インタビュアー:岸田 / ゲスト:高橋

【発覚・告知】

岸田 どういうことがきっかけで、胃がんだとわかったんですか?

高橋 最初は、海外で気づいたんです。 大学のプログラムでカンボジアに行っていたときに、体調が悪くなって。背中が痛いのから始まり、でもちょっと休めば治ってた。それが2008年。帰ってきて具合も悪くならなかったから、病院に行かずにそのまま放置して。大学4年生になって、また友達と海外に行ったときに具合が悪くなって、でもタイマッサージを受けたら治って。

岸田 治る?(笑)

高橋 また病院行かなかったの。それで2009年の夏にバイトをしていて、そこで胃が、つかまれているような、ぎゅっていう痛みで、倒れちゃって。親に夜間の病院に連れていってもらった。そこでは薬だけもらって、翌日かかりつけのお医者さんに行って「胃が痛いんですけど」って言ったら薬を出してくれて。パリエットっていう薬で、飲んだら胃が痛いのが治るっていう薬なんだけど、それすらも効かなかった。それで、またお医者さんに行って「薬が効かないんですけど」って言ったら、胃カメラをすすめられて。大学生だし、胃カメラなんて飲んだことないから。

岸田 ないですよね。

高橋 だからちょっと怖いけど飲んでみようと思って。うまい先生だから大丈夫だよ、って言われたんだけど、あまりの 苦しさにすごいパニックになってしまって。でもその先生は、「あーなんかあるねえ」みたいな。

岸田 けっこう、ポップな先生で。

高橋 そうそう。これ見てみて、って。 なんか画面に映されてて、苦しかったけどチラッて見たら、ドーナツみたいな中に丸い真っ黒の物体があって。まあ、胃潰瘍なのかなーみたいな感じで。胃カメラのあとに「ちょっと病理に出すから、細胞取ったからね」って言われた。その時点で「がんですか?」って先生に聞いたんだけど、なんかちょっとごまかされて。その1週間後に普通に予約して病院に行って、1人で告知を受けた。

岸田 そうなんですね。じゃあ、最初はカンボジアに行ったとき?

高橋 2008年の1年前くらいから徐徐に胃の調子が悪くなりつつあったけど、いつものことかなと思って市販の胃薬を飲んで、ごまかして、っていう生活を送っていて。

岸田 それで、倒れてやっとわかった。

高橋 倒れる寸前も、脂っこいものが食べたくて。すごく胃が痛くなって、こってりした豚骨ラーメンとかを食べると治る。だからおなかが空きすぎてたんだって思ってた。

岸田 (笑)。

高橋 告知されたときに、「高橋さん、 がんが見つかりました」て、普通に淡々 と言われて。「ここでは手術を行ってい ないので、病院を探さなきゃいけないんですけど、系列の病院に紹介状を書いてもいいし、自分が行きたい病院があったらそこでもいいし」って、その場で決めてくださいって言われて。自分の病気のことも受け入れられてない状態で、頭が真っ白の状態でそう言われて。いきなりで情報もないし「どうしようどうしよう」っていう感じだった。

岸田 うん、そうですよね。

高橋 でもなんとなく直感で、おじいちゃんが入院してた病院だったら景色きれ いだし、おじいちゃんも何回も入院してるけど助かって帰ってきてるから。もう そこにしようと思って、そこでお願いしますと。ちょうどシルバーウィークで連休だったので、連休明けにすぐにその病院に行った。

岸田 告知を受けて、頭が真っ白になったって言ってましたけど、まず初めにやったことって何ですか?

高橋 親に電話。

岸田 その場で。

高橋 1人で行っちゃったから。親にすぐ電話して。でもなんて言おうかすごい悩んで。「やっぱ、がんだったんだよね ー」って。

岸田 ストレートに(笑)。

高橋 うん。そしたら、泣かれちゃうかなって思ったんだけど、「神様は乗り越えられない試練は与えないから、絶対大丈夫だよ」って言ってくれて。「あんたは私の子どもなんだから、絶対大丈夫だから」って。根拠はないけど、でも、産んでくれた母親がそう言うんだったら間違いないなってそこで思えたから。だから「よし、がんばろう」って思えた。そんなに悲観的にならないで、治療をがんばろうっていうふうに。自分もそのとき泣かなかったし、親も泣かなかった

【治療】

岸田 入院した期間はどのくらいでした?

高橋 約1か月。二十何日とか。

岸田 治療は抗がん剤?

高橋 抗がん剤は術後。手術の1か月後くらいから。

岸田 飲むやつ?

高橋 TS1。飲むやつ。

岸田 どのくらい続けたんですか?

高橋 1年間くらい。

岸田 投薬の頻度はどのくらいで?

高橋 最初は4週間飲んで、2週間休薬して、っていうのを続けてたんだけど、 副作用が出て、白血球が下がっちゃったので飲み方を変えて。2週間飲んで1週間休薬して、というふうにして、だいた い1年続けた。

岸田 そうなんですね。抗がん剤はきつかったですか?

高橋 TS-1は副作用が少ないといわれているんだけど、私はけっこうきつかったかな。

岸田 白血球が下がって風邪をひきやすくなるとかあるけど、他に副作用はありました?

高橋 口内炎もできたし、常に内臓が痛い。中が痛いような、違和感があった。あと、指先が黒ずんだり。

岸田 それは抗がん剤をやめてからは戻った?

高橋 戻りました。

岸田 じゃあ当時、口内炎ができたりしたのを治すのは? 自然放置でした?

高橋 うん。あとはアフタッチを貼る。口内炎にパッチみたいなのを貼って。

岸田 (笑)。えー、そんなん知らんかったな。胃がんって言っても、どのくらい切除するかによって変わってくる?

高橋 そうだ私、ステージ言ってなかった、ステージ2で。

岸田 2なんですね。

高橋 T3N0っていうステージ分類で T3っていうのは、深さ? 胃が何層にもなってて。私はT3だから漿膜を超えて、胃の表面に出てきているがん。N0は、Nがたぶんリンパなんだけど、リンパ節には転移してなかったからN0。だからステージ2ということになって、でも、それもおなかを開けてみるまでわかりませんと言われてた。最初はステージ3かもね、と。もし開けてみておなかに散らばっていたらすぐ閉じます、って言われて。

岸田 それって事前にPET検査とかC Tとかでわからないの?

高橋 うん、わからないみたいで。

岸田 当時はそうだったんですね。

高橋 そうそう。私すごく食べることが 大好きで、大食いだったんだよね。で、 レントゲンを撮ったときに胃の大きさが、 お医者さんも今まで見たことありません っていうくらい大きかったので。もうほんと、子宮隠れるくらいまで。

岸田 マジで。

高橋 そ、大きくて、さらに胃下垂。

岸田 (笑)。

高橋 そんな感じだったから。がんができたところが、ちょうど胃の真ん中ぐらいだったんだよね。そこを切るのに、そこからさらに、4センチ開けるとか決まってるらしいんだけど。たぶん胃が大きかったから、胃を3分の1残せたのかな。

岸田 胃が大きくて。

高橋 できる場所にもよると思うけど。

岸田 じゃあ3分の2切ったんですね。

高橋 胃を3分の2を切って、3分の1 残ってる。

【家族・友人】

岸田 告知されたときお母さんは励ましてくれて。兄弟はいますか?

高橋 妹が1人。

岸田 妹には言った?

高橋 家に帰って、自分からは言わなかったかも。もう親がみんなに伝えていて、 これからどうするんだろうね、みたいな感じだったかな。

岸田 家族のサポートはどうでした? こうしてくれてうれしかったとか。

高橋 入院中はほぼ毎日お見舞いに来てくれて。ありがたかったな。

岸田 いい家族ですね。

高橋 そのとき、ちょうど恋人と別れたばかりだったんで。告知される2か月前に3年くらい付き合った人とお別れしたので、支えてくれるのは家族だったかな。

岸田 友達にカミングアウトしたりとかは?

高橋 基本的に、友達には言ってなくて、 病気のこと。これだけ活動してるのに。

岸田 テレビとかめっちゃ出てた。

高橋 でしょ。今の旦那さんの親にも言えてなかったから、「いつ言おう、いつ言おう」ってタイミングを失ってて。結果、私が出させてもらったテレビを偶然見られてバレるっていう。

岸田 はははは(笑)。

高橋 同情されるのは嫌だから別にもう言わなくていいんじゃない、という感じだったから友達には言ってなかった。でも「STAND UP!!」(※1)に出会って、みんな夢や目標を持って前向きに 生きてる姿を見て、私もそっち側に行きたいと思って。そうやって活動していくうちに、自分の体験談を顔出しで、名前も出して話さなきゃいけない。だから、 私の口からは直接友達に言ってないけど、 みんな知ってるんだろうなあ、みたいな。

岸田 じゃあいまだに、友達にはちゃんとは言ってないって感じですか?

高橋 でも最近5年目を迎えるから、言ってもいいのかなと思って。ちょいちょいは言ったかな。これから結婚式を控えてて、プロフィールを作ることになったときに、やっぱり言わないと不自然だなって。はい生まれました、小中高大に行きました、で、就職してません。活動のことを秘密にすると、じゃあ、大学出て就職もしないで何やってたの、っていうことになるよね。

岸田 自宅警備員ですね。

高橋 ね(笑)。隠す意味ももうないし、 活動してることもプロフィールに入れてもいいのかなって。『アナと雪の女王』を見たときにそう思った。

岸田 ほう。

高橋 エルサが、魔法の力を隠しなさいって言われてずっと生きてきて、「ありのままでいいの」ってなったときに、すごく解放されて、自分のパワーを発揮できた。それを自分と重ね合わせてしまい、そっかー、ありのままでいいんだー」 みたいな。

岸田 そうですよね。で、今は、ありのままの和奈さんを生きているわけですね。

高橋 ていうつもり。

岸田 (笑)。旦那さんの両親には、テレビを見て知られて、結婚を反対されなかったんですか?

高橋 反対はされなかった。ていうか、 いまだに病気のことについては何も言われてなくて、むしろ健康を気にしてくれている感じ。私たちが知らないところで、 彼の兄弟と親が話し合ってたらしくて。 テレビで見て、インターネットで検索したら情報がいろいろ出てきて、「和奈ちゃん胃がんだったんだって」ってわかったときに、「もうなっちゃったものはしようがないし、今が元気だからいいんじゃないの」っていう結論になったらしい。 それを聞いて、良かった、って思った。

岸田 良かったですね。旦那さんとはがんについて話したりしましたか?

高橋 最初は私も言えなくて。

岸田 付き合った当初?

高橋 付き合う前に、ちょっと会ってごはんを食べることがあったんだけど、病気のことに関しては言えなくて。それも、「いつ言おう、いつ言おう」って思ってて。向こうが告白をしてくれたタイミングで、「や、じつは」って言ってカミングアウトして。そこで初めて泣いちゃったのね。

岸田 そうなんですね。

高橋 人に話すことに慣れてなかったせいか、すごい泣いちゃって。そしたら向こうも泣いてて。

岸田 2人とも号泣。

高橋 そう号泣。でも自分に自信がなかったから、その場ですぐに付き合いましょう、とはならなかったんだけど。ゆっくり時間をかけて、っていう感じだったかな。

岸田 そのときに和奈さんががんであることを知って、また別のタイミングでお付き合いされて。で、今ゴールに至るっていうわけですよね。

高橋 彼は薬剤師兼、歯科医なんだよね。 それで、医学的な知識があったから、受け入れてくれたのかなって。薬の種類もわかってくれるし、がんは治る病気だってこともわかってくれてるから。「もし親に結婚を反対されたりしたら、大丈夫っていうことをちゃんと説明するから安心して」って言われた。

岸田 イケメンすね。

高橋 イケメンだね 。

 

 

 

【学校】

岸田 学校はどうしたんですか?

高橋 まず先生にメールで事情を全部送って、電話でも話したりして。今は学校のことよりも病気の治療に専念したほうがいいからと言ってもらえた。それで休学もせずそのまま。

岸田 それは入院期間が短かったから?

高橋 入院期間はちょうど、大学の夏休みだったのかな。

岸田 9月、10月。大学が始まったくらいで?

高橋 うん、始まる前だったかもしれない。本当にタイミングよく、夏休みに全部終わった。

岸田 じゃあ大学は1か月休むだけで、 その後すぐ復帰できたんですか?

高橋 2時間くらいかけて大学に通ってたから、電車に乗るのが本当にきつくて。 見た目じゃわからないから、座らないときついけど、誰も席を譲ってくれないし。

岸田 つらいですよね。

高橋 手術が終わって、ちょっと落ち着いてから大学に行ったんだけど、やっぱり体力的に通えなかった。大学はレポートでいいよって言ってくれて。大学側も、 在学中にがんになった学生が今までいなかったみたいで、対応の仕方がわからない、っていうようなこと言われた。

岸田 前例のない学生になったわけです ね。じゃあ、退院して、ちょっと休んでそれから大学に行ったけど通えず、またちょっと休んで、レポートにしたって感じですか?

高橋 だから大学に5年半くらい行ったんだよね。もともと留年は決定してて。

岸田 それ以前から?
高橋 うん、体調があまり良くなかった から、行くのに2時間かかるので行けな 日もあって。それで留年は決まってたんだけど、さらに半年延びた。

岸田 あー、そっか。いつごろからまた学校に行けるようになりました?

高橋 半年経たないぐらいかな。その次の年の春からちゃんと通うようにがんばって、9月に卒業しました。

【後遺症】

岸田 食べるのは大変でした?

高橋 外で食べる不安があって。急激に食べると、ダンピング症候群になっちゃうから。

岸田 後遺症ですよね。

高橋 胃がちょっとしかないので、早食いしちゃうと食べ物が急激に小腸のほうにいっちゃう。その反動で冷や汗が出たり、頻脈になったり、低血糖になったり。 そういうことが最初のころは頻繁にあったから、それが怖くて。

岸田 倒れちゃったり?

高橋 私は倒れたりとかはしなかったけ ど、それも人によってだと思う。ダンピング症候群も、前期ダンピング症候群と後期ダンピング症候群があって。すぐに そういう症状が出るのと、後期だと、食事から2〜3時間後にいきなり低血糖になったり。

岸田 じゃあ食べるときはほんとに細心の注意を払わないといけないんですね。

高橋 うん。とにかく時間をかけて、ゆっくり、ちゃんと嚙んで、っていうのを心がけて。あんなに食べるのが大好きだったのに、思うように食べられない。でも、脳はいっぱい食べれるって覚えてて。 だからおいしいものだと、ついつい食べちゃって、気づいたときにはもう手遅れ「あ、気持ち悪い」っていう。

岸田 それで何か失敗したことってあります?

高橋 失敗っていうか、怠け者みたいに周りから見られちゃうことが、ちょっと嫌だったかな。

岸田 どういうことですか?

高橋 食事のあとは疲れちゃうからちょっと休憩したいんだけど、体調によっては横になりたい日もあったりする。それが周りから怠けてるように思われたり。 あとは約束してて、遅刻しちゃうのも。 急におなかが痛くなってトイレに行きたくなるとかもあるんだけど、わざわざ待ち合わせの人に、ちょっとトイレ行ってたから遅れたとか。

岸田 ちょっとダンピングで、とか言えない(笑)。

高橋 言えないし、またこいつ遅刻したよみたいな。だから想像力が大切だよな って思った。その人が何を抱えているのかを想像する力。

岸田 食べられなくなったって言ってたけど、今は食べれます?

高橋 うん、全然普通に食べてる。焼肉も行くし、ラーメンも食べるし。

岸田 それは、どう乗り越えたというか、どうやって食べれるようになったんですか?

高橋 あるときを境に食べれるようになったかな? 私はずっと胃薬を飲んでたんだけど、もう飲まなくて平気かなって、そしたら体調が良くなってきて。早食いは一応気をつけるけど、でもまあ、普通に食べてますね。

岸田 それ、タイミング的にはどれくらいで? 手術して1年後? 2年後?

高橋 ほんと、ここ最近ですね。食べられるようになったのは。

岸田 4〜5年かかった感じ。

高橋 一応食べられるけど、あとが怖いから。

岸田 他に肉体的につらかったことって ありました?

高橋 最近まで貧血で点滴をしなきゃいけなくて。今年の5月くらいに血液検査でわかったんだけど、体に全然鉄がないと言われて。鉄を吸収できないから。

岸田 今まで4年間は大丈夫だったんですか?

高橋 貯鉄があるんだって。体の中に鉄を貯めてる分が今まであったんだけど、 どんどん減って、ちょうど、手術から5年弱ぐらいで底値になっちゃったんだよね。 50なきゃいけない数値が、見つかったときはひと桁になってて、点滴することになった。それまでも鉄剤を飲んでたんだけど、体に合わなくて。5月からほ ぼ毎週、週1で病院に通ってた。

岸田 へえー。

高橋 で、昨日やっと終わって。

岸田 え、終わるとかあるんですか?

高橋 数値が戻ったので。

岸田 戻ったら、貯鉄回復みたいな。

高橋 うん。また減ったらやりましょう、 って言われた。

岸田 そうなんですね。

高橋 うん。とりあえず一段落かな 。

【辛いこと・克服】

岸田 精神的にきつかったことって、何かありますか?

高橋 「なんで自分だけこんなに辛い思いをしなきゃいけないんだろう」って いうのは考えたかな。

岸田 それは治療してたとき?

高橋 抗がん剤を飲んでる間。手術が終わってから。1年間くらい。こんなに長引くと思わなくて。取ったら終わりなの かなって思ってたから。しかも、完治ま て5年っていうのを聞いて、長いなと思って。最初は悲観的だったんだけど、でも「STAND UP‼」のみんなと出会うことができて、仲間に支えられたおかげで、つらいのがなくなった。私だけじゃなくて、若くしてがんになった人がこんなにいっぱいいるんだって思って、 それで乗り越えられたかな。それをきっかけに、ユニット「カラーボール」を結成しようということになって。

岸田 もうちょっと詳しく教えていただけますか?

高橋 がんになっても、こんなに元気でいられるっていうのを伝えたいっていうのと、自分たちが闘病中に、がんになったら死んじゃうのかな、っていう不安があったから。その不安を解消させるためにも、がんになったけど元気に音楽活動をして、少しでもがんと闘ってる仲間に、 勇気や希望を与えられるような存在にな れたらいいなと。つぼ(坪内祐介)とね。

岸田 「つぼ」って、一緒にユニットを 組んでいる、ギター担当の人ですね。

高橋 若くしてがんになった私たちだからこそ、伝えられる音楽があるんじゃないかなっていう思いから、2010年にカラーボールを結成しました。その当時は、私もまだ抗がん剤を飲んでいて。休薬期間中にライブに出たり。

岸田 (笑)。

高橋 そんな感じだった、最初は。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 最後に、今、治療をがんばっている人たちに向けて、5年目を迎える和奈さんから一言お願いします。

高橋 はい。「自分を信じる」。悲観的になっちゃうかもしれないんですけど、自分は大丈夫だっていうのを、ある意味おまじないみたいなものかなって思ってて。 自分を信じて、治療に向き合って、がんばる。

岸田 自分の選択を信じるっていうことですよね。逆にあれですか。周りに惑わされんな、みたいな感じ?

高橋 いや、周りの意見も聞いて。やっぱり、自分に自信がないと、もう自分はダメなのかなとか、誰でもそういうのはよぎる。でも自分は大丈夫だって信じてたら、なんとかなるかなっていうふうに思うんです。

 

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
*がん経験談動画、及び音声データなどの無断転用、無断使用、商用利用をお断りしております。研究やその他でご利用になりたい場合は、お問い合わせまでご連絡をお願い致します。

関連するみんなの経験談