100万人に3人という上咽頭がん。過酷な治療を乗り越えて、ガンガン生きる坂本さんに、前を向く秘訣を伺いました。

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:坂本

更新日:2018.08.03

発覚

岸田 今日のゲストは坂本裕明さんです。自己紹介をお願いいたします。

坂本 はい。1966年生まれの、現在49歳です。2011年の春、上咽頭がんの治療を始めました。7月に治療が終わって、丸4年が過ぎましたので、やっと5年目に突入しました。

岸田 おー、入ったばっかりなんですね。じゃあ5年生存サバイバーということで、さっそく発覚のときのことを。

坂本 発覚は、正月なんです。たまたま2011年の1月1日に、正月番組を見てて、夕方突然左の耳が詰まったように、急に聞こえなくなったんですよ。で、何やっても全然通らなくて、聞こえなくなって。

岸田 正月番組見ながら?

坂本 見ながらなんですよね。「あれ、なんで聞こえないんだろう。」みたいな感じ。で、正月明けにすぐ、近所の耳鼻科に行って。「ま、中耳炎だね。」っていうことで、処方薬貰ったんですけれども、いっこうに良くならなくって。当時、家庭用医療機器のショールームの店長をやってたものですから、そこに来てたお客さんが、「別のいい所あるから、そこ行ってみて。」って、紹介してくれて、行ったんです。

岸田 うんうん。

坂本 そこで、また中耳炎っていう診断だったんです。また処方薬貰って。でもどんどん悪化するんですよ。で、頭痛もどんどんひどくなってくるんで、内視鏡で詳しく見てくれて。そしたら、すごく大きなものが、鼻と耳の繋いでる管の、ちょうど鼻側の出入り口にあると。それが、頭の奥に広がっている可能性があるから、MRI撮ってきてくださいということで、その内視鏡の写真を持って、大きな病院に行って。私はMRIの予約を取りに行ったつもりだったんですけども、いきなりそこで緊急検査。そのドクターがすごい慌てようで、ボンボンボンボン電話かけまくっていて。どうもその流れは非常にまずいなと。検査全部終わって、結果を聞きに来るときに、「家族連れて来てください。」って、言われてしまったんで、もう、これは告知しかないぞ、と。それでそのときに覚悟しました。

岸田 そっか、じゃあもう、病院に行ったら、あれよあれよっていう感じで。

坂本 そう、あれよあれよでしたね。もう、予約だけ取ってすぐ帰るつもりだったのに、帰りが夜になっちゃった。

岸田 そのときは地元の病院に行ったんですか?

坂本 地元の大きな病院を指定されたもんですから、そこの耳鼻科に行って、写真を見せた途端に、主治医の顔色変わっちゃったんです。よく勉強してた方ですよね。だから運がいいんですよ、私。私の病気って、100万人に3人しか発症しない病気なんで、なかなか気が付かないんです。

岸田 えっ?上咽頭がんて100万人に3人なんですか?

坂本 そうなんですよ。さすがに内視鏡してくれた耳鼻科の先生も、症例数が圧倒的に少ないんで、内視鏡の写真見ただけじゃ、分かんなかったんでしょうね。で、たまたま大きな病院行ったときに、それを見た先生が、もうピンと来て、これだろうと思ったらしいです。

岸田 うーん……。けど、すごいですね。それでピンときてくれるんですね。100万人に3人ですもんね。

坂本 そう、よく勉強してるドクターに会えて良かった。で、私も診察に行くまでの間に、いろいろ調べて、どうもこれ上咽頭がんらしいぞ、というふうに目途付けてて。ただ、私的には早期か、せいぜい二期くらいだろうと思ってたんですね。

岸田 うん。

坂本 で、いざ診察のときに、パチッと、自分の画像が出るわけですよ。私、元々レントゲン技師だったんです。

岸田 あっ、レントゲン技師だったんですか?もうある程度分かるわけですね。

坂本 分かっちゃいますね。画像見て、「なんじゃこりゃ!」みたいな。えらいショック受けましたね。で、もうステージから5年生存率まで、ずばり聞いちゃいましたよ。

岸田 おー。そんときは、どう言われたんですか?

坂本 がんが他のところへとんじゃってるんで、ステージ3だと。で、5年生存率は、今から治療しても35%から50%。

岸田 そんなもんなんですね。

坂本 そんなもんなんですよ。異常に低いんですよ。今はがんの6割が治る時代って言われてる中で、35%から50%って非常に低い数字なんですよね。

岸田 もう、覚悟するわけですか。

坂本 そうですね。よくこう、目の前が真っ暗っていう表現使うけど、私の場合、真っ白でしたね。何も考えられない状態。「なんで自分が?」って思いがまず一番最初ですよ。特に健康に自信あったんでね。

岸田 なんかされてたんですか?

坂本 そうですね、もう3000メートルくらいの山のてっぺんから、豪快に降りるっていう、過激なスキーをやってたもんですから。

岸田 そっちのほうが危ないですね(笑)。

坂本 そっちのほうが多分、危ないと思うんですけど(笑)。ま、そんな過激なスキーをやってたくらいなんで、もう健康と体力には無茶苦茶自信があったんで、「まさか自分が……。」っていう気持ちが凄い強かったですね。

 

治療

岸田 どんな治療をしたんですか?

坂本 まず、がんができたのが、オペ(手術)できない場所なんですね。

岸田 そうですよね、だって、全然傷ないですもんね。

坂本 そうそう。出来ない場所なんで、「これ、無理にオペしたら、どういうふうになるんですか?」って聞いたら、「顔半分真っ二つにして、バカっと開けてやります。」って。そこまでやりたくないんで。

岸田 マジですか、フランケンシュタインじゃないですか。

坂本 そう。「すごい危険だから、よほどのことが無い限り、たいていドクターはやらないんですよ。」って言われたんですよ。

岸田 QOL(クオリティ・オブ・ライフ)下がりますしね。

坂本 下がります。めちゃくちゃ下がりますね。で、下垂体とか近いんで、リスクが高いっていうことで、普通は、抗がん剤を最初にやって、ある程度大きさを小さくしてから、放射線をかけると言われて。で、最初に抗がん剤やったんですよ。

岸田 じゃあ、がんを小さくしてから取ると?

坂本 そう、小さくしてから放射線をかけようってことで。

岸田 抗がん剤何やったんですか?

坂本 タキソテールと、シスプラチンと、5FUです。どれもみんな副作用の強いやつですね。

岸田 それが効くって言われて?

坂本 そうですね。「この病気で、このステージだったら、これが世界的に標準治療だよ。」っていうことで、説明受けて。ただ、副作用が相当強いってことで、説明もよくされました。

岸田 じゃあ、けっこうつらかったですか?

坂本 滅茶苦茶つらかったですね。

岸田 髪は抜ける?

坂本 髪抜けます。吐き気もひどいですね。で、吐き気があるのに、なかなか出ない。

岸田 うんうん。

坂本 出ないから余計に苦しい。そのくせに、下痢だけはひどいんですよ。だから、上きたら両方いっちゃいましたね。

岸田 あー、いろいろなところが、もうマーライオンになっちゃうんですね?

坂本 ねぇ。

岸田 その抗がん剤はどれくらいやったんですか?

坂本 3クールやりましたね。

岸田 何か月くらいですか?

坂本 3か月程度ですよね。

岸田 それは効いたんですか?

坂本 そうですね。耳の詰まってた感じが、最初の抗がん剤やったときに、ドーっと抜けた感じになって、「あっ、これ、小さくなったかも。」と、思いました。

岸田 もう実感でわかるんですね。

坂本 もう実感で。もうゴーっと風が通るように感じたんですよ。

岸田 で、その抗がん剤を3か月やったあとは、予定通り?

坂本 はい。最後の抗がん剤3クール目のときに、放射線治療も同時並行しました。

岸田 同時並行してたときは、放射線治療の副作用ってどうでしたか?

坂本 放射線治療の副作用も、ひどかったですよ。放射線治療をやった方って、皮膚が赤くただれて、火傷みたいな日焼けの状態になるんです。当然、それもなったんですが、私の場合、唾液腺やられたんですね。もう唾液腺壊れちゃって、もう口の中パサパサ状態で、唾液が出ない。あと、けっこう転移してたんで。

岸田 えっ、けっこう転移してたんですか?

坂本 そう。リンパ節にあちこち飛んでたんで、喉や気管支まで全部放射線でただれちゃって。もう息して、空気が通るだけで激痛なんですよ。

岸田 おお……。

坂本 毎朝主治医がね、喉を検診するんですけれども、ウッと顔を背けちゃうくらい。もう、喉や気管支まで、白苔(はくたい)といって白い苔が生えたような状態になっちゃってて、ひどい目に遭いましたね。

岸田 痛そう。それは、治るんですか?

坂本 放射線かけ終わってから、何か月かするとだんだん引いてきますよって言われました。引くまでの間は、モルヒネ使ってましたね。

岸田 あー。

坂本 もう、息するだけで痛いですから。当然、眠れないし。

岸田 痛いですね、それは。

坂本 ええ。放射線治療も終わって、ある程度、白苔っていう喉のやけどが引いてきたんで、自宅で療養しながら流動食を食べて。あとは、麻薬のオキシコンチンですよね。

岸田 おー。

坂本 あれ飲んで、また来てくださいって言われて。その当時は、1週間毎に行ってたんですね。

岸田 じゃあ、抗がん剤してたときは、がんが小さくなったってわかったと思うんですけど、放射線当てて、無くなったっていうのは分かるんですか?

坂本 放射線かけてたときは、もう、そういう実感沸かなかったですね。どちらかというと、とにかく、気道と口の中が痛くてたまらない。そちらがあまりにも強すぎて、無くなったか小さくなったかっていう実感は、全く無かったです。

岸田 画像上はどうですか?

坂本 画像上は一応、放射線治療が最後に終わったときに、「完全消失しましたよ。」って言われました。

岸田 うわあ。壮絶な経験を。抗がん剤3ヶ月、放射線治療は?

坂本 2ヶ月ですね。

岸田 抗がん剤3ヶ月目に放射線並行しているので期間は4ヶ月。で、こちらが、放射線治療をする前の写真になります。

 

 

 

 

 

 

坂本 はい。入院する前に撮ったものです。放射線治療で味覚が無くなるって言われたんで、「じゃあ味覚がある間に家族で美味しいもの食べようよ。」っていうことで、寿司を食べに、家族みんなで行ったときに、海で撮った写真です。私の妹と姪っ子なんです。

岸田 はぁー、じゃあ美味しい海の幸を食べたんですか?

坂本 はい。それが、美味しいものの食べ納めになりましたね。

岸田 えっ!?

坂本 まあ、今はもう戻ったんですけど。

岸田 ああ、良かった良かった(笑)。

坂本 はい(笑)。ただ、半年くらいは味覚は無かったですから。

岸田 そっかー、味覚無くても食べないといけないって大変ですね。

坂本 そう。で、何食べても感じないからストレスなんですよ。もう、意地だけで食いましたね。「なんで味してないんだよ!」って感じでね。

岸田 いやー、凄い。そっか、じゃあ口のまわりとか、喉とかに出来る腫瘍のかたってそういう悩みを持ってるんですね。

坂本 そうですね。頭頚部の方はやっぱり、同じような悩みを経験してるはずです。

 

克服

岸田 身体的、精神的なつらさを、坂本さんはどう乗り越えていったのかを、お聞かせいただきたいんです。

坂本 もう、身体的につらいのは、医療スタッフに全部お願いです。自分のつらいことを、とにかく包み隠さず全部言いました。それに対して、主治医とナースが、それに対応した処置をみんなやってくれました。それでもね、やっぱり痛みとかつらかったですけど、後半2ヶ月はモルヒネを使うようになってから、ずいぶん身体的なつらさは無くなりましたね。ただ、唾液が出ないってことと、味覚が無いっていう、そのストレスはずっと付きまといましたけどね。

岸田 やっぱ味覚が無いと、そうですよね。

坂本 ええ、ストレスになりますね。何食べても感じないっていうのはイライラしますね。あとは最初、お金ないもんで、相部屋だったんですよ。で、みなさん、奥さんやお子さん連れで来るんですよ。ところが私いないんで、それ見るのが精神的につらくって……。やっぱり、嫌でしたね。自分には両親来てくれるだけでも良かったんですけど、女房子供がいないっていうのは、やっぱり引け目っていうかね、やだなぁっていう感じがありましたんで。それでたまたま同じ部屋の患者さんと、トラブって、それをきっかけに個室に入ったんです。

岸田 ちょっと楽になりました?

坂本 気持ち的に少し楽になりましたね。

 

後遺症

岸田 次に後遺症。

坂本 いっぱいありますね。見た目はパッと見、何にもわかんないんですけれども。

岸田 そうですか?(笑)。

坂本 はい(笑)。まずね、ちょうど放射線かかってたとこは、髭生えないです。外見でわかる後遺症は、ここ。で、唾液腺壊れちゃったんで、唾液が出ないですね。

岸田 そっか、唾液出ないから、飲み物飲まないといけないわけか。

坂本 そうなんですよ。あとはね、医者は、「放射線の影響だろう。」って言うんですが、自律神経やられちゃったらしくて、血圧コントロールできないんですよ。立ってると、目の前が真っ暗になって、意識を失って倒れちゃう。もう、掴まる余裕も無く、ゴトンと倒れちゃって、ぶつけるわけです。で、うしろ転がると危ないからってことで、血圧を強制的に上げる薬を処方されて、それ飲んでコントロールしてます。

岸田 へー。

坂本 それとね、すごく意外だったのが、眼瞼下垂(がんけんかすい)するんですよ、夕方になってくると。もう、まぶたが、落ちてくるんですけれども。

岸田 えっ、どういうことですか?

坂本 まぶたがね、意識しないでいると垂れて塞がってきちゃうんですよ。相談したら、「筋無力症かな。」なんて、すごい怖いこと言われちゃって。

岸田 筋無力症って筋肉が無くなって、弱くなっていくやつですよね。

坂本 そう。で、精密検査してもらったら、違うと。で、結論にびっくりした。老化ですよ老化(笑)。

岸田 えっ(笑)。

坂本 ええ。一気に、抗がん剤やって、体リセットされちゃったんで、一気に体が歳取ったんだって言われました。確かに、言われてみると、抗がん剤始めてから、いきなり老眼になったんですよ。それまでなんともなかったのに、栄養ドリンクのうしろを見ても、原材料が読めないんですね。「ついこの間まで読めてたものが読めないじゃん!」みたいなね。そういうのもあったんで、老化なのかなと。あとは、顎の筋肉と、喉の横の筋肉がやられちゃいましたね。繊維化しちゃったんで、私、口を大きく開けらんないんです。ビッグマック食べらんないんです。

岸田 ビッグマック食べれないんですか!?

坂本 ええ。おにぎりとか、ビッグマックとか、口が開かないんで食べらんないんです。不便ですね。全然開けらんないんです。たくさんあるでしょ?

岸田 なかなか大変ですね。

坂本 ねえ。日常生活、ちょっとストレスになりますね。

岸田 けど全然そんな感じを見せずにやられてますけど。

坂本 まあ、笑ってますけど。

岸田 すごい。けど、もうそれは付き合ってくしかないですね。

坂本 一生付き合うしかないですね。治らないですから。ビッグマックも、ちびりちびり千切りながら食べるしかないですね。

岸田 ほぉ、マジっすか!(笑)。

 

反省

坂本 反省……。えーっと、腫瘍について勉強しなさ過ぎました。私、人が良すぎちゃったのかもしれないんですけれども。

岸田 そうですね、もう、そんな雰囲気しますもんね。

坂本 ええ。会社を信用し過ぎちゃったところもあって。当時勤めてた会社の紹介ビデオがあるんですけどね、そこの中で、「当社に流れているのは愛情です!」っていう事を、堂々とみんなに見せてるわけですよ。で私、「この会社は愛情深い会社なんだ。」っていうふうに思って、自分がこんな病気になって入院しても、ちゃんと面倒見てくれるいい会社なんだろうって思ってたんです。でも、入院の9日目に上司から、「退職勧奨ってかたちとってあげるから、これにサインしてね。」って言っていきなり承諾書持ってきたんですよ。で、「それにサインしないと、お金一切入ってこないよ。」とも言われて。治療費困っちゃいますから、サインしたんです。それである程度賄えたんですけど。そのあと、保険組合の人に問い合わせたら、「在職していても傷病手当金出ますよ。」って言われて。まんまと言いくるめられてしまったと。

岸田 えー!?無知は怖いですねー。

坂本 怖いですよね。就労で自分がそういう目に遭うなんて夢にも思わなかったですから、もっと情報を仕入れていれば、そういうのを拒否することも出来たと思うし。

岸田 そうですよね。

坂本 病気のことばっかり調べてたんで、就労に関することっていうのが二の次だったんですよ。愛情のある会社だから、仕事は心配ないから、とりあえず治療に専念しようって。

岸田 相談支援センターとか行ったんじゃないんですか?

坂本 行かなかったんですよ。まず、相談支援センターっていうものの存在も知らなかったんです。だから、もう本当に知らないことだらけだったっていう。だから、もう……、病気の事だけじゃなくて、病気を取り巻く環境にかかわる、色んなことを、もっと知っておくべきだったというのが、一番反省しました。

 

キャンサーギフト

坂本 キャンサーギフト、いっぱいありますね。もう、がんに感謝。がん様様ですね、私はね。

岸田 もう、いっぱいあると思うんですけれども、その中でもとっておきを、教えてください。

坂本 まずとっておきはね、家族の絆を取り戻せましたね、がんになったおかげで。特に父親との関係、非常に最悪だったんで、口も利かない状態だったんですけれども、がんになったおかげでね、父親の本音っていうのもわかったし。告知受けたときにね、「俺がなればよかった……。」って一言、言ったんです。ふだんあんなに仲悪かったけど、「あーやっぱ親なんだな。」って思いましたね。で、それから家族みんなが、お互いを心配して、気遣い合える、そういう家族になりました。あとはね、ま、岸田さんはじめ、たくさんの想いを共有できる仲間たちに出会えたっていうのがね、すごく私のギフトですよね。で、新しい生き方、手に入れました。今の仕事も気に入っています。

岸田 いいですよね。

坂本 今の生き方すごく気に入ってます。これもやっぱりね、がんになったおかげだと思います。たくさんある中の、その3つがイチオシ。私にとってのキャンサーギフトですね。

岸田 そうですよね。以前よりも充実されてるって感じですよね。

坂本 そうですね、以前よりもずっと充実してますね。まず、仲間がいっぱいできたっていうのが、やっぱりうれしいですわ。あの、想いを共有する仲間。私の活動とかね、私の志にね、共感してくれる、支援者とかそういう方たちに出会えたっていうのがね、やっぱり一番嬉しいですね。

 

今、闘病中のあなたへ

坂本 今、起きていることには、必ず意味があります。神様は乗り越えられる試練しか与えません。ガンガン行きましょう。もう、これ、洒落も入ってますけどね、ガンガン生きましょう。この言葉好きですね。病気のがんと、勢いのガンガンをかけちゃってるんですけれども。自分ががんになったのも、やっぱり意味があるなって思ってますから。治療頑張ってるみなさんもね、なんで今こうなっているのかっていうことを考えると、いろいろ先が、将来が見えてくるんじゃないかなと思います。ガンガン生きてほしいですね。

岸田 いいですね、力強いですね。坂本さんの中では、これは乗り越える試練?

坂本 そうですね、乗り越えられる試練。私は乗り越えられると思います。もう、乗り越えられる試練しか与えられてないです。ただ、こう言っちゃうと語弊がありますけども、余命宣告されてる方って、当然、中にはいますよね。でも肉体が病気になっても、心はね、病人にならないでほしいなって思いますね。肉体は、滅びるもんですけれども、心は永遠。精神は永遠ですから、そこだけはね、負けてほしくないと思います。それが、負けないことイコール乗り越えられることだと私は考えてます。

岸田 坂本さんの力強い、本当にためになるお言葉をいただきました。ありがとうございました。

 

 

 

※本ページは、あくまで経験者の情報を扱っております。そのため、あくまでその方のケースはそうだったということを念頭においてください。そのため、医療情報に関しては主治医や、行きつけの病院、またはしっかり科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。

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