症状がありながらも長期間の放置をしたために病魔は刻々と顔面神経を支配し結果的に生活の質が低下する生活を余儀なくされることに…それでも「生きてこそ」と前向きに歩む夫婦がここにいます。

【略称】インタビュアー:岸田 / ゲスト:はま、ゆっこ

更新日:2018.08.06

発覚

岸田 今日のゲストは、耳下腺がんのはまさんとその奥様のゆっこさんです。どうぞよろしくお願いいたします。

はま よろしくお願いします。

岸田 では自己紹介をお願いします。

はま はい、私は浜田勲と言います。ブログのニックネームを「はま」という名前でやってまして、皆さんには「はまさん」と呼ばれております。2013年に耳下腺がんの宣告を受けました。そして妻の……

ゆっこ はい、いつもそばで支えているつもりの(笑)妻のゆっこと申します。すごくあがり症なのでうまく今日はしゃべれるか分かりませんが、頑張って話したいと思います。よろしくお願いします。

岸田 さっそくですが、どうやって発覚したのか教えてください。

はま まず全ての始まりというのが2008年ですね。右頬にちょっと違和感があって、噛んだ時なんとなく右側がおかしいなと。噛んだときにガクッというような、顎がずれるような感覚がありました。あれ顎関節症?と自分で疑ってまず歯科に行きました。歯科に行ったところ、「んー、うちじゃ分かんないから、顎関節専門の病院に行ったほうがいい」ということで、歯科専門の病院にかかりまして、顎関節をチェックしてもらって何回か通院したところ「いや、顎関節じゃないよ」ということで分からなかったんですね、結局は。で、「顎関節なんでもないのか」と思って「分かんないからいいや」って、ほっといたら段々この病気が悪くなっていったような感じです。

岸田 どれぐらい放置したんですか?

はま ま、約5年ぐらいですね。

岸田 ちょい待ち、待ってください(笑)。

岸田 その間も違和感は?

はま 違和感はありましたけど顎関節症じゃないっていうから、ちょっとした噛み合わせかなんかの違いでおかしくなっているのかなあぐらいで……仕事も忙しいし、医者になんか行けないし。思い切って行ったところで分かんなかったしっていうのが自分の中であって。

岸田 うーん。じゃ後悔してますよね?

はま はい。で、次は2013年の7月に流れが変わります。

岸田 はい。

はま 放置をずうっとしてたんですけども。もちろん、どんどんどんどん悪くなってたんですね、実は。最初はこの頬の中の腫れとかそういうの全然分かんなかったんですけど。このころになってくると、うっすらと腫れているところが自分でも分かるようになったし、ほかの人の目から見ても分かるようになりました。で、決定的に「これはまずい」と思って「病院行かなきゃ」と思ったのはご飯を食べた時にこめかみから汗が出るんですよ、暑くもないのに。

岸田 こめかみだけ?

はま 後々調べたら、「フライ症候群」という一つの症例がありました。あとはモノを食べたときの一口目にビーンとしびれるような感覚の刺激が出ました。それも調べたら、「ファーストバイト症候群」という名前でした。その2つのことを感じるようになってほんとにまずいなと。

岸田 うーん。

はま 毎日見ているせいで一緒に暮らしてるゆっこさんから見ると頬がだんだん腫れてきたのは分からなかったかもしれません。僕は自分で触ると分かるので「ちょっと最近おかしいよね」って話もしてて。「汗とか出たりするのは異常だよね」っていうことで近所の脳外科も詳しい内科医へ相談しに行きました。

岸田 うーん。

はま もしかしたら、脳神経とかそういうとこからきてるのかなあと思ったので一応その先生を頼って聞きにいったところ「うーん、これは大きな病院行って調べたほうがいいよ」って即効で言われました。この時にやった検査というのが簡単な顔面神経をチェックする検査でした。「こっちの目瞑れてますか、瞑れませんか」とかそういう感じの検査です。それをやったときに明らかに顔面神経に異常が出ていることが分かったんです。おそらく頭頸部のどっかの病気に間違いないだろうという結論で大きな病院をすすめられたといった状況です。

岸田 ありがとうございます。5年経ってようやく……

はま はい、はい。

岸田 病院はどちらへ?

はま 自分で選んだ有名な都内の大学病院へ行きました。そこで生検して細胞採って調べたところ、やっぱり良くないものに間違いないだろうという診断でした。

岸田 ほー、

はま 僕の顔面神経のチェックや今までの症状とか全部を見極めて「悪性を疑って間違いないだろう」ということで軽くがん告知をされたという感じです。

宣告

岸田 実際にがん告知を受けたときに、どんな感じだったのかをお話しいただけますでしょうか?

はま 病院で告知される前に自分の症状をネットで調べたところ、あんまりいいことは書いてないんですよね。それでも自分では認めたくありませんでした。

岸田 はい。

はま 少しは望みはあるんじゃないかなあと思いましたが最終的には大学病院の教授の見解で、「悪性腫瘍=がんだよ、間違いない」と言われた時はやっぱりショックはかなり大きかったです。「うわあ、がんなんだなあ。そうか、がんか…」という感じでした。

岸田 がん告知されたとき、ゆっこさんはどうでした?一緒に行ったんですか?

はま 一緒でしたけど僕は会社を休んで病院に行ったんですがゆっこさんは仕事をしていまして、病院で待ち合わせしてたんですけど病室に入るときに間に合わなかったんですよ、実は。先に僕のほうが病室に入ってしまったんで出てきたときに中待合室にいたゆっこさんに僕の口から告知しました(笑)。

ゆっこ ほんとにそうだったんだ。やっぱりネットでも調べてて悪いほうかなあどうなんだろうねって思っていたんですけども。やはりそうだったっていうふうにガクッときましたね。その後何分かしてまた主人が診察室に呼ばれるということでそのとき私も一緒に入って同じ説明をもう一回いちから先生がしてくれました。

岸田 ふーん、なるほど。それから2013年の9月に現在の病院へ転院。

はま 僕は腹を決めてその大学病院で手術を受けるつもりだったんですが、そこでは僕の状態が悪すぎて受け入れられないと言われ、がん専門である現在通院している病院へ転院することになりました。

岸田 ふーん。そうなんや……

はま 転院後は、また一から検査のやり直しです。約3週間かけて徹底的に検査をした結果、僕のがんが耳下腺に発症した腺様嚢胞癌ということが判りました。耳下腺に発症するがんは全部で23種類あるんですね。がんのタイプが分からないと治療方針が決まらないということで徹底的に調べました。

治療

岸田 そして治療ですが、どんな治療をうけたんですか?

はま まずは耳下腺全摘と同時に顔面再建手術を受けました。耳の前から皮をガバッとはがして、そこから腫瘍を……。

岸田 摘出。うぉー。

はま 人造人間みたいな感じの手術なんですけれどね。それとリンパ節を数個取りまして、検査しました。そして顔面再建手術というかたちで、全部で、三種類の手術を同時に受けました。

岸田 すごいですね、何時間ぐらいかかりました?

はま 約11時間ぐらいでしたかね。

岸田 腫瘍の大きさはどれくらい?

はま 5~6センチ。かなり大きな塊がこのほっぺたの中に入ってました。

岸田 手術をして1か月くらい入院?

はま 3週間でした。ほんとは3か月半ぐらい入院だって言われてたんですよ。僕はこの手術で腫瘍摘出だけではなくて右側の顎関節を丸ごと取ってます。頬骨とか顎骨の一部分も取ってるんですけど、顎関節を取るっていうことは咀嚼に影響が出るんですね。要するに、モノを食べることに影響が出るといったところで、ちゃんと食事が自分でできるようにならないと退院はさせられませんって言われまして、それで咀嚼ができるまで2~3か月はかかるだろうと思ったんでしょうね。でも3週間ぐらいで出来るようになり退院しちゃいました。

岸田 ふーん。そのとき退院したあとって不安じゃなかったですか?

はま 不安でした。実は手術前のインフォームドコンセントのときに「生涯、お粥とかミキサー食とかきざみ食みたいな柔らかいものしか食べられなくなりますよ」と言われていたんですね。なので、自分もそういうつもりでいました。だから手術が終わって何が不安かと思ったら、やっぱりまずは食べることでした。食べなきゃ生きていけないので。食べることが、不安だったんですけどなんとか入院中にそれが乗り切れるのかなっていうような手ごたえがあったので、不安なところもありましたが退院に踏み切りました。

岸田 ゆっこさんも不安でしたか?

ゆっこ もうちょっと入院してくれると思いました。

岸田 結局、退院してそのあとは?

はま 退院後は放射線の準備です。

岸田 放射線治療したんですね?

はま 全部で33回ほど放射線治療に通院しました。

岸田 つらかったですか?

はま 頭頸部なので放射線が舌を通っていくんですよね。そのため舌の感覚がなくなる。要するに味覚がなくなるんですよ。抗がん剤治療でも味覚障害が出ることがあるようですけど放射線治療も味覚障害が出ます。あとは口の内部の炎症ですね。口の中全体がやけどしたみたいになりました。

岸田 うわー。

はま 結構大変でした。

家族

岸田 家族には結構サポートしてもらえましたか?

はま はい。ゆっこさんがいなかったら僕はいないと思ってます。変な話ですけど病気になった、ならないだけじゃなくて、要は彼女と出会ったこと自体が、もう僕の人生の全部なんですよ。熱い話をしちゃう感じですけど、ものすごくいいパートナーに僕は高校時代に出会ってるんです。彼女はずっと僕のことを見てきてくれていますので、そういう意味で人生の全てなんですよ。もちろん今もサポートしてくれてるし一番の理解者になっています。ありがたいと思っております。

岸田 どうですか、ゆっこさん的にもなにかあれば。

ゆっこ がんになり心の中がすごく変わってしまって、今後の二人の人生はどうなってしまうんだろう、将来どうなってしまうんだろう、彼の将来はどうなるのかな、私はどうなってしまうんだろう、先に逝かれてしまったらどうしよう、取り残されてしまって私は今後どうやっていけばいいんだろう……そんなことも考えていたんですけども、これからどうなるか分からない将来を考えるとほんとに分からないから、近くの将来のことを考えて毎日楽しく過ごしていけたらいいなっというのが「今の思い」「家族への思い」になります。

岸田 他にはありますか?

はま 僕らディズニーランドが大好きでよく行いくんですが、

岸田 へえー、そうなんや。

ゆっこ 手術前から計画していたんです。これからもしかしたら人前に出ることが嫌になってしまったり、人前で食事をするのが嫌になったりとか、引きこもってしまったら「どうしよう、暗い人生になってしまうんじゃないかな」って考えてしまったんですね。そのときに、そうだ、ディズニーランドの年パスを買って無理やりじゃないけども、彼が調子よければ行けるかなって思いました。パーク内には明るい音楽が流れてますし、すれ違う人もたくさんいるので人前に出れる免疫もつくし、お腹が空いたら人前でも食べるという訓練にもなりますよね。自分から率先して人前に出ることに慣れてくれないかなっていう意味から実践しました。

岸田 ふーん。そういう観点でディズニーランド見たことなかったですねー。

はま リハビリの一環です。

仕事

岸田 仕事をどれぐらい休んだとか、どうやって職場に「休みたい」って言って、どうやって職場に復帰したのかをちょっとお聞かせください。

はま 5ヶ月間休みました。「がんになったので治療をしなければいけません。手術をして放射線治療をしなければなりません。ですので、お休みをさせていただきたいです」と社長に話しました。

岸田 話したら?

はま 「分かった」と。「業者関連も含めて、俺のほうからみんなに説明してやるから」って言ってくれました。

岸田 会社の皆さんは?

はま 退院する前に会社の方がお見舞いに来てくれて「皆、待ってるからしっかり治してから出社してね」と言われ、その後放射線治療を終え復帰しました。

お金・保険

はま 保険には入ってました。僕の実の父が肝がんで亡くなってるので「必ず僕ががんになるわけではないかもしれないけど、もしかしたら、そういう遺伝子を持ってるかもしれないなあ」と思ったんでがん保険にも入ってたほうがいいかも……と思って入りました。

ゆっこ 一人、年間7万とか8万ぐらいの掛け金を30代半ばから払っています。ただほんとに若いときに入っちゃたので、見直しをしなかったのが残念……。

岸田 どういうタイプ?

はま 170万円ぐらいもらってあとで放射線で15万円ぐらいもらったから全部で185万円ぐらいが保険金としてもらった額です。

岸田 うわー。

はま がんの発覚から今まで病院窓口に払ったのが約90万ぐらいです。

辛い・克服

岸田 はまさんなりの克服方法を教えていただければと思います。

はま 僕は右側の顎関節、顎骨、頬骨を切除しました。容姿の変化によって「人とのふれあい」が難しくなるんじゃないかなと思ったのが一番メンタルにこたえましたね。あともう一つは顎関節が片方ないことで噛む力がないから、食べれるものも制限されてしまうっていうことに関して乗り切れるのかなあ?というこの2つがとても辛く重く感じたことです。今では乗り越えてますけど(笑)。

岸田 どうやって乗り越えたのですか?

はま ゆっこさんから「貴重な経験なんだからブログに書いて残しとけばいいんじゃないの」って言われたんですよ。いつの間にかブログのコメントを通じて僕が励ましたり、相手から励まされたりとかして、さらには自分の体験を外に発信することがもしかしたら自分自身のメンタルを強くすることなんじゃないかなと思ったのが克服のキッカケです。食べることに関してはチャレンジするしかないんです。「取りあえず口に入れてみよう」っていうところから始めましたね。今ではどんなお店に入ってもほとんどのモノが食べれるようになりました。

岸田 へえー。食べモノを小さくするための工夫とかは?

はま 食べ物用のハサミを携帯してます。

後遺症

岸田 後遺症はいかがですか?

はま 右側の顔面神経がないので表情が作れないっていうこと、笑えないんです。あとは目が完璧に閉じないのでどうしても涙がたまるんですよ。だから右目だけいつも涙がたまってる状態なんです。あとはいつも舌が半分ぐらいしびれてます。

岸田 そうなんですか……。

はま 容姿的には耳がこっち側だけ出っ張ってるんですよね。分かりますかね?

岸田 あー出っ張ってる、確かに。

はま 耳の中をくり抜いたんですよ。耳の中に普通は軟骨がありますが右側はないんですよ。

岸田 あー!ない。

はま だから右側にはカナルタイプのイヤホンが掛けられないです。

岸田 耳の中はふさいでないですよね?

はま はい。ほんとは耳を全部取らなきゃダメだったんですが医師が頑張ってくれました。耳の中をくり抜いて足の腿から肉と血管を持ってきて血管をつないで皮弁を作ってちゃんと血が通うような手術を受けました。

岸田 見た目で変わらないです。

はま そう言ってくれるとうれしいです。自分では嫌なんですよ。証明写真とか特に嫌ですね。

反省

岸田 僕が考えるには2008年に違和感を覚えたときに顎関節症じゃないかと疑いもあったが違ったのでそのまま放置して、2013年にようやく病院へ行ったっていうこの5年間の放置プレーかと思うんですけれども?

はま ちょっと放置し過ぎましたねー(笑)。「徹底的に原因が分かるまで調べる」っていうところですよね。それを怠ったためにこうなってしまったということですね。

岸田 ほかの反省、大丈夫ですか?

はま 保険を見直せば良かったなと。

岸田 あー保険ね、なるほど。

はま あともう一個。これはもしかしたら結構重要かもしれないんですけどね。家のローンが残ってるんですけど、団信を掛けているんで死んだ時にはローンが帳消しになるんですが、ちょっと掛け金が高くなりますけどプラスアルファして「がんですよ」って言われた時にその後は家のローンを払わなくてもいいというプランに入っていれば良かったなって思います。こういう状態ですけど仕事しなきゃいけないっていうのはやっぱり家のローンがあるからと思うわけなんです。

岸田 保険を掛けるかどうかは……

はま 掛けるかどうかは……

岸田 あなた次第です(笑)。

はま そうですね(笑)。

医療従事者への感謝・要望

はま 主治医はどんな質問でも100パーセント全力で答えてくれるんですよ。嘘を言わず正直にダメなものはダメだと言ってくれます。正直に答えてくれる先生方にはとても感謝しております。要望は耳下腺がんもですが、腺様嚢胞がんはものすごく希少ながんで、このがんに苦しんでる方がいらっしゃいます。どうしても希少がんはがん医療ビジネスにはなかなかつながらないじゃないですか?そのため研究対象にはなっても研究がなかなか進まないためにいい薬を作れないんです。ビジネスとしては成り立たないところがありますが、それでもやっぱり希少がんにもどんどん目を向けていい薬を早く作っていただきたいなといったところが要望になります。

キャンサーギフト

岸田 はまさんのキャンサーギフトってなんでしょうか?

はま がんになった体験をブログで公表したことによって少しですけどその情報が「役に立ったよ、勇気付けられたよ、励ましてもらってるよ」っていうことを言ってくれる方に出会えたことです。

岸田 ゆっこさんはどうですか?

ゆっこ 幸せな時間には限りがあるんだということを気付かせてくれたことに感謝してます。一日一日を楽しく過ごしていきたいなっていうのを、がんになる前に比べたら切実に思うようになりました。

岸田 はまさんの夢はなんですか?

はま この病気になって一番最初に思ったのが東京オリンピックを見ることです。

岸田 おおー。

はま 東京オリンピックの時に今ぐらい元気でいる自分でいたいなって思います。

今、闘病中のあなたへ

岸田 闘病している人たちに対して一言いただけますでしょうか?

はま 闘病している方はたくさんいらっしゃると思うんですけども。皆さん、生きるために闘病されていると思うんです。生きることを自分で決意したからこそ、今闘病していると僕は思っています。自分で生きると決めたということであれば、楽しく明るく生きていくということをおすすめしたいと思います。それでも生きていく中で迷ったりつらかったりした時には仲間がいるっていうこと「自分一人じゃないんだ」っていうことを感じて欲しいと思います。どこかに自分と同じ境遇の人が絶対にいますから、そういう人たちも同じ気持ちでいるっていうこと。また、それを克服した先輩たちがいるっていうことを思ってください。『生きてこそ』この言葉を皆さんに捧げたいと思います。

岸田 ああ、いいですねえ。

岸田 ゆっこさん、なんかあったりしますでしょうか?

ゆっこ そうですね、家族は病人を支えなくてはならない立場です。ときに励まし、ときには一緒に悲しんだりします。つらい治療を代わってあげられないけど、支えるためにはいつも明るく元気でいなくてはなりません。患者の数だけ頑張っている、支えてる家族はたくさんいます。辛い立場は自分一人じゃないって思ってこれからも支えていきましょう。

岸田 そうですねえ、自分だけじゃなくて家族もいる。その家族の支えがあるからこそ支え合えるんですね。すばらしいことだと心から思います。東京オリンピックを皆で見ましょうね。今日はありがとうございました。

※本ページは、あくまで経験者の情報を扱っております。そのため、あくまでその方のケースはそうだったということを念頭においてください。そのため、医療情報に関しては主治医や、行きつけの病院、またはしっかり科学的根拠に基づいたWebページや情報サイトを参照してください。

関連したノート

support_img01

みなさまのご支援が、がん闘病者の生活を変える第一歩につながります。
今たたかう人を助けると共に、より健康と向き合う社会づくりを目指すサポーターを募集しています。

個人・法人のご支援について