目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:中庭

【オープニング】

岸田 それではがんノートmini、スタートしていきたいと思います。きょうのゲストは中庭さんです。よろしくお願いします。

中庭 よろしくお願いします。

岸田 中庭さん、あれですね、珍しいお名前ですね。

中庭 そうなんです。主人の姓が、長崎県津島にあるのでなかなか聞かない名字だと思うんですけど。覚えてください。

岸田 そういうルーツがあるんですね。そんなきょうのがんノートminiにはなるんですけれども、ついでに僕の説明をさせてください。まず岸田と申しまして、僕は25歳と27歳で肺細胞腫瘍という珍しいがんになりました。

岸田 そこから医療情報はお医者さんだったりとか、病院に聞いたらいいけれども、患者側の情報ですね、どうやって頑張って乗り越えたの?だったりとか、家族や仕事どうしたの?ってそういった情報っていうのはあまりなかったので、じゃあ、それを患者さんに聞いて、みんなとシェアできればということで、このがんノートというものを2014年にスタートしました。きょうはMCを務めさせていただきます。

【ゲスト紹介】

岸田 そんなきょうのがんノートminiのゲストは中庭さんでございます。中庭さんは、福岡県のご出身で、今も福岡県にご在住といったところになります。お仕事、看護師をされているといったところで、また、これもいっぱいね、後で出てくるかと思います。そして趣味は映画鑑賞や漫画、アニメってあるんですけど、なんか最近お薦めとかなんかあったりとかしますか。

中庭 夏はたくさんいい映画あったんですけど、大体見たんですけど、やっぱ中でも『トップガン』がよかったですね。

岸田 『トップガン』ね。もうみんな追い『トップガン』してますからね。

中庭 まさにその1人です。つい行ってしまいます。

岸田 何度も『トップガン』見に行ってね。なんかねもうIMAXとかいろんなんでね、みんな見に行ってる。そしてがんの種類が腹膜、これ、なんて読むんですか。

中庭 腹膜偽粘液腫っていう、10万人に1人のなんかの珍しいがんなんですけど。

岸田 めちゃくちゃ、あんま聞いたことないですよね、こんながん。

中庭 そうなんですよ、私もこういう仕事をしてても、もう耳にほとんどしたことがないっていうか。

岸田 ですよね。非常に珍しいがんになったといったところで。そしてステージがⅣだったといったこともありまして、告知年齢が39歳と40歳と41歳といったところで、何度もちょっと繰り返してということがあると。そして今41歳で、治療としては薬物療法と手術をされているといったところになります。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 そんな中庭さんなんですけれども、次はこちらをちょっとお伺いしていきたいなということを思っております。

岸田 ペイシェントジャーニーというものがあります。ペイシェントジャーニー、今からグラフが出てくるんですけれども、こういうふうに吹き出しの色だったりとか分けて分かりやすくしておりますので、また見ていただけたらなと思います。中庭さんのジャーニー、こんな感じになっております。結構アップダウンが激しい感じで。

中庭 そうですね、激動の。

岸田 激動といったところがあるんですけれども、ちょっとこれ、それぞれ伺っていきたいなということを思います。中庭さんが、まず、この上がっているところってところに関しては、まず臨床の看護をされていたのが、看護大に転職といったところで、看護師をされて、看護師、どういった経緯で転職されたりとかしたんですか。

中庭 もともと臨床看護師で、新卒から現場でメインで、外科病棟とかでずっと勤務してたんですけど、生まれつき股関節が不自由な状態で生まれてきてて、日常生活に問題なかったんですけど、出産期にちょっと悪化してしまって手術しないといけなくなりまして。両股関節を手術したら、どうしても臨床で夜勤をしてまで立っておくっていうことがちょっと厳しくなってきて。

中庭 何か、でもやっぱり仕事はすごく好きだったので、何か今までの経験とか生かせる職業ないかなっていうところで、ちょっと知り合いの、お友達から声をいただいて、看護大学のほうで今度、教育っていう形で、教育助手っていう形で雇用されることになりました。

岸田 そういった経緯があったんですね。そして、その後だんだんちょっと下がっていくんですけれども、これが体調不良があって、そして原発不明がんとなってステージⅣと。もうこの段階で一気に告知ですね。

中庭 もともと何も症状はなかったんですよね。ただ、それこそ看護大学で実習指導していたんですけど、白衣を私たちも着るんですけど、その白衣のボタンが、あら、なんかきついなっていうふうに思うようになってきて。

中庭 年齢的に、それこそ40にも差し掛かってたので、そっか、私もついに中年太りというのがやってきてるのかなと思ってたんですけど、にしても鏡に映る手足はすごく細くて、すごく違和感があって。ただ、ある意味、自分も職業だからいけないんですけど、こういう状況にあるけど食事も入ってるし、お通じも出てるし、吐き気もないし、元気だから少し様子を見ておこうと思っておいてたんですよね。

中庭 そうするとどんどん体がやっぱりだるくなったり、あとなぜか微熱が出るようになって、これはちょっと普通じゃないなと思って。おなかも自分で診察すると明らかに腹水がたまってるような感じだったので、なんで早く気付かなかったんだろうと思いながらも、ちょっと知っている、一緒に前、働いていた開業医の先生のところにとにかく飛び込んで、診察してくださいっていうふうに頼んで。

中庭 でも少し嫌な予感はしてたので、全ての検査もお願いしますって言って、そこでもうCTも、腹部エコーも、腹部のレントゲンも全部撮影してもらって、あと採血もしてもらって、腫瘍マーカーの。

中庭 全ての検査結果が出そろって、主人と呼ばれたんですけど、もうそのときに既に、私も少し画像を見るだけでも、素人が見ても分かるぐらいCTに映る自分のおなかはもう転移だらけの状態で、先生も肩を落としている状態で、まだこういう状況だけど、抗がん剤をしたりだとかもう少し命は延ばせるけどやっぱり厳しいと言われて。

中庭 突然のそのステージⅣの告知っていうかで、自分もそのある程度、逆に分かるからこそ、もう後は死を待つしかないなっていう状況にあって。

中庭 ただ、ここではクリニックだったんで、取りあえずその確定診断っていうことではまだできないから、画像を見る限りでは恐らく卵巣がんが転移してるのかなとかいう感じでの情報はちょっといただいたんですけど、私たちの中ではもうがんのターミナル期にあるんだっていう思いしかなくって。

中庭 一応、セカンドオピニオンですぐに診てもらったほうがいいっていうふうに言われたので、その先生のコネクションというか、私の状態があまりに悪かったので、もう電話ですぐに知り合いの先生に、福岡市内の総合病院の先生につないでもらって、この方をすぐに診てくださいというふうにしてくださって、市内の総合病院を紹介されました。そちらを受診して、病名が今から分かるっていうところです。

岸田 看護職をされていたからこそ、そういった、ちょっと分かってしまうっていった部分もあったりだとかして。そこからちょっと上がっていくんですよね。それが、ここで腹膜偽粘液腫っていうのが分かっていくってことになるんですよね。

中庭 そこが先ほど先生が紹介されたところに、セカンドオピニオンとして福岡市内の総合病院のほうを受診しまして、そこの、まず卵巣がんの最初は疑いだったので婦人科のほうを受診いたしまして。その主治医がこの病気の手術を2回か3回やったことあるっていうことを言われてて。

中庭 これは中庭さん、卵巣がんじゃない、卵巣がんだけども腹膜偽粘液腫っていう、要は卵巣の中にできた粘液腫がぱあんってはじけて、破裂してしまって、その破裂した粘液の細胞腫瘍たちがあちこちにぺたって貼り付いて、それがどんどん増殖していくっていうがんなんだよっていう説明を受けて。なるほど、だから転移してあちこちにあるように見えるんだっていうことが自分でも理解できて。

中庭 じゃあ、なんでこんなにあちこちに転移してるのに採血ではあんまり問題がないんですかとかいうことを話してたら、普通の悪性腫瘍と違って浸潤しないので、要は臓器の外側に張り付いている状態っていうことを聞いたので、だから採血データはとても元気だったんだな、なんていうこととかも、いろんなことがつながって。この病気は、手術が一応できるよと言われて。ただ、もうおなかの中で既にばらまかれている状態のがんだから、できるけど大変だということはお聞きしました。

岸田 そうなんですよね。その中でも、何ですか、青色がネガティブで、赤色がポジティブなコメントになるんですけど、分かってもポジティブだったんですね、そのとき、中庭さん。

中庭 そうなんです。もうなんせが、最初、もう死を待つしかないっていう状況だったので、病名がちゃんと知れたっていうことと、やっぱり手術ができるってことがすごく大きくって。完治が望めなくてもこれで生きる希望が少し見えてきたなって、少しでも生きたいなって思いが強かったので、私、まだ治療ができるっていうのでもうすごくポジティブでした。

岸田 そして治療ができるということで治療をしてまいります。開腹手術をしていった。ただ、こちら、根治不可って書かれてますけれども。

中庭 そうなんです。頼みの綱で手術してもらったものの、全ての腫瘍をやっぱり取り切れることができなくて、残存している状態で閉腹された、閉じられたっていう形で。

中庭 すごく婦人科の先生もよくしていただいてもらって、ここまで頑張ってきたから、もうあと何もすることがないっていうふうにやっぱりしたくないと。自分もすごく調べて、調べた結果、大阪に唯一、この病気に対して詳しい専門医が1人いると。

中庭 もう自分のところでできる治療は限られているので、外科にコンサルトをして効かない静脈からの抗がん剤をして、それこそ悪くなるのを待つのか、そちらの先生のところに行って門をたたいて、新たな治療をしてもらうかそれしかないけどどうしますかって言われて。

中庭 もう突然のことだったので私たちもすぐに決断できなかったんですよね。そこの大阪の病院に関しては、うすうす、自分たちでも少しネットで調べてたりだとか、知識は多少あったんですけど、いろんな情報が、良い情報、悪い情報と両方あって、ついにここを紹介されるときが来たんだっていうのが強くあって、迷ってたら、たまたまその婦人科の、今の主治医のお友達に、そこの病院にバイトに、非常勤として働いている先生がいるから、その先生はもっと直接、その大阪の病院に行ってるから知ってると思うから、そんな急に決めれるような内容じゃないから、じゃあまず大阪に行く前にその先生にお会いしたらどう?っていうふうにお声を掛けていただいて。

中庭 まだ入院中だったんですけど、もうちょっとそれは先に聞いてから後悔のない決断をしたかったので、主人と一緒に、外出っていう形で入院中だったんですけど一緒にそこの、福岡のちょっと外れにある病院のほうを受診しまして話をお聞きしたところ、やっぱり結構前向きに言ってくださって、私の画像だとかも見てもらったんですけど、その大阪の先生は本当にすごいから、もう普通でできんことをするって。

中庭 だからあなたも大丈夫だから何もせずに待っておくよりかは行きなさいというふうに言われて。ああ、もういいや、頑張ろうと思って、雲がぱっと晴れて頑張ろうって思いました。

岸田 普通でできひんことをすると。すごい。そのゴッドハンドというか、お持ちでというような所で、安心してっていうことで後押ししてくれたってことですね。そして行くことになります。そのセカンドオピニオン、赤色、ポジティブで高くなっているということは、これはよかったんですか。どうだったんですか。

中庭 その後に大阪の、実際に専門医の所に行ったんですけど、やっぱりすごい前向きな先生で、どの方にもある程度は前向きなことしか言わない先生というのは存じ上げてたんですけども、一言目に治るでーって関西弁で言っていただいて。その、もう治るっていう言葉をやっぱり聞かないんですよね。

中庭 それこそ医療職をしててもすぐに治るよ、なんて簡単に言わないぐらいの言葉なのに、それを初対面でお会いして、第一声で治るでって言われたことがものすごく、うそであってもうれしいなっていうのがあって。

中庭 もう泣いて、そのとき喜んだのを覚えてるんですけど。治ることなんてもちろん、100パー治ることは期待はしてなかったんですけど、やっぱりいざ言われるとまたさらに希望が見えてきて、この残っている腫瘍、この先生取ってくれるかもしれないんだっていう強い期待と、不安と。

岸田 あるけれども、そうやって後押ししてくれて、よし、じゃあ頑張っていこうと、治療ができるとかそういった見通しが持てるだけでも全然違いますもんね、本当にね。そしてその後、こちら。治療していく。腹腔抗がん剤治療。これは抗がん剤治療、普通の抗がん剤治療はちょっと違うんですか。

中庭 そうなんです。この病気は基本的にその腹腔内の中に浮遊している腫瘍をたたかないといけないので、通常の静脈からの抗がん剤をしても血流がないので結局効果がないんですよね。

中庭 細胞の型も、私はそのときすごい悪性度もあんまり高くなかったんで抗がん剤しても意味ないということで、おなかの中に直接抗がん剤を入れるほうが効果があるっていうことをお聞きしたので。たまたま、その1回目の手術のときに腹腔ポートっていう抗がん剤ができる装置を、その私の婦人科の先生がしててくれたので、幸いにもそこから抗がん剤ができることになって。

中庭 しかもうれしいことに通常だったら通院で、どの患者さんも大阪と行き来しないといけないんですけど、この腹腔抗がん剤は、その大阪の知り合いの先生の、福岡にいらっしゃる、ちょっと福岡の離れた病院にいらっしゃるその先生が自分の所でしてあげるよっていうふうに言ってくださったので、セカンドオピニオンでも言ってたので、僕がしてあげると。

中庭 やっぱり遠方にずっと通院するのは大変だし、お金もかかるし、この治療法自体が標準治療じゃないから、多分、福岡では僕ぐらいじゃないとしないと言われて、そうなんだっていうふうに理解して。じゃあもう福岡でもできるだけでも感謝しようと思って、福岡のほうでおなかから、その腹腔抗がん剤をスタートしました。

岸田 ありがとうございます。そうなんですよね、皆さん、今回の治療法に関しては、もうとにかく珍しい希少がんであって、標準療法が確立されていないといったところの中での治療法を探していって治療しているという形なので、ご覧になっている方たちはそれを思って、しっかり理解してちょっと聞いていただければ今回はいいんかなということを思っております。

岸田 まずは皆さんの主治医に相談して、いろいろ治療法については聞いてくださいね。ありがとうございます。それで福岡でも治療して、その抗がん剤治療をして、そこからやってくれて、そこから下がっていくんですよね。何かというとイレウスになっていくと。

中庭 これはやっぱり開腹手術もしてある上に、この腹腔抗がん剤っておなかに抗がん剤を入れることで、やっぱりおなかの動きが悪くなるようで、その二つが重なって、見事に合併症という形でイレウスになって、3週間ぐらいチューブを入れて入院することになるんですけど。

中庭 幸い、このときは手術も視野にっていうところまで来て、ええっていうふうに落ち込んだんですけど、これもまたすごく幸運なことに手術が決まった前日に造影検査をして見事に開通したということで、良くなりましたっていうことで、すぐに運良く退院することができて、また上昇するっていう形になりました。

岸田 そして上昇していきます。もう一度、腹腔抗がん剤を再開をしていって、そして、その後、退職からパートへといったところで、やはりちょっとお仕事続けるの難しかったんですか。どうだったんでしょう。

中庭 やっぱフルタイムでずっと私は今まで、もう出産してもずっとフルタイムで働き続けてたんですけど、やっぱりこういうふうに病気になって初めて、毎日、月から金、看護師の場合はシフトなんですけど、働くことはちょっともう難しいなと。

中庭 周りにも迷惑を掛けますし、自分もその中でいつもお休みくださいというのがやっぱり言えなくなったので、今はちょっと生きることに専念をして、もちろんお金もかかるから、県外の治療なので、だけど生きないとどうもならないからちょっとそこにシフトしようと思って、勤務形態ももうちょっと変えてもらって、2週間に1回きちんと治療ですっていって、胸を張って言えるような勤務形態にしてもらおうと思って、もうパートとして、いったん退職してパートとして働けるようにしていただきました。

岸田 職場の配慮とかもあって、そういうふうな働き方に変えていただいたっていうことなんですね。

中庭 ありがたいです、本当に。

岸田 そこからちょっと下がっていくのですが。なんかちょっと濃い、すごい、なんか、漢字がいっぱいあって。ちょっと待って。まず開腹手術で、術中温熱腹腔内化学療法、エイチ、アイ、ピー、なんて読むんですか、これ。

中庭 ハイペックっていうんですけどね。ハイペックっていいます。

岸田 HIPEC。すいません、教えてください。

中庭 これはもう通常どおり、この手術は腹腔鏡じゃできないので、大きくおなかをばっさり切る開腹手術をするんですけども、そこでまず今回は残っている腫瘍を取るというのが大阪では私は目的だったので、そこに残存する、まず腫瘍を取ってもらいました。

中庭 私の場合は腹膜を取りながら、横隔膜と、あと胃の半分、幽門測っていう胃の出口だけ残す手術をして胃も半分取りました。あと、それプラス、そこにまとわりつく大網とか小網、詳しくなるのでちょっと言えないんですけど、あと脾臓とか胆のうとか、とにかくありとあらゆる臓器をちょっと取って。

岸田 取ったの?

中庭 そうなんです。やっぱり転移しやすい臓器はもう取るっていうものだったみたいで。私はてっきり残存している腫瘍だけ取るんだと思ったんですけど、胃にはちょっと結構浸潤してたみたいなんで胃は取られて、その他、もう転移するかもしれないという脾臓だとか胆のうとかは、もう予防的に切除されました。

中庭 それプラス、もちろんその時点で全部取れてるんですけど、何せがこの病気っていうのは播種性の病気なので、また取ってもその見えない細胞レベルで広がる可能性が多くあるので、そこで出てくるのがこのHIPECっていう術中温熱化学療法っていう治療法なんですけど、これがここの大阪の病院でしかやれないんですよね。

中庭 47度の生理食塩水の中に抗がん剤を混ぜたものを、おなかの中で40分ぐらいぐるぐる混ぜるという、臓器に浸透させるっていう手術なんですけど、それを併用してやるっていう。これが要は腹膜疑粘液腫っていう病気に対する一番の治療なんですよね、今。この世界ではすごく大変な手術なんですけども、これしか要は治療法がないっていう、治すには。

岸田 そういう治療をされてですね。なんかすごい新しい、僕、全然知らなかったです。ありがとうございます。ただ、その後、予後不良で薬物療法をしていく。ちょっと予後不良だったんですか。

中庭 そうなんですよね。もちろんこのとき、ものすごく侵襲の大きな手術だったんで、体が、いろんなことが変化してしまって、そこの体調不良もあったんですけど、さらに追い打ちをかけるように術後の病理を先生が説明されるんですけど、あんさんは全部腫瘍取れたけどな、これ関西弁でですね、取れたけどなって、運悪くちょっと印環細胞がおるで、と言われて。印環細胞っていうのが、ちょっと細胞レベルでいくと悪性度が高くって、要は進行しやすいタイプの細胞になるんですけど、その細胞の型が見つかったと。

中庭 それプラス、この腹膜疑粘液腫はハイグレード、ローグレードの二つに型が分かれるんだけど、あなたの場合はハイとローの、高い、要は低いの中の高いグレードだと。なんで、それもハイグレードの人はやっぱり再発しやすい。だけん、その印環細胞が見えたにしても、そのハイグレードであったという事実にしても、ものすごく再発リスクが高い分類になるから、ちょっと予後は厳しいと言われました。

中庭 ただ、具体的にいつまで生きれるとか、そういうことはもうこの時点では完治っていうか、全部取り切れてるので言われなかったんですけど、予防的に再発の予防するためにも、もうずっと抗がん剤は内服しないといけないっていうふうに言われました。

岸田 だからそのハイグレードでっていったところで、抗がん剤内服をしていくっていったところなんですね。ただ、その後マーカーが上昇し、また薬物療法が。これは追加でスタートしていくってことですか。

中庭 そうです。経口で2週1休で。2週間内服して1週間休むっていう内服をするゼローダっていう薬を内服し始めました。またちょっと副作用もいろいろ出たりとかしてですね。

岸田 ただ、そこでちょっとまた上がっていくんです。それはなぜかというと、マーカー、ちょっと上がったけど、またそれやったら下がっていったんですね。

中庭 はい。これは抗がん剤を一度また、静脈からの抗がん剤とかもするんですけど、間で。何とか上がっているのを食い止めようとして、効かないっていうのは分かってたんですけど、静脈からの抗がん剤とかも間でしました。

岸田 ようやく下がっていって、そこからちょっとまた上がっていきます。ここで復職。復職するの? すごいな、これ。

中庭 そうなんです。やっぱり、少しずつ患者経験が長くなってくると、心や気持ちまでがんにむしばまれるっていうか、今、ちゃんと前向きに治療できているのに死ぬかもしれないなっていうことを考えたりだとか、自宅でいるといろんなことを考えるんですよね。

中庭 私はやっぱりこの看護っていう仕事がすごく好きだったんで、もうちょっとこういう経験を前向きに生かしたいなとか、あとリアルにお金が本当に、経済的に厳しくなるんですよね。お金がある人はきっともういいよ、働かなくてって言うと思いますし、私も裕福だったら働かなかったかもしれないです。

中庭 だけどやっぱり医療費を少しでも捻出して、自分が生きて、やっぱり子どもの成長も見たいですし、あと看護師として働いて、自分が患者となることによって、今、患者さんに何かしてあげたいなとか、あと教育のほうではこういうことを学生に教えたいなっていうふうに思うようになりました。

岸田 すごいね、自分自身の気持ちだったりとか、そういう使命っていったところもあって、そういう復職されていって。ただ、そこからちょっと下がっていくんです。タール便? そしてフクゴウブカイヨウ?

中庭 吻合部潰瘍ですね。

岸田 吻合部潰瘍、どういうことですか、これは。

中庭 これはですね、今、このとき復職したのが、主人の知り合いの病院のほうと、あと以前働いていた大学のほうと、両方をちょっと体調を見ながら働く形で復職をしてたんですけど。たまたまそのときは病棟のほうの勤務をしているときに、ちょっとトイレに行ったときに黒い便があって。そのときにおなかも地味に鈍痛があるというか、そういう状況だったのでもう、すぐに。

中庭 今までの自分だったら頑張ると思うんですよね。いったん置いとこうと。この黒い便出てるけど、帰ってから受診しようとかっていうふうになると思うんですけど、やっぱりもうこういう体になって、逆に我慢して働くことのほうが、倒れたりだとかすることのほうがちょっと病院のほうにも迷惑を掛けると思ったので、すぐに師長さんに報告して。

中庭 ありがたいことに、やっぱりすごく私の体のこととかを理解してくださっているので、すぐに寝かせてもらって、病院勤務なので先生にも診察を依頼して、すぐに紹介状も書いてもらって、そのまま迎えに来てもらって、即受診という形で診てもらうことができてですね。

中庭 胃潰瘍なのかなと思ってたんですけど、私の場合、胃を切ってたので、その胃を切ったつなぎ目、要はその難しい字の吻合部に潰瘍ができてたということが、胃カメラをして分かりまして。まずこれは通常の潰瘍に対する治療をして、絶食とちょっと点滴をしながら、出血が止まるのを待ってっていうので、お薬を飲んでというので改善しました。

岸田 じゃあそれもあれですね、今までやってた治療の副作用というか、合併症ってことですね。

中庭 そうだったと思います。

岸田 ただ、それよりもまた下がるの、怖いな、ちょっと。マーカーが上がってる。再発しちゃったんですか、そっから。

中庭 はい。やっぱ不気味にちょっと上昇してたので、画像には映らないけど、何かしら活動はしてたんだろうなと、私も覚悟はしてたんですけど、やっぱいざ画像でちゃんとばんって出ると、またかっていう。

岸田 次、どこに出たってこと?

中庭 今度は一応、画像上は十二指腸の近くに、3センチ掛ける3センチぐらいのがあるっていうふうに最初は言われて。ただ、こうやって定期的に診てるからこそ早くにこうやって見つけることができるから、早いと小さなうちにそこを取ればいいだけだからっていうふうに、結構先生はまたそのときもすごい前向きに、取ればいいだけやで、しか言われなかったんです。

中庭 先生、簡単に言いますけど、またそれで20センチぐらい開腹、もう切腹ですよ、私にとってはって言ったんですけど、でもそれしか結局治療法がないからですね、もう腹をくくってやるしかないって思ったんですけど。

中庭 この手術、やっぱり開腹手術って、どんな手術でもそうなんですけど、何度も繰り返すことによって体も消耗していきますし、私とか抗がん剤もずっとしてるので、合併症のリスクとかもやっぱり上がっていくんですよね。手術することで、ラッキー、取ればいいんだっていうふうにやっぱり思えなくて。現に同じ病気の人で悪くなっていく人とかも見てあるので、ものすごいそのときの恐怖は1回目と変わらないぐらいの恐怖で、本当に泣きながら過ごしてました。

岸田 そうですよね。その中で同じ治療、開腹手術とHIPECをされていくっていう形なんですよね。

中庭 このときは、ただ、1度目の手術と違って、もうそれこそ小さな腫瘍だったので、小さな腫瘍を取って、またその再発予防にということでHIPECをしてもらったんですけど、通常このHIPECは1回しかしないみたいなんですけど、何度も手術しているとどうしても臓器が癒着しちゃうから、温熱化学療法をやっても意味がないっていう理論みたいなんですけど、私の場合は若いからということで先生の計らいでしていただきました。

岸田 体力的なところだったりとかね、いろんなそういった複合的に見て。そしてそこから上がっていきます。復職。すごい、復職されて、そして今、薬物療法はしつつも経過観察をしているという状況。今、体調はどうなんですか。

中庭 体調ですね、マーカーはそれこそ不気味に上がっているんですけど、とても良くて、いろんなことが楽しくて幸せです。

岸田 というふうな今の状況の中庭さんのペイシェントジャーニーというふうな形になります。ありがとうございます。

【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 そんな中庭さんの、ちょっと次、こちら、ちょっとお伺いしていきたいと思います。大変なこと、困ったこと、それをどう乗り越えたかといったところで、このようなことをいただいております。まず大変なことといったところは、ここ。治療選択への葛藤、そして地元病院との連携といただいております。これ、どういうことでしょうか。

中庭 この病気がまず、すごくまれで情報がないんですよね。ネットなどで調べると、私のやった手術とか、大阪の病院というのが上がってくるんですけど、すごくポジティブな情報と同時にネガティブな情報もとてもあって、どういうふうにそれを、正しい情報を得れるんだろうというところがとても大変で、なんで自分で、腹膜偽粘液腫というのは患者会があるので、自分でもその患者会に入って、実際に会長さんにもお会いしましたし、とにかく自分でできる情報は積極的に取っていきました。

中庭 この病気は手術するとすごく侵襲が高いので、術後も体が変わるんですよね。管もたくさん入れられて、歩けない、食べれないっていう状況が、普通の、通常の手術に比べてとても長いので、完全に治った状態で地元に帰れないんですよね。

中庭 私はまだ良かったほうなので、口からご飯も食べれるようになって、点滴も一応外れて、ただ少し1本、管は残っている状態だったんですよね。なので入院も勧められたんですけど、自分がこういう職業をしているので、自宅でちゃんと処置をしながら、通院させてくださいということをお願いしたので、そういうふうに手紙を書いてもらったんですけど、それができない人とかは入院、新たに地元でベッドのほうを確保してもらったりだとか、治療をちゃんと申し送って、それを継続してもらったりだとかって、そういうことはすごく必要になるので、大変だと思います。

岸田 そうですね。地元と、治療をしている病院とっていったところの連携とか、本当、大変だと思います。それをどう乗り越えたかといったところに関しては、まず治療の選択等々は、納得するまで医師の話を聞く、そして適度な覚悟を持つといただいております。こちらについてお伺いできますか。

中庭 これもまた、すごくこの病気の特徴なんですけど、もちろん私みたいにちゃんと、この大変な病気でも生きている人がいるってことも事実なんですけど、完全に先生に治るからと言われて、やっぱり治るものでもないです。

中庭 事実、大変な手術だからこそ、うまくいっている人もいれば、少し合併症が残って、後遺症に苦しんでいる人もいるっていうことも受け止めないといけない事実です。なので、これはすごい脅しでも何でもなく、自分も経験してみて、やっぱり適度な覚悟は必要だなと思いました。正しい情報を得て、こういう手術をするからこうなるかもしれないんだ。よし、それでも自分は頑張るぞっていう覚悟が必要です。

中庭 あと、先生もすごく、やっぱり日本中の患者さんを見ている先生なので、簡単にいつも電話もできませんし、いっぱいお話もできません。

中庭 なので、ちゃんと自分で聞きたい内容はメモをしたりだとか、ボイスレコーダーでちょっと録音しておくだとか、あと、こうしましょう、ああしましょうって言われたら、すぐにはいって言うんじゃなくて、どうしてこの治療をするのかなっていうのをもう一回ちゃんと先生に聞き直して、自分が理解してからその治療を選ぼうとかっていうふうに、自分でもやっぱり努力しないといけないということをとても思いました。

岸田 だから、めちゃくちゃすごい先生やからお忙しいけれども、ちゃんと時間が本当限られた中でも、有意義に時間を使うように、あれですよね、メモを取られたりとか、ボイスレコーダー使われたりとか、いろんなことされたんですもんね。

中庭 そうですね、食らいついてちゃんと聞くっていうですね。やっぱり先生にお任せっていうのではなくて、やっぱり自分だって命を懸けてるわけだから、そういうふうに、みんな、治療している人がいらっしゃったら、そういうふうにしてほしいなというふうに思います。

【メッセージ】

岸田 ありがとうございます。本当にもうあっという間の時間ではあったんですけれども、中庭さんから、今のこの視聴者の皆さまへのメッセージをいただいております。闘病されている方も本当たくさんいらっしゃると思います。そんな中庭様からのメッセージがこちらになります。

中庭 『当たり前の日常こそ最高の幸せ!』。この言葉の意味はですね、病気をされた患者さんは、皆さん、痛いほど感じていると思うんですけど、私たちが普段、何げなくしている、例えば家族と過ごす時間だとか、ご飯をおいしく食べるだとか、疲れたから寝るとか、行きたくないなと思いながらも、きついなと思いながらも仕事に行くとか、今のシーズンだったら夏休み、子どもが夏休みだから自由研究見てあげるのもだるいなだとか、本当に誰もが感じているこの当たり前の日常っていうのは、なくすと気付くんです。あのとき自分って幸せだったんだって、これってがんになるとできないんだって、こんな当たり前なこともできないんだっていうふうに思います。

中庭 だけどいい面もあって、私の中では病気になってよかったなんてきれいごとは正直、言えないです。だけどこういうことに気付くことによって、たとえつらいことがあったり悲しいことがあっても乗り越えていけるし、生きているからこそだから感じれる感情なんだなっていうふうに捉えれるようになるんですよね。

中庭 なんで、悲しいことも幸せなことも全て感謝できるというか、少し前向きに捉えれるようになるので。こういうのを感じれるっていうのは、やっぱりがんによって生と死っていうのを常に多分意識しているからなんだろうなっていうふうに思います。

中庭 だから今を楽しんだり、感謝したり、日々を大切に生きているのかなっていうふうに思います。なんでがんサバイバーの方は、今を一緒にぜひ楽しみましょう。これをご覧になっている一般の方は、当たり前の生活をしていることっていうのは、やっぱり私たち患者にとってはすごい奇跡なんです。なんでどうか今を大切に生きてほしいなっていうふうに思います。

岸田 本当、この一瞬一瞬が大事ですし、本当に失ってから気付くっていうのは、僕もめちゃくちゃ思いました。なので見てくださっている皆さまも、今、この一瞬一瞬を本当に楽しく、そして大切に過ごしていってほしいなと思いますし、その一瞬にこのがんノートを選んでくださって本当ありがとうございます。

中庭 いえ、お役に立てればいいです。

岸田 ありがとうございます。これにてがんノートmini、終了していきたいと思います。中庭さん、本当に経験談、本当にありがとうございました。

中庭 ありがとうございました。

岸田 それでは皆さん、またお会いしましょう。バイバイ。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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