インタビュアー:岸田 / ゲスト:四條

【発覚・告知】

岸田 今日のゲストは四條良浩さんです。 自己紹介をお願いします。

四條 四條良浩、35歳です。今は、社会復帰に向けて勉強しているところです。

岸田 2011年3月から闘病が始まって、今6年目。がん種は、悪性リンパ腫のT細胞リンパ芽球性リンパ腫という、悪性度の高いほうのリンパ腫ということですね。どうしてがんがわかったんですか?

四條 体の異変に気が付いたのが2010年の12月ぐらいですね。初めに首に、豆粒大くらいのしこりを見つけまして、最初は「あれ?」と思ったのですが、正直まさかこのような病気だとは思わなかったので、放っておきました。3か月くらいしたら最初豆粒ぐらいだったものが明らかにパンパンに張って、ちょっとこれはおかしいなということで病院に行って診てもらいました。首が腫れていたので、その部分の組織を取って詳しく検査したところ、悪性リンパ腫だと判明しました。

岸田 告知を受けたときは1人だったんですか?

四條 はい。1人で告知を受けました。

岸田 検査をしているときには、がんかもしれないっていうことは思っていました?

四條 首のあたりだったので、最初に診てもらったのが耳鼻科だったんですよ。 そこの先生が首のほうの組織を検査してくれて、調べていくうちにもう、「9割方がんだね」と言われて。まあ、がんの名前自体は言われてないんだけれども、そういう感じで言われたので、ああそうなんだと思うしかなかった。

岸田 実際にがんだと告知を受けたときは、どういう心境になりました?

四條 聞いたときは、「ああそうなんだ」と思ったけど、動揺とかパニックになるとかはなくて。あるがままを受け入れた感じですね。で、病名自体も詳しく知らなかったので、がんということのイメージだけを受け入れて、激しく涙流したりとかはなかったです。

岸田 がん=死ぬとか思わなかった?

四條 そこまで考えていなかったのかな。 がん=死とかもわかるんですけど、ただ言われたことを、ああそうなんだと思って、ぼーとしていたって感じです。

【治療】

岸田 そこから治療に移っていくと思うのですが、どういう流れだったんですか?

四條 検査結果が出たのが、3月半ばぐらいで、そのあと、入院してくださいということになって。検査結果を言われたあと、すぐに治療の説明があって、3月末ぐらいから本格的に治療開始でした。

岸田 どんな治療をしたのかをざっくり教えてもらえますか?

四條 4月に抗がん剤治療が開始しました。その抗がん剤治療は、Hyper- CVAD/MA療法(※1)で、Aコース ・Bコースというのがあって、AとBを両方合わせて1サイクルになっていて、 AとBをトータル1か月間ぐらいですね。 抗がん剤治療をして、1か月かけて体調が少しずつ上がってきたら、またもう1回Aコース・Bコース掛け合わせの抗がん剤治療をやって。それをトータル4サイクルですね。1サイクルやるごとに2か月必要なので、約8か月間の抗がん剤治療をやっていました。

岸田 入院しながら?

四條 あんまり長すぎてずっと入院することもできないので、ちょっと良くなったら1週間だけ出て、すぐに戻ってまた2か月入院する。出たり入ったりの繰り返しで、4回入退院し、抗がん剤治療を繰り返し行っていました。

岸田 そして2012年4月に再発。

四條 そうですね。

岸田 治療が終わって、大丈夫って言われてたのですか?

四條 そうそう。8か月間の抗がん剤治療で、一応寛解(※2)の状態に入って。 大丈夫かなと思ってたんですけど、それがわかったときは、「体にすでに悪い細胞が半分ぐらい出てきちゃってたよ」って言われて。悪性度の高く、進行の速いがんだったから仕方ないと思うしか……。

岸田 再発はどうしてわかったんですか?

四條 体調はそんなに悪くなかったんですけど、白血球の数値などがガクッと下がったので骨髄の検査をやったところ、わかりました。

岸田 さすがに再発って言われたときは何か思いましたか?

四條 「これは本当にヤバいわ」って思いました。最初に悪性リンパ腫を告げられたときに、一応おおまかな流れとしては8か月間の抗がん剤をやって、「寛解になったら経過観察だよ」「再発したら移植の道になるね」「もし移植してもまた再発したときは、難しいね」と言われていたんです。だから、再発したとき、 移植してもまたすぐ再発するのでは…… と。死の恐怖がすごくありまして、そのときはさすがに落ち込みましたね。「これシャレになんないわ、これヤバいわ」って。

岸田 それで再度寛解をめざし、強力な化学療法を開始したと。

四條 そうですね。前の治療をしてすぐに再発したので、体力的にも落ちてましたし、前のとは比べ物にならないぐらい強い抗がん剤だったので、自分の体力も考え、1回だけしました。

岸田 けっこうきつかった?

四條 そうですね。きつかったですね。吐き気やだるさがありました。

岸田 放射線治療もしたんですか?

四條 はい。全身の放射線と抗がん剤治療を掛け合わせてやりました。

岸田 そして妹さんからの造血幹細胞移植をした。

四條 放射線治療をして、強力な抗がん剤をして、再発していた細胞がどのくらい消えてるかチェックしたあとに、妹から移植しました。

岸田 妹さんと型が合ったんですね。

四條 フルマッチではないんですけど型は合って、かなり近かったので。

岸田 移植しても問題ないだろうということで移植をしたんですね。

四條 はい。

岸田 治療期間は3か月間。

四條 そうですね。移植したあとって経過をずっと見るんです。要するに自分の体に他人のものが入るので、そこで自分の細胞ともらった細胞が闘っちゃう。それでGVHG(※3)という拒絶反応のようなものが起きてしまうんですけど、 ある程度自分の体に元の細胞が慣れるまでの経過観察として3か月必要だということで、それが治療期間になりました。

岸田 入院したんですか?

四條 はい。入院してました。3か月間はずっとベットの上です。1回も外に出られなかったですね。

【家族】

岸田 家族のサポートがあって良かったとか、こうしてほしかった、とかありますか? ちなみに、家族構成は?

四條 母と姉と妹の4人家族です。父は大腸がんで亡くなっていて、もう12年目になりますね。

岸田 家族のサポートはけっこう手厚くありましたか?

四條 父のこともあったので、特に母は一生懸命やってくれましたね。

岸田 どんなことがうれしかったですか?

四條 そうですね。だるかったりとか、気分の浮き沈みがあったので、母は僕の態度を見ていろいろ判断して動いてくれたので、そういう意味ではすごく助かりましたね。

岸田 妹さんもけっこうサポートしてくれた?

四條 そうですね。先程お話ししたように、妹はドナーにもなってくれましたし、 そのあとの経過もすごく気にしてくれました。

【仕事】

岸田 次に仕事のことですが。今は、自宅警備員ですよね?

四條 そうですね、警備やってます(笑)。自宅を守っています。

岸田 当時は?

四條 最初は製造業をしていまして、病気になる前は介護の仕事をしていました。

岸田 製造業をして、介護の仕事をして、そのあとにがんになって、自宅を警備するようになった。

四條 そういう流れです。

岸田 もうすぐ5年ですよね、というところで、社会復帰しようという思いはありますか?

四條 はい。今年で移植が終わって経過観察5年目になるので、体も徐々に落ち着いてきましたし。

岸田 やっぱりきつかったんですね。

四條 そうですね。特にすごく体力が落ちてしまって。これほどまでに筋力ってすぐに低下してしまうのかというぐらい。自分でトレーニングなどもするんですけれども、そんなに長い距離は、まだランニングとかは無理ですね。時間を見つけては1日1時間とか歩くようにしていたり、筋トレやってみたり。社会復帰に向けてやってるんですが、なかなか筋力はつかないです。

岸田 今年から仕事を?

四條 仕事を始めようかなと。急に始めるとあれなんで、たとえばアルバイトからでも、徐々に体を慣らしていって、本格的に。

岸田 聞き忘れていましたけど、介護の仕事は、がんになってすぐに辞めたのかどうかと、職場復帰をするかどうかを考えたか、お聞きしたいのですが。

四條 これも不思議なタイミングで、介護の仕事をやってたときに、職場の人と揉めて、介護士の仕事を辞めてたんですね。それで、少し経ったときにこの病気になったんで、なったときには仕事を辞めた状態でした。就職活動しているような状態だったんです。

岸田 次に就職活動をするとき、がんであることを面接で話しますか?

四條 言いますね。ちゃんと自分のことを理解してもらえないと働いていくのは難しいと思いますし。もちろん話さないでそのまま仕事をするのも1つですし、いろいろ考え方はあると思うんですが、 自分はオープンにしたほうが、かえって自分の首を絞めないですむかな、と。

岸田 そうですよね。その5年間ぐらいの空白の間、何していたんですかって絶対聞かれますもんね。

【恋愛】

岸田 次に恋愛ですが、ご結婚はされてないですよね。今、彼女は?

四條 今はいないです。

岸田 作っていく予定は?

四條 まあ、機会があれば……とも思うんですけど、正直自分が確立されていないのもあるから、恋愛するにもどうなんだろうと思いまして。相手から見たらこの人働いてないのにってなるだろうし。そういうところで、自分が落ち着いてからじゃないと。だから恋愛とかはまだ。

岸田 じゃあ落ち着いてから、意中の女に出会いました。自分からアプローチしたいです。そのときに自分ががんの経験者だってことは言いますか?

四條 言いますね。やっぱり理解してもらいたいですし。

岸田 じゃあ、がんになったとき、友達には言いました?

四條 じつは、できるだけ弱い自分を見せたくなかったので、本当に言わなくて。たまたま体調がおかしくなるぐらいのときに連絡を取り合ってた人には中途半端に言ったり、全部話したりで。この病気を機に友人関係も変わったりしました。

岸田 どういう感じに?

四條 地元の仲良かった友達にも、弱いところを隠したかったので、連絡を取らなかったり。正直、そのまま言えてないままです。地元の友達とか長い間僕が闘病していたのを知らないので、連絡をくれるんですね。「遊ぼうよ」「飲もうよ」とか連絡が来るんだけど、会ったときにどうこう言われるのが嫌で、断ったりしてて。それがずっと続いてたら、「付き合い悪いな、こいつ」って感じになって、地元の友達とはほとんど連絡取らなくなってしまいました。まあ年賀状で「今年は絶対に会おうよ」とかは来るんですけど。けっこう長い間の付き合いだったんですけど、友人関係が変わってきていますね。

岸田 それはどう思います? 今の自分から見て、あのとき言っておけばよかったとか、今はあのときの感じで良かったなと思うのか。たしかに、下手に心配させたくないというのもありますし。

四條 そのときの判断だったので、もうこれで割り切ることにしています。長い付き合いなので、少しずつまた時間を埋められれば。

岸田 そうですね。「髪の毛薄くなったね」と言われても、抗がん剤のせいにできますもんね(笑)。

四條 (笑)絶対たぶんそれを言われると思うから。見た目が前と違うから、「あれおかしいよ」って 。

岸田 僕はずっとこれは、抗がん剤パーマって言ってるから、四條さんも大丈夫(笑)。

【お金・保険】

岸田 入院していたとき、保険は入っていましたか?

四條 保険は、入っていなかったです。 ちょうど考えていたぐらいのときに、病になってしまったので。

岸田 30歳ぐらい?

四條 30歳ぐらいなので、そろそろ保険に入ろうかという話は出て、タイミング悪く病気になっちゃったので、入ってないです。

岸田 お金はけっこうかかりました?

四條 そうですね、高額療養費制度(※ 4)の限度額いっぱい。それがあったのは助かったんですけれども、自分の場合、免疫力が下がると、個室に入ったりするんで、個室のお金がけっこうかかったりとか、入院期間も何か月かあったのでそのときにお金かかったり。あと、移植もしたので、けっこう副作用が激しくて。こんなこと言ったらあれですけど、排泄でおむつを使ったり、そういうのでもろもろの経費がけっこうかさんだっていうのはありました。

岸田 高額療養費制度を考えても、 11か月入院していたなら、ざっくり計算だけど110万円ぐらいかかるし、プラス他の必要なものがあるから、それ以上はかかっているんでしょうね。

【辛いこと・克服】

岸田 精神的や身体的につらかったときにどうやってそれぞれ克服したか。今まさに闘病している人たちもいると思うので、伺いたいんですが。精神的にきつかったときはいつですか?

四條 強い抗がん剤も使ってたり、移植したあとの、副作用とかもきつかったんですけど、やっぱりいちばんつらかったのが、退院できて、家に戻ってきて、少しずつ良くなって今があるんですけど、ここ3年ぐらいですかね。元気になると、人間、欲が出るんですよね。それで、自分と周りの人を比べたりして、「なんで ほかの人はこういうことできて自分にできないの」っていうことがけっこうあったりして。そこがすごく精神的にはつら かったですね。

岸田 周りはできてるけど、自分ができないことがいっぱいあったんですね?

四條 そうですね。やっぱり病気によって不自由になっちゃったというところで。

岸田 どう克服しています?

四條 正直葛藤してるんですけれども、ちょっとモヤモヤ的な気持ちを聞いてもらったりするカウンセリングに月1回行ったりして、気持ちを整理したりとか。

岸田 肉体的につらかったことは?

四條 肉体的には、本当に体力ですね。

岸田 ずっとですか? 特に移植してからとか?

四條 移植してからです。あと、白内障で物がかすんで見えたりします。

岸田 そうなんですね。

四條 あと、たまに手の震えじゃないですけど、手があまりうまく動かないときもあったりとか。あと、急におなかの調子が悪くなっちゃったり。

岸田 そういうのは、どうやって対応していますか?

四條 ちょっと筋トレをやったり、食べるものは消化にいいものにするとか、できるだけ体に負担にならないことをやってます。

【反省】

岸田 当時、こうしておけばよかったなということはありますか?

四條 悪性リンパ腫になったのは、これが原因というのは正直わからないんですけど、病気になる前までは、僕、お酒も飲むしタバコも吸っていて、オールしたりもしていたので、もしかしたらそれが関係してたのかな、という点で反省はありますよね。

岸田 タバコを吸ってたんですか?

四條 吸ってました。10年ぐらい前まで。病気になったのでやめたんですけど。

岸田 そうなんですか。今は健康的な生活していますか?

四條 今はもう、一切そういうことはしてないですね。

【医療従事者への感謝&要望】

岸田 医療従事者にすごい良くしてもらったこともあれば、こうして欲しかったなということは何かありますか?

四條 自分がお世話になった病院は、先生はじめ看護師さんも本当に一生懸命やってくれる病院だったので、本当にありがたかったですね。

岸田 逆にこうして欲しかったとかはあります?

四條 本当にほとんどないですね。個室を使うことも多かったので、お金がかかるので、できるだけ大部屋を使わせてもらえるような配慮もしていただけたり、本当に一生懸命やってくれたという思いしかありません。

【キャンサーギフト】

岸田 がんになって失うものもいっぱいあると思うんですけど、何か得たものってありますかね。

四條 そうですね。大きく言うとやっぱり感謝ですよね。ここまでくるまでに、健康な人もそうでない人も、やっぱり自分1人で生きてきたわけではないですし、 いろんな人に支えられて助けられてというのがあると思うんです。今回病気になったことで、家族に対する感謝とか、医療従事者への感謝とか、改めて、みんなに支えられての今なので、自分ひとりの命ではないのを感じていますね。

岸田 1人じゃ乗り切れないから、感謝することに気付いたと。

四條 はい。それから、少しずつ良くなってきているのでまた忘れがちなんですけど、当たり前のことが当たり前のようにできることへの感謝ですよね。基本的なことですけど、自分で起きて、自分で食べて、寝てというのを、普通にできる。当たり前だと思っていることは当たり前じゃないんだというのは、がんになると本当に気付くことですよね。でも、どうしても良くなってくると、それがまた当たり前になってて、そこから欲をかいている自分がいたりして。そこらへんが難しいですよね。

【夢】

岸田 今後の夢や、今後どうしていきたいというのはありますか?

四條 そうですね。正直ぎりぎりの状態で自分は生きていられているので、できるだけ健康でいたいな、というのはまず大きな柱としてありますね。

岸田 切実ですね。生きる前提で何をしたいですか?

四條 やっぱり、極端なことを言うと病気になる前よりも元気な自分でありたいかな。ちゃんと働いて、それで欲を言えば、家族についても考えていきたいですね。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 闘病中の方へメッセージをお願いします。

四條 「意志あるところに道はある‼あきらめないで‼」。というのも、自分も正直落ち込んだ時期や、死を考えた時期があって、なかなかそこから抜け出せず、抜け出すまでにけっこう時間がかかったんですね。でもやっぱりこういう体験をしたからこそ、「見返してやるぞ」、 頑張ればできるんだよということを伝えたいですね。クリアできそうなところから目標を立てて、そこに向かって頑張って、目標を乗り越えて。そういう小さい積み重ねで道は開けていくと思うので、本当に頑張って欲しいなと思いますね。

岸田 恐怖はありました?

四條 やっぱりありました。妹から移植してもらって、退院したあと、このあと1年生きられるかなというのは、すごく怖かったです。今は正直そういうことはほとんど考えなくなって、それよりも今あるこの時間とか、目標に向かってがんばっていきたいなって思いますね。


※1 Hyper-CVAD/MA療法・・・・・白血病の治療などで使用される比較的強い化学療法。

※2 寛解・・・・・・・症状が軽くなったり、消えたりした状態。このまま治ることもあれば、場合によっては再発することもある。

※3 GVHD・・・・・・移植片対宿主病。移植されたドナーの造血幹細胞がうまく患者に生着すると、患者の体の中をドナーの白血球が回り、このドナー の白血球が患者の体を「他人」とみなして免疫反応を起こして、患者の体を攻撃すること。

※4 高額療養費制度・・・・・・同一月にかかった医療費の自己負担が高額になった場合、自己負担限度額を超えた分が、あとで払い戻される制度。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
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