インタビュアー:岸田 / ゲスト:押田

【発覚・告知】

岸田 では発覚から告知というところで、どうやって、がんが最初1999年発覚したのかをお聞かせいただければなと思います。

押田 まずは、ちょうどできたところが右足の付け根のところ、鼠径部っていわれるところなんですけど。触ってるとこりこりってしこりがあったわけですよ。場所も場所なので婦人科に行きました。そのときには「脂肪の塊だね」と言われて、1センチちょっとだったんですね。なので、これが大きくなったら取らなきゃいけないかもしれないし「しばらくは様子見で大丈夫だと思います」と言われて、それで経過観察を続けていたわけですね。それでも婦人科の検診とか行くたびに気になるので、何件かの婦人科の先生にも「ここ何かできてるんですけど」って聞いたんですけど、そのたびに「脂肪の塊だから、大きくなったら取ったら」って言うので、大きくなったら、痛くなったら取ろうと思って1年がたちました。

岸田 そのときの病院っていうのは。

押田 普通の婦人科のクリニック。

岸田 婦人科の普通のクリニック。地元のなんか。

押田 そうです。それを何件か事あるたびに行ったりして確認してたんですけど、脂肪の塊ということだけど1年ぐらいでだんだん大きくなってきたと。うつぶせに寝転ぶと圧迫されて痛くなってきた。もうそろそろ取ってもいいんじゃないかと。

岸田 だんだん大きくもなってきた。

押田 なってきましたね。最終的に取ろうかなと思ったときにはゴルフボールぐらい、それのもうちょっと小さいぐらいのイメージですね。自分が触った感じだと。

岸田 鼠径部だから婦人科に行った感じですか。

押田 そうです。普通ここら辺に出来ると整形外科か皮膚科だと思います。ちょっと脱いで見せるのは恥ずかしかったので婦人科に行ってみました。

岸田 できたところもね。鼠径部って簡単に言ったら付け根ですよね。

押田 付け根。付け根でも本当の危ないところ。

岸田 婦人科に行って、そのときは大きくなったり、痛くなったらにしましょうってことで。そのときはその診断だったということだったんですよね。見ただけ? 診断は。

押田 見ただけ。見て、触っただけ。

岸田 見て、触っただけ。

押田 動くんですよね、くりくりくりって。これ脂肪の塊だねっていう感じで。

岸田 豆粒ぐらいからどのぐらいになったんですか。

押田 小さいのが触ったときに分かる感じ。スーパーボールぐらい。

岸田 スーパーボールぐらいの大きさになってきたと。
「婦人科に行ったのは正解でしたか?」という(動画視聴者からの)質問があったんですけどいかがですか。

押田 自分的には正解だと思ってます。

 

【治療】

岸田 そこから痛くなってきたし、そろそろ取ろうかなと思って、もう一回婦人科に行ったんですか?

押田 そうです。婦人科の病気だと思っていたので、他の科でパンツ脱ぐのは嫌なので婦人科に行きました。今までクリニックに行ってたんですけど、今度はちゃんと手術をしようと思って手術ができる病院にしました。大学病院までは考えてなくて普通の総合病院に行きました。

岸田 婦人科で有名な病院に行って。そこに行ったら先生からはまた。

押田 先生からは「脂肪の塊だからすぐ取りましょう」ってことで2泊3日の入院手術で取りました。

岸田 そのときはすぐ簡単に取れたみたいな感じなんですね。

押田 そうですね。麻酔が合わなかったりいろいろあって寝込んじゃったんですけれど。取りあえず手術的にはすぐ取れて、でも、出てきたものは鶏の卵の大きさぐらいでした。

岸田 ということは、スーパーボール大だと思ってたけれども、その何倍もあったということですね。

押田 下に隠れてた。私は見てないんですけど私の相方が見ていて、大体、くりんと鶏の卵の大きさぐらいって言ってました。

岸田 でも、そのときはそれを取って後は何もなかった?。

押田 それが1週間後に、最後の先生との話で「検査に出してみたら肉腫でした」と言われたんですね。婦人科の先生からすごい慌てた感じで「肉腫でした、すぐに外科に行ってください。今、予約取ってますので全部調べてもらってください」と言われて。私は何のことか分からずに、痛いんだけど退院できないのかなと思いながらそのまま外科に行って。そしたら外科の先生が「全身スクリーニングなんかしなくても、今すぐ大きく取り直せば大丈夫だよ」と言われたんですね。また手術ですかと。麻酔でげろげろで、やっと起きて退院できるときなのにもうメスを入れる気になれなくて。「これはそのまま置いておくと50パーセントの確率でもう一回できますよ」と言われたんですよ。でも肉腫が、がんだという説明は何もなかったですね。

岸田 そういうことですよね。

押田 結局痛いし、もう手術なんかしたくないしと思って。「すいません、もう一回家に帰って考えてきます」と言って。家に帰って特にうちの相方にも言わずに、「もういい、私やらない」と思って、50パーセントでできても、その時取ればいいと思ってそのままにしたんです。

岸田 それはね、だって肉腫って肉の塊と思ってますもんね。もう一回取るのも痛いって言ってんですもんね。その上麻酔が合わなかったりして大変だったら、また同じことを繰り返すのもね。

押田 仕事もしてたのでそれ以上、仕事休めないなってのもあって。

岸田 休みたくないし、痛いし。

押田 いろいろあって、悪いものでもないから50パーセントで、できたら取ろうとていう賭けに出ました。

岸田 そうなりますよね。肉腫としか言われてなかったら。そのときは先生に言われたままで、自分からは調べなかったですか?

押田 全然調べなかったですね。まだ2000年ぐらいでそうそう情報もなかった時代ではあったと思います。

岸田 その後は、手術で取っても五分五分でできるかもしれないということで、次の手術はしないという選択をして、そこから過ごすわけになるんですよね。

押田 そこから12年間、経過観察。

岸田 12年間、経過観察。月1回通う感じ。

押田 経過観察じゃない、放置ですね。

岸田 だいぶ違う。

押田 ずっと様子を見てたのは自分で触って様子を見てたんですけど、病院には特には行かずそのまま放置しまして。2012年ですね、2000年に手術をして2012年にいつもどおり、何となく触っているとまた同じ所に。

岸田 50パーセントの確率でできちゃったと。

押田 できちゃった、やられたと思って。でも特に悪いものと思ってないので今度は取りに行こうすぐにと思って。地域の大きい病院行ったんですね。本当に外科でいいのか確認しようと思って、外来のコンシェルジュみたいな所に行って、肉腫ができたんですけど何科に行けばいいですかって満面の笑みで聞いたら、「はっ?」て引かれて。

岸田 確かにね。

押田 肉腫ですかって。

岸田 分かってる人から見たらね。何言ってんの大勢の前でみたいな。

押田 少々お待ちくださいって言われて、探してくださって。結局、救急外来の先生に見てもらい、そこで「肉腫って知ってますか?」って真顔で言われて。「またできちゃうと良くないものだっていうことは知ってます」って言いました。そしたら、「じゃあいいです。」って、そこで肉腫の話は終わっちゃったんですね、私が知ってるものだと思われて。

岸田 知ったかぶりのぼやかしたような感じになっちゃったんですね。

押田 それで検査してもらったら、「やっはり肉腫のようです、どうなさいますか?」と言われて。取る気まんまんで、それで治療の日が決まったんですけど。でも、よく考えたら前の外科の先生は確か日帰りの局部麻酔で取れるよって言ってた事を思い出して「先生、入院せずに日帰りで取ることはできませんか?」って聞いたんです。そしたら、「日帰り…いいけど…。いいよ」と。駄目とは言えないんですよね。

岸田 すごい軽い感じで肉腫を捉えてると思われたんでしょうね。

押田 「日帰りでも毎日消毒に来てくれるんだったらいいよ」と言われました。それで局所麻酔で手術受けました。そのときもやっぱり大きかったので、ゴルフボールぐらいはあったんですね。それでそこ通って、病理検査の結果が出るまでに結構かかったんですね。長いなと思ってたんですが、結果が出て類上皮肉腫といわれました。そしたらお医者さんが「申し訳ないんだけども、これから先は抗がん剤治療をしたらいいのか、放射線治療をしたらいいのか、このまま取ったまま置いといたらいいのか、よく分かんないので、どこか病院探してきてください。そしたら紹介しますので」って言われたんです。

岸田 またそれはなんか。

押田 抗がん剤治療ですか。がんですかっていう。そこで初めて、がーんだったんですね。

岸田 自分で調べるんや。先生、調べてくれないんだ。

押田 で、ネットで探しますよね。そしたら国立がんセンターとか2012年ですから結構いろんな情報があったわけですよ。

岸田 2012年やもんな。

押田 はい。そこを見ると肉腫は勝手に治療してはいけませんねって書いてあるんですよ。やっちゃったと思いながらどうしようと思って、そこで国立がんセンターの、今は希少がんホットライン、昔は肉腫ホットラインっていって、(電話を)かけると先生が出るホットラインがあったんですね。そこにかけて聞いて、そのあと先生にも病院の紹介状を書いていただいて。でも、治療は終わってるのでセカンドオピニオンという形で行ったんですね。

岸田 もう取ってるし、何もないやろって。

押田 それで、セカンドオピニオンに行って「こんな所で取っちゃ駄目だよ。ちゃんとした所で取らないと大変な病気なんだよ」と、とくとくと語られたんですね。今の主治医の先生なんですけど。それで「今の取り方だとガイドラインに従ってないので、もう少し大きく取りましょう。取るには再手術が必要ですけれどもどうしますか?経過観察という手もありますよ」と言われて、再手術をお願いしました。

【辛いこと・克服】

岸田 押田さんがどんなときに肉体的と精神的にどんなつらいことがあって、どう克服したのか、お聞かせいただけますか。

押田 肉体的には、神経が何本か切れてるので足のしびれとかはずっとあるんですね。

岸田 そうなんですね。ずっとしびれてるんですね。

押田 そうなんです。よく皆さんおっしゃると思うんですけど、ずっと正座した後に立ち上がるとびりびりしたのがずっとある感じです。

岸田 今も。

押田 今もある。それは耐えらないほどではないので大丈夫な感じなんです。

岸田 全然、そんな感じには見えなかったですね。

押田 普通に走りますしね、大丈夫なんですけど。なので、体力的、肉体的にはそこまでは大丈夫ですかね。ずっと重いし痛いていうのはありますけど、耐えられないほどではないんです。でも気持ちの面からいったら、最初は肉腫だって知らなかったじゃないですか。それを知って、入院してる間も結構わいわいとやってたんですね、全然深刻な雰囲気にならず。同病で同室の方も明るい方で肉腫だけれども大変な病気だと思ってない方で、なので2人でばかみたいに話してたんです。けど退院して、自分の病気をやっと調べようと思って、ビデオ見たりしてる間に、「なんかすごい私大変なんじゃん」とかって思ってきて。

そうするとやっぱり、自分ががんということがすごい嫌になってきたんですね。がんという言葉を聞くのも嫌でしたし、テレビでがん患者っていう単語を聞くのも嫌だったんですね。仕事場でも仕事の関係でがんの人がねっていう会話が出ることがあるんですよ。それを仕事をしているブースとかで打ち合わせしてるのを聞いてると、なんか泣けてくるんですよね。「私、がんだけど何!?」みたいな感じになって。
でも1、2カ月は嫌だなと思っていてたんですけど、あるときに「自分にもし時間がないとしたらこんなに悩んでてももったいない、それなら余計この時間はやりたいことやらないともったいないじゃん」というのにふと気が付いて。それで、じゃあ私は今何をやりたいんだろうと思って。昔はお金がなかったから、我慢してるものはたくさんあった。でも今ならちょっとある。じゃあ好きなものを買ってみたりとか、ちょっとだけ余裕ができたら旅行にも行けるかもしれないっていうので、韓国旅行にも行ってみました。

岸田 そうだったんですね。

押田 やりたいことは全部やろうと思って、やるようになったらいろんなことが楽しくなって普通どおりになってきた。今までと変わらずやれるし、今までよりはやっぱりやるべきことは今やろう、明日あそこにやりたいことがあるなら、明後日じゃなくって今やろうってすぐに手を出すようになりましたね。
自分はがんであることは理解した。なのでもう普通に過ごそうと思って。

【反省・失敗】

岸田 では、反省、失敗ということで。

押田 これはもうありありで、最初からありありで。

岸田 いろんなエピソードを聞きたいと思いますけど。

押田 まずがんって知らなかったことは、医療者の方の責任もあると思うんですけれども、私も調べなかった責任はとっても大きいと思っていて。なおかつ、肉腫ってすごい貴重なものなのに何も調べず、ただ取ればいいと思っていて。それで助かった部分もあると思うんですけど、本当だったら散ってたかもしれないし、そんな所で手術をしちゃってれば。それはいけなかったなって、自分でもうちょっと積極的に医療情報とか取るべきだったと思うし、周りにも聞くべきだったかなとは思うんですけど。全部、簡単に本当に軽く普通のおできと同じように考えて今まで生きてきたので、もしそんなに落ち込むことはないと思うんですけど、やっぱりちゃんと自分の病気は知るべきだったかなと。それによって、今となっては良かったと思うんですよ。全部が今につながってるかなと思って、言うことができるんですけども。1個間違ったらそれを言うことはできないかもしれないので、そこはすごい失敗であり反省であるかなと思いますね。

岸田 自分で調べなかったといってもね、そんな深刻なものじゃないと思ってますしね。病院選び的にはどうでした?いろんな経過がありましたけど。最初、婦人科のクリニックに行って、総合病院に行って、都立の大きな病院に行って、がんの専門病院に行ってっていうのは、その選び方というか。

押田 選び方は最初の入り口は間違ってなかったんですよね。私はどうしても女性だったら婦人科に行くと思うので。婦人科の先生がもうちょっと肉腫のことを知ってもらえれば良かったかなというのはあります。これから啓蒙してかなきゃいけないかなってところではあるんですけど。あとはそこで知ってれば、そこで肉腫って分かってれば、次行くべきは専門病院ですよね。専門病院にはすぐ行けないので、やっぱり他のクリニックに行って、紹介状を書いてもらうしかないと思うんですけど、それを考えると私の場合はしょうがなかったかなっていう感じではあります。まず知らないことがいけなかった、知ってれば違う道だったっていう。

岸田 今だったらまた違いますよね、すぐググれる時代ですよね。1999年とか2000年ってようやくyahooBBとかが始まったところですもんね。

押田 まだポケベルとかの時代だったかもしれないです、そんなことないか。

岸田 そこは会場の皆さんから、さすがにJ-PHONEとかあったような。2000年、めっちゃぱかぱかはやった時代ですって。(動画視聴者からの)コメントで「もし他の病院で手術していたら、突っ張ったり、痛みとか後遺症がなかったのではないかと考えますか?」という質問があります。

押田 それはないと思います。取るべき所を取っていただいたので、それはどうしても部位的にはそういうところがあったと思います。

【夢】

岸田 次に夢、輝美さんの夢。

押田 「今やりたいことを今やる」ということで、逆に言うとあんまり将来を考えなくなったんですね。

岸田 逆に将来を考えず今を楽しく生きる。

押田 今を楽しむっていう感じで個人的にですね。なので今、夢ではなくてやりたいことは富士山登山。

岸田 富士山ね。これからシーズンじゃないですっけ。

押田 私、山登りをしたことがないので、まず高尾山に登りたい。そこも登ったことがない、行ったことがない。まずはそういう小さいやりたいことから。

岸田 山登りね。最終的にエベレストとか登ってら僕たちドン引きですよ、あんな小さい所からって言ってたのにって。

押田 自分の夢はそうなんですけど、あとは今やってる患者会での夢が結構たくさんありますね。今、がんで困ってる人がいっぱいいるので、がんが治る病気になることが一番の夢ですね、私は。肉腫というのが、例えば結核とか昔は不治の病っていわれたものが今は治るようになってきてるように、何か治療法が見つかって、風邪とまでは言えないですけど、薬があってみんな落ち込むことなく普通に治療すれば治る病気にならないかなっていう。そこに向かってやっていきたいことと、あとは今やってることを全国に広げていろんな方にそういう夢を与えられるような。治療法とかもそうですし、困ってる人がいたら一緒にしゃべってみたいですし、そういう人たちまで手が届くようなことをやっていって、みんなが仲良くなれるようにしたいっていう、肉腫ネットワークじゃないですけど。

岸田 肉腫をね、つないでいけたらっていうところで。希少ながんの部位に入るので、まだ肉腫について知らない方も多いと思うんですけど、肉腫っていろんな種類があって、押田さんのは類上皮肉腫だったり、あとユーイング肉腫だったりいろんな種類がありますよね。それによって治癒率というか奏効率とかいろんなものが違うんですか。

押田 違いますね。治り方も違いますし、まだ薬ができてないものもたくさんあります。できる場所も違います。発覚した時期によっても違います。早く見つかれば早く治るのに、ただのおできと思って行かずに遅くなっちゃったっていう場合もありますし、できる場所が悪くて手術がやりにくい場合もあります。

岸田 そうか場所にもよるのか。

押田 内臓にできて手術ができないとかってなると、今、それに効くお薬がなかなか少なくて。

岸田 肉腫の抗がん剤ってあんまり聞かないですもん。

押田 ないんですよ。大体最初は2剤でやるんですけど、今それにやっと3剤が加わってきたところなんですね。お薬の開発も進まないですしね。そこを今、何とかしていこうかなってところだと思います。

岸田 あと押田さんの夢に、相方さんは一緒に向き合ってくださってるんですか?。

押田 それがですね、なかなかやっぱり同じ方向向いていただくのは難しくてですね。

岸田 そうですよね。難しいですよね。

押田 すごくフォローはしてくれてて、見守ってはくれてるんですけども、私が無理し過ぎてるのもあってだんだん引いてますね。やりたいことやればっていう、邪魔はしないよ。

岸田 家庭のことをサポートしてくれてるっていう形ですよね、患者会をこう一緒に盛り上げてくっていうよりは。けど、それが健全かもしれないし、いろんなパターンありますからね。一緒にやっていくパターンと、そこはちゃんと区別してやるパターンと。

押田 例えば「私が亡くなっちゃった場合、継いでくれんの?」と聞いたことがあるんですよ。「たんぽぽやってくれる?」とかって。そしたら嫌って言われました、無理だろうって。そのときになったら分からないですけど。

岸田 確かに思いはね、患者さんとやっぱり患者さんのご家族とかではまた関わり方も違いますしね。

押田 そうなんですよね。

岸田 分かります、それはすごく。

【今、闘病中のあなたへ】

押田 まず、1人じゃないですっていうことをとっても言いたいです。孤独になりがちなんですけども、話すと同じような悩みを持ってる方が結構いらっしゃいます。なので、1人で悩まずに相談していただくこと、みんなで考えていこうということ。あとはやっぱり覚悟は必要だと思うんですね。下を向くんではなくて、覚悟を持って前を向いていただきたいなと思います、難しいと思うんですけれども。それで一緒に、やっぱり今を楽しまないといけないかなと思うんです。
闘病中でつらいということもあると思うんですけども、その中で何がしたいかと楽しいことを考えてやることも必要かなと。そのほうが免疫力も上がりますし、いいことはたくさんあると思うので、できるだけ笑って前を向いていただきたいなと思います。そのために「一緒に頑張りませんか?」と言いたいです。

岸田 ありがとうございます。この覚悟を持ってというのはどのレベルまでの覚悟を持ったらいいんですか、押田さん的には。

押田 そうですね、自分のことをちゃんと分かるっていうか、私はちゃんと死まで覚悟してます。そこまで覚悟しておろしていってます、自分は今何がやりたいとか。それは怖いものではなくてそれを知ることによって、それまでの生き方を決めたいと思うんですね。よく終活とかあるじゃないですか。

岸田 終わるほうの活動?

押田 そうです。それをやってる高齢者の方も同じだと思うんですね。高齢者ではないですけれども、やっぱりそこを見てちゃんとおろしていくっていう覚悟は今を楽しむことにもつながるんじゃないかなと。

岸田 そうですね。今、思い出しましたよ。僕も再発したときは終活帳みたいなの買いました。なかなか本屋さんに売ってなくて、本屋さん巡って、分厚いダイアリー的なやつ。そこに、死んだら僕のパソコンのあのフォルダー消してくださいとか。

押田 これを見るなみたいなのありますよね。

岸田 「ログインパスワードはこれなので」とかね。そういうとこまでちゃんと考えて今を楽しめるよということで。それで、押田さんは1人じゃないよということを伝えるために、今までの話にも出てきたこちらの活動をしてくださってるんですよね。

押田 ありがとうございます。たんぽぽっていう患者会をやってるんですけれども、肉腫の患者さんと一緒に。何かの力になれたらっていうのと、共有できるものがあったらっていうことで、ホームページも作り、お茶会と勉強会っていうのをやってます。お茶会は毎月1回やっていて、こちらの国立がん研究センターのレストランでやってます。これは特に会員であるとか、資格とかは全然ありません。どこの病院で治療してるとかもありませんので、なにか聞きたいなって思うことがあったら顔を見に来るだけでも、来ていただければなと思います。一応、申し込みはインターネットで受け付けてます。例えば当日、具合が悪くなったとかっていう場合は全然ドタキャン構いませんので、まずは来ていただければと思います。

岸田 肉腫であれば何でもいいって感じですか。

押田 もちろんです。

岸田 種類は。骨肉腫でも軟部肉腫でも何でも。

押田 何でも。肉腫は50種類ぐらい種類があるので、ここに来て初めて同じ病気の方に出会えたという人はたくさんいらっしゃっいます。各病院に1人か2人ぐらいしかいらっしゃらないことって結構多いんですよ。なので、専門病院のここら辺だとたくさん会えるとか。私の類上皮肉腫も結構珍しいんですけれども、なんとうちの会にもう既に4人か3人いるんですね。そういう珍しいパターンもあるので、できれば1回顔を出していただけるとみんな明るくお迎えしますので。

岸田 別につらくても参加してもいい。

押田 もちろんです。

岸田 そんな明るくなれねえよみたいな。

押田 そうですよね。「はーい」って来れなくても、全然そういう方たくさんいらっしゃいます、大丈夫です。

岸田 悩みを共有するっていうか、やっぱり自分の感情とかを一緒にどうやっていこうかって悩めることが大事ですもんね。

押田 悩みの相談ですとか、治療法はさすがに難しいんですけど、こういうことやってるよとかいうことは。

岸田 ありがとうございます。「たんぽぽ」すてきな名前ですねって。

押田 ありがとうございます。今、ちょうどシーズンで。もう終わりましたか。

岸田 なんで「たんぽぽ」にしたとかあるんですか。

押田 一応いろいろ考えたんですけども、タンポポって綿毛になっていろんな所に飛んでいくじゃないですか、そこが一番ですかね。いろんな所にいろんな種を皆さんに飛ばしたいっていう。

岸田 そうなんや。タンポポのように華やかに黄色くなるとかっていうよりもいろんな所に。

押田 飛ばせることと、あとはタンポポって雑草なんで強いじゃないですか、すごく。なんで、しぶとく。しぶとくいこうっていう。

岸田 根を張ってね。

押田 根を張って。

 

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
*がん経験談動画、及び音声データなどの無断転用、無断使用、商用利用をお断りしております。研究やその他でご利用になりたい場合は、お問い合わせまでご連絡をお願い致します。

関連するみんなの経験談