目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:中庭

【ゲスト紹介】

ChatGPT:

岸田 そんな本日の『がんノートmini』のゲストは――中庭さんです。

中庭 中庭です!よろしくお願いします!

岸田 よろしくお願いします。中庭さん、珍しいお名前ですね。

中庭 そうなんです。主人の姓で、長崎県の津島に多い名字らしいんですけど、なかなか聞かないと思います。ぜひ覚えてください。

岸田 はい、覚えました(笑)。
さて、中庭さんは福岡県のご出身で、現在も福岡県にお住まいとのことです。お仕事は看護師をされているということで――このあたりのお話も、あとでじっくり伺っていきたいと思います。
そして趣味は「映画鑑賞」「漫画」「アニメ」とのことですが、最近のおすすめ作品はありますか?

中庭 夏はいい映画がたくさんありましたが、全部観た中で一番よかったのは『トップガン』ですね。

岸田 『トップガン』!やっぱり出ましたね。みんな“追いトップガン”してますからね(笑)。

中庭 まさにその1人です。つい何度も行ってしまいました。

岸田 IMAXとか、あらゆる上映方式で観る人が続出してますもんね。
さて、そんな中庭さんですが、がんの種類は「腹膜偽粘液腫(ふくまくぎねんえきしゅ)」という非常に珍しいものなんですよね。

中庭 はい。10万人に1人といわれるほどの希少がんで、私も看護師という仕事をしていながら、耳にしたことがほとんどありませんでした。

岸田 本当に珍しいですよね。
そして、ステージはⅣ。告知を受けたのが39歳・40歳・41歳と、何度か繰り返し診断を受けたとのこと。現在41歳で、治療としては薬物療法と手術を受けられている、ということですね。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 そんな中庭さんなんですけれども、ここからは「ペイシェントジャーニー」についてお伺いしていきたいと思います。グラフを見ながらお話を進めていきますね。色分けされた吹き出しで、時系列の流れや感情の変化が分かりやすくなっています。中庭さんのジャーニー、かなりアップダウンが激しい印象ですね。

中庭 そうですね。本当に激動でした。もともと新卒から臨床の外科病棟でずっと働いていたんですが、生まれつき股関節に少し不自由があって、普段の生活には支障はなかったんですけど、出産をきっかけに悪化してしまい、手術が必要になりました。両股関節を手術した後、夜勤や長時間の立ち仕事がどうしても難しくなってしまって。でも、看護の仕事自体は大好きだったので、「何か経験を活かせる形で続けられないか」と考えていたところ、知り合いから声をかけてもらって、看護大学で教育助手として働くことになったんです。

岸田 なるほど。臨床から教育の現場へとステージを移されたんですね。そしてその後、少しずつ体調が悪くなっていく――ここで下がっていく時期に入りますね。「体調不良」「原発不明がん」「ステージⅣ」といったキーワードがありますが、このあたりの経緯を教えてください。

中庭 最初は本当に何の症状もなかったんです。看護大学で実習指導をしていたんですが、あるとき白衣のボタンが少しきつく感じるようになって、「年齢的に中年太りがきたのかな」と思っていました。けれど鏡を見ると手足は細いままで、お腹だけがふくらんでいて違和感がありました。職業柄、体のことは分かっているはずなのに、「食欲もあるし、便も出てるし、吐き気もないから大丈夫」と自分に言い聞かせてしまって……。でも、だるさや微熱が続くようになり、「これはおかしい」と感じ始めました。お腹を触ると、自分でも腹水がたまっていると分かるくらいパンパンで、「なぜもっと早く気付かなかったんだろう」と思いながらも、以前一緒に働いていた開業医の先生のところに駆け込み、「すべての検査をしてください」とお願いしました。

CT、エコー、レントゲン、採血、腫瘍マーカー――すべての検査をしてもらい、結果が出そろったときに主人と一緒に呼ばれました。CT画像を見た瞬間、自分でも分かりました。お腹の中が転移だらけだったんです。先生も肩を落としながら、「抗がん剤で少し命を延ばすことはできるけれど、かなり厳しい」と。頭が真っ白になって、「ああ、もう自分は死を待つしかないんだ」と思いました。その時点ではまだクリニックだったので確定診断は出せなかったんですが、画像からは「おそらく卵巣がんの転移ではないか」と言われました。医療者として冷静に理解しながらも、心では「もう終わりなんだ」としか思えませんでした。

一応、セカンドオピニオンをすぐに受けたほうがいいと言われたので、その先生が福岡市内の総合病院の先生につないでくださり、「この方をすぐに診てください」と紹介してもらいました。そこで、ようやく病名が分かることになったんです。

岸田 看護職をされていたからこそ、分かってしまう部分もあったんですね。そして、そこから少し上がっていく。ここで「腹膜偽粘液腫」という病名が分かることになります。

中庭 そうなんです。福岡市内の総合病院で、最初は卵巣がんの疑いということで婦人科を受診しました。主治医の先生が「この病気の手術を過去に2、3回担当したことがある」とおっしゃっていて、診察の結果、「卵巣がんではなく、腹膜偽粘液腫(ふくまくぎねんえきしゅ)」と診断されました。これは卵巣の中にできた粘液腫が破裂して、飛び散った粘液性の腫瘍細胞が腹腔内のあちこちに貼り付き、増殖していくという病気なんだそうです。その説明を聞いて、「なるほど、だから転移のように見えるんだ」と理解できました。

「なぜ採血データでは異常が出ていないのか」と尋ねたら、「このがんは普通の悪性腫瘍と違って臓器に浸潤せず、外側に張り付くタイプだから」と言われました。だから血液検査上は元気に見えていたんだと納得しました。この病気は手術が可能ではあるけれど、腹腔内に広がっているため非常に大変な手術になる――そう説明を受けました。

岸田 そうなんですよね。このグラフの青色がネガティブ、赤色がポジティブを示しているんですが――中庭さん、病名が分かったタイミングは“赤”、つまりポジティブだったんですね。

中庭 そうなんです。最初は「もう死を待つしかない」という絶望の中にいたので、病名がはっきり分かったこと、そして手術ができると聞けたことが本当に大きかったです。完治は難しくても「生きられるかもしれない」と思えた瞬間でした。少しでも生きたい――そう強く思ったので、病名が分かったときはむしろ前向きな気持ちになっていました。

岸田 そこから治療へと進んでいくわけですね。開腹手術を受けられたと。グラフには「根治不可」とありますが……。

中庭 そうなんです。頼みの綱と思って臨んだ手術でしたが、腫瘍をすべて取り切ることはできず、残存した状態で閉腹となりました。担当の婦人科の先生には本当に良くしていただいて、先生も「ここまで頑張ってきたのに、もう何もできないとは言いたくない」と言ってくださって。
先生自身もいろいろ調べてくださり、「大阪にこの病気に詳しい専門医が1人いる」と教えてくれました。自分の病院ではできる治療に限界があるので、「効かない抗がん剤を続けて悪化を待つか、それとも大阪に行って新しい治療に挑むか。どちらを選びますか」と。

突然の選択で迷いました。大阪の病院のことは少し知っていましたが、ネット上には良い情報も悪い情報もあり、なかなか決断できなかったんです。そんなとき、婦人科の先生の知人に、その大阪の病院で非常勤として働いている先生がいると聞いて、「まずその先生に会って話を聞いてみたらどうか」と提案していただきました。

入院中でしたが、外出許可を取って主人と一緒にその先生に会いに行きました。画像も見てくださって、「大阪の先生は本当にすごい。普通ならできない手術をする人だ。あなたもきっと大丈夫。何もせずに待つより、行きなさい」と力強く言ってくださって。その言葉で心が決まりました。雲が晴れるように、「よし、頑張ろう」と思えたんです。

岸田 「普通ではできないことをする先生」――まさにゴッドハンドですね。その言葉で一気に前を向けたわけですね。そして実際に大阪でセカンドオピニオンを受けられた。この赤色が高くなっているのは、かなりポジティブな経験だったんですね?

中庭 はい。大阪の専門医に実際に会ったとき、その先生は本当に前向きな方で、どの患者さんにも希望を与えてくれる方なんです。診察室に入って最初の一言が「治るでー」でした。関西弁で(笑)。
医療者として「治る」なんて簡単には言えない言葉だと分かっているだけに、その言葉を初対面で聞いた瞬間、胸が熱くなって、涙が出ました。たとえ100%ではなくても、「治るかもしれない」という言葉だけで心に火が灯ったんです。残っている腫瘍も、この先生なら取ってくれるかもしれない――そう強く思えました。

岸田 本当に希望を与えてくれる言葉ですよね。そうして再び「治療に向かう力」を取り戻された。そして次に行われたのが「腹腔抗がん剤治療」ですが、これは通常の抗がん剤とは違うんですよね?

中庭 はい。この病気は腹腔内に腫瘍が浮遊しているため、血流に乗せる静脈投与の抗がん剤では効果がないんです。私の腫瘍は悪性度がそれほど高くなかったこともあって、「お腹の中に直接抗がん剤を入れる方が効果的」と説明を受けました。
幸い、最初の手術のときに婦人科の先生が「腹腔ポート」という抗がん剤投与用の装置を入れてくださっていたので、そのルートから投与ができることになったんです。

しかも通常なら大阪まで通わなければいけないのですが、福岡にいる先生(大阪の先生の知人)が「うちでやってあげるよ」と言ってくださって。非標準治療なので実施できる医師が少ない中、「自分が引き受ける」と言ってくださったのは本当にありがたかったです。
大阪まで通う負担や経済的な心配も減って、「福岡でもできるだけで感謝しよう」と前向きに腹腔抗がん剤治療をスタートしました。

岸田 ありがとうございます。今回の治療は希少がんならではの特殊な治療で、標準療法が確立されていない中で模索されたということですね。ご覧になっている方も、まずは主治医に相談しながら治療法を探してほしいと思います。

さて、腹腔抗がん剤治療を始めてから――ここで少し下がっていく場面があります。「イレウス(腸閉塞)」が発症した時期ですね。

中庭 はい。開腹手術をしているうえに、お腹に抗がん剤を入れるので、腸の動きが悪くなってしまったんです。二つの影響が重なって、典型的な合併症としてイレウスになってしまいました。約3週間、チューブを入れて入院しました。

ただ、幸運なことに手術を予定していた前日に造影検査をしたら、腸が開通していたんです。「もう大丈夫です」と言われて、そのまま手術せずに退院できました。本当に奇跡のようでした。あのときは一度落ち込みましたが、また希望を取り戻して、少しずつ上向いていった時期です。

岸田 そしてグラフは再び上昇していきます。もう一度、腹腔抗がん剤を再開し、その後、退職からパート勤務へと変わっていきます。やはりお仕事を続けるのは難しかったのでしょうか。

中庭 そうですね。私は出産後もずっとフルタイムで働き続けてきたんですが、病気になって初めて、「毎日働くのはもう難しいな」と感じました。看護師はシフト制なので、周りにも迷惑をかけてしまうし、自分も「お休みください」と言い出しづらくて。
それなら、もう生きることに専念しようと思ったんです。もちろん県外への治療はお金もかかりますが、生きなければ何も始まらない。だから勤務形態を変えて、2週間に1回の治療を胸を張って受けられるように、いったん退職してパート勤務にしてもらいました。職場の理解があって、本当にありがたかったです。

岸田 職場の配慮があってこそ、治療と仕事を両立できたんですね。
さて、そこからグラフは少し下がっていきます。たくさんの専門用語が出てきますが、まず「開腹手術」「術中温熱腹腔内化学療法」――これは“ハイペック”と読むんですよね?

中庭 はい、「HIPEC(ハイペック)」といいます。これは腹腔鏡ではできないので、大きくお腹を開けて行う手術です。今回は残っている腫瘍を取ることが目的でした。私の場合は腹膜を取りながら、横隔膜、胃の半分(幽門側を残す)、大網・小網、脾臓、胆のうなど、転移しやすい臓器を予防的に切除しました。
私自身、残存腫瘍だけを取ると思っていたので驚きましたが、胃には浸潤していたようで、結果的に複数の臓器を切除することになりました。

この病気は「播種性(はしゅせい)」といって、目に見えない細胞レベルでお腹の中に広がる可能性があるため、手術で腫瘍を取っても再発リスクが残ります。そこで行うのが、この「HIPEC(術中温熱腹腔内化学療法)」です。47度の生理食塩水に抗がん剤を混ぜた液体をお腹の中で約40分かけて循環させ、臓器の表面に浸透させるという方法です。非常に大変な治療ですが、今のところ腹膜偽粘液腫に対して最も有効とされる治療法なんです。

岸田 なるほど。初めて聞く治療法です。そんな大がかりな手術を経て……その後、「予後不良」とありますが、少し厳しい結果だったんですか?

中庭 はい。手術自体は無事に終わったのですが、体への負担が大きく、体調の変化も激しかったです。さらに術後の病理結果の説明で先生にこう言われました。
「腫瘍は全部取れたけどな、運悪く“印環細胞(いんかんさいぼう)”がおるで」と。
この印環細胞というのは悪性度が高く、進行が早いタイプの細胞です。そして私の腫瘍は“ハイグレード”――つまり再発しやすい分類だったんです。

「印環細胞が見つかったこと」「ハイグレード型であること」――この二つが揃って、再発リスクが非常に高い。先生から「予後は厳しい」と言われました。ただ、すべて取り切れていたので余命の話はされず、再発予防のために抗がん剤を内服し続ける必要があると説明を受けました。

岸田 つまり、再発を防ぐための内服抗がん剤を始められたんですね。ですがその後、マーカーが再び上昇して……薬物療法を追加されたと。

中庭 そうです。「ゼローダ」という抗がん剤を2週間服用して1週間休むというサイクルで続けていました。副作用もあってつらい時期もありましたが、次第に腫瘍マーカーが下がっていって。

その間、静脈からの抗がん剤も何度か併用しました。効かないとは分かっていても、何とか上昇を抑えたくて試しました。結果的にマーカーが落ち着き、少しずつ体調も回復していったんです。

岸田 そしてグラフは再び上昇します。ここで“復職”とありますね。えっ……復職されたんですか?すごいですね。

中庭 はい、そうなんです。少しずつ患者としての時間が長くなってくると、心まで病気にむしばまれていくような感覚になるんですよね。体は元気でも、「また再発するかもしれない」「このまま死んでしまうのかな」なんてことをつい考えてしまう。自宅にいると、どうしてもそういう思考に引き込まれる瞬間があるんです。

でも、私はやっぱり看護という仕事が本当に好きで、「この経験を前向きに生かしたい」と思うようになりました。それに、現実的なことを言えば、経済的にもかなり厳しくなるんです。お金に余裕がある人なら「無理して働かなくていいよ」と言えるのかもしれませんが、私の場合は、医療費を少しでも捻出しなければならなかった。生きるために働く、という気持ちでした。

同時に、患者としての経験を通して見えるものがたくさんありました。だからこそ、看護師として今の患者さんたちに何か還元したい、教育の現場でも「自分のような患者がいる」ということを伝えたい――そういう思いが強くなっていったんです。

岸田 すごいですね。生きるため、そして使命のような気持ちで復職されたわけですね。ただ、そこから少し下がっていきます。「タール便」と「吻合部潰瘍(ふんごうぶかいよう)」とありますが、これはどういうことなんですか?

中庭 はい。復職していたのは、主人の知り合いの病院と、以前勤めていた大学の両方でした。体調を見ながら働く形だったんですが、ある日、病棟勤務中にトイレへ行ったとき、真っ黒な便が出たんです。お腹にも鈍い痛みがあり、「これはおかしい」と思いました。

昔の私なら「仕事中だから」「帰ってから病院行こう」と我慢していたと思います。でも今は、自分の体を優先しないと、かえって病院や周囲に迷惑をかけると分かっていたので、すぐに師長さんに報告しました。理解のある職場で、すぐに休ませてもらって、先生にも診てもらい、その日のうちに紹介状を書いてもらって受診できました。

胃潰瘍かなと思っていたんですが、実際は胃を切除したときの“つなぎ目”――つまり吻合部に潰瘍ができていたことが分かりました。胃カメラで確認して、すぐに絶食と点滴で出血を止める治療を行い、その後は内服治療で回復しました。

岸田 なるほど。これまでの治療の副作用、あるいは合併症の一つだったわけですね。

中庭 そうだと思います。手術や抗がん剤の影響が少しずつ体に蓄積していたのかもしれません。

岸田 そして……そこからまたグラフが下がっています。「マーカー上昇」と。これは再発が確認されたということですか?

中庭 はい。数値がじわじわと上がってきていたので、「きっとどこかで活動してるな」と覚悟はしていたんです。でも、実際に画像で“はっきり”再発の影が見えたときは、やっぱりショックでした。「またか……」と。

岸田 どの部位に再発が見つかったんですか?

中庭 今度は画像上で、十二指腸の近くに3センチ×3センチほどの腫瘍があると言われました。ただ、定期的に経過観察していたおかげで早期に見つかり、「小さいうちに取れば大丈夫、取るだけやで」と先生はいつものように前向きに言ってくださって。
でも私は、「先生、簡単に言いますけど、また20センチくらい切腹ですよ」と冗談めかして言いつつも、内心は本当に怖かったです。とはいえ、それしか治療法がない以上、腹をくくるしかありませんでした。

何度も開腹手術を繰り返すと、体の負担は大きくなり、抗がん剤の影響もあって合併症のリスクも上がります。だから今回は「取ればいいんだ」と素直に思えなかった。同じ病気で手術を重ねて悪化していく仲間の姿も見てきたので、1回目のときと同じくらい恐怖があり、毎日泣きながら過ごしました。

岸田 そうですよね。本当に怖い決断だったと思います。そのうえで、今回も開腹手術とHIPEC(術中温熱腹腔内化学療法)を受けられたんですよね。

中庭 はい。1度目の手術のときとは違って、今回は腫瘍が小さかったので、その部分だけを切除して、再発予防のためにもう一度HIPECをしてもらいました。本来、HIPECは1回きりの治療なんです。何度も手術していると臓器が癒着してしまい、温熱化学療法の効果が薄くなると言われているんですが、先生が「あなたはまだ若いし、もう一度やってみよう」と配慮してくださったんです。本当にありがたかったです。

岸田 先生の判断と信頼関係があってこその決断だったんですね。そして、そこからグラフはまた上がっていきます。復職――すごいです。今も薬物療法を続けながら経過観察をされているという状況だと思いますが、体調はいかがですか?

中庭 体調はとてもいいです。マーカーは少しずつ上がっていて、正直「不気味だな」と思うこともありますが、それでも今は日々の生活が楽しくて、幸せを感じながら過ごせています。

岸田 本当にすばらしいです。――というわけで、こちらが中庭さんのペイシェントジャーニーとなります。ありがとうございました。

【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 そんな中庭さんに、ここからは「大変だったこと」「困ったこと」、そして「それをどう乗り越えたか」についてお伺いしていきたいと思います。
まず“大変だったこと”として挙げていただいたのが、治療選択への葛藤、そして地元病院との連携という点です。これは具体的にどういうことだったんでしょうか。

中庭 この病気――腹膜偽粘液腫は本当に希少で、まず情報がほとんどないんです。ネットで調べても、大阪の病院や、私が受けた手術に関する情報は出てくるんですけど、ポジティブな情報とネガティブな情報が入り混じっていて、何を信じていいのか分からない状態でした。
だから私は、正しい情報を自分の手で得ようと思って、腹膜偽粘液腫の患者会に自ら入り、実際に会長さんにもお会いしました。自分が納得できるまで、できる限りの情報を集めたんです。

この病気の手術は侵襲がとても大きく、術後も体の変化が大きいんです。管がたくさん入って、歩けない、食べられない――そういう期間が長く続きます。
だから“完全に元気な状態で地元に戻る”というのが難しい。私は幸い、口から食べられるようになって、点滴も外れた状態で退院できましたが、それでも1本は管が残っていました。

本当は地元でも入院を勧められましたが、私は看護師という職業柄、「自宅で自分で処置をしながら通院します」とお願いして、先生にもその旨を書面で伝えてもらいました。
でも、そういう対応ができない人も多く、地元の病院でベッドを確保してもらったり、治療の引き継ぎをお願いしたり――遠方の専門病院と地元病院の連携って、本当に大変なんです。

岸田 確かに、専門病院と地元の医療機関をつなぐって簡単じゃないですよね。そういう部分もご自身で調整されていたと。
では、それをどう乗り越えたのか――「納得するまで医師の話を聞く」「適度な覚悟を持つ」とあります。この“適度な覚悟”というのは、どういう意味なんでしょうか。

中庭 はい。この病気の特徴なんですが、私のように“手術で生きている人”がいる一方で、「治る」と言われても実際にはうまくいかないケースもあるんです。
とても大変な手術なので、成功しても合併症や後遺症に苦しむ人もいます。それが現実です。だから、「絶対に治る」と信じるのではなく、最悪のケースも理解したうえで臨む覚悟が必要だと思いました。

私は「正しい情報を得て、こういうリスクもあるけど、それでも自分は頑張る」と腹をくくるようにしています。これは脅しでも何でもなく、本当に自分の身をもって学んだことです。

それに、先生も全国から患者さんを診ている有名な方なので、そう頻繁には話せません。だから私は、質問を全部メモして行ったり、ボイスレコーダーで記録したりして、限られた時間を無駄にしないようにしました。
先生から「こうしましょう」と言われても、すぐに「はい」とは答えず、「なぜその治療を選ぶのか」をちゃんと確認して、自分の理解で納得してから進める――そういう姿勢を意識していました。

岸田 なるほど。先生がとても忙しい中でも、限られた時間を最大限活用して、**「お任せする」ではなく「自分の命を自分で理解する」**姿勢を貫かれたわけですね。

中庭 そうです。もう“食らいついてでも聞く”という感じです(笑)。
やっぱり先生任せではなく、自分の人生ですから、自分で理解して選ぶ――それが一番大事だと思います。治療を受けている皆さんにも、ぜひそうしてほしいなと思います。

【メッセージ】

岸田 ありがとうございます。本当にあっという間の時間でしたね。ここで、中庭さんから視聴者の皆さんへメッセージをいただいております。闘病されている方も多くご覧になっていると思います。そんな中庭さんの言葉が、こちらです。

中庭 『当たり前の日常こそ最高の幸せ!
この言葉の意味は、病気を経験された方なら痛いほど分かると思います。私たちが普段、何げなく過ごしている時間――家族とご飯を食べること、疲れて眠ること、仕事に行くこと、子どもの宿題を見てあげること――そういう“当たり前”が、実は本当に尊いんです。
でも、その当たり前は失って初めて気付くんですよね。「あのときの自分は幸せだったんだ」「病気になるとこんなこともできなくなるんだ」って。

もちろん、病気になってよかったなんて簡単には言えません。でも、病気を通して“感じられること”があるのも事実です。悲しみも喜びも、生きているからこそ感じられる感情なんだと気付けた。だから今では、つらいことも、ありがたいことも、すべてに感謝できるようになりました。

生と死を常に意識しているからこそ、今という瞬間を大切に生きようと思える。がんサバイバーの皆さんには、ぜひ「今」を一緒に楽しんでほしいです。そして、この番組を見てくださっている一般の方々には、どうか“当たり前の生活”を奇跡だと思って、今日という日を大切に過ごしてもらえたらうれしいです。

岸田 本当にその通りですね。何気ない日常こそが、どれだけ貴重か――僕自身も強く感じました。今日この瞬間をどう生きるか、その大切さを改めて教えていただいた気がします。そして、その時間の中で「がんノートmini」を選んでくださって、本当にありがとうございます。

中庭 いえ、こちらこそ。少しでも誰かのお役に立てたならうれしいです。

岸田 ありがとうございます。それでは、これにて『がんノートmini』を終了したいと思います。
中庭さん、本当に貴重なお話をありがとうございました。

中庭 ありがとうございました。

岸田 それでは皆さん、またお会いしましょう。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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