インタビュアー:岸田 / ゲスト:山本

【宣告】

岸田 きょうのゲスト、山本翔太くんです。よろしくお願いします。

山本 はい。山本翔太と申します。がんの種類は腺様嚢胞がんといって、上咽頭って喉の所にできたがんです。ステージがⅣで、見つかった期間が2015年の6月に発覚しました。27歳のときです。現在、経過観察中です。

岸田 まず、腺様嚢胞がんっていうのがあんまり聞かないがんなので、そういった説明も含めて、どうやって発覚して、どうやって告知されていったのかをよろしくお願いいたします。

山本 まず、見つかったきっかけが、職場でガムをかんでるときなんですね。ガムをかんでるときに、昔からずっとここの右側でかむ癖がなくて、ずっと、食べ物を食べるときはずっと左のほうでかんでいたんですけど、ガムをかんでるときに、急にガムがころってこっちに行ったときに、あれ、ガムがなくなったっていう感じで、ちょっと違和感を覚えて。口の中に手を入れたら、ガムが出てきて、あれって。ここを触ると、感覚がまひしてることにここで初めて気付いて。イメージ的に言うと、歯医者で麻酔かけたような感じのイメージだったんですね。

これ何かおかしいなと思って、家のすぐ近くに歯医者があったんでそこ行こう、と思ったんですけど、妻が「近くの大きな病院に行ったほうがいいんじゃない?」と言ってくれて、大きい病院で耳鼻科に行ったんですね。耳鼻科で最初、顔面神経まひって疑われてたんですけど、どうやら違ってたみたいで、MRI撮ったら脳腫瘍っていうふうに言われちゃって、えーってなって。その病院内にも脳神経外科ってあったんで、そこで受診して。再度MRIは撮ったんです。MRIと、さらに造影剤を組み合わせたものを撮ると、どうやら脳の腫瘍じゃなくて、「喉のほうだね」って言われて、また耳鼻科のほうに戻されたんですね。耳鼻科で生検。その生検を受けて、検査かけたら2週間後に「悪い細胞が見つかりました」って言われて、そこで初めてがんってことを知りました。結構大きな病院だったんですけど、そこでも、もうちょっとでも専門的な病院に診てもらったほうがいいっていうふうに言われて、がんセンターを紹介されて。そこで初めて腺様嚢胞がんっていうがんを知って、すごいショック受けました。

この腺様嚢胞がんっていうのは、個人差はあるんですが、比較的進行速度が遅くて、こちらもちょっと個人差あるんですよ、抗がん剤が効きにくいって言われていて。先生からも「抗がん剤はちょっと」っていう説明がありました。また、ステージがⅣっていうこともあって、手術もできなくはないんだけど、どうしても取り切れなくなるという説明もあって、あまり手術もお勧めされなくて。こちらも個人差と言いますか部位によるんですけど、放射線治療もあまりお勧めされなくて。だったら、当時は重粒子線治療。当時先進医療だったんですけど、この「重粒子線治療をやったほうがいい」って言われて、そこで重粒子線治療を受けました。

岸田 そのときやっぱり、「悪い細胞が見つかった」と言われたら結構、真っ白になるとかよく言うじゃないですか。

山本 いや、割とそうでもなかったですね。

岸田 ほう。

山本 もう、がんになっても、テレビとかですごく元気にされてる姿っていうイメージがすごく多くて。がんって言われても、治る時代なんだって思ってて。不思議と・・・。

岸田 まじで? もうそのときに?

山本 ・・・ショックはなかったです。だけど、がんセンターで言われた、腺様嚢胞がんって言われたときはすごいショック受けました。

岸田 じゃあ、そのとき、悪いものですって言われたときはまだ・・・。

山本 全然もう。

岸田 がん=死っていう感じではなかったし、全然いけるよということを思ってたけども、そこからじゃあもう一度大きい病院に行きましょうかって言われたんですよね?

山本 はい。

岸田 そのときにがんセンターを選んだ理由は?

山本 もうただ、がんって付いてるからですね。

岸田 安直。

山本 そう。もう、ただがんって付いてるだけだからなんですね。

岸田 ちょっと待って。そのときは、がんセンターでは何科?

山本 放射線治療部

岸田 放射線治療科にかかったと。そこでお医者さんから腺様嚢胞がんという告知を受けるということね。

山本 告知を受けました。

岸田 それはそれで組織を出して受けたって感じですよね?

山本 そうですね。

岸田 そのときに、治療、腺様嚢胞がん受けてショックだったっておっしゃってましたけど。それはなぜショックだったんです?

山本 もうまず一番は、希少がんっていうところですね。それだけじゃなくて、少し先ほども述べたように、このがんは個人差はありますけど比較的緩やかな増大速度で、抗がん剤がなかなか効きにくいということ。それと、放射線も場所によっちゃ感受性が悪いってこと、あと、手術ができないということ。じゃあもう何を治療、一体選べばいいんだってことがもう真っ先に思い付いて。もう、何も治療がないってことに一瞬だけ、うわって。

岸田 手術はできないっていうのは、ここにあったから?

山本 そうですね。

岸田 場所的なもの?

山本 場所的に悪かったというか。もう頭蓋底のほうにすごく広がり過ぎてるせいで、やれないことはないんだけど、取り残しちゃう恐れがあって。そういったことであまりお薦めされなかった。ただ、強く望めばできましたけど。

岸田 けど、最初っから「取り残す恐れがある」って言われてたら。

山本 言われるともう。嫌です。

岸田 さすがにね。そうよね。

山本 そうやって落ち込んでるときに、重粒子線治療っていうものもあるって聞いたんですけど、それを聞いたときでも、このがんって本当に特別なんだと感じてました。もうすごい、「がんって治るっていうイメージがあった」って言いましたけど、それを一気に覆されたような感覚に陥って。もう、希少がん故の悩みというか、そういったものに気持ちがやられちゃいましたね。

岸田 ありがとうございます。そこで、お医者さんから重粒子の選択肢を提示されて、受けていくことになるのですが、決め手は、もう薦められたからそれにしたって感じ?

山本 そうですね。それもありますね。もう重粒子線しかないっていうふうに頭の中にあったんで。ただ、PET検査も受けたんですね。重粒子線治療する前に。重粒子線やるって希望したら、そういったPET検査を受けることになって。そのPET検査で待ってる時間がもうすっごく苦痛でしたね。2時間。

岸田 あれね。そう、2時間安静にしとかないといけないんですよね。

山本 あのときほどつらい思いがしたことなかった。

岸田 まじか。

山本 もう、まず一番は、やっぱり重粒子線のことも帰ってからいろいろと調べて。やっぱりこの治療方法がいいなって思ったんですね。でも、受けられないパターンっていうのがあって。

岸田 ほう。

山本 転移してる場合は、治療を受けられないかもしれないっていうことも書いてあったんですね。そういうこともあって、PETで調べてるとき、もし転移が見つかったらどうしよう、みたいな。そういうことばっか考えてて。その間ずっとつらかったですね。

岸田 そっか。PETの安静にしてる2時間っていうのはじゃあすごくつらかった。

山本 はい。

岸田 不安な中、PET検査を受けて。そして、幸いそのときは転移は見つからなかったってことで。

山本 見つからなかったですね。

岸田 重粒子線になっていくと。

山本 はい。重粒子線に関しても、薦められたっていうか、場所が千葉の放射線医療研究所っていう所と、あと、兵庫県立粒子線利用センター、この二つのどっちでもいいよって感じだったんですよね。

岸田 そうなんだ。じゃあ、そこを紹介されるんや。

山本 そうなんですよね。ホームページでは調べられるんですけど、どっちが本当にいいのかなって、その違いを知りたかったっていうのもあって。二つとも行きました。

岸田 地元が兵庫やんか?

山本 はい。

岸田 だから、兵庫がいいなとかじゃなくて、二つとも行ったんや、一応。

山本 いや、そういうのじゃなくて、まず二つの違いを見たかった。

岸田 違い、どうでした?

山本 何も違いがなかったです。だったら、兵庫県。先ほどおっしゃったように、兵庫県出身なんですね。なんで、近いほうがいいかなって。

岸田 実家もあるしね。

山本 だから兵庫県のほう選んだんですね。特に違いがなかったんで、逆に安心しましたね。これで違ってたらもっと、あーって悩んでたと思うんですけど。

岸田 じゃあ、兵庫に決めましたと。すぐ行けた? 混んでなかった?

山本 幸い混んでなかったですね。いつもは混んでるみたいだったんですけど。タイミングよく。

【治療】

岸田 それで治療をしていくということで、治療のことに入っていきます。

山本 そうですね。まだ、がんでありながら、そこまでがんだっていう実感もなくて。初めて治療するときって、本当にこの治療でよかったかなっていう思いが、なぜか急に照射する何分か前に起こったんですよね。逃げ出したいと思ったくらい。不思議なんですよね。治療しなかったほうが長く生きれるんじゃないかっていう、現実逃避じゃないけど。でも、結局はいや、自分の中で抑えて、照射をして。

照射始めて終わったときって、ふらっとしたんですね。すごく。もう乗り物に酔ったような感じにふらふらっとして。そっから1日もう駄目でした。2回目の照射の頃はもう普通に戻って、よかったなと思ってたら、最初の、全部で32回受けたんですけど。症状が出始めたのは16回目ぐらいから。

岸田 全部で32回の16回。それは1日1回って数えていいの?

山本 そうですね。1日1回。

岸田 1日1回。

山本 ただ、土日休みなんで。月から金曜日。

岸田 までやって。1日、32日。ざっくり言うとね。32日の中の16日目ぐらいからちょっとなんか。

山本 症状が出始めましたね。

岸田 あれどうなん? すぐ終わんの? 1日の治療自体は。

山本 そうっすね。20分くらいで終わりますね。どっちかと言えば、セットするのが時間かかるだけで、実際に当ててる時間はもう1分くらいですかね。

岸田 それをやって、16日から32日まで。31日? 2日? 終わりましたと。放射線治療、無事終えれた。

山本 はい。

岸田 それで終わり? それだけで他はなんもなく?

山本 だけど、治療終わってから1年後に、骨に転移が見つかりました。

岸田 2015年6月に発覚いたしまして、そこから9月、3カ月以内に重粒子線を受けてると。その後に、2016年の2月に、骨転移が見つかったの?

山本 はい。骨転移が見つかって、場所が胸椎と腰椎、あと肋骨2カ所で、全部で4カ所。

岸田 そうなんだ。

山本 治療としてはゾメタを開始しました。

岸田 ゾメタって何すか。

山本 骨の、骨転移を抑えるような薬ですかね。僕もそこまで詳しく知らないんですけど。そういった認識で打ってます。

岸田 お薬を、骨転移のために始めたってことですね。

山本 点滴で打ってます。

岸田 どれぐらいの頻度でどうやってたんですか。

山本 僕は、最初は3カ月に1度だったんですけど、最近4カ月に1度に変わってます。

岸田 今も治療中?

山本 今もずっと。ゾメタ打ってます。

岸田 ということは、今も一応、骨には腫瘍は?

山本 残ってます。

岸田 ある状態と。だから、一緒に大きくならないように生きている・・・。

山本 そうですね。

岸田 じゃあ、今は現状を維持できてる?

山本 はい。ただ、これに関してもいろいろありまして。兵庫県立粒子線センターの先生の見解と、がんセンターの先生の見解が異なるってことがあったんですね。がんセンターのほうは、経過を見ましょうっていうことだったんですね。痛みとかそういった症状もないから、取りあえず様子見ましょう。それに対して兵庫県のほうは、いや、もう今すぐ積極的な治療をやったほうがいい。

岸田 積極的な治療って?

山本 ていうのは、放射線治療。根治照射をしたほうがいいって。もうこれで迷って。

岸田 迷う。

山本 どっちが正しいんだろうって。そこでセカンドオピニオンを3回受けました。

岸田 そうなんや。ちなみに、どこに受けに行ったんですか。

山本 名古屋の病院っていうかね。あと、実績がある病院。

岸田 それは結構あるんや。

山本 あるみたいですね。あと、腺様嚢胞がんに詳しい先生がいて。それが三重のほうにおられて。その先生のご意見を聞きに行きました。最後に聞いたのは、国立がん研究センター東病院、千葉のほうの先生に。そうやって多数決を取って。

岸田 多数決。先生たちのね。他の。

山本 ・・・経過観察って意見が多かったんで、経過観察、選びました。

岸田 ちなみに何対何で経過観察ですか。

山本 3対2。

岸田 うわー、また。接戦やな。

山本 それでも賛成の意見はあったんです。先生の言ってることも間違ってはないんですよ。ただ、エビデンスの問題っていうかね。結局そっちになっちゃったんですけど。

岸田 そうか、エビデンスがないのか。

山本 はい。だから、自分的にも痛みは何もないから、今回は積極的な治療をせずに経過を観察するっていう方向に選んでいきました。現に、このゾメタのおかげもあって、コントロールはできてるので。この道を選んで、僕はよかったなって。

岸田 セカンドオピニオンで、そっか、3個行ったんでしょ? セカンド、サード、フォースぐらいまで行ってるのか。

山本 そうっすね。フォースオピニオンです。

岸田 すげー。今、結構、他の所も結構行く患者さん多いですもんね。なので。そっか。今もがんと一緒に向き合いながらいるというところが、闘病歴という形でいいですか。

山本 はい。

【両親の協力】

岸田 こっから、趣向を変えて。どんどん、深いところ、センシティブなところに入っていきたいと思います。

まず両親というところで。がんになりましたと言ったときに、両親にどう報告したりだとか、両親からどういうサポートを受けたりだとか、こうしてほしいなとか、そういった意見ありますか。

山本 そうですね。まず、うちが中学校の頃に離婚してまして。

岸田 まじか。

山本 離婚してて、伝えるときは当然、母親のほうに先に伝えたんですけど。父親のほうは実は仲が悪くて。でも、伝えたいなと思ってたんですけど、昔けんかしたことが根に持ってて、もう何年も連絡取ってなかったんですね。そういったこともあって、でも、伝えなきゃなと思ったんで、妹に伝えたんですね。こういった病気だからってことも伝えてくれへん? みたいな。そう言ったら伝えてくれたみたいで。すぐに電話かかってきて。

岸田 お父さんから?

山本 はい。かかってきて。「何でそういうこと黙ってたんだ?」みたいな。そこで初めて、自分ががんであることを直接伝えることになったんですね。そのときの自分はまだ受け入れられていない状態っていうか、落ちてたときの自分だったんで、もうただ悪いことしか言わなかった。もうこのがんは抗がん剤が効きにくいとか、放射線じゃ無理とか、あと手術もできないとか、そういったネガティブな情報しか伝えてなかったんで。もう、両親も多分同じように、自分と同じように頭の中が真っ白になったんじゃないのかなって。すごい長く電話した記憶あります。

岸田 両親のサポート的なところってなんかありました?

山本 やっぱり、今、名古屋に住んでて。両親は2人とも兵庫県のほうに住んでるんで。でも、がんって分かったときはすぐに来てくれました。母親のほうに限っては、がんセンターまで来てくれました。

岸田 お父さんもどっかには駆け付けてく?

山本 お父さんはないですね。でも、治療終わった後は来てくれましたけど。

【つらかったこと】

岸田 ありがとうございます。両親はそういった感じで連絡したと。では、つらかったこと。いろんなつらかったとき、これが一番つらかった、それをどう克服したかとか、克服してなくても今こうしてる、でもいいんですけれども。そこお願いできますか。

山本 このがんが希少がんっていうこともあって、なかなか症例が少なくて。症例をずっと求めてた自分がいたんですね。もうネットでありとあらゆる手を使って、腺様嚢胞がん、治療方法って。スマホの辞書に登録してるくらい。

岸田 まじで。

山本 ・・・執着してたときがあったんですね。でももう、今はそこまで考えずになった。なんでかって言ったら、今、骨に転移してるけど、今こうやってここで立ってられるように、うまく共存できてるから。だから、治療方法は確かにある程度頭の中に入れることも大事だけど、無理無理に、そうやって必死こいて探さなくてもいいんじゃないって。結局決めるのは自分か先生だけど、だけど、そこまで必死こいてやらなくてもいいって。

【反省、失敗】

岸田 ありがとうございます。その中で、反省、失敗。あのときこうしておけばよかったっていうのを一つ、もしあれば。お願いします。

山本 たばこ、ですね。

岸田 結構、重いやつを吸ってたんですか。

山本 はい。セブンスター14ミリ。

岸田 14ミリ。

山本 これをずっと吸ってて。肺がんとか脳梗塞のリスクはあるよ、みたいなことはパッケージにも書いてあったんですよ。そのとき、まさか自分がなんて思わなかったんですよ。そういったことを知っていながら、今までずっとたばこを吸ってた自分がうーんって。たばこを吸わなかったからって言ったって、がんになったかならないかっていうのは分からないんですけど。一応、この上咽頭がんもたばことは関係があるよっていうふうに言われてるんで。それを知った以上は、あのときやっぱり吸わなきゃよかったって思いました。

だから、今は吸いたいとは全く思ってもないですけど。もしあのときの自分が、もしあのときにタイムスリップできるんなら、殴ってでも止めたい。そんな思いがあります。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 今、闘病して苦しんでる人たち、もしくは、本当にどうやっていけばいいか分からない、そういう思ってる人たちに向けての言葉をよろしくお願いします。

山本 今、闘病中のあなたへ。あなたは、1人じゃないよ。こんな感じでいいですか。

岸田 はい。

山本 やっぱり闘病中だけじゃなくて、がんって宣告されたときは強烈な孤独感に襲われるんですよね。僕もそうだったんですよ。そういったときに仲間が欲しいなって思ってたんですね。今、こうしていろんな方と出会って、自分は1人じゃないよって実感できました。なので、今、がんノートを見てくださっている入院中の方でも、そうでない方でも、決してあなたは1人じゃないよって、そういったことが伝わればいいなって思います。自分がもうずっと1人だって思いこんでたから、逆に1人じゃないよって思ってほしい。

岸田 また、この放送が皆さんのためになれば幸いです。きょうは、ありがとうございました。

山本 ありがとうございました。

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