目次

※各セクションの「動画」をクリックすると、その箇所からYouTubeで見ることができます。

インタビュアー:岸田 / ゲスト:川畑

【オープニングトーク】

岸田 それでは、がんノートminiスタートいたしました。きょうのゲストは川畑さんです。よろしくお願いします。

川畑 お願いします。よろしくお願いします。

岸田 よろしくお願いします。川畑さんの眼鏡でブルーライトがすごく光っていますけれども。

川畑 すみません。見にくかったら。

岸田 いや。でもそれも、後でも出てきますけど、後遺症のこととかもいろいろあったりとかするんですもんね。

川畑 そうですね。一応考えた上でこういうブルーライトにしてます。

【ゲスト紹介】

岸田 ということで、ありがとうございます。そんな川畑さんの自己紹介のスライドがこちらになります。川畑翔平さん、出身も愛知。今も愛知にいらっしゃる。名古屋にいらっしゃるっていうことですね。

川畑 そうですね。

岸田 お仕事が理学療法士、趣味はスポーツ鑑賞、ゴルフということで。スポーツは何見られるんですか。

川畑 そうですね。もともと野球を高校までやってたので、やっぱり野球を見るのが一番多いですかね。特に名古屋ドームが名古屋はあるので。そこに、最近はあんまり行ってないですけど、昔は年1回、年2回とか行ってたりとかいう感じですかね。あとは、サッカーとかも結構見るのが好きなので、にわかではあるんですけど、ワールドカップとか。

岸田 すごい。

川畑 深夜でもすごい見ちゃいますね、そういうときは。

岸田 じゃあ、名古屋グランパス?

川畑 名古屋グランパスとかはあんまり見に行かないですかね。

岸田 見に行かない。

川畑 実際に見に行くのは野球がメインでって感じですかね。

岸田 ありがとうございます。そして、ゴルフもご趣味だということと。あと、がんの種類が嗅神経、か。ごめんなさい、言えてない。嗅神経、お願いします。

川畑 嗅神経芽細胞腫です。

岸田 嗅神経芽細胞腫という希少ながんで。ステージが3、4って書いてるのはなぜかというと、

TMN分類というものがあって、Tが4、Mが0、Nが0なんで、Cという診断だったんですよね、川畑さんね。

川畑 そうですね。

岸田 Cという診断だったので、またこれは、詳細はちゃんと希少がんセンターに確認しておこうと思っています。結構大きかったということはあるっていうことですね。

川畑 そうですね。一応。

岸田 お願いします。

川畑 他に転移はなかったんですけど、鼻の中でも、一応、脳の硬膜まで浸潤してたということで、A、B、Cの中で一番下のCっていう感じに診断は下ってます。

岸田 ありがとうございます。しっかりしたがんの情報に関しては、がん情報サービスさんだったり、希少がんセンターさんだったりとか、いろんなしっかりしたところの情報を見てください。僕たちのがんノートに関しては、患者さんの、どういう経過だったり、心情だったのかといったところを追っていきますので、そこだけご了承いただければと思います。

岸田 告知年齢に関しては、28歳、今は31歳で。治療法が、手術と放射線をされていっているということになります。そんな川畑さんなんですけれども、川畑さんの、この後、どういうふうな治療経過をたどっていったのか、それをお伺いしていきたいなということを思っています。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 その川畑さんのペーシェントジャーニーは、こちらになります。紆余曲折の、本当にばーっと下っていって、ちょっと上がって、また下って、そしてちょっと今上がるというふうな形かと思いますけども、そこのところをいろいろ伺っていきたいなと思っています。まず最初のところ、川畑さんこんな形です。どん。理学療法士になった。これ、もともとなりたかったんですか。川畑さん、理学療法士。

川畑 そうですね。高校生のときに、最初は教師とかにもなりたかったんですけど、金八先生が僕すごい好きで。知ってますかね、金八先生。武田鉄矢の。

岸田 分かる。3年B組。

川畑 それまでそうやって思ってたんですけど。高校生のときに、医療に興味があるなっていうのに気付いて、親からもこういう仕事あるよってことでいろいろ聞いて、理学療法士になろうかなと思って、高校卒業と同時に学校に入りましたね。

岸田 理学療法士になられて、病院等で働くということですね。

川畑 そうですね。

岸田 そしてまた上がっていきます。それは、どん。プロポーズ。いきなり仕事からプライベートになってるんですけど、これはどういうことですか。

川畑 当時、付き合ってた彼女がいたんですけども、同い年だったので、ちょうど27歳だったので、そろそろ結婚しないといけないなと思いましてプロポーズさせてもらったっていう感じなんですけども。

岸田 プロポーズして人生の頂点にいく。これ以上のいいことは、今後出てこないですからね。

川畑 そうですね。グラフでも頂点ですもんね。

岸田 そんな中、ちょっと下ってきます。何かというと、鼻血が出ていくということで。鼻血は普通の鼻血ですか。

川畑 そうですね。腫瘍も右側なんですけど、右側から、普通に家にいて寝ようと思ったら

川畑 急に鼻血が出てきて。止まるかなと思ってたんですけど、全然1時間くらい止まらなくて。ていうので、一応、鼻に栓詰めて、そのまま寝て。次の日も止まらなかったんでっていうので、病院に行ったって感じですね、次の日に。

岸田 病院に行って、そこから、病院での診断はどうだったんです?

川畑 取りあえず止血してもらって、CT撮って、副鼻腔炎とかかなみたいなことで。

岸田 こちらですね。副鼻腔炎っていうのは。ということで。

川畑 薬とか、取りあえず、鼻の止血の照射だけやってもらって、お薬もらってって感じですね。治療はそれで終わりみたいな感じでしたね。

岸田 ただ、そこからまた下がっていきます。何かというと、再度出血していくということで。

岸田 再度出血、これも同じような感じでした?

川畑 そうですね。それ、1年後くらいなんですけど、最初の出血からですね。1年後くらいに同じ感じで、鼻血がまた1時間、2時間止まらなくてって感じですね。

岸田 それは怖いですね。そのときも止血してもらって。

川畑 そうですね。同じ感じで止血だけしてもらって、止血剤のお薬だけもらってって感じですね。

岸田 そしてまた、再度出血していき、そしてそのときは切除もされていくということなんですけど。これは、どういうことでしょうか。

川畑 また、その1カ月後くらいに出血しちゃって。鼻の中、カメラで見てもらうと、ポリープみたいなのがある。

岸田 ポリープ。

川畑 そこから血が出てるねっていうことで、取りあえず、そこの原因のところを入院して、手術で切除してもらうって感じで。

岸田 このとき、青色がネガティブな感情、赤色がポジティブな感情っていう形で。白色がどちらでもないということだったりするんですけど。切除したとき、ポジティブな感じで、これで終わったみたいな感じで思ったってことですよね。

川畑 そうですね。一応、それからは鼻血は出なくなったので。取りあえず、これで鼻血出なくなったっていうので、よかったなっていうことで、ポジティブな感情にさせてもらってますね。

岸田 そして、そこからどん底に下がっていきます。何があったのか、それはこちらになります。どん。ここで、嗅神経芽細胞腫が発覚していくということなんですよね。これは、どういうふうに発覚していったんですか。

川畑 切除のところの、手術したときに取ったものを細胞診検査、出してもらってたんです。それをずっと結果待ちしてたんですけども、それで1カ月後ぐらいですかね、呼び出されて。そこで、取ったものが恐らく悪性のものだろうっていうことで、急きょCTMRIっていう検査になりましてって感じで。それで、確定診断下ったって感じですね。

岸田 結構、一番まだ落ちてるってことは、嗅神経芽細胞腫って言われても分かんなくないですか。

川畑 そうですね。一応、僕、病院で働いてたので。

岸田 そっか。

川畑 何となく、先生が英語で書いてたんですけど、英語の感じが、結構悪性のもんなんだろうなっていう感じを、ずっと。ちょっと分かる分、受けちゃったので。あと、予想だにしてなかったんですよね、僕が。取れて、鼻血が止まって、これで一段落ついただろうってことで、全くその予想をしてなかったので。予想しないとは思うんですけど。

岸田 確かに。

川畑 それで、一気に落ちて。どうしたらいいんだろうっていう。今後どうなるんだろうっていうので、もう一気に落ちてしまったって感じですね。

岸田 いや、ほんまにそうだと思います。一気に落ちていって、そこから、ちょっとだけ上がっていきます。それは何かというと。どん。え? 上がっていくっていっても、待って。全然上がらへんやん、もう。これより、え? 白紙って、どういうことですか。

川畑 プロポーズしてて、婚約中で結婚式も4カ月後にしようと思ってたんですけど、いったん白紙に。治療もしないといけないしっていうところで、いったん白紙になりまして。それで、彼女と話して治療を頑張ろうってことで、白紙にはなったけども、まだ。

岸田 治療を終えたら戻ろうと。

川畑 どん底よりは前を向けたかな、治療をってことでですね。もちろん、落ちてはいるんですけど、どうしたらいいんだろうみたいな感じのときよりは、治療に専念して頑張ろうってことで。

岸田 まず治療に専念するといったところでの白紙ということでした。そして、ちょっとだけ下がっていきます。何かというと、このときに手術されてるんですね。これ、何て書いてあるんですか。内視鏡。

川畑 頭蓋底腫瘍摘出術。

岸田 という手術をされたということで。結構、すごい脳の手術、脳っていうか頭蓋骨の手術? 脳の手術。

川畑 鼻からやるんですけど。嗅神経なので鼻の中なんですけど、鼻の中からいって、周りの骨とかも取って、頭蓋骨もちょこっとだけ、鼻の中から下からいじってるって感じですかね。骨をちょっと取ってるって感じですね。

岸田 そうなんですね。そういう手術をされて、そして、また下がっていきます。何か悪いことあったたんかな。どん。次も治療なんですね。放射線治療の陽子線をされたということですね。

川畑 そうですね。

岸田 これは、手術だけじゃ無理で、陽子線治療をしようってなったってことですか。

川畑 手術して、目に見える分には取り切れたよってことで先生から言われとったんですけど。目に見えないところ、細胞レベルで残ってるかもしれないよって。だから、そういう治療がスタンダードみたいで、腫瘍を取って、その後に放射線治療、陽子線治療。放射線治療ですね。

川畑 放射線治療をやるのが、一般的なこの病気のスタンダードらしくてって感じで。最初は、同じ病院のがんセンターの放射線に行ったんですけども、名前忘れちゃったんですけど、そこの種類の放射線治療だと、目が多分、恐らく失明するだろうってことで。

岸田 怖っ。

川畑 てことで、陽子線治療のほうがピンポイントに当てれるみたいだったので。それで、そちらに紹介状を出していただいて、そちらで受けに行ったって感じですかね。

岸田 ありがとうございます。見てる皆さん、治療法だったりとか、それはしっかり主治医に確認していただいて。あくまでも、今回、川畑さんの経験談ということでご了承いただければと思います。そして、陽子線治療を受けていって、上がっていきます。それは、陽子線治療を終了していって、そして、仕事復帰していくという形かと思います。仕事復帰できたときは、この中でも、結構上目な感じですけども、帰れたって感じですよね。

川畑 そうですね。一応、もともとやってた仕事に復帰。体力的には、かなり最初はしんどかったですけど、何とか治療も終えて戻ることができたっていうことで。でも、最初はやっぱり、丸っと3カ月半ぐらい休んどったんですけど、最初は丸1日働くのがしんどかったですね。

岸田 そうですよね。なかなか体力的なところだったり、あとは、理学療法士の皆さん、ずっと立ちっぱなしじゃないですか、基本。

川畑 そうですね。

岸田 だから、体力大変やろうなと思います、本当。どれぐらい慣れてきました?

川畑 2カ月ぐらいたてば、だいぶ慣れたんですけど。最初は朝起きて、朝8時半ぐらいに

職場に行くこと自体がしんどかったですね。

岸田 ですよね。

川畑 ちょうど、手術するってなって、今実家なんですけど、実家のほうに戻ってきたので。それまでは、もうちょっと職場に近いところで1人で住んどったので。一応、今も実家から通うことになっててことで、ちょっと遠くなっちゃったので。そういうのもあって、最初はすごい疲れましたね。

岸田 けど、徐々に慣れていったってことですよね。

川畑 そうですね。

岸田 そして、川畑さんの、そこからめちゃくちゃ下がっていく、がんの発覚レベルで下がっていくときが、川畑さんのこちらになります。どん。婚約破棄ということで、これは衝撃的すぎるんですけど、お伺いしてもいいでしょうか。

川畑 一応、治療終わって、彼女とも何とかやっとったんですけども、向こうの親からも反対されちゃってたのもあって。

岸田 それは、がんだから?

川畑 がんもあると思うんですけど。

岸田 がんだけじゃなくて、性格的に反対?

川畑 結婚しようとしとったんですけど、あんまりお金もそんなにすごいあったわけじゃないし。

岸田 いや。そんなだって、20代はそうよ、みんな。

川畑 でも、がんになって、言うたら先が分かんないというか、僕も分かんなかったですし、誰も分かんないと思うんですけど。病気になってない人よりは、不満要素は大きいじゃないですか。ていうのもあって、反対されちゃってた部分があって。

岸田 そうか。

川畑 彼女は頑張ってくれようとしてたんですけど、板挟みになっちゃってるのもあって。

岸田 そうね。そうか。

川畑 1回、僕が直接、向こうの親と話したこともあって。そういうのをいろいろ聞いて、僕も気持ち的にだいぶ折れちゃったのもあって、こんな状態でずるずるいっちゃっても、お互いのためにならんかなと思いまして。ていうので、1回別れたほうがいいかなと思いまして。という感じですね。

岸田 別れたという形ですね。そっか。

川畑 そういう決断をしたという感じですね。

岸田 ありがとうございます。そこから上がっていきます。上がっていくって言って、右目が見にくくって、ちょっと待って。右目が見にくくなって、そして、放射線網膜症っていう。どういうこと、これ。さっきの、あれか。当てたから?

川畑 そうですね。陽子線やって、ちょっとずつ右目がぼやけるところがあるなっていうのをちょっと思い始めて。それで、2カ月ぐらいたって、あれだなと思って、1回眼科に受診したら、検査したら、恐らく、経過的にそういうことだろうっていうことで。放射線網膜症。

岸田 レーザー手術していくということですね。

川畑 そうですね。

岸田 これ、日帰り?

川畑 日帰りで2回やったって感じですね。日帰りで。

岸田 そして、いずみの会といったところ。これは、患者会ですか。

川畑 これは、多分、名古屋から本拠だと思うんですけど、患者会があって。その頃から、自分のこういう経過、こういう経験を、何かに。僕も病気になったときに、いろんなもともとなった人のブログを読んだりして、すごい勇気付けられたんで。そういうような何か役に立てないかなと思って、いろいろ患者会とかを見てたんですけど。それで、そこに。いろいろ本読んだりもして、いずみの会を見つけさせてもらって、入会させてもらってって感じですね。

岸田 そして、下がっていきます。いずみの会に何があったのか、じゃないか、じゃないですね。

川畑 いずみの会じゃないですね。

岸田 すみません。じゃないです。ちょっと待って、右目、これ、お願いします。

川畑 右目の硝子体出血ですね。

岸田 右目めっちゃ大変なことになってますね。

川畑 一応、1年半ぐらい眼科に通ってますかね。

岸田 レーザー手術でよくなったんじゃないんや。

川畑 レーザー治療は、よくなるというよりも、悪くならないように、進行を止めるって感じなんですよね、恐らく治療の目的が。それで、その後も、視力は若干弱いんですけど、0.9とか0.8ぐらいだったかな、眼鏡掛けてて。それだったんですけど、急にもやがかかるようになっちゃって。これ、何か起きたなっていうことで眼科に。その日、仕事半日で休ませてもらって、行ったら、硝子体出血っていうので診断されてっていう感じですね。お薬、今飲んでます。

岸田 そういう形。最後は上がっていきます。どんと。少し回復したんですね。よかった。

川畑 今はだいぶ、0.7ぐらいかな。一番悪いときは、眼鏡掛けてで0.1とか0.2だったんですけど。なんで、あんまり見えないみたいな感じだったんですけど。今は、0.7ぐらいまで見えるようになったんで。見えるようになるとテンション的には。

岸田 ですよね。

川畑 上がりますね。

岸田 だから、眼鏡もそれ用というか、それ用って、普通の眼鏡やけど。

川畑 レーザーとか言うよりは、普通に目を大事にしたほうがいいなってことで、パソコンとかスマホとか、今使うんで、絶対。ブルーライトをカットしたほうが目の保護にはなるだろうなと思って。目の健康のことを思ってこれにしてますね。

岸田 ですよね。めっちゃ青く光ってますからね。いいと思います。

川畑 そうなんですよね。どうにか、この青いのをならないように改良してくれないかなと思うんですけど。

岸田 確かにね。

川畑 青くならない上でブルーライトをカットしてくれるような眼鏡、ないかな。ありますかね。

岸田 けど、色付きのやつとかあったような気がするけど、ただ、それが反射がどうかっていうのは、僕も分からへんな。もし、何かいい情報あったら、ぜひまた共有したいと思います。

川畑 ぜひ。

岸田 ありがとうございます。そんな川畑さんのペーシェントジャーニーは、こんな形で、本当にいろいろ経験をされてきたと。特に、婚約破棄が本当にもう、僕的には、ずしんとくる中でも今は元気に過ごされているという。ポジティブにって、無理にポジティブじゃないですけど、過ごされているということかと思いますけれども。

【お金・活用した制度】

 

岸田 そんな中、ゲストエクストラということで、ちょっとだけいろんな項目に触れさせてください。まずこちら。お金活用した制度ということで、高額療養費制度、傷病手当金などを活用されています。民間保険がNGということを書かれているんですが、これはどういうことになるんですかね。

川畑 一応、最初のポリープの手術をしたときに、その後に民間保険に加入したんですけども。同じ鼻の部位だったので、民間保険は3年間は使えないという特約付きで加入したっていうことで。加入した後にすぐ発覚したので、それで使えなかったっていう。

岸田 ですよね。ただ、加入はできていたけど、同じ。

川畑 同じ部位だったから。

岸田 部位だったので使えなかったと。

川畑 他の部位だったら、多分、大丈夫なんですけど。

岸田 それは分かんないですもんね。それががんだったって知らないですからね本当ね。

川畑 そうですね。一応、結婚する予定だったので、入っておいたほうがいいかなってことで加入したんですけども。

【大変だったこと→工夫したこと】

岸田 そして、大変だったこと、工夫したことということで。大変だったことは、メンタルの維持。そして、工夫したことは、新たなことへの挑戦や瞑想、リラックスと書いていただいております。メンタルの維持っていうのは、治療に向けてのメンタルの維持ってことですかね。

川畑 そうですね。治療も、最初は頑張ろうって気持ちが強かったんですけど、治療の期間が、陽子線が2カ月ぐらい通ってたのかな、2カ月っていうのが結構長かったんで。やっぱり途中でめげそうになるというか、という感じで維持が大変だったなってことと。

川畑 婚約破棄とか、それに関しての気持ちの揺らぎっていうのが、今はだいぶ落ち着いてるんですけど、その頃はすごいあったので。維持っていうのが、結構、維持できてたのかな、分かんないですけど。何とかしようみたいなのがすごい大変だったなって思いがありますね。

岸田 何とかするために、新たなことに挑戦したり、瞑想、リラックスしていったと。1日の中で、リラックスできる時間をつくったりしていったってことですか。

川畑 そうですね。瞑想も、大事だっていうのも本読んで学んだので。それを、1日の中に1分でも2分でもやろうとかしたりとか。

岸田 すごいね。マインドフルネスってやつですね。

川畑 そうですね。あとは、趣味のゴルフに行くようにしたりとか、いずみの会、入るとかっていうのも新たな挑戦。何かしら自分から行動しようっていうので。そういうことは、いろいろ考えて、今も考えてますね、やっぱりずっと。

【がんの経験から学んだこと】

岸田 ずっと考えられていると。そんな中、次、こちらになります。がんの経験から学んだことになりますね。川畑さんががんの経験から学んだこと、こちらになります。心身ともに健康であることが一番の幸せであること。こちらについて、川畑さん、この意図をお伺いできますでしょうか。

川畑 そうですね。病気になる前は、健康であることが当たり前で。20代だったっていうのもあるんですけど、当たり前で思ってたんですけど。当たり前が一気に崩れちゃったのもあったので、ずっと心も体も健康であることが生きていく上で何よりも幸せなことだなっていうのは、すごい病気で痛感して。それまでは、自分の体を、ジャンクフードをいっぱい食べちゃったりとか。

岸田 僕もやってた。

川畑 1人暮らしで全くお風呂に入らなかったりとか、シャワーだけにしちゃったりとか。あれもよくなかったなと、今思うと思いますし。体に全然気に掛けてなかったなっていうのが、今思うとすごいありますね。だから、やっぱり健康であることが一番大切やなと思いますね。

岸田 全ての、本当に。何をするにしても健康が大切になってきますからね。

川畑 健康でないと何もできないので。

岸田 ありがとうございます。そんな川畑さん、本当にいろんな経験談いただいて。これから川畑さんのご多幸を祈念する感じでいるんですけども。

川畑 ありがとうございます。

岸田 一気に堅くなる、俺も。川畑さん、いろんなことを教えていただいて、本当に健康が大事なんだなと。20代だから、健康を度外視してっていうんじゃなくて、20代のうちから健康を大事にしていくということを学ばれたという川畑さんでした。川畑さん、これからもお仕事含め、そして川畑さんが今後、ご結婚されることも祈っております。全然あれですよね、祈られても、お前ないやねんっていう感じだと思います。

川畑 いえいえ。まずは健康であることが大事なんで。

岸田 そうですね。祈っております。

川畑 はい。

岸田 きょうのゲスト、川畑さんでした。本当、きょうはどうもありがとうございました。

川畑 ありがとうございました。

岸田 ありがとうございました。

 

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
*がん経験談動画、及び音声データなどの無断転用、無断使用、商用利用をお断りしております。研究やその他でご利用になりたい場合は、お問い合わせまでご連絡をお願い致します。

関連するみんなの経験談