インタビュアー:岸田 / ゲスト:西口

【発覚・告知】

西口 西口洋平です。36歳です。1979年生まれで、闘病は1年3か月です。ステージはもっとも進んでいて、4段階の中の4ですね。

岸田 胆管がんのステージ4ということで5年生存率とか極めて低いんですよね。

西口 たぶんね、その病院とか出してるところによって違うんですけど、数%から、高いところで20%とか。がんの中でもすごい低いのが僕のがんなんです。僕ね、ラーメン好きなんですけど、油っこいものを食べると、すぐにトイレだったんですね、ずっと。2014年夏ぐらいから半年、体重が6キロぐらい落ちたんです。ビールも飲むとすぐトイレ。便の色も茶色じゃないんですよ。なんかちょっと白っぽい、あとなんか泡っぽい。シュワシュワっとした白っぽい。普通出ないですよね。そういうのがずっと続いて。食べても消化ができないので体重がどんどん落ちていく。食欲も落ちてきて、みたいなのが半年ぐらいずっと続いていました。下痢で病院に行くと、よくわからないから下痢止めだけ出しときましょう、というので下痢止めだけをもらって飲んでたんです。

岸田 よくわからないからっていうのは、レントゲンとかもいろいろ撮ったりはしても分からないという事ですか?

西口 そう、レントゲンとか撮って、まあなんかわからないけど、とりあえず下痢止めだけ飲んどきますか?ってそんなんがずっと、半年ぐらい続いていたという感じです。

岸田 症状が出始めたのが夏から?

西口 黄疸っていうんですけど、要は目が黄色くなったりとか、肌がかゆくなったりとか、おしっこがすごい黄色くなったりとか、という症状が出てきたので、病院に行ったのが翌年の2月です。行ったら、「黄疸出てますね。明日から検査入院してください」と。明日ですよ!仕事も全然都合つけてないんですけど、検査入院してください。っていうのが、まあわかったときなんですよね。

岸田 下痢のときの病院と、黄疸の診察を受けたときの病院は違ったんですか?

西口 黄疸がわかったのは同じ病院ですね。検査入院してくださいって言ったのが、紹介してもらって今通院してる病院です。

岸田 黄疸とかって、あまり聞かないですよね。

西口 聞かないですよね。だって目が黄色いっておかしいですよね。検査入院した当日に5種類ぐらいかな、レントゲンとかCTとか採血とか、いろんなやつをやって、2日後ぐらいに主治医とちょっと偉い先生がふたり出てきて、先生から「ちょっと話があります」と。入っていったら、なんかすごい神妙な面持ちで、まず撮ったCTの画像を見せられてですね。「ここ、ちょっと問題ありますね。ここにちょっと狭窄(きょうさく)が、ちょっと見られます」と。

岸田 狭窄ってなんですか?

西口 詰まりというか、圧迫してるというか、そういうのがちょっと見られますと。悪性腫瘍の疑いがありますって言われたんです。「悪性腫瘍ですか?」と。みなさん悪性腫瘍って聞いてなんかピンとくる人います?いないですよね。いるのかな?

岸田 普通に聞いたら悪性腫瘍ってわかんないですよね。

西口 僕は普通に、「悪性腫瘍ってなんですか?」って聞いたんですよ。向こうがなんかちょっと言いづらそうに、がんですと。「あっ、僕、がんなんだ」と。肝臓からは管がふたつ出てるんです。右と左から出てて、そこを胆汁っていう茶色い液体が流れてくるんですけど、その管を胆管っていうんですね。その管はすい臓の中を通って十二指腸につながっています。僕が言われたのは、肝臓から出ているふたつの管が交わるところぐらいから下のところに、腫瘍があると。ここを肝門部っていうんですけど、その肝門部の胆管がんです、と。さらに手術の話も聞いたんですけど、拡大手術をしなきゃいけない、肝臓にいってるとまずいのでちょっと大きめに。肝臓は最高6割まで取ります、下はすい臓までいってる可能性があるので、すい臓もグリッといきます、胆管の上から下まで、ガリッといく手術になります、みたいな話をもうこの場で。

岸田 告知されたときにそこまで受けたんですね。

西口 はい。で、「どうされますか?」て言われたんで、「わかりません」と。「持ち帰ります。検討します」ていうのがその日だった。

岸田 告知されたときは、悪性腫瘍っていうこと自体、何かわからないっていう状態だったと思いますけど、その肝臓グリッていうところまで説明されて、けっこう落ち込みました?

西口 いや、落ち込んだというか頭真っ白でした。なんですかねえっていう感じでしたね。それ言われたのがたぶん昼の2時ぐらいだったんですよ。ああそうか、悪性腫瘍なんだ、と。手術もするんだ、というので、とりあえず、親にだけ報告しとこうと思って、電話したんですね。いちばん最初に母に。で、電話をしたときになんか実感が湧いたんでしょうね、もう言葉にならなくて。嗚咽しました。たぶん人生初だと思うんですよ、嗚咽。なんかうわーってなって。母親も嗚咽してましたね。嗚咽し合いでたぶんもう、電話の意味をなしてなかったっていう、そういうのが1分ぐらいあって、「また電話するわ」みたいな。そのときに初めて、「ああなんか、僕って死ぬかもしれないな、死ぬんだ」みたいな感じだったのを覚えてます。そのあと嫁さんに電話したんですけど、嫁さんなんかサラッと、「ああそう、そうなの」みたいな。

岸田 けっこうあっさりだったんですね。

西口 でも逆になんかそういうほうが僕は、なんか良かったなと思います。逆にそこで重く、うわーっとかってなってるよりも、「まあ、がんばろう」みたいな、そんな感じだったんで。

【治療】

西口 最初に手術の説明を受けてから、1週間後に手術をすることになったんですよ。上は肝臓グリッ、下はすい臓グリッみたいな感じでやりますんでと。おそらく、すごい難しい手術なんで、12時間ぐらいかかります。朝から始めて夜までかかりますみたいな。

岸田 うおー、長いですね。

西口 朝看護師さんに、いろいろ処置してもらってから手術室に向かうんですけど。手術室まで母親が送ってくれて、まあちょっとがんばってくるわと……。最初は覚えてるんですよ。ドラマに出てくるような、ピカーッって覚えてるんですけど、途中から麻酔が入るんで、一瞬で記憶がバッてなくなって、目が覚めると、12時ぐらいなんですよ、昼の。

岸田 昼の?

西口 昼の。ちょっとなんか、ざわついてるんですよね。僕は動けないので、パッて目覚めて、時計だけ見たら12時で、「あれ、終わったんかな」と。夜中の12時なのかなと。でも外は明るいので、「ああ昼の12時やな」と。そこでわかったのが、転移が見つかって、「腹膜っていわれるお腹のところと、あとリンパ節に転移があって、今ここでガサッと取っちゃうと、体力が低下してこういう転移したがんが悪さをする可能性があるので一旦閉じました」。

岸田 閉じた……。

西口 そっと。抗がん剤をパラパラっとしときましたみたいな、ふりかけか!みたいな、説明をほんとに受けて。

岸田 マジで?

西口 はい。僕はそこから説明をまったく受けず、最初は両親が医者から説明を受けて、「この説明をどうしますか」「いや、もう先生からしてください」次、嫁さんがその話を聞いて、「これ奥さんから言われますか」「いや先生からしてください」みたいな。最終的に僕は先生から話を聞きました。転移があって、ステージももう4といちばん進んでいて、もう抗がん剤の治療しか今はできません、みたいな話を受けたのが手術の直後です。ポンポンポン、みたいな。おっ黄色いわ、開けて閉じられるわ、ステージ4やわみたいな、もうバーンとここで一気に来たっていうか。

岸田 自分が良くなると思って手術を受けるじゃないですか。閉じられたときって、どんな心境なりました?

西口 なんか僕、そんときも全然実感がなくて、とりあえずお腹が痛かったので。手術したあとなので、「早くこの痛みが引いてくれ」っていうことぐらいで。でもなんか周りがちょっと悲壮感あるわけですよ。

岸田 そりゃそうですね。

西口 でもそのときに嫁さんと話ししてたのは、川島なお美さんって、そんときすごい激やせで亡くなられたんですけど。彼女は手術をして、たぶん体力がすごい低下してたので、耐え切れずに亡くなられた。今僕は手術をせずにそのまま残ってるんですよね、ここに。たぶんそれが逆に良かったんじゃないかと。体力を低下させずに闘える体が今あるから、っていう、ポジティブに考えよう、ていう感じです。今、胆管にステントっていう管を入れています。がんが悪さをして胆管を閉じようとしてくるんですけど、それを閉じさせないためにステントを入れています。この管って金属なんですけど網々なんですね。だからカスとかで詰まるんです。それが詰まると胆汁が流れなくなっちゃうので、たまに鼻から管を入れて中を掃除するっていうのをやってます。これやらないで胆管が詰まると熱が出て、また黄疸が出たりするので定期的にやっています。で、抗がん剤をスタート。

岸田 どんな抗がん剤ですか。

西口 ジェムザールとシスプラチンっていう薬の併用ですね。2週投与して、1週休みっていうサイクルの投与の仕方でやっているという感じです。

岸田 この抗がん剤はいつまで?

西口 今もやってます。もう1年以上ずっとですね。だいたい週1回は病院に行って、通院で抗がん剤をやってます。

【家族】

西口 2月に手術して入院してるんですけど、そのとき子どもが年長さんだったんですね。3月に卒園式があるので、これはひょっとすると出られないかもしれないなって思ってたんですけど、そっと閉じたことにより、回復が早くて3月末の卒園式に出られました。もし手術をしていたら2か月ぐらい入院期間がかかったんで、卒園式も、入学式も出れませんみたいな感じだったので、逆に良かったです。

岸田 それでは家族との関わりだったり、どういうサポートを受けたとか、あのときこうして欲しかったなとか、おうかがいできますか?

西口 はい。ちょうど6年か7年ぐらい前に親父が肺がんだったんですね。僕は東京にいて、両親は大阪にいるんですけど、親父ががんだっていうことを僕には全然言ってくれてなくて。手術をする1か月ぐらい前に、たまたま一緒に住んでいる、僕の兄貴の嫁さんから連絡があって、じつはお父さんが今がんで、今度手術するからね、みたいな話を聞いて。僕はぶち切れて母親に電話して、「なんで言わへんのや、言えよ」みたいなことがあったんです。だからまず僕は、もしこういうことになったら、先に言おうという風に決めていました。父は今も生きてるんですけど、闘病経験があるのでアドバイスっていうか、こんなことをやったらいいよ、とかそんなことを言ってくれたのはすごいありがたかったですね。ただ、僕の嫁さんは、やはり嫁姑の関係なんで、みなまで言いませんけども、そんなに簡単じゃないっていうか。仲はいいんですよ、仲はいいんだけども、そこは嫁さんは大変だっただろうなっていう感じはします。わかんないですけどね。なんかわかりますかね、親は自分の子どもなんで、なんとかしたいって思いは当然強いですよね。嫁さんは嫁さんで、旦那なんで、なんとかしたいって気持ちはあるんだけど。親はなんとかしてあげたいけどちょっとエリアが違うから、すぐには難しいけど、その分なんか嫁さん頼むぜみたいな。で、プレッシャーもかかるし嫁さんはけっこう大変だったと思いますよ。

岸田 そうですね。そこの三角関係は。

西口 僕が知らない情報なんかも、相当たぶんやり取りしてるはずなんで、これは大変だと思いますよ。

岸田 そのときの西口さんは、間を取り持つのに大変だったんじゃないですか?

西口 そのときは、親が言うことはとりあえずやってみるわ、ってその場では言うんですけど、嫁さんとふたりになったら、「あれはやるって言ったけど、別にほどほどでいいよ」って。まあ、毎日ジュースを飲めとか、あの薬を飲めとか、あのご飯はダメだとか、あのご飯を食べなさいとか、いろんなアドバイスが来るんですけど、それ全部やったらパンクするので、できる範囲で全然いいからと。その代わり帰省したときには、やってるよと、いいよねと、なんか元気になってきたわって、口裏合わせとくみたいな、みたいなことをやらないと、みんな不安なんで、みたいなことをやってきたと。たぶん僕以上に嫁さんのほうが大変ですよね。

岸田 奥様はすごく大変だったと思うんですけど、西口さんとしては任せて?

西口 僕は、普通の生活ができたらいいと思ってるので、変に病気になったからジュースを、みたいになると、僕って病気だってその都度思い出したりするので、別にもう普通でいいと。普通。思い出さなくていいと。そんな感じで話をすると、お互いの気持ちも楽になったなっていう感じでした。

岸田 お子さんが今小学2年生だということですが、がんのことを伝えるのか伝えないのか、どうしました?

西口 子どもにはまだちゃんとは言っていないです。たまに風呂に入ったときに、「もし、お父さんがいなくなったらどうする?」とか、「お父さんがもし帰ってこなかったらどうする?」とか、話をちょくちょくしてます。入院もしてるんで、当然病院にも来ますから、子どもはなんとなくわかってるとは思うんですけど……そんな話をちょくちょくするぐらいですね。ちゃんと僕の病気はこうで、みたいなことは言ってないですね。どう言っていいのか……。

岸田 そこは難しいですよね。いずれは言うつもりではある?

西口 まだ2年生なんで、理解できないでしょうね。理解できてんのかな。理解の域を超えるんじゃないかな。

岸田 子どもはけっこう感じやすいですからね。感じ取ってたりとか考えたりとかすると思うんで。

西口 僕が入院、告知されたときにいちばん最初に考えたのは、「もし僕が死んだら、嫁さんと子どもをどうしよう」と。

岸田 そこ考えますよね。

西口 めっちゃ考えましたね。家があるから、僕が亡くなったら、ローンはとりあえずまず全部なくなるから。最悪、家住んでもいいし売ってもいいし、とか。保険もあるか。でもそんなもん数千万やしな、とか。嫁、仕事してないな、仕事どうするかな、とか。僕、地元が大阪、関西だから、関西に帰ったほうがいいのかな、とか。いろんなことを考えました。ノートにわーって書いたり、そんなことをやりました。

岸田 そうですよね、残される人たちのためにね、何をするかっていうのはすごく考えることだと思うんです。

 

 

【仕事】

岸田 仕事についてお聞きしたいと思います。

西口 転職をしたい人の相談に乗って、転職先を紹介するっていう仕事を僕はやってるんですけど、2月に入院をして手術をして、退院して、2月と3月丸々休んで、4月の後半の連休前ぐらいに復帰、出社しました。3か月弱ぐらいですね。会社をまるっと休んだ。幸いちょうど、期の変わり目だったんで、有給休暇が残ってたんですよ。だからその2月と3月は、有給休暇どーんみたいな。たまってたやつをフルで吐き出したってのと、4月も休んだんですけど、4月の休みは抗がん剤も始まるので有給休暇を使わずに無給にしてもらって。

岸田 欠勤ってことですか。

西口 欠勤にしてもらって、抗がん剤のときだけ有給休暇を使うっていう、まあ人事と相談をして、やってもらったっていう感じですね。

岸田 がんになったって、会社にも言ったわけですよね。

西口 会社に言いましたね。

岸田 どういうふうに言ったんすか?

西口 えーと、しばらく休みます。最初そんな感じです。僕もどう言っていいのかわからないので。

岸田 そう、わかんないですよね。

西口 体調を崩したので、ちょっと入院、ちょっと手術もするので、しばらく休みます、って言いました。

岸田 がんとは伝えない。

西口 そのときは伝えてないです。しばらく休みます、それで手術もするので、手術をしたらたぶん解るので、そのときにまた報告しますねと。

岸田 じゃあ有給休暇を使って休んで。手術をしたけれども、そっと閉じたわけですよね。そこから抗がん剤がスタートして、どこらへんで人事とかにがんだと言ったんですか?

西口 外出ができるようになってからです。手術が終わって、たぶん2週間ぐらいですかね。

岸田 じゃあ3月ぐらいには。

西口 そう、3月ぐらいの抗がん剤やる前に会社に1回行きました。人事の人に話をして、こういう病気で、治療もこんなふうにかかって、退院がいつぐらいで復帰がこれくらいなんですよと。なんか使える制度が何かとか、みたいな話をして。じゃこれ使えるよとか、高額療養費の申請しといたほうがいいよとか、みたいな話をもらったっていう感じですね。人事の人が多様性ある方で、病気の人も過去に会社に在籍していたみたいで「そういうこと解るよ、だから一緒に闘っていこうね」みたいな感じのスタンスの方だったんで、すごい話が早かったですね。

岸田 ああさすがですね、さすが人材系の会社でもあり、いいとこですね。じゃ、休ましてもらって、職場に復帰しますってなったときに、仕事は同じ営業にもどったんですか?

西口 はい、営業に戻りました。僕、不器用なんで営業しかできないんですよ。今までずっと夜の10時とか11時とかまで仕事をしていたので、そこまではちょっとできないので最初のうちはまず、まあ9時6時で、帰りましょうっていう感じからスタートして、ちょっとずつ6時で帰るときもあれば7時までやったりとか、たまに8時までやったりとか、そういうのがあるっていう感じですね。

岸田 体力的にはきつくないですか?

西口 今はもう。たまにちょっとしんどいなっていうのはありますけど。

岸田 週1で抗がん剤やってるんですよね。その日は会社を休んで?

西口 そうです、その日は休んで。あえて抗がん剤の日を金曜日にしてもらってるんですよ。抗がん剤の副作用が出てしんどくなると仕事ができないので、土日に何かあってもいいようにっていうので金曜日。仕事人間なんで。

岸田 金曜の午後とか?

西口 金曜日の朝9時に行って採血して、ドクターとの問診があって点滴が始まって。点滴は夕方までかかるんですよ。その日はやっぱりちょっと吐き気とか食欲がなかったりするので、ちょっと軽めのうどんとかお茶漬けとか。たまに翌日とかにほんとに疲れて動けない、とかっていう日もあったりします。

岸田 そうなんですね、すごく仕事人間なんですかね(笑)。月曜日から木曜日まですごく仕事をして。がんだということを人事だけでなく、職場にも伝えました?

西口 伝えました。最初は人事と僕の上司に伝えたんですけど、職場に復帰したときにチームメンバーにだけは伝えました。あと仲のいい人たちに。会社の他の人たちは全然知らないです。

岸田 ですよね。じゃなんであいつ金曜だけ休んでるんだってならなかったんですか?

西口 ていう感じでしょうね。なんかアポイント入れたいんだけども、えっ、また休みですか! みたいな。アポイントとかを調整してくれてる人とかからすると、「なんかあの人毎週金曜日休んでんな、なんでですか」っていう、たぶんね。聞きにくいし、ていう感じだったと思います。人事も、人事部長は知ってるんですけど、労務の人とかからすると、勤怠とかで僕、有給休暇を使わないで欠勤とかで金曜日休んでるんで、「あれ?」みたいな。

岸田 おかしいなってなりますよね。

西口 ほんと、「欠勤でいいんですか?」みたいな毎回メールが来るんですよ。「あ、欠勤でいいですよ」。で、翌月も、「これ欠勤でいいんですか?」「あ、いいです」って、みたいな。そんなやり取りを何回かしましたね。

岸田 今もそんなやり取りは続いてる?

西口 今はオープンにしたんですよ。仕事に復帰して、4月にオープンにしたので(もうやってません)。

【今、闘病中のあなたへ】

岸田 今、闘病中の方にメッセージをお願いします。

西口 僕は、がんって言われて、「あなたはもうすぐ死にますよ」って言われた感じがしたんですけど、「だったら何かやろうかな」って思えたっていうのが、僕の場合すごい大きくて、べつにがんとか関係なく行動したら変わるんだから、行動しようよっていう。なんでもいいと思います。大きいことじゃなくて、ちっさいことでも、アクションを1つやってみたら変わるかもしれないので、「なんか行動すれば変わる」っていう、メッセージを伝えたいですね。がん患者の人たちってすごい人だと思うんですよ。ただやっぱり行動できない人の方が圧倒的に多いので、そういう人たちに、がんばれるんだということを見せてあげたいですね。一歩行動すれば世界は変わるので、きっかけになったらいいなって思ってます。

岸田 すばらしい言葉です。正直な話、がん告知されておまけにステージ4と言われてから、抗がん剤をしながら活動を始めるっていうこのアクティブさ。

西口 たぶんね、5年後いない可能性あるんですよ。だからがんばるみたいなところはあるかもしれないですね。

岸田 可能性の話。

西口 可能性、全部可能性、みなさんが交通事故で亡くなる可能性もなしじゃないので、可能性の話です。と思えると、がんばろうと思えますね。

岸田 今日はありがとうございました。

※本ページは、経験者の体験談を扱っております。治療法や副作用などには個人差がございますので、医療情報に関しましては主治医や、かかりつけの病院へご相談、また科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。
*がん経験談動画、及び音声データなどの無断転用、無断使用、商用利用をお断りしております。研究やその他でご利用になりたい場合は、お問い合わせまでご連絡をお願い致します。

関連するみんなの経験談