インタビュアー:岸田 / ゲスト:久田

【発覚・告知】

岸田 本日のゲストは久田邦博さんです。では、自己紹介がてら、どのような闘病をしてきたか教えてください。

久田 久田邦博と申します。私は、サラリーマンで営業をやっているときに、慢性骨髄性白血病になりました。そのあと仕事を営業職から研修職に変えてもらい、 そこから第二の人生が始まりました。今は患者の気持ちを、多くの方に知っていただくような講演活動を各地でしています。

岸田 いつごろがんがわかったのかについて聞かせてください。

久田 2001年の7月に、何気なく、血液検査を受けたら、白血球が2万8000まで上がっていました。普通の白血球のいちばん上の高いのが9000ですので、いちばん高い人の3倍。担当した医師の表情から非常にまずい雰囲気が漂ってきて、すぐに血液内科にかかりなさいということでした。

岸田 そのときは告知はなかったのですか?

久田 告知はないです。病院を紹介してもらって、その時点で電話を入れたんですけど、当日の外来は受けられず、仕方なく家に帰ってネット検索をしました。白血球3万近く。症状なし。そこで最悪の場合、どんな疾患かなっていうのは想像がついて、でも、それじゃないことを祈って病院へ翌日行って、血液検査をしたところ、やっぱり3万まで白血球が上がっていて、最初に医師から出た質問が「何だと思っていますか?」でした。

岸田 医師から逆にクエスチョン?

久田 僕はびびりなので、最悪の病名を言って、「NO!」って言ってもらえることを期待していたんですが、「たぶんそうでしょう」と言われました。

岸田 マジですか?

久田 それが告知って言えば、告知。最もつらかったのが、この疑いがかかった瞬間から診断がつくまで、ものすごくふわふわした時期が1か月ほどあって、その間、心が揺れ動きつづけ、ちょっとしたことで泣いてました。とくに子どものことを思って泣きつづけた時期があります。

岸田 どう受け止めたんですか?

久田 まだ診断がついてないということは患者じゃないですよね。誰も関わってはくれないので、自分で受け止めていくしかない。営業の仕事がかなりハードでしたから、仕事しているときは忘れているんですが、家で暇していると思い出してつらくなるので、映画館に行ったり。でも、ちっちゃな子どもがパッとスクリ ーンに出てきたりすると、私も4人の小さな息子がいたので、「彼らの将来を自分は見届けることができないんだな」ってふと思い浮かんだ瞬間、涙が出ました。

あと、同僚には状況説明をしてあったんですけど、励ますんですよね。「白血球がそんな上がったって、自然に下がることもあるよ」って。言ってくれることの優しさとか気持ちはわかるんだけども、 僕の中では、それを言ってもらっても何も解決しなくて。なんともいえない、この人生が終わっちゃったんじゃないかっていう、気持ちを誰か受け止めてほしいなって。そういう経験があって、「がんピアサポーター」というのをしています。 この活動を見たときに、「こういう人が あのとき僕にいてくれたら、救われたな」と思って。がんサバイバーになった人に少しでも、自分がしてほしかったことをしてあげられたらと思い、養成講座を受けて、ほそぼそとやっています。

【家族】

岸田 告知を受けてから、家族に対してどう接しましたか?

久田 ものすごくつらいことで、自分が死んだあと、妻と4人の息子はどうなるのかって考えて、また涙があふれてきました。だから、死ねないんですよね。僕は家族を守るためだけを考えて生きる方法を考えました。一家の大黒柱を失ったときに生活はどうなるんだろうか。子どもたちの進学問題、そのころは4人とも小学生でしたけど、大学行けるのかなとか、そういうことが、すべて自分が病気になったがために引き起こしてしまった。 自分が亡くなれば、自分の力で愛する家族を幸せにすることができない。ですから、僕が考えたのが、なんとか長男が二十歳になるまでは生ききると。そうすれば、バトンタッチできるので。 10年だけどうしても生きたくて、その可能性が高い方法を自分で調べて、最後は医師と話し合って、治療法を決定しました。

診断当日、家内に診断名を伝えるのが怖かったです。どんな反応するかがとても不安でした。家に帰って慢性骨髄性白血病だと伝えたら、「あっ、そうっ」「くよくよしていても仕方がないこと」という言葉だったんですね。きついなあと思ったんですが、これだけ強いんだったら、妻 1人で4人の息子を育てられるなって思いました。うちの家内はすごくて、そのあとに、「仕事人間だったけど、会社辞めちゃいな」「自分の行きたい所あるでしょ? そこにどんどん旅したら? ただし、家族の中に思い出を残してって。だからみんなで世界各国を旅しよう」って言ったんですね。僕はけっこう冷静に聞いていて、2つのことが浮かんだんですね。1つは、僕は疑いの時点から一切自分のためにお金を使わなくなりました。 それまでは自己投資していましたが、もう死んでいく人間に対して、何をやっても無意味だろうと思ったのと、もう1つは遺産でした。家族に少しでも多くのお金を残してあげたいなと思って、僕がお金を使うのをやめたんですが、家内はすべてのお金を使いきってでもいいから、 僕のやりたいことと、家族の思い出が提案だったので、それはほんと自分と家族は違う見方をするんだなっていうのと共 に、家内には心から感謝し、愛を感じました。もう1つは、白血病って聞いて、すぐ死ぬって感じたんですね。慢性骨髄性白血病はそんなすぐには死ななくて、 当時のネットの情報では骨髄移植の相手が見つからなくても、3年半が平均って記載されていて、家内に「俺3年半は生きると思うよ」って言ってみました。うちの家内はそれ聞いて、「えー3年半、中途半端ね」って(笑)。

岸田 はははは(笑)。

久田 そこから僕も冷静に中途半端だなって思って、というのは3年半生きなきゃいけない。続けて家内が「治療するの?」って聞いてきましたね。「するに決まっているじゃん」って返しました。 すると「それお金かかんじゃないの? かかるよね?」その次の言葉が、「だったら絶対会社をクビにならないでよね」 って。数分前に辞めなって言っていたのに状況変わると、これだけ変わりました。これが僕の告知を受けた日の実際の夫婦の会話で、このあと、生命保険を全部調べて、私の死んだあとのどうなるかというシミュレーションして、ある程度生活していけるんだなってことがわかって、 少し安心して入院生活に入っていきました。

岸田 お子さんには、どう告知されたのかお聞かせください。

久田 当時は、家内と話し合って、子どもには言わない選択をしました。そのまま言うタイミングを逃し、ずっと言わずにいました。長男には大学2年生になったときに、親元から離れたので少し伝えましたけど、あとの子どもには言っていませんでした。なので、みなさんにお伝えしたいことは、家族の中に隠し事があると、おかしいことが起きてきます。当時は子どもたちの中に思い出を残したい気持ちから、退院後にスキンシップとかしだしました。でも、何も知らない子どもたちは、入院していたお父さんが戻ってきた瞬間に、ベタベタしてくると、低学年の子どもたちは僕から逃げてくようになりました。本当にかわいい時期の子どもが自分には懐かなくなって、あのとき、正直に言っていれば、それなりに察したのかなって。こういうのって、あとから後悔しても、絶対取り戻すことができないことなので、私は伝えるほうが絶対いいと思います。ただ、伝え方には工夫が必要だと思います。そのあと実際どうなったかと言うと、じつは今年の正月に2番目の息子に告知したら、知っていると言われました。いろんなところで露出してしゃべっているので、ネットで父親を検索したら、見つけちゃったと。あまりいい伝え方ができなかった。こんなことも起きてきますから、ぜひ、勇気を持って、家族と相談しながら、伝え方っていうのを考えていただきたいなと思います。

【治療】

岸田 治療についてお聞かせください。

久田 今は、新薬が出てきて、内服して外来でコントロールできる病気になってきています。しかし当時はなくてですね、 骨髄移植かインターフェロンっていう自己注射を自分の太ももか腹に毎日1本打ちつづけていく、それを半年ちょっと、270回打ちつづけましたね。いろんな方法を考えながら。

岸田 痛くない方法ってことですか?

久田 いや、打つところなくなってくるんですね、皮膚が硬くなってくるんで。 腹ができなくなったら、太ももに打つとか場所を替えながら、いろんなことをやっていきましたね。ある程度の間、半年間はできてきました。

岸田 そのあとは?

久田 そのあとは、新薬が出てきました。その頃ちょうど転勤して、病院も変わったときに新しい医師から、新薬に変えてみませんか? と非常に丁寧で、患者として納得できる説明をしてもらったので。 「切り替えます」と、そのとき新たな決断をしました。

岸田 ちなみにその新薬が効いてます?

久田 そうです。今も飲みつづけていま す。それから13年経ちます。

岸田 毎日飲まないといけないんですか?飲み忘れとか……。

久田 飲み忘れします。飲み忘れするので、僕とフェイスブックでつながっている方はご存じだと思うのですけど、毎日薬を飲む前に薬で芸術作品を写真で作って、アップしています(※1)。それは 僕のためというよりも、同じように毎日抗がん剤等の薬剤を飲みつづけてる仲間のために、僕が写真をアップすることによって、みんなも気づいて飲み忘れないように。おかげさまで僕は毎日芸術作品をアップしないといけないので、アップがないとみんなから心配のメッセージが飛んできますので、絶対に飲み忘れしなくなったというわけです。

岸田 初めてその意図を知りました。飲み忘れないための工夫っていうのも、患者にとっては大切ですね。

【仕事】

岸田 仕事のことっていうところで。当時、会社を休んだりとかは大丈夫でした?

久田 えーっとですね。治療に合わせて会社休みましたけど、結局クビにならないでよねっていう妻の一言から、どうしたらクビにならないかってずっと考えて、 あんまり休んじゃいけないなって思いましたね。2週間入院して、1週間自宅療養して、すぐに営業の現場には戻っていました。

岸田 えっ、はやっ。

久田 みんな不思議がりましたけど。有給休暇とかできるだけ消化したくない。もう家族を守るために生きるって決めていたので、この時点では。ある程度、生き方を僕は選びましたね。周りの人はかなりビックリしていましたけど。

岸田 ですよね。同僚の方にはちゃんと話されていたわけですもんね。

久田 大丈夫かって言われましたけど、 大丈夫じゃなかったらどうせ倒れるだけですからね。その辺は自分でコントロ ールできるなって、ただ会社にもいろいろ配慮していただいて、絶対行ってほしい仕事だけを僕に与えてくださって、いろんなことに守られながら、仕事をしてました。

岸田 戻ってからは同じ部署だったりしたんですか?

久田 僕は重要な仕事を任されてて、疑いの段階から上司には後任者を見つけておかないと僕はダメになると、そう言っていたんですけど、すぐには後任者が来なかったんで、半年間は営業として、ほぼ自分の責任は果たす仕事はできたかなと。

岸田 じゃ半年は?

久田 半年は営業やってました。

岸田 半年間持ちこたえた感じですよね?

久田 精神的にはダメでした。でも、責任は果たさないと、僕も課長職でしたので、このときは。やっぱり、病気になったからダメになったとだけは言われなくなかった。だから、責任を果たすために後任が来るまでやっていこうと考えていました。ただ、営業ってかなり精神的なものがしっかりないとやりぬけないところがあります。当時、上司に部署の転換をお願いしました。それは自分が死んだあとに、どうなるか考えて、家内も僕も名古屋の出身なので、転勤するなら自分が生きているときだって思い、2人の故 郷に戻れば、亡くなっても親族と友達が支えるだろうと考えました。上司のところに行って、「1つだけお願い聞いてください」「何だ?」「最期を名古屋で迎えたいんです」と。そしたら、「わかった」 と。「他に何か希望はないのか」って言われて、「何もない」って言ったんですね。「それだけ叶えてほしい。どうしても叶えてほしい」と。「わかった。じゃ、聞くけど、おまえは営業の仕事辞めるの か?」と言われて、「それは無理です」と答えました。「でも1支店に行って、そんなに営業以外の仕事ないよ」って言われたんですが、「それを支援するような仕事でも、最後ほそぼそと、生きていけばいいんです」って言いました。その弱々しい僕を見て、その上司は「ダメだ! おまえまた戻ってくる。だから、 戻れるような仕事しか俺は推薦しないから」って言われたんですね。このとき、 ひどいって思ったんです。鬼だなって思ったのだけど、実際にこのように現場に戻ってきました。そのあと、研修の仕事に就きましたけど、研修の仕事に就かなかったら、ここまで、いきいき生きてなかったってことを考えると、この方には もう心から感謝しています。

岸田 かっこいい上司ですね。

【お金・保険】

岸田 お金のこと、保険のことになるんですけど、当時保険とか入られていました?

久田 保険は入っていました。がん保険も入っていました。2口も。会社に入社したときに入れって言われて。

岸田 きたこれ。

久田 診断がついた瞬間にお金が入るやつに入っていて、嫁さんにやったぜって。 不幸中の喜び、やったぜ100万円ゲットって感じでしたね。何に使おうかなと思ったら、全部巻きあげられました。

岸田 その、巻きあげっていい意味? 悪い意味?

久田 結局、「全部治療費よ」って言われて、巻き上げられて、インターフェロンの治療のとき、ほんと体がだるくて、1個だけマッサージの機械が欲しいとお願いをしたところ、「それだけはいいよ、買ってあげるわ」って言って、それだけ買ってもらいましたね。感謝していますよ、家内には。

岸田 がん保険って、わかる範囲でいいんですけど、入院とかも?

久田 入院中とかも出ます。

岸田 慢性だと今もお薬でお金かかっているじゃないですか。それも、保険で出るんですか?

久田 いや、違います。いわゆる健康保険。会社によって違ったり、国民健康保険だったり、いろいろあるんで、違いますけど。僕の場合は、3か月に1回病院にかかって、血液検査を2本とって、薬を3か月分もらいます。いくら払っていると思いますか?

岸田 えー? 3か月? いっぺんに?

久田 はい。いくら? 3割負担で、いくらになると思いますか?

岸田 3割負担。え、でも、あれ、限度額なんちゃら制度みたいな。あれは適用されてないですか?

久田 今回はしていないです。

岸田 わからん。20万くらいかな。

久田 32万円前後ですね。3ヶ月後に高額療養費(※2)が適応されてお金が戻ってきます。講演会でよく質問するんですけど、すごい幅がありますね。

岸田 下から上まで、どんな感じですか?

久田 500円って言った人もいます。 それにはビックリしましたけど。あと、 2〜3万って人も。治療成績は格段に上がったんですけど、今度は治療費の問題を少し、考えなきゃいけない。生きていくことのつらさが今度はのっかってきたかなって思いますね。たぶん他のサバイバーの方も、今はまず命が助かるなら、 ということを最初考えていますけど、そのあと、どう生きていくかのほうがきっと。私も家族を守るためとか、そこで悩み苦しみました。そっちのほうが重くなっていくので、それをどう考えていくかということが大切なことじゃないかなって思いますね。

【後遺症】

岸田 治療に続けて副作用とか後遺症的なところとかって、なんかあったりしますでしょうか?

久田 後遺症はないですけど、副作用はやっぱりいろいろあって、ものすごく体がだるい。これは服用すれば毎日続くため、この状況が当たり前で、僕の中では 普通の状態と受け止めています。あとは皮膚が切れたりするんですね。軽く角とかにぶつけただけで、パリってペロンって破れて出血するので、けっこう気分が落ち込みます。いちばんつらいのは下痢ですね。下痢は仕事に影響してしまって、 1日4〜5回トイレに行きたくなっちゃうので、精神的なものもあるのかなって思うんですけど、以前はすごく差し込むような痛みがあって、ダッシュしてトイレに向かってました。

岸田 けっこう頻繁にあるんですか?

久田 毎日です。毎日ですけど、気合いが入ってるときはならないんで、講演しながらちびっちゃたりはありませんから (笑)。

【辛いこと・克服】

岸田 精神的につらかったとき、それをどう克服しましたか?

久田 いろんなメッセージを受け取れるようになったんです。たとえば、何かイベントがあるとそこから、何か読み取れるような力が。2001年9月1日に入院したんですね。で、病棟のベッドの中 で、あー終わっちゃうんだな人生って思って、生活してたんですが、入院中に
9・11 が起きて、ビルが崩れるのを見てたときに、「多くの方が今亡くなって、 自分は今死にそうだけど、生きているんだ」と考えました。そして〝死〞っていうのは自分が恐れているけど、誰もが迎えるものなんだな、かつ、いつ起こるかわからない、誰も予想できないことなんだな」っていうのを感じた瞬間に、んー? って思ったんですね、自分がそこで「絶対やり残さない生き方をしよう」 と思いました。だから、絶対後悔しないようにやりたいことを全部やりつづけていこうとこのとき決めて、退院したら、もうあることを絶対やるって決めてました。やりたいことは後悔残さないようにしようと。そのチャンスは二度と来ないかもしれない。がんになったってことは 一つの影なんですよね。影の部分を経験してるってことは、必ず日があたる部分があります。それを探しつづけて意味づけて、自分の中に落とし込んで、常にポジティブに考えていく。それが習慣化されたかなと思います。そういうメッセージを感じるようになったんですね。プラスの意味はなんなんだろということ。それで自然と克服していったと。勇気とか決断力が湧いたということですね、やり残さないということ。

【キャンサーギフト】

岸田 キャンサーギフトについて、教えてください。

久田 闘病しているときにシャワーを浴びて、体を拭いてですね、下着に手を伸ばして、それまで1回も考えたことがなかったんですけど、その日に限っては「なぜここに下着があるんだろう」 って思ったんですよ。僕が脱ぎ散らかした下着を洗濯して、ここに戻してくれる人がいるから僕は当たり前に下着が取れるんだってことに気づきました。そして、それは妻が毎日してくれているんだと認識しました。これにより感謝と愛の気持ちを持ったと同時に、僕の見えないところでいろんな人が自分を支えてくれているんだなっていうのを考えるようになって、 常に感謝して生きるようになりました。そこから本当に幸せな気持ちで満たされるようになって、人とのつながりも広がって、今、ほんと多くの人に支えられて、 みなさんに感謝しながら、日々充実して過ごすことができるようになったかなと 思いますね。


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