目次

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インタビュアー:岸田 / ゲスト:住野

【オープニング】

岸田 それでは、がんノートminiスタートしていきたいと思います。きょうのゲストは、住野さんです。よろしくお願いします。

住野 よろしくお願いします。

【ゲスト紹介】

岸田 住野さん、よろしくお願いします。では早速、プロフィールを拝見していきたいと思います。こちらです。ご出身は広島県、そして今も広島にお住まいということですが、広島といってもけっこう広いですよね。広島市ですか? どちらのほうなんでしょう。

住野 東広島市のほうになります。

岸田 東広島市ということで。そして今は看護師としてご勤務されている。趣味は映画鑑賞ということですが、住野さん、おすすめの映画はありますか。

住野 おすすめは『ショーシャンクの空に』です。洋画なんですけど。

岸田 号泣必須の名作ですね。

住野 そうですね。

岸田 そして、がんの種類が「膵内分泌腫瘍」。これまた希少がんのひとつですよね。

住野 はい、希少がんに分類されています。

岸田 ステージは1、告知年齢は39歳。そして現在40歳ということで、ちょうど昨年告知を受けて治療をされてきた、ということでしょうか。

住野 そうです。ちょうどこの時期に告知を受けました。あれからちょうど1年になりますね。

【ペイシェントジャーニー】

岸田 そして、治療方法としては薬物療法と手術を選択されたということになりますね。ではここから、住野さんのペイシェントジャーニーについて伺っていきたいと思います。住野さんのペイシェントジャーニー、こちらになります。こちらが2020年から2021年、そして現在に至るまでの約1年ちょっとの期間に、住野さんがどのような紆余曲折を経験されてきたのか──その流れが可視化されたものになります。

岸田 ペイシェントジャーニーの最初の段階に、すでに人生の大きなハイライトが来ていますね。「これ以上の幸福はない」という、とても充実した時期が描かれています。この1年ちょっとの間に、本当に怒涛の変化があったのだと感じます。では順を追って伺っていきたいと思います。

 まずはこちら。シングルマザーとなり、看護師になり、念願のマイホームを購入する──まさに三連劇のような、めまぐるしい出来事が続いた時期ですね。

 住野さん、今はシングルマザーとして生活されているということですが、お子さんは何名いらっしゃるのでしょうか。

住野 子どもは3人います。

岸田 3人のシングルマザー。本当に、子育てにお仕事に、頭が下がります。そして看護師になられたと。看護師も勉強から実習まで大変ですよね。しかも30代でということは、一度社会に出てからの学び直しという形ですか?

住野 そうですね。全然違う仕事をしていたんですが、シングルマザーになって、生活面を考えるようになって。看護師を目指し、学校に入り直しました。

岸田 すごい行動力です。そして念願のマイホームにも住まわれている。そんな良い時期から、ペイシェントジャーニーでは一気に下がっていきます。次はこちら、健康診断に引っかかる

 これは職場、つまり病院での健康診断だったんですか?

住野 はい。仕事場の健康診断で引っかかりました。

岸田 血液の値が悪いというよりは……?

住野 血液は全く異常なかったんです。でも、お腹のエコーで「あれ?」となって。追加でCTを撮ったら、また「何か見えるね」という話になりました。

岸田 なるほど。それでさらに検査を受けるために病院へ。

住野 紹介状をいただいて、大きな病院に行きました。翌日にはすぐ受診しました。

岸田 大きな病院では、どんな検査を?

住野 CTとMRI、血液検査。そして改めてお腹のエコーも取りました。

岸田 そこから……どん、と一番下がります。膵臓がんの告知。最初から膵臓がんと言われたんですか。

住野 はい。細胞診の結果を含めて「おそらく膵臓がんだろう」ということで告知を受けました。

岸田 膵臓がんは、がんの中でも生存率が低い部類ですよね。看護師としての知識もあって、余計にショックだったのでは。

住野 本当に……生存率の低さが頭に浮かびましたし、子どもたちのこと、これからの生活のことがまず心に浮かびました。

岸田 ですよね。そこから治療に入っていきます。次がこちら、薬物療法──ゲムシタビンとTS-1。これは術前の化学療法として行ったんですね。

住野 はい。腫瘍を小さくしたほうが手術が良いということで、術前療法として併用して行いました。

岸田 この薬物療法、つらさはどうでしたか? 副作用もいろいろありますよね。

住野 正直、思ったほどつらい副作用はなくて……。

岸田 それは本当に良かった。

住野 肌が黒ずんだり、味覚障害はありましたけど、日常生活ができないほどの強い副作用はなかったですね。

岸田 そうなんですね。つらい副作用が少なかったのは本当に良かったです。そしてその中で──犬を飼い始めた、と。これも何かきっかけがあったんですか?

住野 一人親というのもあって、家の雰囲気を暗くしたくなくて。みんなで癒やしを求めて、犬を迎えました。

岸田 みんなの癒やし、大事ですよね。だからここで気持ちが少し上がっているんですね。そして……また下がっていきます。次に待っていたのが手術。膵体尾部切除術ということですが、これはどんな手術ですか。

住野 がんのある部分──膵臓の約3分の2を、脾臓と一緒に切除する手術でした。

岸田 大きな手術ですよね。入院期間はどれくらいでしたか?

住野 2週間弱でした。

岸田 なるほど。そしてここで少し上がる出来事が。「膵内分泌腫瘍」という告知です。これは膵がんに比べると気持ちが上がった、と。どういう理由でしょう?

住野 最初は膵がんと言われていたんです。でも手術の結果、生体検査をしてもらったら「膵内分泌腫瘍だろう」という結果で。膵内分泌腫瘍は進行がゆっくりで、膵がんより悪性度が低いタイプなんです。それで少し気持ちが上がりました。

岸田 そういうことだったんですね。膵がんより悪性度が低かったから、感情が少し上向いた、と。確かにこの病名は、医療者でも聞かないことがありますよね。

住野 私も初めて聞きました。

岸田 看護師でも初耳のがんですよね。そしてここからさらに上がっていきます。セカンドオピニオンを受けた──これはやっぱり情報が少ない分、専門性を求めて行かれた感じですか?

住野 そうですね。もっと専門の先生に聞きたくて、もう一度生体検査もしてもらいました。セカンドオピニオンでは、前の病院では“グレード2”だった悪性度が“グレード1”と言われて。詳しい説明も聞けて、情報が増えたことで、安心して見通しが立ってきた感じでした。

岸田 ちなみに、同じ病気の患者さんって少ないと思うんですが、セカンドオピニオン先はどうやって探したんですか?

住野 膵内分泌腫瘍の患者会があって、そこの代表に連絡したんです。すぐ電話をくださって、詳しい先生や病院の情報をたくさん教えてくれました。コロナ禍だったんですけど「勇気を出して行ってみたらいいですよ」と背中を押されて、行くことができました。

岸田 患者会の力、大きいですね。地域的には大阪の病院で受けたと伺っています。

住野 はい。一番近い選択肢が福岡か大阪で、大阪に行きました。

岸田 グレードが下がったことで、セカンドオピニオンを受けてよかったと感じられましたか?

住野 はい。情報も増えますし、気持ちの安心感が全然違いました。

岸田 ありがとうございます。そして──残念ながらここからまた下がります。“副作用などの悩み”。これは手術や薬物療法による影響でしょうか?

住野 そうですね。看護師として知識はあったはずなのに、自分の手術後の痛みは想像以上で……。動けないほどつらい日もありました。20〜25センチくらい切開しているので、傷がなかなか治らなかったり、化膿したりもしました。

岸田 傷口が化膿……それ、かなりしんどかったですよね?

住野 はい。感染症には至りませんでしたが、お腹いっぱい食べると傷口が開くような感じがあって。

岸田 ええっ……食べるのも怖くなりますよね。

住野 そういう影響もあって、おなかいっぱい食べられない状態が続きました。膵臓も切除していますし、糖尿病というほどではないのですが、低血糖が出たり……。体のあちこちに不調が出て、しんどい時期でした。

岸田 傷口の化膿は、薬で対応したんですよね。

住野 はい。塗り薬で治していきました。幸い、熱までは出なかったので、外用薬で済みました。

岸田 そんな大変な中で──住野さん、ストイックに資格の勉強も始められたんですよね。何の資格だったんですか?

住野 その時期、体も心もつらくて……自分の心の状態を理解したいという思いもあり、心理カウンセラーの資格を通信講座で取ろうと決めました。

岸田 心理カウンセラーを。学び始めたところで、少し気持ちが下がっているのが見えます。精神的に不安定になっていったのは、ご自身の心の動きに向き合って苦しくなったところもあったのでしょうか。

住野 そうですね……。自分でもケアできなくなってしまいました。

岸田 これは、いろんな負荷が重なったからでしょうか。精神的にしんどくなった背景というと?

住野 思うように動けない身体の状況にくわえ、子どもたち3人がそろって思春期に入り、受験も重なって……。長男の高校受験もあり、すべてを1人で抱え込んでしまって、限界でした。それで心療内科に駆け込んだんです。

岸田 心療内科では、少しでも気持ちが楽になりましたか……? あ、今のお話で察しました。

住野 漢方薬は処方されましたが、気持ちがスッと晴れるような感じには正直、なりませんでした。

岸田 リアルなお話をありがとうございます。そんなもやもやの中で──一人で子育てをされていたら、本当に大変だったと思います。どんな毎日でしたか。

住野 自分に余裕がない状態で、思春期の子が3人。毎日、家事や学校のことに追われて、正直いっぱいいっぱいで……考える余裕もありませんでした。

岸田 毎日、洗濯して、ご飯を作って、お世話して……想像するだけで大変です。

住野 こなすだけで精一杯の毎日でした。

岸田 そんな中で、ここで気持ちが少し上向いています。心療内科ではなく、お子さんの高校入学と、心理カウンセラー資格の取得が理由だったんですね。入学は大きな転機でしたか?

住野 はい。安心感がありました。

岸田 このあたりは受験の真っただ中だったんですよね。

住野 そうです。ちょうど受験期でした。

岸田 それは気を使いますね。資格取得もできて、確かな自信につながった部分もあったのだと思います。そして……残念ながら、ここからまた下がっていきます。腹痛があったとのことですが、どんな痛みでしたか?

住野 みぞおちが強烈に痛くなって、動けないほどでした。救急車を呼ぼうか迷うくらいの痛みが、急に来たんです。

岸田 急に。

住野 はい、突然です。

岸田 そのまま病院へ行かれたんですよね。原因は何だったのでしょうか。

住野 手術の合併症なんですが、少し遅れて出てきた形です。切除した膵臓の部位から膵液が漏れ、袋状にたまってしまって……膵液には“溶かす”作用があるので、それで激しい腹痛が起きたようです。

岸田 それで行われた治療が──名前が長いですね、「超音波内視鏡下 膵仮性嚢胞ドレナージ」。これはどんな処置なんでしょう?

住野 口からカメラを入れて、胃まで進めます。そこから胃の壁に小さな穴を開けて、膵液が漏れている部分をめがけて針を刺すんです。そこに管を通して、膵液を排出する処置になります。

岸田 漏れている膵液を外に出すということですね。漏れている箇所は縫ったりはしないんですか?

住野 ステントと呼ばれる細いチューブのようなものを入れて、漏れた膵液が胃の中へ流れるようにつなぐ感じです。

岸田 ステントって、管のようなものですよね。

住野 はい、実物は見てはいないのですが、細いチューブのようなものだと説明を受けました。

岸田 胃に戻す形なんですね。医療の詳細は、ぜひ主治医や信頼できる医療情報サイトで確認していただければと思いますが……このグラフが下がっているということは、やはりこの時期も大変な状況だったということですよね? 腹痛も、急な入院も、ステント留置も。

住野 そうですね……。実は腹痛が起きた1週間後には、職場復帰の予定が決まっていたんです。体調も良くなってきていたので、「よし、ここからまた頑張ろう」というタイミングだったんです。でも、急に入院になってしまって……かなり落ち込みました。

岸田 それは落ち込みますよね。職場復帰の予定はどうされたんですか? 延ばしてください、とお願いされたんですか。

住野 はい。師長さんに相談させていただいたら、「治療に専念していいよ」と言ってくださって……甘えさせてもらいました。

岸田 そこから社会復帰できるまで、どれくらいの期間かかったのでしょう?

住野 実は、まだ復帰していないんです。9月に復帰予定です。

岸田 9月ですか。もう少しですね。今はその準備段階にいらっしゃる、と。

住野 そうですね。

岸田 そして、ここに「今までの振り返り」とありますが、これはどんな時間だったのでしょうか。急にセンチメンタルな言葉が出てきていて。

住野 この1年間、本当にいろいろあり過ぎて……。子どもたちのことも、自分のことも、ゆっくり考える余裕がまったくなかったんです。入院中にやっと立ち止まれて、子どもへの接し方や、自分がこれまで無理をしてきたことなどを振り返る時間になりました。

岸田 振り返ってみて、どう感じましたか?

住野 よかったと思っています。そのまま勢いで仕事復帰していたら、また無理をしてしまっていた気がします。

岸田 確かに、どこかのタイミングで立ち止まり、自分を客観視することってすごく大事ですよね。そして、この後、気持ちがまた上がっていきます。英会話学校へ通い始めたんですね。どんなきっかけがあったのでしょう。

住野 入院中にいろいろ考える時間があって……自分が本当にやりたいことは何だろうと考えたときに、いつかボランティアナースとして海外で働けたら、という大きな夢が浮かんだんです。そのための一歩として、英会話教室に通おうと決めました。

岸田 海外で活躍するナース……すごい夢ですね。

住野 大きすぎるかもしれませんが、夢を持つことは大事だと思って。

岸田 いや、すばらしいです。本当に、体調が大変な中で資格を取得し、さらに英会話学校にも通い始め、シングルマザーとして子育てもして……その前には看護師の資格を取り、マイホームも建てて……。すごいです、住野さん。

住野 ありがとうございます。

岸田 ということで、これが住野さんのペイシェントジャーニーでした。本当に貴重なお話をありがとうございました。

【おすすめの本】

岸田 ここからは、住野さんの“ゲストエクストラ”として、今のご自身に影響を与えた一冊をご紹介いただきたいと思います。今回ご紹介いただくのは、横田慎太郎さんの『奇跡のバックホーム』です。住野さん、この本を推薦された理由を教えていただけますか。

住野 自分を振り返る時間の中で読ませてもらったのですが、横田選手がプロ野球選手になって、闘病を経て復帰し、そして引退試合に至るまでの歩みが描かれている一冊なんです。

 私は、がんになったことを「隠したい」「なかったことにしたい」と思ってしまっていた時期が長くて。でもこの本を読んで、横田選手が目標を持って前に進んでいく姿や、自分の経験を誰かの希望につなげていく姿に触れて、すごく影響を受けました。

岸田 分かります……横田選手は阪神タイガースの選手でいらっしゃって、2019年に脳腫瘍を患われ、視力低下にも苦しんでおられました。視力が十分に回復しない中で迎えた引退試合、外野を守っているときにフライが上がって──。

岸田 普通なら捕れない状況のはずなのに、それをしっかり捕って、さらにバックホームで走者をアウトにした。まさに“奇跡のバックホーム”。鳥肌が立つようなプレーでした。

【大変だったこと→乗り越えた方法】

岸田 横田慎太郎さんの闘病記には、当時の心境や歩みが丁寧につづられていて、本当に胸を打たれます。もしよろしければ、皆さんもぜひ手に取ってみてください。それでは続いて、ゲストエクストラとして、「大変だったこと」と「乗り越えた方法」について伺っていきたいと思います。

 住野さんが挙げてくださった大変だったことは、コロナ禍での孤独な入院、そして一人親としての苦労、さらに子どもたちへの対応や説明の難しさでした。これらをどのように乗り越えてこられたのか。まずは、それぞれのご経験についてお聞かせいただけますか。

住野 コロナ禍の入院は、本当に孤独でしたね。面会もできず、誰とも会えなくて。ただ、先ほど紹介してもらった本を読んだりして、気持ちを落ち着かせていました。一人親なので、子どもたちに心配をかけたくなくて、なかなか人に弱音を吐けなかったんです。でも、自分だけで抱え込むのは無理だと思って、市の相談窓口や、がん相談の電話など、利用できる制度は全部使いました。納得できるまで、とにかく相談しましたね。

岸田 いろいろな窓口に相談されたとのことですが、「この電話が助けになった」というものはありますか?

住野 はい。私の病気が希少がんだったこともあって、希少がんの相談専用ダイヤルに何度か電話させてもらいました。それから、さっきお話しした患者会の方にも相談しました。本当に親身になって話を聞いていただいて、安心できました。あとは、市にも何度か相談をして、自分の中で納得できる方法を探していきました。

岸田 そして、もう一つの大きなテーマが “子どもたちへの説明や対応” ですね。

住野 はい。中学生・小学生の思春期の子が3人いるので……正直、一人で抱えるのは無理でした。これまでは、人に頼るのが得意なタイプではなかったんですが、今回はもう頼るしかなくて。親や友達に、そのまま自分の気持ちを話して、助けてもらいました。相談したり、支えてもらったりすることが、あれほど心強いものなんだと実感しましたね。

岸田 頼ることって、本当に大切ですよね。子育て、闘病、生活、不安……すべてを一人で抱えるのは誰だって難しい。親御さんやご友人の存在が、住野さんを支えてくれたんですね。

【がんの経験から学んだこと】

岸田 周りの存在って、本当に大事ですよね。支えてくれる人がいるというだけで、心の持ち方が全然違ってくると思います。ありがとうございます。それでは続いて、「がんの経験から学んだこと」をお伺いしていきたいと思います。

 住野さんは、人に甘えること、皆に感謝すること、そして 気持ちと体を大切にすること──この三つを挙げてくださいました。それぞれどんな気づきがあったのか、ぜひ教えていただけますか。

住野 まず、がんになってすぐの頃は、「がんになった自分が悪い」と思い込んでしまっていました。偏見みたいなものですよね。一人親ということもあって、「自分でなんとかしなきゃ」「全部背負わなきゃ」と思い込んでいましたし、病気のことも忘れたい、隠したい、そんな気持ちもありました。

 でも、がんって誰のせいでもないし、自分一人でどうにかできることばかりじゃないんですよね。だからこそ、頼ること、甘えることが本当に大切なんだと気づきました。支えてくれた人たちには、感謝してもしきれません。

 それから、私はずっと自分の気持ちを後回しにしてきたタイプだったんですが……やっぱり自分の体がないと家族を守れないんですよね。しんどいときはちゃんと休む。食べたいものを食べる。やりたいことに正直になる。そういうふうに価値観が大きく変わりました。

岸田 まさに、生き方そのものが変わったという感じですよね。今回の経験があったからこそ気付けた部分もあって、振り返る時間がすごく大きな意味を持ったんだと思います。今も経過観察など続いていると思いますが、子育てと向き合いながら、本当に毎日頑張っていらっしゃると思います。

 どうか無理をし過ぎず、これからも住野さんらしく歩んでいただけたらと思います。僕たちも全力で応援していますし、今日見てくださっている皆さんにも、ぜひ住野さんを応援してもらえたらと思います。

 ということで、本日のがんノートmini、いかがだったでしょうか。住野さんの、濃くて深いこの1年のペイシェントジャーニーをじっくり伺うことができました。本日のゲストは住野さんでした。どうもありがとうございました。

住野 ありがとうございました。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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