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インタビュアー:岸田 / ゲスト:柴田

赤い服がトレードマーク『自分を元気づける色』を大切にする柴田さん

岸田 本日のゲスト、柴田さんです。柴田さん、改めまして簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか。

柴田 私は三重県桑名市に住んでいます。柴田景子と申します。肺腺がんのサバイバーです。現在はパートで働いています。家族は5人で、主人は現在、中国天津市に単身赴任中です。長男、長女、次男の3人の子供がおり、長男と次男は今東京で働いています。今は長女と二人暮らしをしています。よろしくお願いします。

岸田 柴田さん、赤がお似合いですね。赤がお好きなんですか?

柴田 はい、赤が好きで、自分を元気づける色だと思っています。

岸田 元気づける色か!確かにそういうのは大事ですよね。僕もがんノートのカラーとして緑色をよく着ていますが、色って大事ですよね。

柴田 ビタミンカラーって感じでいいですよね。緑や黄色、オレンジとか。

岸田 そうですね。赤は情熱の色とも言われますし。

さて、もう少しお話を伺いたいのですが、ご趣味は読書や映画鑑賞と伺っています。おすすめの映画や、感動した作品などありましたら教えていただけますか?

柴田 一番印象に残ったのは『最高の人生の送り方(見つけ方)』という映画です。海外版もあり、日本では天海祐希さんと吉永小百合さんが主演でリメイクされています。

岸田 それはぜひ観たいですね。ありがとうございます。

柴田 色々話すとネタバレになってしまうので(笑)本当に素敵で素晴らしい映画です。

岸田 ぜひ皆さんにも観ていただきたいですね。ありがとうございます。

母の胸腺がん死去から1年後に肺腺がん告知|感情の変遷と治療選択の実際

岸田 柴田さんは肺がんの肺腺がんと診断され、ステージ2A、告知は52歳の時、現在58歳。治療は手術と薬物療法を受けてこられました。今日は柴田さんがどのような経過をたどってこられたのか、その感情の浮き沈みをグラフのように表し、吹き出しの色分けも使ってお伝えできればと思っております。

それでは早速ですが、柴田さんの「ペイシェントジャーニー」と呼ばれる感情のグラフをご紹介します。

岸田 比較的低い位置からスタートして、少しずつ上昇していくような流れになっています。では、具体的に見ていきましょう。

まず最初の出来事ですが、お母様が罹患されたのは肺腺がんではなく、「胸腺がん」という種類のがんだったんですね?

柴田 はい、胸腺がんです。

岸田 胸にできるタイプのがんということですね。このお母様のがんが最初の出来事だったわけですね。お母様ががんであることは、どのようにして分かったのでしょうか?

柴田 「なんだか息苦しい」と言い出して、神社の掃除に行く際に、以前はスッと階段を上がれたのに、途中で休憩を挟むようになったんです。「歳のせいかしら」なんて言っていたのですが、念のため検査を受けたところ、がんが見つかりました。手術もしましたが、その後も再発を繰り返してしまって…。

岸田 それで、感情的にはかなり落ち込んだ時期だったと。

柴田 はい、その頃は少し落ち込んでいましたね。

岸田 そこから少し気持ちが上向いていきます。ご主人が中国に単身赴任されたこと、長男さんが成人されたことなどがあったタイミングですね。最初の自己紹介でも少し触れられていましたが、このあたりはポジティブでもネガティブでもないという感情だったと。

柴田 そうですね。長男が成人したことには、ここまで育てたなという安心感もありました。一方で、夫が家から離れてしまったことに対しては、やっぱり少し不安がありましたね。子どもたち3人と私で大丈夫かなって。

岸田 なるほど。完全に一人ではなかったけど、ご主人がいない中で「私に父親の代わりも務まるかな」といった不安があったんですね。

柴田 はい、そういう思いもありました。

岸田 それで、この時期は感情的にはちょうどプラスマイナスゼロのようなバランスだったと。そして、その後、お母様がご逝去されたという出来事が。

柴田 はい、そうです。

岸田 何度も治療を繰り返されてのご逝去ということで、また感情が落ちていった。

柴田 はい、悲しみはもちろんありました。ただ、母は酸素ボンベを常に使用していて、最終的には酸素を最大にしても「海で溺れているみたいに苦しい」と言っていたので…。母がいなくなるのはとても悲しかったけれど、「これで少しは楽になったのかもしれない」と思う部分もありました。ですので、完全にネガティブではなく、葛藤の中での少し上向きのネガティブといった感情でした。

岸田 なるほど、悲しみの中にも少し救いがあったと。次に、夏風邪かな?と感じるような咳が出始めたと。これはどのような症状だったんですか?

柴田 普通の風邪とちょっと違うなと思っていました。風邪だと痰が絡んだりしますが、この時は乾いた咳、空咳のような嫌な咳だったんです。

岸田 なるほど。それは四六時中出るような感じでしたか?それとも夜とか?

柴田 常に出ていましたね。水分を取って少し喉が潤うと一時的に落ち着くことはありましたが…。

岸田 それはどのくらい続いたんですか?

柴田 だいたい1ヶ月くらいですね。

岸田 それは長いですね。そこで、近所の病院に行かれたんですね。

柴田 はい。自分では「マイコプラズマ肺炎かな?」と思って受診したんです。最初は風邪薬や喘息の薬を処方されましたが、薬が効かなくて、「やっぱりおかしいよね」という話になり、胸部X線を撮ることになりました。

岸田 はいはい。

柴田 すると、「ちょっと気になる影がある」と言われて、CTを撮ることになりました。CTでも「やっぱり気になるから大きい病院に行った方がいい」と言われ、紹介状を書いてもらいました。その時に思い出したのが、半年前の会社の健康診断で胸部X線の再検査が出ていたことです。

岸田 半年前。

柴田 半年前、忙しさにかまけて行かなかったんです。

岸田 なるほど。あの時行っておけば…という後悔ですね。健康診断で肺に何かあるっていうサインは、実は半年前からあったんですね。

柴田 そうなんです。

岸田 その時は、「忙しいし、まぁいいか」って感じだったんですか?

柴田 体にまったく違和感もなかったし、「明日でいいか」「来週でいいか」「来月でいいか」って、先延ばしにしてたら、いつの間にか半年経ってました。

岸田 その咳が出た時は、健康診断の再検査のことは頭になかった?

柴田 最初は結びついていなかったですね。でも「大きな病院に行った方がいい」と言われたタイミングで、ようやく思い出しました。

岸田 なるほど。忙しくて再検査を後回しにしてたけど、いざ症状が出てきてようやくリンクしたんですね。ちなみに近所の病院に最初行ったとき、薬が出てからレントゲンを撮るまではどのくらいでした?

柴田 2週間くらいだったと思います。

岸田 2週間で薬が効かず、レントゲン・CTって流れですね。それで大きな病院に行くことになって。そこでどんな検査を受けられたんですか?

柴田 まず肺の内視鏡検査をしました。

岸田 肺の内視鏡ですか。胃カメラとかはよく聞きますけど、肺の内視鏡ってどうなんですか?痛みとかありますか?

柴田 口から入れて、気管支に沿って肺までカメラを入れるんですけど、麻酔はします。最初にウィダーインゼリーみたいな麻酔薬を口に含んで、「5分間そのままにしてください、絶対飲み込まないでください」って言われて。もう唾液がすごく出て、ガーゼで押さえながら耐えるんですよ(笑)。

柴田 5分経ったらそれを吐き出して、次に先生がペンチみたいな器具で舌を軽く引っ張るんです。

岸田 うわ、それは「おえっ」てなりますね。

柴田 そうなんです。「おえっ」てなりながらも、さらに喉の奥に霧吹きで麻酔をかけて、意識が少しぼんやりする薬を打たれます。その状態でカメラを挿入されるんですけど、気管支から肺に落ちるほんの十数秒の間に、すごく咳き込むんですよね。

岸田 やっぱりそうなるんですね。動いたら危ないですしね。

柴田 そう、だから看護師さんに腕を軽く抑えられて、「動かないでね」って声をかけられながらの検査でした。

岸田 なるほど。その内視鏡で病変を採取されたんですね?

柴田 はい、先端にピンセットみたいなものがついていて、それで病変を採取して病理検査に回しました。その間にPET-CTと脳のMRIも受けました。

岸田 ただ、ちょうどお盆休みの時期に重なったんですよね。

柴田 そうなんです。8月初めに病院に行って、結果が出たのはお盆明け。検査が続いて、もやもやした期間がすごく長かったです。2週間以上待ちました。

岸田 そしてお盆明けに、肺腺がんの告知を受けることに。

柴田 そうです。その時はステージⅠと診断されました。

岸田 咳などの自覚症状があって病院に来ると、多くの場合ステージⅢやⅣのこともあると聞きます。ステージⅠっていうのは「不幸中の幸い」と医師に言われたそうですね。

柴田 はい。でもそのときは、「何が幸いなの?」って思ってしまいました。

岸田 あぁ…。

柴田 「これって不幸じゃん」って(笑)。がんって聞いた時点で、死ぬかもしれないって思ってしまって。母もがんで亡くなっていて、その記憶が強く残っていたので、余計にそう感じたんです。

岸田 ちょうどお母様が亡くなられて1年くらいだったんですよね。

柴田 はい。だから「不幸中の幸い」なんて言われても、全然そんなふうに思えませんでした。ステージ上がっちゃったんだって。化学療法するんだってちょっと落ちましたね。これで治療終わると思ったけど、まだ治療しないといけないんだって。

岸田 そこから化学療法に入る前に、少し気持ちが上向く時期があったんですね。それがこちら、鍼灸を受けたということなんですが。お灸とか針の治療ですか?

柴田 はい、鍼灸治療ですね。なぜ鍼灸を始めたかというと、手術のあとに肺にちょっと水が溜まってたんです。手術は外科の先生が担当ですが、化学療法は呼吸器内科の先生になるんですね。その内科の先生と話していた時に、「これだけ水が溜まっていると、化学療法はできません」と言われたんです。

岸田 ええ、そうだったんですね。

柴田 はい。「これはもう無理ですね」ってはっきり言われてしまって。「ああ、そうなんだ」と思って。なんかその時、「ああ、私、お医者さんに見放されたのかな…」みたいな気持ちになったんですよ。何もできないのかなって。家で長男と話してたら、彼が「東洋医学もあるよ」って言い出して。長男、大学で東洋医学を学んでいて、今は鍼灸師をやってるんですが、その時はまだ学生だったんです。

岸田 なるほど。

柴田 それで、「西洋医学でダメなら東洋医学があるじゃん」って言われて、週1回、3回か4回くらい鍼の治療に通ったんです。

岸田 そうなんですね。

柴田 そしたら思いのほか、水が早く引いて。先生も驚くくらい。「こんなに抜けたんだ」って。それで「じゃあ、化学療法できるね」と言われたんですけど……ただ、ちょっと“今さら感”がありました。

岸田 “今さら感”。

柴田 だって「できません」と言われたからこそ、「じゃあ」と思って東洋医学の方にシフトしたのに、急に「やっぱりできます」って言われて。もちろん良いことなんだけど、「あれ?じゃあ私は今、何を選べばいいんだろう?」って、ちょっとモヤモヤして。

岸田 ああ、そうか。急に言われても、素直に喜べないというか。

柴田 そうそう。で、化学療法を受けるなら「3週間入院して、1週間自宅に戻る」を4クール。つまり、年末からずっと入退院を繰り返すことになる。それが12月に入った頃だったんです。

岸田 はいはい。

柴田 その頃、長男と相談したら、「年明けには国家試験がある」と。そして次男は中学3年生で、私立高校、県立高校と受験が続く。そんな中で私が入院していたら困る、って二人とも言うんです。

岸田 そりゃあ、ほんとに大事な時期ですもんね。しかもお父さんも頻繁に帰れる場所にいるわけじゃない。

柴田 そうなんです。だから「何か他の方法はないか」と考えていたら、外科の先生が「飲み薬の抗がん剤もあるよ」と。でも内科の先生は「飲み薬で本当に大丈夫?やっぱり入院して治療した方がいいんじゃない?」と。

岸田 そこは判断が分かれたんですね。

柴田 はい。その場に長男もいたんですけど、彼が先生に「患者にもそれぞれのバックグラウンドがあるんですよ」って言ってくれたんです。

岸田 おお、かっこいい!

柴田 でもね、先生も「飲み薬の抗がん剤だと、5年後の命の保証はできません」とはっきり言ったんです。その時に思ったんですよ。今、この子たちは、私のことを必要としている。5年後、次男は20歳、長男は27歳くらい。もう大人になって、もしかしたら結婚してるかもしれない。その未来を考えるよりも、「今」子どもたちのそばにいることが大事なんじゃないかって。

岸田 うんうん。

柴田 だから「飲み薬を選びます」とはっきり言いました。「5年後にもし再発しても、それは私の自己責任。先生のせいにはしません」と。そのときに、自分で腹をくくりました。2年間、飲み続けようって。

岸田 治療方法としては、入院しての抗がん剤がエビデンス的には有効だけれども、飲み薬もある。その中で、自分の生活背景や家族の状況を天秤にかけて、飲み薬のほうを選ばれたんですね。で、そこから少し気持ちが沈む時期に入っていくんですね。

柴田 はい、ちょっと落ちましたね、実際。自分で決めたこととはいえ、「本当にこれでよかったのかな?」って。でも、自分で決めたことに責任を持とうと。

岸田 うん、そうですよね。ちなみに、飲み薬の副作用ってどうでした?

柴田 やっぱり、吐き気やだるさ、気分の落ち込みとかはありましたね。

岸田 そうですか。それを2年間ずっと続けたんですね。

柴田 はい。でも鍼灸治療をしながらだったので、鍼灸の先生も「今こういう薬飲んでるんですよね」って理解してくださって。吐き気が強い時は、それに合わせた施術をしてくれたりして。

岸田 うまく付き合いながら進めていかれたんですね。

柴田 そうですね。

岸田 そして、また気持ちが上がっていく。それがこちら、「がんピアサポーター」「がん教育外部専任講師」。おお、こういう活動にも広がっていったんですね。

柴田 はい。治療中、それこそコロナ禍で、何もできなくなっちゃったんです。患者会も行けなくなった。でもその時、オンラインでいろんな取り組みが始まっていて。「オンラインで患者会やってるよ」と教えてもらって、そこに参加してみたんです。

岸田 なるほど。

柴田 そしたら「今、オンラインでピアサポーターの資格も取れるよ」って教えてもらって。じゃあ、受けてみようかなって。

岸田 うんうん。

柴田 もう一つきっかけがあって、友達が乳がんでオンラインサロンに入ってたんです。その友達が「私、乳がんなんです」って言ったら、サロンの主催者がすごく話を聞いてくれて。「大事な話だからもっと聞きたい。あなたの話をシェアしてほしい」って声をかけてくれたので、私もそのサロンに入りました。

そこにいたある方が、「景子さん、あなたの経験は誰かの役に立つ日が必ず来るよ。だから、あなたの人生で起きたことを、なかったことにしちゃダメよ」って言ってくれたんです。

岸田 大事な言葉ですね。

柴田 最初は「そんなもんかな?」って半信半疑だったんですけど。でも、「がんのことって、周囲の人は聞きたくても聞けない」って言われて。「傷つけちゃうかもしれない」「失礼かもしれない」って、いろんな人が遠慮してしまうって。だからこそ、患者の側から発信することで、「あ、こういうこと考えてるんだ」とか「ここに困ってるんだ」とか、伝わるんだよって教えてくれたんです。そこから少しずつブログを始めて、発信し始めました。

岸田 そしてピアサポーターとして、がん教育の活動にもつながっていったと。

柴田 はい、そうなんです。

岸田 その後は、薬物療法も無事に終了したんですよね。

柴田 終了しました。2年間、頑張りました。

岸田 2年間しっかり続けて、今はどうなんですか?薬の服用はもうされていない?

柴田 はい。今は服用していません。年に1回ぐらいCTと血液検査を受けるくらいですね。

岸田 それは本当によかったですね。肺にももう影は見られない?

柴田 はい、特に問題はありません。

岸田 よかった。そして今では、いろんな活動も始められていると。いろんな場面で、お話をされたりされているんですよね。

柴田 はい。そうですね。

経口抗がん剤の副作用実録|突然の気分落ち込み・膀胱炎・口内炎への対処法

岸田 ここからは項目ごとにお聞きしていきたいと思います。

まずは、副作用や後遺症について。先ほど、飲み薬の時に「吐き気」や「だるさ」があったというお話もありましたが、手術の後遺症も含めて、改めて「こういうことがあったよ」「今も残ってるよ」というものがあれば教えていただけますか?

柴田 そうですね。飲み薬を飲み始めたばかりの頃は、膀胱炎になりました。

岸田 膀胱炎ですか?

柴田 はい。やっぱり免疫力が下がったりするので、膀胱炎になったり、口の中に口内炎ができたりもしました。

岸田 それって自然に治っていくものなんですか?それとも、何か別のお薬で抑えていく感じですか?

柴田 そうですね。膀胱炎は市販の「ボーコレン」とか飲んでみたんですけど、あまり良くならなくて。結局病院に行って、ちゃんと膀胱炎の薬を処方してもらいました。口内炎は歯医者さんでお薬を出してもらいましたね。

岸田 なるほど。他に副作用としてはどんなものが?

柴田 やっぱり「吐き気」と「だるさ」ですね。それと、「気分の落ち込み」がありました。

岸田 気持ちが落ち込むこともあったんですね。

柴田 はい、しかもそれが突然来るんです。

岸田 突然?

柴田 そうなんですよ。さっきまで普通に仕事してたのに、急にガクッと落ち込むんです、気持ちが。なんというか……悪いけど、「今は誰にも話しかけないで」って思ってしまうような、そういう時がありました。

岸田 それに対してはどうやって対処されてたんですか?

柴田 家にいる時はひとりだったのでまだよかったんですけど、仕事中はそうもいかないので、人があまり来ないところに行って作業したりしていました。だいたい30分くらいすると、自然に気持ちが戻ってくるんですよね。

岸田 あ〜なるほど。「落ち込む時間が来たな」って分かったら、人のいない場所に避難して、少し落ち着くのを待つ。

柴田 そうですね、そんな感じでした。

岸田 今は薬の服用も終わって、その気分の落ち込みも?

柴田 今はもう大丈夫ですね。

岸田 よかった。副作用って身体的なことだけじゃなくて、気持ちにも来るんですね……とても参考になります。ありがとうございます。

『自業自得ですよね』と言われた衝撃|医療者との関わりで学んだ光と影

岸田 では次に、病院や医療者との関わりについてお聞きしたいと思います。近所の病院でも、大きな病院でも結構です。「ちょっとこれは…」と感じたことや、「ありがたかった」と感じたことなど、何か印象に残っていることがあれば教えてください。

柴田 そうですね。手術前に歯の検査ってあるじゃないですか。

岸田 ああ、ありますね。挿管のときにグラグラした歯があると危ないとか…。

柴田 そうそう、それで病院内の口腔外科に行ったんですけど、そのとき対応してくださった女性の先生が、「肺腺がんですか〜?タバコ吸ってたんだから自業自得ですよね」って言ったんですよ。

岸田 えっ!?

柴田 いやいや、私タバコ吸ったことないんですけど…って。

岸田 (絶句)

柴田 ほんと、びっくりしましたよ。

岸田 ちょっと本気で絶句しちゃいますね……そんなこと本当に言われたんですか。

柴田 はい。で、「タバコ吸ってないです」って言ったら、「あ、そうですか。じゃあご主人の副流煙ですかね」って。

岸田 (絶句)

柴田 いやいや、夫中国に単身赴任中なんですけど…(笑)。

岸田 (笑)

柴田 しかも、私って歯の質があまり良くなくて、きちんと歯磨きしてるのに虫歯になりやすいタイプなんです。神経のない歯も結構あって、そうしたらその先生に「手術前にこの6本、全部抜いてくださいね」って言われて。

岸田 えっ!手術まであと2週間とかの時期ですよね?

柴田 そうなんです。「このあとどうするんですか?」って聞いたら、「手術が終わったら、かかりつけの歯医者さんに行ってインプラントにするなり入れ歯にするなり、自分で考えてください」って。

岸田 えー、それって大きな病院の口腔外科で言われたことなんですよね。

柴田 はい。それで、かかりつけの歯医者さんに相談したら「ええっ!?」って絶句されて、「その先生誰?」って聞かれて名前を言ったら「ああ…」って。どうやら、その先生はちょっと問題の多い方として有名だったみたいで。

岸田 そうだったんですね。ちなみに、その6本は抜かずに済んだんですか?

柴田 はい。かかりつけの先生が病院の口腔外科の部長先生に連絡してくださって、「抜かなくてもなんとかならないか」という話になって。結局、抜かずに済みました。

岸田 よかったですね。なんだか…すごいお話です。

柴田 でも、いいこともあったんですよ。

岸田 ほう。

柴田 抗がん剤治療中、あるときすごく体調がよかったんです。吐き気もないし、ご飯もおいしく食べられるし。「もしかして、治ったかも!」って脳天気に先生に言ったら、先生が「そう思ったなら治ったんじゃない?『病は気から』って言うしね。治ったと思っていればいいんじゃない?でも病院だけはちゃんと来てね!」って言ってくださって(笑)。

岸田 なんと、素敵な先生ですね!

柴田 その言葉が本当にありがたくて。気持ちがすごく楽になりました。

岸田 「治ったと思って生きていこう」って思えるって、本当に大きな後押しになりますね。病院や医療者との関わりの中でも、いろいろな出会いがあったんですね。

柴田 そうですね。本当に、いろんなことがありました。

岸田 貴重なお話、ありがとうございました。

 

『諦めたらそこで試合終了だよ』15歳息子の言葉|単身赴任・受験期を支えた家族の絆

岸田 そして次はこちら、家族のことについてうかがっていきます。ご家族の話に入る前に、お写真をご用意いただいていますので、まずはこちらをご覧いただきたいと思います。これが柴田家のご家族ですね。

柴田 長男はいないですけどね(笑)

岸田 長男さんは大学に通われてるとか?

柴田 そのとき、ちょうど大学に行ってて、バイトもしてて。それに小学生の男の子にドラムを教えてたり、国家試験の勉強もしてたので、かなり忙しかったんです。

岸田 え〜、すごい!これはどういった場面の写真なんですか?

柴田 たぶん、手術の前に主人を迎えに行ったときのものですね。

岸田 ああ、空港で。

柴田 はい、空港で撮った写真です。

岸田 時期的にはいつ頃ですか?

柴田 9月ですね。手術の前で、ちょうど中国が国慶節っていう、日本でいうお盆休みみたいな時期だったんです。

岸田 ありますね。タイミングとしては、ちょうどいい時期だったんですね。そんな中で、ご家族のことについて少しずつお伺いしていきたいと思います。まずはご主人のことですが、がんと告知された時、ご主人は中国にいらっしゃったわけですよね。その時は、全部一人で受け止められたんですか?

柴田 でも、告知されたその日に、病院から主人にメールを送りました。「私、がんだって言われたんだけど」って。そしたらすぐ電話がかかってきて、「先生と話したい」って言うので、スピーカーにして先生と話してもらいました。

岸田 そうだったんですね。

柴田 先生に「いいですか?」って聞いたら、「大丈夫ですよ」って言ってくださって、スピーカーで状況を説明してもらいました。「手術ができる状態ですよ」って聞いて、主人も少し安心したみたいです。

岸田 やっぱりそれだけでも違いますよね。ご主人が中国にいると、付き添いとかも難しかったでしょう。

柴田 そうですね。手術の時には一時帰国してくれましたけど、手術が終わって退院した次の日にはもう中国に戻りました。

岸田 すごいですね。ではご両親についてはどうでしたか?お母様はもうお亡くなりになっていたかと思いますが、お父様に伝えるときはどうされたんですか?

柴田 それが、なかなか言い出せなかったんです。母を亡くして1年ちょっと後に、今度は娘ががんになるなんて知ったら、父はどうしようと思うだろうなって…。当時すでに70代後半でしたし。

岸田 そうですよね。

柴田 弟が千葉にいるんですけど、相談して、「私、このまま黙っておこうかな」って言ったら、「あんたバカじゃないの?そんなのすぐバレるに決まってるじゃん」って言われて。だって車で1時間くらいの距離なんですよ。「最近顔出さないけど、どうしたの?」ってなるのが目に見えてるって。

岸田 確かに。

柴田 で、「じゃあさ、あんたから伝えてよ」って言ったら、「えー、自分で言ってよ」って(笑)。

岸田 (笑)

柴田 だからもう仕方ないなと思って電話して、「もしもし、私さ、がんだって言われたんだけどさ。手術すれば治るって言われたから。じゃあね、バイバイ」って切りました(笑)。

岸田 有無を言わせず(笑)。

柴田 そう、有無を言わせず(笑)。でも、ちゃんと「大丈夫だよ」ってことは伝えました。

岸田 それは伝わってますよね。今はもうお父様とがんの話をされることはありますか?

柴田 もう全然しないですね。父もたぶん、「この人はもう治ったんだろうな」って思ってるみたいで。

岸田 なるほど。そしてお子さんについても少し伺いたいです。長男さんは大学で医療系を学ばれてたということで、ある程度の理解はあったかと思うんですが。

柴田 そうですね。長男はある程度年齢もあったし、医療知識もあったので、安心していました。

岸田 問題は次男さんのほうですか?

柴田 そうなんです。ちょうど思春期の15歳。がんの告知を受けて帰宅したら、彼が一人で夏休みの宿題と格闘していて、私の様子に気づいたんですね。「どうしたの?」って言われて、「私、がんだって言われてさ…」って、もうそのまま伝えちゃいました。

岸田 そうだったんですね。

柴田 そしたら、「へぇ…お母さん死ぬの?」って。「死ぬかもね」って言ったら、「お母さんさ、なんか諦めてるよね」って言われたんです。

岸田 グサッときますね。

柴田 彼、バスケ部なんですけど、「俺の部屋行って、スラムダンクの1巻から読んでみて」って言ってきて。「諦めたらそこで試合終了だよ」って。

岸田 安西先生、出てきましたね。

柴田 そうです。そのとき、「スラダン買っててよかった!」って思いました(笑)。

岸田 いい話ですね。そして長女さんは?

柴田 長女はあまりテンションが高いタイプではないので、「ああ、そうなんだ」って淡々と受け止めて。でも入院中は家のことをすごく頑張ってくれて。免許もなかったのに、買い物も全部歩いて行って、重い物もリュックに入れて運んでくれて。

岸田 しっかり者ですね。

柴田 はい。淡々としているけど、「じゃあ私が家のことやるね」って。そういう姿勢が本当にありがたかったです。

岸田 素晴らしいご家族ですね。支え合いながら乗り越えてこられたことがすごく伝わってきました。

柴田 ありがとうございます。

『週1回2時間でもいいよ』理解ある店長vs『死にかけた人!』職場復帰で学んだ人間関係

岸田 次に、仕事のことについてお伺いします。パートのお仕事をされていたかと思いますが、そのとき休職されたのか、それともどのような職場との関係を続けていたのかを教えてください。柴田さん、パートはどんなお仕事をされていたんですか?

柴田 リサイクルショップにいました。

岸田 結構、荷物を持たなきゃいけなかったりとか?

柴田 そうですね。オーディオとか、いわゆる黒物家電やパソコン、あとはCDやゲームソフト、ゲーム関連の売り場にいたので、スピーカーとかすごく重いものを持ってました。

岸田 がんと分かってからは、休まないといけないと思うんですが、そのあたりはどうでしたか?

柴田 まず店長に話しました。私はもう辞めようと思ってたんです。というのも、3ヶ月後の自分がどうなっているか想像できなかったので。

岸田 なるほど。

柴田 辞めると言ったら、「なんで辞めるの?お医者さんに辞めたほうがいいって言われたの?」って聞かれました。

言われてはいないけど、このままいたら皆の足を引っ張ってしまうし、ご迷惑になると思って辞めますと言ったら、「辞めるのはいつでもできるでしょ」って店長が言ってくれて。

「とりあえず休んで体調を見ながら、週1回でも、1日2時間でもいいから来ればいいじゃん。体調に合わせて来ていいよ」って言ってくれて。え、私ここにいていいの?って思いました。

岸田 いい店長ですね!

柴田 そう言われて、リハビリ頑張ろうとか、早く戻ろうって思えました。でもその店長は4月に関西のお店に移動になってしまったんです。

岸田 えーー。

柴田 えーーって。

岸田 それは手術の前ですか?

柴田 治療中です。9月に手術して、11月に職場に戻って、仕事しながら4月に移動になりました。

岸田 そうなんですね。

柴田 最後に「今まで頑張ってくれてありがとう。助けてくれてありがとう」って言ってくれて、「こちらこそ店長のおかげでここにいられます」って伝えました。

柴田 次の店長は、たぶん病気で治療中の人がいるって引き継ぎはされてたと思います。その店長に呼ばれて、副作用のことを詳しく話したら、「うわ、俺絶対そんな病気になりたくないわ」って言われて。いや、なりたくてなったわけじゃないですよって思いました。

岸田 そういう人だったんですね。

柴田 そこから心のシャッターがガラガラと閉まった感じで、早く店長変わらないかなと思ってたら、本当に変わったんです。

岸田 そうなんですか。

柴田 また変わって、今度の店長は赴任初日に「あなたですか?死にかけた人!」って言ってきて(笑)。

岸田 (笑)

柴田 死にかけてないですよ、AEDも使ってないしって思いました(笑)。

岸田 (笑)

柴田 でもショックでした。よく考えたら、がんのことを知らないからそう言っちゃうんですよね。もしかしたら私も元気な時に知らずに誰かを傷つけてたかもしれないと思って。知らないことは仕方ないよなと思いました。そこからがん教育に興味を持つようになったんです。

岸田 そういう経緯があって、がん教育もされてるんですね。

柴田 はい。

岸田 ちなみにその店長は今もいますか?

柴田 たぶんいます。私は職場を離れて、今は別のところで働いています。

岸田 違う職場では、がんのことは伝えましたか?

柴田 治療も終わっていたので特に伝えていません。

岸田 抗がん剤も終えて、普通の生活に戻られているということですね。

柴田 はい。今の職場にはちょうど1年ほどいて、特に配慮も必要ないので伝えていません。

岸田 気持ちの落ち込みももうないということで、配慮も不要なら問題ないですね。

柴田 そうです。

2万円×2年間の自己負担|高額療養費の落とし穴と経口抗がん剤の現実

岸田 ありがとうございます。次にお金や保険のことについてお伺いします。柴田さんは民間の保険に入られていたんでしょうか?もし入られていたら、その使い道や用途、あるいは治療費はどうされたのか、といったところを教えてください。

柴田 はい、普通の民間の生命保険に入っていたので、そこからお金は降りてきましたね。あとは高額療養費制度も使いました。

岸田 高額療養費ですね。

柴田 ただ、それも月をまたいでしまったんですよね。

岸田 まあ、そういうことありますよね。

柴田 そうなんです。

岸田 月をまたぐと連続して費用がかかってしまって、1ヶ月分の料金だけで済むところが、2ヶ月分になってしまうこともありますよね。

柴田 それがちょっと「チッ」って思いました(笑)。

岸田 総額でだいたいどれくらいかかったと思います?ざっくりで。

柴田 ざっくりですか…でも抗がん剤が意外と高かったんですよね。

岸田 そうなんですか。

柴田 保険が効いても、1ヶ月で2万円くらいは自分で払ってました。

岸田 それは痛いですね。

柴田 そうですね。2年間ずっと続けないといけなかったので。

岸田 なるほど。民間の保険でその分はまかなえたんですか?

柴田 そこは賄えなかったです。自分の貯金から出していました。

岸田 そうですか。

柴田 生活費の中から出していた感じです。入院費や手術費は生命保険でほぼ賄えたので、高額療養費制度もあってそこは助かりました。

岸田 なるほど。入院や手術の費用は問題なかったけど、抗がん剤治療の費用が結構負担だったということですね。

柴田 そうですね、はい。

卵焼きが上手にできた日も記録|治療中を支えた「いいこと日記」の効果

岸田 それでは次に、工夫していることについてお伺いしたいと思います。今でもいいですし、当時でも構いませんが、生活や治療の中で柴田さんが何か工夫されたことがあれば教えてください。どんなことをされていましたか?

柴田 そうですね、治療中は落ち込むことも多かったので、「いいこと日記」をつけていましたね。

岸田 いいこと日記?

柴田 はい。1日1つでもいいので、いいことを見つけて、それだけを書くというものです。

岸田 へえ、例えばどんなことを書かれていたんですか?

柴田 些細なことですよ。例えばお弁当の卵焼きが上手にできたとか。

岸田 いいですね。

柴田 あとは偶然誰かに会って楽しかったとか、コーヒーが美味しかったとか、病院のコンビニで新しいスイーツを見つけたとか、本当に日常のささいなことを。

岸田 そういった良いことを見つけて書き留めて、振り返ることで気持ちを上げていたんですね。

柴田 はい。

岸田 それはがんになられてからずっと続けていたんですか?

柴田 いや、今はもうやっていませんね。

岸田 もうそういうものに頼らなくても大丈夫になったということですか?

柴田 そうです。

岸田 治療している時はそういうことをされていたんですね。

柴田 はい、そうです。

 

「患者会は暗い場所」の偏見を越えて|孤独から仲間との繋がりへの転換点

岸田 ありがとうございます。では次に、「伝えたいこと」について伺いたいと思います。今日いろいろお話しいただきましたけれど、まだ話せていなかったことや、皆さんにぜひシェアしたいと思うことがあれば教えてください。

柴田 そうですね。やっぱり罹患した当時は誰にも会いたくないと思っていました。患者会にも積極的に行こうとはしていなかったんです。

岸田 今の様子からは想像できないですね。

柴田 そうですよね(笑)。当時は患者会に暗いイメージを持っていたんです。でも実際は違っていて、私が行ったところはすごく明るくて、活発な方ばかりで、「本当に皆さんがんを経験されたんですか?」と思うくらいでした。

岸田 そういう方たちが多いですよね。

柴田 そうなんです。そういう場所に行って「自分は一人じゃない」と思えることがすごく大事だなと感じました。悩みも、自分だけがこんなことで悩んでいると思いがちですが、

岸田 ええ、そう思いますよね。

柴田 でも患者会で話を聞くと、「あの人も同じことで悩んでいたんだ」とか、「克服した方法があるんだ」と知れて、自分も真似してみようと思えたんです。そうした多くのことを学びました。

岸田 気持ちの持ち方や先輩方、仲間たちの工夫を吸収して、闘病に活かされていったんですね。

柴田 はい、そうです。

岸田 患者会に行くきっかけは何だったんですか?

柴田 近所の子がいて、その子の次男の同級生のお母さんが乳がんで、患者会を始めたと聞いて行ってみたんですけど、その会は乳がんに特化していて、ちょっと私とは違うなと感じていて。

岸田 なるほど。

柴田 その後、友達がコロナにかかってしまって、山口でオンラインの患者会が始まったと教えてもらい、そちらに参加したら全国の仲間と繋がることができました。

岸田 へえ、コロナ禍でオンラインが増えて、多くの患者さんが参加できるようになりましたもんね。いろんな会を試して、自分に合ったところを見つけていったと。

柴田 そうですね。

岸田 そういった場所に一歩踏み出してみるのもいいですよね。

柴田 はい。あとドクターとのコミュニケーションもすごく大事だと思いました。

岸田 ドクターとのコミュニケーションですね。

柴田 医療者の方も色々ですから、なぜこの治療法を勧めるのか、自分の中で理解して納得した上で、「こうしたい」という希望をしっかり伝えることが大切だと思います。違和感を抱えたまま治療を進めるのはよくないと思うんです。

岸田 なるほど。もやもやした気持ちを抱え込まずに、自分で納得して結論を出すことが大切なんですね。柴田さんはそのために、どんな心構えや伝え方をされましたか?

柴田 そうですね、先生の言葉は一旦受け止めつつ、「先生のお話はよくわかります。でも家庭の事情がこうでして…」と、自分の事情もちゃんと伝えるようにしました。

岸田 そうですよね。柴田さんは子育てもされながらでしたし、伝えることは大事ですよね。ありがとうございます。

 

「This is me」自分らしく生きる決意|がんが教えてくれた命の有限性と価値

岸田 はい、それでは最後にメッセージをお願いします。

柴田 私からのメッセージは「This is me」です。これはどういう意味かと言いますと…

がんになる前は、自分の気持ちを抑えて生活していました。やりたいことがあっても、家庭や仕事を優先して自分を後回しにしていたんです。でも、がんになって命の有限さに気づいたとき、自分らしく生きようと決めました。これは「これが私」ということです。皆さんもぜひ、自分らしく生きる方法を見つけてほしいと思います。

岸田 「自分らしく生きる」というのは本当に大切なことですよね。人それぞれ違うと思いますが、ひとりだと不安なことも、仲間がいると心強いですよね。先ほど柴田さんもお話しされていましたが、そうした仲間を見つけていけたらいいなと思います。

さて、あっという間にお時間となってしまいましたが、柴田さん、本日はがんノートにご出演いただきありがとうございました。ご感想はいかがでしょうか?

柴田 楽しかったです。ありがとうございます。岸田さんは私にとって本当に神のような存在なんです。

岸田 いやいや、そんなことありません。私はただ地に足のついた人間です(笑)。

柴田 実は2018年に岸田さんがCMに出始めた頃、ちょうど私が罹患していて、「こんなに自分のことを話せる人がいるんだ」と感動していました。本当に神様のように見ていたんです。

岸田 そんなふうに言ってもらえて本当に嬉しいです。あのCMを見てくださって、そして今回こうしてがんノートにも出演していただいて…感慨深いです。

柴田 まさか岸田さんと話せる日が来るなんて思ってもいませんでした。

岸田 こちらこそありがとうございます。今日は急遽スマホからのご参加で、環境も大変だったと思いますが、大丈夫でしたか?

柴田 大丈夫です。スタンドを用意してありますから(笑)。

岸田 そうですか。本当にありがとうございました。

柴田 とんでもないです。

岸田 今回が初めてですが、これからもぜひよろしくお願いします。

柴田 よろしくお願いします。

岸田 それではこれで「がんノート」を終了いたします。また次の動画でお会いしましょう。バイバイ!

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