こうを塗っても喉が痛いっていうタイミングですね。

岸田 えっ、この扁桃腺が腫れるから喉が痛くなるまではもう結構すぐ?

小松崎 すぐでしたね。

岸田 数週間も経ってない?数日レベル?

小松崎 数日レベルですね。それまで何の痛みも感じてなかったので、急に…みたいな。

堀ちえみさんのインタビューを思い出し歯科へ——告知前に保険にも加入、仕事も引き継ぎ完了

岸田 喉が痛くなっていくので、その後行動に移されます。それは歯科に行くということで、歯科だったんですね?

小松崎 そうです、ちょうど定期検診に行っていたので、口のべろの口内炎も含めてちょっと診てもらおうかなと思って、うすうすちょっとやばいかなって感じつつも行ったんですよ。そしたらこれちょっとやばいから、いったん様子見てそれでも改善見られなかったら口腔外科紹介するから行きなさいって言われてっていう感じですね。

岸田 いったん様子を見るっていうことですけど、いったん様子を見るの「いったん」ってどれくらいですか?

小松崎 2週間ですね。実はちょっとこのグラフのところに書いてないんですけど、この扁桃腺が腫れると軟こうを塗っても喉が痛いの間の頃に、実は堀ちえみさんのインタビューをたまたま見てまして。

岸田 へー!舌がんを経験された芸能人の方の。

小松崎 あれ?俺ももしかしてこれ?とか思い始めたんですよ。でも内心大丈夫だろうと思いながらも、もう片方はちょっとやばいんじゃないかと思って。これが、がんにしろがんじゃないにしろちょっと今のうちに備えておこうと思って、病院に歯科に行くなり。あとは生命保険も入っておいて、これがもしがんじゃなかったら、まあまあもうけもんだろみたいな感じで、備えあっていいだろうなと思って。だから、この辺のそうですね、グラフのタイミングでちょっと行ってますね。

岸田 そうなんですね、扁桃腺が腫れてそこから喉が痛いなぐらいのとこの間の時に、そういったいろんな準備を?

小松崎 そうですね。

岸田 準備というかたまたま堀ちえみさんのインタビュー読まれてっていったところで、何もなかったらそれはいいしっていってたところで、その後に歯科に行くって感じですね?

小松崎 そうですね。

岸田 歯科に行かれて、その2週間様子見ましょうって言われても2週間長い!とか思わなかったですか?

小松崎 いや、まあそれまでには終わんだろうぐらいに思ってて、長いとかっていうのはそれまでに治んだろうと思って。でも、もうロキソニンが手放せないんですよ、もう1日3錠飲んじゃうぐらいで、夜も痛みで起きちゃうぐらいで、これ本当はやばいんじゃないかな?と思って。で、ちょっと強めの軟こうを使ってみて、一瞬だけちっちゃくなったんですけどまた大きくなってうーん?って思って。で、ちょっとネットで舌がんとか調べると似てるんですよ、あれ?って思って、これちょっとやばくね?って触ったら、ちょっとしこりみたいに硬いし喉が痛いのにべろなんだとか思って。実はその頃にはもう会社とか職場の方には、もうやばいかもしれないからって言って、多分入院することになると思うって言って、もう引き継ぎとか全部終わらせてきてるタイミングなんですよ。

岸田 えっ、すごいですね。

小松崎 入院までに引き継ぎ全部終わらせたんです、実は。多分いなくなるから頼みますねって。

岸田 準備すごいですね!用意周到に。

小松崎 会社では上司なんですけど、その出向先では僕の部下に当たるんで、ちょっと変な逆転した形なんですけど頼みますって言って、多分いなくなるんでって言って。周りのみんなは大丈夫だよ、そんなことないよって言ってたんですけど、もう僕はいやこれダメだと思って、動いた方がいいなとか思って。

岸田 動きつつ、2週間後また歯科に行ったんですかね?

小松崎 行って、もうこれ完全に多分ダメだと思うから。歯科の担当の先生が口腔外科の出身で口腔外科の権威の先生の下で働いてたんで、コネがあるからすぐ調べてもらいにするからって言って、すぐ紹介状を書いてもらって、その2日後・3日後にはもう行ってましたね。

岸田 すぐね、紹介状を持って、すぐその先生のところに行って。その病院は近かったんですか?大丈夫でした?

小松崎 家から遠くはなかったので、電車で30分ぐらいで行けるところだったので。

岸田 じゃあ、まだ全然通えるぐらいのところに行ったというふうな感じが、それがこちらになりますかね?総合病院に行くというふうな感じで。そこで様々診てもらったんですか?

小松崎 そうですね、血液検査とあとはまず触診ですね。また触診の時に研修医の先生がピンセットでちょっと僕のがん、今ではがんって分かりますけど、当時腫瘍だったところをつついたんですよ。ものすごく痛くて血が出てきて。え?すげえ痛いし血出てくるし、これ本当にやばいんじゃないのとか思って。それで、後々手術してくださる先生なんですけど、めちゃめちゃ怒ってましたね。

岸田 怒って!?ああ。

小松崎 血出てるんじゃねえかよ!!これ絶対腫瘍だよ!!とか言って、もっと大事に扱えみたいなこと言ってて、先生がそんだけ怒るんだからやばいんだろうなって思って。その日はエコーですとかそういうのをやりましたね、簡易的な検査をやって後日改めて、CTだとかPET検査とか全部含めてやるよって言われて、後日改めてやるような感じですね。

岸田 その時はなんか、うわやばいものがあるんだろうなっていう不安とかはどうだったんですか?

小松崎 もう覚悟決まってましたね。もうダメだろうなと思ってたんで、あとはここからもう生きるか死ぬかの問題だなと思ってたんで、もう覚悟は決まってます。グラフはねめちゃめちゃ下がってますけど。

岸田 いや、めちゃめちゃ上がってますよ!

小松崎 ここはそうですね(笑)

「結局がんなんですよね?」——元看護師の母と聞いた告知、気分は最高潮に

岸田 めちゃめちゃ上がってます。だからその、そんな状況ですごい上がってるな〜と思ってね。で、その後あれですよね?ここからがん告知を受けていくといったところで、いやなんかこう上がってるのはなぜなんですか?

小松崎 あの…闘おう!と思ったからですかね、もうやるしかねえなと思って。あきらめた瞬間にもう死んじゃうだろうから、だったらもうここでやれることやるしかねえだろうと思って。ちょうどがん告知の時に母親も一緒に付いてきてくれたんですよ、で、母親と一緒に聞いて私もダメだと思いますって母親も言ってて、元看護師なんでそういうの分かるんでしょうね。

岸田 そういうことですね。

小松崎 結局がんなんですよね?って言って、うん、がんでしたって言われて。ただステージとか悪性度はどのぐらいか分からないですよと、まだ生検してなかったので。で、完全にがん…完全にというかほぼほぼがんでしょうということでPET-CTとかのあれも受けて、まあ転移はなかったんでよかったんですけどっていう感じですね。

岸田 だから、もう自分はやるしかない!ということで、気持ちがもう奮い立ってるっていう意味での高い状態なんですね?がん告知で10マックス(一番高い)な人が初めてかもしれない。

小松崎 でしょうね(笑)

岸田 そうね、だって他またね、出てきますけれども、10(MAX)ってなかなかですからね。

小松崎 そうですね。

岸田 そこらへんが小松崎さんのこのキャラクターというか!?

小松崎 ありがとうございます、まあ怖いもんなしなんでしょうね(笑)

岸田 そんなね、小松崎さんががん告知よりも下がっていくことっていうのは何かというと?次は入院。

小松崎 そうですね、やっぱり閉鎖された空間って言ったら申し訳ないですけど、やっぱり今までできてた生活ができないっていうのがストレスでしたね、やっぱり。病院の雰囲気もあるわけじゃないですか?元気な人ばかりではないですし、そういうのにちょっと飲み込まれていって、不自由さも感じながらテンションが下がった感じですね。

岸田 即入院って感じになるんですか?

小松崎 即入院です、告知を受けたその日にもう、あと数時間後に入院ねって言われて。

岸田 えー!

小松崎 すいませんお昼ごはんだけ食べさせてくださいって、母親と一緒に寿司食いに行ったんですけど。

岸田 へー!そっかすぐ入院?

小松崎 もう準備はいろいろしてたんですよ、多分入院って言われると思って。ただ荷物は家に置いてきてたんで。

岸田 だからね、もう引き継ぎとかもね、全部もう終わってる時ですよね?すごい!で、入院まあそれでもプラマイゼロなんですね?

小松崎 そうですね、はい。

抗がん剤・右舌部分切除——「美味しくごはんを食べてほしい」と先生は移植を避けた

岸田 状況的には。そこからこう上がっていきます。入院で治療ですよね?多分ね、次上がっていくっていうのも、えっ?薬物療法・抗がん剤治療をされていく。

小松崎 そうですね、はい。

岸田 上がるんですか?

小松崎 あの、やっぱり人間って不思議だなと思うのが、やっぱこう自分が追い込まれていくと気分が上がっていっちゃうんですよね、まあ僕が変なのかもしれないですけど。なんか、おお!テレビでよく見る抗がん剤とか俺やっちゃってる!とか思っちゃって、それでテンション上がってる感じです。

岸田 はあー!よくはないとは思う、よくある状況じゃないと思います(笑)

小松崎 そうです(笑)よくはないですけど、もう本当にびっくりするぐらい気分が乗ってましたね。

岸田 ハイになってるってことですね?

小松崎 そうですね。

岸田 それで治療、えっ、これは問題なくいくんですか?薬物療法に関しては。

小松崎 最初の頃は副作用もそんなに少なくて、ちょっと頭痛いなぐらいで済んでたんで、そうです、その時は治療大したことねえじゃんとか思ってるぐらいだったんですよ。

岸田 うん、そうなんですね。そういう治療を続けて、薬物療法をしていった中でその後に手術といったところが入ってくるということなんですけれども、この時の手術といったところでね、右舌部分切除。

小松崎 そうですね。

岸田 右下の部分切除ってことですね?右下の部分切除、これどれくらい切ったんですか、これは?

小松崎 そうですね、がん自体は半分近くまで実はあったんですけど、先生がなんとか移植手術とかもしないように言ってくれて、本当にがんと正常な部分のギリギリの境目で、半分近くなんですけどね。で、ちゃんとなんか切ってくれて。他のべろが余ってる部分から無理くり持ってきて、形を整えてくださったって感じですね。

岸田 ここでね、ちょっとね、部分切除をされていったっていったところでね、ちょっとあのどんな当時がんがあって、で、どういうふうに切っていったのかっていうところを図を使ったり写真を使ってね、ちょっと今日はご説明できたらということを思います。まず、がんがあった場所っていうのは右の下のところっていったところ、こんな感じなんですね?右の下のところ、だから喉が痛かったりだとかしてたのは、これが一応原因ではある?

小松崎 そうです。舌咽神経って言って、べろに神経がすごく集まってるんですね。で、その近くにあったので、そこの痛みがあちこち散らばって頭が痛かったりとか耳鳴りがしたりとか喉が痛かったりしたみたいなんですよね。

岸田 そういうことか。そこの神経を触ってたってことですね?

小松崎 そうですね。

岸田 そしてね、今日その時のお写真もいただいておりますので、ちょっとそのお写真を見ていきたいと思います、こちら。

小松崎 すみません、あまりきれいな写真じゃないんですけど、こんな感じで。

岸田 ちょっと見ていきたいんですけど、これの下のこの部分ががん?

小松崎 そうです。そこの今マウスカーソルがあるんですけど、そこから左、左にかけて全部がんです。

岸田 これ、ここまで?

小松崎 実は、それ一部しか見えてないんですよ。奥の喉の咽頭に近いところまでパンパンに腫れ上がってたんですよ。

岸田 これ腫れてるってことですね?

小松崎 奥もすごく腫れてるんですよ。

岸田 そういうことか!で、半分ここら辺もがんだったってこと?

小松崎 そうですね。

岸田 中が。

小松崎 中ががんでしたね。

岸田 どうなの?これはゴリゴリしてるのか?コリコリしてるのか?ブヨブヨしてるのかとかどうなんですか?

小松崎 がんの中心はブヨブヨしてたんですよ、ちょっとゴムボールっぽいなぐらいの感じで。でもこのがんと正常な組織の境目がめちゃめちゃ硬かったんですよ。いわゆるしこりって言われるような感じですね。なので、その正常な舌の組織をがんがぶち破ってきたようなイメージですね、表面に。なので、ちょっと正常な組織と微妙に違うんですけど。

岸田 うわー、そうなんですね、ここががんだったっていう。

小松崎 そうですね。

岸田 色とかは変わらないの?

小松崎 色は、この時はまだそんなに変わりはないんですけど、入院直前はもう白と赤が点在したような感じになってて、紅斑(こうはん)が出てたりとか。あとはところどころ出血したりとかして、この時はまだ表面滑らかですけど、入院直前はデコボコして石のような感じでしたね。

岸田 それをね、切除していくということで部分切除はここの部分を切除していく、がんがあった部分を全部?これは半分じゃなくて舌の先、ここは残っている?

小松崎 残ってるんです、そうなんですよ。

岸田 ここを残してっていったところで、で、この取ったところをさっき言った、部位を持ってきて?

小松崎 そうです、奥の方から持ってきたって先生言ってましたね、で、形を整えたって言ってくださって。

岸田 そうなのか!

小松崎 べーってすると、ちょっと微妙に形違うんですよ。

岸田 へー!そうなんですね。

小松崎 そうなんですよ。いまだに奥から持ってきているせいか右のべろの奥が突っ張っていて、痛みがありますね。これはもうどうしようもないと言われています、治ることはないという。だからべろに力を入れると、奥の方がものすごく痛いです。

岸田 他の部位他の、なんか太ももとか、そういったところとか持ってくるとかじゃないんですか?

小松崎 じゃないんですよ、はい。よくなんか移植手術とかありますけど、そういうのではないですね。

岸田 小松崎さんの場合はそうだったんですね。

小松崎 普通だったらこんなのもう半分切除をして移植ぐらいのイメージなんですけど、先生が、いやもう若いからこれからも長いから美味しくごはん食べてほしいからってことで。

岸田 そうなんですか!

小松崎 そうなんですよ。

岸田 なんか今普通にちょっと話してますけど、そうですよね舌をだから、部分摘出してることってことですよね?めちゃくちゃスムーズに普通に話してるな。

小松崎 これでも結構苦労したんですけど、あとは疲れてきたりするとろれつが全然回らないですね。あとは突然取引先から電話がかかってきたりすると、しゃべる準備してないんで、あっもしもし!みたいな感じで急にろれつ回らないんですよ。なので、しゃべる時は結構これからしゃべるぞ!っていう感じで、気合を入れてなんとかしゃべってますね。

岸田 今はしゃべるぞっていうモードで。

小松崎 モードなんでそこまで聞き取りづらいってことはないと思うんですけど、でも突発的にしゃべろうってすると、あ?え?みたいな感じになっちゃいますね、モゴモゴしちゃいますね。

岸田 それぐらいのね、大手術をされていってといったところで部分切除。これ上がっているのは、なんか理由はあるんですか?

小松崎 もうここから治ることしかないだろう、治るというかよくなることしかないだろうというポジティブな気分ですね。もう元凶を取ったから、あとはもうここから悪くなることはそうそうねえだろうということで、上がっていった感じですね。

放射線治療の粘膜炎——「カミソリを飲むよう」な痛みと、消えた味覚

岸田 そこからちょっと下がっていくのがこちら、放射線をされていく?

小松崎 そうですね。

岸田 切除してその取った部分…取った部分というか、この舌の右側を放射線するんですか?

小松崎 舌の右側、ほぼほぼ全体ですね。右中心ですけど、他にもちょっと当たるような感じで。IMRT(強度変調放射線治療)だかなんかその、要は強度を変えるような放射線の当て方があるんですね。それをやってくださって、正常な組織には極力被害がないようにしてくださった感じですね。

岸田 これは入院して?それとも通院で?

小松崎 入院ですね。なので手術して2週間弱そこからまた入院した後に、放射線治療始まるまでちょっと準備期間があるんですよ、スケジュールを考えたりとかしなきゃいけないんで。その間いったん退院してます。

岸田 そうなんですね。

小松崎 なので、その時はまだ抗がん剤やってたんですけどごはんが食べれなくて、もう気持ち悪くて。味も分からなくなってきちゃったんで、抗がん剤の影響で。

岸田 それも含めて下がっているって感じですね?

小松崎 その間に実は職場にあいさつしに行ったりとかしてるんですけどね。

岸田 おお、あいさつっていうのは今の状況を?

小松崎 こんな感じですよって言って、泣かれましたね(笑)職場の取引先の一番偉い人なんですけど、わざわざ来てくださって。小松崎さんが来てくれたんだったら私会いに行きますよ!って言ってくれて、男性の方なんですけどもう泣かれちゃって。こんなにつらいのに、菓子折りまで持ってきて!なんて言って、いや気にしないでくださいって言って。意識もうろうとしてました(笑)

岸田 命がけじゃないですか!(笑)

小松崎 もう無理とか思いながら(笑)

岸田 職場行ったりとか取引先行って。

小松崎 そうですね。

岸田 報告して。

小松崎 みんなの顔見に行って。

岸田 もう命がけでね?

小松崎 そうですね。

岸田 治療をそこの中でもされていってといったところで、その放射線だったりだとか、これ大変なこととかなかったですか?

小松崎 一番はやっぱり放射線治療の副作用ですね。やっぱり粘膜炎がひどくなっちゃうんで、僕実はその一時退院した時に、もう栄養士の方に自分で直談判して、多分ここから固形物食べれないと思うから飲み物中心の食事のメニューに変えてくれって頼んだんですよ。

岸田 へえー!

小松崎 自分でももう多分無理だと思うからって言って。固形物だと残したりとかして栄養的に問題があると思うんで、飲み物の野菜ジュースとか牛乳とか他のもので賄ってくださいって言って、案の定もうやっぱりダメだったんでよかったと思って。で、その喉の咽頭の方まで粘膜炎ができちゃってたんで痛いんですよ、カミソリを飲んでるような感じで本当に、こんなに痛いんだと思って。最初は野菜ジュースとかグレープフルーツのジュースとかいろいろフルーツジュースがあるんですけど、まあそれが染みるんですよ、もう、涙出てくるくらい痛くて。拷問じゃねえか飯なのに!とか思って。あとはその辺はそうですね、ちょっとメニューを相談しながら変えていった感じですね。

岸田 そういうなんか、事前にこうなるだろうと思ってこう伝えるとかっていうのは、なんか情報とかはどっから仕入れたりとか?

小松崎 そうですね、やっぱりがんノートさんの…。

岸田 それがんノートさん!?

小松崎 がんノートさん見たりとか、あと同じくがんノートさん関係ないとこでその舌がんになった人のYouTube発信してる人がいるんで、その人の放射線治療の大変さとかっていうのを知ったりとか。あとはがんって発覚した時点で、ちょっとがんのつながりの知り合いがいたんで、その人にどうでした?って聞いたりとかして、自分で事前準備の方をいろいろしまして、情報として。それを元に、多分こうなるからこうしてくださいって言った感じですね。

岸田 そうなんですね、その中でもがんノートも見てくださって。

小松崎 そうですね。

休薬、退院、一人暮らしへの不安——「ちゃんとごはん食べれるかな」

岸田 ありがとうございます。そしてその後に休薬をされていくというふうな形になるかと思うんですけど、休薬、これは、薬物療法をちょっとやめていこうと?

小松崎 そうですね、体力的にも落ち込んでますし、栄養状態もやっぱり飲み物で摂っているとはいえよくなかったので、薬に体が耐えられなくなって。もう最後の方はもう本当に頻繁にもどしているような感じで…。体もだるくて動かないですし…もう味なんかもちろん放射線治療でもやっぱり含めて分かんなくなっちゃったんで。だったら、ちょっとでも抗がん剤でなくした方がいいかなと思って。

岸田 それは、もうお医者さんに言ったら、じゃあちょっと休薬しましょうかってなったんですね?

小松崎 先生に直接言うのはちょっとおっかなかったんで、看護師さんにごめんなさいちょっと無理なんでなんとか頼んでもらえませんか?って言って、次の朝には小松崎さんいいですよって言ってくださって、だから休薬して。

岸田 ちょっとテンションが回復したと?

小松崎 よかった!やっと解放されると思って。

岸田 解放される!と思って、下がってるんですけども解放されなかったのかな?どうしたの?あっ退院!退院いいやんいいじゃないですか?

小松崎 そうなんですけど、ただこれには理由があって、やっぱり退院した後の一人の生活がちょっと不安だったってこともあったんですよね。

岸田 あ、そっか一人暮らし?

小松崎 そうなんですよ。なので、そっから、こっから一人で暮らしていけんのか?とか思って。今まで管理されてた生活だったんで、こっから一人で生活していけるかな?ちゃんとごはん食べれるかな?とか言って。

岸田 ああ、そういうこともあるんだね。

小松崎 のもあって、ちょっと退院なんですけど、ちょっとテンションが落ち込んでるっていうかもう、もうテンションも何も考える余裕がなかったですけどね。

岸田 だからプラマイゼロっていうふうな感じなんですね。そっか、実家に戻るとかは?

小松崎 そうですね、もうすぐ職場復帰しよう!って考えてたんで、実家に行く気持ちはもうさらさらなかったですね。

岸田 そうなんですね。だからこう不安な中で、実際どうですか?一人暮らしできたっていうか、しないといけないっていうふうな形ですけど。

小松崎 ええ、なんとかやれました。入院した時と同じようなメニューを自分で購入しまして、例えば植物性たんぱく質を摂るといいと言われていたので、毎食豆乳を飲むようにして。あとは何かしらして味が分かりたいと思っていたので、ちょっと味の濃いわかめスープとかそういうのを自分で買ったりとかして。ただ噛んだりとか何にもそしゃくもできなかったのでわかめはちょっと食べれなかったんですけど、スープだけでもとか。

岸田 わかめスープのわかめなし?

小松崎 わかめなしです(笑)もうそしゃくもできなかったんで、べろも満足に動かせなかったんで、放射線でべろがパンパンに腫れ上がっちゃってたんで。

岸田 うわー!それってどれくらいで食べれるようになったりとか?

小松崎 そうですね、3週間後くらいにちょっとずつ食べるようになった感じですね。友達と一緒に寿司を食べに行って、俺あんま食えないと思うよなんて言ってたんですけど、そこでなんか頑張って食べたら、あ、れなんか10皿ぐらいいけたな?って。

岸田 おお、結構いってる!

小松崎 そっからなんかどんどん慣れてきたのが、どんどん食べる量が増えていった感じですね。味が分かるのは、まあ12月の中旬ぐらいまでかかりましたけど。

岸田 味が分かるのはね?12月の中旬って言うと?何ヶ月後ぐらい?

小松崎 退院して1ヶ月後ぐらいですね。

「帰ってきてくれてありがとう」——3ヶ月ぶりの職場復帰と、再会した美容師

岸田 うんうん、それぐらいかかったというふうな形ですね。そんな中でですね、上がっていきます。これはいいことだと思うんですけど、さっき言った職場復帰というふうな、職場復帰上がってはいるんですけど、ただ青色なんですよね。青色ってネガティブなワードなんですけどこれは?

小松崎 これはやっぱり3ヶ月ぶりの職場復帰なんでめちゃめちゃ不安で、ちゃんと仕事のことを覚えてるかな?とか思ったりとか。あとはそのバイトのメンバーが結構変わってたんで受け入れてもらえるかな?とかそういうのもあって。

岸田 結構変わっててって、だって治療…入院してからどれぐらい?

小松崎 3ヶ月なんですけど、結構その間に辞めたりしてるメンバーもいたんで、そうなんですよ。なので、その新しいメンバーに受け入れてもらえるかな?って言って。まあ、その仲良いバイトとか職場の人とかとは入院中もテレビ電話したりとかしたんですよ実は、どうしてる?なんて言ってくれたりとかしたんですけど、って言ってもいざ職場に行くのとは話が違うわけじゃないですか?そこがめちゃめちゃ不安でしたね。

岸田 そっか、なんか不安だから、職場復帰自体は上がってるけど不安だから青色ってこと?

小松崎 そうですね。

岸田 これね、じゃあ実際に職場復帰してみてこれどうだったんですか?受け入れてもらえました?

小松崎 やっぱり、みんなから帰ってきてくれてありがとう!って言ってもらえて、本当に嬉しかったですね。取引先からも、いやあありがとうございます帰ってきてくださって、小松崎さんがいないと分からないこともいっぱいあってって言われて。それが嬉しくて、その言葉で救われましたね。なんで、この不安なのはもう1日で解消できました、実は。

岸田 そうなんですね。その号泣された取引先の方はなんて言ってた?

小松崎 本当に喜んでましたね。最初はもう抗がん剤その時は終わってたんですけど、まだ完全に体力が戻ってなかったんで半休だったんですよ、ずっと。会社の方ももうしばらく半休でいいよって言ってくださってたんで、すいません、ちょっとしばらく半休なんで午後いませんって言ったら、全然大丈夫です!午前中だけでもいてもらえたらもう本当に助かります!って言ってくださって、って感じですね。

岸田 そんな中でですね、ちょっと次の項目、これが次に一番上がっているポイントなんですけれども、それが次何かっていうと?友人と再会していく。

小松崎 そうなんですよ、一番会いたかったんですよ。

岸田 一番会いたかった友人?

小松崎 家族を除いたら一番会いたかった人に会えて。ちょっと美容室の人なんですけど、お店を予約して行ったら、もうものすごく喜ばれて。

岸田 おお!

小松崎 というのも、入院の前にお店に電話して、ちょっと伝えといてくださいって言って、入院するんでしばらく行けませんと、必ず戻ってきますからって言って、退院して2ヶ月半ぐらいぶりに予約したんでものすごい喜んでくださって。2人いるんですけど、そのうちの1人が僕を見た瞬間に固まっちゃって、生きてたんですか?!なんて言われて。いや死んでたら来ないでしょう!なんて(笑)いや生きててよかったですなんて言われて、いやもう本当に会いたかったですよって言って。まあもう一人は担当の美容師さんなんですけど、もう本当に喜んでくれて。もうすごく心配してくださったみたいで、電話を受けてからもう本当にずっと心配でなんて言ってくれて、いや嬉しいな!と思って。

岸田 ああ、そうなんですね。

小松崎 で、その人とは結構その、僕が施術終わった後に自分で自撮りした後に2ショットとか撮ったりしたので、その2ショットが実はすごく励みになってて。この写真を見て、あっこの人と会うためにも頑張ろう!とか思ったりしてって感じですね。

岸田 そうなんですね。

小松崎 なので、そこでもう最高潮に上がってます、グラフが。

岸田 その方にまた会うために。

小松崎 そうですね。

岸田 頑張っていこう!というのもあって、目標を達成した瞬間っていうふうな感じなんですね?

小松崎 本当にちょっと長くなっちゃうんですけど、もう本当に感謝してもしきれないぐらいでもう、この人にはもう。一人はちょっともうお店辞めちゃってSNSでしかつながりがないんですけど、その担当の人はものすごく感謝してもしきれないぐらい一生恩を感じてます。

岸田 本当ですか。小松崎さん、一生背負っていくらしいです(笑)

小松崎 そんな重苦しくないですけど(笑)

薬物療法の再開で「命の危険」——医師への直談判で中止、父の前立腺がんを越えて今へ

岸田 またね項目でまだご友人のこともお話しいただくので、ちょっとそこでもまた深く聞いていきたいなと思います。そしてそこからドーン!と急転直下で下がっていくんですけれども、これが、薬物療法再開していく。休薬してましたよね?

小松崎 そうなんですよ。で、病院に検査に行くたびに再開って言われないかな?とか思って、ちょっと心臓ドキドキしながら行ってたんですよ。で、年明けて1月の最初の診察の時に、じゃあ再開しよっかって言われて、はぁマジか…って。またあの苦しみを味わうのかと思ったらもう本当に嫌になっちゃって、もう。で、実際もう服用したらもうダメで、もう副作用がもう今まで一番強く出ちゃって。全身痛いし…もう布団の上でもう20時間以上動けなくて、トイレすらも行けなくて。

岸田 えー!もうじゃあ職場復帰したけど、職場行けないじゃないですか?

小松崎 実はその薬物療法再開って言われたのがちょうど成人の日の連休のタイミングだったんですよ。なので薬物療法をしている時はちょうど休みだったんですよ、たまたま。

岸田 たまたまね、ちなみに薬物療法をしていこうというのは、やっぱりがんが大きくなっていた?転移していた?

小松崎 これは単純に予防…、なんていうの、予防的な感じでやっているだけで、実際もともと術後1年はやらなきゃいけないというガイドラインを元に先生がやりましょうと言っただけなんですよね。

岸田 そういうことか。別に数値とかは特に変わっていなく?ただ1回休薬はしているから、ちょっとそろそろ再開してもいいんじゃないかというので再開しているということなんですね。ただ、それがめちゃくちゃきつかったということがあって。そしてその後に、こちら、先生に直談判?

小松崎 そうです、もうすぐ病院に電話して、もう無理ですともう体動けませんと。多分この命の危険感じるぐらいやばいんで、ちょっとすいませんけど勘弁してくださいって電話で話して、ちょっと検査とか見るから、血液検査の結果を見たいから病院に来てくれって言われて、血液検査を受けたりして。異常はそこまで見られないけど、でもやっぱりしんどいんだったらやめた方がいいよねって言われて、そこからもうやめてます。

岸田 だから、術後のもしかしたら小さいのがいるかもしれへんから、小さいがんがあるかもしれへんからっていうので抗がん剤治療してるけど、それよりもつらさの方が勝って、それをやることで死ぬかもしれないみたいな?

小松崎 そうですね、本当に命の危険感じましたね。

岸田 はぁー!そんだけ強く出たんですね。なので、それでやめていくというところでなっていく。そしてその後に、お父さんが前立腺がんに!?

小松崎 そうなんですよ。というのももともと前立腺の数値があんまりよくなかったらしくて、そういう話聞いてたんですよ。まあ何もなきゃいいんじゃないぐらいに思ってたら前立腺がんだったってこの間言われて、ああそうなんだ、じゃあ俺の後輩じゃん頑張れ!なんて言って(笑)もう歳だから別に前立腺取ったっていいでしょ、いらねえだろって言って、そんなこと言うなよ〜!なんて言われましたけど(笑)俺の後輩だからさ、まあまあ気軽にいきなよなんて言って、困ったことあったら聞いて何でも教えるよ!なんて言って

岸田 そっか、その後お父さんはどうなったんですか?

小松崎 今度手術って言ってたんですね。

岸田 今度手術なんですね。

小松崎 もしかすると、この動画がアップロードされる頃にはもう手術が終わっている頃かもしれませんね。

岸田 そのね、お父様のこともあったりだとかしてそしてちょっとだけ下がっていますが、それは首のリンパに腫れが。

小松崎 そうなんですよ。

岸田 まさかの?

小松崎 ちょっとこのがんのあった近くのこの辺なんですけど、ここがちょっと痛くて、なんで痛いんだ?と思って触ったらビー玉ぐらいの腫れがあって。

岸田 えっ、それやばいじゃないですか?

小松崎 これやばくね?とか思って、もういてもたってもいられずすぐ病院に電話して、すぐ首のリンパのエコーも全部撮ってくれって言ってエコー撮ったら、これはがんでないから大丈夫だよって。

岸田 あっそ、うなんですね。

小松崎 疲れとか、その頃ちょうど(社員の)休みとかいっぱいいて泊まり勤務とかいっぱいした頃だったんで、多分それで疲れが出たんだろうって。あとは実は奥の歯が、見た目は虫歯じゃないんですけどちょっと痛かったりしたんで、虫歯になっててそうなることもあるからそこまで気にしなくて大丈夫だよって言われて。

岸田 虫歯は気になりますけどね(笑)

小松崎 そうなんですよ、虫歯は虫歯でやってほしいんだけどなとか思いながらも。

岸田 まあ、けどいろいろ検査した結果問題なかった?

小松崎 全く問題ないということで、今も腫れもだいぶ落ち着いて。

岸田 そうなんですね、よかった。

小松崎 よかったです、本当に。再発しちゃったかなとか思ったんですけど。

岸田 そうですよね、怖いですよね、それはね。だから、そしてその後上がっているのは今に至るという。

小松崎 そうですね、はい。

岸田 じゃあ今は、治療はもう薬物療法はやってなくて。

小松崎 そうですね。

岸田 今、経過を見ているという段階ですね?

小松崎 好きなものを飲んで好きなものを食べています。

岸田 いいと思います、ありがとうございます。その時にですね、ここちょっとお写真をいただいておりますので、ちょっと治療中のお写真こちら、ドン!おお!この写真一番左何ですか?

小松崎 これは手術する1時間くらい前に撮った写真ですね。

岸田 1時間前に?

小松崎 生きるか死ぬかの問題だったんで、写真撮っておこうと思って撮った次第ですね。

岸田 そして真ん中の写真は?

小松崎 手術終わって5分後くらいの写真です。

岸田 5分後撮ってるんですか?すご!これはご家族が?

小松崎 母親が付き添いでいてくれたので、終わって麻酔から覚めかけた頃に病室のベッドについて携帯置いてあったんで、もちろんしゃべれないじゃないですか、苦しいですし、麻酔で覚めたばっかり、母親にあーって携帯指さしてあーっあーって気合でロック解除して、ピーピーピーやってって、ピースするからってこうやった状態で撮りました。

岸田 すごいなあ!

小松崎 麻酔から覚めた直後にもう先生に向かってやってましたね、こうやって。おー!元気有り余ってる!とか言われて(笑)じゃあ大丈夫だそれだなとか言われて。

岸田 すごいですね!術後痛くなかったんですか?

小松崎 めちゃめちゃ痛かったです。もう1日目は病院のベッドの上でのたうち回ってましたもん。もうシーツも血だらけになっちゃうぐらいで。

岸田 いぃー!

小松崎 看護師さんがずっと、同い年の看護師さんがずっと担当にしてくれてたんですけど、なんでこんなにシーツぐちゃぐちゃなの?とか言われて、何をやったの?とか言われて、あーっ、あ〜痛いのね〜なんて言われて(笑)もう顔も2倍とか3倍ぐらいに腫れ上がっちゃって、痛みでもう。その痛みどんな痛みかというと、ロキソニン飲んでも全く効かないです。

岸田 おぉ!

小松崎 氷枕ずっと当ててるんですけどそれでも痛みがひどくて、1日目から2日目にかけては一睡もできなかったです。

岸田 うわあ!

小松崎 3日目がようやく痛みが治まってくるんですけど、そんでもちょっとうとうとってするじゃないですか?で、力を抜くとべろがこう、寝るとこう垂れ下がってくるじゃないですか。垂れ下がった時にすごく痛くて、うっ!いてーっ!って起きて、1週間後ぐらいまでは全くしゃべれなかったですね。一応しゃべる練習はしてはいたんですけど、もう全然聞き取れないぐらいで。

岸田 いやー、すごいですね。

小松崎 もう本当にその時の顔はなんですか、なんかディズニーのキャラでポテトヘッドっているんですけど、ミスター・ポテトヘッドみたいなしてこうなって、似てるでしょ?なんて看護師さんに言ったらもう苦笑いしてましたね。笑うに笑えないなって、そんな感じですね(笑)

岸田 痛さはどれぐらいで引いてきたんですか?その3日目ぐらいからだいぶっておっしゃってましたけど?

小松崎 完全に引いたのは10日過ぎたぐらいですかね。でも、言いながらリハビリ、自分でしゃべるリハビリはもう2日目の夜から勝手にやってましたけど。

岸田 すご!

小松崎 ネットで調べて、ああこう言えばいいんだなとかって、あいうえおとか。

岸田 あいうえおとかそういう言う練習をして?

小松崎 練習をして。

岸田 2日目から?

小松崎 もう、めちゃめちゃ痛いけどやろうと思って。

岸田 まあすごい!そういうね、リハビリも始めていき、そして一番右の写真は?

小松崎 これネブライザーですね。ステロイドの薬品を吸引するんですよ。そうすることによって口の粘膜炎の重症化を防ぐっていうやつで、何の味も何もないんですけど、ちょっとダース・ベイダーみたいですけどファーって。

岸田 確かに、これは放射線治療の後?

小松崎 そうですね、1日1回必ずやってます。

岸田 今はやってないですよね?

小松崎 今はやってないですけど、入院中はずっとやってましたね。

「多分こういう治療しますよね?」——自分で調べ、医療者とともに治療を決めた

岸田 そういうこともされていたというふうな感じですね、ありがとうございます。そのようなね、治療を経て今に至るんですけれども、ここから各項目においてお伺いしていきたいなということを思います。まず病院や治療の選択といたしまして、これねSDMっていうシェアード・ディシジョン・メイキングっていう言葉がありまして、今まではインフォームド・コンセント、医療者から言われたことに対して同意するっていうことだったんですけど、今はですね、一緒に考えて治療方針を考えていこうというふうな時代でもございますので、そういったところをちょっとお伺いしていきたいんですけれども。まず病院はね、歯科医の先生から紹介された病院にすぐ行って、今もその病院で治療されていると?

小松崎 そうですね。

岸田 治療の選択というところでは、構小松崎さんいろんなことを調べられて自分から提案して先生にという感じでしたけれども、それはもう自発的に?

小松崎 そうですね、多分こういう治療しますよね?なんて先生に言って、ああそうだよって言われた感じですね。なので、いろんな情報を仕入れているので、多分こういう可能性があるんだろうっていうのが全部自分の中にあったので、何が来ても驚かなかったです。

岸田 ほう!

小松崎 そうなんですよ。

岸田 抗がん剤の一番最初はね、TS-1された時だったりとか手術していくだったりとか、そういったところも自分ではちゃんと調べてちゃんと知って。

小松崎 そうですね、抗がん剤の種類はちょっと分からなかったんですけど、錠剤だったっていうのがちょっと想定外なぐらいで、抗がん剤やるだろうなっていうのは頭にもあったんで。

岸田 あっ、錠剤の抗がん剤もあるのか〜みたいな感じ?

小松崎 点滴だけかと思ったみたいな。

岸田 それね、ちょっと意外だったけどっていう。

小松崎 そうですね。

岸田 ただ、その後の後でも副作用のところありますけれども、強く出た時にはもうこれはやめてほしいってことを自分で言われて?

小松崎 そうですね、全部自分でやりましたその辺は。

岸田 しかも途中看護師さんに強く言ってほしいみたいなこともおっしゃってましたよね?看護師さんともうまくコミュニケーション取られて?

小松崎 そうですね、病院の方もやっぱり気を遣ってなのか同い年の看護師さんを結構担当に入れてくれたりして、そこで仲良くさせていただいて。そこから看護師さんの中でも、偉い人とかとも仲良くなってって感じですね。

岸田 代わりに医師に伝えてもらって。

小松崎 そうでした。

ブラックサンダーの味がしない——放射線治療で失った味覚という後遺症

岸田 ありがとうございます。そんな中で先ほどもありましたけれども、副作用や後遺症のことといったところで、やっぱりこうつらかったのは抗がん剤の副作用でボーン!ときた時?

小松崎 そうですね。あとは後遺症としましては、放射線治療をすることにあたって味覚障害がまず出たのと。

岸田 味覚障害。

小松崎 何の味も分からないです。もう試しに入院先のコンビニにブラックサンダーがあったんで、ブラックサンダーってかなり甘いじゃないですか?

岸田 甘いです。

小松崎 どのくらい味感じるのかな?まあ、もう何の味も感じないです。

岸田 へ〜!もうゼロ?

小松崎 ゼロですもう、もうあぜんとしちゃいましたね。これブラックサンダー食べてるけど味全くしないけど!?なんて思って、匂いはチョコレートなのに味がしない!と思って、こんなことあんの!?って。たまたまかな?とか思って、やっぱ唾液の分泌も少なくなってたんで、たまたまかな?と思って今度はコーヒー牛乳飲んだんですよ、まあ何の味もしないですね。

岸田 ほぉ!

小松崎 え〜!?みたいな、こんなに味分かんなくなるの!?って。それがつらかったですね。もう食事が楽しくなくなっちゃう、それがつらかったですね、後遺症の中で一番。

岸田 そっか!食事ね。だってねご自身その味もそうですし、飲み込むのもって言った時にはね、固形物じゃないものもされてたりね。

小松崎 そうなんですよ。なのでもう入院して放射線やって、もう1週間後ぐらいから、もう食事なんて作業ですよね、いただきますじゃなくてもう作業無理矢理入れるみたいな。しかも病院ってその食事のスケジュール決まってるわけなんで、もうお腹空いてなくても来るわけじゃないですか?いやもうしんどいよ…とか思って。

岸田 そうですよね。

小松崎 次もまた牛乳とすまし汁でしょ?とか思って、そんな感じですね。

岸田 それ、どれぐらいで食べれるようになってくるんですか?

小松崎 まあ12月に入るか入らないかぐらいで食事摂れるようになって、12月ぐらいからもうちょっと保険のお金も入ったんで、回転寿司ですけど3日連続で行った日があって。1日目が12皿、2日目が15皿、3日目に20皿食べれてもう大丈夫かな?と思って。

岸田 それは12月ぐらいっていうと、このグラフで言うと?

小松崎 グラフで言うと、友人と再会のちょっと下ぐらいですね。

岸田 この後ぐらい。

小松崎 薬物療法再開だから下がってますけど、実際その頃薬物療法再開まではずっとグラフ一番上だったので。

岸田 高いところを維持しているということですね。そこではまた味覚が復活していって?

小松崎 そうですね、完全に味覚に何の障害もないなってなったのは年明けてぐらいですね。そうかそうか。

岸田 ということはあれか、自分の味覚がなくなったのは放射線治療のせいか?

小松崎 そうですね。

恋愛と結婚について|「先に伝える」と決めている小松崎さん

岸田 そうかそうか。といったところでいろいろ副作用であったりとかして、っていったところはあったということですね。ありがとうございます。そして次にお伺いしたいことはですね、こちら、恋愛や結婚のことになります。すごい看護師さんも同い年のお方をつけてくださったりとか、いろんなね、出会いもあったんじゃないかなということを思ったりとかするんですけれども、当時彼女さんとかは?

小松崎 いや、もういないんですよ、ずっといないんですよ。

岸田 そうなんですね?

小松崎 なので、看護師さんとかが癒やしでしたね。あとは言語聴覚士さんも同い年だったんで、その辺が癒やしでしたね。

岸田 自分にとっての治療中の癒やし?

小松崎 そうなんですよ。言語聴覚士さんなんかも自分自身の休み返上してまで来てくれましたからね。

岸田 マジですか!?言語聴覚士さんは何をしてくださるんですか?

小松崎 リハビリですね。例えば「あ」とか「う」とか、ちゃんと明瞭に発音できるようにしたりとか、主に僕みたいに若い人にはやらないんですよ。基本的に脳梗塞とかお年寄りでしゃべれなくなってしまった人とかのリハビリに行くんですけど、僕が来た時に本当にびっくりしたらしくて、休み返上してでも来てくれたりとかして。

岸田 それはキュンってしちゃいますね!

小松崎 嬉しいなと思って。自分で仕事忙しいはずなのに2時間もいてくれたりとかして。

岸田 うん、そっか。

小松崎 だからまあ、恋愛・結婚ではないんですけど、やっぱその辺がやっぱり嬉しかったですね。

岸田 ちなみにこの恋愛・結婚は今後パートナーだったりとか彼女ができるというタイミングでは、がんのことは先に伝える?それともいい感じになってから伝える?

小松崎 いや、もう先に伝えようと思ってますね。あとは基本的に僕の周りのそこまで多くないですけど、女性の友達はみんな知ってるんで、仮にその友達から発展したとしても理解があるんだろうなとは思ってるんで。

岸田 まずは知ってくださっている状態から。

小松崎 そうですね。

3ヶ月、家に住み込んでくれた母——家族全面バックアップの闘病

岸田 ありがとうございます。そしてご家族のことについてね、ちょっと次聞いていきたいんですけれども、ご家族のこと。お母様がね告知もついてきてくださったりとか手術だったりとかってありましたけど、ご両親のことだったりだとか、あとそのご兄弟もねサポートしてくださって、冒頭でおっしゃっていただきましたけども。家族についてお伺いできますか?

小松崎 うちは親父がずっと田舎というか実家の方にいまして、母親が僕が入院の間にずっと僕の家に住んでくれて。

岸田 おお!

小松崎 1週間に1回洗濯物を回収しに来てくれて、新しい洗濯物を渡してくれるってサイクルをやってくださって、ずっと3ヶ月の間。

岸田 ありがたいですね。

小松崎 そうですね。お姉ちゃんは入院先の病院から近いところに住んでたんで、結構頻繁に会いに来てくれたりして。普段はもうすごいつっけんどんなんですけど、やっぱ病気になってからめちゃめちゃ過保護で。

岸田 へえー!

小松崎 退院してからもちょっと連絡ないとすぐLINEが飛んでくるようになって、大丈夫なの?とか言って、うるせえな!なんて言ってますけど(笑)しつこいよ!なんて言って。

岸田 お姉さんは医療職とか全然?

小松崎 いや、全然違うんですけどやっぱりすごく心配だったみたいで。で、次女に関してもそこそこ心配してくれて、まあ母ちゃんあんま悲しませないでねって言われて。いや別に俺何も悪いことしないんだけどなとか思いながら(笑)うちの兄貴と両親は一緒に住んでるんで、兄貴の子どもとかも含めて、ちょっと悪いけどちょっと母ちゃんしばらく借りるねなんて言ったら、もう大丈夫だよって言ってくださったんで、だから家族全面バックアップですね。

岸田 ああ、そうなんだね。ちょっとせっかくなんでちょっとなんか、家族に何かコメントとかありますか?

小松崎 まあそうですね、まぁちょっとね迷惑かけっぱなしだったんですけどね、まぁこうしてね、こうやって好き放題できるようになったんで本当にもう感謝しかないです。ありがとうございます!

「この人に会うために頑張ろう」——2ショット写真が回復の原動力に

岸田 ありがとうございます。そして次にですね、お伺いしたいのはこちら、ご友人のこととなります。

小松崎 今回特別にこの枠を作ってくださって、本当にありがとうございます。

岸田 この枠ね、本当に特別に作らせていただきましたけれども、やっぱりどうしても伝えたいというところもありまして入れさせていただいております。この友人というのは?

小松崎 先ほどお話しした、美容師をやっている方ですね。

岸田 それどういうきっかけの友人なんですか?その美容室行ってそれで仲良くなった感じ?

小松崎 そうですね、最初、2人いるって言ったじゃないですか?最初美容室に行った時に、僕連続して行ったんですよその、今パーマですけどその時縮毛矯正をかけに行って、で、ちょっとかかりが悪かったんでもう1回行ったんですよ。で、その2日間の間にその2人に同じ話しちゃってるんですよ。こういう趣味あってこういうなんか生活してますみたいな話を全く同じ話、一字一句間違えないで言ってたんですよ。で、それで次に美容室行こうかなと思った時、その人指名しようかなと思った時に、あれ?どっちだっけ!?と思って。名前も聞いてないしシャンプーの時にしか話してないから顔もよく見てないし、どっちだろう?でも確か、その時どっちも金髪の人だったんですけど、どっちも金髪だったよなあ…と思って。いやあもう一か八かだこの人にしよう!と思って行って、そしたら、あっその話聞きましたけどその日の曜日にはいないですよって言われて、え!?って。なんかそんな変な出会いあるんですねって言ってから、ちょっと仲良くなって…って感じですね。で、そっからもうそれが2年前の10月の頃なんでそっからもうずっとコンスタントに指名して。

岸田 そうなんですね、それで仲良くなって。

小松崎 そうですね。

岸田 それでがんになった時は、お店にご連絡して?

小松崎 そうですね。で、本当にさっきも言ったように心配してくださって。その人と2ショットを撮って、それが励みになったっていうのは、本当にもう退院しても誰よりも一番会いたくて、もう。

岸田 へえー!

小松崎 もう早く生存報告したいと思って、っていう感じですよね。もう本当その方がいないと、もしかして今ここに僕いないかもしれないぐらいの。もう本当に本当にもうね、恩を、一生の恩を感じてますね。何をしても返しきれないです、この恩はもう。

岸田 一個だけ聞いていいですか?その生存報告っていうのを、ただ退院されてから行くまでにちょっと時間ありません?

小松崎 そうですね、2週間ぐらいですね。

岸田 あ、2週間ぐらい?あっ、そっかそっか、2週間ぐらいで行ってるからすぐ行ってるのか。

小松崎 そうです。というのもなんで行ったかっていうと、生存報告もあったんですけど治療中にやっぱりストレスでちょっと毛が抜けちゃって、結構頭頂部薄くなっちゃったんですよ。

岸田 ほう。

小松崎 抗がん剤の副作用とかじゃなくて、単純にストレスで。で、その時髪の毛直毛だったんで、直毛で薄いと結構目立つんですよ。ちょっと嫌だなと思って、薄毛隠しじゃないですけどパーマすればボリュームも出るし隠せるかなと思ってやりに行ったんですよ。

岸田 ああ、そういうこと!今もパーマもちょっとそういうのもある?

小松崎 いや、今はもう完全にパーマの方が楽だなって、セットも朝頭濡らしてワックスつけりゃいいやぐらいのあれなんで。なので、本当にそれが原動力になってますね

岸田 というふうにね、形で。やっぱりその原動力になっているのは、その写真撮ってそのようにまたお会いしたい!っていったところですね?

小松崎 僕あんまり実は人のことそこまで好きじゃないんですよ。

岸田 ほう?

小松崎 結構人間不信なとこあるんで、僕から自発的にこの人に会いたいなってめったに思わないんですよ、家族以外で。

岸田 へえー!

小松崎 もう職場の人でも極力プライベートで会いたくないと思ってたぐらいなんで。

岸田 へー!あっそれは分かります(笑)

小松崎 でも、本当に人に会いたいってなかなか思わないんで、そんな僕が思うんで、よっぽど会いたいんだなって自分自身で再認識して、よっぽど感謝したいんだなって思って。

岸田 感謝したいっていうマインドになるのがすごいですね?

小松崎 そうですね、やっぱりどういう形であれ、力をもらっているのは間違いないんで、その人、2人がいなかったら確実に僕はもう潰れてたと思うんで、退院しても楽しいことねえだろうななんて思っちゃうぐらいだったと思うんで。入院してる頃はやっぱりネガティブになってたんで。でもその人に会いたいなって思ったからこそ、ちょっと頑張ろう!と思って。

岸田 力をくれてありがとうってことですね?

小松崎 いや、もうそうですね。これはもうなんて言うんですか、死んでも、なんて言うんですか、返しきれないですね、もう忘れられないです、これは。

岸田 改めてちょっとご友人にひと言お願いします。

小松崎 本当にもう感謝してもしきれないです。本当にこのまま一生恩を返してきますので、重苦しくなっちゃいましたけど、本当に感謝しています。これからもよろしくお願いします。

「ひと区切りついたら控え室で寝転がる」——無理のない範囲で続ける働き方

岸田 よろしくお願いします。ありがとうございます。次にですね、お伺いしたいのは仕事のことといたしまして、さっきのペイシェントジャーニーにお伺いしている中でもお仕事のことを逐次ご報告いただきましたけれども、仕事はもう、なんですかね、職場にも初めから伝えて、そして同僚に仕事を引き継いで、そして戻ってきて、すぐ戻られましたよね?

小松崎 そうですね、はい。

岸田 すぐ戻ってどうでした?仕事に関して。

小松崎 やっぱり体力落ち込んでるんで、そんなにいい動きはできなかったですね。でも退院した初日、あっ、退院して職場復帰した初日、まだ退院して5日目なんでもう体フラフラなんですよ。もう早速休みが4人ぐらいいて、フルマックスで朝からやらなきゃいけねえじゃんとか思って、もう意識もうろうとしながら仕事をしましたね。

岸田 その、5日ぐらいで職場復帰しようと思ったのはご自身で?それとも会社?

小松崎 あっ、自分自身でもう。会社はもう年内いないのは覚悟してるって言ってたんですけど、いや待ってくださいよって、それじゃ嫌ですって。自分自身がおかしくなるんで、迷惑もかけっぱなしなんで、すぐ復帰させてくださいって。

岸田 どんだけいい人なの!?

小松崎 (笑)いやもう復帰させてくれって。大丈夫なのか?って、大丈夫です!って任せてください!って。その代わり午前中しか頑張りませんしばらくは、それはいいけど…本当に大丈夫か?って。任せてください!って大丈夫ですって。

岸田 うわあ、すげえ!

小松崎 テレビ電話で職場の人と結構話したって言ったじゃないですか?その時に結構大変だ…、今大変な状況だっていうのも知ったんで、取引先も増えたりして。これはもう頑張るしかねえな!と思って。やっぱりその二転三転しちゃうわけですよ、その退院の期間がどうしてもやっぱり、治療中なんでどうしても先生も僕の体の状態を見てその都度判断してるわけなんで。二転三転して申し訳ないっていう気持ちもあったんで、取引先の人もちょっと大丈夫?ってなり始めてたんで、もうこれはすぐ復帰するしかねえなと思って。

岸田 復帰したんですね?

小松崎 そうです。

岸田 すごい!今体力的なところはどうですか?

小松崎 まあ、やっぱり健康な時に比べたらやっぱり落ち込んではいますよね、これはなかなか戻んないのかなって。やっぱ、まあ抗がん剤とあと手術とかもした後なんで、まあそれはしょうがないのかなと思って。でも、僕が仕事をいったん区切りつけて事務所で寝転がってても、何も言われないんでもう。あっ、大丈夫だよもうしばらく休んでなって言われるぐらい。

岸田 寝転がってっていうのは、オールナイトして?

小松崎 オールナイト関係なし、普通の通常の仕事のスケジュールでも、ひと区切りつけたらちょっと寝転がろうって言って。

岸田 寝転がろうって言って寝転がって。

小松崎 寝転がっても全然もう。ただその間に寝っ転がるからには、ちゃんと自分でここまでの仕事は区切りつけようっていうのは全部やってからしてるんで、何にも言われないですそこは。

岸田 なんか職場で寝っ転がるっていうイメージがなかなかなかったんでちょっと。

小松崎 控え室があるんで。

「備えあっていいだろう」と入った保険が役立った

岸田 そういうことですね。そして次こちら、お金や保険のことといたしまして、民間の保険のことだったりとか、お金どれくらいかかりましたか?とかなんですけど。あれですよね?民間の保険入る・入らないのお話されてましたよね?

小松崎 そうですね。先に何かあった時のために、前々から知り合いのおじさんに言われてたんですよ、都民共済入っとけ!あそこはいいぞ!って言われてて。都民共済さんの方に入ってすぐあれ(がん)だったんで。ただ免責期間中で満額は下りなかったんですけど、半分の。

岸田 あっ下りたんですね?

小松崎 半分の50%のお金を下りてくださって、そこはもう都民共済さんもすごく機転きかせてくださって。

岸田 あっ、そうなんですね。

小松崎 で、全体的なお金に関しては限度額適用認定証を提出しまして、60万とか70万ぐらいですかね?で、保険下りたのも大体そのぐらいなんで、実際にはトントンですね。そうなんですね。なので、すごく助かったかというと助かったんですけど、でももともと貯蓄もなかったんでプラマイゼロかな。

岸田 うん、そうか。じゃあそういうような形で、プラマイゼロというぐらいでトントンでいけたと。

小松崎 もしかすると他の人だと、ちゃんと免責期間も抜けた後だともうちょっと楽になるかもしれないです。やっぱり告知された時に一時金とかもやっぱり免責期間中だと出ないので、その辺のハンデはありましたね。でも何よりは全然いいと思う。

岸田 免責期間中でも出るんだ!っていうふうな。ちょっとここはねもう専門家に皆さん聞いてもらえたらと思いますけれども。

小松崎 それはケースバイケースみたいですね。

電ノコで金属ブリッジを削る30分——「手術より怖かった」放射線治療の前処置

岸田 状況によってということかと思います。ありがとうございます。そしてこちら、つらかったことといたしまして、治療中様々な治療をされてきました。治療だけじゃなくて、そんな中でつらかった!これ大変だった!といったところをちょっとお伺いしたいんですけれども。やっぱりそれはこの薬物療法のとき?

小松崎 そうですね。あと放射線治療で、粘膜炎が口の中だけじゃなくて咽頭まで広がっちゃって痛い時がそうですね。で、放射線治療で粘膜炎できてるんで、放射線治療で唾液が出なくなってるはずなのにすごい粘っこい唾液が出るんですよ、傷を治そうと思って。それがもうへばりついて気持ち悪くて、喉にへばりついて。もうそれがしんどかったですね。牛乳とか飲んじゃうと、飲み込めないんですよもう。ちょっと汚い話で申し訳ないんですけど、たんが切れないみたいな感じで。それが大変でつらかったですね。だから飲みきれなくてちょっと、ティッシュの中でペッとやったときも何回もありますし、ティッシュがもう1日で1箱なくなるところがざらにありましたからね、あふれ出ちゃってもう。

岸田 それはなんかお薬とかで調整できたり?

小松崎 それはできないみたいですね、どうしても。なのでネブライザーの吸引で、なんとか抑えてたんですけど、後半の方はもう全然そんなの関係なくなっちゃって。ちょっとつらかったこととは違うんですけど、僕下の前歯にブリッジ入れてるんですよ。

岸田 ブリッジとは?

小松崎 ちょっと歯が一個使い物にならない歯があって、昔のちょっとした事故で。それを抜いて両方の歯を削って上からかぶせるやつですね、ブリッジっていうのは。入れ歯とはちょっと違うんですけど、ブリッジに金属使ってるんで、そのまま放射線治療しちゃうと金属に放射線が乱反射しちゃって、当たっちゃいけないとこまで当たっちゃうんですよ。なのでそれを、金属でブリッジを壊さなきゃいけないんですけど。

岸田 壊すの?取るじゃなくて?

小松崎 取れないんですよ!もうすごい強力な接着剤つけちゃってるんで、その壊す時が一番怖かったです。もう電ノコを口の中に突っ込まれるっていう。目隠ししてくんないんで、こんな電ノコがウィーン!!って回って、なんかヤクザ映画みたいな感じなんですけど、先生怖い!怖い!!って言いながら、もう振動がすぐにグーってなって、金属を壊すんで30分ぐらいかけて壊すんですよ。金属が擦れた音とか擦れた匂いとかで、もう怖くてもう死ぬ!死ぬ!!なんて言って。実は手術よりも一番それが怖かったです。

岸田 はあー!麻酔もなくね?

小松崎 麻酔もなく、もう本当にもうVシネマの拷問みたいな感じになって、もうアウトレイジかよ!みたいな。

岸田 それは終わったんですか?しっかり。

小松崎 それは終わったんですけど、もう終わって放心状態ですよね。怖い!怖い!!なんて思って。

岸田 いや〜そのね、放射線前にそんな怖いことがあったって。

小松崎 そうなんですよ。がん治療で一番怖いかもしれないです(笑)僕だけですけど。

舌を動かすパタカラ体操と、自作の発音練習

岸田 そういったこともあったということですね、ありがとうございます。そしてこちら、工夫したことといたしまして、様々なねいろんなことをされた、治療中こうしたよ!だったりとか、特にやっぱり小松崎さんの場合舌がんということもあって、今流ちょうにしゃべられてますけど、その過程は結構大変だったんじゃないかなと思うんですけどいかがでしたか?

小松崎 そうですね、先ほどもお話しさせていただいたんですけど、自分でしゃべるトレーニングですね。あとは「パタカラ体操」と言ってパ・タ・カ・ラって言うんですけど、これべろの動きでちょっと難しい動きをしなきゃいけない体操なんですね。パタカラっていうことによって動かなくなっているべろをちょっとでも動かすようにするような感じでパタカラって言い続けたりとか。

岸田 言い続けるんですね。

小松崎 パタカラパタカラとかパンダの宝物とか。

岸田 パンダの宝物、へえー!

小松崎 これはもう本当に言えないと、パンダのたからものみたいな感じになっちゃうんですよ、それを言い続けたりとか。あとは自分でちょっと文章を考えて、難しい発音の文章だけを書き集めた文章をちょっと自分で考えて、それをひたすら20分〜30分ぐらいやったりとかして、院中ずっと続けて。

岸田 だって入院中からですよね?もうね。

小松崎 手術終わってから、で、その言語聴覚士さんと一緒にちょっと練習したりとかして。

岸田 今ぐらいこうなんかしゃべれるようになるのは、やっぱもうどうでしたか?今もね、違和感はあるっておっしゃってましたけれども、人とコミュニケーション取れるぐらいになるっていうのは?

小松崎 年明けぐらいですかね。それまでやっぱりどうしてもこもっちゃったりとか、取引先に行っても聞き返されたりとか。あとは友達とちょっと、さっき言った友達と違うんですけど、買い物を付き合ってって言われたんで、じゃあちょっと体を動かして体力も付けたいから一緒に行くよ!なんて言って。その時はすごい話聞いてくれてたんで話せてるのかな?と思って後で聞いたら、何言ってるか全く分からなかったよ、なんて言われて(笑)マジかよ!なんて言って。

岸田 手術してから数ヶ月は必要だってことですね。

小松崎 そうですね、ただこれも個人差あると思います。若いからこんだけ早いけどって言われて、実際もっとかかる人もいるって話で。

岸田 すごい早いと思います。しかもなんかめちゃくちゃ流ちょうだから、全然そんな手術したと分からない。

小松崎 ありがとうございます。

「ささいなことでも病院へ」——異変があればすぐ受診するようになった

岸田 そしてちょっと次にお伺いしていきたいのは、がんになる前と後で変わったこと。意識的なところでもいいし、生活的なところでもいいですし、何か変わったことありましたか?

小松崎 そうですね、やっぱりささいなことで病院に行こうって思いになりましたね。本当に病院が嫌いなんでちょっと熱が出たくらいじゃ行かなかったんですけど、さっきも言ったようにその、リンパが腫れたから病院に行くとか、自分でちょっと前倒ししてちょっと予約入れてもらうとか、何か異変があったらすぐ病院に行くとか。あとはそうですね、体をしっかり休めるとかそういうことを心がけてますね。あと変わったことって言えば、やっぱり体力が前より続かなくなったんで、自分でちょっと動きをセーブしながら無理のない範囲で。で、実はその12月ぐらいまではヘルプマークを付けてたんですよ、自分のかばんにというのも。急にフラッてきたりとかすることがあったんで、抗がん剤の影響でどうしても体力も落ちちゃってるんで。そうなった時に人様に迷惑かけたくないなと思ったんで、ちょっとヘルプマークを付けて。なんでちょっと、これは今もうヘルプマークは付けてないんですけど、一時期はちょっと席を譲ってもらったりとかちょっとしてましたね。

岸田 そっかそういうね、工夫して、そしてヘルプマークを付けて、やっぱり何かあったらすぐ病院に行くようにされた。

小松崎 そうですね。

「5年生存率60%でも悲観しない」——目標は100歳まで生きること

岸田 そして、今後の夢や目標といったところなんですけれども、今後どのように過ごされていきますか?

小松崎 そうですね、やっぱりがんってなるとどうしても生存率っていうのが出てくると思うんですよ。僕の場合ステージ3で、舌がんのステージ3だと60%なんですよね。

岸田 5年生存率。

小松崎 なんですけど、僕そこを悲観してなくて。ちょっと夢の話からそれてしまうんですけど、人間誰しも5年生存率100%かって言うと絶対そうじゃないと思うんですよね、不慮の事故とかそういうのもあると思うので、そこのマインドを自分で考えて、あっみんな100%じゃないやっていうので。夢はそうですね、1日1日生きてけばいいやっていうのが夢で、目標としてはもう100歳まで生きるっていう(笑)

岸田 いいと思います!素晴らしい。

小松崎 っていうのが夢とか目標ですね。

岸田 5年生存率もね、みんなが100%じゃないっていうのもね、改めてちょっとおっしゃっていただいて、確かにな!って思いました。

「がんは友達」——怖がるより、仲良くなって一緒に乗り越える

岸田 そしてここから最後になるんですけれども、メッセージをいただければと思います。視聴者のね、がん経験者さんやご家族、様々な方が見てくださっていますので、視聴者の方へのメッセージこちらになります。

小松崎 がんは友達ということで。理由としては、母親が元看護師でそれで母親から昔からずっと教わってたんですけど、がんとか病気は怖がっているとどんどんどんどん負けてしまう。だったら、なんならもういっそのこと友達になってしまおうということを教わってまして。今回も僕はがんになりまして、友達になったつもりで、ちょっと頼むよ!みたいな、ちょっと早くいなくなってよー!ぐらいの感じでちょっと仲良くした結果ここまで来れたので、病気になったことをね、悲観しない方がいいっていうのは難しいかもしれませんけども、病気と友達になって仲良くなって一緒に頑張ろうっていう気持ちでいるぐらいの方が乗り越えられるかなと思ってます。お願いいたします。

岸田 ありがとうございます。友達ということでね、一緒に乗り越えていくっていうふうな形で?

小松崎 そうですね。

岸田 …にもかかわらず、早くいなくなってよ!!っていうね(笑)

小松崎 一緒に乗り越えて乗り越えて、君はここでバイバイだよーっていう。

岸田 バイバイだよっていうね、いずれね別れはきますからね。

小松崎 ついてこないでねみたいな(笑)まあ、でもそのぐらいの気持ちでいた方が、気楽にって言ったら難しいかもしれませんけど、がんなんだ!死んじゃうんだ!と思うよりかは全然気持ちの面としていいのかなって。病は気からって言いますしね。

岸田 そういうふうな気持ちで向き合ってこられたという形です。もしよかったらまたヒントにしてもらえたら嬉しいなということを思います。それではね、これにてがんノート終了していくんですけれども、小松崎さんいかがでしたか?出演されてみて。

小松崎 そうですね。僕自身がこれを発信する立場になるって夢にも思わなかったので、これを見てた立場だった。で、これを見る人はやっぱりがんに苦しんでたりとか、もしかしたら自分ががんかもしれないっていう気持ちであると思うので、これの役に立てたら少しでもいいかなって思ってます。

岸田 ありがとうございます!きっとね、今治療中の方とか今不安になって手術不安になっている方のきっと支えになってくれるんじゃないかなと思います。ありがとうございます。

小松崎 ありがとうございました!

岸田 では、これにてがんノートを終了していきたいと思います。また次の動画でお会いしましょう!それでは皆さんバイバイ〜。

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