インタビュアー:岸田 / ゲスト:前田

【発覚・告知】

岸田:今日のゲストは前田美智子さんに来ていただいております。自己紹介よろしくお願いします。

前田:わたしは2014年の10月に子宮頸がん、ちょうどここにいる息子が3ヶ月の時に子宮頸がんがみつかりまして、手術で子宮、卵巣、リンパを摘出して、それから再発予防の抗がん剤治療をして、経過観察に入りました。

岸田:それではまず、どうやってがんが発覚して、告知を受けたかというところを教えていただけますか。

前田:息子が生まれてちょうど3ヶ月後で。出産後、悪露(おろ)って、しばらく出血がありますよね。少し長いなと思っていたら、ある日どばっと不正出血があって。これは普通じゃないと近所のクリニックで調べてもらったら、これは何かあるかもしれない、と。子宮頸がんを匂わされました。でも妊娠中は子宮頸がん、乳がんの検査があるので、そこはクリアしてたんですよね。子宮頸がんのワクチンも20代後半に打ってたんですが、今思えば、効果が薄い時期だったのかもしれません。妊娠中に通っていたクリニックにもそのあとすぐ行って、さらに心配なので、近くの大きな病院でその日のうちに診てもらいました。

岸田:その時、結構不安じゃないですか。

前田:むちゃくちゃ不安だった気がします。

岸田:そこからどうなったんですか?

前田:1週間後に、大病院でMRIの予約をとるという話だったんですけど、その前に、最初にかかったクリニックの結果がでていて「やっぱりそうでした」と電話で言われました。がんという言葉は使わず、ふんわり言われた気がします。手術のほかに、薬物療法が必要になるかもしれないけど、ちゃんと治療したら治るからと言われたのを励みに大病院に行きました。先生は告知する気満々で、結構、緊張感あったんですけど。こっちはもう聞きましたから・・とういう状態で、夫と子供と一緒に告知を受けました。

岸田:がんって知ったら真っ白になったとか、そういったところは?

前田:本当にやっぱりがんとか、そういうことなのかなって。いざ正式に告知を受けると、すごくショックだったですね。その瞬間は泣いたり、取り乱したりとかはなかったですけど、後からじわじわくるじゃないですか。

岸田:ボディーブローのように。

前田:そうです。でも、取ったら多分治ると言われたので。治るか治らないかが重要じゃないですか。

岸田:うんうん。

前田:ああ、治るのかなっていうところは、ちょっと安心感があって。でも帰ってネットでいろいろ調べていくうちに、いろいろ考えちゃうわけですよね。死んじゃうかなとか。宣告を受けてから、その後治療まで、3週間くらいあったので…。

岸田:そう、結構始まらないんですよね。

前田:大至急始めたいのに、何日も開けて大丈夫?って。とても不安でした。

【治療】

岸田:3週間待って、何をしたんですか、治療は。

前田:広汎子宮全摘術という手術で、子宮とその周りを広範囲に切除して、リンパに飛んでいないかどうかの確認をします。もっと初期だと、子宮の部分切除とかですむんですよね。子宮を全部、取るかとらないか、その差は結構大きいです。あとは卵巣を取るか取らないかが、大きな選択で。先生に意見を聞いたら、卵巣は取った方がいいと思うと。卵巣って、がんになった時にすごく見つかりづらいらしいんですよね。その時は、やっぱり後から後悔したくないっていう想いで、子宮と卵巣をどちらも取ってもらいました。

岸田:後悔したくないから、全部取ろうという選択をしたんですね。

前田:そうですね。子供が生まれたばかりというのもあって、とにかく生きる確率を少しでもあげたい、という気持ちが大きかったです。

岸田:結構長い手術でしたか?

前田:6時間位ですかね。婦人科の中では大きい手術らしいですね。

岸田:そのあと、すぐ抗がん剤?

前田:はい、その翌月から。抗がん剤をやるかどうか判断するチェックリストがあって。大きさとか、侵襲具合とか、リンパに飛んでいるかとか。

岸田:リンパには?

前田:医者が見る限りは飛んでないでしょう、ってことで。

岸田:やるかどうか、微妙なラインだった?

前田:いや、ガイドライン上はやるらしいんですよね。でも絶対やりなさいとは言われず。もともとやらなくても8-9割は完治するでしょうと言われていたんです。やった場合は効果が1-2%あがるかもと。それだけしか変わらないの?みたいな。100%って言われたら絶対やるんですけど、副作用とか怖かったので。周りにがんの友達とか、がん患者さんとかがいなかったので、友達も私のためにいろいろ調べて、やらない方がいいんじゃない、とか。結構悪いイメージがあるので、揺らぎますね。でも主治医にそれを言ったら「今は副作用に対する吐き気止めとか処方があるから、風邪ひいたくらいな感じですよ」と言われ、それならいいか、と。

岸田:確かに。

前田:まあ、全然うそだったんですけどね(笑)

岸田:でも、やる決断をしたんですね。

前田:それも卵巣を取ったのと同じで、やっぱり後悔したくないと。

【発覚・告知(息子さん)】

前田:次、発覚って書いてありますけど、これは息子ですね。

岸田:みーさんが、手術やって、抗がん剤やって、経過観察中の2016年の8月に、りくくんの何が発覚したんですか。

前田:これは、またがんがみつかちゃって。

岸田:どうやってみつかったんですか?

前田:肺炎起こして入院して。治療して退院して、その後外来で念のため、ということでレントゲンを撮った時、ほんの少し写ってたんですね。これは肺炎の残りだから気にしなくても大丈夫でしょう、と言われて帰ったのですけど。後日、電話がかかってきて、気になるから念のためCTを撮りましょうということになり。自分のことがあったから、嫌な流れだなと思いました。肺炎だったら普通はCTには映らないんですよね。そしたら、これは肺炎じゃないと。CTの輪切りの画像見せてもらうんですけど、めちゃくちゃ一杯映ってるわけですよ、両肺に。

岸田:めちゃくちゃ一杯??

前田:そう・・。でも先生がたにも、もしこれが悪性腫瘍だったとしたら、もっと本人が辛いはずだし、こんなに元気なはずがない。だから、がんじゃないでしょうって言われたんですよね。小児がんの場合、お腹とか腎臓とか、膵臓とかから肺に転移するしいんですけど、お腹のエコーでいくら検査しても見つからず。最終的に生検のために8月に手術をして、それで結果は、残念ながら悪性でしたって言われて。

岸田:えええ。

前田:大丈夫でしょうって言われてたので、そんなこと言われるって、あまり思ってなかったですね。

岸田:ね、いや、それはショックですね。その時のがんの病名は?

前田:分からなかったんです、その時は。2ヶ月後くらいだったですかね。

岸田:え、その時は、お子さんががんだったら結構ショック受けません?

前田:すごいショックでしたね。

岸田:自分の時とどっちがショックでした?

前田:よく言われるんですけど、自分と、子供では違いますよね。かつ私の時は、その当時は治る可能性が高いと言われていたわけで。

岸田:子宮頸がんで。

前田:うん。でも息子の時は、肺にわーっとあって、手術とかじゃないって言われて。ことの重大さはわかってるから、つらかったですよね。

岸田:ねー。

前田:治る可能性がどれくらいあるかで、ショックも違うと思うし。そもそも子供っていうのは本当にショックでしたけど。でも重なってるから、え、何で?ってなります、ほんとに。お祓いとか行こうかって。やっと立ち直って、仕事も再開した矢先にですよ。

【治療(息子さん)】

岸田:けど、そこから、抗がん剤治療が1年くらい空くんですね。

前田:そうなんですよね。この間、何もしなかったんですよ。

岸田:ん、どういうことですか?何もしないとかあるの?

前田:ないですよね、普通。

岸田:え、ちょっと待って、確定診断出るまで2−3ヶ月かかったわけですよね。ここから。

前田:ええ。

岸田:で、確定診断が出た時は、何て言われたんですか?

前田:その時に、いや、すごく珍しいがんだから。希少がんなんですけどね。神経内分泌がんって言って。

岸田:はい、神経内分泌がんと神経内分泌腫瘍があるんでそれはちょっと違うのでね。その神経内分泌がんの方ですね。

前田:はい、やっかいなほうです。さらに、小児ではまず事例がないということで…。

岸田:まじか。

前田:はい、治療の実績とか、エビデンスが無いんですよね。かつすごく進行も速いし、悪性度マックスみたいな腫瘍だという診断が最終的に出て。そこで、不思議なことに今治療するのもひとつだし、すぐに始めないっていうのもひとつだって言われたんですよ。

岸田:まじで?

前田:正直、先が長くないと思ったんでしょうね。で、今すごく元気なんですよね。こうなることは誰も予想していなくて、自覚症状もないし、まあこのまま様子を見て。子供の場合だからか、特に、QOLをすごく重視されているんですよね。子供の場合は大人と違って、5年生存率とかの考えではないと言われました。

岸田:へえーー。

前田:5年生きたら、いいっていうものじゃないじゃないですか、子供って。

岸田:うんうん

前田:3年クリアしたからって、子供はやっぱり未来があるし、そこは、考えが違うんだなと。元気で楽しい時間を過ごしてほしい、治療が始まったらもう終われないから、みたいな感じで言われたんですよ。

岸田:それを聞いたとき親としてはどういう反応やったんですか。

前:それがすっごいつらくって。寝込んでて、すごくつらかったら。まだ、ザ・病人だなって思うけど、すごく元気な時に死ぬかもしれない、みたいなこと言われる。それって、酷だなって思って。こんなに元気なのに、長く生きられないかもしれないの?って。

岸田:ですが、2017年の7月に抗がん剤ってことは・・・

前田: ちょうどその時、走り始めた小児の治験があって。その治験だったら、もしかしたら効くかもしれないと主治医の先生にすすめられたんですよ。

岸田:神経内分泌がんの治験?

前田:小児がんの治験です。治験は、二種類の抗がん剤を受けた人だけが受けられますっていうルールなんですよね。

岸田:じゃあ、この治験を受けるために抗がん剤の治療をしたってこと?

前田:ある意味そうですね。

 

 

治験に入る前、抗がん剤治療中の”まるこめくん”(息子のりく君)

 

 

岸田:今はどうなんですか?

前田:それが、2月から治験をやってるんですけど、効いたんですよ。

岸田:すごい!

前田:すごい。効かない可能性の方が高い、効けばラッキー、という説明を受けてたんですけど。前例がないから、どう転ぶかな、と。今時点では寛解するまではいかないですが、それでも効いていて。

岸田:進行を抑えたりだとか、ちょっと縮小させたりだとか。

前田:そうです。それまでやっていた抗がん剤よりも効いていて。

岸田:それはよかったですねえ。ちなみにどんな治験なのか、わかる範囲で教えていただけますか。

前田:話題になったオブシーボ。大人の治験とか色々あったあと、小児も、始まったんですよね。

岸田:じゃあ今はそれが本当に効いてくれててって感じで。

前田:そうですね、効いてる限り続けるっていう。

 

【再発・治療】

岸田:希望がさして、今、りくくんは走り回ってると。次は、2018年4月転移・・

前田:はい、私です、なんと。

岸田:今年の4月、3ヶ月前。

前田:はい、子宮頸がんが肺に遠隔転移したんですよ。一番よくないやつですね。主治医ももう、直前の定期検査で「もう大丈夫でしょう」みたいな感じだったんで、ちょっと油断しました。再発するんだったら、普通は大腸とか直腸とか膀胱とかその辺でしょう、ということだったんですが、まさかの、肺。

岸田:転移わかったときって、ショックですよね。

前田:転移が確定される前「CTで何か写ってるね」という時が一番つらかったですね。それでほぼ確定なんでしょうけど、医者はそういう言い方はしないんですよね。念のためPETを撮り、検査結果が出るまでは確定じゃないって言われて、また1ヶ月くらい空くんですよね。

岸田:すぐ撮らしてくれないんですね。

前田:そうなんですよ、PET空くのが2週間後で、ここゴールデンウィーク挟むからとか。眠れなかったですよね。

岸田:ですよねー。

前田:これ精神、やばいかもと。気持ちが落ち切っちゃうと動けなくなっちゃうとまずいと思い、そうなる前に、精神腫瘍科でカウンセリングを受けました。

岸田:どうでした?

前田:睡眠剤とか安定剤をもらえるので、とにかく、お守りになるんですよね。

岸田:そこから、やっぱり、手術。

前田:そうですね。肺転移確定ですってなった日から、ぐっすり眠れたのを覚えてますね、逆に。なんか変な話ですけどね。手術は、息子の治療や入院の隙間を縫って、1―2週間空いている時に、スケジュールを組んでもらいました。

岸田:すげーなー。で、肺の手術をして、取って。

前田:今は、経過観察中。普通、再再発予防のため抗がん剤やることもあると思うんですけど。病理で、またやっかいなのが見つかっちゃって。

岸田:今、僕らの中では、子宮頸がんの転移的な話で進んでるじゃないですか。

前田:がんにもいろいろ種類がありますよね。もともと私は、扁平上皮がんっていう子宮頸がんで、わりと一般的で、悪性度もそこまで悪くない方なんですかね。 ただ今回は肺に、神経内分泌がんが見つかっちゃって。

岸田:ちょっとまって、肺には扁平上皮がんもあったの?

前田:いや、ほとんどなかったんですね。転移を起こしたのは、神経内分泌がんみたいだったんですよ。それで、昔とった子宮を調べたわけですよ。そうしたら、神経内分泌がんが見つかった。と。

岸田:昔もあったんや。

前田:あったけど、一部だったみたいなんですよね。9割くらいは扁平上皮で。病理で、輪切りして、ほとんどの細胞は扁平上皮がんに見えたんでしょうね。

岸田:まじかー。できた時には2種類がんがあったと。それで神経内分泌がんの方が、肺にあったと。

前田:それがやっかいながんだから、転移を起こしたわけですよね。だから抗がん剤も、違うものにしたかもしれないですよね。悪性度が高い方の神経内分泌がんの治療ををしたかもしれないですね。

岸田:手術で取って、今は何の治療もしてなくていいの?

前田:神経内分泌がんの場合は、今できることはないらしいんですよね。「また再発するでしょう」と言われていて、その時、こういう抗がん剤治療をしましょうっていうのはあるんですけど。自分も治療しながら子供の治療の付き添いってなると、どうなっちゃうんだろうって思うから、なるべくそうじゃない期間が長い方がいいなと思うんですけど。

【家族】

岸田:ご家族に対してはどうやって伝えましたか?

前田:私の両親は九州で離れているので、電話で伝えました。

岸田:ご両親びっくりしなかったですか?

前田:いや、びっくりしますよ。自分たちもがんになってないのに、まさか子供がって思わないですよね。

岸田:でも普通に受け入れてくれて。

前田:今振り返ると、いつも通り接してくれて、明るくしてくれたのは助かりましたね。落ち込んでると思うんですけど、それを私にぶつけられると、わたしもやっぱり余裕がないから。つらさが倍増したと思うんで。

岸田:旦那さんはどうでした?

前田:やっぱり自分の気持ちの受け沈みとかを、一番、目の前で受ける対象者というのが配偶者だったり、家族だと思うので、それをそう、こう、耐えて・・・

岸田:耐えて(笑)

前田:会社に行って、生活を回して、ちゃんと日常の生活をしてくれて、配偶者であり続けてくれたことは本当に感謝ですね。私とか子供とかは当事者ですし、でも一番大変なのは旦那さんだろうって見られている人もいると思いますし、本当にそうかもしれませんし。逃げたくなる時もたくさんあると思うんですけど。逃げないでいてくれるっていうのは、本当に、家族くらいかもしれないですよね。

【仕事】

岸田:どういうお仕事を?

前田:総合職の営業で、普通に会社員で働いていました。

岸田:最初にがんが発覚した時、治療の時、お仕事は休みましたか?

前田:私、ちょうど産休終えて、育休中だったんですよ。病気になった時、人にいうのもつらい時期っていうのもあったりして。言う必要ないんだったら、急いで言う必要もないかな、っていう感じで。

岸田:仕事復帰はどのタイミングでしたんですか。

前田:治療は終わってたんですよ、その時。だから復職できたんですけど、脱毛中で、私はウィッグをつけて会社に行く勇気がなかったんですよね。子供も小さくて、選べるならと、休職して1年後に復職して。でも、その年の夏にもう息子の病気が分かっちゃったから。

岸田:復職して4ヶ月後ってこと?

前田:そうなんですよ。

岸田:ここは休んだん?

前田:そうです。うちの会社は、最大2年間までは休職できるので、最初の3ヶ月はこどもの介護休職を使って、そのあとは息子の様子をみながら、今は2ヶ月単位で休職期間を延長してます。

【お金・保険】

岸田:お金、足りました?保険、入ってました?

前田:私、入ってたんですよ。よくぞ入ってた。社会人5年目位の時、保険のセールスだった友人に、貯金がゼロだって言ったら、入った方がいって言われて、ほいほいと(笑)

岸田:しかもがん保険?

前田:はい、過剰なぐらい。結果、私の場合は入っててよかった、というパターンですね。

岸田:差し支えなければ、どれくらい出ました?で、どれ位使いました?

前田:大体100万、どんと。手術って、限度額があるじゃないですか。

岸田:限度額療養費制度があってね。今だと何段階かあって。

前田:そういうのは知らなかったから、手術受けて何十万とかかっても、結局、マックス8万円位しか請求されないんですか。

岸田:うん。これ、年収によって違いますからね。

前田:そういうのがあったので、手術と、入院費だけで言ったらお釣りはすごいきましたよね。ただ、2週間近く入院したので入院の差額ベッド代で数十万。そのあと、抗がん剤とか、細胞診、CT、血液検査、PETとかあると、毎回、2、3万とかかるので。あと、医療費関係だと、遺伝子診断をするのに、息子と自分で合わせて100万くらいかかりました。

岸田:トータルで、2、300万はかかってそうですね。

前田:長ければ長くなるほど、お金は出て行きますね。

【辛いこと・克服】

岸田:身体的にと、精神的に。つらかったことを、どう克服したかを教えていただけますか。

前田:身体は、痛みとか、手術はつらかったんですけど。術後、覚えてるのが10円はげができてたんですよね。もしかしたらそれは精神的なものかな。

岸田:うんうん。

前田:身体の痛みは時間の経過とともに結構忘れるんですよね。だから、精神的なものの方が、やっぱりつらいなあーっていう。一人で、病院のベッドで夜中とか考えてる時とか。誰か看護師さんとか来て話し相手してくれないかなとか考えたり。お金払うから、みたいな(笑)

岸田:あはは(笑)確かに。

前田:でも、私、原千晶さんが開催している四つ葉の会っていう婦人科のがん患者会のホームページで情報を見つけて、原千晶さんに電話相談をさせてもらったんですよ。そしたらすごいいい方で。抗がん剤治療受ける前。1時間くらい話したかな。すごい、私が初めて話すがん患者さん、みたいな。

岸田:すげー。

前田:彼女も大変ながんを2度、克服されてるから。がんになった直後って、そういう壮絶な経験から生還された人って励みになるじゃないですか。だからすごく助けてもらって。その後、患者会にもお邪魔して。そこで、がん種は違いますけど、同じ年くらいのがん患者さんと出会って、それ以来ずっと交流が続いて、仲良くなって。やっぱそこから少しずつ変わったかなって。あと、子どもを持つがん患さん向けのコミュニティー、キャンサー・ペアレンツにも入っています。すごく助けてもらっていて、今の心の支えになってます。

【キャンサーギフト】

岸田:がんになって、得たもの。失ったものもいっぱいあると思いますけど。キャンサーギフト、あるとすれば。

前田:「もうキャンサーギフトなんて言葉、大っ嫌い」と思った時期も長かったですけど、今思うのは、今この瞬間を、楽しんで生きるスキルは、爆上げしたかなって思います。結局、今を大事にしなさいとか、よく言われるけど、なかなかそれができないから難しいんですよね。

岸田:うん

前田:やっぱり、過去に引きずられたり、どうなっちゃうんだろうとか、死ぬ時どうなるんだろうとか、将来に心を持っていかれそうになるじゃないですか、どうしても。でも段々、今を楽しめるようになってきたのは、やっぱり経験と、試行錯誤で。多分、がんになる前もきっと色々悩みはあったんですよね。病気じゃなくても。未来の不安とかから少し解放されたかなっていうのは、ギフトかもしれませんね。それは、自分一人の力というよりは、色々、出会った人たちのおかげだと思います。

 

手術直後にお見舞いに来てくれた歴代がんノートゲストの皆さん。「がん友」たちは心の支え

【今、闘病中のあなたへ】

岸田:今、闘病中のあなたへメッセージをお願いします。

前田:はい、「いつも自分の心が決める」。どこかで聞いた言葉だなーと思ったて調べたら、相田みつをさんでしたね(笑)

岸田:ここにみつをって書かないと(笑)

前田:いやー、いい言葉だなって思って(笑)幸せはいつも自分の心が決めるってことで、相田みつをさんの言葉が出てきて。やっぱりどうしても、がん患者さんとかその家族って言っても、身体のこともそうだし気持ちの面でも、苦しみとか不安はやっぱり個人、その人にしか分からないことがあると思うんですけれども。そういう意味だと特に精神的なことは、主観的なものかなって。そうすると、それを幸せとか逆に不幸だなって思うのも、自分の心次第で選べることもあるかもしれないから「自分の心が決める」って言葉を選びました。

岸田:やっぱり全てを決めるのは、自分のあり方だったり自分の心の持ちようだってことですよね。

前田:そうですね、だから変わることと変わらないこと、変えられるものと変えられないものがあると思うんですけど、変えられることの中で自分が幸せになるように、そういう風にできるといいなーって思いますね。

岸田:そうですね、いやー、深い言葉、みつをさんのいい言葉、いただきました(笑)

前田:はい、相田みつをさんのいい言葉(笑)

岸田:最後にりく君も。

前田:そうですね! 結局、あんなにテンション高かったのに、普通になっちゃって。(笑)

岸田:はい。史上最年少ゲストね。お名前は?

りく君:前田りくです。

岸田:おー。何歳ですか?

りく君:4歳です。

前田:好きな食べ物は?(笑)

りく君:メロンです。

岸田:はい、今日はこういう形で終わっていきたいと思います。(笑)

 

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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