インタビュアー:岸田 / ゲスト:藤森

【発覚・告知】

藤森 藤森香衣と申します。今40歳になったんですが、30代のときに乳がんになりました。本業はモデルをしておりまして、ステージは0という状態で見つかりました。0期だったんですが、自分でわかったのと、ほかに2個、合計3個腫瘍があったので、右胸を全摘出しました。

岸田 どうやって発覚して、どうやってがんの宣告を受けたのか? っていったところを教えてください。

藤森 33歳のときに、若いお友達がいて、その子が26歳だったんですが、乳がんであることを私に教えてくれたんですね。その人は2歳の子どもがいて、自分がこれから闘病に入るっていうことを言ってくれたんですけど、そもそもがんになる若い人が身近にいること自体が初めてだったので、私はどう接していいかもわからなくて。ただやっぱり闘病を支えようということで、一生懸命支えたんですが、彼女は残念ながら私に教えてくれた数か月後に亡くなってしまいました。闘病してるときに彼女が私たちに教えてくれたのは、「早期発見することが何よりだから、きちんと検診を受けてね。もし何かあったときでも、保険に入っていると自分のこれからっていうものが作れるから、がん保険にちゃんと入ってね」っていうことでした。なので自分の体を大切にしようって思えるようになりました。そういうことがあって、2011年の震災があった年なのですが、なんか自分の右の脇のところに変なものがあるな、ってお風呂に入ったときに気付きました。気付いたときに普通の人だったら、「怖くてやだな」って思っちゃうと思うんですけど、私はお友達のことがあったので、「ああじゃあ、これはきちんとお医者さんに行こう」っていうことで、病院に行きました。

岸田 まず、香衣さんは今モデルのお仕事されていますが、そのお友達はどういうきっかけで知り合ったんですか?

藤森 私はアロマテラピーの勉強していたのですが、もうちょっとアロマテラピーのことを極めたいと思ったときに、「一緒にアロマをやらない? お店で販売したりっていうことを募集してるお店があるから、そこに行かない?」っ誘ってもらって、そこに行ったらアルバイトで女子大生がいたのね。その子が病気になっちゃった子なんです。

岸田 2011年8月、しこりを右脇に自分で見つける、と。

藤森 そう。右脇にグミの硬い版みたいなのがあって、明らかに変だなっていうのがあったんで。11月に病院に行って、マンモグラフィーと触診とエコーですね、全部やってもらったんですが、その状態だとあんまり白く写ってなかった。石灰化してなかったから、「これはちょっと、がんじゃないんじゃないか?」って、お医者さんがおっしゃったんですね。実際自分でも見たのですが、全然白くしこりが写っていませんでした。「もうちょっと白く写るものだから、1年半後ぐらいに来たらいいんじゃないの?」みたいなことをその先生はおっしゃったんですね。「違うかな?」って私も思ったので。お友達とかにも、「なんかちょっとしこりがあるんだ」みたいな話をしてたんですが、「ああ、でもお医者さんが違うって言うんだったら、ま、ひと安心かな」っていうことでそこは終わりました。すごく早期だからお医者さんにもわからないぐらいの。それは別に「仕方がないかな?」って、今では思ってるんですね。

岸田 検診行って異常なし。そこから何もせずにですよね?

藤森 「大丈夫」って言われたから。でも気になっていて。でもお医者さんが大丈夫って言ってたってことは、これを機にがん保険に入ろうと思って。タイミング的にね。

岸田 確かに。

藤森 もし次にあったらやだなって思ったので、がん保険に入りました。

岸田 2012年。

藤森 がん保険に入って、翌年でもやっぱり気になると。そういうときって人間の勘と言いますか、なんかこう、頭の端っこでピリピリ気になるんですよ。なので違う病院に行ってみようかな? っていうことで、違う病院に行きました。そこでも先生の見立てでは、やっぱり「まだどっちかわからない」っていうことだったんですね。ただ、「2年続けて検診に来るってことは、あなたは不安なんだと思うんですよ。だから細胞取ってきちんと白黒させますか?」みたいなこと言われて。私もその方が安心できると思ったので細胞取って調べてもらいました。

岸田 右脇のしこりはおっきくなってたりとか、自分的にはあったんすか?

藤森 特に大きさは変わらないんですけど、でもなんかやだなっていう、人間の勘っていうか、なんか嫌だなって違和感は感じてた。

岸田 そういう時ときの直感てね、当たるんすよね。

藤森 当たる。自分の体だから心底安心できない何かがあって、細胞を調べました。

岸田 僕もね、首の根元が膨れてきた時に、お医者さんに「まあ大丈夫だろう」って言われて、僕もそのまま何もしなかったんで。もっとね、ちゃんと早く気付いてたらなっていうのは、すごく思います。

藤森 結果が出るまで、まだどっちかわからないから誰にも言えないし、でも、どうしよう? どうしよう? って思いながら、苦しみの1週間を過ごして病院に行ったんですね。

岸田 そのとき、先生とかどうでした?

藤森 予約をちゃんとして、この時間に来てくださいっていう病院だったんでその時間に行ったんだけど、いつまでたっても自分の名前が呼ばれなくて、時間過ぎても。もう嫌な予感で、待合室でほんと倒れそうになって具合悪くて、「きっとそうだ。私そうだ」と思って。予約時間になってもどんどん違う人が呼ばれて最後に自分だけになって、先生に呼ばれたときに、これはそうかなっと。「椅子に座ってください」って言われて、告知をされました……。

岸田 なんて言われるんすか?先生に。

藤森 「細胞見た結果、藤森さんの細胞、がんでした」っていうふうに、やっぱ言われ……。ただ、今のところ0期っていう。乳がんでも、どういう状況かっていうの、その場で説明されるんですね。初心者ですから、みなさん当然ね。先生は説明してくださるんですね。そこの病院は手術ができない、検診だけの病院だったので、「どこの病院でも紹介できるから、言ってくださいね」って。それが12月だったんですよ。12月の5日に私は告知されました。

岸田 覚えてるんすね。

藤森 忘れられない! なんでかっていうと、12月って、みなさんね、楽しい時期なんですよ。年末年始のね。忘年会とか、クリスマスとか。お正月どうする? とか、そのときに、がんを告知されて、どうしよう? って、しかも病院も年末年始、休むんですよね。別に休んじゃいけないと思わないですよ。お医者さんたちとか、みなさんね、いろいろありますから。でも、12月5日から、今度予約を取ったらどんどん先になって1月に病院に行くんですよ。初診ですから、1か月間の苦しみが、

岸田 うわー!

藤森 すーごい、きつかった。

岸田 治療に入って、4月に手術を受けることになると思うんですけれども、この手術に関してはどうでした? 比較的スムーズにいきました?

藤森 そうですね。次の病院でほかにしこりが2つ見つかったので、最初は部分切除、この右の脇をちょっとグリンッと取ればいいはずだったんですけど、乳首の裏のところと下のところにもあったので、もう胸は残せなかったんですね。なので、全摘出するっていうことになって。全摘出すると乳がんの場合、同時再建っていう胸を作る手術ができるので、私はがんの手術とそのまま形成外科的に同時再建という手術をしました。ちょっと痛かったけど。

岸田 痛かった?

藤森 うん、同時再建って最初にエキスパンダーっていう水を注入できる袋を入れるんですね。乳がんって乳腺も脂肪も全部取っちゃって、皮膚と筋肉になっちゃうんです。真っ平らになった状態なので、筋肉の下にジャッキみたいに、こう、グググッっと水をちょっとずつ注入して、妊婦さんのように皮膚を伸ばしてくんですよ。シリコンが入れられる状態になるまでバーッって伸ばす、数か月かけて。そこをシリコンに入れ替えるんです。

岸田 へー。あ、それ痛そうですね。確かに。同時再建ってことは、素人のイメージなんですけど。取ります。入れます。できました。みたいな?

藤森 だから手術から起きたときは、胸になんか膨らみがある感じ。

岸田 え? そのジャッキで上げていくっていうのは?

藤森 磁石が袋の真ん中についているんですよ。手術終わって退院してから先生のところへ行くと、先生は磁石を当てて磁石が震えるんです。そこの磁石の部分は針を刺しても大丈夫だから、プスッって、

岸田 え?

藤森 もうなんかね、すごい変な感じで、ザクッっと刺すんですけど、全部神経とかも切れてるから痛くないんですよね。なんで、もう垂直に針をプスッって刺されて、そこから水風船みたいに注射器でシューって水を入れていくんです。

岸田 そういう感じなんすね。

藤森 うん。ちょっとずつ膨らませていく感じですね。

岸田 え? 不謹慎な話ですけれども、一般の女性ではなくて香衣さんの場合、豊胸手術して、「もう1センチお願いします!」とか、ナハハハハッ。

藤森 実際、いろんな胸を見せてもらったんですけど、小さい方は、やっぱり「大きくしたい」って言って。先生もいくらでもできるんですね。それは。

岸田 えーー。

藤森 そうなんですよ。私が入れたものはアメリカ製のものなので、やっぱりちょっと日本人の体にはおっきいんですよね。私もちょっと整えました。そうしないと、ちょっとバランスが合わないんですよ、右と左の。服が、こう曲がっちゃうんです。人間てすごくうまくできてて、胸の大きさが違うだけで、服がずれるんですよ。

岸田 えーっと、7月に遺伝子検査?

藤森 遺伝性の乳がんって、今、よくみなさん聞いたことあるかと思うんですが。祖母が乳がんだったのと、じつは親族にもう1人、若くして乳がんになった人がいたので、やっぱり遺伝性の可能性が高いということで遺伝子検査をしました。これも自費なんですよね。保険がきかないので20万ちょっと。検査する前にお医者さんからのカウンセリングがちゃんとあって、「もし遺伝性だったときは、こうなります」って言われて。自分の体のこともそうだったんですけど、「もしあなたがそうだった場合に、親族にあなたが話してください」って言われるんですね。たとえばそれがちょっとね、嫌でした。もしそうだったら、いとことか、あと親戚、もう女性全員。そうだった場合、話さなきゃいけないっていうのが、自分のことだけじゃなくて、親戚のことまであるんだと思って、うーん。

岸田 遺伝子までわかっちゃうと、そういうことまで。

藤森 だから病院の先生からすると、「これからその遺伝子情報っていうのは、すごく個人情報としては扱いが難しいですし、みなさん今まだわかってないけど、それがあなたにとっては大きな情報として残ってしまうから、あんまり軽々しく言ってはいけない」みたいには言われましたね。自分だけの問題じゃないっていう。結果としては違って。でも違ったからOKなわけではなく、祖母は両胸乳がんだったので親類に多い理由がわからない分、気をつけていかなきゃいけないっていうのはあるんです。

岸田 まあ、ひと安心って言えば、ひと安心な。

藤森 うん、まあそうなのかな。今は一年に一回、検診だけをしていくっていう感じです。だけど、遺伝性のがんだった場合は、反対側の胸ががんになるっていう可能性と卵巣がんになる確率が上がっちゃうんですね。アンジェリーナ・ジョリーが公表したときにいろいろわかったと思うんですが、あの方は叔母さんもそうだったし自分のお母さんも遺伝性だったんですよね。親族の中で誰か1人が遺伝性とわかったら、他の親戚は遺伝子が違うなっていうところの一部分だけ調べればいいので、なんと!私は20何万円かかったんですけど、もし親戚が調べる場合は数万円でいいって。一番最初の人の遺伝子だけ全部調べるんですって。ここがちょっと違うってなったところを他の親戚親族の人は調べればいいので、っていうこと言われましたね。

【仕事】

岸田 仕事復帰がほんとにすぐだったということなんですけれども、当時どうやって事務所に伝えて、どういうふうに復帰していったかというのを、ちょっとお話いただけますでしょうか?

藤森 はい。まず私は告知されて、帰ってきてすぐ事務所に電話しましたね。なんでかというと、すごい大きい仕事が翌年決まっていて、どうしよう? っと思ったんで。いろんな人に迷惑がかかるな、っていうのを考えました。まず、自分だけの体じゃないっていうのがモデルだったり、芸能の仕事してる人なんですね。広告として出たりとか、自分が先頭に立って何かするっていう仕事なので。まず、「告知されたから、どうしよう?」って。目安としてはこういうふうな、手術日はこんな感じで、もしそれで抗がん剤とかになる可能性もあるらしいから、そうなった場合は何か月かかるっていうのを、すごく冷静に報告しましたね。

岸田 事務所はどうでした?

藤森 うーん。やっぱりショックは受けてましたけど、目の前のことを対応しなきゃいけないので、「わかった」って言って。でも、体がまず第1だから、治療とか、手術っていうのに専念してほしいと。そのときに私が公表したいって言うと、「うちはモデルが50何人いて、スタッフも女性が多いので、社会貢献として伝えることが他の人の何か役に立つんだったら、うちの事務所としては応援する」っていうふうに言ってもらえて。全面的にバックアップしてくれるっていうのがすごくわかったので、この事務所で良かったなと。

岸田 じゃあ、事務所がバックアップしてくれるっていったところで、その翌年の新しい大きな仕事に関してはどうしたんですか?

藤森 うん、それも一緒に仕事する方にお話を私からして。やっぱりショックだったり、大丈夫? っていうのはもちろん普通の方は思うと思うんですけど、そこの方たちもすごく私の話を聞いてくださって、そのままお仕事させていただけることになりました。周りに支えてもらったのは、すごくありますね。

岸田 じゃあ無事にいけたって感じですね。手術されてお仕事に戻るって言ったときは、どうしました?

藤森 最初。手術するとすごい体力落ちません?

岸田 落ちます。落ちます。

藤森 病院にいるとき、なんかもういける。みたいな感じだったんですけど、退院したら近所のスーパーに行くまでに倒れそうなって。全然歩けない。

岸田 歩けなくなりますよね。

藤森 そう。痛いとかどうこうじゃなくて、あ、こんな歩けないんだって。まずQVCのテレビに出るのが決まってたんで。1時間立ちっぱなしでしゃべるんですよ。それが2週間後とか、それぐらい。「わっ、どう、大丈夫かな?」っと思っていたら、すごいみなさんがサポートしてくださって。いろんな人の支えがあって無事に1時間こなすことができました。

岸田 そこから普通に仕事は復帰したんですね? すごいっすね。なんかそのために、やったことってあります? 毎日歩いたとか?

藤森 ああ、うん。手術する前からチャリティーランに参加するってのは決めてたんで、走る練習をして。退院してからも歩いたり。ほんとスーパー行くまで倒れそうになったときには、私は5キロランに挑戦しようと思っていたのですが、「5キロとか無理!」と思って。でもそれがまた励みになったのね。これに出るためには、体鍛えなきゃって。だから体力はつけてたのかな。

岸田 それで仕事復帰されたということですね、事務所の理解もあって。

 

【キャンサーギフト】

藤森 「がんノート」でみなさんの前でお話をさせていただく役目をもらえたことがキャンサーギフトだなっと思っています。実際いろんなところに行って、いろんな方にご自身の体験とかを話していただくんですね。でも病気をしなかったら、そういう方に会えなかった。まあ、こういうね、岸田くんと話すこともなかったと思うので、違うジャンル、違う世界で生きてる人と知り合えたって、すごく人間としてはすばらしい体験をさせてもらってるのかなって思っています。

岸田 「キャンサーギフト」って言葉どうですか?

藤森 やっぱりそんなふうに思えないっていう方もいるんですけど、「あ、これってキャンサーギフトだね」みたいな、なんか軽く使えるような。みんなが、「あっ、これだ! 今の瞬間!」っていうふうに感じられるように使えたらいいのかなと。なんかちょっと、「あっ、今ハッピーな気持ち」とか、「あったかい気持ちになれた」っていうときに、「これキャンサーギフト」って。キャンサーギフトっておっきくなっちゃうと、そんなにおっきいもの私は貰えてないとか思っちゃうと思うんですけど、日々人の優しさに触れたときとか、そういうのがもうキャンサーギフトかなと。

【夢】

藤森 NPOをじつは立ち上げまして。メンタルケアだったり、「どう生きてくか」っていうことが、まだ置き去りだなっていうことをすごく感じるんですね。なので、「どう生きてくか」っていうことをみんなで考えてつながって健康な人との垣根をなくすっていうことができたらって思ってます。NPO法人「C-ribbons」と申します。私は代表理事をしてるんですが、乳がんだけではなくって、メインは女性特有のがんの方、サバイバーの方を中心として、いろいろなコラムを書いていただいたり。「こういうふうに自分らしく暮らそうよ」みたいな。別に何かを手放すわけではなく、「どう生きてくか」っていうのを提案するような団体になってます。

岸田 C-ribbonsさんとしては、今後どうしていかれる感じなんですか? この活動をとおして。

藤森 そうですね、これからやろうと思ってるのは、私がこういう職業なのでヘアメイクさんとかカメラマンさんとか、そういうプロの方の知り合いが多いんですね。なので、そのプロの人がメイクを教えるとか、それって別に健康な人でも、メイク講座とかしてもらったら楽しいし。またサバイバーさんだったら以前とちょっと肌の状態が変わっちゃったのをどうこうケアするか? とか、トラブルをどういうふうにケアするか? っていうこととかを教えてもらうようなことをやったりですとか、せっかくだからきれいに写真を撮ってもらうとか、そういうことを提案していて、ゆくゆくは就労支援をしたいんです。もともと私がウェブでこういう情報発信したいと思ったときの最終的な目標は就労支援だったんです。今ってママでもお仕事してる人とか多いでしょ? 会社の人でもダブルワーク、もう1個職業持つって兼業ができるような会社も増えてきて。ワークシェアをしやすい環境になってくると思う。フルタイムで働くっていうよりも、社会にちょっと触れているっていうことが、いいのかな? と思うので、ウェブ上で在宅でできたり、「ちょっと3、4時間だけお仕事したいな」っていう人とかに向けたシステムが作れたらなっと。それをウェブでできたらなーっと思ってます。

岸田 へー、それをC-ribbonsさんで実現していくということですね。なんでC-ribbons? キャンサーのCですか?

藤森 そう、Cancer(キャンサー)と、Care(ケア)と、Cure(キュア)で。いろいろな団体の人と会ったときに、みんなが繋がることで出来ることが更に増えると感じるので、いろんなことやってる人たちを結ぶような団体になりたいなっと。ribbon(リボン)っていうのは、すごいみなさんがね、誰かを支援しようとしてる象徴だから。なのでribbon“s”なんです。

【今、闘病中のあなたへ】

藤森 「時々、見えなくなっても、あなたはひとりぼっちじゃないよ」っていう言葉を贈りたいです。やっぱりね、自分1人なんじゃないか?とか、こういうつらいときって私だけじゃないか? とか、病気をしてるときとか、告知されたときって、ほんとに全部が真っ暗で、足元になんにもなくなってどこまでも落ちてくような気分になっちゃうことが怖いと思うんですけど。やっぱりそのときに誰もいないっていうふうに思わずに、「誰かが周りにいる、ひとりぼっちじゃないよ」っていう。私たちみたいな次の人生として歩んでいる人もいるんだっていうことを思い出してもらえたらいいかなっと思います。

岸田 これ深いっすね。ひとりじゃないよ。とか、孤独じゃないよ。っていう言葉はあると思うんですけど、ときどき見えなくなっても。

藤森 うーん。見えなくならない? みんないるんだけど。だから見えてないだけで、ほんとは周りにいるんだよ。っていうのをね。自分で心を閉ざしちゃうから、誰かいるってことを。

岸田 うーん。香衣さんの場合は、それがお友達だったり先輩のがんの経験者だったりしたってことですかね?

藤森 それでもね、なんかちょっとした言葉が、「なんでそんな言い方するの!」とか、ちょっとこうセンシティブになってると思っちゃうけど。でもそれはね、健康であったって、言い方が「ちょっとあの言い方」とか思うときあるから。それは病気だろうと健康だろうと、人同士だから話し合えばわかることもあるし。だから「ひとりぼっちじゃない」っていうのを思っててほしいですね。

 

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