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インタビュアー:岸田 / ゲスト:岡安

41歳で下咽頭がんステージ4と診断 鉄道好きお笑い芸人の闘病プロフィール

岡安 お笑い芸人をやらせていただいてます、岡安と申します。趣味は鉄道に乗ること、そして鉄道を撮ることを楽しんでいます。実は私は、下咽頭がんというがんのステージ4を経験しました。がんになったのは41歳のときで、現在44歳です。治療法は薬物療法と放射線治療の二つを受け、現在は経過観察中です。残り2年で、まるまる5年経過すると寛解予定です。

岸田 ありがとうございます。鉄道に乗ることや撮影が趣味だとおっしゃいましたが、最近はどちらの鉄道に乗られたんですか?

岡安 最近は、岐阜県にある明智鉄道に乗っています。ローカル鉄道なのですが、車内でその地域のものを味わえる「グルメレシア食堂車」が今、毎日のように走っているんです。

岸田 食堂列車ですね。

岡安 そうです。ご飯を食べながら乗るんですよ。今のシーズンでは「自然薯列車」というのもあって、新鮮な自然薯をいただける鉄道に乗ってきました。

岸田 わあ、素敵ですね!これだけで1時間くらいやりたくなるほど、素晴らしい趣味ですね。

岡安 (笑)そうすると、がんノートじゃなくなっちゃって、鉄ノートになっちゃいますからね(笑)。

岸田 それでは岡安さんのがんの経過についてお伺いします。こちらのグラフをご覧いただきながら、岡安さんの感情の起伏について説明していただけますか?前半は比較的ポジティブですが、後半に少し下がっています。

岡安 はい、まさにその通りです。最初はガンと一気に下がりましたね。

岸田 その部分について、もう少し詳しくお聞かせいただけますか?最初に広い家に引っ越すというエピソードがあるようですが。

岡安 はい、それについてはですね…

 

首のしこりから下咽頭がん確定まで コロナ禍での受診と笑いが変えた告知への向き合い方

岡安 なんかいざ書いてみたら、そんな広くないんです。その一個前の家がちょっと狭かったので、ちょっと人並みの部屋に引っ越したという感じでした。広い部屋って書いちゃいました(笑)

岸田 いやいやいや。

岡安 もうハードル上がっちゃって、大豪邸に住んでるみたいな感じで。実際は本当に普通のお家に引っ越しただけで、でもその引っ越しが結構テンション上がりました。

岸田 上がったというところですね。はい、奥さんとね、犬ちゃんと。

岡安 そうです。ペット可のおうちに引っ越しました。

岸田 そこからまた上がっていきます。それは何かというと、20周年単独ライブの会場が決定したんですね!

岡安 ちょうど、2020年。コロナが全世界中に広まっている時期だったんですけど、まあ落ち着くんじゃないかという想定で、その年の9月ぐらいに単独ライブを20周年でやろうと決めました。会場は抽選で決まるんですが、その抽選に当たって、いい日取りで会場も抑えられました。その時は気合いを入れて頑張るぞ!ってなった時期で、テンション上がりました。

岸田 そこからですね。ちょっと上がっていったところで、ちょっと下がっていきます。それがこちらですね。おお、イベントライブロケなどが中止になって。

岡安 それがもうバタバタで、何にもなくなっちゃいました。コロナで外に出れない、ロケもできない。鉄道の番組なんで、鉄道の車内でもロケが絶対できなくなっちゃって、本当に全く何もなくなってしまって、結構凹みました。

岸田 そうですよね。イベントやロケなどがなくなってしまうのは、やっぱり厳しいですよね。

岡安 はい、イベントは密な空間になるので、それも全てダメでした。あの時期は本当にしょうがないんですけど、それでもう少し抱え込んで。でも、頑張ろうと思って、その時期でした。

岸田 そこからまたちょっと下がっていくことになります。はい、こちら。首のしこりが気になると。

岡安 そうなんです。イベントやライブがすべてなくなったぐらいの時期に、お風呂上りにタオルで拭いた時に「あれ?これなんだ?」って気づいて、初めて首のしこりに気づいたんです。でも、その時は「何だろうな?」と思いながらも、そのうち治るかなって軽い気持ちでいました。

岸田 首のどのあたりですか?

岡安 左の、ちょうど真ん中よりちょっと下ぐらいです。ほんの2cm、3cmぐらいのポコンとしたしこりができていて。これって何だろうなって思いました。今までそんなの無かったので。

岸田 その時は痛みはなかったんですね?

岡安 はい、痛みは全くなくて、体調も特におかしいとは思ってなかったので、病院には行かずにそのまま過ごしていました。

岸田 そうですね。はい、そこからちょっと上がって行きます。こちらは、単独ライブ中止。

岡安 はい、これですね。単独ライブが中止になっちゃいました。でも、この時は「来年やろうぜ!」という気持ちに切り替えられたので、しょうがないと。日本や世界がこういう状況だから、ネタを作る時間が増えたと思って、より練ったネタができる良い機会だと思いました。

岸田 オリンピックも全部中止になった時期ですね。

岡安 そうですね。だから、少し前向きに捉えました。

岸田 そしてまたちょっと下がっていきます。それは喉に違和感が。

岡安 これですね。喉のしこりがまだ残っていて、食事をすると何か引っかかる感じがあって。「あれ、これは何だろう?」と思って、喉にしこりがあると気づいて、そのしこりが大きくなって、内側を圧迫してる気がしてきました。でも、コロナの影響で病院に行きづらく、少し落ち着いてから行こうと思いました。

岸田 そうですね。病院に行くのもいろいろと手続きが必要で、ちょっと行きづらいですよね。

岡安 はい。その時は少し落ち着いてから病院に行こうと考えていました。

岸田 そうですね。そこで、ちょっと上がったところが、仕事が回ってきたこと。

岡安 そうですね。オンラインイベントが出だしてきて、少しずつイベントが復活してきました。それが嬉しくて、頑張ろうという気持ちになりました。

岸田 オンラインイベントが増えてきましたね。

岡安 当時はオンラインイベントがどうやってやるんだろう?という感じでしたが、それでもイベントが戻ってきて、良かったと思っています。

岸田 そしてまた、近くの総合病院からより大きな病院へ。

岡安 仕事が戻ってきて、スケジュールが埋まりつつあったので、喉の違和感が気になってきました。声が枯れてしまうとまずいので、まずは診てもらおうと思い、近くの病院に行きました。大きな病院へ紹介され、そこで再度検査を受けました。

岸田 確かに、大きな病院に行くとなると少し不安になりますよね。

岡安 そうですね。ちょっと不安に感じました。

岸田 そして、そこで診察を受けた結果、下咽頭がんの疑い。

岡安 はい。スコープを使って先生が検査して、声帯を調べて、注射で細胞を取った結果、「下咽頭がんの疑いがあります」と言われました。最初は「かりんとう」って聞こえて、ちょっと混乱しました。頭が真っ白になり、どうしたらいいのか分からなくなりました。

岸田 奥さんと一緒に行かれたんですね。奥さんの反応はどうでしたか?

岡安 奥さんは病室で泣いてしまいました。帰り道、家路がすごく遠く感じました。死ぬかもしれないという思いが頭をよぎり、二人でショックを受けて帰ったことを覚えています。

岸田 その後、心がダウンしていきました。

岡安 本当に夜中に急に泣き出してしまいました。何も食べたくなくなって、ただただ不安で、検査も怖くて眠れませんでした。それまで人を笑わせる仕事をしていたのに、全く笑えない自分がいました。

岸田 普段のお仕事をしている岡安さんを見ていると、そんなことを感じさせませんよね。

岡安 そうですね。イメージもあって、どうしていいか分からず、全く元気を出せませんでした。

岸田 そこから少し上がった出来事が、配信舞台を見て、笑うことでした。

岡安 はい。告知されてから家で何もせずに過ごしていたんですが、奥さんが「面白い配信の舞台があるから見てみない?」と言ってくれました。実際に見てみたら、すごく笑って、がんの怖さがなくなったんです。笑うって本当にいいことだと実感しました。

岸田 知ることで怖さが和らぐんですね。

岡安 そうです。がんについて調べてみると、怖さがだんだんなくなりました。医療が進歩していることを実感し、逆に前向きになりました。

岸田 良い方向に気持ちが切り替わったんですね。

岡安 はい。その日、大きなカツを食べて食欲が戻り、元気になりました。

岸田 でも、舞台を見る前と見た後で全然。

岡安 全然違いますね。映像残しとけば良かったなと思って。

岸田 代わりようを(笑)

岡安 そういう頭回んなかったんで、はい。でも、奥さんはびっくりしてました。

岸田 僕も入院中とか、アニメを見てたりとかして、それに救われましたね。

岡安 いいんですよ、やっぱり。

岸田 そうですね、何かを見たりとか、あとはお笑いのDVDを友達が持ってきてくれて、それを見たりしましたね。

岡安 実は、全然気づいてなかったんですけど、人を笑わせるのが好きだったんで。笑うってこんなに切り替えられるんだとびっくりしました。

岸田 そうですよね。ぜひ皆さん、岡安さんのお笑いを見てください。

岡安 ぜひ、YouTubeやってますんで、よろしくお願いします!

岸田 ありがとうございます。

岡安 急に宣伝(笑)

岸田 ぜひね、これをきっかけに見てほしいですね。

岡安 ぜひぜひ!

岸田 そしてそこからちょっと上がっていきます。下咽頭がん確定、頸部リンパ節転移。もうここで確定したんですか?

岡安 そうですね。検査が終わって、1週間後に結果が出て、確定しました。リンパにも転移していると告げられました。でも、その時の気持ちとしては、「よし、がん確定した、治療頑張ろう!」という気持ちに切り替わったんです。

岸田 ええ〜。

岡安 不思議なことに、気持ちがスイッチ入るんですよね。知らないうちに「頑張るぞ!」って。

岸田 舞台を見た後だから。

岡安 そうですね、気持ち的にも前向きに。いろいろ調べたりもしたので、この確定によって「なんでも頑張るぞ!」という気持ちになりました。先生がギブスのサイズなど詳しく教えてくれたときに、総合的に見て「岡安さんは下咽頭がんのステージ3です」と言われ、分かりましたと言いました。その後、放射線治療の先生との打ち合わせをしていたら、「すみません、ステージ4になりました」と言われました。その時は「ああ、分かりました」と返事しましたが、頭の中では「3よりの4だろうな」と解釈していたんです。

岸田 捉え方によって全然違いますね。

岡安 そうですね、今考えると多分凹んだんじゃないかなと思いますけど、ステージ上がっちゃったって。でも、その時は全然気にならなかったんです。3よりの4、という感じで。

岸田 リンパ節にも転移したということですね。そこからまた次、こちら。放射線治療をされていくんですね。70Gyされて、味覚がなくなったと。

岡安 はい、放射線治療を受けると、だんだん味覚がなくなります。最初は先生にも言われていたんですが、まさかこんなに無くなってしまうとは思いませんでした。食事が食べられなくなり、一瞬悪循環に陥った感じです。

岸田 味覚がなくなるということは、何を食べてもゴムみたいな感じになるんですか?

岡安 そうですね、味が分からなくなります。「これ何食べてるんだろう?」という感じです。

岸田 それって放射線治療が始まってすぐですか、それとも結構経ってからですか?

岡安 経ってからですね。3クールのうち、2クール目の終わり頃から味覚がなくなり、3クール目が始まる頃にはほとんど味を感じなくなりました。

岸田 1、2ヶ月後にですね。

岡安 そうですね。1ヶ月後くらいにはかなり味が分からなくなりましたが、食べなきゃいけないので、カロリーメイトやウィダーインゼリーを食べて栄養を補っていました。

岸田 栄養素が入っているから、そうですね。

岡安 そういうもので何とか食べていました。病院で出てきた魚は匂いがダメで、魚系は全てパスしてました。

岸田 なるほど。

岡安 食べられるものを見つけて、なんとか過ごしました。

岸田 ありがとうございます。次、シスプラチンによる薬物療法です。気分がダメになっていくということですが。

岡安 はい、シスプラチンの副作用で気持ち悪くなりました。2クール目では1時間ごとに気持ち悪さが波のようにやってきて、3クール目ではその波が半日続くことがありました。

岸田 放射線と抗がん剤がセットだったので。

岡安 はい。抗がん剤を投与して10日くらい入院し、その後家に帰って通院で放射線治療を受けるスケジュールでした。でも、気持ち悪さがなかなか抜けませんでした。

岸田 1クール目はまだ体力があったから乗り越えられるけど、2クール目、3クール目はつらくなりますよね。

岡安 そうですね、最初の1クール目はまだ元気があったから乗り越えられたんですけど、3クール目になって、こんなに気持ち悪くなるとは思いませんでした。

岸田 それはつらかったですね。そしてその後、経過観察ですか。

岡安 はい。治療が終わり、先生に診てもらったところ、がんはほぼ消えました。今は経過観察中です。

岸田 良かったですね。

岡安 最後の診察では、先生が「ほとんどなくなってきれいになってますね」と言ってくださいました。

岸田 すごいですね、良かったです。この写真はビフォーアフターですか?

岡安 そうですね。最初はまあこんな感じで左側の写真です。これでも結構、放射線治療が始まってから半月くらい経っている状態の時ですね。まだ全然、ちょっと赤みがあるぐらいで。でも、治療の終盤はもうボロボロになってしまって、Tシャツの襟に皮膚が付いて剥がれてしまう感じでした。

岸田 うわ〜、痛そうですね。

岡安 あ、でもその時は薬を丁寧に毎日塗っていたので、痛さはあまり感じませんでした。

岸田 あ、じゃあ、痛みはそんなに感じなかったんですね。

岡安 はい、看護師さんが「痛み止めをもらってきましょうか?」と言われたんですが、「そんなに痛くないので大丈夫です」と答えました。ヒリヒリする感じもなく、痛いというほどではなかったです。

岸田 それでも何か逆に大変だったことはありましたか?

岡安 あ、でも、薬を塗り忘れないようにするのが大変でしたね。先生からは乾燥させないように薬を塗ってくださいと言われていたので、常に気をつけていました。

岸田 その後、数ヶ月したら普通の皮膚に戻ったんですね。

岡安 はい、そうです。普通の皮膚に戻ってきました。

岸田 ああ、よかったです。これだけ見ると、本当に大変そうですね。でも、岡安さんの場合は回復が早かったということで、ありがとうございます。次の写真もいただいてますので、見せていただいてもよろしいでしょうか。

岡安 はい、これは左側が入院したばかりの時で、右側が抗がん剤治療の終盤の写真です。1ヶ月ちょっとで8キロくらい体重が落ちて、ちょっと怖いなと思いながら写真を撮ったんです。

岸田 ああ、そうなんですね。まるでファッションのビフォーアフターみたいですね。

岡安 そうですね(笑)。おじさんが無理してる感じが(笑)。

岸田 いやいや、見た目が垢抜けてますよ(笑)。

岡安 恥ずかしいですね、でも(笑)。実はこのパジャマを義理のお母さんがプレゼントしてくれて。

岸田 ああ、そうなんですね。

岡安 最初は一回着たんですけど、病院のパジャマってどうしても「病気感」が出るじゃないですか。だから、気分的にそれを着ていると、自分が病気に見えちゃって。それで、2クール目からはスウェットとか、着替えやすい服を着るようにしました。

岸田 明るくね。

岡安 はい、色味もちょっと明るくして、看護師さんからも「今日はおしゃれですね」と言われて、嬉しかったですね。

岸田 そうですよね。

岡安 最終的には靴も少し違うものを履いて、スリッパ禁止だったので、新しい靴で病院に行きました。

岸田 そうなんだ。

岡安 そうですね。ファッションが変わったことに気づきました。

岸田 うん、入院してからファッションが変わったんですね。

岡安 はい。服を変えることで気持ちも変わったんだなと思いました。

岸田 それ大事ですよね。

岡安 左側で過ごしていたら、気持ちも悪くなりそうですから。

岸田 気持ちが大事ですね。

岡安 そうですね。

岸田 この写真を見たときに、やっぱり岡安さんは芸人だなと思いました。左側で変顔してる感じが、まさに。

岡安 ちょっと(笑)。これ、気合入れて撮ったんですよ。病院での入院生活が辛かったので、そういう気持ちが映っちゃったんだと思います。

岸田 それ、まさに芸人らしいですね。

岡安 あんまり気にしないでください!

放射線治療の3大副作用と克服法|味覚障害・皮膚炎・声帯炎症をお笑いの力で乗り越える

岸田 次は、岡安さんが困難を乗り越えた方法について伺いたいと思います。大変だった時、どう乗り越えたのか、ちょっと教えていただけますか?

岡安 はい。大変だったこととしては、味覚がなくなって食欲が落ち、どんどん痩せていったことです。味覚がなくなった期間が長くて、その間、首の皮膚が荒れてきたり、声帯に影響が出て声がガラガラになったりしました。

岸田 声が出なくなったのは、やっぱりお笑い芸人にとっては大変ですよね。

岡安 大事ですからね。その時、先生から「声は戻りますので大丈夫です」と言われて、最初に聞いたのは「駅員さんの声って出ますか?」って。間違って(笑)、「駅員さんの声?」って言われましたけど(笑)。

岸田 それはちょっと笑っちゃいますね(笑)。でも、今は問題なく声も戻ったんですね。

岡安 はい。今は全く問題なく、駅員さんの声も普通に出せます(ご乗車ありがとうございます)。

岸田 あ、リアル(笑)よかったです。

岡安 一番最初に練習したのは駅員さんの声ですね。声が出てきた時、最初に試したのがそれでした(笑)。

岸田 よかったです。次に、困難を乗り越えた方法は?

岡安 不安な時は、とにかくお笑いを見て笑うようにしていました。今はYouTubeで色んなお笑いが見られるので、それをラインナップして見て、ゲラゲラ笑っていました。相部屋だったので大きな声で笑えなかったので、最上階のコインランドリーに行って笑ってました(笑)。

岸田 コインランドリー(笑)そこなら人も少ないですしね。

岡安 はい。病室では笑いにくかったので、そこで笑いを発散していました。

岸田 そして、先輩からの一言も大きかったんですよね?

岡安 そうです。事務所の先輩、バナナマンの日村さんから「病気になったんだな、頑張れよ」と言われて、その後LINEで「治療を楽しめ。絶対それが後でお前の芸の肥やしになるから」と言われました。その一言で、治療の視点が変わりました。

岸田 治療を楽しむという視点、素晴らしいですね。

岡安 はい、そのおかげで、どんなに辛くても「この辛さをどう伝えようか」と考えるようになり、頭の切り替えができました。その言葉は今でも役立っています。大きな舞台に立った時も「今、楽しめ!」と思い出すようにしています。

岸田 素晴らしい言葉ですね。治療を楽しむという視点が、岡安さんの強さの源になっているんですね。最後に、今見ている方々にメッセージをいただければと思います。

岡安 はい、僕からのメッセージです。どんな困難があっても、笑いと前向きな気持ちを持ち続けることが大切です。治療も自分の力になると信じて、しっかり向き合ってください。自分が元気を取り戻せることを信じて、みんなで一緒に頑張りましょう!

がん闘病を乗り越える2つの秘訣 気分転換のバリエーションと未来思考で前向きな治療生活を

岡安 僕なりの方法ですが、気分転換のバリエーションをたくさん見つけておくとすごく良いと思います。僕の場合、お笑いが好きなので、自分の好きなお笑いを見て気分転換をしています。それでも気分転換ができない時は、鉄道に関する本を読んだり、鉄道を想像したりしています。こういった気分転換の方法がいくつかあれば、辛い治療の時でも転換できるので、すごくいいんじゃないかなと思います。これが僕の中で見つけた方法です。

岸田 バリエーションですね、そうですよね。落ち込んだ時に動画を見たり、どこかに出かけたり、気分転換の方法がたくさんあれば楽ですね。

岡安 気分転換ですね。僕、コインランドリーに行くのも気分転換なんですよ。

岸田 謎の最上階の(笑)

岡安 はい、洗濯もしてないのに(笑)、ただの気分転換です。

岸田 ありがとうございます。次のアドバイスも聞きたいです。

岡安 もう一つは、未来や明日のことを考えるといいかなと思います。どんなに辛い時も「明日には少し楽になっているだろう」とか、「退院したらどこに行こう」とか、先のことを考えておくと気持ちが楽になります。僕は「退院したら絶対にこってりラーメンを食べに行こう」と思っていました。病院の駅前に「天下一品」というラーメン屋があるんですが、食欲がなくて味がしない時でも、退院したら必ずあそこに行こうと思って、それを楽しみにしていました。

岸田 ラーメンですね(笑)

岡安 はい、退院したら絶対食べようと。それを気持ちに向けておくと、辛い治療の期間も乗り越えやすくなります。退院したらどこに行こう、明日何をしようと考えることが気持ちを前向きにしてくれるんです。過去を振り返ると辛くなりますが、未来のことならいじり放題ですからね。

岸田 確かに。僕も退院したら温泉に行くぞ、って言ってました。

岡安 温泉いいですね。

岸田 看護師さんと一緒に温泉のガイドブックを見て。

岡安 いいですね(笑)

岸田 全然一緒に行くわけじゃないんですけど、行ってる気分になれて(笑)

岡安 妄想が膨らんで(笑)

岸田 そうすると、体的にも頑張れる気がしますね。

岡安 そうですね。想像するだけで、体が頑張ろうって思うかもしれません。

岸田 ですので、今治療中の皆さんも、過去を振り返るのではなく、未来のことを考えてください。そして治療と向き合いながら生活を楽しんでいただければと思います。岡安さん、いかがでしたか?

岡安 大丈夫でしたかね? なんか自分の病気のことを話すのは初めてだったので。

岸田 全然大丈夫ですよ。

岡安 あ、時間も結構経っちゃいましたね。もう終わりですか?

岸田 はい、めちゃくちゃ色々なお話をいただきました。本当にありがとうございました。岡安さん、すごく良い人で、良かったです。

岡安 いや、こちらこそありがとうございます。自分の病気のことを話すことができて、もし誰かの参考になったら嬉しいです。

岸田 ありがとうございます。それでは、皆さん、次の動画でお会いしましょう。バイバイ!

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